小汚い路地を幾つか抜けた先に、その建物は在る。
「相変わらず卑猥な看板」
夕暮れのカーマインが車体を照らす、その陽も徐々に陰ってブルーに変容していく。
目の前の煌々とした、ピンクに近いマゼンタのネオン。
こうして薄暗い時分に見れば、いやらしい店の様だ。
(泣かされるのは、人間じゃなくて悪魔なんだけどね)
我ながら下らないコメントを脳内でしてから、扉を蹴る様な勢いで開けた。
「ダンテ――」
どうせまた依頼の選り好みをして「週休六日」とほざいているのだろうと思っていた。
散らかったデスクに、長い脚を乗せてピザをつまんで…
……おかしい、散らかっていない。
辺りを見回すと、酷い時には蜘蛛の巣さえ張っているライトの上まで艶やかだ。
埃っぽさで粉塵爆発さえ起こしそうだったので、此処で銃器を扱う際には一瞬戸惑うレベルだったのに。
(パティ?いえ、最近は此処に通う頻度は減っている…常にこんな綺麗なハズは)
疑問符が終始回り続けていたが、ダンテが居ない此処には私の目的は無い。
さっさとズラかろうと思い、ジャケットのポケットに突っ込んだバイクのキーを指に引っ掛けた。
それにしても施錠すらしないで、どこまでズボラなのだろう、あのデビルハンター。
と、思った傍から目の前が陰る。
私が手を伸ばすより先に、扉の隙間からぬっと現れた長身の赤コート。
「不法侵入って知ってるか?レディ」
「あら、だって此処お店でしょ?」
「店だって閉店時間はあるだろ?」
「表示も何も無かったし、鍵もかかってなかったから、てっきり営業中かと思っちゃった」
「取り立てか?生憎、今買い出しに使っちまってな、またの機会にしてくれ」
そう云うダンテの腕を見れば、確かに紙袋を抱えている。
いつも宅配で済ませるこの男が、珍しい…
覗き込めば、袋の開きから緑が見えた。野菜の類だ、一体どうしたのだろう。
「何、貴方シェフでも目指すの?」
「包丁なんざ小さくて手元がブレちまう」
「じゃあリベリオンで切ったら?」
「そりゃあ、まな板ごとイっちまうな」
整然としたデスクに袋を降ろすダンテ。
散らかってるし良いか、と、そのデスクの端に普段は腰掛けるのだが…
流石に誰かが綺麗にしたと思われる其処に腰掛けるのは、躊躇われた。
「取り立てじゃないわ」
「へえ、珍しい事もあるもんだ」
「依頼を受けたのだけど、心当たりがあるかと思って訊きに来たの」
「またトリッシュが化けてるんじゃないのか」
「トリッシュの件はもういいでしょ!いちいち掘り返さないで」
以前、依頼で追っていた悪魔の正体がトリッシュだった事がある。
面識も無かったので、一介の悪魔として狩ろうと挑んだのだが…
ダンテの元相棒だという事実をなかなか知らされず、私は小手調べよろしく遊ばれていたのだ。
笑い話といえばそうなるが、あの時の怒りは本物。
強めにデスクを叩き、ダンテの眼を此方に向けさせる。
そう、ちゃんと眼を見て聞きなさいよ。この気まぐれ男。
サングラスを外して、私も見据える。半人半魔にしては穏やかなその眼を。
「金色の眼の悪魔、知らない?」
鼻で笑われてしまった。
「お前みたいなオッド・アイならともかく、金の眼なんざゴマンと居るぜ」
「オリーブでもトパーズでもなくって、本当に独りでに発光する眼、悪魔の眼よ」
「オリーブの芽なんざ摘み取ってやるさ、ピザには要らねえ」
「そっちじゃないってば、真面目に聞きなさいよ」
置かれた袋が倒れていた。さっき私がデスクを叩いた時、そういえば音がした気もする。
其処から転がった野菜やら果物の中、一番美味しそうな粒を摘み上げる。
赤い果肉に、雫型の黒い粒。
「勝手に食うなよ」
「今度からストロベリーサンデーは自家製なワケ?」
「そうさ、店のよりめいっぱい具を乗せてだな」
「そんな器用な事、貴方出来ないでしょ」
悪魔を切り刻むしか能の無い男。
今口に広がっている味の通り、酸っぱい事を云ってみたが、当人は憤慨のカケラも見せない。
「ねえ、心当たり無いの」
「だからなあ、さっきみたいな情報じゃ――」
「人間みたいな姿よ、それこそトリッシュの様な」
もうひとつ苺を摘まむ。
「肌に黒いタトゥーが入ってるそうよ」
「タトゥーなら、数本先の通りに刻める店が在るぜ?」
「パゴダとかストゥーバみたいな、そういう柄が肩に入っててね…ほら、雫型の」
「っぽいトライバルデザインなんか、カタログにさえ載ってる」
「そもそも、顔にも黒いラインが奔ってるんですって、涙みたいに」
「悪魔は泣かないって、誰かさん云ってたよなァ?」
「ちょっと真面目に聴きなさいよ!」
「知らねえな」
「あっそ、帰るわ」
全く、答えを出せば即解決する用事だというのにこの男。
ヘラヘラした横っ面をぶん殴ってしまいたくなるが、自分の拳が痛くなるだけだと知っている。
悪魔の治癒力は、随分前に目の当たりにしたから。
「貴方にしてはマトモな物選んだわね、農薬っぽい味がしなかった」
ぺろりと唇を舐めずって、私にしては珍しく賞賛してみれば。
折角綺麗にしてあるデスクに脚を乗せたダンテが、ニヤリと笑う。
「今は“目利き”が居るんでな」
「いつも一番上とか手前の物しか取らないものね」
「そうさ、お陰で帰ってきて開けてみりゃあスケアクロウみてぇに虫が湧いてる事もあったっけなあ」
「呆れた」
ヘタの緑をふたつ、デビルスターの様にダンテの脚の傍に並べた。
サングラスを着けて、改めて外に出ようとした私の背中に声が掛かる。
別れの挨拶でもなく――
Highway Star
「何て云ったと思う?」
「…今の苺で借金チャラにしろ、とか?」
「そりゃパティ無茶よ、苺に換算したらあの事務所が埋もれるわ」
「よねー!」
爆笑するパティの隣で、トリッシュも口元に指を当てて肩を揺らした。
昼下がりのカフェ、ガールズトークという類のものだ。
小悪魔的な会話に華を咲かせる、甘いお菓子とダージリンの薫りが舞う優雅な席…
とは云っても、三人揃って悪魔に縁があるという、小悪魔どころかそのまま悪魔じみた面子なのだけど。
「で、ダンテは何を云った訳?」
トリッシュの声に続きを促され、ソーサーにカップを置いて発表した。
「“誰に依頼されたんだ?”って云ったのよ」
ぎょっとした顔を期待したのに、意外にも二人はぽかんとしていた。
トリッシュは解からないでもない、といった風だったが。それでも何だか納得いかずに続ける。
「だって、あの男が自分の仕事でも無いのに、依頼主を気にした事があった?」
「まあ、そうね。まず気にするのはターゲット(悪魔)だもの」
「シラきってんのよアイツ!絶対あれは知ってるわ、私の依頼された悪魔の事!」
波打つカップの水面に、怒れる私の顔がやがて映った。
は、と溜息した吐息が熱いのは、ダージリンの所為じゃない。
「…ねえ、レディはその、依頼されてる悪魔をどうするの?殺しちゃうの?」
「え?ううん、殺さないわ。生け捕りにして依頼主に引き渡すの」
幼いパティに云う内容かと一瞬戸惑ったけど、そんなのは一瞬で霧散した。
この子はダンテのR指定を散々目にしてきているツワモノなのだった。
「生け捕りね、一番難しいわ」
「そ、おまけに相手の情報も無いもんだから、何持ってけば良いんだかサッパリよ」
クス、と微笑むトリッシュが、指で銃の形を作って私の額に向けた。
「とりあえずカリーナ=アン持ってけば良いじゃないの」
「弱い悪魔だったら木っ端微塵よ、それにね、アレ重いんだから」
「あんな軽がる振り回してるじゃない貴女」
「戦ってる時は気にならないだけ!ああいう武器って持ち運ぶ時は一気に重量を増すんだから、停まってる時のバイクと同じよ」
「気の持ち様か、成程。人間って面白いわねえ」
「あのねえ」
偶に話が通じないのは、ダンテよりトリッシュかもしれない。
この悪魔に勧められた此処には、趣味の良いボサノバが流れてて、まあ、センスは信じてるけど。
「…そういえばダンテ…最近、居候でも住まわせてるの?」
ふと思い出して発すれば、二者の眼が一気に此方を向いた。
知ってる眼だ。
「あ、ああ、そういえばレディは知らなかったっけ」
「パティは知ってるの?」
「う、うんー!なんか昔の知り合いだって。ちょっとのあいだ部屋を貸すみたいだよっ…」
なんとなくギクシャクした声のパティ。嘘は云ってないけれど、肝心のワードを出すまいと強張っている声だ。
小さい子を追求する趣味は無いので、トリッシュにターゲットをチェンジする。
「事務所から出たら、私のバイクをジロジロ見てる坊やが居て」
「あら、近所の子供じゃなくって?」
「あの辺は店ばっかでしょ、居住区じゃないわ……で、その坊やに話しかけたんだけど」
「言葉が通じてなかった?」
「そ……って、ホラやっぱり貴女達は知ってたんじゃない、ヤダわ。私だけ蚊帳の外だったって事?」
「フフッ、だってわざわざ話す内容でも無いでしょう、その居候が女性ならともかく」
「…ん、ま、それもそうね。女性だったら顔を拝んでやりたいわ」
「拝んだ顔に風穴開けちゃ駄目よ」
「私の事ナンだと思ってるの貴女」
残りを一気に飲み干した、ちょっと残ってる茶葉が苦い。
「絶対吐かせてやるんだから…ダンテ」
「知らないよっ」
それとなく呟く私に、パティが小さく叫んだ。
あまりに唐突だったから、思わず静止する。
「ダンテもさ…その、単に気になるんじゃない?その…何だっけ、えっと…タトゥーの悪魔が、さあ!」
「気になるから、依頼主にもっと色々訊きたいって事?」
「うん」
「あの男がそんなに知的好奇心に充ちて、且つ行動的だと思ってるのパティ?」
「ううん」
「アイツはねえ、部屋で悪魔待ってる様な奴なのよ。それこそ!ピザみたく宅配でもされて来なきゃ、見向きもしないわ!」
カチャン、とソーサーに置く指に力が篭ってしまった。
ここで私が悪魔なら、カップが粉々に砕けていたかもしれない。
「宅配ねえ」
ぼそりと復唱したトリッシュは、人間の私と違って大層優雅にソーサーへとカップを置いていた。
揺れもしていないダージリンの水面に映るその顔は、妙に哂っていた様に見えた。
悪魔はすべて殺す。
半分しか悪魔の血が流れていなかったとしても、例外なんか無い。
人間の心や、弱さを護る慈しみを理解出来ない、涙さえ流せない奴等。
力に魅入られた愚かな父親、悪魔に魂を売った…赦せない。
デビルハンターの私が、あんた達を始末する。
夕暮れの中、テメンニグルはもう無い。
間の抜けた空を見ていると、偶に昔を思い出す。
デビルハンターをやっている悪魔なんか、冗談じゃないと思っていたけど。
今となっては、半人半魔のダンテどころか、純粋な悪魔のトリッシュとさえ接している。
(どう転ぶか分かったもんじゃないわね)
それだって…悪魔を殺す時、どこかやり場の無い怒りをぶつけている自覚はあった。
悪魔に人生を変えられてしまったこの怒りを、今の生きる糧にしているのだ。
「あは…やっぱり気になるの?」
私のバイクをまじまじと眺めている少年に問い掛けたが、怪訝な眼を返されるだけ。
「それはね、もう色々弄っちゃってあるから、カスタムのレシピなんか憶えてないわ」
事務所を訪問してみれば、ダンテは不在だった。
お茶の用意をしようと台所に向かう少年を止めて、アクセルのジェスチャーをしてみせた。
少し眼を輝かせた少年の、そのアイカラーは極めてブラックに近いグレーだ。
外に出るよう促して私の愛車を見せてあげると、先日の様に無言の鑑賞会をしていた。
「君も乗るクチ?」
言葉を完全に解してないと分かっていても、色々問い掛けてみる。
『――?』
「ん……1100cc」
私と同じ、暗い髪色。東洋の人間だろうか、ダンテとどういう知り合いなのだか。
「ダンテの仕事、知ってるでしょ?私も同じ仕事してるの」
背負ったカリーナ=アンのカバーを少し捲って、矛先をチラつかせる。
この巨大な銃剣を見て、カタギの人間とは思わないだろう。
しかし少年は一瞬眉を顰めただけで、またバイクに眼を戻した。
パティ同様、相当コッチの世界に染まっているのだろうか。
「ねえ、今日はダンテというより、君に用事があって来たのよ」
ダンテが不在なのは、なんとなく予測がついていた。
きっと嗅ぎ回ってる、私の依頼主の事を。
ターゲットの悪魔の身体情報をチラつかせれば喰い付いてくる筈だ、と。
そう云って依頼主は哂っていた。
先手を打って依頼主(自分)からまず潰そうとするだろう、とも云っていた。
“只の人間の僕は弱いですからね”
本当だろうか?あの男の空気はどこか鋭利で、それこそ同業者のソレだった。
自分でやった方が早いんじゃないの、と云いたくなったけど、報酬は欲しい。
(私だって只の人間よ)
最初は自虐に聴こえたが、それが皮肉を滲ませている事に後から気付いた。
「ねえ、タンデムしたくない?」
やや強引に腕を掴む、と、撥ね退けられる。
触れられるのが嫌いなのだろう、かなり反射的だ。
戸惑いつつも申し訳無さそうな表情に、少し微笑みかける。
「この時間帯は、空のトワイライトと街のライムライトが綺麗よ」
少しダボついたパーカの身を護る様にして、一歩下がる少年。
一歩近付く私、今日は餌を持って来た。
依頼主から渡された、その餌を少年に差し出す。
“デビルメイクライの居候なら、事情を知ろうが知らぬが、掻っ攫ってしまえば良いのですよ”
“どうして?”
“ダンテはああ見えて過保護でしょう、自身の客人を引き取りに来る”
“金眼悪魔の情報との、引き換えチケットにするって事?その居候君を”
“貴女のバイクに興味津々だったのでしょう?それでタンデムにでも誘えば良い”
“簡単に云うわね、私独り乗りが好きなのよ。それに、そんな簡単について来る?言葉も通じないのに”
“これをチラつかせて御覧なさいな、居候の見当は付いていますから”
ブラック&パープルのマント。
なんだかお香臭い、エキゾチックと云えば良いのだろうか。
すると、少年の眼の色が変わった。バイクを見ていた時より、険しい眼。
「ねえ、君のお友達…が、向こうに居るから」
“友達”の気配を漂わせて、こんな眼をするだろうか?
もしかしたら犬猿の仲なのかもしれない、あの依頼主とこの少年。
確かに、引き換えチケットにするのだから、親友の類では無いだろう。
あの依頼主、自ら出向く事は避けたいらしい。
宅配ピザの気分は御免という事か。
(これでダンテが情報を何も持っていなかったら、攫い損ね)
大人しくマントを受け取った少年が、タンデムシートに座る。
あまりに素直に、そして依頼主の読み通りに流れる展開に、少しキナ臭ささえ感じたけれど。
…いいでしょ、妙に勘繰ったって無駄。
私は、バイク好きの少年とタンデム走行するだけ、そうそれだけ。そう思い込もう。
「じゃ、行くわよ。ちょっと遠くの宿までよ…しっかり掴まって」
サイドバッグに入れてあったハーフヘルメットを渡すと、慣れた手付きで紐をDカンに潜らせる少年。
ひょこんとした癖毛がメットに隠れて、やや線の細い面立ちだけが残る。
私もバイクに跨って、ミラーにそれを確認した。
「私の腰に手を回せないなら、コレに掴まってて」
背負った武器を揺らせば、察した様子。やんわりとカリーナ=アンにしがみ付く姿に、なんとなく失笑した。
「タンデム席なんだから、堂々と女性に手を回したって罪にはならないわよ、可笑しいの」
走り出せば、路地の中だって爽快だ。
タイヤが地面を噛み付く音が、アスファルトと砂利と草原と、全て違う音。
開けた場所に出れば、更に煽ってくる風に体が喜びの震えを発する。
河に渡された橋の上、落日の証が水平線を輝かせている。
依頼の事を忘れる程度には、気分が良くなる瞬間。
背後の少年も、ずっと横を眺めている。バイクの醍醐味だ、遮るものが無いクリアな視界。
長い橋の中央に差し掛かった、と、その時。
遮るものが無い筈なのに、辺りが暗くなる。
「掴まってッ!」
何と云ったか理解していないだろうが、少年は咄嗟にカリーナ=アンを掴む腕を強めた。
跨ぐ脚を強く締め、バイクを急旋回させる。焦げ臭い、磨耗したタイヤの焼ける臭いだ。
その旋回の痕跡に、へばりつく影。
(悪魔…!)
蜘蛛の形、アルケニーか。
ヘルメットのシールド越しに頭上を見上げれば、橋のケーブルに糸を吊るして蠢いている。
数匹で群れて、巣を作る勢いだ。
前後を確認すると、橋の両端は糸が雁字搦めに張り巡らされていた。
「閉じ込められたって事でいいの?」
運の悪い通行車達にも、ぐるぐると白い糸が繭の様に巻きつけられていた。
まあ、一般人が遮断されるのは却って都合が良い。ダンテの言葉を借りれば、これからR指定の始まりだから。
しかし問題は背後の少年だった。
タンデムドライブ…悪友?との対面…引き換えチケット…までは許せと云いたいが。
血生臭い思いをさせるのは、少しばかり申し訳ない。
「って云っても、蜘蛛の巣に入ったのは私の所為じゃないしね」
カリーナ=アンをずるりと剥き身にすれば、クールな姿がお目見えする。
「観念して、しっかり腰を掴んで頂戴ね」
ぐ、と少年の腕を私の腰に回させる。
その腕の震えは悪魔への恐怖なのか、私への畏れなのか、定かでは無い。
「折角イイ気分で走ってたのに、台無しにしてくれたわね!」
この距離でカリーナ=アンを発射してしまうと、少年の鼓膜が危うい。
身長程もあるこの武器は、強力ではあるが使う場所が限られる。
ひとまずは一番近くのアルケニー目掛け、照準を合わせ…
此方に飛び掛ってくる瞬間、フックショットのダガーのみを発射する。
糸を吐かれた場合には、一気にアクセルをふかせる予定だったが、その必要も無くなった。
「フン、気色悪いわね」
脳天を刃に貫かれた巨大蜘蛛は、雄叫びを上げながら生理的嫌悪感を生む動きでのた打ち回る。
ずるずるとそれをグラップルで引き寄せ、トドメに小銃で鉛を叩き込んだ。
仲間のやられた気配に、攻撃性を高めた他のアルケニーが集い始める。
「ま、ヘルレイスじゃないだけマシか」
自爆型の悪魔だったら、少し厄介だった。
腿に括ってあったホルスターに小銃を仕舞い、カリーナ=アンを一旦路上に置く。
少年の腕をぐい、と引っ張り、前傾姿勢のままアクセルに誘導した。
その手ごと強く握り込み、数回ギュイギュイとふかせる。
「このままフルスロットルしといて!いい!?」
クラッチを繋げてやり、途端に走り出す車体。
突然アクセルハンドルをパスされた少年は、もう速度を維持する他無い。
私は二丁銃を構え、路上清掃する。
稀に吹き飛ばず、路の中央に残る死骸。轢きそうな位置に、少年の指がアクセルコントロールを惑う。
「避けないで!踏むのよ!」
銃を握る指を少し崩して、ハンドルのブレを上から掴んで矯正した。
すると理解したのか、更にアクセルを握り込む少年。
ダイレクトに悪魔の肉を削る振動、バイクの醍醐味と云って良いのか微妙だが。
がくんと踏み越えれば、ミラーにぐちゃりと抉れたアルケニーの残骸が映って一瞬で流れる。
「イイわよ!ほらっ、ターンしてもうひと仕事!」
端まで来て、ハンドル操作を代わる。
キキィッ、と激しい音と火花を散らして、今来た路を振り返る。
わらわらと、まだ押し寄せるアルケニー達。
「復路は片手で足りそうね」
走り出し、アクセルを握りつつ空いた手に銃を持つ。
今度は少年の手を借りずに済みそうだ、それほどしか残党は居なかった。
まるでシューティング・ゲームの様に狙いつつ、ゴールまであと僅か。
糸が届くよりも遠くから、私の鉛で黙らせる。
小賢しい悪魔共、人間の邪魔をする奴等は容赦しない…
『――!!』
と、背後から何か聞こえた。
ミラーを見る、虚空を舞う黒いマント。
死んだ瞬間のアルケニーの糸は避けたつもりだったが、それが少年の掴んでいたマントに引っ掛かったと理解した。
「ちょっとっ!?」
てっきりマントを手放すと思っていたが、少年はあろう事か、マントごと糸の先に居残ったのだ。
案の定、バイクから引きずり落とされて、勢い良く路上をバウンドして転がるその姿。
いくらヘルメットを被っていようが、身体へのダメージが危ぶまれる。
そもそも、身動きの自由に取れない人間は、繭に包まれた車より危険度が増す。
“後”より“今”の捕食対象となるのだから。
「マントぐらい後から拾えば済むでしょう、っ!何考えてるの!?」
バイクを停め、サイドスタンドさえ引っ張り出さずに放った。
背後から車体が倒れる音がする、それでも生身の人間を前にすれば“バイクなんか修理が利くのだから”と、どうでも良くなる。
ぐったりと、糸とマントに絡まったまま倒れている少年。
アルケニー達は、其処目掛けて更に糸を発射する。
そいつ等目掛けて鉛を見舞う、が、処理しきれない。
(こういう時にカリーナ=アンのヒステリックがあれば)
当然、私のヒステリックではどうしようも無く、捌ききれなかったアルケニーの糸が脇目を縫って少年に。
糸自体にも酸が付着しているのだ。あれ以上、彼に糸が巻き付くのは不味い。
急いで最後の一体に照準を移し、トリガーを引こうとした。
が、たった今撃とうと狙い定めたアルケニーが、発火した。
「…な、何」
私は何もしていない、その火の出所に思い当たる節が無い。
(火が、糸を辿っていた)
まるで、導火線の様に。
焔が糸を奔って、アルケニーの口から侵入し、内部から轟々と燃やしたのだ。
燃えて揺らめく糸を逆に辿る。
暗くなり始め、トワイライトを臨む橋の上。
街のライムライトとは別の光が、鮮明に浮かび上がる。
焔の灯りの照り返しでは無く、独りでに発光する…あれは…
金色の双眸。
ばさりとマントを翻して、焦げた糸の残滓を振り掃う姿。
酸でじわりと溶け出したパーカの隙間から見える肌に、黒いインナーが覗く。
(インナー…じゃ、ない)
ゆっくりと立ち上がると、私を見つめてきた。
「…なに、私、悪魔とタンデムしてたって訳?」
照準を、燃えカスのアルケニーからそのまま彼に移す。
「大人しく連いて来るのなら…と思ったけど、ちょっと寝ててくれない?私、悪魔の息遣いを感じてバイク乗りたくないの」
生け捕り、とは云われているけど。
つまりは半殺しでも良いって事よね。
「喋れないのは、フリ?」
『 』
「何よダンテも…思いっきり匿ってたって事じゃない、フン…これだから悪魔って」
試しに一発、足元に見舞ってみた。
痛そうな顔をするから、一応痛覚は有る様子だ。
ダンテなんか、脳天にぶっ放してもヘラヘラしてたのに。
弱い悪魔なのだろうか?それなら簡単に失神してくれたりしないだろうか。
やはり、人間の形をした悪魔相手は気持ちが好くない。
「悪い話じゃないわよ?依頼してきた人、悪魔の貴方を欲しがってたんだから」
まさか、引き換えチケットどころか“そのもの”だったとは思わなかったけど。
ダンテが知ってる知らないは、さほど重要でない理由がハッキリした。
あの依頼人、デビルメイクライの居候が恐らく金眼の悪魔だと確信していたのだ。
「ま、私は人に隠し事して、後ろにのうのうと跨ってきた悪魔に、ちょっとイライラしてるんだけど」
もう一発、しかし今度はかわされた。
後方に宙返りしたその四肢には、見事なタトゥーが奔っている。
「悪い?私は悪魔が大っ嫌いなの!」
掌を返したと思われても構わない、ダンテとトリッシュは例外なのかと脳が勝手に私を苛む。
それでも、妙に親近感を感じた相手が悪魔で、酷く今沸騰しているのだ。
「さっさと寝て頂戴!」
駆け出し、倒れていたバイクを引き起こして跨る。
アクセルを怒りに任せて吼えさせて、蜘蛛の残骸を蹴散らしながら走る。
カリーナ=アンを回収しつつターン。
機械的に悪魔を葬る為の動作をする私に、金眼の悪魔は話し掛けるのを止めた様子。
カリーナ=アンのヒステリックを放とうと、構える私。
マイクロミサイルなら、傷が治癒する前に意識がぶっ飛んでくれるであろう期待。
すると、金眼の悪魔は片手をすっと天に翳す悪魔。
何か魔法の類でも放つかもしれないと感じ、神経を照準から逸らす。
しかし電撃が迸ったのは私に向けてではなく、その翳した腕の元に。
立ち昇る煙から突如現れたのは、似た様なシルエット…
(使い魔でも召喚した?でも…バイク!?)
明らかに普通の二輪車ではない。タイヤが燃え盛る環なのだから。
『I'm a highway star!』
跨るガイコツが喚くと、その後ろにするりと跨る金眼。
はっとして、その走り出すバイクを追尾する。あんなタイヤで滑走するものだから、酷く焦げ臭い。
「逃げたって無駄よ!」
一定距離まで追い上げて、グラップルで繋いでやる。
橋の入口、糸で塞がれた其処を炎のタイヤで突き抜ける悪魔達。
お陰で私のバイクも突っ掛かる事無く、すんなり通過する。
ノーヘルで、マントをローブの様に被った金眼は、召喚したガイコツに運転を任せきっている。
土地勘など無いのだろう。何処かを目指すでもなく、走行し易い路を選んでいる挙動。
通行人の視線を目一杯浴びながら疾走し、次第に海の見える峠に入り始める。
さっき戦ったあの橋が見下ろせる高さで、パトロールカーの光が橋を埋めているのが見えた。
いよいよ周囲に気配も無くなってきたので、走行しつつカリーナ=アンを構えてみる。
が、やたらとカーブの多い此処。決定的なチャンスが訪れない。
かといって、小銃に持ち替えたところでタイヤのパンクは狙えない。
空気なんか無関係なんだから、あのタイヤ。
(炎…)
崖さえ登りそうな悪魔のバイクを、どうしたらスクラップに出来るか考える。
そうだ、車体をカリーナ=アンのフックショットで繋いでも、引き寄せる前にこの峠では振り落とされてしまう。
急ブレーキし、咄嗟に掲げるカリーナ=アン。
金眼の悪魔が、止まった私を振り返った気がした。
「これでどうなのっ」
先に見える絶壁目掛けて、ミサイルを撃ち出す。
崩落する岩肌が、轟音を立てて前方を呑み込んで押し流す。
巻き込まれた悪魔のバイクは、そのまま海に叩き付けられた…筈。
濁流でいまいち確認が出来なかったが、走り去った痕跡は無い。
崩れた土砂より向こうには、滑走の焦げた痕は無かった。
(流石に、溺れ死んだりはしないわよね)
濁った海を見下ろして、まだ荒い呼吸を整える。
もう、いいわよ。今日は引き上げる。
こんな事で死ぬ様子なら、それまでだったと報告すれば良いわ。
だって、あの依頼主が欲していたのは“僕の強い悪魔”なのだから。
(…って、つまりあの男は、悪魔使い?)
今更過ぎた、そうだ、あの口調では恐らく。
捕らえて駆逐なり封印なり、研究対象にするのではなくって。
使役するつもりだったのだ。
そうでもなければ、わざわざ“僕の”を付けない。
「何よもう…悪魔を蔓延させる手伝いは御免よ」
人間なのに、悪魔に魅入られる程罪な事はない。
この依頼は駄目、もう棄てる。そして悪魔使いからの信頼も要らない。
どうせこの界隈の人間でも無さそうだし。
「悪魔なんか…」
おずおずと、腰が掴めずにカリーナ=アンに縋っていた圧迫感を思い出す。
私よりも低い身長、下手糞な言葉で「何ccあるの?」とだけ訊いてきた。
アルケニーを焼き殺したあの焔は、私には向かって来なかった…
ヘルメットのシールドを上げて、ようやく静かになった海に問い掛ける。
「ダンテもトリッシュも、貴方もイカレてるわ。悪魔の中の例外よ」
この世の悪魔を絶滅させる私の目標は、どうしてくれるの。
人間みたくなれあうのは、演技だと云って頂戴よ、お願いだから。
「…例外、なんだから」
私が絆されてるんじゃないのよ、これは。私が例外を作ってるんじゃあないの。
悪魔の心配なんかしたら、悪魔に魂を売った父を責める事が出来ないじゃない。
「悪魔なら悪魔って!最初から云いなさいよ!バカッ!」
水面に金色が光った気がしたが、映りこんだ私のバイクのライトだった。
バカじゃないの。
「っくしゅん!」
「お、噂でもされてるか?」
「……誰に」
「さあな?それにしてもこんな季節にプールとは恐れ入ったぜ」
びしょ濡れのヤシロを背負う。
そのヤシロが纏う湿った黒いマントから、あのデビルサマナーの辛気臭ぇムスクの薫りがした。
「お前、レディのバイクのケツに乗りやがったな?」
「…乗れって云われた」
「ハッ!そのマントを餌に誘われたってクチだな?ん?」
ヤシロは無言になるが、背中からムッとした気配がするから図星と判る。
どうしてそんな気配が分かるかって?んなもん勘だ。
「どこから見てた…」
「橋の上で張ってた。ピザの宅配も利かねえ場所で参っちまったぜ」
「どうして」
「黒尽くめの東洋人が宿泊してる宿にゃ、あの橋渡らないと辿り着けないのさ。分かったか?」
「だったら、あの蜘蛛の駆除手伝ってくれたら…俺だって擬態を解かずに済んだじゃないか」
「仕事中のレディにはなるべく関わりたく無ぇのさ」
「…まあ、解かるけど」
小さく笑うヤシロ。俺の背中に、その心地好い揺れが伝わる。
「おっかねえ女だろ?悪か無ぇがな」
「俺が悪魔だと判った瞬間、眼の色が変わった。相当悪魔に恨みがあるんだな…あの人」
「俺も昔、アイツを助けてやった次の瞬間、脳天に鉛弾のプレゼントされたからな」
「何だそれ」
「いや説明のままさ、マジだって」
峠の下路をゆっくりと歩いていたが、そういえば橋は通行止めだ。
かと云って、此方側の宿に宿泊する気はサラサラ無ぇ。
宅配なんか、誰がしてやるか。
「お前のバイクはそういやどうした」
「“車輪が鎮火したからもう無理、帰ります、サーセン”……だと」
「ハハッ!そりゃあお前、愛車がポンコツになる辛さは理解してやれよ?ライダーの端くれならな」
「ヘルズエンジェル…もう召喚しない…畜生…これだから悪魔は」
どこぞの女デビルハンターと同じ口癖で、悪魔を罵ったヤシロ。
きっと何処かで共感してるから、あんな目に遭ってもレディを責めないのだろう。
海を見下ろして我に返るレディの背中は、俺も少し可哀想だと思った。
悪魔を憎む気持ちの出所も、それを逃がす場も、決して明るい場所には無い。
見境無く殺戮してやりたい衝動の、その片鱗を俺たちは抱えている、いつでも引火する危険な燃料を。
「で、どうだったんだ?久々のバイクは」
「やっぱり良かった」
「お前のしがみ付いてたアイツのデケェ武器、カリーナ=アンって名前なんだけどな」
「…?それが…何だ」
「レディのお袋さんの名前だ。本当お前ってマザコンだよな――ってェッ」
脳天に、鉛よりはマシだろうが、拳固を喰らう。
マシったって、コイツ魔力で殴りやがったらしい。結構な痛さで頭がクラクラした。
「ダンテだって、机に母親の写真飾ってる」
「理解出来ねぇか?」
「……出来…る」
「じゃあ問題無いだろ?悪魔を愛した、俺の自慢の母親なんだからな」
俺の身内の話に、お前は何も返せなくなる。
お前にとっての悪魔と人間の関係は、きっと敵対か使役のソレしか無いんだろうな。
俺の周囲を見て、過ごして。お前の中の何かが軋み始めているのを感じる、ヤシロ。
もっと楽に、ラフに生きても良いんだぜ?俺は悪魔の血も、人間の血も、捨てたいと思った事は無い。
お前が望むなら、それこそずっと此処に居たって…
「帰ったら、さっさとあの苺使おう」
「…そうだな、ナマモノはすーぐ腐っちまう」
いいや、止そうか。
お前への、侮辱に値する言葉になる可能性がある。レディに「もっと悪魔を信用しろ」と云う事と同義だ。
志すその路を、脇道へと勧誘される事を嫌う、ストイックな奴等め。
別名、強情。
「んじゃ、飛んで帰るとするか」
「えっ」
暗闇の中だから平然と魔人化し、羽を広げた。
もぞりと背中のヤシロを少し押しやる形で伸ばしきる、それでも負ぶったまま飛び始めた。
前から今の俺を見たら、ビビらせちまうからな。お姫様抱っこは今はパスだ。
「どうだ?バイクより乗り心地イイだろ?」
「悪く無いけど、つまらない」
「お、云いやがったな?レディのケツより天国見せてやるぜ!しっかり掴まっとけよ?」
「云い方が下品、っ」
月に照らされる鉄塔をぐるりと回り、背の高い街路樹のスラローム。
この辺にしちゃ珍しい高層ビルの側面を、一気に駆け上がる。
「うわ、っ――」
屋上まで来た途端ヤシロを放り投げて、反対側面を真っ逆さま。
窓を注意深く見ていれば、落下の影に気付くだろう。
下界の明るい階層に落ちてくるその前に、抱きかかえて背中にすぐ運んだ。
顔を見られたかもしれない、いや、多分大丈夫。
マントラ本営の天辺からダイブした時も、コイツは余裕が無かったからな。
「お、い…俺で遊ぶなよ、っ!」
「つまらない?」
「もう…っ!あんまりおちょくると、貴方の事ポンコツになるまで乗り回すからな?」
何の気無しに云ったんだろうが、お前それがどれだけ悩殺的なセリフか解かって無いだろ。
こんな少年に一瞬アレなイメージを膨らませた俺は、どうやら月光でハイらしい。
「“All right, hold tight”」
「おい、っ!真面目に聞いてるのかっ、ダンテ!」
ノってきた気分のままに、空の星になる勢いで遊んだ。
「“I'm a highway star”〜♪」
早く帰ってストロベリーサンデーを作ってくれよ。
取った苺のヘタを星に見立てて、甘酸っぱいタンデムを帰ってからも味わうか。
これが俺のストイックなのさ、解かるかヤシロ?
綺麗な景色、美味いモン、ジョーク、イカしたロック、誰かの笑顔…
憎しみが無くたって、実のところ戦える。なんて質の良い燃料だ、健全な欲望がエンジンを滾らせる。
だからもっと、そのまま笑ってしがみ付いてろよ?
To be continued…