著:親彦
画:瞬響様
「GIMMICK ROOM 666」Special Guests
ライドウ“佐倉 朔”
人修羅“伏見 満”


ressentiment〜奴隷道徳〜




――なに?ライドウ

呼べば振り返る。
いつもの事。

そして、適当に相槌をした君の傍に並んで歩く。
歩幅を合わせて、同じ調子で。

他愛も無い話とて、君とするその事に意味が生まれる。

そう、それで満足していた。





「ライドウ?」

その声に、視界が色を取り戻す。
眼の前には、向かいのソファに座りこちらを覗き見る人修羅…
俺の大事にしているミツルが居た。
「おい、どうしたのお前?」
「何が?」
「大學芋片手に、食べる事を忘れてるとか…何?病気か?」
馬鹿にしているのか、心配しているのか分からない。
そんな微妙な言葉すら、甘く俺の中に落ちてくる。
(確かに病気かも知れない)
そう思いつつも、指に摘まんだ楊枝の先
蜜色に輝く大學芋を彼に差し出す。
「ほら、ミツル、あ〜んしてごらん」
「お、いっ!どうして急にそうなるんだよ!」
解せぬ、という表情で
しかしその唇は求める様に開いた。
その小さな開きに、押し込めば
唇が春色に輝いた。
「…甘ッ」
そう云って、口の中で転がして微笑む君を見て
嗚呼、甘いな…
確かに、そう感じる。
口にせずとも、そう感じるのだ。
それで、満足だった。
「ミツル、後で買出しに付き合ってくれ」
「んぇ?いいへほ」
もごもごと咀嚼しながら喋る君は、背凭れに掛けてあった上着を手にし
袖を通して、頭に頭巾の様な部分を被せて親指を立てた。
「よっし、準備完了」
ごくりと嚥下したミツルが、まだホルスターを巻く俺にそう云う。
「おい、待てミツルってば」
「早くしろよライドウ!」
悪戯っぽく笑って、事務所扉を開け放つ。
階段を忙しなく駆け下りる音がして、思わず苦笑した。
「何をそんなに急いでいるのだか…」
子供の様だ。
いや、ボルテクスの頃からすれば、確実にそうだった。
彼は、俺に甘えていてくれる。
それが、心地好いのを…否定はしない。
支度の仕上げに纏った外套を翻して、階段を降りる。
ミツルと違って、数段飛ばす事はしない。
(全く、あんな降り方だから偶に転がり落ちるんだ)
結構急な階段なのに、無茶苦茶な…
そんな事を考えて、口元が弛む。
それを隠す様に引き締めてから、銀楼閣の扉を開けた。



「なあなあ、あそこの茶漬けが最強にウマイんだって!!」
「はいはい、分かった、分かったから」
一体何処からその情報を?とも思ったが
ミツルの絶賛する小料理屋に、足は既に向かっている。
これだからゴウトには『甘やかし過ぎ』と笑われるのだ。
そうは分かっていても、ミツルの幸せそうな顔には代え難い。

「ええ、すいませんねぇ…この時間帯はこんな感じでして」
「では、時間を潰しますから、再度参ります」

店先での俺と店員の会話を
少し微妙な面持ちで見つめてきているミツル。
振り返るとそれだったものだから、思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよミツル、少し空いてからまた来よう」
そう彼に向かって少し声を張れば、ぎょっとして返してきた。
「えッ、オレそんな物欲しそうな顔だった!?」
「そうだねえ、営む際にもあの位の顔をして頂きたいな」
そう冗談を吐く俺に、裏手でべしり、と、肩を叩いてきた。
「ばっか!外でそういう事云うんじゃねえ!」
「はは、御免御免…」
「でも、暇つぶしかあ…どうすっかなぁ…」
「その頭巾があるのだから、好きに散歩して構わないよミツル?」
「だからぁ〜頭巾じゃなくてフード!!防災頭巾みたいでなんかしっくり来ねぇんだよ!」
頭上のフード?なる頭巾をわしっ、と掴んでミツルが俺に説教する。
この、下から来る視線での説教が可笑しくて、案外好きだったり…
「はいはい、フード、だね?」
「そ、んじゃオレちょっくら駄菓子屋行って来る!」
「えっ?その後食べるのに?」
「胃を慣らしておくんだよ!」
「お茶漬けなら優しいのに」
「気にすんな!ライドウは?」
既に駆け出しているところを振り返って、ミツルがフードの下から見つめてくる。

まじないを掛けてあげるよ、と云って
俺が施しをしたあの上着の“フード”。
それを被ると、普通の人には彼の浮き上がる紋は視えない…
陽の下を、自由に駆けるミツルを見て
改めてその方法を取って良かった、と笑みが零れる。

「そうだな、俺は一通り廻ってから銀楼閣に戻っている」
「晩飯前頃になったら行く?」
「晩飯の慣らしに茶漬け?」
「ん〜!最高じゃん!」
いやいや、ミツル。
君はその前に駄菓子も食べるという事になるが…
そんな俺の苦笑もお構いなしに、彼は手をひらひらと振って
いってきますの合図と共に雑踏へと消えた。
(全く…あれで本当に魔人か)
刀と拳で語った日が遠かった。
俺は、一瞬それを思い出して、学帽のつばを深く下ろした。
さあ、此処一帯に他なる悪魔は居ないか
異界への歪みは無いか
それらを確認してから、銀楼閣へ戻ろう。
弛んだ感情を引き締めて、歩き始めた。





ミツル!――

呼ばれて振り返る。
いつもの事。

そして、適当に相槌をして。
何も云わずともライドウが隣を歩く。

オレの下らない話を、ただ聞いて頷いてくれる。

そう、それで納得していた。




「う〜ん、甘ッ」
べっこう飴、おやき、するめいか。
まずは甘味から…と。
先刻大學芋を食べたのに、もうオレは飴にしゃぶりついていた。
うららかな昼。
平和。
ボルテクスとも、あの頃の東京とも違う。
こんな所で、非日常的なオレが、帝都の日常を護るライドウと過ごしている。
でも、こんな言葉恥ずかしいにも程が有るが
…幸せだった。
この、適当な平和、というのが一番得難いという事実。
オレもライドウも知っているから。

柳の揺れる水際に、腰を下ろして遠くを見る。
(…ほんと、ライドウって…助平だけど良い奴だよな)
おやきを食して、するめいかを端からしゃぶり始める。
じう、っと咬んで啜って、その旨みを唾液に融かす。
「…」
昔、ボルテクスで
悪魔の肉を食い千切って、笑っていた自分を思い出した。
唾液に融けたマガツヒが、ただただ身体を歓喜させていた。
(…いや、やっぱ啜るなら茶漬け、摂取は甘味だろっ!)
思い出したくも無いそれを、食べ物で吹き飛ばす。
脚の先をぶらぶらさせて、太陽を反射する光る水面を眺めた。
ボルテクスには無かった、温かな光。
「!」
ゆらゆらと、その揺れる水面に…
黒い外套の影が映った。
「あれ、銀楼閣じゃなかったのお前?」
振り向かず、その水面に向かってそう声を掛ける。
「…」
だが、返事は無い。
オレは少しムッとして、食いかけのするめを口に放り込んだ。
咀嚼しながら、振り返る。
「おい、ライドウ―…」

ぞわり

黒い影。
違う。
ライドウじゃ、無い。
影法師、でも…無い。
別次元の傷のある人でも無かった。

「…やあ、こんにちは」

オレを見下ろして、そう挨拶してきた。
殆ど同じなのに、纏うソレが違う。
オレの感覚が、そう警告していた。

「…誰」

振り返った姿勢のまま、オレはただそれしか聞けなかった。
何故?
オレは…
オレはこのライドウみたいな影に…
間違いなく恐怖していた。

「その服、術が施してある?」
「…」
「視えない様だね…“普通の人”には」
「あ、のさ…視えてんの?アンタには」
拳に力を込めて、聞き返す。
「まあね」
その返答に、オレは立ち上がり跳躍した。
間合いを取って、後ずさる。
水音が、せせらぎの音が…ただ静かに流れた。
「何、誰?何か用か!?」
矢継ぎ早に問うオレに、そのライドウみたいな影は哂った。
「いや、君にね…そっくりな人を捜していてね」
「…オレに?」
「そう、顔の斑紋まで同じ人」
その言葉に、息を呑んだ。
こんな身体のヤツ、他にいるかよ…
「とりあえず云っとくけど、オレじゃねえぞ!!」
「フフ…それは承知した」
何故…同じ姿なのに、こうも空気が違うんだろう。
「次元の違い…らしいね」
そう云って、その影はさっきオレの腰掛けていた処に腰を下ろした。
「さて、どう還れば良いかな…」
そう呟いて、胸元から何かを取り出した。
管かと思い、思わず構えた。
が…その誤解はマッチを擦る音と共に燃え尽きた。
「は、何…吸ってんだよアンタ!?」
思わず素っ頓狂な声で、叫んでしまった。
それも仕方ないだろ、だってこのライドウもどき…
書生スタイルなのに、いきなり水辺で噴かし始めたのだから。
「煙草だが?」
「見りゃ分かる!って…だから何者だよアンタは!?」
「十四代目葛葉ライドウ」
「…別次元、だとかの?」
「そのようだね」
クッと哂って、ふぅ、と白い煙を吐いた。
とても…オレの知るライドウと、似ても似つかない。
「あのさ、名前、なんていうの…アンタ」
オレは警戒を解かずに聞いた。
「何故?」
「オレのライドウと区別したいから」
「フフ…“オレのライドウ”ね」
煙と嘲笑が吐き出されて、思わずムカッときた。
が、オレの拳より早くその影が声を発する。
「夜」
「え?」
「名前、夜、字は“闇夜”の夜」
はあ、夜…
妙に納得して、オレはその指先の煙草を見た。
(朔と違って、すげ〜不良じゃん…このライドウ)
おまけに怖い。
哂っているのに、怖い。
あのマントラで、刀を光らせてオレに突きつけた…
あの時のライドウ、と同じ空気。
「ん?ちょっと待てよ…じゃあオレのソックリさんも今、ココに居るって事!?」
ハッとして、少し浮ついた声音で聞いてしまったオレ。
「多分居るよ、捜しているのはソレ……まあ、君と少し違うがね」
そう呟いて、夜は立ち上がった。
そしてオレの方を見て、煙草を差し出す。
その行動に、オレは何か危険な術かと思い
一瞬、脚を広げて腕で顔を覆った。
が、何も起こらない。
「…ああ、すまないね」
と、そこに夜がぼそりと零す。
「いつも吸殻は消し炭にして貰っているので」
などと、とんでもない事を云って、握りつぶしたその吸殻を
乱暴に銃のホルスターに押し込んでいた。
「なあ、夜さんの人修羅って…その、パシリか何か?」
唐突な疑問に、夜は哂う。
「でも世話は僕が焼いていると思うよ…?」
「さ、捜してるんだったら、手伝おうか?」
うわ、何を云い出すんだオレ。
でも…その人修羅が少し気になって、オレの口は勝手に提案していた。
「良いのかな?」
「ん、ああ、実際暇してたし…」
この怖いライドウは微妙だけど、コイツの人修羅には逢ってみたい。

なあ、もう一人のオレ。
お前は…どんな道を選んだんだ?

それが聞きたかった。
何故この、怖いライドウの仲魔(なのか?)になったのか
それも聞きたかった。
…平和ボケの反動の、好奇心が芽吹いていた。






全く、ミツル…
俺だって本当は、甘味の食べ歩きを君としたいのに。
ああ、普通の胃袋を怨むよ。
脳内で不満を垂れ流して、鳴海所長不在の机を整理する。
しかし最近は、異界と此方の均衡も保たれている。
案外平和、なのかも知れない。
(これで、あの車椅子の老人が尋ねてくる様な、飛んだ出来事さえ無ければな…)
あの時の事を思い返し、書類を掴む指先が止まる。

コン

「?」
ふと、音のした方を見上げる。
それは、この事務所の扉を叩く音。
依頼人は、大抵面割れを気にして最初は電話で尋ねてくるものだが…
「どうぞ」
不安を与えぬように、角の丸い声で促した。
すると、申し訳程度に隙間が開く。
そこから覗くのは、黒髪、少しはねた柔らかそうなそれ。
此方を見つめる、蜜色の瞳。
でも…違う。
あの“フード”で頭を覆わないその姿は、ある筈の物が視えない。
あの、肌を渡る斑紋が…無い。
「!?」
考えるより、訊ねるより早く、脚が動く。
ほんの数段の階段を飛ばして、一挙に扉へ接近する。
ビクリとして、隙間が狭まるが、其処に革靴を差し入れて防ぐ。
「ミツル!!」
その頬に、性急に両掌を添えて、挟んだ顔を自分へと向かせる。
「人に…っ、人間に戻れたのか!?」
あの、どれだけ望んでも得れなかった、姿。
それを目の当たりにして、思わず叫んでいた。
「…手」
と、俺の頬を包む手を、むんずと掴んで彼が呟く。
その声の、低い感情の抑揚にぎょっとして、その眼を見つめる。
「ミツ…」
云いかけて、それを引っ込めた。
この、少年は…ミツルと、違、う…?
そういえば、形は似ているが…服が違う?
「俺、ミツルって名前じゃないですから、手、外して下さい」
ぽつりぽつりと、発して俺の手をそのまま外す彼。
その行き場を失った手を、俺は腰の武器にゆるりと移動させつつ聞く。
「…では、君は誰…なんだ?」
「迷子になったので、知ってる処に来ただけです」
「迷子?」
「はい、アカラナの歪みに呑まれて…」
そこまで聞いて、俺は確信する。
雷堂、と同じ様な、平行世界か?…違う次元。
そこからの迷い仔、だろうか。
しかし、御丁寧に人修羅まで居るのか…おまけに、容姿まで酷似して。
(“知っている処”か…)
あの言葉が引っ掛かり、警戒しつつ詮索する。
「君は…東京受胎を経験した“人修羅”で間違い無いか?」
「…はい」
どこか、ミツルと違う。
「銀楼閣を知る、という事は…君も葛葉ライドウと行動を共にしている?」
「一応」
なんだろうか、他の次元でも俺と人修羅は接しているのか。
少しそれが可笑しくて、刀の柄に伸びていた指はぱらりと胴横に流れた。
「いきなり掴みかかり申し訳なかった」
少し柔和な笑みを意識して、この人修羅に謝罪する。
すると、彼もまばたきを少しして、頭を下げた。
「いえ、俺も不躾に手掴んで、すいませんでした」
この、妙な余所余所しさがむず痒い。
「しかし、その姿…君はどうやって」
俺が先刻からの疑問を口にすれば、眼の前の人修羅は少し笑った。
「虚像ですから」
その眼に、鋭く金色が輝く。
身体が反応して身構えるが、その金色は彼の内部に向いていたようだ。
ぶわり、と魔力の波が外套の端を揺らした。
「…これは」
「ね、だから云ったでしょう…ニセモノって」
どこか自嘲気味に笑うこの人修羅に、あの斑紋が奔った。
それは、俺の人修羅と、寸分違わぬ位置と、形だった。



「すいません、淹れて頂いちゃって」
また頭を下げて、腰掛けているこの人修羅。
ミツルなんか「サンキュ!」とか云って最初から寛いでいたのに。
(同じ姿でここまで空気が違うのか)
この、対面する人修羅は…どこか、空虚だ。
「気にしないでいい、知らぬ次元は心細いだろうから」
自身も腰掛けて、お茶を啜る。
「俺、いつも淹れる方が殆どだから新鮮ですよ」
「淹れる…って、誰に?」
「俺の次元の鳴海所長…と、ついでに葛葉ライドウに」
「そう、か…甲斐甲斐しいのだね、偉いな…君」
運ばれてきた物に、お礼と同時にかぶりつくミツルを思い出して苦笑した。
「…ミツルさんって、幸せそうですね」
突然、ミツルの名前を口にした彼。俺は咽そうになる。
「ミ、ミツルが?」
「はい、だって…貴方はミツルさんを大事にしている、そう感じるから」
ミツルと…似たような服を着ているが、斑紋の通らぬ…擬態姿の彼が云う。
俺はお茶を嚥下して、それとなく聞く。
「君は…ええと」
「功刀矢代です」
「クヌギ君は」
「すいません、同じ声で云われてややこしいので、出来れば下で」
「…ヤシロ君は、手酷い使役を受けているのか?」
もう、今の返答で解した。
彼は…主人である“葛葉ライドウ”を、恐らく疎んでいる。
「あの男、多分どの次元の葛葉ライドウよりもクズですよ」
「な、クズ…とは一体」
「戦闘狂だし、不純異性交遊も激しいし、酒・博打・煙草・薬…一通りやってますからね」
そう云って、ずず…と残りを流し込んだ彼。
俺はその他次元のライドウの評価に呆気に取られて、湯呑みを置いた。
「ヤシロ君は、そのライドウの仲魔になった事を…後悔している?」
問い質す。
すると、彼は無表情を少し弛ませて答える。
「それは、ミツルさんに直接聞いて下さいよ…」
「え…」
「俺はミツルさんじゃ無いですから、俺の答えで自己満足しないで下さい」
そう云われて、初めて気付いた。
そう、これは…常々ミツルに抱いてきた疑問、だった。

君は俺と来て、本当に後悔していないのか?

そう、思っていても…聞くのが、どこか怖かった。
笑う姿を見ても、問い質すことが躊躇われた。
“今”を、壊したくなかった…から。

「お茶、ご馳走様でした」
「あ、ああ…」
丁寧に礼を云い、人修羅ヤシロは湯呑みを横に退ける。
「お名前、差し支えなかったらいいですか?」
「姓は佐倉、名は朔だ」
「…ぷっ」
案の定、名乗れば失笑が漏れた。
仕方が無い。サクラサク、なのだから。
「受験は負け知らずですか?」
「云ってくれるなよ…ミツルにもしょっちゅう笑われるというのに」
はあ、と溜息を吐けば彼は「すいません」と口元を引き締めた。
「同じ歪みに呑まれたので、多分俺の方のライドウも居る筈ですから…」
席を立つ彼は、そう云って事務所の入り口を向く。
「待て、同行しようヤシロ君」
急ぎ立ち上がり、彼に寄る。
振り返る彼が、薄く笑う。
「人修羅は、危険な存在だから?」
「…協力しよう、と進言している」
落ち着いた口調でそう返せば、彼の方が項垂れた。
「すいません…」
「いや、君達の心情を思えば致し方無いだろう」
「俺の方のライドウが見つかるまで、お願いします」
ミツルと違うのは…彼、ヤシロの眼が
あのボルテクスに居た時のまま、だという事…






「でもさ夜さん、何処捜すんだよ…」
「歩けば棒に当たるだろう」
「げっ、どんだけ適当なんだよ…」
話せば話すほど、このライドウはおかしかった。
風貌は殆ど同じ…と思っていたけど、少し違った。
こっちのライドウ…朔より、少し背が高い。
眼が鋭い。
(それと、いっつも笑ってんのな)
笑う、と云っても気持ちの清々しいものじゃない。
こう…なんだか、仮面じみている。
「なあ、夜さんって何で人修羅を連れようと思ったんだ?」
季節が少し早いのでは、と思われる氷売りの声が響く傍を通る。
カツカツと、すらりと伸ばした脚を交差させて颯爽と往くそのライドウ。
しばらく間を置いた後、いきなり返答をしてきた。
「僕が悪魔召喚皇に成る為の、駒だから」
最初、何を云っているのかすら解らなかった。
が、オレはようやく理解した。
で、その瞬間その襟首を引っ掴んでいた。
身長差が厳しいが、オレは上を見上げて睨む。
何も動じず、寧ろ哂っているこのライドウに更に沸騰する。
「駒…?何だよ、ソレ」
「駒だよ、利用価値が有るからでは、いけない?」
「…っ、それ、他の奴等と同じじゃねえかよっ!」
コトワリの指導者…堕天使…
皆、オレを見ていなかった。
人修羅、という武器として、手駒として…見ていたあの世界。
それをむざむざと、オレに思い出させるその発言に怒りが湧き上がった。
「君、名前は?」
こんな状況で名前を聞いてくる、その狂った神経を疑いながら
オレは、自分が聞いておきながら公表していない事実に口ごもる。
「ふ、伏見 満っ!」
「伏見稲荷大社のフシミ?」
「そうだけど!?それがっ!?」
ムカムカしながら、オレは掴んだままの襟を少し弛めた。
「ふぅん…あの狐くさい処のね…」
何やら怨みでもあるのか、ぼそりと云った夜。
掴むオレの手の上から、細長い指で覆う。
「伏見君…では君達は何の為に共に居るのだい?」
「はぁ?朔とオレの事?」
「…その朔、とやらがこの世界のライドウを指すなら、ね」
「べっつに、一緒に居て楽しいなら良いだろ?」
そうぶっきらぼうに答えると、この男、突然笑い出した。
その妙な反応に、気味が悪くなって思わず掴んでいた手を放す。
「伏見君、それなら僕も同意だよ」
「な、なにがだよ」
「僕も…アレと一緒に居て、愉しいよ…」
クク、と哂う姿に戦慄する。
そこから滲み出るのは、温かなそれではなくて、もっと陰鬱な…
「君も、始めは利用してやろうと思っていたクチでは無いのか?」
「な、んだとッ」
「ボルテクスで受けた日本刀の薄刃と…鉛弾を忘れた?幸せな事で…」
「夜さんっ!あんた云って良い事と悪い事が…」
オレの拳が一際強く握り締められた、その瞬間。

「!?な、なんだ」
「…」

轟音が轟いて、少し地が揺れた。
そして、じわじわと身体が感じる。
(悪魔が居る…!)
この、街中に?
「い、異界だとかに繋がったのか?」
「…さあね、でもこのままにしては…此方の筑土町は混乱に見舞われるかと」
平然と云ってのける夜。
オレは慌てて、その魔力の流れを身体に受け止めて確認する。
そんなに遠くは無い、様子。
でも…街中で力を揮う事は、ライドウに…朔に禁じられていた。

――ミツルには、せめて此処では普通に振舞っていて欲しいから

その気遣いが、今の足を引っ張る。
「な、なあ夜サン!あんたも何とかしてくれよっ!」
縋る思いで傍のライドウ…夜に叫んだ。
すると夜は襟首を正して一息吐く。
「君のライドウが解決するだろう?放置しておけば良い」
「銀楼閣からこの辺までより、オレ等の場所の方が近いだろっ」
「何故僕が君達の帝都守護までする必要がある?」
「夜サンだって“ライドウ”だろっ!?」
「相応の報酬が頂戴出来るなら往こうか?」
鼻で笑って、吐き捨てる。
(こ、こいつ…っ)
あまりな返答に、辟易しつつもオレは走り出した。
「その身体、悪魔体のままだろう?にしては…」
「!」
傍を黒い外套が、ニタリと哂って追従してくる。
「お先に、伏見君」
そう云い残して、オレを抜かした夜は駆けて行く。
魔力を辿る事もだが、駆け足もオレより自分が上…とでも云いたいのか?
「くっそ、ざけんなよ!オレだってなああ!!」
フードが脱げないように注意しつつ、ビリビリと足が浮く感触。
制御していた力を戻していく。
夜に近付いてくると、段々とオレの中で意識が混濁してきた。
…マントラ本営前
…第三カルパ
じわりじわり、記憶が甦る。
デビルサマナーと、互いを殺さんと力を交えた、あの時が重なる。
ちらり、と、こっちを一瞬振り返った夜。
…愉しげに、哂っていた。






「ヤシロ君!大丈夫か…!?」
抜刀しつつ、対峙する悪魔を見据える。
人修羅ヤシロを背後に庇い、構えを崩さぬように。
「…野良の悪魔ですか?」
砂を掃う音、どうやら怪我は無いらしい。
異界からはみ出したのか…先刻見回った際に、異常は見られなかったのに。
突如飛び掛ってきた塊。
それに押し倒された人修羅ヤシロ、抜刀した俺がソレを斬撃した。
そうして、向かい合って睨み合い、である。
「今片付ける、君は下がって…」
俺は管に指を掛けて、背後を窺う。
すると、彼が居ない。
「ヤ、シロ君?」
ハッとして、対峙していた獣型の悪魔へと向き直る。
…その、向かいに居た筈の悪魔が居ない。
辺りを見渡す前に、上空を見上げた。
鈍い音がしたから、自然と視線が其処へと向かったのだ。

「な…」

魔力を解放した人修羅が、宙でその獣を…
両腕に点した焔で、灰燼へと変貌させていた。
一瞬、だった。
とすり、と、小さな音を立てて着地した彼。
地上に戻った時には、既に斑紋は消え失せていた。
この通りに入ってきた通行人が、その音に一瞬彼を見つめる。

「ねえねえ、お母さん、あの人お空から降ってきてたよ〜」
「なに馬鹿な事云ってるの!指さすんじゃありません!」

赤いべべの幼い少女が、少しどきりとさせる言葉を笑顔で述べて通過していく。
母親に叱咤され、笑顔を少ししょげさせていた。
そして反対に、言葉が出ない俺に…人修羅ヤシロは声を掛けてくる。
「余計でしたか?」
喉が張りつく…渇きが酷い。
「い、いや…」
そうとしか返せなかった。
そう、人修羅の力を見るのが…あまりに久々で、少し…ほんの少しだけ…
疼いた。
「ああすれば、誰にも見られないと思ったんですが」
「君の姿が?」
「はい、流石にあの姿を一般に曝すのは不味いですよね?」
丁寧に云うが、その頬にはまだ残滓がこびり付いていた。
「頬に…」
そう彼に云い、俺は自身の頬を、彼の眼を見つつ撫ぜ示した。
それに気付いて彼は頬を撫ぜ、指先を見つめる。
そして苦々しげに吐く。
「…これだから悪魔って…」
その言葉の、棚上げっぷりに吃驚した。
悪魔を、心底嫌っているかの様な台詞。
自身の今の力とて、悪魔であるのに。
「いや…ヤシロ君、とりあえず礼を云う…有り難う」
出来るだけ、戦いの緊張を解かして彼に近付いた。
が、人修羅ヤシロは俺を見て…何か云いたげに笑う。
「何か、可笑しいのか…?」
「優しいんですね、佐倉さんは」
突然、何を云い出すのだ。
「ミツルさんが羨ましいな」
「…特別、優しくしているつもりは無いのだが」
「でも…佐倉さん」
「…何か?」

「嘘つきですね」

そう云って、暗く笑った。
快活に微笑むミツルと真逆のその表情。
「嘘を吐いている憶えは、無いが」
「ミツルさんの事、大事に大事に…壊さないようにしてる」
「確かに、ゴウトには過保護と云われる」
「ボルテクスで…ミツルさんを斬った事無いんですか?」
いきなり、ボルテクスの記憶を引きずり出される。
俺とミツルが避ける、その話題。
「斬らない筈、無いだろう?出会いが其方も同じなら解ると思うが…」
「戦っている時、嫌でした?」
「嫌とか、良いとか、そのような範疇ではないよ…依頼なのだから」
「強い悪魔を支配下に置く…そういう欲が一切無かったんですか?」
何を…云っているのだろう、彼は。
「俺は、ミツルと今は居るだけで…安堵する、それだけだ」
「さっき、降りてきた俺を見ながら刀に手を掛けていた」
「…!」
しっかりと、確認していたのか、あの…金の眼は。
「その時の佐倉さん、魔力が…MAG、が滲んでました」
「まだ、悪魔が居るかもしれないと思い」
「人修羅と、また戦り合いたいから?」
「馬鹿な…」
「ミツルさんを壊れ物の様に扱うのは…」
「…」
「本性を曝け出した時、嫌われてしまうのが怖いから?」
「本性も何もない、俺は葛葉ライドウの十四代目として接して…」
「支配してしまいたい癖に…壊すのは自分だけで良いと、思っている…癖に」
駄目だ。
(これ以上問答を続けては…引きずり込まれる)
俺は溜息混じりに人修羅ヤシロに近付き、微かに灰の混じる土を踏む。
「拭えていない…頬を出すんだ」
落ち着いて、軽く深呼吸してからそう云った。
俺の言葉に従い、大人しく俺に頬を向けた彼。
その悪魔の脂雑じりの血を、伸ばした指で拭おうとした。
その瞬間。
「!!」
「なっ!?」
眼を見開き、急に俺を突き飛ばす人修羅ヤシロ。
渇いた音、鈍い音。
そして、俺が受身を取りつつ見たのは…
彼の腕に埋まる…鉛。

「その位、自分で拭い給え…功刀君」

俺と、同じ声質。
その発砲音の出処に視線を向ける。
…書生。感じるマグネタイト。外套下にしまわれた銃。硝煙臭。
顔に傷は…無い。
(違う次元の…俺)
彼の名前を呼んだから、恐らく人修羅ヤシロの主人だ。
だが…それなら何故…
理解不能な出来事に、俺は人修羅ヤシロに向き直る。
彼は、血の流れ伝うであろう腕をぐい、と抑えた。
腕を覆う衣類の布地に、赤が広がる。
「ね、佐倉さん…云った、でしょう」
「何故、君が撃たれる!?」
「俺の身体を…血を拭うにしても嬲るにしても、他に赦したくないんですよ、あの男」
酷く、歪に…笑う彼。
その言葉に、ぞわりと肌が粟立った。
そこに在るのは…憎悪。
しかし…それだけ、でも無い。
それを甘受する、依存。

「おい!大丈夫かライドウ!!」

その声の抑揚に、弾かれた様に俺は見る。
“フード”を頭に被る…此方の人修羅、ミツルが駆け寄ってくる。
その空気が、俺を安堵させた。
「ミツル…」
「夜さん、まっさか撃つなんて思わなかったぞおいっ!」
憤慨して、あのライドウに向かって怒鳴る。
「夜?」
「うん、あそこのライドウの事」
「もしかしてはぐれた人修羅を捜していた?」
「そ!…あれ?そっちの人ってそういや…俺にソックリな気が」
と、ミツルがヤシロを見る。
「…」
黙って、見つめ返すヤシロ…
「な、なあ、オレっ、聞きたい事が…」
どもって声を掛けるミツルの傍を、無表情に通り過ぎていく彼。
えっ?という表情で、ミツルはヤシロの背に再度云う。
「なあ!!聞いてくれよっ!人修羅なんだろ!?オレと同じ…」
「同じじゃない!!」
ピタリ、と脚を止めて、怒鳴る人修羅ヤシロ。
そんな大声が出せたのか、と、少し驚いた。
「お、おい…っ」
「…ミツルさんが羨ましい」
振り向く事もせずに、彼はそう告げた。
そのまま向かう先は…あのライドウ、夜、の処。
「迷子中に他のライドウに優しくされて、気分は上々?」
そのライドウ…夜の言葉は、何処か嫌味だ。
息を呑んで、彼等のやり取りを見る…俺とミツル。
「還れるかも怪しいのだから…はぐれてくれるなよ」
「あんたが違う処に落ち込んだからだろ」
「主人から離れる君の罪だよ」
無関係な俺とミツルが、あっ、と思わず声を上げそうになってしまった。
視線の先のライドウは、傍の人修羅の足の甲をぐい、と踏みにじった。
そして、項をがしりと掴む。
本来突起があるその箇所は、やはり痛いのだろうか…顔を歪ませたヤシロ。
「う、っ」
「羨ましい?あんな弛みきった関係が?」
ちらり、と夜の冷たい、嘲りに近い視線が俺達を刺して指す。
背筋が凍る…感覚。
「欲も曝け出せぬのに、それで通じ合っていると勘違いする程虚しい関係は無いね?」
くつくつ、哂う。
その姿は、悪魔の様だ。
「…別に、良い、だろっ……あんたが、おかしいだけ、だ!」
苦しそうに吐いたヤシロが、踏んでくる脚を、空いた脚で薙ぎ払った。
それを既に読んでいたのだろうか、夜は払われた脚を水平に持っていくと
そのまま角度をつけてヤシロの脇腹に喰いこませた。
「ぁが…ぁ…ッ」
人の成りの所為か、それすら致命傷と云わんばかりに脇腹を抱えてうずくまる。
先刻一瞬で悪魔を灰燼に帰した魔人とは…思えない、その痛々しさ。
「おい!!夜さんッ!!」
俺の傍、ミツルが八重歯を剥き出しにして叫んだ。
微妙に薄暗いこの通りが、その抑えきれぬ分の魔力を仄かに輝かせていた。
「あんたはっ、人修羅の事嫌いなのか!?」
今にも飛び掛りそうな彼の腕を、俺は引き止めるかの様に掴む。
中途半端な力しか出さずに掛かっては…
「ミツル、止めろ」
「でも、あんな」
「間合いに入ると斬られるぞ」
逆撫でせぬように、諭す。
すると、困惑した表情のミツルは視線を伏せた。
何故君がそんな顔をする…
そのしょげた迷い仔の頭を、ぽん、と叩く。
「…俺はミツルを好きだ、安心して良い」
小声でなだめれば、その表情は少し和らぎ…同時に魔力に凪が訪れる。

「…」

離れた先から刺さる視線を感じて、ミツルから視線を移す。
(…金色だ)
蜜というより、ギラリとした色。赤く染まる気味の悪い月にも似たそれ。
怨めしそうに、見つめてくる…違う次元の、人修羅。
それが少し居た堪れなくて、ミツルからそっと距離を置いた。

「ククッ…君も欲しいの?」

突如、見下す様にヤシロを脚先で虐めていた夜が声を発する。
それにビクリとして(俺達も)ヤシロは上を仰いだ。
「ああいう具体的なのが?ねえ功刀君?」
夜が、彼の手首を掴んで引き摺りあげる。
無理矢理半立ちにされたヤシロは顰めた眉で、一瞬俺達を、顧みた。
「やめ…」
その先の悲鳴が呑まれていく。
「「…!?」」
俺もミツルもまさかしない、こんな白昼堂々。
そんな思いで、恐らく見つめている俺達。
「んっ、う、うううぅっ!」
眼を見開いて、零れる喘ぎ。
もがくその手足は黒い外套に絡め取られている。
余裕の表情のまま夜は、その酸欠状態の如き彼の唇を食む。
その接吻は…とても、愛情表現には見えなかった。
喰い殺そうとせん、それだった。


夜・矢代

朔・ミツル

全体


「…」
傍のミツルが気になって、横目に覗く。
ミツルは、頬を染めて完全に視線を逸らしていた。
それでも眼が泳いでいるのは、聞こえてくる粘着質な音に耳が苛まれている所為だろう。
その音は、彼等の唇から溢れる唾液。捏ねくりまわされているらしい舌。
やがて、がくり、と項垂れるヤシロ。
「失神しそうな程歓んだ?」
クスクスと哂って、夜がようやく彼を解放する。
ヤシロは薄っすらと眼を開いて、かすれた声で弱々しく吐き出す。
「ち、がぅ…っ」
そう、違う…と思いたかった。
離れる唇から、唾液と一緒に引かれる魔力の線。
きっとヤシロから吸ったのだろう、息を吸うかの様にして…
「自身で歩けぬとは、本当に君は独りでは何も出来ぬ、愚図だな…フフ」
愉悦に歪んだ声音で、唇をぺろりとなめずった夜が呟く。
そうさせたのは、何処の誰だ。
「さあ、帰路に着こうか?矢代…」
俺の拭おうとした、その彼の頬を指先で拭う夜。
「ぅ……よ、る」
横抱きに、眠り姫の様に運ばれる人修羅ヤシロは苦しげに呻いた。
だが、その呻きの尾ひれに、主人の名が間違いなく呼ばれていた。
薄暗い通りから、光の溢れる大通りへと消えていく。
逆光で見えるその二人の影は、やがて白く陽に消えた。
白昼夢、だったかの様に。







「んじゃ、おやすみ、ライドウ」
「ああ、おやすみミツル」
いつもの様に、就寝の挨拶。
背中側にぼんやりと感じる鼓動は、俺の人修羅ミツルのもの。
別に、夜毎抱き合って眠る程飢えている訳では無い。
ただ…今宵背中合わせに横たわるのは、違う訳有って、だ。

――欲も曝け出せぬのに、それで通じ合っていると勘違いする程虚しい関係は無いね?

(…俺の欲は、ミツルと共に居る事、だけだ)
夜の言葉が、胸を抉る。
俺が…欲を隠している、とでも云いたげだった。
…馬鹿な。
「ミツル?寝たのか?」
背中の方、穏やかな寝息が耳を撫ぜる。
まさか、もう寝たのだろうか?
(日中あんな事があったのに、呑気な…)
思わず苦笑して、上半身を起こす。
窓から射す月明かりが、ミツルの頬を照らしていた。
…あどけない。
(寝ていると一層幼い)
ふ、と笑って、俺はその頬を指の背で軽く撫ぞった。
「!」
一瞬その顔を見て、記憶が蒸返す。

――やめ…

羽交い絞めで、息すら奪われるあの人修羅…
その泣き濡れた表情を思い出して、ずくり、と…疼く。
…何に疼くんだ?俺は。
俺は…ミツルに、笑って居て欲しいだけ。
…そう、とても壊すなど…
自由を奪ってまで、己が欲のままに、喰らい尽くしてしまいたい等と…

――嘘つきですね

いいや、俺は嘘なぞ吐いてない。
そんな、まさか…

指先が、震えた。
このまま…本当は……そう、本当は…






さっきから、オレの頬を撫でるライドウの指が震えている。
感じる、魔力の波。
微量の…気配は、あの頃のもの。
昼に逢った、夜、みたいに歪められた口元。
そうして、ライドウはオレに銃を向けたんだ。
逃げれるものなら、逃げ切ってみろ、とカルパで。
(…あの時、笑っていたよな)
思い返せば、オレも微妙に笑ってた。
あの刀を、へし折ってやろうかと、腕を戦慄かせていた頃。
その興奮は、いつしかこうやって沈殿した。
…そう、沈殿した、だけだ。

――君も、始めは利用してやろうと思っていたクチでは無いのか?

(利用…)
ライドウ…はオレを、望んで帝都に連れて来た。
でも、何を望んで?
戦わせる為?愛でる為?
…オレは、もしかしなくても、飼われている?
どきどきする、悪い、意味で。
いつか…あの、夜と同じ笑みを浮かべて、オレを苛むのでは無いか?
夜と駆けたあの瞬間、云いようの無い高揚感が間違い無く在った。
それは…オレも、やはり悪魔、だから?
人になんて、成れない、から?
飼われるなんざ、御免だと…本能が叫んでる?
牙を剥けと、胎内からの呼び声が…する。

満月の光が、キモチイイ…







――なに?ライドウ

呼べば振り返る。
そのあどけない悪魔の君。
本当は…
その唇を無理矢理奪いたい。
その強き力を、意のままにして支配したい。
その身も心も、俺に服従させたい。

壊したくないから、では無かった。
壊す恍惚に、俺が耐えられそうに無いから…我慢、していた。

そう、満足なぞ、していなかった。




ミツル!――

呼ばれて振り返る。
オレの主人がそこに居る。
実際は…
オレをいつも肉食獣の様に、狙っている。
オレの弱いところから、侵蝕しようとしている。
オレの身体から、心へと入り込んで…牙を折るつもりなんだ。

オレを護る為じゃないんだ。
オレを支配する為の…優しげな、嘘。


そう、納得なんか、していなかった。





宵闇に訪れた、二人の道徳の時間。

ressentiment〜奴隷道徳〜・了
* あとがき*

【ressentiment】仏語(ルサンチマン)ニーチェの用語。被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。怨恨。

【奴隷道徳】強者・支配者に対する怨恨(ルサンチマン)から成立する弱者の道徳。キリスト教道徳がその典型であり、偉大な者への怖れと不信、弱者への同情、狡猾な卑下と反抗などを特徴とするという。

最初に謝罪。超不良十四代目夜の所為です、申し訳ありません。
勝手にフードにまじない込めてある設定とか…もう滅茶苦茶w
朔さんの願望とミツル君の悪魔的な闘争本能をひん剥いてみました。
矢代が、本家5割増しで病んでる気が。
すいません、すいません瞬響様…
あの後、夜と矢代が還れたのかは謎…
あの後、朔さんとミツル君が喰い合いしたかも謎…
答えは妄想の先に創って下さい。

追加⇒美麗なイメージイラスト!頂いちゃいましたvうふふふ…!(2010/5/6)