And You And I
「ちょっとどういう事? 寂しいクリスマスだろうから、せーっかく来てあげたのに! ツリーもケーキも無いじゃない」
「そういうパーティーならお家でしなさいよ、こんな殺風景な空間でやっても雰囲気無いわよ」
「っていうかレディ、ちゃんと掃除してる!? うう……さっむ……暖房もケチってるし」
来るなり文句のオンパレード、パティお嬢ちゃんは煩いけれど間違った事は云わないのよね。
見かねてたまに掃除してくれるものだから、ちょっとくらいのお小言なら鳥の囀りとでも思って聴き流してる。
「ああ、そういえばトリッシュがチキン持ってきてくれるとか何とか、そんな事云ってたわ」
「うそっ、思わぬ所からの物資提供。ねえ、此処のテーブルで食べようよ。私、ケーキくらいなら買ってきてあげる」
「この辺にケーキ屋なんて無いけど」
「あっ、もしもしモリソン?」
既に電話を始めている、しかも携帯電話。去年は持ってたっけ、この娘?
モリソンもモリソンで、都合の好い男みたいに扱き使われちゃって。しかもまんざらでも無い様子で、見てるこっちが参ってしまう。
実の娘が相手だったとしても、私ならあんなに面倒見てられない。
逆に云えば、血が繋がっていない相手だろうと家族の様に可愛がるヒトも居る……って事なんだけど。
「じゃ行ってくる、レディって苦手な物あったっけ?」
「腐った苺が載ってさえいなけりゃ、どんなでも良いわ」
「ちょっと、真面目に考えてないでしょもうっ。あーあー何にしようかなァ、普通にショートケーキか、ブッシュドノエルか……」
マドラスチェックのマフラーを巻き直しつつ、甘い妄想に目を輝かせる少女。
家に帰ったら母親がケーキ焼いてたりしないのかしら、ああそっちは別腹って事?
やっぱりね、パティシエには劣るとしても……母親のケーキが良かったわ。だから「さっさと帰宅してやりなさい」と云いたいのが本音。
生き別れの母とすっかり親子になれたのか、その平穏がいよいよ当たり前になってきてるわねパティ。
どこか恨めしくもあり、同時に悪魔の手が伸びぬよう掃ってやりたいとも思う。
「じゃ行ってくるね」
扉の開閉音の後、シンと静まり返る事務所。
さっき云われて気付いたけど、確かにちょっと冷えるかも。
シーリングファンを回してみたら、はらはらとホコリが落ちて来たのですぐ止める。
「汚いホワイトクリスマスね」
振り返ると、手提げや紙袋を抱えたトリッシュが首を傾げていた。
音も無く入って来たのか、私がファンに気を取られていたのか。
「そう思うなら貴女が掃除してくれて良いのよ、お得意の電気でぐいぐい吸い寄せてくれちゃっても」
「家電に私のパワーを通すと偶にイカレるの、知ってた?」
「買い替えれば良いのよ」
「請求先は不在なんだから、少しは節制したら?」
「だからストーブの火も入れてないってワケ」
「あらあら、良いの……人間は簡単に風邪ひくのに。部屋でコート羽織ってるだなんて、リラックス出来ないでしょう」
「いちいち煩い悪魔ね」と吐き捨てようとしたが、クシャミを我慢してタイミングを逸する。
相変わらず薄着のトリッシュ、ボディラインのクッキリ浮き出るビスチェ姿。
でもバックレースが真っ赤なサテンリボンだから、いつもの真っ黒よりは華やかに見えた。
「あのね、私は仕事に忙しいの、だから事務所を掃除する暇が無いの。どっかの誰かみたいに週休六日でピザばっか食べてるワケじゃないし」
「タダで物件が手に入って良かったじゃない」
「こんなの担保よ! 私が望んだ形とは違う、お金がベストなのよお金という形が」
ソファでふんぞり返るトリッシュは、持ち込んだアパレル誌を読んでいる。
手伝う気ゼロと判断して、私は盛大に溜息を吐きつつ紙袋を漁った。
馨しいニオイ、香草をたっぷり詰め込んで焼き上げられた鶏が、まるまるホイルに包まれていた。
貪欲でグルメな悪魔って、こういう時ばかりは助かるわ。
「噂とか……それっぽい情報は掴めたの?」
用意の合間に、独り言みたく訊ねた。返事に期待していないから、何かのついでに確認すれば良い事。
「収穫無し」
「そんな事だと思った、有るなら私が先に掴む筈だし?」
「あら、私は貴女の踏み入れない界隈にもお邪魔してるのよ。ま、それでも遭遇しないのだけれど」
皿代わりに分厚く敷いたニュースペーパー、ホイルと擦れて嫌な音を発する。
取り分ける為の紙皿は数枚入ってたから、それを適当な位置に置く。
「ダンテも人修羅も、どちらの痕跡も無かった……異質な二人だもの、利用もされずに消される筈無い」
「ねえトリッシュ、貴女自身は分からないの? ダンテを誘惑する為に造られた悪魔なんでしょ、あいつの生死とか感じられないの?」
「ちょっと、誘惑だなんて人聞き悪い」
「悪魔が気にするコト?」
「残念だけど、そこまで感知出来ない。確かに私は、ダンテの感情に揺さぶりをかける為、この容姿で生み出された。でもそれだけなのよ、私はダンテにとってあくまでも他人」
「悪魔でも他人、か……」
ツッコミを受ける前に私は場を離れ、ダンテのデスクに向かう。
あの男、チャラく見えてアルコールは飲まないから、貰い物は抽斗の一番下に眠らせてた筈なのよね……
軽く前傾し、一番下の段を引っ張る。思った通り、数本乱雑に積んであった。
赤と白を一本ずつ掴み、抽斗を戻そうとした私の指先に……静電気の様なものが奔る。
何か……このスペースに普通じゃない物が置かれてた様な、そんな気配を感じた。
「此処、何が入ってたの」
「何って、貴女が持ってる物はナニよ」
「お酒は確かに転がってたけど、もっとヤバい物が入ってた気がすんのよ」
「普段使わない物を適当に放り込んでた、って所じゃない?」
ワインをテーブルにゴツと乱雑に置いて、私はトリッシュの向かいに座る。
早速品定めを始めるのかと思ったけど、悪魔の眼はじっとデスクに向けられたまま。
「……ああ、そういえば。一番下の段に“拾い物”を入れてあるとか、そんな事を以前云ってたわね……ちょっと思い出したから、情報提供」
「ハァ? 何ソレ、拾い物って子供じゃあるまいし……あ、しまった、ワイングラスが無いと」
ソファに沈んだお尻をよいしょと持ち上げて、ガウン代わりにしていたレザーコートを置き去りに立った。
表はシンプルな黒のレザーなんだけど、裏地が赤のキルティングだから、ああやって平たく置くと派手だ。
何処かの誰かが翻していた赤いコートを、ふと思い出す。
「ねえレディ、実は抽斗の中じゃなくってね、デスク上から失くなっている物があるのだけれど、気付いてる?」
キッチンへの扉を開けようとする私に、トリッシュが投げかけて来た問い。
云われてから即座にデスクを眺めたが、何が消えたか判断するまで少しかかった。
「……写真?」
「さて、いつから無いのかしら? 私がさっき来た時には既にこの状態よ」
ダンテがいつも飾っていた母親の写真が無い。
まるでトリッシュが慈愛を籠めて微笑んだ様な、そんな面持ちの女性だった。
フォトスタンドごと消えている……
「えぇ……私、触った憶え無いわよ。紛失する事自体ありえないから」
「写真だけ持ち去る泥棒は珍しいわよねえ、ルックスがお好みなら私に声掛ければ良い話だし」
「……もしかしてさっきの抽斗にも、“つい最近まで”何か入ったままだった、とか?」
他人にとって意味をなさない物、わざわざ盗るまでもない物。それ等を持ち出す者が居るとすればそれは……所有者かストーカーか。
私は足早にワイングラスをキッチンキャビネットから運んでくると、トリッシュの希望も聞かずワインを注ぐ。
くすんだ革の様な赤色がグラスの中で翻って薫る、今はそういう色が見たい気分だった。
「ちょっと、パティ遅くない?」
「どうせモリソン連れ回してるんでしょう、私達じゃプレゼント用意出来ないんだから任せておくべきね」
呑気な見解を述べつつ、写真の女性とはまた違った雰囲気の微笑みを浮かべワインを煽るトリッシュ。
思えばダンテは、この悪魔をどんな目で見ていたのかしら。今更疑問が湧き上がって、でもすぐに沈めた。
きっと野暮だ、私が家庭の事情に口出しされたくなかったのと同じで。
姿形は同じでも中身は別人……頭では理解しつつも、記憶や心は誤魔化せない。覚えの有る感覚、アルコールも一口目なのに頭が痛い。
身内に擬態して懐柔するとか、利用する為だけに人間とくっつくだとか。
悪魔って本当に最低、それでいて……人間の事、よく解ってる。
もしかしたら、ヒトと悪魔は切っても切れない縁が有るのかもしれない……大昔から。
「……パティなんだけど、さっきマフラー巻いてて。それね、今朝ポストに入ってたんだって」
そうだ、云い忘れてた。私からも情報提供しなくては。
ちょっと確信持てなかったから伏せてたけど、消えた写真の件も有るし、云うべきだと思った。
「差出人不明のクリスマスプレゼント? それは不気味ね」
「そのマフラー、元々はパティの物で……ヒトシュラに貸した物だったそうよ」
既に底が見えそうな水面を揺らし、トリッシュがグラスを寄せてきた。
「今年初のニアミスに乾杯」
「もう今年終わるわよ」
「今年最後のニアミスに――……」
「もう、なんでもいいわよ」
形良くルージュの付着したグラスに、自分のグラスをキスさせた。
それは聖夜のベルに負けない音で、乾いた事務所に甲高く響いた。
------◇◆◇------
ずらりと並べた工具や試作品を眺めるソイツは、同業者というだけあって無駄口が無い。
時折訊ねてくる事もあるが、俺の適当な返答で概ね理解している様だった。
きっと、その腰に携えた銃も改造が施してあるに違いない。
悪魔と戦う人間で、得物をカスタムしない奴なんて居るもんか。
「あんた、レディとグルなんだろ」
去り際に問い詰めると、クッと口角を上げた。特に反論もしてこないから、更に追及する。
「レディの持ってた手紙、あれは本来ヤシロの手に渡る筈の無いモノだった。翻訳したのはあんただな、デビルサマナー」
何が記述されていたかは、大体憶えている。
マレット島に向かう事、戻ってこれるかは分からないという事、事務所はレディの好きに扱って欲しいという事、それから……
クヌギヤシロという少年は半魔であり、人間に対しては無害である事、彼が帰郷を望む場合には出来る限り協力してやって欲しい……と。
まあ、ダンテも随分勝手だ。まるで捨てられた俺みたいじゃないか、あーあ可哀相なヤシロ。
ただし、深い事情は分からない……二人の間に何があったのか知らない人間の一意見でしかないさ、こんなの。
「僕が彼と同じ国の生まれというだけで、そう判断するのかい」
「俺は正直あの女を信用してなかった、ここ最近の事は調べさせて貰ったのさ。あの島に向かう際も、妙に段取りが良いと思ったぜ……」
あの時、船を離れるヤシロがそわそわしていた理由が今なら分かる。
上手くカモフラージュしていたが、船の運転士はこのサマナーが化けていたのだろう。
其処まで確認する必要性は感じなかったので、もうこの話は止めにした。
「ヤシロとあんたの関係に興味は無いが……ひとつ訊きたい。あんたが島に先導したせいでヤシロは消えちまった、あんたの思惑通りなのか?」
「ならばこうして、他を頼りに来ないだろうね」
頼り……ね。俺には脅しの様に見えたぞ、「ヒトシュラを見たら差し出せ」って具合のな。
「最近見かける様になった、あの無機質な天使モドキ。ああいった連中にはボスが居て、高みの見物してると相場が決まっている。厄介な余所者共をおびき寄せたのは、あんた達か? もしそうならちゃんと連れ帰ってくれよ」
「だから人修羅を捜しているのだよ」
「……望んでない奴に戦わせるんじゃねェぞ」
「さて、どうかな?」
読めない男だ、ダンテの飄々とした素振りとも違う。一枚壁で隔てられている様な、アルカイックスマイル。
人間に化けた悪魔がよくするんだよな、こういうツラ。
悪魔使いって自称しているこいつが、実は悪魔じゃないだろうな?
「あらっ、お茶淹れたんだけど……お客様は」
「もう帰ったよ」
工房の勝手口から追い出す形になったので、あのデビルサマナーが去った事に気付けなかったんだろう。
キリエの肩を軽く押しつつ、廊下からリビングへと移る。
柔らかなブラウンのポニーテールが、俺の胸元をくすぐる。顔をうずめたくなるが、我慢した。
「お疲れ様、ひとまず座れよ」
彼女の持つトレイを掴み寄せて奪うと、テーブルにガタンと置いた。
ボーンチャイナのティーカップが、鈍色の液体を逃がさまいとソーサー上で踏み縛る。
「ネロ、零れちゃう」
「大丈夫、加減してるって……これ、いつもと違う匂いするな」
「Janatのハッピーバレーダージリンを淹れたの、此処の茶葉は東の人達のお口に合うって聴いたから」
「ふぅん、随分と用意が良い」
「今度ヤシロさんが遊びに来た時に、と思って買っておいたの」
「はあ」
アイツがまた来ると思ってるんだ、キリエは。
そうか……そんな気持ちを哂う気にはなれない。でも、どこか虚しい気もする。
生きてるかどうかも分からない相手を待つ事は、昔既にやり果てた。
意識するだけ疲弊するし、死んでいたと発覚したら、待ち続けた期間が報われない。
生きていたと判明しても、相手が意図的に自分を避けていた場合はどうだ?
俺は待っていた、でも両親のどちらも捜しに来る事はなく、俺は此処まで育ってしまった。
キリエ達が居なかったら、待ち続ける事に気持ちをすべて割いていた筈、そして絶望したんだろう。
結局、拠り所なんてのは家族である必要も無いし、血が繋がっている必要も無い。
施設と教団で過ごした俺が得た答えは、そんな感じだ。
「これ、結構イケるな。来客用と云わず、また淹れて欲しい」
一杯だけ頂いてから、俺は席を立った。
お茶請けのシナモンビスケットをつまんでいたキリエが慌てて立ち上がろうとしたので、手で制する。
「ゆっくりしててくれ、少し外廻りしてくる」
「遅くなるの?」
「そうかからない、警備ついでに散歩って程度だし」
「……ちゃんと帰ってきてね、今夜はケーキを焼くから」
「暗くなる前には戻る」
不安そうな目をされると、脚が此処から動かなくなりそうだ。
堪らず逸らし、コートハンガーから毟った一張羅を羽織る。
薄く発光する右手を隠す事もせず、俺は家を出た。
歌劇場の屋根はようやくトタンが外れ、陽射しを降らす様になっていた。
特注のガラス屋根だ、時間が掛かって当然の事。
オッサンと初めて戦った時、散々に辺りを破壊した事を思い出した。でも、此処の半壊を招いたのは俺が応戦したせいじゃない。
どうやらダンテは俺の知らぬ間に、アグナスとも此処で一戦交えたそうだ。それが恐らく決定打だろう。
(また辛気臭い作品演りやがって……クリスマスなんだから、そういうお題にしろよ)
巡回ついでに観客席を歩けば、子供達の歌う様が目に入った。兵隊とバレリーナの恰好をした二名が、くるくると踊っている。その二人を囲むようにして、赤いリボンをくるくると回す複数名。
《スズの兵隊》だ、アンデルセンの。
主人公とヒロインに該当する二つの人形が、暖炉の火に焼かれて融け合い、ひとつのスズの塊になる話。
胸糞悪くて、読み聞かせされる絵本の中でも苦手な方だった。結局、最後は一緒に死ねたから良かったとか、そういう事か?
塊のスズがハートの形だったからって、それがどうした。魂も心も無いだろ、そのスズには。万が一宿っていたとしても、兵隊とバレリーナのどっちのハートなんだよ。
ああ、マズイな。このまま観続けていたら、子供達に感想を訊かれかねない。演技の良し悪しじゃない、その作品自体に俺は向き合えないんだ……
全く、孤児院ってだけでも辛気臭いのに、どうしてああも暗い演目ばかり選ぶのか。院長の趣味か?
シェスタがそんなに悲劇趣味だった憶えは無いが……そういえばこないだも《人魚姫》を演っていた気がする。
多くも無い観客の拍手の中、俺は逃げるように劇場を去った。
――彼女とひとつになりたくないかね?
以前にブチのめした教皇の言葉が、わんわんと頭にリフレインする。
キリエと一緒に《神》に取り込まれる事を「ひとつになる」と、奴はそう云い表していた。
実際、俺は一度取り込まれてしまった。内部でキリエと一種だけ意思疎通した事も、薄っすらとだが憶えている。
どういう仕組みだったのか分からないが……教皇の用意した神(という石像)の中で、確かに俺とキリエは個体を保っていた。
傍目には一体に見えても、内部ではそれぞれを維持出来るのかもしれない。
ただ、これだけはハッキリと云える。「ひとつに成った己とは対話出来ない」のだと。
「ひとつになる」という事は「もう会えない」と同義なんだ――
悪寒がはしる、陰鬱な出来事を思い出した所為だと思った。
だが、歩みを進めるにつれ次第に増す、骨の継ぎ目がギチギチと擦れる感覚。熱を持ち始める筋肉が「早く躰を使え」と催促する様だ。
右腕が疼きダウンジングみたいに勝手に振れそうになるのを、グッと抑え込む……
立ち止まりじっと一点を見据える俺に気付いたか、周囲がさあっと蜘蛛の子を散らした様に消えた。
この街の人間は俺の役割を知っている……動向が怪しければ、こうしてすぐに離れるのが正解だろうな。
「視えてんだよっ」
街灯の上空目掛け、デビルブリンガーを伸ばす。手応えと同時に引き戻し、石畳に叩きつける。
悶える天使をソールで踏み締め、左手にブルーローズを構えて威圧した。
「フォルトゥナが古臭いからって、馴染んでんじゃねえよ。のさばるのは宗教画の中だけにしな」
頭を砕く、至近距離からの一発は相当重い。無機物の様なパーツと共に、痙攣した翼が羽根を舞わせた。
意味不明な構造をしている……拷問器具にでもかけられたかの様な、異形の天使。
最近、明らかに増えてきた。元々居た野良悪魔よりも断然多い。近隣に魔法陣の跡などは見当たらない、どこか遠くから湧いているのか……
しかも天使と云っても、二種類に分かれている気がする。単体ならまず無いが、複数で現れた際は人間に目もくれず天使同士で戦りあってる時さえある。見た目には判らんが、派閥でも有るのか? それならますますお引き取り願いたい、人様の街を喧嘩の舞台にするな。
レッドクイーンの出番も無いままに終わったので、不完全燃焼を天使のボディにぶつけた。
蹴り飛ばした胴体は、垂れ下がる鎖をジャラジャラと啼かせて吹っ飛んだ。数回バウンドして、端に停めてあった重機にぶつかり止まる。
重機というのは、絶賛復興中のフォルトゥナではしょっちゅう見る羽目になる、クレーン車だ。
で、当たり所が悪かったんだろうか、思いっきり傾いている。吊っていた石材が、車体を大きく左右に揺さ振り……
ああ、こっちに倒れて来る。どうするか……避けた方が断然楽だが、そうするとまた石畳が粉々になる。
獣の咆哮の様な音を上げつつ、ゆっくりと横転を始めるソレ。
俺は右肩を軽く回してから、遠心力をつけて前に放つ。クレーンのジブ(腕)をデビルブリンガーでがっしと掴み、車体が落ち着くのを待った。
すると、また別の物音が耳に入った。咄嗟にブルーローズを構え、崩れた天使に照準を合わせる。
片手が塞がってようが問題無い、手負いの連中……しかも単体にやられる俺じゃない、元々片手で足りる相手だ。
そういえば、ダンテも頭をふっ飛ばされたくらいじゃ死なないんだったか。レディの弾丸を脳天に喰らったという話には、結構笑わせてもらった。
「天使も悪魔もしぶといもんだな……今度こそくたばれよ」
翼が折れているせいか、酔っ払いの蛇行運転よろしく突っ込んでくる天使。
首が無いから俺の気配を読んでいるのだろう、ブレブレの軌道ながらもこの右腕を目掛けている様子だ。
胴ならあと三〜四発ってところか……と考えながら、引き鉄を指で沈ませる……
「はっ?」
妙な金属音がして、天使の周囲にガラスの様な反射が光った。覚えが有る、あれはいつかの戦闘でやられた魔法の壁――……
「クソッ」
最大の盾である右腕は間に合わない、銃撃の反動のままに左腕で頭をガードした。
……衝撃も痛みも無い、火薬の爆ぜる音だけが辺りに響いた。俺は思わず左腕を退け、防御無視で視界を広げる。
眼の前に跳び込んできた何者かが、天使をぶっとばしたからだ。
「おい!」
俺の宣言通り、今度こそくたばったらしい天使。焦げ臭いと思ったら、その残骸に炎が燻っている。
どこか違う……火薬ではなく魔物の火のニオイだ、こないだ嗅いだばかりの。
「ヤシロ!」
振り返るソイツは、ジトっとした視線でコッチを睨む。その口許に、俺は脳内で勝手にアテレコした。
(「同じミスするなよ」だな)
でもヤシロはそのままスタスタと行ってしまう。タトゥーの見え隠れする顔立ちも、背丈もあの時のままなのに、雰囲気がおかしい。何よりの違和感は、引き摺りそうな赤いコートと背中の剣だ。まるでダンテの好んで着るようなアウターだし、担いだ武器は見た事のないシルエットをしている。
「待てよ、聴こえないのか!」
クレーンのジブを慌てて降ろすと、石畳に亀裂が入った。背後からの轟音など最早お構いなしに、後を追う。足には自信の有る方だが、一つ二つと角を曲がっても背中が見えない。さっき掃けて行った住民達は屋内に身を潜めているのか、何にぶつかる事もなく駆け抜けた。
ようやく見えた赤い軌跡、ラストスパートのつもりで速度を上げる。
とっ掴まえてやろうと右腕を構えていたのに、対象と正面に向かい合ったら躊躇した。黒髪ではなく、其処にはプラチナブロンドが……夕映えに靡いていて。背丈も俺以上ある、そもそも面構えが違う。
ああ、この姿はダンテだ。“今度”はコートの丈が丁度良い。
今度は……ってのはつまり、俺は「追いかけていたヤシロが、ダンテに変化した」と認識している。さっきの人物と、今目の前に佇む人物が同じなのだと。
具体的な理由は分からない。多分、近付いた時の気配が同一だからだ。
「アンタは……ダンテ……なのか?」
それでも一応、外見情報を頼りにして声掛ける。このガタイのオッサンに、ヤシロと呼ぶのは気が引けた。
相手に攻撃の意思は見られないが、万が一に備えて右腕は空にしておく。
『お前は誰だ』
変な声が聴こえた、肉声とは思えない耳鳴りの様な。実際、ダンテの唇は動いていない。
俺はそっと深呼吸して、感覚を澄ませつつ問いかけた。
「ネロだ、忘れたのか? ボケるにゃ少し早い気がするけどな、それともオッサン特有の寒いジョークか」
『その名前、雰囲気、どうやら面識は有ったようだ』
ああ……剣だ。目の前の男が背負う《剣》が喋っている。
呆気に取られた俺は暫く、質問も煽りも忘れ、ただただ突っ立っていた。なんだか、そういう昆虫を相手にしているみたいだ。一言も発さぬボディは擬態で、あの剣が本体の様な。
「俺は体の方と喋りたいんだよ、無理なのか?」
『喋った所を見た事が無い、場面に応じてボディは使い分けている。“さっきの男”は小回りが利いて、炎を操れる』
「使い分け……ああ、やっぱそうか、一心同体なのか……アンタら」
俺の経験と頭じゃ追いつかない、それでも直感だけは確かだ。きっとコイツは魔具だ、ダンテとヤシロを素(もと)にした魔具。
内に宿る閻魔刀が共振して、さっきから外に出せと煩い。ダンテの魔力に反応しているのなら、この憶測もそう的外れじゃない筈。
『何を震えているんだ』
「アンタの気に中てられて躰が勝手に疼くのさ、悪かったな」
『ああ……多分、これが呼応しているんだろう』
赤いコートの裾が靡いた。俺は空の右手で自身を庇った……が、飛んで来たのは剣でも鉛でも無い。
ポンと放られ、放物線を描いて俺の懐に入って来る。何かの残骸の様だった、元が何なのかも分からない硬質な欠片。
俺の悪魔の手が煌々として、歓んでいるようにすら見える。
「何だコレ、クリスマスプレゼントのつもりか」
『やるよ』
「だから何なんだよコレ」
『知らない、“こっちの男”が何処かの部屋の机から取り去った物だ』
「じゃあその体……ダンテに意識が有るって事じゃないのか?」
『記憶が断片的なんだ。あの街、ブティック近くの古臭い事務所、机の抽斗一番下だ。中に有るソレと、あと写真だけは持ち出そうと思った。そうしなければいけない事だけは分かった』
そんなに大事なら俺に寄越すなよ、と投げ返そうとした……が、右手がそれを拒む。
握り締め、青白い光すら零さぬと包み隠す。どうやら、俺の中の血が返却拒否しているみたいだ。
『大事なものを人にやっちゃいけない決まりはない』
ハッとした、今の台詞をダンテの声に錯覚したからだ。
何より俺が以前、閻魔刀を貰った時に同じ事を云っていたじゃないか。
「ダンテ!」
懐かしい魔力の欠片を握り締め、歩み寄った。
その分離れていく赤いコートに、俺は必死な子供みたいに縋り寄る。
「どうしてアンタはその道を選んだ! 自我を捨ててまで武器になりたかったのかよ、それともやっぱり魔界が恋しいのか!?」
俺の叫びにダンテが止まる、すると羽の生えた様な軽やかな動きで俺の間合いに入って来た。
有無をいわさぬ体捌きに息をのむ……どうやら、相手も丸腰のままだ。成程、だからこんなに一瞬で詰められたんだな。
欠片を握り締めたままの俺の右手が、そっと包まれた。その指抜きグローブから、黒いタトゥーが見え隠れする。
指から腕、肩から頬へと視線で辿ると……相手の目の位置が低い。やっぱ俺よりチビだな、コイツ。
「……ヤシロ」
見上げてくるその眼が、否定していた。無表情だし返事も無いけど、きっとそうに違いない。
ダンテを一瞬でも責めた俺を諫めるかの様に、拳を握られる。
『良く分からないが気は済んだ。俺はルシファーを倒さなければ、それだけは分かる、その為に生まれた』
剣の代弁は、ダンテとヤシロの総意なんだろう。
真っ直ぐ見つめてくる金色の眼に、焦燥感を覚えた俺は「また会えるか?」とだけ訊いた。
固い握手の様に強く一度握られてから、ふいと離れていった。
気付けばすっかり陽は落ちて、雪もチラつき始めている。悪魔の右腕が、ネオンの様に煩く主張していた。
強張っていた拳を開くと、欠片はもう無い。閻魔刀の時と同じに、俺の中へと取り込まれたのだろう。
あのデビルサマナーにどう伝えるか、それとも伝えないのか。
とりあえず転倒したクレーンの引き上げだけして帰るか。
どのタイミングでキリエにプレゼントを渡そうか……ケーキの後で良いか。
そんなとりとめもない事を考えながら、俺は独り歩き出した。
掠める雪の合間を縫って、頬を何かが伝った気がしたが、気のせいだろう。
-End-