Owner Of A Lonely Heart




「ねえネロ、ご飯……持って行ってあげた方が良いと思う?」
 訊ねながらも、既に一人前の献立をトレーに載せているキリエ。正直無為に終わると思ったが、キリエの思い遣りを居候に見せつけておくのは、悪くないと思った。恩着せがましいと思うだろうか、でもこのくらいはさせてくれ。
 食事に手を付ける付けないは、アイツの自由。だが、キリエが心配のひとつもしなかったのだと思われては、心外だ。
「いいよ、俺が持ってく」
 冷暖房も特に無い部屋を貸している、きっと冷え込みを気にしての温かな料理だろう。食材全ての大きさが均一に刻まれ、スープの水面にはパセリが揺らいでいた。大口を開けずに済む、脂っぽさの無い料理だ。本当はチーズがたっぷり表面にとろけたキャセロールも有ったんだが、それは少し重いので俺とキリエだけで平らげた。
「ねえ、だってヤシロさん、もう丸二日間も食べていないのよ」
「身体は大丈夫だろ」
「大丈夫って……どうしてそんな、自信満々に云えるの?」
「案外頑丈だぜアイツ」
 適当にはぐらかし、トレーを手にした俺はリビングを離脱した。
 危ねえ、ぽろっと零してしまいそうだった、あの居候が《半魔》なのだという事実を。以前ならともかく、そんな事に動じるキリエでは無い。ただ、第三者の俺が暴露して良いのかって話だ。
 きっとアイツは俺と似て、ボロを出し易い。だからじっとしてるんだ、借りてきた猫の様に。それでも、俺の前では少しくらいラフになる筈。先日は二人して暴れたんだ、今更お上品にしたって無駄、それくらい分かるだろ。
「おい、飯持ってきたぞ」
 扉を数回ノックして、声をかける。暫くは完全な無音が続いたが、やがて扉越しの気配が動いた。
 俺が一歩下がると同時に、ほんの僅かに開かれた。その隙間から除く双眸は、薄っすらと金に光っている。部屋の灯りも点けないで、一言も発さず飲み食いもせず、何を考えていたんだろうか。いや……そんな事、聴くだけ野暮だ。
「食うか食わないかハッキリさせろよ、要らないなら持ち帰る」
 きらりと金色がチラついた、俺の手元を見下ろしている。用意された物を突き返せる様な奴じゃない、この短い期間で俺はそう悟った。
 案の定、扉は更に開かれ、俺の手の負荷は軽くなる。
「別に、無理して胃に詰め込む必要無いからな」
 じっと見下ろせば、じっと睨み返してきた。いや、睨んではいないのか。上目遣いでも可愛く見えるのは、キリエだけだ。
 渡すモンは渡したし、早々に退散しようと思っていたが……この硬直状態を離脱するのはどちらが先かと、睨み合うままだ。
「おい」
 スープが冷めるぞ、と云おうとした筈だった。
「こっちから行くか? オッサンの事務所」
 自分の耳を疑う、俺はいつからこんなお人好しに……いいや、違うな。いつまで経っても居候を引き取りに来ないダンテに、延滞料金を請求してやる為だ。コイツにちゃんと意味が通じているか否かは、最早どうでもよくて。こんな表情のまま空き部屋に居座られたら、こっちの気が滅入るだけ。
 居候を心配するキリエの心労が、俺は心配なんだ。



 ダンテのデビルメイクライを訪ねてみれば、修繕を終えたのか業者は撤退していた。出入口のガラスは闇を透過するだけで、内部に人の気配は無い。事務所の主が連絡手段を持ち歩く筈も無く、扉に引っ掛けられたプレートには《CLOSED》との表記。
 呼吸を引きつらせたヤシロが、そんな板切れに構う事なく入って行った。
「おい……」
 俺の声なんか聴こえちゃいないんだろう、そんなの背中を見れば分かる。前へ前へと進む姿勢、家主を捜しているんだ。
「俺、此処入るの初めてなんだからな」
 冗談でもなく、フォルトゥナから離れる機会の無い俺にとって、未知の空間だった。
 フローリングの軋む音と共に踏み入ると、想像よりも広いし、天井も高い。出入口付近はワックスがかかっていたが、奥の方は少し埃っぽい。ビリヤード台は暫く使った形跡も無く、どこかひしゃげたジュークボックスが屋外からの光を反射した。
「は、大業なワークデスクなんか構えやがって……」
 どうせ黒電話が鳴り響いても、気が向かなけりゃ放置プレイなんだろう。こっちからの電話も暫く応答しなくて、あれには参った。商売あがったりって問題じゃなく、ダンテが自ら依頼を跳ね除けてるだけだ。だらりと椅子に腰掛け、暇潰しにコミックあたりでも読んでいる幻が見えそうだった。
 全景を見渡そうと中二階に上がった頃、奥の扉に消えたヤシロが再びロビーに戻って来た。
「オッサン居たか? 奥でくたばってた?」
 俺を見上げたヤシロの眼は、未だ焦っている。どうやら奥にも見当たらなかったらしい。
 居候を預けたまま消えるとは珍しい……いや、そもそも他人に任せる事自体おかしかったんだ。だってこいつは半人半魔、どうやらこの辺の言葉もロクに話せねえし。そんな奴と面識の無い連中の家に、普通預けるか?
 最初から、行方を晦ますつもりだったな、ダンテ。
「アンタをいつまでも預かってる訳にはいかないんでね」
 俺の言葉が聴こえているのか、理解しているのか……それとも、気が動転してそれどころじゃないってか。
 構うもんか、好きにさせてもらうからな。独りにさせるのが不安だからといって、キリエをいつまでも他所に預けておきたくないんだ。
 ほらみろ、こんなにそわそわするじゃないか。あのオッサン、ヤシロを連れて行く事がそんなに都合悪かったのか。ちょっとした用事なら、やっぱり預けるなんてしない。目の届く範囲に居てくれた方がどれだけ気楽か……
「俺だって商売繁盛してる訳も無いし、復興支援にも割いてんだ。はした金だとしても、ダンテから延滞料貰うまではとことん捜すからな……アンタも協力しろよ?」
 ヤシロの眼が泳いでいる、答えようにも俺が何を云っているのか分からないんだ。
 とりあえず、ダンテが何処に向かったのか分かる痕跡が無いか、もっとガサ入れする必要があるな。
 大窓からの陽射しも頼りなくなってきた、必要以上に目を凝らさないと視界が悪い。
「おい、電気は何処なんだ」
 天井を指差してから、指先を花の様に広げて空気を揉んだ。光をジェスチャーしたつもりが、イマイチ伝わっていない。
 溜息ひとつして、今度は右手を差し出しグローブを脱いだ。暗闇に明滅する悪魔の手が、保安灯程度に周囲を照らす。頭上に掲げれば、ようやく察したか。ヤシロは辺りを見渡してから、壁際へと歩みを進めた。
 やがて、カチリと音がした。が、事務所の明度は変化無し――
「ヤシロ! 何か居るぞ!」 
 俺は咄嗟に伏せ、手摺格子の狭間に標的を探した。今のはスイッチ音じゃない、ヤシロとは真逆から響いたんだからな。
 薄闇の中、睨み合う。一瞬視線を逃がした先、ヤシロはワークデスクの影に身を潜めていた。
「……おい、どちら様か知らねえけど、此処で派手にやり合うつもりは無いぜ。あんたも許可取ったワケじゃ無いだろ? 此処の家主にさ」
 挑発してみたが、無反応ときた。これで実の所、気のせいだったりすると流石に恥ずかしい。
 ワザと愛銃のシリンダーをシャッフルして、侵入者を威嚇してやる。音だけに留めてやるのは、せめてもの情けだ。折角工事が済んだってのに、また穴だらけにしちゃ可哀相だしな。
「貴方達も、許可を貰って入ったとは思えないけれど?」
 女の声が、俺のブルーローズを遮る。俺も手を止め、記憶を探った。
 どこかで聴いた声音……多分、あのビリヤード台の影に身を潜めている。
「久しぶりね、ネロ」
 ちゃっかり名指しとは、成程、撃つか撃たまいかの判断をさせているな。お前の知人か、もしくは撃ち損じたくない宿敵なのだ、と暗に示している。せっかちな俺に対しちゃ、寧ろ有難いご配慮だ。
「久しぶりといえば、そっちの半魔君も……もう隠れなくて良いわよ。どうせ私のハンドガンじゃ怯まないでしょうし、カリーナ=アンをぶっ放すには間合いが狭いもの」
 ぬっと立ち上がる姿は人型にしてはイビツ、担いだ巨大な得物のせいで一瞬女性とすら判断出来ない。グラサンに邪魔され噂のオッドアイも見えなかったが……あのツンツン横に跳ねた黒髪と、背中のデカいバヨネット銃は間違いなくレディだ。
 ダンテの仕事仲間で借金相手、俺の所にデビルメイクライの看板を届けてくれた人……だと聞いている。人づてに「誰が運んで来たか」を聞いただけなので、直接受け取ってはいない。
「ビリヤードをする様な恰好には見えないな、武装して何の用事だ」
「あら、この事務所に丸腰で来て良いのは依頼人だけでしょ。コッチ側の面子は、ポケットに銃のひとつくらい差して来ないとね」
「オッサンに恨みの有る悪魔がしょっちゅう訪問してくるとは、確かに聞いてる」
「そうね、人間より悪魔の方が多いかも。トリッシュとか……例えば貴方達だって、二人で悪魔一体分にはなるでしょうし?」
 いつかは看板の礼を直接云わないと、なんて思っていたが……そんな空気じゃないな。レディはダンテとは友人かもしれないが、俺とはあくまでも知人レベルだ。友人の友人程度だろう。
 それにさっきから気になるのは、ヤシロを《半魔》と断言した事。デビルハンターの全てが、悪魔の血を許すとは限らない……それは俺も重々承知の上だし、警戒している。
「ねえ、ダンテを見なかった?」
「そりゃこっちの台詞だ。すっからかんの事務所にあんたが居た訳で……とうとう此処も差し押さえられたのか、って思った」
「残念ね、そうしてやりたいのは山々だけど、私もちょっと頼まれ事してんのよ」
 白いジャケットのポケットから、するりと紙切れを取り出したレディ。ヒラヒラとインクでも乾かすかのようにソレを煽ぐので、俺は下階まで降りずに悪魔の右手を伸ばした。
 薄暗い空気を割いて、煌々とした俺の右手が奪い取る。戻って来た手先が掴むのは、封筒だった。宛先は見知らぬ住所、レディと名指しはされている。差出人の名義は……
「ダンテから?」
「私が世話になってる工房に届いてたのよ、電話にすりゃ良いのに……まあ、根掘り葉掘り訊かれるのが嫌だったんでしょうね」
「中を見ても?」
「貴方が開けなくても、今度はソッチの子が奪い取るでしょ、どうぞお好きに」
 気付けば俺のすぐ背後に、ヤシロが居た。大窓から射す最後の陽が、燃える様に奴の肌を染め上げている。
 爛々とした眼は、俺を静かに急かした。
「へいへい、拝見しますよ……って、お前読めるのか?」
 既に一度開けられた封を開き、折り畳まれた用箋を引っ張り出す。ダンテの字は初めて見る気もするが、これといってクセの有る書体でも無かった。
 チラ、と傍に視線をくれてやると、ヤシロが文面を食い入る様に見つめている。眉根が寄っている……が、多分内容に困惑しているワケじゃないな。
「読めないんだろ、ヤシロ」
 落胆する横顔に、残念ながらフォローを入れてやれない。俺も翻訳してやる能力が無いし、口頭やジェスチャーでどれだけ理解させられるのか、自信は無かった。ただでさえ話がややこしいってのに、コイツの母国語に直せだなんて無茶だ。
「把握した、とりあえずコレはあんたに返すよ」
 封筒に用箋を仕舞い、再び伸ばしたスナッチ(腕)でソレを届ける。
 すると、封筒を放す俺の右手を、唐突に掴むレディ。思わぬ反動に、俺の身体はよろけた。手摺を支えに、軽く身を乗り出す。
「いきなりの握手とか、悪手なんだよ。引きずり降ろされるかと思ったぜ」
「おまけが有るから、そこのボウヤに見せてあげて」
 指先に冷たい感触……どうやら別の紙を持たされた。ずいっと引き戻し、ごつごつした指先のままペラリと翻す。驚いた事に、俺には全然読めない文面。成程、ヤシロには読めるんだろうな、この文字。
 俺はソレをヤシロに突きつける様に預け、レディに向き直った。
「何処の誰が翻訳したのさ」
「内緒」
「ふーん、ま、俺には関係無ェしな……」
 なんて云いつつも、キナ臭さに警戒しまくっている俺。
 この女、悪魔に人一倍キツいってのは聞いているが……《友好関係に無い半魔》に対してはどうなんだろうな。ダンテとは腐れ縁らしいが、俺達との縁は希薄だ。
 この事務所に潜んでた本当の理由が、未だ知れないし……何より、誘導されている気がして気分が悪い。
「で、あんたもマレット島に行くつもりか?」
「そうね、この事務所売っ払ったって、借金の半分にもならないもの。ちゃんと稼いで返してもらわなきゃ」
「魔界まで取り立てに行くってか、はは、怖ぇの」
 レディは流す様に答えたが……借金やらダンテの無事やら、それ以外の目的が有る様な気がしてならない。
 ヤシロを渦中に送り込むようなアイテムまで用意しやがって、誰にあれを渡されたんだ?
「しょうがねえな……俺もオッサンには一言云ってやりたいから、マレット島観光に付き合うとするよ」
「あらそう? ま、大人数で捜した方がダンテも早く見つかるでしょうし、良いんじゃない? 私も初めて行く処だしね」
 ダンテの行先がヤシロにも知れた今、こいつは止めても向かうんだろう。言葉も通じない国でどうやって? いや、こいつなら何とかしてしまいそうな気がする。それは信用じゃなく、漠然とした不安だ。半魔が欲望の為に路を踏み外す事例を、俺は知っている。
 ダンテははぐらかしているけど、薄々勘付いている。俺の親父という人こそが……まさに……
「おいヤシロ、さっさと行ってオッサンにパンチの一発でもくれてやるか」
 たん、と背中を叩いてやった。
 愛想の無い俺からの妙なスキンシップに、お返しの如く微妙な目でもするかと思ったが……ヤシロは凍り付いたままで。タトゥーの縁を滴る光が、ざわついて明滅している。
「……落ち着けよ、船着き場までは光らない方が良いぜ」
 ツノの生えた項を軽く揉んで、そのままフードを頭に被せてやった。夢から醒めた様に、ひとつふたつ瞬きをしたヤシロは、完全に金色を閉じた。フードの尖りがゆるゆるとしぼんで、タトゥーの光も徐々に鎮まっていく。
 擬態を終えたのか、とうとう事務所の薄闇に溶け込んだ。



 夜中のうちは雲が厚かったのか、月の光も遮られていた。
 真っ暗な闇を当て所なく彷徨う、そんな錯覚を抱きそうだ。
 潮の臭いに慣れたというか、嗅覚が麻痺してきた頃。ようやく水平線が見え始めた。
「いよいよ白んできたな。しっかし、本当に島なんてあるのか、それっぽいシルエットは見えないぞ」
 ボヤきつつ、船首に佇むヤシロの隣に腰を下ろした。チラリとその顔を見上げてみる……
 どうやら船酔いの心配は要らなかったらしい、不快感というよりは単につまらなそうなツラをしているだけで。
「よりによって、一番揺れる所陣取ってんなアンタ」
 海風にくすぐられた黒髪が、陸上に居た時よりもツンと立っている様に見えた。やっぱり癖毛なのか。
 そういえば、レディの外ハネも更にお転婆に仕上がってたな。当人は「潮風が肌に悪い」と、ここぞとばかりに女の様な発言をして、船室を陣取っている。
「まぁアレだよな、荒れた肌のケア費用を後で請求されても困るし……どうせ化粧品買うなら、キリエにやりたい」
 操縦係とレディの二名で既に密度が高い為、いずれにしても居心地は悪かっただろう。
 ヨソ者半魔であるヤシロが、レディと仲良く出来る筈も無い。俺だってあの女とは、なんとなくやりづらいし。
「つーかあの人、女だったっけ。はは、半分以上忘れてた」
 ヤシロ相手にどうでも良い事を零すのは、案外悪くない。オチも発展性も求められないから。
 それってつまり、人形に話しかけている様なもんだろうって?
 ちょっと違うな、要は気持ちの問題だろうけど。やっぱり無機物と有機物は違う。
「流石に女でデビルハントしてるだけあってゴツい得物持ってる、カリーナ=アンだっけ? パワーは有りそうだが、隙はデカそうだ。見た所バヨネットタイプだけど、あのナリじゃ剣にするよりゃ盾にしてた方が現実的だ……」
 船が掻き分ける海水のニオイが、此処では一層感じられる。成程、武器のお肌にも好くないって事か。
 俺は懐から愛銃を取り出して、少し具合を確認した。確かに、ちょっとばかりしっとりしている気もする。この短時間で塩害くらう程ヤワじゃないが、萎れた青薔薇は見たくない。
 ふと、ヤシロと目が合った。朝靄の隙間からギラリと輝く銃に視線が注がれている。
「ま、その点このブルーローズはクリアしてるぜ。狭い街中でも気兼ねなく使えるコンパクトさ、連装バレルによる破壊力、兼ね備えてるのは俺のカスタムの賜物。でも教団連中に云われてた通り《ゲテモノ》なんだろうな。一般人には使いこなせねえ、つまり世間様からすりゃゴミ同然」
 興味が有る……ってワケでも無さそうかな。物音がするからソコを見つめている、ヤシロにとってはその程度の事かもしれない。それとも、いつかのダンテが同じ様に見せびらかせたんだろうか。オッサンの二丁、エボニー&アイボリーを。
 黒と白を流れる様に撃ち分ける様は、ピアニストのソレに似ていた。被弾や跳弾にまでリズムが有って、ノリノリのダンテは相手をペースに巻き込む。口にしたくないが、強いってそういう事なんだろうな。
「アンタも、すぐに再生するクチだろ……そのカラダ」
 すっくと立ちあがって、俺は真正面にヤシロを見つめた。
 数日前、あれだけ市街でドンパチしたってのに、細かな傷のひとつも無い。俺も同様……
「この二連バレルから時間差で《表面破壊》する弾と、《内部貫通》する弾を、それぞれ発射するんだ。そうすると、俺やアンタみたいな中途半端なバケモノにとっても治りにくい、イヤ〜な傷が出来るんだ」
 薄笑いで述べると、肩眉を引きつらせたヤシロ。なんとなく理解出来ているんじゃないのか? 解かっていようがいまいが、俺はどっちでもいいけど。
「でも、アンタの炎も随分イヤらしかったよな。人様の使う魔法ってよりは、悪魔の扱う火だった。あの手の炎はさ、叩いたり消火剤振り撒いてもなかなか消えないんだよな……人にとっても厄介だけど、悪魔にとっても手痛い火だ。それをアンタは容赦なく放つ、悪魔に対しても」
 ブルーローズの冷たい肌で、ヤシロの額を撫でた。するともう片方の眉も、つられるようにして引きつった。
 銀色の銃身の中、仄かに金色が映り込む。
「俺達はきっと、途中から悪魔の仲間入りをしたから容赦が無いんだろうよ」
 あの手紙にあった文面から、コイツが元々は人間だという事は把握済みだ。なんだか一層、親近感は沸いた。
 ダンテは最初から半魔として産まれたから、それなりに矜持っていうかプライドも持てるんだろうさ。
 俺にとっては同じ半魔でも、ダンテよりヤシロの方が感情的に近い。……ま、ネガティブでどうでもいい感情なんだろうけど。同じ境遇の存在は、殆ど居ないし。
「あのオッサン、お前が想像してる以上にデリカシー無いからな? 云わなきゃ八割は伝わってない。仕事休んでピザ食ってればハッピーになれると思ってそうだし。前なんか『人間と悪魔が半々とか、ピザのハーフ&ハーフみたいでお得だな』とか云ってやがったんだ。俺がまだ……この右腕気にして相談しに行ってた頃だぞ、信じられるか? そのまま右腕で殴ってやりそうになった」
 一息に捲くし立てると、ブルーローズが震えた。ヤシロがくつくつと、堪えて胸を揺らしている。
 何だ、俺の妙な熱意が伝わったか? ダンテとは普通に会話していたし、コイツはやっぱり言葉を理解出来ている気がする。
 薔薇のレリーフに金色がキラキラと瞬いて、ブルーローズも英気を養ったみたいだ。するりと額から離せば、ヤシロはすぐにフイと顔を背ける。
 水平線はさっきよりも鮮明で、鳥の声も目立ち始めた。

 ――良かった……笑った顔、初めて見たから。

 幼い頃、キリエに云われた言葉が、海鳴りに混ざって聴こえた気がした。



 かつて「マレット島が在った」とされるポイントに着いた。
 島……というよりは、ほぼ残骸だ。瓦礫の山に、建物の名残りを残したオブジェが点々と聳えるだけの廃墟。
 運転士には一旦帰って貰った方が良いんじゃないか、と提案したが。船の手配をしたレディ曰く「心配はない」だと。船は個人所有によくあるタイプだったが、運転士自体は裏稼業に精通した人間らしい。
「ふーん、本当に大丈夫か?」
 俺は半信半疑を露わにしたが、黒いレインコートにフィッシャーマンキャップを深く被った運転士は、軽く手を上げ往なした。コートの立ち襟と帽子のせいか、面立ちは影になっていて見えない。デビルハンターへの協力者は悪魔に狙われたりもするから、普段から隠しておいて正解だろう。
 しかし本当に停泊して待たせるのか。当人が良いのなら、それで構わないが……一般人を巻き込むとあれば、今後の活動にも影響が及ぶ。何よりキリエが心を痛ませる、そういう事は極力避けたい。
「ん……どうした」
 操舵室へと身を乗り出していた俺を、背後からクイと引っ張る力。振り返るとヤシロが俺のフードを掴んでいた、そんなに急いているのか、まあ気持ちは分かるが……コイツにしては珍しいアクションだと思った。なんか、ガキっぽい。そういう事は避けそうなのに。
「大丈夫だ、あのオッサンは寄り道好きだし、案外すぐに合流するかもしれないぜ」
 あまり無責任な事も云えないので、俺は手早く装備の確認をすると船から降りた。
 レディが最後に運転士とやり取りをして、ようやく降りて来る。
「さ、行きましょ。地図は要らないわよね、多分ど真ん中に……目的地があるから」
 サングラスを直して、これから乱れるであろう襟を正すレディ。暴れるってのに真っ白なスーツで、しかもデコルテが大胆にはだけたジャケット。トリッシュが一時化けていたグロリアという姿も、露出狂かと突っ込みたくなる様な衣装を纏っていた。
 やっぱりキリエの様に清廉かつ禁欲的な雰囲気が落ち着くよな、と再確認をしつつ……隣のヤシロの視線が気になった。こいつ、デビルメイクライ関係者(女性)を直視出来ているのか?
 いっそ完全に視線を外しているかと思いきや、ヤシロの目線はレディを少しだけ逸れて更に向こうを追っていた。まだ船を見ている……やはり一般人を残していく事が気がかりなんだろうか。
 俺は教団騎士をやっていたし、他の連中はハンターとして商売をやっている。だからその辺の割り切りは、逆に大事だと知っているが。ヤシロは普通の学生でもやっていたんだろう、多分。
「気にするなよ……こういう界隈の奴は皆、自己責任で動いてるのさ」
 運転士を妙に気にするヤシロを、今度は俺が引っ張った。
 ダンテの事務所に立ち寄った際に着替えたヤシロは、インディゴブルーにホワイトのバイカラーパーカと、グレージーンズのコーディネートだ。俺が貸し与えた服よりも、最適なサイズ感。まあなんというか、分かり易い。きっとダンテに買い与えられたんだろう。ヤシロが自由な金を持っているとも思えないし。この上下のブランドは、確か事務所近くにブティックが在った。
 借金もロクに返さず、週休六日、毎日ピザ食って、居候には衣装を買い与えるダンテ……そう考えると、前を往くレディが若干可哀相な気もして、ちょっと笑いを噛み殺す。
 成程、そりゃ魔界だろうが取り立てに行くワケだ。



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