白んだ上空、全方位を見渡しても鮮明な地平は無い。
ターミナル酔いする悪魔狩人のせいで、この錆びついた荒野を歩く機会は多かった。
『しかしヤシロ様、この男の為に労力を割くのは賛同しかねます…』
一言発する際、俺の隣に躍り出た悪魔。
忠誠を誓う騎士に憧れて、罰ゲームで俺の配下になったヘタレだ。
「じゃあ、お前はもう引っ込める。ターミナルでショートカットするなら、エストマは要らない」
『そ、それは…』
用無しの烙印を避ける為か、今度はもごもごと沈黙したセタンタ。
こういう時の為のマフラーか?と詰りたくなるその仕草に、俺の心はささくれ立つ。
「おいヤシロ、鬱憤ならコイツ等で晴らしな」
背後からの笑い声、続いて何かの断末魔。
白い空に嫌に目立つ極彩色が、視界の端を掠める。
チンの群れも、今は怯える対象ですらない。
「邪魔なだけだ、更に鬱憤が溜まるだろこんな奴等」
「ハハッ、じゃあもっと強い悪魔でも探しに行くか?」
「そんな目的じゃないだろ…っ!」
チンのけたたましい雄叫びを掻き消す様に、俺は焔を吐いた。
傍らに控えるセタンタのマフラーが、熱波に靡く。
ほぼ無風に等しいボルテクスの地表に、風紋が作られる。
それを直後に崩しゆく、焼け焦げたチン達。
「ヒュウ〜なんだかアーティスティックなワイヤーオブジェに見えるぜ」
口笛を鳴らして、ヘラヘラと寄ってきた悪魔狩人がブーツの先でつつくソレ。
瞬く間に、ほろほろと崩れて白い砂地を濁した。
『貴様がヤシロ様に余計な手間を取らせているというのに、少しは謹んだ行動をしないのか!』
「こうして絡まれたってコトは、お前さんが気ぃ抜いたからだろ?エストマ切れてるの気付かないで、何ジロジロ見つめてたんだかな?」
『わっ……私は、主人の背を護る為に』
「それで雑魚に絡まれてりゃ世話無いぜ?」
この面子によるいつもの応酬に、俺は最早溜息しか出ない。
すると溜息が合図になったのか、セタンタが跪く。
『申し訳御座いません、ヤシロ様』
「謝罪してる暇が有るなら、さっさとかけ直してくれ」
『はい』
もごもごとマフラーの内で呪文が唱えられ、周囲の俺と悪魔狩人を、薄い何かが包む感覚。
多分、エストマは魔滅の光では無い。そういった類の力は、虚しい事に俺を苛むから。
「ダンテ、貴方も少しくらいはセタンタに感謝してやってくれよ」
「おいおい、お前こそ労わってやれよ。召喚者の仕事だろ?」
「俺は命令するのが仕事だから、こうして雇われの貴方にも命じてる」
スニーカーを片方脱いで、この道程による砂をさらさら落とした。
内側まで入り込んでくるそれは、海の砂より乾いていて、星の砂より更に白い。
「へっ、悪魔も泣きだすぜ?」
「そういう冗談は嫌いだ」
「申し訳御座いませんヤシロ様〜」
「そういう冗談も嫌いだ」
片脚立ちで砂を掃う俺の身体を、唐突にふわりと持ち上げる悪魔狩人。
横抱きにされるままジトリと睨み上げれば、微笑み返しを喰らう。
「こんな砂地で片脚なんて、やり難いだろ?」
「これじゃ履けないし、もう片方が脱げない」
憮然と吐き出せば、するりと圧迫感が消える感触。
足先を見れば恭しい手付きでセタンタが、俺のもう片方のスニーカーを脱がせていた。
『失礼を致します』
「勝手に脱がすな、命令外だろ」
『我等仲魔はヤシロ様の手足です、届かぬ際には代わりとなる事が務め』
尤もらしい口振りで、続けて脱がされる靴下。
素足の肌が乾いた空気に晒されて、久々のその感覚は存外悪く無い。
それでも、ふっと見えた爪先にまで迸る黒い斑紋が、どうしても俺の心を蝕む。
「さっさと砂掃ったら、履かせろ」
『はい』
言葉少なに命じて、再び爪先が覆われるまで口を噤もうと思った。
いっそ、セタンタくらい完全防備ならば肌が見えないのに。
…いいや、どうせ返り血や煤で薄汚れる。コインランドリーも機能していないから、着飾る事は無意味に等しい。
「おい待てよマフラー」
ダンテの声に、セタンタの動きが静止した事が分かる。
一瞬だけかすめた靴下の感触、揺れたマフラーの寒色。
「ちょいとこのまま運ばせろよ」
『何だと?』
「靴履かせたら、すーぐヒョイヒョイ躱されちまうだろ?裸足なら、潔癖なコイツはそうはいかないぜ?」
『お、おい…デビルハンター』
不穏な会話に、上体を起こそうとしたが時既に遅し。
抱きかかえられたまま、何故か運ばれる俺。
舌を噛みそうで、思った事を一息に発する事が出来ない。
「おい、ダンテッ、何、してんだっ」
「まだ目的地まで少し有るだろ?また靴に砂入っちまうぜ?それならこうして運んだ方が都合イイだろ」
確かに今回の目的地である新宿衛生病院までは、この荒野が少し続く。
それにしたって、こんな運び方は無いだろう。
俺もダンテも万全の体勢とは云い難い、万が一強敵に襲われたらどうするつもりだ。
『待てぇっ…待てっ…デビルハンター!貴様っ!』
追って来るセタンタまでもが、俺のスニーカーと靴下で両手を奪われている始末。
背負った槍がぐらんぐらんと揺れ動く様を見て、此方に追い付く可能性は低いと察した。
めくるめく視界、白い空と濁った建造物、時折紛れる悪魔の影。
ダンテはセタンタをかなり引き離し、俺が本気で走って辿り着くであろう時間の半分程で到着した。
入口扉は重い筈なのだが、ものともせずにブーツの先で開く振動。
フォルネウスも居ない今、侵入者である俺達を阻む奴は居ない。
二階廊下の硝子張りから、見下ろしてくる悪魔達の気配は感じる。
「こうしてのそのそ歩いてんだ、こりゃ水槽にも見えねえだろうな」
「そうだな…」
ダンテの発言に、思わず失笑した。
そう、再びこの病院で目覚めた後は、ダンテと此処を巡ったのだった。
二階の硝子窓から見る吹き抜けのロビーは、フォルネウスの泳ぐ水槽に見えて。
フォルネウスと目が合ったダンテは、釣りのモーションで挑発したのだったか。
止めろよ、と制しながらも、俺も確か笑っていた。
「二度目のフォルネウスは…雑魚だった」
「ハハ、そういや二度目の時はアイツ、マガタマ落さなかったな?」
「もう忘れた…そんな事」
マガタマの事は、時々本当に忘れている。
中に保持している状態が続くと、視覚情報として得られないのでまず存在が消える。
同時に、長い間入れ替えをしないと呑んでいる事実すら忘れる。
…いや、忘却したいだけなのか。
「オマエで押しな、ヤシロ」
云われるままに、エレベーターのボタンを押した。
開く扉に誘われるまま乗り込んだダンテは、階数ボタンの傍に寄る。
黙するまま俺が、屋上階を選んで押した。
やがて、ゆっくりと扉が閉まり、この肉体に圧がかかる。
「ダンテ、これでは酔わないのか」
「俺はあの景色がグルグルする感じがイヤなんだよ」
「じゃあ、俺がターミナルしか利用しないって云ったら、もうついて来ない?」
「ゲロ吐いてでもついてくぜ、覚悟しな」
「吐いたら俺に近寄らないでくれよ」
「ハ、冷てぇの」
停止したエレベーター、開いた扉の向こうは既に明るい。
屋上広間への出入口は、開け放たれたままだからだ。
射しこむ光は太陽ですら無いけれど、あの時、屋上を訪れた記憶が重なる。
「あの先公は居ねえな」
「居て堪るか、俺が今回…見放したの、知ってるだろ」
アラディアとかいう、よく分からない存在に憑依されていた。
痙攣する逆さ吊りの教師を思い出して、俺が吐き気を催した。
「俺がゲロ吐いても、ついて来てくれる?」
「ゲロるにゃちょうど良い場所に来てるぜ?」
ダンテのブーツの音と、微かな大気の流動を感じる。
無風のボルテクスだが、カグツチに近いほど肌を舐める様な感触が有った。
自身のマガツヒの疼きか…それとも地表や一部の存在から立ち昇る、霧の様なマガツヒによるものか。
いずれにせよ、本来の“風”では無い。受胎前の頃に感じた屋上の風とは、完全に別物だ。
「さて、到着した訳だが…どうする?ちゃんと立って見下ろすか?」
「まだ靴が無い」
「そういやそうだな、遅ぇなあのマフラー」
「貴方が速過ぎるんだろ」
「実はさっきトリックスターでキめたからな、ちょっとセコいけど」
「なんだよそれ…」
「駆けっこが速くなるおまじないさ」
ダンテの偶に云うジョーク?が俺には理解不能だったけど、心地が悪い事はひとつも無かった。
そう、本当は嫌いな冗談なんて無い。
俺に向けられた、俺の為に発せられた台詞の数々には悪意が無かった。
最初に出会って攻撃を仕掛けて来た時さえも、ただ遊ぶ様なその剣さばき。
銃弾は、確実に急所を外していたから。
「そのおまじない、カルパで追って来た時には使ったの?」
「ん、そういやそん時に使えば良かったな」
「なんだよそれ…手加減なのか失念なのか、知りたい所なんだけど」
「おぅ、どっちがいいんだ?」
「はぐらかさないでくれ」
「裏も表も似た様なもんだ、どっちだっていいだろ」
殺意が滲んだ剣は、一度だけ味わったけど。
それだって不完全だった…
首の皮一枚で繋ぎ止められた今に、嘆くべきか感謝すべきか。
「剣が鈍ったのは…俺に同情したから?」
悪魔狩人の銀髪が、カグツチの光を反射して眩い。
チラチラとうろつく光に妨害されるが、恐らく俺を真っ直ぐ見つめているブルーグレイの双眸。
「可哀想だから殺したかった?でも殺すのも可哀想になった?」
「な?どっちも似た様なもんだろ?」
「こんな面倒な奴に、どうして付き合うんだ……」
「死に損なった身なんでな、半人半魔の問題にはとりわけ神経質なのさ。ナーバスってヤツだ」
緩やかに撓む眼に、どう答えるべきなのか分からなかった。
まるで、俺について来れば死ねるとでも云う様な口調で。
それこそ、どこぞのマフラー悪魔を思い出す。
騎士に憧れるくせに、変質を怖れて今の形での滅びを待つ…あのヘタレ。
『こ、んな、所まで…っ……ぅわぁッ』
途切れ途切れの呼吸に、あらぶった悪魔の気配。
出入口の高さが足りずに槍を引っ掻けたのか、続いてつまずく音がした。
「噂をすればなんとやら、だな」
「俺はしてない」
「そうかぁ?頭ん中でイメージしてたろ。ほら、早いとこ靴履かせて貰え」
向き直るダンテに、脚がぶらんと揺らされる。
前髪とマフラーの乱れも直さず、セタンタはまたもや恭しく俺の爪先をいじる。
『はぁっ………デビルハンター、貴様、勝手が過ぎるぞ』
「主人の足を汚さずに目的地まで連れて来たんだぜ?寧ろ褒めてくれよ」
『貴様だけの主では無い!そのまま意図せぬ処に連行される可能性を考えれば、行かせるべきで無かった…恐ろしい』
マフラーの端で拭われる爪先は、フリンジがくすぐったい。
いい加減むず痒いので、セタンタの眉間を軽く蹴とばした。
「そう思うなら、さっさと俺の足を自由にしろ」
『は、はい、申し訳ありません…』
ダンテを罵倒する際は、猛犬の様な威勢で。
しかし俺を相手にすると、途端にマフラーの内側でモゴモゴと唱える。
その割には、俺を見くびって仲魔入りした…とんでもない悪魔だ。
こいつも、今となっては何故俺について来るのか、よく解らなかった。
俺の為に死ね、と怒号を吐き付けたのは、いつだったか…
『ヤシロ様、完了致しました』
終了の合図と同時に、ダンテの腕からするりと降りた。
屋上地面に接地してみれば、酷い違和感。指が折り込まれる様な、そんな。
見下ろせば、明らかに靴の姿勢がおかしい。
「これ、左右逆だ…セタンタ」
『あっ!も、申し訳御座いません!』
「もういい…勝手に履く」
都合好くフェンスも有るので、其処を掴んで立った。
履かされたばかりの靴と靴下を脱いで、正しい向きで放る。
「こんなロケーションで靴脱いで、まるで今から自殺でもする人間みたいだな」
傍らに立つダンテの声に、俺は心の奥が凍りついた。
それでも、努めて冷静に…返さなくてはならない。
「貴方等みたく、死にたがりじゃない」
失笑して、ダンテとセタンタを交互に睨んでやった。
「ハハ、そうだな。気ぃ引き締めろよ?」
靴で地をしっかりと踏み締める俺の背を、ダンテが叩く。
俺は、この場所に来た名目を果たす為に、フェンス越しに遠方を見る。
この狭い世界の中央へと、真っ直ぐに伸びるカグツチ塔がよく見えた。
あの塔を登る前に、もう一度此処からの景色を見ておきたいと…そんな理由で来たのだ。
『そういえば、何故此処に…?蔓延る悪魔も本当に野良ばかりですが』
セタンタは、偶に妙に勘が鋭い。
だからこそ、適当に流すダンテが良い緩衝材で。
「イイ景色だからさ、それでもういいだろ」
『…デビルハンター、貴様には訊いていない…っ』
「黙って尻尾振ってついていけよ、本望なんだろ?」
『わ、私は……っ…形に囚われず、変体せずとも主従の扱いをして下さるヤシロ様が、その』
「あーあ、じゃあアレだなぁ、そろそろお別れって事だから寂しいぞ〜オマエ。何せヤシロは人間に戻るんだから、な?ヤシロ」
全ての終着点である筈の其処を眺めて、勝手に言葉が唇から吹き抜ける。
「ああ…あの塔の天辺で、さよならだ」
胎の中のマガタマが、厭に疼いた。
一番の死にたがりは誰なのか?と、嗤った。
この蟲どもを棄てきれなかったその時に、俺のコトワリが決まるのだろう。
『ヤシロ様がそんなにも焦がれるとは、やはり“人間”は素晴らしい生き物なのだ…』
「さて、どうだかな?しかしオマエ、形じゃないとかさっき云ってなかったか?」
『私は共感を唱えただけで、この御方の形はどうあっても良い』
「ハハッ!マフラー、涙と鼻水でぐしゃぐしゃにするんじゃないぞ」
『だっ…から貴様は…っ!』
背後でいつもの応酬をする、悪魔を狩る半人半魔と、同族嫌悪のヘタレ悪魔。
割と居心地の良い面子だったな、と思ったけど、言葉にしない様に踏み止まった。
いつかのさよならの為に、揺るがない様に声を殺して。
フェンス越しの白銀の太陽を、暫くやぶ睨みしていた。
-了-
MELLの「さよならを教えて」より
戸川さんの方でなく、エロゲの方です(戸川さんの方で書くとしたら、ライドウ寄りな気が…)
屋上に靴を揃える描写から連想して。それにしても矢代は、悪魔相手だとライドウより高慢な素振りが目立ちますね。ライドウと違って自覚薄そうです。
胎掻っ捌いてマガタマを摘出する事とか、コトワリ自殺の事とか、既にぼんやり考えている段階で…