人生美味礼讃
『おい、我の鰹節を知らぬか?』
読書中の僕の肩に飛び乗り、耳元で聞くゴウト。
「存じませんね」
肩から振り落とすかの様にして、卓上の珈琲に手を伸ばす。
『おい、恐らくあの戸棚の中なのだが』
「…」
『おい、我の身体が何か知っておろうが』
「…今、結構良い場面だったのですがね」
やれやれ、と立ち上がる僕。
広げた本をうつ伏せにして卓上に置き、ゴウトの視線の示す棚に向かう。
がた、と木作りの棚を開ければ…
「…おいおい、これまた乱立しているね」
調味料・漬物・料理酒…
人修羅が来るまでは、有り得なかったこの光景。
『おい、我の鰹節は…』
「ああ、これですか」
削り器と一緒に置かれたそれ。人修羅が偶にゴウトに削ってやっているのを見る。
僕はそれが面倒なので、その枯節を持ってソファへ戻る。
背凭れに引っ掛けてある装備一式から、すらりと抜刀。
『お、おい?』
どもるゴウトを無視して、宙に放った枯節鰹。
それを刀で弄ぶ。
『わ!おい!ふざけるなよお主!!』
「ご馳走の山なんて、夢の様ではないですか、フフ」
荒削りの鰹の屑が、黒猫の上に降り注ぐ。
下手に動けば刃先に当たりそうなゴウトは、動けず埋もれていく。
『誰が片付けるのだこれは!!』
「あはは、さあ?」
『おい!ライドウ!夜!!』
いい加減鰹臭いので、怒鳴るゴウトを背に僕は事務所から撤退した。
先刻読んでいた本も、良い所で途切れてしまった…
別のを読み直そうと思い、自室へと階段を上がる。
詩集は最近飽いてきたな…恋愛物も売れ筋との事で購入したが、よく解らぬ。
何より…人修羅が屑金で集め始めている“調理指南”の本が
最近幅をきかせており、実に癪だ。
「僕の本棚だというに」
がたがたと引き出して、端へと追いやっていくと…違和感。
そういえば、こんなに手前に背表紙が来ていたか?
ハッとして本を抜き取っていく。すると、奥に空間。並ぶ小壷・瓶。
「功刀いっ!!来い!今来いすぐ来い!!」
下層へと怒鳴る。
僕の本棚の奥は、勝手に漬物市場にされていた。
「君、どうして自身の舌がいかれているのに食に拘る?」
「いってぇ…」
頬をさすり、殴られた不満を漏らす人修羅。
「僕の領域まで侵さないで頂きたいのだがね?」
「あそこ冷暗とか最適だったから」
「聞いている?君?」
向かい合って座るソファ。机の下から伸ばす脚で、彼の甲を踏みにじる。
「っ…!おい、なら俺からも云わせてもらうけど…」
「何?言い訳かな?」
「俺の漬物の一番の消費者、あんただけど」
…なんだと?
「覚えが無い」
「いやいや!何が覚えが無い、だ!あんたかなり大飯喰らいだろ!」
「動いた分を摂取している、MAG的にも」
「意味が解らない、ちなみに一番好んで喰ってるのは芽キャベツの漬物」
「…」
「売ってないから、俺の持ってきた苗から栽培してんだけど?」
「…なんだい?その恩着せがましい物云いは?」
「は?逆切れか?芽キャベツもう喰うなよあんた」
「云われなくても、そうする」
明日はクイーンメイブ絡みの依頼が入っている。
あの悪魔が居るのは人修羅の界隈なので、それについて促して、就寝。
全く…奴め、僕が調理については好きにさせているのを良い事に…
寝間着の端を食み、苛々をそのままに意識を暗転させる。
「おはようございます、鳴海さん」
「おっ、早いね〜矢代君!」
朝のやり取りをする人修羅と鳴海所長。
「いただきます」
着席して箸を持つ僕に、鳴海が云う。
「おいおいライドウ!朝の挨拶はいただきますじゃ無いぞ〜」
「はいはい、申し訳ありませんね」
白米、味噌汁…具は油揚げで無い点は、まあ、悪く無い。
そして、塩見と薬味が利いたものを、ぼり、と咀嚼する。
と、向こうの調理場に立つ人修羅が、此方を見ている。
その蜜色の眼で、僕を見て…ニタリと笑った。
「…何」
云い掛けて、箸が止まる。
もうひとつ、と、摘まもうとしていたそれは
芽キャベツの漬物。
「…ッ!!」
ガタリ、と椅子を鳴らし、立席。
そんな僕を見て、向かいの鳴海がへらりと笑った。
「おいライドウ、残り喰わないのか〜?」
「…依頼が押してるので、もう行きます」
「お前が残すなんて、珍しいな?んじゃ残りのそれ、も〜らいっと!」
その台詞に、妙に怒りを覚えた僕は
箸で芽キャベツを摘まみあげた鳴海に、大股で寄り
その箸先が鳴海へと向く前に、顔を寄せて喰らい付いた。
「おわっ!?」
急な僕の動きに、肝を抜かれた鳴海が身体を引かせている。
バリバリ咀嚼して云う。
「行って参りまふ、鳴海さふ」
乱暴にホルスターと外套を掴み、事務所扉へと向かう。
くぐもった笑いを必死に堪えている人修羅が、腹立たしかった。
ああ、あいつのあの顔!
ボルテクスですら見た事無かったぞ、あの何とも云えない表情。
依頼から帰るライドウが、怖くないと云えば嘘だが、これは可笑しい。
と、事務所の扉が開く音が下からする。
ああ、帰ったか…
俺は、自然と身体が強張る。
少しのダメージは、もう覚悟済みだ。
がちゃり
この、ライドウの部屋の扉が開けられた。
「ただいま功刀君」
「…あ、ああ」
「お土産が有るのだけど、どう?」
ライドウが外套下から取り出したのは、瓶。
「…酒じゃないのかそれ」
「蜂蜜酒だから君も飲めるよ?」
そういう問題じゃ無いだろ、と突っ込みたかったが…
否応無しに、晩酌会へ連行される。
「…甘い?」
「醗酵が進んでいないからね」
「…ふ〜ん」
意外と、美味しい?俺のいかれた舌でも、何故か判る。
卓を挟む向かいのライドウは、相変わらずぐいぐいと呑む。
その、薄赤の、少しだけとろみのある液体。
ぼんやりと、頬が火照る。
この男…苛々していると思っていたのだけど、そうでもないのか?
「ライドウ、依頼どうだったんだ…」
「ばっちりだが?百点満点中、百二十点」
「はあ?あんた酔ってんのか?」
「ふふ、いやこれ、中々美味しいのでね…」
「そ…いえば、コレ、どうしたんだよ?依頼の報酬?」
確かに、魔的な美味しさを感じる。
嘘の様だが、俺の手はおかわりを注いでいた。
「ああ、コレの出処、知りたい?」
口の端を吊り上げて、ライドウが哂う…
「これね、クイーンメイブから頂いた」
「えっ、悪魔からの物かよ」
ぎょっとして、俺は熱い頬を冷たいグラスに当て冷ます。
「良いマヴ(蜂蜜酒)を呉れるからね…見る?」
いきなりそう云って、ライドウはごそり、と、傍の荷を探る。
そのまま管召喚。
『お呼びで?フフッ…ライドウ様』
「シラフの貴女を呼んでしまい、申し訳無いね、女王」
座るライドウは、自身の膝上に召喚して、クイーンメイブを横抱きにしていた。
思わず俺は怒鳴る。
「それ以上密着するなら俺の見えない範囲でやってくれよ!」
この男の手の早さは、見ていてヒヤヒヤする。
「功刀君、今から見せると云っているだろう?」
「は?何…」
「今呑んでいるコレの、とっておきの隠し味…教えてあげるよ?」
哂うライドウ。その指先が妖しく蠢く。
ゆっくりと、クイーンメイブの胸元をまさぐってから、谷間、胎へと流れる。
「っ、おい」
俺は耳まで熱くなる。
と、ココでライドウが一際哂う。
ずぐり、と潜り込ませる指は…明らかに、秘部。
驚き、声も出ない俺。
こねくり回すライドウは、慣れた表情。
能面の女王が身体をくねらせる。
思わず席を立った俺に見せ付けるかの様に、奴は指を抜き取った。
粘着質な音は当然だった、その指は血塗れ。
「それ、傷になってるんじゃないのか!?そんな血が出るまで…っ」
「違うよ、これ…経血だから」
「…は?」
「だからぁ、月経の時の血、だよ…フフ」
そう云い放つライドウは、俺を愉しげに見つめた。
「クイーンメイブは…自身の経血入りの蜂蜜酒を、多くの夫達に配る…」
「…!!!!」
「知らなかった?調理より、悪魔の勉強をしておくべきだねえ?功刀君」
こみ上げる…胃から、逆流する!
「う、ぅげぇッ…」
卓に指を掛け、蹲り吐き出す俺に、ライドウは、俺を見下して云う。
「この世に食せぬもの無し」
べろり、と赤い指先を舐めて、クク、と哂った。
-了-
ライドウ曲として薦められたALI PROJECT 『人生美味礼讃』から。
クイーンメイブはそうらしいですよ(wikiより)
食む事が大好きなライドウ。
人修羅は悪魔より献立で頭が一杯
…ライドウ、やっぱり怒っていたのか(笑)酷い仕返し。