ダンテに、当人の“兄貴”の事を訊いた事があった。
この悪魔の右腕は、ダンテの兄の遺品を取り込んだままで。俺が今もソレを利用させて貰っているから。
本来の持ち主が、どんな風にその遺品を扱っていたのか…少し興味が有ったんだ。
「奴も銃が嫌いでな、お前の所の騎士団と似た様な事を云ってたぜ」
「へえ、この剣一本で立ち回ってたのか」
想いを馳せれば、宿した閻魔刀が共鳴するかの如く、右腕が疼いた。
「俺は遊び道具はめいっぱい有った方が楽しいからな、特に拘らねえけど」
ヘラっと笑うダンテだが、全て使いこなせているのが少し腹立たしい。
数々の魔具は、打ち倒し従えてきた悪魔が具現化した物なんだとか。
まるで勲章じゃないか、そりゃゲーム感覚だろう。
強い悪魔であればある程、凶悪な武器になるという事だろうか…結局詳細は聴けなかった。
容易く魔具を揮うダンテを見ていると、どの魔具が強大な力を秘めているのかすら判断し難い。
俺は悪魔を従えるつもりは無いが…閻魔刀さえ完璧に力を引き出せていないであろう事を思えば、歯痒さが込み上げる。
「…ま、確かにアンタのそういうスタイル見てると、なんかムカついてくるかもな」
「おいどうした坊や、いきなり拗ねて」
「少しくらい、何かに絞って極めてみろよ…軽過ぎなんだよノリが」
「そうそう!兄貴も俺に吐き捨てるみてぇに云うんだよ…その顔してな。ハハッ!懐かしいモン見ちまったぜ」
指差して笑われ、俺は表情を変える事もままならず…
右腕の内に居る閻魔刀に「何とかしてくれよこのオッサン」と呟いたのだった。
Sheer Heart Attack 《part 2》
すっかり太陽の光は失せたが、それでも石畳には自身の影が伸びている。
時折雲がシェードの様に空を囲うが、切れ目から覗く眩しさは満月のそれだ。
フォルトゥナでは赤い月が不吉の前兆だとか、そんな言い伝えが有ったが…新月だって湧く時は湧く。
「だよな?蛆虫みたいに」
敬虔な信者達が多く住んでいたこの区域は、この時刻という事も相俟って人影が皆無だ。
俺の問い掛けに呼応するかの様にして、外灯の伸びた影がニュルニュルと踊りだした。
先端から分離したソレが、地面の凹凸を乗り越える様にしながら目の前の噴水をばしゃりと鳴らした。
「なんだ、本当に蟲じゃねえか」
ホルスターから引き抜いた愛銃を、構えた瞬間に発砲する。
そこいらの銃と違って、鼓膜に心地好い振動を与えてくれるブルーローズの嘶き。
一際大きく跳ね上がった飛沫を見届け、俺は噴水に接近する。
月光を反射する水面は、裂けた砂袋から躍り出た無数の蟲で賑やかな事になっていた。
「スケアクロウ……だけか?」
わざわざ独りごちるのは、牽制だ。
俺の右腕が呻っている、「悪魔はまだ残っている」と。
周囲を改めて見渡す、閉ざされた窓はブラインドやカーテンで僅かに露光が有るだけ。
俺にとっては都合が良い。この区域の住人は、未だに熱心で盲目な信者が多いから。
教団の不正を暴いた俺達を、悪魔の手先と罵る連中だ…
俺は別に何を云われたって構わない、隣合うキリエにまで罵声や石が飛ぶ事が許せない。
そんな奴等にさえ、微笑みを返すキリエを…俺は素直に褒めてやれない。
ただ、フォルトゥナで人死にがこれ以上出るのは復興にも支障をきたすし、何よりキリエが哀しむから。
「こっちから出向いてやったんだぞ、それとも遊ばず帰るのか?」
背に担いだレッドクイーンの柄を掴み、軽く噴かした。
「俺は最近鬱憤が溜まってるんでな、少し遊びたい気分なんだよ!」
空に叫べば、それを合図にしたかの如く四方から俺に飛び込んでくる影。
纏わりついてくるのは同じくスケアクロウだったり、それのでかいタイプだったり。
視界の端に赤い閃光が奔ったのを、認識した瞬間俺は地を蹴った。
指先を伸縮させ、針の様に俺を貫こうとするメフィストの群れ。
「寝惚けてるんじゃないのか?」
接地する前に、真下で大口を開いていたスケアクロウを引っ掴んでやった。
俺の右腕だって、ある程度の距離なら伸びるのだ。こいつ等の知った事では無いだろうが。
「しっかり俺を見やがれ!」
掴んだそいつを、指を引っ込めたばかりのメフィストにお見舞いしてやる。
ぶちかました反動で、俺は跳ね上がり噴水の上に着地した。
ブーツの下でびゅうびゅうと、塞き止められた水が滅茶苦茶な方向に平たく噴いては、悪魔共を濡らしていた。
(どいつもこいつも、動きに生気を感じなかった)
元々傀儡みたいなモノだろうが、それにしても呆気無い。
本能や欲求で動く筈の悪魔が、ムラっ気も無く淡々と襲いかかって来たこの感じ。
まだ、右腕は疼いている。
「……そこかっ!」
殺気立った俺は何かの気配を感じるや否や、少し照準をずらして発砲した。
跳ねた銃弾が転がるのを確認したそいつが、アパートとアパートの隙間からじりじりと明るみに歩み出てきた。
人の形をしているとは認識していたが、まさかの正体に唖然として一瞬声を失った。
「何…してんだよアンタ、こんな所で」
あの居候だった。噴水上から見下ろすと、更にチビだ。
カルスの店でキリエと一緒に置いてきた筈だろう、何故…いつから見ていたんだ。
いよいよ背筋がざわりと震えた、これは警戒すべきかもしれないと。
『 』
「何云ってるのか知らないけど、俺はアンタの為に命かけてまで護衛してやれないぜ?」
ブルーローズをホルスターに戻さないままで、俺は噴水から飛び降りる。
何か喋っているヤシロは、俺の右腕をチラチラ気にしつつも、今度は袖を引っ張ってきた。
訴える様な眼に、俺にも別の不安が生じ始める。
(カルス達に…キリエに何かあったのか…?)
もしそうだとしたら、危険な夜道を彷徨わせた事を感謝しなければいけないが。
まだ分からないだろ…下手すれば、こいつが悪魔の罠かもしれない。
とっくにヤシロは喰われたか何かで、その皮衣を着た偽物の可能性だって有る。
「…まあ待てよ、一旦戻るよ…俺の意思でな」
『 』
「分かったから、いい加減袖を放してくれって。じゃねえと、この右腕で引っ掴むぞ…?」
何を云ってるかなんて本当は分かっちゃいないのに、手早く退けようと承諾の素振りをした。
不気味に発光する右手の指先を、くねくねと見せびらかせおどけてやる。
すると癪に障ったのか、ヤシロは放すどころか逆に俺の両肩を掴んできた。
軽く振り払おうとしたが、予測に反して俺の視界がざあっと流れた。
踏み止まろうとしたブーツの底がザリザリ、地面と擦れる音が響き呆気に取られる。
(こいつ、どこにそんな腕力が)
振り向かされると、お次はすっと伸ばされた腕。
ヤシロの指し示すその先を、呆気に取られていた俺は思わず見つめた。
「おい、何だアレは」
『 』
「天使…なのか?」
俺が視線を逸らさずにいるのは、ヤシロよりも指された先の方がヤバそうだからだ。
古臭い城塞都市ならではのオブジェに紛れていたのか…ひとつ、ふたつ、異形の彫刻が翼を広げる。
帰天した“天使”と同じベクトルのソレ等が、手にした武器を構えに変えて俺達を見据えている。
(帰天した連中の生き残りが居たのか?それとも、まだ帰天させてる機関が有るのか…!?)
「クソッ、最悪な気分だ」
背後のヤシロを確認しつつ、ブルーローズの銃口を今度は天使に向ける。
「責任取って天国に昇天しやがれ!」
横並びの顔の、眉間を狙って発射する。二連装バレルから放たれる銃弾は、一体に対するモノだ。
ダンテの使用していた二丁拳銃程の連射力は無いが、この銃だけで結構なダメージを与えられる様に見込んでの改造。
目の前まで到達される事も無く、次々に失速か墜落していく算段だった…
が、本当に失速するだけで、羽ばたく翼は更に忙しなく動いて角度をつけ滑走してくる。
「shit!」
ミスったつもりは無かったのに、どういう事だ。
背に手を回したが、此処で今、剣を振り回すのはマズい。
(転がった生首に睨まれるのはイヤだぞ)
銃を掴んだ腕でヤシロを抱き寄せ、咄嗟に悪魔の腕を揮った。
強張る身体を感じつつ、キリエと違ってやっぱり硬いな、と頭の隅で思う。
「…はぁ、気持ち悪くても我慢しろよ、落ちたくなかったらな」
案内版のぶら下がるポールに、ゆらゆらと腕一本で吊るされる状態だ、恐怖して当然だ。
降下して武器を次々と突き立てる天使達。既に針の山みたいな噴水は、水と羽根が溢れてケバケバしい。
「さて、安全な所なんか無い訳だ。いいか、アンタはとにかく物陰に居ろよ?」
『〜〜ッ!』
人がこうして伝えている横から、天使の放った疾風が肌を裂く。
普通の風では無いと察した瞬間に、手首を捻って背でヤシロを覆う。
柄でも無いが、ダンテから預かった客だしな。力の有るヤツが無いヤツを護るとか、そういう慈善意識は嫌いじゃない。
俺もいい加減、キリエとダンテに感化されたのかもしれない。
「いいか吐くなよ、コート汚したらアンタに洗ってもらうからな!」
ヤシロは腕の中で何やらモゴモゴと呻いているが、どうせ理解出来ないので無視する。
下半身を振って、勢いつかせて飛び降りつつ天使の一体にドロップキックを見舞う。
ぐにゃりとソイツを踏む形で着地すると、俺は今度こそ背中に手を回した。
ヤシロを片腕でホールドしておけば、剣を振り回しても平気だろううという作戦だったのだが。
思いきり空を掴む指先に、ぎょっとした。
「は?無えっ…」
今ジャンプしてきた方を確認すれば、ぽつんと転がっている赤い相棒レッドクイーン。
腕に一人抱えていたせいか、背中から外れた事に気付けなかったらしい。
「ま、無くたって負ける気はしないけどな」
負け惜しみじゃない、自分を奮い立たせてるんだコレは。
ただ、初めてやりあう相手なので、幾分かの緊張は拭いきれない。
そして、お荷物を抱えつつの戦闘ときた。恨みはしないが、これはダンテに追加料金を請求してやっても良いんじゃないか?
「カタブツなのは頭だけじゃないってか?上等じゃねえか」
銃のダメージがイマイチだったので、悪魔の腕に頼るべきだろう。
レッドクイーンを気にしたのか、天使が一体回収しようと傍に降り立っていたが、今は捨て置く。
どうせ全滅させる、その後ゆっくり残骸の中から拾えば良いだけだ。
俺はヤシロを抱える腕を左に換えて、今度こそ悪魔の指先をくねくねとさせて天使を挑発した。
「Hoo! C'mon!」
連中の虚ろな眼が一斉に俺に注がれ、俺も同時に連中を見た。
四方八方に散った奴等をいっぺんに目視出来る訳ではない、気配を読むんだ…
と、俺が神経を尖らせた矢先に、左腕が押し退けられた。
またもや抑え込めず、ヤシロが俺の腕から抜け出たのだった。
「何やってるんだ!」
代わりに向かってきた天使の剣を右腕で受け止めつつ、空いた左手でホルスターをさぐる。
銃を至近距離で放ちつつ、受け止めていた剣を右手で折り砕く。
破砕された刃の破片が月光に煌めき、その隙間からヤシロを確認する。
駆けて行き俺のレッドクイーンを拾おうと、まさに手を伸ばす瞬間が見えた。
「馬鹿っ、放っておけ!重いんだぞソレ!」
筋肉質な男でさえも、片手で扱うのはほぼ不可能な逸品だ。
そりゃあ普通の剣には無い機工が施されているから、当然といえば当然で。
キリエが以前運んできてくれた際は、両手で引き摺ってしまっていた程だ。
だというのに、ヤシロは柄を両手で握り締めたと思った瞬間には、隣接した天使に刃を見舞っていた。
その一撃は遠心力に任せてのモノだったが、追撃に飛んだ二体目に対してはしっかりと薙ぎ払っていた。
心得が有るとは思えない剣跡とはいえ、ヤシロは既に片手構えで交戦している。その光景を見て…何となく察した。
(あのオッサン、似てるってそういう意味かよ)
性質が悪いったら無い、そりゃ同族嫌悪もするだろ。
右腕で天使の術を防ぎつつ、ヤシロに怒鳴った。
「もっと振り回せ!」
さっきよりも天使が増えたのか?羽根が羽毛クッションを裂いた時の様に、はらはらと一帯に舞い散る。
俺は右手でスナッチした天使の頭蓋を握り潰し、体液まみれの手首を前後にギュイギュイと捻った。
レッドクイーンは炎を噴き上げてこそ、その名を冠する意味が有る。
周囲の天使を掴んでは地面に叩きつけ、呼吸と殺戮の合間に叫んだ。
「Yashiro!」
何故か通じる気がした、アイツの指がレッドクイーンの柄に備わるクラッチレバーに引っ掛かっていたからだ。
扱い方を感じ取っているのかもしれない、それなら後はストッパーを外すだけだ。
「full throttle!! 」
俺の言葉を号令と受け取ったのか…は定かでないが、ヤシロは俺を一瞬見た。
ヤツの手にクラッチレバーがめいっぱいに握り締められ、推進剤が噴射される。
あれがイクシードという仕組みで、妙な重量の理由。
その勢いは並みの人間では制御しきれないのだが、アイツは違った。
噴射口から溢れる炎に怯えもせず、天使の甲冑を真横に両断しては再びレバーを握り込む。
とりあえず判った、カタギの人間じゃあない。コッチ側の生き物なんだ、あのチビ。
ああ、背筋がゾワゾワ粟立ってくる。この際アンタが敵か味方かなんざどうでも良い。
「Ha-ha!…Catch this!」
俺は傍らの半透明な天使を掴み、ヤシロに向かって叩きつける様に投げた。
剣先から視線を戻したヤシロは、そのクリオネみたいなヤツをぶった斬りつつ俺の元へと駆けて来る。
『…!!』
「まぁ怒るなよ…動く手間が省けただろ」
敵をぶつけられた事にどうやら憤慨しているらしく、眉を吊り上げつつブツブツと俺に発していた。
言葉はやっぱり解らないが、多分文句の類だ。レッドクイーンを突き返してきた手が、少し粗雑だった。
さっき斬った天使の残滓か…アクアブルーのジェルと赤い核の破片が、刃をテラテラ濡らしている。
受け取ったレッドクイーンを血振りしてから、俺は改めてヤシロを見た。
「イカしたタトゥー、キめてるじゃんアンタ」
頬と手に、黒いラインが浮き出ている。縁取る仄かな発光は、月光の反射じゃないらしい。
俺にじっと見つめられて気付いたのか、頬を撫でつつ周囲に視線を配し始めた黒髪のチビ。
幸いと云えるか微妙だが、周囲は天使ばかりで。喧噪に起きた住民が居たとしても、カーテンの隙間から覗く程度だろう。
「安心しな、暗がりじゃ俺の腕の方が目立つからな…」
右腕の袖を更に捲り上げて、外気に晒す。
赤黒くグロイ俺の悪魔の一部を、ヤシロの目の前に持って行き…俺は何だか微笑ってしまった。
「帰天した此処の人間か、はたまたアンタが引き寄せた連中かは知らねえけど…攻撃されたらコッチも悪魔になるしかない」
『…』
「だろ?」
俺の膨れた悪魔の指の隙間から、ヤシロの眼が覗いて来る。それは薄っすらと金色に光っていた。
満月の反射ではなく、独りでに光る魔物の眼だ。
「とりあえず、残りを始末するか」
ぐ、と拳に変えて、俺は残りの連中を見据えた。
装甲はペラそうだが、確かさっきの銃撃がロクに効かなかった憶えが有る。
ブルーローズは銃弾二発の着弾のタイミング差が売りなのだが、それさえも弾かれるとなれば…
(スナッチで引き寄せつつ斬り上げるか)
重い一撃が効果的かと考え、レッドクイーンのクラッチレバーを握って、スロットルを捻り噴かせる。
(引き寄せて胴にブッ刺し、そのままゴリゴリ脳天まで斬り裂いてやる)
『…!』
「退いてろ、巻き込むぞ!」
肩を掴んできたヤシロを右腕で払い、その手を今度は前方に伸ばす。
青い長髪天使の首根っこを狙ったつもりだった、が、俺の視界が一変する。
まるで俺の首根っこが掴まれ、後ろに思い切り引かれた様に吹っ飛んだのだ。
「…ってぇ……」
路肩に停めてあったトラックに叩きつけられ、頭を振り被れば上からコンテナが数個バラけて降ってきた。
死にはしないが、痛いものは痛い。積み荷の固定くらいちゃんとしやがれ。
まだ上でぐらぐらと不安定だったソレを、駆けて来たヤシロが蹴りつけてくれ事無きを得る。
「は…ありがとよ。ところで何だあれ、明らかに弾かれたんだけど」
『…』
ジトっとした視線で見下ろされ、俺は脳内で勝手にアテレコする。
(「だから云ったのに」だな)
孤児院で世話になった院長にも、ガキの頃から散々云われていたっけ。「最後まで話を聴きなさい」って。
首を鳴らしつつ立ち上がれば、血みどろ噴水の上で悠然と浮遊する天使が見えた。
ソイツの手にした秤が上下にユラユラと、こっちの注意を散漫にしてくるみたいに遊ぶ。
武器らしい武器は所持していない。多分、魔法が攻撃の要というタイプだ。
「で、アンタならどうにか出来る訳?」
レッドクイーンを俺に返却した、手ぶらのヤシロに問い掛けた。
俺と同じ様に、腕を揮うのだろうか?その指先まで通る黒いラインは力の現れなんだろうか。
何処までが人間で、何処までが悪魔なんだろうか。
俺の視線が試す様なモノになっていたのか、ヤシロはやや腑に落ちないといった眼で見つめ返してくる。
続けて溜息し背を丸めると、転がっているコンテナを片手に掴んだ。
「ぶつけるのか?そんなのじゃダメージにならないぜ」
思った通り、俺の脳天を直撃したボックスタイプのソレを、ヤシロは思い切り連中に投げつけた。
すると、ダメージどころか本当に通らなかった。
天使の眼前に壁でも有るかの様に、コンテナが空中で破砕したのだ。
「はぁ、何だよマジで壁が有るのか?」
隣接する同じ顔をした天使が、唇で何かを唱えている。
どうやら術を施して、物体を弾いている様だ…それも、定期的に唱えているのを見る限り、効力は永続的では無い。
一回弾けば壁も割れるのか?それならブルーローズの時間差銃弾が貫通する筈…
(複数で、壁を切らさない様に張りまくってるのか)
「セコイ天使様達方だな、でもそんな事ずっとしてりゃ俺達に攻撃も出来ないだろ。全く…埒が明かないぜ」
壁は前面だけだろうか、背面から急襲すればバッサリいけるんじゃないのか。
そんな事を睨み合いの最中に考えていると、俺のコートの裾がふわりと靡き始めた。
久しく感じる熱は、ベリアルと戦った際の空気に似ている。
オイルが燃焼するニオイじゃない、もっと別の源から発される熱だ。
『 』
今度は、俺の肩が掴まれ退けられた。多分さっきのお返しといった所だろう。
ヤシロの背後から眺めれば、轟々と炎と熱波が吹き荒れて景色が朱く染まった。
(魔法って云うには、少し直情的過ぎだろ)
振り返ったその口がケホケホと咽ているのを見て、唱えるというよりは“吐いた”のだと察する。
「物質的でなければ通るって事だったのか?それなら俺もさっさと出せば良かったな」
悪魔の右腕に一瞬チラつかせる魔人の影、コートの襟を直したヤシロが案の定睨んできた。
やっぱりな、全部視えてやがる。
「しかしコイツ等、ちゃんと蒸発してくれるんだろうな?そこまで俺の掃除は含まないんだぞ」
燻る翼が熱にユラユラとはためいている、ほとぼりの冷めた戦場みたいだ。
天使達の残骸を踏みながら、俺は噴水をぐるりと一周する。
ゆっくりと残骸は空中分解されている様で、ヤシロの炎と別のエネルギーの立ち昇りが感じられた。
どうやらこの天使様方も悪魔と似た様なモンらしい。
一周を終え元の位置に戻って来れば、ヤシロが自身の頬や指先をしきりに気にしていた。
まだ殺気立ってるのか、タトゥーは消えていない。
「おい、ソレ隠せないならさっさと帰るぞ」
『〜…』
「んな顔したって駄目なモンは駄目だ、アンタだって暴れたかったんだろ?」
クイ、と襟の後ろを引っ張って歩き出す。指の背に何か感じると思えば、ツノまで生えているじゃないか。
人間の真似が達者な悪魔…トリッシュの同族か?下手すれば人間の部分なんて無いのかもしれない。
「いずれ、何云われたってどんな白い眼で見られたって、気にならなくなるさ」
俺も最初は包帯巻いて誤魔化してた、キリエに知られたくない一心で。
キリエを巻き込みたくないから、が大半の理由だったが。多分それだけじゃない。
この街を故郷だと思いたかったから、悪魔の仲間になりたくなかったんだ…
でも焦る必要は無い、理解してくれる奴だけしてくれたら良い。
半人半魔のクセして平然と生きてるダンテを見てから俺は、この右腕を生かそうと思えた。
薄気味悪いこの腕も、俺の一部であって。高揚して滾る破壊衝動も、逃れられない血なんだと。
(コイツが何者かは知らないけど、悪魔の姿を恥じているのか)
噴水の傍を通過する際、濁った水面に浮かぶ残骸がパクパクと口を開いた。
何処の言葉か知らないが、方々から口々に唱えられる呻きの様なソレ。
眉を顰めたヤシロを見るに、どうやら矛先はコイツらしい。
「アンタ追われてたのか?それならあのオッサンも俺に預けず手元に置いとけよ…ったく、面倒だな」
帰天した連中…とは、やっぱり思えなかった。
見た事も無い、感じた事も無い気配だったから。この界隈とは縁遠い存在の様な感じだ。
新たな地獄門でもおっ建てられたのかもしれない、と、思わず周辺を見渡した。
何処にも黒い板っぺらは無い、満月が引き延ばす建造物の影だけしか。
「は…レッドクイーンの手入れが必要だな、こんなにギトギトになっちまって…」
『…』
「おい、何処行くんだよ」
脇道に逸れるヤシロを、ぐぐ、と制する。それでもグイグイと、俺が路地裏に引っ張り込まれた。
暗がりに入り、どうしても人目を避けたいらしい。熱っぽい呼吸を見れば、緊張状態が続いている事が判る。
「あのな、アンタを単独にするのがマズイ事がさっき判明したんだ。かと云って此処で油売りたくは無い」
路地裏から引っ張り出そうとすれば、金色の眼が俺を刺した。
包帯なんかで隠したらミイラになっちまうだろうな、という顔…
指先まで奔るタトゥーを見て推測するに、多分身体の全体に駆け巡っている悪魔の証。
それならどうして、俺の目の前で正体を現した?カルスの元からわざわざ此処に来た?
天使の気配を察したからだろうか…俺が交戦するだろうと思って、駆け付けたのか?
「だから平気だって云ってるだろ、アンタのホームじゃねえんだから気にするな!」
ほら見ろ、モタモタしてたせいで野次馬が出てきやがった。
ぐずぐずの噴水を、一人二人と囲み始める。寝間着にガウンの住民達。
口々に「悪魔の仕業」とか「これは天使様ではないか」とか。「この片付けは誰がやる?」とか云い出して。
天使達の呻きよりも、煩かった。放っておけば消えるんだ、そんなに騒ぐんじゃねえ。
お前等が、その天使様にヤられるかもしれなかったんだぞ…?
「おいチビ……ヤシロ!」
いよいよ路上に出られなくなったヤシロを見下ろして、その頑なな姿勢に溜息が漏れた。
「…チッ、確かに似てるな」
俺は一番上に着ているコートを脱いで、インに着ていた赤いパーカを無理矢理押し付ける。
「さっさと着ろよ、アンタにとっちゃサイズもデカいから指先まで隠れる筈だぜ」
一瞬ポカンとしていたが、受け取るなりごそごそとコートのボタンを外し始めたヤシロ。
俺がしていた様に、インにパーカを着込んでいく。思った通り、袖が指の半ばまで覆っていた。
仕上げに俺がフードを引きずり出して、癖っ毛の頭に被せてやる。
「ホラ、深く被れば多分見えないさ。じゃあ行くぞ」
足早に躍り出て、その後は堂々と街路を歩いた。
俺を見るなり、ヒソヒソと囁き声が聴こえてくる。この辺では珍しくも何とも無い。
元教団騎士の“悪魔”として、一部には蔑まれているから、
(目敏い連中だ、コイツのタトゥーの光に気付くかも)
俺は右腕の袖を捲り上げ、威圧するかの様に晒した。俺の右腕は相変わらず、毒々しい色で発光している。
途端、住民の敵意の籠った視線が俺に集中する。狙い通りに事が進むと、戦闘でなくても気持ちがイイ。
まるで、腫れ物扱いされていた昔の自分を、引っ張っている心地だった。
繋いだ所から流れ込むのは、魔力というヤツか。ここ数日の、右腕の疼きの理由を知った気がする。
俺に手を引かれるヤシロは、フードの内側でどんな顔をしているのか…別に知りたいって訳じゃあ無いが。
「今はキリエが居ないから…優先順が上がっただけだからな」
そう云って軽く振り向いたが、フードでやっぱり表情は判らない。
(東洋人か…ガキに見えるけど、案外タメだったりしてな)
それでも、掴んだ手が握り返してきたのは確かだ。
まるで固い握手の様に。
To be continued…