催涙雨に溺れる僕
「酷い雨」
まさか異界にまで影響するとは思わなかったのか
傍の人修羅が軒下で呟く。
「現実界の方が主軸なのだから、当然と云えば当然だろう?」
学帽の露をひと掃いしてから、かぶり直す。
それでもつばに垂れる雨雫が、周囲の光を取り込んで落ちた。
「あのオバリヨン達、こんな天候でもあれ、飾るのか?」
着物の裾を絞って、ポタポタと地面に水を呑ませる人修羅。
云いながら訝しげに僕を見た。
「依頼してくる程なのだから、飾るのだろうさ」
「好きだな、子供ってああいうの」
「おや、君とてせがまれて書いていたではないか」
七夕の短冊を“色が足りないから”という理由で書かされていた人修羅。
笹に揺れる短冊飾りは、人修羅のものだけ白い短冊で
異界の暗がりに浮き上がっていた。
当然見せては呉れなかったが。
「さあ、依頼も済んだ…探偵社に戻り、報告書をあげねば」
「ハッ…依頼品の笹を渡しましたよ〜、とか書くのか?」
嗤って小馬鹿にする様な物言いの人修羅を、納刀してある鞘で打つ。
ホルスターに下がったままのそれを脚に打ち付けられ、人修羅は呻く。
「くっそ…七夕は嫌いなんだよ」
痛みからか、何か思う所があるのだろうか、人修羅の呟きは
雨音に消えた。
零れ落ちる星の夜空。
「やぁ〜くん?」
軒下、まだ真新しい床板にころりと寝転がる子供が
声に反応して、むくりと起き上がる。
「ささのは!!」
まだ金色では無いその眼を輝かせて、そう叫んだ。
「そうですよ〜笹の葉さ〜らさらですよぉ〜」
視界によぎる緑は、その子供に向けられて揺れた。
「あ、あめだ〜………これだとあえないんでしょ?」
はしゃいでいた子供が、星光を隠していく空を見上げる。
しとしと、庭の芝を濡らし始めていた。
この視界の主が、そのしょげた様子に、鮮やかな色を差し出す。
「でもお願い事は書けるよ?索餅も食べたし、気分は七夕よ?」
「さくべいすき!またつくって〜おかあさん」
「食べんの好きねぇ、花より団子ねぇやぁくんは」
桃色の短冊に、子供にしては流れる様な文字を綴る子供。
やや間があって、見上げてくる、子供の顔が曇った。
「…おかあさん、どうしてないてるの」
罪を犯したかの様に、子供が震えて呟く。
「ごめん、ごめんねおかあさん、ぼくまちがえちゃった?ねえ!?」
咄嗟にその短冊をくしゃくしゃに丸めて、飛びついてくる子供。
視界が歪んで、揺れた。
「もう、たなばたイヤ…っ!!ねえ、もうなかないで、ふぇ、ふぇええええん」
「…マザー・コンプレックス」
寝苦しさに瞼を開け、そう呟いた。
傍に寝る人修羅は、案の定うなされている。
無意識の内に、彼の夢を読んでしまった…
「おい、イヌガミ…就寝中は、索敵だけにしろ…」
まだ寝起きの擦れた声で、そう命令する。
近くの管が一瞬光って、少し蠢いた。管に帰還したのだ。
「…功刀君………」
あの簡単な報告書をさっさと終わらせて、コレの身体検査をしていたのだっけか。
嫌がるので、毎度無理矢理叩き伏せてから、各部を点検する。
魔力に偏りは無いか…角は伸びていないか…斑紋の脈動の間隔…
セコハンに撮り、記帳する。
精神状態の記録の為に、様々な問いを投げかける。
(いつの間にやら、寝てしまった…か)
疲れている訳でも無いのに、人修羅との会話にうつらうつらとするなんて。
気を抜き過ぎでは無いか?寝首をかかれる可能性とて捨てきれぬのに。
「しかし…記憶をだだ漏れにするなよ、露出狂め」
寝台に腰掛け直し、汗ばむ人修羅の顔を見た。
「桃色の短冊では、叶うものも叶わぬよ?ククッ…未来人らしい事で」
五行の色が短冊の色なのに…しかし索餅を食べる点は古めかしい。
母親の視点だったのは、人修羅の深層意識がさせた事だったのか。
「子供故の残酷さで、君は罪を犯したのだねぇ…」
馬鹿な君を見下ろして、あの瞬間、綴られた言葉を反芻した。
“おとうさんにあいたい”
泣く母親を見て、七夕を嫌いになったか。
歳を経て、ようやく己の罪に気付いたか。
「あぁ、暑いな…」
窓硝子に水滴が光っている。まだ雨は止まない様子だ。
立ち上がろうとすると、くい、と引きとめる力。
「待っ…て…」
人修羅が、僕の浴衣の裾を掴んで呻いた。
「置いてかないでぇ…っ…」
夢の中の母親に置いていかれたとでも思っているのだろうか。
彼の意識は覚醒していないのに、指が掴んで離さない。
その指を、一本一本剥がして、その耳元に囁く。
「雨だから、大丈夫さ…何処にも行かぬよ」
人修羅の握り締める対象を、寝台のシーツに置き換える。
学帽と煙草を持ち、部屋を出た。
湿った廊下の階段を上り、重い扉を開ける。
土の匂いが漂い、薄く雨が舞い落ちる銀楼閣の屋上。
高みから、未だ人影の無い街路を見下ろして煙草に火を点けた。
学帽のつばが、小雨を掻き消して火を護る。
「……この夕降り来る雨は彦星の…早漕ぐ船の櫂の散りかも」
知る歌をひとつ呟き、吸う毒で身体を冷やした。
ぼんやりと、記憶を溯る。
『ぅあああああ夜様ぁあああ!雨ですよ雨ッ!!』
「だからどうしたよ」
『コレでは空の二人は逢えませんよ!!年に一度の逢瀬すら駄目とは!』
煩いタム・リンを退けて、悪魔の系譜を清書する。
この属と、この属をかけ合せると、この力を引き出せる…
この悪魔の性質は…
滑らせる筆先、それが突然違う紙に移った。
横を見れば、甲冑を縮こまらせた騎士が、にんまりとしている。
『そんなお勉強ばかりしてると馬鹿になってしまいまする』
半紙の上に重ね、横入りさせてきたのは短冊。
「おい!リン!」
『ささ、夜様もお願い事、綴られては?』
もう怒りすら馬鹿らしくて、哂って返してやる。
「笹に吊るしたところで、僕のなんざ破り捨てられるに?」
他のガキ共が、狐が願掛けするなんて可笑しいの、と馬鹿にする。
絶対、そんな真似したくない、見せたくも無い。
「此処の七夕なんざ、所詮一般の形式を学ぶ為のだ、処世術だわ」
銀髪の騎士を云い包めて、少しは気分が良くなった。
が、この悪魔は引き下がらない。
『だったら!一瞬でも飾り立ててやりましょう、ねぇ?』
着物の衿をぐい、と掴まれ、小雨降りしきる屋外へと引かれていく。
「ざけるなお前っ、誰の悪魔か分かってんのかッ!放し!!」
わめく僕を無視して、笑顔で槍をその手に現すタム・リン。
家屋から離れた位置の密集した笹を、その刃先で刈り取った。
『お待ちあれ』
雨粒を弾き、跳躍したと思ったなら、次の瞬間には社の上に。
その上で何やら細工したのか、せっせと動いて叫んできた。
『此処なら誰にも見られませんよぉ〜!!』
呆気に取られて、その声をぽかんと聞いていた。
『雨が上がる頃には、短冊の墨も落ちましょう、ね?』
ようやく僕の眼の前に戻って来たタム・リン。
『貴方の願いは、雨が護ってくれましょう』
「…上の二人が逢えんのに、なかなか身勝手じゃん」
『催涙雨とて、利用出来るものは利用してやるに限ります!』
「……クッ、ククッ、流石は僕の悪魔じゃん…」
この陽気で陰湿な色男が、僕を愉しませてくれた。
だから、この悪魔にだけは、見せてやっても良いかと思ったのだ。
社の上の笹箒に、僕の短冊が揺れる。涙に打たれて。
「リン……雨垂れに願いは護られようか?」
指先の煙草を、呟いた唇から離した。
出入り口の雨避け下、缶に吸殻を落とす。
管数本を帯に挿し
刀と銃のホルスターを、浴衣の上から腰に巻く。
外套を雨合羽代わりに羽織って、銀楼閣を出た。
異界でも、やはり雨は続いていた。
オバリヨン達が立てた笹、軒下で短冊化粧も艶やかに佇む。
白い短冊を、視線が勝手に追う…
人修羅の綴ったそれを見つけて、指先に取った。
「……く、くくっ」
何が書いてあるのか、何が願い上げられているのか。
溯る記憶に触発されて、思わず見に来てしまったが…
そこには、見覚えのある言葉が在った。
“人間に成りたい”
その願い。
幼い僕が、昔、たった一度だけ吊るした短冊の言葉と同じだった。
可笑しくてしょうがない。
「ふ、あはは、この涙の中、果たして天に届くかな?人修羅よ」
哂いながら、雨に躍り出た。
この界隈の悪魔は、皆僕を恐れて、依頼でもなければ寄って来ぬ。
そんな僕が愉しげに雨にステップを踏めば、畏れて掃けた。
ああ、可笑しい。
雨よ、もっと降りしきれ。
振り返り、遠くなった笹に向かって銃を抜く。
「そんな願い、叶って堪るか」
白の短冊を、撃ち抜いた。
数枚の葉と落ちていったそれは、地面の方に流れて、泥濘に消えていく。
「君が人間に成ったら、僕の負けという事だろう?」
驚く程、冷ややかな声が出た。
それに満足して、異界の雨を浴び帰路に就く。
「そんなの、赦すものか」
雨は僕の尊厳は護ったが、やはり叶えはしなかった。
溶けて逝く願いは、天に昇れない。
「君だけ叶うなぞ、赦すものか…」
涙を降らせる為なら、天人を嬲ってでも泣かせてやる。
君の希望を、僕の手で引き裂いてやりたい。
静かな部屋に戻る。
やはり湿気て、暑い。夜夏の空気。
汗が少し引いた人修羅の傍に、寝そべった。
きっと起きたら、何故傍に寝る、と憤怒する事だろう。
雨に濡れ冷えた身体を、新しい麻の浴衣で包んだ。
雨音が窓を叩く音は、人修羅の流す血が床を叩く音にも似ている。
「矢代、お前が人間に成ったら…」
この湿った関係も潰えるだろう。そんなの、つまらぬ。
「もう少し、遊ばせておくれよ…僕が皇になるまで、さぁ…」
もう眠くて、何を口走っているのか、自身でも怪しかった。
「僕の悪魔…そのままで………」
意識が暗転していく。
夢の中で、タム・リンが微笑んでいる。
『ほら、雨は貴方の願いを護っているでしょう?』
血の雨に身体を染め上げた僕は、微笑み返した。
今の願いを、確かに護っている。
夕闇の涙が、子守唄となって、僕の囁きは…
雨音に消えた。
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
七夕SS。
雨の七夕。
人修羅の願いを叶えさせたくない。
ライドウの湿った依存。
狐から人間に成りたかった自身を棚に上げて。
過去の己を棚機祭り。