「はあ…っ」
窮屈で、苦しい。
「意外と似合っているのが…くく、滑稽」
ライドウの声が、俺の圧迫を更に重くする。
「何で…俺が」
胎を締め付けるコルセット、腕周りがきついドレス。
「おい…っ」
「最先端の洋装だよ、シルクタフタ」
「擬態させろよっ」
「端のブレードの装飾が美しい」
「それか女性悪魔に…っ」
「ねえ功刀君、人形遊びは経験が無いのかい?」
俺の意見なぞぶっ飛ばして、ライドウは俺に問う。
俺は身に纏わされたドレスやピンヒールで、死にそうだ。
「んなの…無い」
「僕も無いが…よく小耳に挟むだろう? 人形の扱い」
そう云い、外だというのにこの男は俺の首のチョーカーを引っ張る。
それがまるで首輪の様に、引かれるままに俺は脚を躍らせる。
「ひっ、ひぐっ」
「ふふ、舞踏会の事前練習には丁度良かった?」
一方的な社交ダンス。俺は呼吸困難のまま、そのステップに無理矢理合わせられる。
「人形の首を、挿げ替えたり、無理矢理に異性の服を着せて嗤ったり…子供はするのだろう?」
ライドウが愉しそうに、手綱みたくリボンを引きつつ云う。
その、銀糸のリボンが、朦朧とする俺の眼には鎖に見える。
「君は、僕の悪魔なんだから…黙って着せ替えられて、体をいじられていれば良いだろう?」
「お、俺を…仲魔にした…理由にならない、っ」
「君はやはり青が似合うな、その斑紋の光る奔流も涼しい色をしているからね…」
「触る…なっ!」
引かれたリボンが背の編み上げに引っ掛かり、圧迫感が和らぐ。レースアップが解けていく感触。
冷やりとした空気が、背中をなで上げる、と同時に…ぴしりと痛みが奔る。
「駄目だろう、君が下手に動くから…」
「誰の所為だ…」
このまま板胸を曝しては、本当にただの変態だ。俺は背に腕を回すが…こんな背後の編み上げなぞ出来っこ無い。
「君は不器用なのだから、僕に頼みたまえよ」
そう云ってくるライドウの、暗い笑みが見える。
「…」
「ほら、それともまだおしろいが足りない? お粉が足りない?」
その言葉の意味する事を知り、俺は冷や汗が額に流れた気がする。
「今度は身体に叩く事になるかな…」
「た、たの…む、ライドウ…」
震える声で、苦々しく吐き出す。
にしゃり、と哂うライドウが確信犯という事は分かっている。
「そうそう、このサマナーである僕が人形の持ち主なのだからね…」
ライドウに、背の紐を取られる。時折入る指遣いは、嫌がらせだ。
「人形の着せ替えは、人形自身には赦されていないのだから…」
悪魔の声…
俺は、羞恥に震えて俯いていた。
「頬のおしろいが、薄くなってきているね」
「!」
「丁度下の赤みが浮いてきて…頬紅みたいで可愛らしいね? 功刀ちゃん?」
「こ、の…っ!!」
涙すら滲みそうだ。この…この男は、俺を強かに殴り、打ちつけた。
それもわざと、人間の成りをしていた時に、だ。俺の身体には見事にその痣が残ったままで、其処にこの女装。
悪魔に姿を戻せば一瞬で痣など消えるのに…
この男は、俺を組み敷いておしろいを滑らせた、粉をはたいた。赤い、赤い華を…無理矢理雪で覆い隠すのだった。
「ああ、使役する女性悪魔にさせるより、余程面白いな」
「…」
いつか、その骨まで、バラバラにしてやる…
靴が擦れ、軋む脚先。無理矢理エスコートされる俺。
「舞踏会会場に、到着」
その笑みに、一瞬ドス黒いものが混じるライドウ。戦いの予感に、疼いているのだろう…
鹿鳴館みたいな建造物は…何故だか歪んで見える。
「此処…」
「そう、悪魔のダンス・パーティ、いざ参らん」
絢爛豪華な装飾も、どこか薄暗い。臙脂色の絨毯が、乾いた血の様に床を埋めている。
「ライドウ、空気が…」
「流石に分かる? そう、異界だよ…」
だとしたら、この館に脚を入れた瞬間にはもう異界に呑まれていた、という事になる。
「此の館、異界からの影響を受けて、被害者が出ているのでね…」
「何で?」
「残留する思念が、悪魔を呼び込んでいるのだよ…」
「思念…それが何か分かっているのか? あんたは」
そう聞けば、振り返り、急にうやうやしく俺の手を取るライドウ。気味の悪い行為に、俺は口元を引き攣らせる。
「青いドレスの女性ばかりが悪魔に喰われる…」
その、ライドウから発される単語が俺の脳内に引っ掛かる。
“青いドレス”
自身を見下ろせば、間違いなく青い。
「まさか! 俺を囮にするってのかあんた!」
「そうでもなければ人形遊びなぞ、幼稚な遊びはしないが?」
戦慄く俺の手を引き、絨毯を舐める様に歩んで行く。
もう、既に悪魔の気配は在る。警戒しつつ、しかしこの俺の姿がそれを萎縮させる。
「なんで他の悪魔にさせないんだよ…」
「他の女悪魔に? まあ男悪魔だろうが結論は同じだ」
「あんたなりの結論、云ってみろよ」
「従わせる悪魔に、主従より上の好意を抱かせては困るのでね」
その台詞に、俺は「はあ?」と素っ頓狂な声を思わず上げた。
横目に俺を見て、その眼を俺に見せ付けるライドウ。黒い、純粋な闇が美しい双眸に、俺は少し動悸がした。
「お芝居だろうが、悪魔は主人からの言葉を魂で受け取るものだ」
「はあ…つまり、俺なら、あんたのお芝居に付き合おうがそれは無い、って事か」
「ご名答」
「…当たり前だろ、あんたの芝居なんか、そもそも上辺だけだし」
「へえ、云ってくれるな」
「まあ、俺がまずあんたの告白に一喜一憂する筈も無いだろ」
「だから君を今回伴侶役に仕立てて、連れてきたのだよ」
「むかつくが、依頼主も待ってるんだろうからな、仕方無い…」
そう云いつつも、俺はこのひらひらする布を早く棄ててしまいたかった。
こんなの、女性か、それか綺麗な男性でもなけりゃ着こなせないだろ。
そう思い起こし、改めて恥が昇って来る。
「さあ、広間に着いたし、躍ろうか功刀君?」
そのライドウの声に、視線を移した。薄暗いので、あまり分からないが…開けた空間に出た事は分かる。
「ほら、この手をお取り…」
伸ばされる手、指先が、くい、と俺を招く。死の舞踏に。
「…ちっ」
淑女にあるまじき、舌打ちでその手を取る。その瞬間、広間を照らす灯り。灯り。アカリ。
びくりとして、上を見上げる俺の腕に指を這わせて哂うライドウ。
「ほぅら、釣られて来た…」
ウィスプの様な、ジャックランタンの様な…大小系統様々な悪魔が広間を囲う。
灯りを点して、ぐるりぐるりと回る。何処からか、ピアノの音まで響いてくる。
「な、ちょっと待てっ、俺踊りなんかっ」
「僕にゆだねて、黙って使役されて居て」
右?左?前?後ろ? どちらに動けば脚を踏まない? 踏まれない?
俺のたどたどしい脚を、うまく踏まずにステップを踏むライドウ。黒い外套が躍り、俺の青を覆い隠す。
壁に張られる鏡が重なり合って、俺達が何十人にも映り込む。悪魔達は、映らない。
俺は、ぼんやりと…霞んでいる。
「もう少し愉しんでいたいところだが…そろそろ親玉を招待しようか?」
ピアノが変調し、甘い、ゆったりとしたものに変わる。
「青いドレスの女性に怨みでも有るのかな…? その女性が愛に応えると、広間が闇に染まり…食い殺されている女性の死体が残るのだと」
少しだけヒールの高いローファーを鳴らすライドウが、そう云い哂う。
「ど、どうすんだよっ」
「その場面を、今から再現すれば来るだろう?」
嫌な予感しか、しない。
ライドウが、俺の前にひざまずいた。周囲の灯りも、ピアノも、それを見てか…いっせいに止む。
まさか…
「君が好きだ…功刀矢代」
きた。
「さあ、此の手を取って…返事を紡いで?」
なんだこの狂った舞台は。
「さあ…功刀君」
云わなければ、終わらない。
「嘘では嫌、好きと云って?」
終われ、終われ、こんな…こんな!
俺なら、何も意識せず、紡げると思っているこの男が…憎らしい。
その手を取り、俺は薄っすらと…多分笑って呟いた。
「殺したいくらい、好き」
その言葉に、俺を見上げたライドウが…口の端を吊り上げた。
途端、俺の手から、腰にその指を滑らせる。
「跳べ」
そう耳元で囁かれ、俺は無意識に脚を跳ねさせた。俺を抱きかかえる様に、共に跳躍したライドウが翻り抜刀する。
さっきまで居た中央シャンデリアの下では、大口を開けた悪魔がこちらを見ていた。
『青イ…ドレスノ…ハ、オレ…ノ!』
唸り、間違いなく俺に殺意を向けてくるその悪魔。
『ホカノ、オトコニ…ワタサナイ…ワタサナイ…』
その言葉、なんとなく悪魔の妄執に、察しがついた。
周囲で回る悪魔達が、今度も俺達を囲む、逃がさまい、と。
「では愛しき人修羅よ、本当の舞踏を見せておくれ?」
俺は傍で哂うライドウに、侮蔑の眼差しを贈った。
奴は笑い返す様に、刀を一閃する。
ずるり、と俺から青い纏いが床へと滑り落ちていく。それを皮切りに、窮屈な、あれこれを俺は引き千切り投げ棄てる。
魔力が疼いて、俺の開放感を助長させた。斑紋が青白く光る、いつもの、姿。
「鏡じゃ見れないんだ、しっかりと、俺を見てろよ…憎らしいご主人様!」
俺はそう云い、床に顔を覗かせる悪魔に向かって駆け出した。
もう、鏡に俺は映っていなかった。
-了-
ライドウへと薦められたALI PROJECT『禁じられた遊び』から。人修羅女装。
ライドウがさせるのは囮の為だけか? 偽りの告白。狂おしい舞踏。
『おい、我の鰹節を知らぬか?』
読書中の僕の肩に飛び乗り、耳元で聞くゴウト。
「存じませんね」
肩から振り落とすかの様にして、卓上の珈琲に手を伸ばす。
『おい、恐らくあの戸棚の中なのだが』
「…」
『おい、我の身体が何か知っておろうが』
「…今、結構良い場面だったのですがね」
やれやれ、と立ち上がる僕。広げた本をうつ伏せにして卓上に置き、ゴウトの視線の示す棚に向かう。
がた、と木作りの棚を開ければ…
「…おいおい、これまた乱立しているね」
調味料・漬物・料理酒……人修羅が来るまでは、有り得なかったこの光景。
『おい、我の鰹節は…』
「ああ、これですか」
削り器と一緒に置かれたそれ。人修羅が偶にゴウトに削ってやっているのを見る。
僕はそれが面倒なので、その枯節を持ってソファへ戻る。
背凭れに引っ掛けてある装備一式から、すらりと抜刀。
『お、おい?』
どもるゴウトを無視して、宙に放った枯節鰹。それを刀で弄ぶ。
『わ! おい! ふざけるなよお主!!』
「ご馳走の山なんて、夢の様ではないですか、フフ」
荒削りの鰹の屑が、黒猫の上に降り注ぐ。
下手に動けば刃先に当たりそうなゴウトは、動けず埋もれていく。
『誰が片付けるのだこれは!!』
「あはは、さあ?」
『おい! ライドウ! 夜!!』
いい加減鰹臭いので、怒鳴るゴウトを背に僕は事務所から撤退した。
先刻読んでいた本も、良い所で途切れてしまった…
別のを読み直そうと思い、自室へと階段を上がる。詩集は最近飽いてきたな…恋愛物も売れ筋との事で購入したが、よく解らぬ。
何より…人修羅が屑金で集め始めている“調理指南”の本が最近幅をきかせており、実に癪だ。
「僕の本棚だというに」
がたがたと引き出して、端へと追いやっていくと…違和感。
そういえば、こんなに手前に背表紙が来ていたか?
ハッとして本を抜き取っていく。すると、奥に空間。並ぶ小壷・瓶。
「功刀いっ!! 来い! 今来いすぐ来い!!」
下層へと怒鳴る。
僕の本棚の奥は、勝手に漬物市場にされていた。
「君、どうして自身の舌がいかれているのに食に拘る?」
「いってぇ…」
頬をさすり、殴られた不満を漏らす人修羅。
「僕の領域まで侵さないで頂きたいのだがね?」
「あそこ冷暗とか最適だったから」
「聞いている?君?」
向かい合って座るソファ。机の下から伸ばす脚で、彼の甲を踏みにじる。
「っ…! おい、なら俺からも云わせてもらうけど…」
「何? 言い訳かな?」
「俺の漬物の一番の消費者、あんただけど」
…なんだと?
「覚えが無い」
「いやいや! 何が覚えが無い、だ! あんたかなり大飯喰らいだろ!」
「動いた分を摂取している、MAG的にも」
「意味が解らない、ちなみに一番好んで喰ってるのは芽キャベツの漬物」
「…」
「売ってないから、俺の持ってきた苗から栽培してんだけど?」
「…なんだい?その恩着せがましい物云いは?」
「は? 逆切れか? 芽キャベツもう喰うなよあんた」
「云われなくても、そうする」
明日はクイーンメイブ絡みの依頼が入っている。
あの悪魔が居るのは人修羅の界隈なので、それについて促して、就寝。
全く…奴め、僕が調理については好きにさせているのを良い事に…
寝間着の端を食み、苛々をそのままに意識を暗転させる。
「おはようございます、鳴海さん」
「おっ、早いね〜矢代君!」
朝のやり取りをする人修羅と鳴海所長。
「いただきます」
着席して箸を持つ僕に、鳴海が云う。
「おいおいライドウ! 朝の挨拶はいただきますじゃ無いぞ〜」
「はいはい、申し訳ありませんね」
白米、味噌汁…具は油揚げで無い点は、まあ、悪く無い。
そして、塩見と薬味が利いたものを、ぼり、と咀嚼する。
と、向こうの調理場に立つ人修羅が、此方を見ている。
その蜜色の眼で、僕を見て…ニタリと笑った。
「…何」
云い掛けて、箸が止まる。
もうひとつ、と、摘まもうとしていたそれは
芽キャベツの漬物。
「…ッ!!」
ガタリ、と椅子を鳴らし、立席。
そんな僕を見て、向かいの鳴海がへらりと笑った。
「おいライドウ、残り喰わないのか〜?」
「…依頼が押してるので、もう行きます」
「お前が残すなんて、珍しいな? んじゃ残りのそれ、も〜らいっと!」
その台詞に妙に怒りを覚えた僕は、箸で芽キャベツを摘まみあげた鳴海に大股で寄り。
その箸先が鳴海へと向く前に、顔を寄せて喰らい付いた。
「おわっ!?」
急な僕の動きに、肝を抜かれた鳴海が身体を引かせている。
バリバリ咀嚼して云う。
「行って参りまふ、鳴海さふ」
乱暴にホルスターと外套を掴み、事務所扉へと向かう。
くぐもった笑いを必死に堪えている人修羅が、腹立たしかった。
◇◇◇
ああ、あいつのあの顔!
ボルテクスですら見た事無かったぞ、あの何とも云えない表情。
依頼から帰るライドウが、怖くないと云えば嘘だが、これは可笑しい。
と、事務所の扉が開く音が下からする。
ああ、帰ったか…
俺は、自然と身体が強張る。少しのダメージは、もう覚悟済みだ。
がちゃり
この、ライドウの部屋の扉が開けられた。
「ただいま功刀君」
「…あ、ああ」
「お土産が有るのだけど、どう?」
ライドウが外套下から取り出したのは、瓶。
「…酒じゃないのかそれ」
「蜂蜜酒だから君も飲めるよ?」
そういう問題じゃ無いだろ、と突っ込みたかったが…
否応無しに、晩酌会へ連行される。
「…甘い?」
「醗酵が進んでいないからね」
「…ふ〜ん」
意外と、美味しい? 俺のいかれた舌でも、何故か判る。
卓を挟む向かいのライドウは、相変わらずぐいぐいと呑む。
その、薄赤の、少しだけとろみのある液体。ぼんやりと、頬が火照る。
この男…苛々していると思っていたのだけど、そうでもないのか?
「ライドウ、依頼どうだったんだ…」
「ばっちりだが? 百点満点中、百二十点」
「はあ? あんた酔ってんのか?」
「ふふ、いやこれ、中々美味しいのでね…」
「そ…いえば、コレ、どうしたんだよ? 依頼の報酬?」
確かに、魔的な美味しさを感じる。
嘘の様だが、俺の手はおかわりを注いでいた。
「ああ、コレの出処、知りたい?」
口の端を吊り上げて、ライドウが哂う…
「これね、クイーンメイブから頂いた」
「えっ、悪魔からの物かよ」
ぎょっとして、俺は熱い頬を冷たいグラスに当て冷ます。
「良いマヴ(蜂蜜酒)を呉れるからね…見る?」
いきなりそう云って、ライドウはごそり、と、傍の荷を探る。
そのまま管召喚。
『お呼びで? フフッ…ライドウ様』
「シラフの貴女を呼んでしまい、申し訳無いね、女王」
座るライドウは、自身の膝上に召喚して、クイーンメイブを横抱きにしていた。
思わず俺は怒鳴る。
「それ以上密着するなら俺の見えない範囲でやってくれよ!」
この男の手の早さは、見ていてヒヤヒヤする。
「功刀君、今から見せると云っているだろう?」
「は? 何…」
「今呑んでいるコレの、とっておきの隠し味…教えてあげるよ?」
哂うライドウ。その指先が妖しく蠢く。
ゆっくりと、クイーンメイブの胸元をまさぐってから、谷間、胎へと流れる。
「っ、おい」
俺は耳まで熱くなる。と、ココでライドウが一際哂う。
ずぐり、と潜り込ませる指は…明らかに、秘部。
驚き、声も出ない俺。
こねくり回すライドウは、慣れた表情。能面の女王が身体をくねらせる。
思わず席を立った俺に見せ付けるかの様に、奴は指を抜き取った。
粘着質な音は当然だった、その指は血塗れ。
「それ、傷になってるんじゃないのか!? そんな血が出るまで…っ」
「違うよ、これ…経血だから」
「…は?」
「だからぁ、月経の時の血、だよ…フフ」
そう云い放つライドウは、俺を愉しげに見つめた。
「クイーンメイブは…自身の経血入りの蜂蜜酒を、多くの夫達に配る…」
「…!!」
「知らなかった? 調理より、悪魔の勉強をしておくべきだねえ? 功刀君」
こみ上げる…胃から、逆流する!
「う、ぅげぇッ…」
卓に指を掛け、蹲り吐き出す俺に、ライドウは、俺を見下して云う。
「この世に食せぬもの無し」
べろり、と赤い指先を舐めて、クク、と哂った。
-了-
ライドウへと薦められたALI PROJECT 『人生美味礼讃』から。
クイーンメイブはそうらしいですよ(wikiより)。食む事が大好きなライドウ。
人修羅は悪魔より献立で頭が一杯。ライドウ、やっぱり怒っていたのか(笑)酷い仕返し。
「アンドロイド?」
ライドウの発する単語は、時々嫌に未来的だ。
「あんた、人造人間の概念持つ時代の生まれだったか?」
業魔殿の、書物を整理しながら(させられながら)俺はライドウにいぶかしげに声を掛けた。
「在るさ、Andreide…未来のイヴ」
梯子の上から返事が下りてくる。高い位置の悪魔文献は、俺にはどういじって良いのか分からない。番号順に揃っている下の棚を、
俺は受持って埃を掃う。
「未来のイヴ? 何だよ、それ」
「ヴィリエ・ド・リラダンの小説」
「誰?」
「仏蘭西人作家…何だ、君の時代では著名で無いのか?」
ライドウの動かす本達が、俺に向かって嫌がらせの如く埃を降らす。
俺は少し咳き込んで、其処から離れる。
「知らな、げほっ!…おい、下見て落とせよっ」
「素晴らしいのに、学校の指導教材にすれば良いのだよ」
「聞け!」
相変わらずのお構い無しっぷりで、奴が手にしている本を数冊投げてくる。
俺に“受け取らないとどうなるか解っているな?”という視線を同時に投げて。
「御苦労」
「…ちっ」
空中でバラけたそれ等を、俺は反復跳躍しつつキャッチする。地に一冊でも着けば、埃では無く鉛が降って来ると思う。
「これ何処に置けば良いんだ?」
「一番左の棚の上から二段目」
「梯子は?」
「跳んで入れ給え」
「…」
俺を何だと思っているんだこのデビルサマナー。
「あのなあ、悪魔だって何でも理想に応えられると思うなよあんた」
俺は不満を云いつつ、地を蹴り指定された本棚の上段へと跳ぶ。
一番上を指先で掴めば、フェルトみたく埃の感触。それに眉を顰めながら、上から二段目の空きを探す。
「理想に適わぬから、創造したのでは?」
向こうから、暗く静かな空間に響くライドウの声。
「何を?」
俺は少し乱暴に、片手にした本を突っ込み聞き返す。すると奴はまた口にした。
「アンドロイド」
また云う。
「それ、あんたはどういう風に気に入ってんだ? 何でも云う事聞く奴を指してる?」
は、と少し馬鹿にして笑ってやれば、ライドウは本棚に手を突っ込みつつ語る。
「ヒトは、酷い欠陥だらけだと思わないか?」
「…俺に云うなよ」
「フフ、君はヒューマノイドかな?」
「どういう意味」
「“人間もどき”」
そう哂って云うライドウに、俺は最後の一冊を思い切り振り被って投げつけた。それをばすり、と音を立てて受け止めたライドウ。
俺は本棚に引っ掛けていた指を開いて、下降する。すれば、先刻まで居たところを鉛が滑空していった。
金属の残響が空間に広がる。
「業魔殿で発砲すんなよ」
「いや失礼、欠陥だらけでね」
「此処に居る人修羅とデビルサマナーどっちの事?」
「さあ?」
「その本、入りきらないから」
「あ、そう」
嫌味が飛ぼうが鉛が飛ぼうが、日常茶飯事なのだ。
「L'Eve future…」
「え?」
「未来のイヴはね…なにもS・Fでは無いのだよ」
梯子の上から、ライドウが呟く。
「アンドロイドなんて、まさしくSFだろ?」
俺が安直に思考すれば、ライドウは鼻で笑う。
「アダリー(理想)をヒトが創造するのは、神への冒涜だ…」
「あんた無神論者じゃないのか?」
「一般的な見解だよ、悪魔合体だって理想に近づける為に繰り返される業だろう?」
「…まあ、確かに、俺は好きになれないけどな」
腕組みして、あぶれた本の山に寄り掛かる。
「云ってしまえば…僕と君だってアンドロイドさ」
そのライドウの台詞に、俺は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げる。
「だって、そうだろう?君は幾度も繰り返させられ、理想へと近づけられていく」
「…」
「ボルテクスという実験場で、失敗の君は記憶ごと廃棄処分」
「発想が悪趣味」
「有り難う」
「で、あんたはさしずめカラスの作ったアンドロイド、ってか?」
俺の揶揄も嫌味だが、奴はくすりと哂って答える。
「そうだ、葛葉という素体に容れられた僕と云う情報」
「カラスの手足?」
「創造主に隷属の日々さ」
「実験場は?」
「帝都(とかい)」
そこまで聞いて、俺は思わず胎を抱えた。そんな俺を、ライドウは見下ろして問い詰める。
「どうした? 捻子でも外れたかい?」
「っくく…いや、だってあんたさ、“安全性”と“服従”は具えてないだろ?」
「!」
「だから、アンドロイドには遠いって」
「へえ、君はやはりそれなりの知識は有るのだね」
ニタリ、と哂って、ライドウが梯子に腰掛けたまま脚組みする。
「あんたの入れ知恵のお陰で、最近妙に思想がデカダンスだ」
「クク、結構結構…」
手をぱん、と数回重ねて埃を掃うライドウ。
その組んだ脚のまま、梯子からしな垂れる様に背をしならせていく。そうしながら俺を見つめるその眼は…俺に理想を求めている。
ぐらり、と梯子から離れて此方に舞い落ちてくる黒い烏を、俺は両腕でがしり、と受け止めた。
腹立たしい事この上無いが俺の思考回路は使役され始めてから狂っているので仕方が無い。
斑紋光る腕の中で、帽子のつばを掴んだライドウが哂って言葉を吐く。
「それでこそ、僕のイヴ」
-了-
ライドウへと薦められたALI PROJECT 『未來のイヴ』から。
明治にはもう書かれていたなんて…学校の指導教材にすれば良いのに…
強請り、存在し得ないイヴを求めるある種の恋愛小説。人修羅も葛葉もアダリーへのアーキタイプ
「では、この依頼は無かった事に」
云い放ち、席を立つライドウ。ちら、と俺は遠目にそれを見る。
「おい! 待てよ!! 何でも怪し事なら解決してくれんじゃないのかよ!?」
向かいに座っていた男が、怒号と共に立ち上がる。
「ええ、オッカルトなら」
綺麗に微笑むライドウ。あれは営業スマイルだ。
「どう考えたって悪魔の仕業だろ!?」
食い下がる男、写真を差し出して、喫茶のテーブルに指で打ち付ける。
それを見て、ライドウは少し呆れた様に笑う。
「それは先程も拝見致しました」
「これ! ほらココに写ってるの! 悪魔だろうが!!」
俺の眼でも、何となく視える…
っぽい、ソレ。
「しかしですね、この様な悪魔は知りません」
「未確認の奴じゃねえのかよ!? お前の知らない奴とかよお!!」
スーツをきっちり着込んだ男は、それに似つかわしくない態度。
きっと、ライドウが書生の姿だから…舐めている。
「…逆に」
「あ?」
「逆に、貴方を売り渡しましょうか?」
と、いきなりライドウがその声音を変える。
写真をすらりとした指先に捕らえ、その面を男に向ける。
「此処、御覧なさいな…」
空いた指先で、その面の一部を指した。
「なんだよ」
「此処に、この悪魔と云われるモノが映りこんでいますね」
「それがどうした!」
「悪魔はね…鏡などには映らないのですよ」
そう云って、写真を突き出した。口を開けたままの男に、続ける。
「悪魔より、人間の方が犯罪率高いの、御存知ですか?」
ライドウが、そう云った瞬間。その男は拳を振り上げた。
俺は肩が一瞬強張ったが、別に助ける義理も無いし。ライドウがさせるなら、それで構わないだろうと思った。
周囲の客がすこし振り返って、彼等を見る。だが何事も無かったかの様に、穏やかな喧騒へと空気は戻る。
「ちっ、もういい」
「御足労、感謝致します」
大人しく殴られたライドウは、ただ哂っていた。
殴った男は、店の扉のベルを鳴らして出て行った。
俺は、カウンターから外れて、ライドウの向かいの席へと座った。
「あんた、仕事は真面目だよな」
「仕事?」
「帝都守護」
「…ああ、それ仕事では無いから」
着席したライドウはテーブルの隅にある手拭いを掴み、お冷やの入ったグラスへと押し付けた。
「仕事だろ?」
「趣味」
水滴を吸って冷たくなった手拭いを、先刻打たれた頬に添えた。
「あんな奴、訴えてやりゃいいのに」
俺がお品書きを手にしてぼそぼそと呟いていると、向かいのライドウは少し哂った。
「大丈夫さ、刑事さんに今頃御用となっている筈だから」
その言葉に、俺は文字から眼を離す。
「…どういう事だよ、それ」
「風間刑事には、もう写真の複製も渡してあるからね」
「なんで」
「餅は餅屋」
「違う! 何で刑事さんの手柄にするんだよ! 鳴海探偵社の手柄にすれば…」
俺が声を張ると、ライドウはニタリとした。
俺は…なんと無く、解った。
「ねえ、僕が捜査に使うのは…悪魔だけじゃないの、知っていた?」
ライドウの背後に見える窓の向こう。スーツの男が数人に取り囲まれているのが見えた。
「毒を喰らわば皿まで」
そう云って、ライドウは俺からお品書きを取り上げた。
「手柄で釣っておくのさ…有益な情報を流してくれるからね」
「おい…」
「富・名誉・愛欲ですべて釣れる」
哂い続ける、黒い外套。
「クク、美味なれど毒だがね」
そう呟いて、手を挙げ女中を呼ぶライドウ。気付いた女中がすぐに此方へと歩み寄る。
「珈琲、それと向かいの連れの冷を替えて頂けますか?」
なりを潜めた、黒い影。そんな微笑で、女中に頼む。
「はい、かしこまりました…」
きっと、ライドウの顔に見惚れている。
俺の脳裏を、ライドウの言葉が駆け巡った。
先刻の依頼主…悪魔に罪を着せた、富を得んとする窃盗。
刑事…情報漏洩して、己の名誉。
女中…たった一目だというのに愛欲にのぼせた視線。
「毒で成り立っているからね…」
「陰気な野郎だな…あんた」
俺の嫌味すら美味しい。そんな表情で、向かいの書生は営業スマイル。
「パラケルススも云っているよ、毒の無いものは無い、とね」
「あんたは毒しか無いだろ」
toxicology(トクシコロジー)
こいつにだけは絶対教えたくない。
「嗚呼、カフェインが美味しい」
毒を呑んで、ライドウが哂った。
窓外で、男が手錠を掛けられた
-了-
ライドウへと薦められたALI PROJECT 『Poisoner』から。
私のライドウのイメージ。毒を生かす、toxicology(毒性学)
すべての欲と毒を利用する
俺の肩に掛けられた羽織り。豪奢な、魔獣の鞣革。
込められた魔力をまだ感じる死んでいる筈のその皮から。
「いい、要りません」
両側から掛けてくる悪魔に、其れを剥がして突き出す。困惑顔の従者。
魔界の城で、俺は…多分我侭だった。
『ですが、ヤシロ様』
「このままでいいです」
『新月にしか姿を見せぬ霊獣の毛皮ですよ、纏うは不服ですか?』
「…獣臭い、悪魔臭い」
突き放して、俺は謁見の間が見える窓にしな垂れた。あそこに居るルシファー…この城の城主。
俺を殺して、生み出した張本人。その姿を見ると、未だに畏怖する。
同時に、怨めしくもあり、縋る対象でもあった。
(…いつか、越えなければいけないのに)
あの堕天使の前に立つと、やはり竦んでしまう。親に逆らえぬ子の様に。
悪魔の血が流れるから、その姿が恐ろしいのか。
俺だけでは、勝てる筈無い…だから…ヒトの手を借りるのだ。
飼われる犬に成って、今は嬲られても。いつか…飼い主の手を咬んで、喰い千切ってやる。
そして云ってやるんだ。
“こんなに強くしてくれて有り難う…最果てに立つのは俺だから”って。
あの人間の、悪趣味な使役…
与えられる偶の飴も、普段の鞭を鋭敏にさせる為の悪戯でしかない。
そう、それだけ―――だ。
◇◇◇
『おいライドウ、それは何だ…見た事も無い銃だが』
僕の手の中で、しっとり輝く銃身。鉛色…だけで無く、艶やかな暗黒色。
「内緒にしておいて下さいよゴウト」
口の端をいつもの如く吊り上げて、僕はその内に弾を装填して。
その金属音、連結音に微笑みながら筒にくちづける。
『禍々しいな』
「割り出した情報から、ヴィクトルに作成してもらったのですよ…」
『情報?』
「半人半魔にも効果覿面な鉛…を吐ける銃ですから」
うっとり語る僕に、ヒゲを奮わせるゴウト…
『飼い犬を殺すつもりか?』
「制御出来ぬ飼い主ほど罪深い者は居ないですから」
しかも愛すべきダブルアクションのリボルバー。どう使おうか?
云う事を聞かぬアレの頭に押し付けて、脅迫しようか?
宣言通り、咬み付いてくるなら殺す、と。
空の弾倉五発の後に…きつい一発を容れて置いて。
五回ビクつく君を見下しながら、嘲笑って…
最期、パン、と一発お見舞いして云ってあげる。
“死刑判決、忘れてた?”
嗚呼…頭を押さえ、のたうつ君が瞼の裏に…
そう、君は手駒、既に捕らえてあるのだから。
僕が悪魔召喚皇となる瞬間、君諸共…ひっくるめて、全てを掌握してやる。
半人で在りながら飼われるのは、どんな気分?
でも、放す気はさらさら無い。愛玩動物への感情…だが、愛など無い。
依存? 執着? それは、愛と違う? 同一?
この罪に、答えなど必要無い―――
憂鬱な、我が共犯者よ。
◇◇◇
「おかえり功刀君」
「…」
眼の奥に、暗い闇を携えた悪魔召喚師が、半人半魔の少年を迎えた。
「報告はどうだった? 閣下はご健勝で?」
「…いつもと同じだ」
微笑む悪魔召喚師。
その指を、人修羅の肩に掛ける。
咄嗟に振り返る人修羅に、クスリと哂い掛けた。
「獣の毛が付いていたよ…」
「…」
黙ってそれを指先で摘まむ人修羅が、怪訝な表情をする。
「肩を抱いて欲しかった? おかえりと共に」
「ふ…っ、ふざけるな!」
払い除けるその半人半魔は、少し赤面しつつも…
振り向きざまに伸ばした爪を、こっそりと引っ込めた。
同時に、悪魔召喚師も…外套の中で掴んだ銃を、するりと放した。
先に極刑が下る罪人は、どちら?
-了-
ライドウへと薦められた椎名林檎『尖った手口』から。
“共犯者”
とてもこの二人に似合う言葉。暗く焔立つ、両者の野望、執着…
「…遅い」
自分の影が、やがて融け込んで往く。
今しがた殺したゴグマゴグ、俺の焔で燻りつつ溶け広がった身体が空を映す。
空、というのか、これは…
「遅い、葛葉ライドウ…!」
ボルテクスの中心が、ゴグマゴクの残滓に映りこんでいた。
ゆっくりと、煌々と輝くカグツチ。だが、それすら息を潜める周期がやってきた。
スニーカーの先にぴちゃりと、その残滓が垂れて接する感触。
ぞわり、と寒気がして、治まり切らぬ魔力を腕先から発した。
『おっかない』
『少しは落ち着いたらどうだ…』
周囲から、野良悪魔の呟く声。俺を見て、まるで化け物でも見たかの様な物云い。
それを述べる奴等が、悪魔であって、俺は本当は…
「ぅるさいッ」
吼えて振り返れば、もう気配は無い。そう、気配は無いのだ。
静天…皆、鎮まって、眠る。血気盛んな類の悪魔も、この時ばかりは形を潜めるのだ。
こんな廃墟に居ると、それこそ独りきりである。崩落して、朽ちた外壁…そのまま残っている建造物もある。
此処は、どの辺りだったのか、真上に東京タワーがぶら下がっているのは見えたが。
思い、上を見上げてみた。鎮まったカグツチの所為で、薄暗くて見えない。
昼夜も失せたこの世界だが、この瞬間だけ夜を感じる。
(こんな所にしか感じれないのかよ)
酷く、虚しい。待ち人も来ない、いや、別に待ち望んでなぞいないが。
溜息ひとつ零し、悪魔一匹すら居ない街を歩く。
ぱき、ぱりん
窓硝子の破片を、ソールの裏で砕いて往く。
(この辺で落ち合う予定だろ…あの野郎)
ぱき、ぱりん
(あの顔、会ったらぶん殴って…)
ぱりぃいいん
明らかに足下以外からの砕音。
はっ、として神経を研ぎ澄ませると、右後ろやや上からの圧。
路面を蹴って跳べば、そこに撃ち込まれる弾丸。
きらきらと僅かな光を吸って、反射していた。撥ね返り空を飛ぶそれ等は星の様に見える。
「姿見せろよ…卑怯者」
呟いて、灰色になったスタバのオープンテラスの椅子にガタリ、と、腰掛ける如く着地した。
「自由行動の後、此処で落ち合う…とか云ったのは誰だ? なぁ!?」
糾弾の直後、椅子の手摺をがっしと掴んで宙返りした。振りかぶって、そのまま投げつける。
貯水槽の影から黒い外套が一瞬見え隠れし、その椅子を両断した。
共に一閃されたそのタンクが、血飛沫みたいなシルエットを残す。
既に駆け上がっていた俺に、その飛沫が容赦なく掛かってきた。
顔を咄嗟に背けたが、少し口に入った。
(げぇっ、レジオネラ菌)
ぺっ、と行儀悪く吐き捨てて、その場を離れる。
あの男、本当にどういう神経しているのだろうか。自分の方が遅く来たから機嫌悪い、とか?
それとも、わざと俺より後に来て…
「いっ」
熱い痛み…見れば左腕の斑紋が赤く割れていた。
それにカッときて、左腕で薙ぐ。傍の外壁の無意味な落書きがすぅ、と裂けて崩れる。
再生する細胞に押し出された弾丸が、カラリと音を弾ませて転がった。
(何処だ、あの野郎)
暗い廃墟を駆ける。人影が、見えそうで見えない。
稀に飛んでくる弾丸に、怯えつつも追う俺。
使役されているのだから、この怯えは当然だろ。そう、仕方が無い事なんだ。
静まり返った街、悪魔の息遣いも無い。駆け回るのは、俺とあの男だけ。
「はっ……はっ……」
いつまで続くんだ、この追いかけっこは。人修羅なのに、やや息の上がってきた俺。
やがて、街もはずれの方…金網に囲まれた、更に寂しい方面に出た。
遠くに見える地平は、黒くシルエットを空に落としている。その格子に指を掛け、屈み込む。
此処まで開けた場所なら、あの男も接近戦に持ち込むだろう…
あの烏みたいなしつこさで、さっさとおびき出されて来い…
…が、来ない、気配すら無い。背中が、寒い。
「……!」
握り締めた金網が、手の中で風化した。
踵を返して街を見れば、やはり無音の廃墟で。先刻までの攻防も嘘の様で。
「…おい」
無意識に発される声、無意識に踏み出される足。
「…どうしたんだよ、おい…っ」
其処に、居ないのか? 消えてしまったのか? 俺だけを残して?
来た方角を戻り、標的にでもなりたいのか、俺は震える声を出していた。
「…おい………おいライドウ…」
砂の散る路面、四輪も二輪も人も悪魔も、何も通っていない。
人でも悪魔でもない、俺が、歩くだけ。
ふと傍の建造物に視線が流れる。ボロボロの垂れ幕に、鋭利な裂傷。
断面が綺麗なままの、硝子片がその周囲に散らばっている。
つい先刻まで何者かが居た気配。思わずその建造物に飛び込めば、砂塵が舞うかの如く埃が舞った。
だが、足跡が在る……まるで、導くかの様な、俺を手繰り寄せるかの様なその痕跡。
ガタン
物音。何の音かを確認する為見渡せば、俺に向かってまるでドミノみたく連なって倒れてくる本棚。
形状からしても、勝手に倒れてくる筈の無いそのオブジェクトの向こう側を意識する。
「本屋で暴れんじゃねぇよ…!」
バイト先を思い出す、こんな整った処では無かったが。
恐らく紀伊國屋書店と思われる、整然としたその棚並びを波乗りして往く。
その波の発生源に既に影は無かったが、足跡の代わりに本がばらばらと落ちていた。
奴の気になる書物かと一瞬思ったが、少し違う。
肌色の面積が多い女性達が、そ知らぬ表情やら妖艶な笑みで俺を見つめてきた。
「…ッ、好色野郎が…」
きっと俺に対する嫌がらせだ。
成人向けの冊子やら写真集が、処狭しと散らばる床に着地して居心地が悪い。
なるべく下を見ない様に遠方へと視線を配せば、何か異様なものが見えた。
悪魔のこの眼で、それをしかと捉える。眼鏡なんて必要無い、この視力なら。
(子供用の、キッズコーナー…)
バイト先にはそんなスペース無くて、親の手からあぶれた子供がよく放浪していた。
今の俺みたいに。
(壁に、何か書いてある…?)
小さなテーブルの上、散らばるクレヨン。
傍の白い壁には、血の様な“あかいろ”で刻まれる、人間の言葉。
《暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ修羅の双月》
しばし、呆然とそれを眺めていた。
一瞬かもしれなかったが、数分かもしれなかった。
視界に捉えつつ、接近していたらしい俺、眼の前にその壁が在った。
「…違うだろ」
絶対、修羅の双月なんてフレーズはおかしい。あのサマナーの悪趣味だ。
テーブルに転がるクレヨンを指に掬って、其処を打ち消す。
壁紙に削がれていく“こんいろ”の顔料。
(こんな事してないで、さっさと姿を現せよ!)
夜!
◇◇◇
『お主、結局は追いかけっこが好きなのか』
「駆け引きが好きなものでしてね」
『…人修羅は居場所を誇示するかの如く声を発する…勝負になるのか?』
業斗童子の呆れ声に、ふ…と哂って道を戻る。
『おまけに、お主も…やたらと痕跡を残すで無いわ』
そんなに見つけて欲しいのか? と聞かれた僕はひとつ哂い、黒猫に返す。
「人修羅の反応が面白いだけですよ」
まさか、僕を見つけて欲しいだなんて…滑稽な。
『なれば、どちらが鬼なのだ? この遊戯は』
「さあ?」
先刻残した壁の言葉、彼は気付いたのだろうか。
横倒しの棚と、裸婦の海を渡り、その問題地点に辿り着く。
血の様な朱色の上、夕闇の色が覆っていた。書き換えられた、その歌。
《暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ紺の夜》
僕が、本来の形から変えた部分がきっちりと、換えられている。
『確かに、間違ってはおらぬな、名前』
ニャア、とゴウトが啼いた。
「…紺色が、照らせる訳無いだろうに」
(馬鹿な奴…)
ゆるやかに、口の端が上がった。
感じる視線に振り返れば、修羅の双月。薄闇に浮かぶそれと眼が合う。
ようやく、誰もいない廃墟で交わされた、交信。己以外の、己と同質の存在。
「ねぇ? 功刀君?」
眼と眼が合うたび、哂う。
そう、此処には、この世界には僕と同じイキモノが存在している。
似てないのに、同じ、だと思われる。
「遅刻魔」
「遊びに刻限は無いよ」
指にしたのは、管では無い。
今の、この時は、僕と君だけで駆けようか。
屈み、紺色のクレヨンで地に描き上げる呪。
有無を云わせず迫ってきた君が、その法陣に弾き返された。
見えているのに、接さない。だって、遊戯の終りが見えると寂しいだろう?
「見えない糸で繋がっているのだから…ねぇ?」
子供みたく、クレヨン片手に立ち上がる。
見上げてくる君の眼に浮かぶ、憎しみと安堵。
さあ、次は何を描こうか。この、混沌の世界に、死んだ世界に。
滅びの定め破って 駆けていく。
-了-
スピッツの『夜を駆ける』より。
スピッツという事に驚愕されそうですね。でも、此処の人修羅はスピッツのイメージです。一見綺麗、しかし不可解。
「暗きより暗き闇路やみぢに生むまれきて さやかに照らせ山の端はの月」 は、和泉式部の歌を引用。
『人は暗い闇の世から暗い闇の世に生まれて、光の世に逃れることができぬ 山の端の月よ、はっきりと照らしておくれ』 という意味、らしいです…
「えっ、動かない?」
『うん、動かなくなっちゃった』
アリスの小さな指の中で、ブリキの玩具が俺を見上げていた。
『死んだの?』
「ちょっと見せて」
そこから拾い上げ、その金属兎をひっくり返して見た。
背面の尻尾がカタカタと小さく揺れていた。それに納得して、指先でその尾を摘んで回す。
「分かり辛いけど、ここがゼンマイだよ」
アリスの両手の器にそっと置いてやる。
キチキチキチ…
脚とヒゲがゆらゆら蠢いていた。
『動いた! 生き返った!』
クスクス笑って、俺の腕を引っ張ってくる。
『さすが矢代お兄ちゃん!』
半強制的に屈まされる、それに苦笑いするしかない。
「俺そんな歳じゃ無いんだけど」
『いいこいいこ!』
髪をぐい、と引っ張られ、後頭部をわしゃわしゃされる。
「何やってるの、君達」
事務所の扉が開く音と同時に、苛つく高慢な声音が降り注いだ。
『あ! 夜兄様だぁ〜! おかえりなさぁい!』
何故俺は“お兄ちゃん”で、あの男は“兄様”なんだ。
もやりとしていると、ライドウが外套を腕に掛け、アリスの頭を撫ぜた。
「ミス・アリス…こんな時間に茶会とは、門限は大丈夫なのかい?」
『満月までに帰れば大丈夫! あっ、ゴウトにゃんこだ!』
ライドウを避けて、手摺に乗り上げたゴウトに駆け寄っていく少女。
『おいっ! 誰か止めろ!』
『きゃはははは! すばしっこ〜い!』
叫びながら逃げるゴウトを、知ってか知らずか笑って追い回す。
「…あの子は、元気だな」
俺の呟きを、テーブルに放られたブリキの兎だけが聞いていた。
そう思っていた刹那、すらりとした指が兎を掴み上げる。
「玩具を与えた途端、生き生きとし始めたね?」
ライドウが口の端を吊り上げた。
その台詞の意味する事を知っている俺は、小さく舌打ちした。
『ねぇ、お兄ちゃんが動かなくなっちゃった』
降りしきる雨の中、少女の声が微かに聞こえる。
『死んだの?』
「少し待ち給え、ミス・アリス」
うつ伏せに倒れている俺の腕を掴み上げる感触。
ライドウの声が、雨音を弾く。
「不貞腐れて、寝ているだけさ……」
項の突起を掴まれて、強制的に顔を上げさせるその動き。
「あっ、ぐぅッ」
「ゼンマイ式と同じ…動力さえ与えてあげれば、すぐ遊べるよ?」
云いきって、俺の唇に噛み付いてくるデビルサマナー。
俺の、枯渇していた胎内が、充たされる。
与えられたMAGが、治癒を促進させて、傷がたちまち癒えていく。
雨に溶けていた血が、雨粒に消されていく。
『あっ、動いた! 生き返った!』
「ほら御覧?」
酷く、頭が痛い。
微笑む少女の金糸の髪が、雨の満月に煌く。
『流石は夜兄様だぁ! ねぇねぇ! もっと遊ぼうよぉ!』
「僕は構わぬが…功刀君? そろそろ起き給えよ、ほら」
「ガぁっッ!」
革靴で頬を蹴られ、跳ね上がる泥が反対に向かった。
『きゃ! んも〜ぉっ、せっかく血しか付かないようにしてたのにぃ』
アリスの声がそれでも愉しげだ。
『からだでべんしょーしてよ! 矢代お兄ちゃん…』
感じる脈動に、身体が勝手に反射して転がる。
元居た場所には、水柱が上がって煌いていた。
「…アリス! いい加減にしないか…!」
顔の泥を手の甲で拭って、俺は叱咤する。
アリスは両腕に立ち昇る気を纏わせて、笑っている。
『だって、人修羅ってオモチャ、面白いんだもん』
雨を弾き浮遊する魔人少女、横目にライドウを見た。
「おいおいミス・アリス…貸してあげているだけだよ?」
満月を反射する刀を、アリスに向けて返事するあの男。
「アレをガラクタにしたら、君を殺すよ?」
『え〜…そしたらもう遊べない?』
「茶会のトリュフもダージリンも、血のお遊戯も今後一切無しだね」
頬を膨らませるアリスが、青いワンピースを翻した。
『だって! せっかくの満月なのに、矢代お兄ちゃんガマンしてるんだもん』
当たり前だろう…満月の夜…アリスが遊びに来る度に…
こんなふざけたお遊びに、付き合ってられるか。
「雨が洗い流してくれるのだから、潔癖な君も今宵は踊れば?」
刀をアリスのワンピースの裾に通すライドウ。
『ねえおいでよ! 矢代お兄ちゃん!』
宙で一回転したアリスが笑って舞えば、裾の青い切れ端が切っ先にはためく。
その刀を振り下ろし、アリスの放った衝撃を外套で水滴と爆ぜさせるライドウ。
「僕もミス・アリスも、玩具遊びはこういうものだと思っているからね」
ああ、この人格破綻者め。
『夜兄様しか、満月のダンスにつきあってくれなかったんだもん!』
俺を巻き込まないでくれ。
俺は…俺は殺し合いの真似事なんか…
「動かなくなった玩具は捨てられるのみ…だろう? 功刀君?」
ライドウの声に、記憶回想から帰還する。
「だから僕は君のゼンマイを毎回毎回…巻いてあげるのだが、ねえ?」
「…要らない、寝かせてくれよ」
「駄目だよ、僕のMAGで…寝かせない」
溜息で睨みつけた俺の顔に、その唇を寄せてきた。
「ガラクタになるまで弄んであげるよ…」
耳元の囁きに、背筋がぞわりとした。
『いだだだだだ!!!!』
『ゴウトにゃんこつかまえた〜!』
『おい! ライドウ!! この娘をなんとかせんかお前!!』
向こうの喧騒に、その囁く唇が離れていく。
「やれやれ、逃げ切れぬ貴方が悪いのでしょうゴウト童子」
哂って、そんな和やかな輪に入っていくライドウ。
「ほら、ミス・アリス、お茶にしようか」
『今日はどんなお菓子があるのかしら?』
「功刀君、今日は何?」
振り向いて、俺を見つめる金髪碧眼の美少女と、眉目秀麗な書生。
見目だけは正常どころか、麗しい彼等を見て、嘆きたくなる。
ああもう、満月が煌々とする前に帰ってくれよ。
「……マカロンとフィナンシェ」
『わぁ! ステキ! ね〜ね〜紅茶は?』
「……セイロンとアッサム混ぜた」
『それ、香り良さそう〜…さっそくお茶会の始まりよ!』
顰め面のゴウトを腕に抱きかかえ、俺に微笑みかける少女。
「いい加減ゴウトを解放してやってくれ給え、フフ…」
外套を椅子の背に掛け、アリスの頭の崩れたリボンを正すライドウ。
(彼等は、玩具にされてきたから、きっとああなんだ)
都合で殺され、気紛れで生き返させられた、孤独な少女。
烏の巣で、羽を散々毟り取られた、歪な青年。
煌びやかな玩具は、浅ましい手垢で…汚される。
付いた傷は、二度と消えない…
「アリス」
お茶を注ぎ、背中を向けたまま俺は声を掛けた。
「俺……今夜の満月、一緒に見てあげるよ」
もう…俺という玩具で、遊べばいい。
ボルテクスとかいうゴミ箱から拾い上げてくれた俺の持ち主が、背後で哂った気配がした。
そう、それが俺の知る遊び方。
俺を拾い上げた、憎い奴の手垢で汚される事。
その手垢に居場所を見出して、安堵して、殺意を発露する免罪符を得るんだ。
ライドウに、命のゼンマイを延々と巻かれ続ける。
確かに、それは、ずっと孤独じゃない。
どっちかがガラクタに変わるまで、互いに巻き続けるんだ…
-了-
9mm Parabellum Bulletの『命ノゼンマイ』から。
アリス初登場。ライドウと仲良し、しかし互いに“殺し合える相手”の対象に入っている。
享楽的で歪んでいる者同士。人修羅も歪んでいる。手垢が孤独で無い証って…
「きゃはははっ」
「ぅっ、ぅぇえええええん」
じゃんけんして、攻防を決めるゲームをしたの。
これは反射神経を鍛える特訓なの。
夜兄様の仲魔で強いのはアマツミカボシ。
あいつ負けず嫌いだから、容赦無いわ。
弱いのがヨシツネ。
『餓鬼に手ぇ上げっかよ』
とか云って、アリスに叩かれたらあの帽子……烏帽子だっけ?
あれがべっこべこになっちゃって、大笑いよ。
で、今の相手は矢代お兄ちゃん。
悪魔の所為で小さくなっちゃって、夜兄様が今解決方法を探して駆け回ってる訳よ。
で、優しいお姉さんのアリスが面倒をみてる訳!
カラン
事務所扉のベルの音。
続くヒールの音ですぐ分かったわ。
「……ミス・アリス」
「夜兄様! おかえりなさい!」
ん? なんだろ、哂ってない。
ゴウトにゃんを脚にくぐらせて、帽子のつばをくいって上げた。
その眼は、アリスの傍で大泣きする矢代お兄ちゃんを見てる。
アリスより少し年下の人修羅を。
「泣かせたのかい?」
「遊んでたの! ゲームで」
「フ……ゲーム? ヨシツネを業魔殿送りにしたあの?」
「たかがゲーム! されどゲーム! 戦いには勝つ!」
「賛同はするが、相手を考え給え」
まぁだびいびい泣いてる矢代お兄ちゃん。
外套をなびかせて降りてきた影に気付いて、とぼとぼ歩き出したの。
「ぇう〜……っ……すん……」
「……おい、君」
夜兄様の外套の端を掴んで、その長い脚ごとぎゅうってしがみ付いてる訳。
で、もうアリスちゃん、うくく……って唇がぷるぷるしちゃった。
だって、おかしいんだもん!
夜兄様、表情がころころ変わるの。
「功刀君……外套で鼻を拭うな」
「っ……!」
ああ、あ〜んな怖い眼で云ったから、まぁた爆発寸前。
小さくて細い斑紋が、代わりに先走ってキラキラ啼いてるわ。
それを見下ろして、ぎょっとする兄様。
『……泣かしおった』
手摺で寝そべるゴウトにゃんがぼそって呟いたら、夜兄様がひくりと引き攣った。
「おかしい……僕は比較的なつかれるのだがね、どうしてこいつは」
「っぇえええええん!!!!」
あんな苛々した声で云うから、いよいよ矢代お兄ちゃんが爆発した。
と、その瞬間、利口なアリスちゃんは傍のティーカップを指にして跳んだ訳。
小規模な晩餐が始まったから。
『おい! ライドウ止めんか!! お主がサマナーだろう!』
ミキミキいって割れそうな床板で飛び跳ねるゴウトにゃん。
わあわあ泣いちゃって魔力をビシビシ飛ばしてるチビ矢代お兄ちゃん。
「おい功刀! いい加減に」
「わああああああ」
悪化。
カップの紅茶も大時化。
「……本当にいい加減にしてくれ……っ」
刀に手を伸ばした兄様、ゴウトにゃんが一瞬強張ったけど……アリスには解ってるもん。
その抜刀された刃先は、晩餐の脈を絶って、割れる音は消えた。
MAGがその柄から立ち昇っている、兄様の刀から、人修羅のMAGが流されているの。
「何がそんなに不満なのだ、君は」
少し床に突き立てて屈んだまま、たずねる夜兄様。
うるうるした金色で、矢代お兄ちゃんは云った訳。
「……さみしい」
「は?」
「お父さん」
「おい、っ」
「おとうさぁああん」
ぎゅむ、とやっぱり抱きついてる、首が苦しそうな兄様の顔ったら。
「……僕は君の父では無いし、君の家は此処ですら無い」
ずれた帽子をそのまま長い指先に掴んで、そう云う兄様。
「一度だけだからね」
小さく撥ねた黒髪に、ぽふりと学帽を乗せて、矢代お兄ちゃんが「きゃっ」と声を弾ませた。
おんぶされて、かなり御機嫌なのかしら、やっぱり首をぎゅうぎゅう抱き締めてる。
「おとうさん……」
「おい、だから絞めるな……っ、それに僕は君の父では無いと何度云えば」
「じゃあ、なに?」
「……君の……」
え、え? え? なんて云う訳?
デビルサマナー? 御主人様? そんな云い方まずいでしょ、ちっちゃい子に。
顔を何故か私とゴウトにゃんから逸らして、ぼそりと呟いた。
「夜」
なにその回答。
「よる?」
「……そう、そう呼べば良い」
「よる! よるっ!」
「……連呼しなくて良いよ……全く、どこまで幼児退行しているやら」
「よる! だぁいすきっ!」
アリスちゃんの紅茶噴射、皆にも見せてあげたかったわ。
それと、夜兄様が顔を真っ赤にして、で、そのまま事務所から逃げてったのも。
え? 矢代お兄ちゃんをおんぶしたままよ?
ありゃこの界隈で話題になるわね……
「ねぇ〜ゴウトにゃん?」
『おい、鳴海の事務所な訳だが、地割れしとるぞ』
◇◇◇
「……そんなに家に帰りたい?」
「おうち、かえりたい」
「帰ったところで君の身内は居ないよ」
「でもここもちがう」
寂しげな金色は同じ。
帰る場所を求めている。
土手の水流に桜が流れて消えていく。
橋を、君をおぶったまま渡る。
「帰らずとも良いよ」
「んにゅ」
「僕の帰る場所が無くなるからね」
だから、そんなに素直な子供のままで居るのは止してくれ。
僕まで素直になりそうで、怖い。
怖い。
背中の、君の幼い笑い声に、吐き出しそうになる。
今なら云えてしまいそうな言の葉達は、桜と共に水に融かした。
-了-
PIERROTの『HOME SICK』から。やはり子供にはどこか弱い
(2017/9/8追記→)SS「霊酒つくよみ」の基になった小話。
「お狐、一緒に遊ばん?」
格子窓から投げられたのは、油揚げでは非ず。
ちら、と面を上げれば、朱塗りの隙間から覗く同世代の少年達。
式を繰る呪いを、ただがりがりと藁半紙に綴っていた僕に、遊戯の誘い。
遊びと称した悪戯など度々ある事で、既に学習済みだ。
「葛葉四天王ごっこしよおぜ〜」
「なあなあお紺〜あと一人! 足りないん」
人数合わせか、成る程。
折っていた膝を伸ばし、立ち上がる。
着物の衿合わせを正し、腰帯に挿した管を指先に撫ぜ、返答する。
「……良いに、待ってな……そっちに下りる」
葛葉四天王の顔も素知らぬ癖に、声高に叫ぶ。
僕に与えられたのは、ライドウの役だった。
昔より一番力を持つとされるその位置。ままごと遊びにおいて人気を博すと思われそうだが、この役目を請けたがる者はその実皆無
だ。
実際のライドウならいざ知らず、ごっこ遊びでは別の意味を持つ。
「ライドウは帝都の守護で忙しいん」
「強いから仲間は悪魔しか必要ないんだわな?」
体の良い解釈。
「ほらぁ、志野田ん神社ぁさっさと行け」
聞いた事しかない“名も無き神社”に見立てた里の社。
葛葉同士の決闘を真似て、僕の袖を引っ掴む埃っぽい手。
決闘とは名ばかりの、私刑であって、悪魔も使わない。
「が、ふ……っ」
石段から転げ落ちて、それでも腰帯の管だけは確認した。
見上げ、彼等の居る拝殿内向かって哂いかければ、薄気味悪そうに僕を見た。
「逢魔時……知ってるだろう」
砂を払って立ち上がり、拝殿内を秘密の隠れ家にした彼等を見据える。
「そろそろ、ここらに降りるに……? 狐火が、ね」
まだ幼い彼等は、僕の声に表情を強張らせる。
幼い、と語る僕とて、その齢に連なるのだが。
「狐の僕が云うんだに……? フフ……」
す、と片腕を上げれば、抑えた悲鳴が遠方から聞こえた。
「其処から出れば、焼かれるに? お狐の火にねぇ……クス」
背中で指を鳴らせば、石畳の左右、灯篭に火が点った。
夕刻が作り出す影は、居る筈も無い狐の形。
悲鳴が上がって、拝殿から音が響く。
完全に格子の内側、木戸まで閉まったその様子に、笑みが零れる。
そう、こんな戯れたかくれんぼ、僕がまともにやると思っていたのか?
「おいで」
背の指先にMAGを滲ませ、それこそ狐火みたいに暮れる空へとなびかせる。
『げえ〜! アイツ等かくれちゃったの? よわい〜』
くるりと回って、灯篭の影からアガシオン。
『紺! あたしたちで殺っちゃえるのに、どうして?』
ふわふわと翅をはためかせるチョウケシン。
灯篭の先端は、未だにゆらゆらと光が揺れて見えている。
「仲魔で戦ってはいけない決まりだから」
二体を召し寄せ、唇を弧に歪める僕。
「狐影も狐火も、直接的な攻撃ではないだろ?」
『でもどうしてとーろーの上、ひかってんの!? ピカピカしてんの?』
アガシオンがくるくると旋回して、訊ねてくる。
二体とも、管に入れずとも付き合ってくれる、僕の遊び相手。
管の使えぬあいつ等には真似出来ないだろう。
「セントエルモの火」
『なぁにそれ?』
「リンに教わった」
あの悪魔、悪魔のくせに“狐火や聖エルモの火は、物質の第四の状態”とか抜かした。
“plasma”だと。
それなら、悪魔の使う魔術はどう説明するんだ、あいつ。
「だから、銀氷と雷電のおまえ達に付き合ってもらったん」
『紺って偶に難しい事云うから、良く分からないわ』
チョウケシンが肩に停まる。
『お代ちょ〜だいな、紺』
頬に極小の唇が触れて、肌から微量のMAGを掬い取っていった。
チョウケシンはそれで満足なのか、頬を染めて夕空に飛んだ。
『紺は綺麗だから、大きくなったら絶対美丈夫になるね!』
審美眼は人の嗜好でいずれにも動くが、チョウケシンよ、見えていないのか。
「僕が綺麗?……フン、視えてないだらチョウケシン」
中はもう、土足で踏み荒らされてるのさ。
「中で僕を置き去りにする内緒話でもしてるのかね?」
拝殿の扉、施錠の南京錠を見つめ、続けて云い放つ。
「アガシオン」
狐火なんて、ふざけただけなのに……ねぇ?
「施錠しちゃってよ」
唱えれば、子鬼の壷はケタケタと笑って転げた。
電撃がカラカラと鳴り玩具が如く響いて、錠を熱で変形させた。
『コンコン! ねえねえボクえらい?』
「うん、戸締りは大事だかんね」
頭を撫で撫でして、掌からじわじわ与えたMAG。
金平糖みたいに零れた。
「では、帰ろ」
『四天王ごっこってどうなったの紺?――』
チョウケシンが不思議そうに舞うその背後、大きな影。狐では非ず。
『夜様! 捜しましたよ! 珍しく神社遊びに御座いますか?』
銀の髪が夕紅に染まっている。西洋甲冑も元来の色と混ざって絶妙な。
「かくれんぼしてた」
『貴方様が? それは更に珍しい事ですねえ。鬼ごっこの類は嫌がるのに』
だって、今日は追い回される側じゃなくなったからね、最後。
「チョウケシン、アガシオン、僕はコイツと帰るよ」
腰帯の管を指先に撫ぜる。この中の悪魔が、今傍に居る。
『ねえねえ、こんどはボクらとライドウごっこしよ! コン!』
『そうよお、あたし達は仲魔の役!』
そんな二体を見て、タム・リンがフ、と吐息を漏らす。
『……葛葉ライドウごっこ?』
「知らんのかリン、今流行ってるに、此処で」
『へぇ、それはそれは』
「帝都守護する化け物って、揶揄されるかパシリにされる偉大なお役目さ」
云えば、ブッと吹き出して肩を揺らした奴。
『成る程、ま、当たらずとも遠からず、ですね』
笑いながら、灯篭の上の灯をチラ、と眺める騎士。
『ささ、暮れて参りました、帳の落ちる前に庵に帰りましょう、夜様』
先刻まで、師範として駆使していたと思われる槍を片手に喚ぶ。
『狐火まで揺れておりますから、きっと今宵は魔の物がざわめくでしょう』
切っ先で、その灯を掻き消し、ふふ、と微笑む。
「フン、そういや今宵は満月だったなぁ……リン?」
プラズマと云い放つ傍から、そんなオッカルトを語る悪魔よ。お前は可笑しい。
『ですねぇ、おまけに最近拝殿内部に悪魔が出易いとか何とか……』
涼しい風が僕等を撫ぜ、髪を掬う。
鳥居をくぐる瞬間、思わず笑みが零れた。
「そら恐ろしいな」
真夜中の、梟の声が聞けるだろうか?
明けの烏の、けたたましい鳴き声が聞けるだろうか?あいつ等に。
『子供を、喰うそうですよ?』
「へえ」
『ねえ夜様』
騎士の笑みが、僕を見下ろす。確信の表情。
『見つけなくとも、良いのですか?』
ならどうして、そんなに可笑しそうに笑う?
「僕がライドウ……鬼が如き者だからねぇ」
長い石段を、下りて往く。背後にじりじりと、有象無象の気配がしてきた。
「だから、見つけるも放置するも、僕の自由だら? リン?」
戯言に脅され、中で自己保身に祈り続ける愚かな奴等め。
群れて他を嬲るお前達に、帝都守護?それは難しいだろう?
『夜様、お怪我をされて……』
「いらん」
篭手の指先を振り払う。
「少し転げただけだ、餓鬼らしくはしゃいでな」
そう、子供らしく、ごっこ遊びで。
そう……遊びに誘われ……
普通の童の、真似を。
「僕が鬼、支配者側だから」
祈り続けるなぞ、無駄な事。
僕を嬲る、糞餓鬼共。
そのまま真似事を続ければ、あんな顛末にならずとも済んだのに。
僕に今まで行った仕打ちの、業だ。
消えろ。
消えてしまえ。
「喰われる側じゃ、ない」
階段を下りきった頃には、空に狐火。
背後の社から悲鳴がこだました……気がした。
-了-
GARNET CROWの『かくれんぼ』から。
本当は普通に遊んでみたかった、僕という子供は夕闇に消えた。