驕る人間共の塔を崩す事は、ワケ無ぇ。
言葉の分解…意志疎通の妨害…
幾つかの言葉で別たれた人間達、疎通も出来なけりゃ発展も無理ってモンだ。
そう、“人間”は。
『全地は一の言語一の音のみなりき』
カグツチ塔のハイキングで、その一文を思い出した。
隣り合って登るお前と、言語以上に通じ合っている気がしていた。
Sympathy for the Devil
「悪ぃが、ウェルカムドリンクは無いぜ、万年火の車なんでな」
老紳士…といった風情だ、おまけに付き人まで連れてやがる。
つっても、その従者の女性は、まるで葬式帰りみたいな喪服とベールだったが。
来客用の椅子は勝手に退けてもらい、其処に車椅子を着けて向かい合う形になった。
老いてしわがれた指で、デスクにスルリ…と、何かを出す。
一枚の写真だ。
もっと近くで確認する為に、俺もピザの箱を脇に滑らせた。
「何だこのガキんちょは、御孫さんかい?ちっとも似てねえな」
それが、カメラで撮った写真かも怪しい。
不思議なピントだ、そう、魔的な何かが滲んでやがる。
生き物に宿る“エナジー”を可視したピント。
「デビルハンターダンテ、貴方の噂を聞いて、我々は遥々此処を訪ねたのです」
「そりゃどうも、特注したネオン看板だ、目立ってるだろ?」
「目立つだけで、火の車の潤滑油にはなっていない様子で」
「おいおい云うじゃねえか、満員御礼なら、アンタ等の依頼も順番待ちになるところだったんだぜ?」
従者はベールの下で、随分と人を喰った口をききやがる。
僅かばかり見えているが、本当は大口なんじゃないのか?まるで、悪魔みたいな。
「では、次の用件が入る前に簡潔に済ませましょう」
「心遣いありがとよ、ちなみに次は無いぜ。一週間先にでも入りゃ御の字だ」
「この悪魔を始末して頂きたいのです」
思わず訊き返した。
「悪魔?」
出されている写真には、パーカ姿の少年しか写って居ない。
人間に化けているとしたら、随分と用心深い悪魔だ。もっと、強いイメージの強面に擬態すると思うが…却って喧嘩を売られ易い。
こういう人畜無害な風に化けて、日なたに生きてるのがバレないコツだ。
「ハハ…ッ、爺さんのその杖で殴っても、打ち所が悪けりゃ殺れそうじゃないか」
「見目は普通の虚弱な人間ですが、恐るべき力を秘めし存在なのです」
「秘めてる?それなら開放しないまま、くたばってくれりゃ害は無いだろ」
「以前、この街にテメンニグルが建った時の様に……」
その単語に、俺の目元が引き攣った。
よく調べてるじゃねえか、何でも屋に対して身辺調査かましたのか?変な客。
「いずれ悪魔の世界と人間の世界の境目が揺らぎ、この少年…いえ、悪魔は目覚める他、無くなるのです」
「またおっ建ててくれるのかい?止めてくれよ、白昼堂々と。こちとら昼っぱらから暴れるのは疲れるんでな」
「トウキョウに向かって頂きます、デビルハンターダンテ」
有無を云わさぬ口調。ジュークボックスの前、バチバチと空間が歪み、火花が散った。
俺は溜息して立ち上がり、壁に掛けてあったリベリオンを撫でる。
「とりあえずジュークの弁償代くらいは報酬あるんだろうな?」
振り返り問えば、車椅子の老人がうっそり笑った。
ソイツは、結局一言も発する事は無かった。
「ダーンテー」
事務所のドアを勢い良く開けると、私の呼びかけにウンザリした顔をするダンテを、まず拝むの。
今日もそのつもりだったけど、残念、一階には居ないみたい。
「居ないのー?週休六日の怠惰な大人ダンテさーん」
唱えつつ、たしたしと階段を上がる。
と、足を止めた。そういえば、二階には病人が居るんだっけか。
結局こないだ見れなかったけど…どの部屋に寝ているのかは知ってる。
その例の部屋の前、まるで行き止まりに遭遇したみたいに立ち往生。
(ちょっとくらい、いいよね)
一体どんな人をダンテが看病してるのか、ずっとずっと気になって、まあ夜は眠れてたけど。
ドアノブを、ぎゅうっと握って、そうっと動かす。
音を立てない様に、慎重に…慎重に…
ん?でも慎重に開けていってバレるより、一瞬でガバッと開けて確認してスグ閉めちゃった方が確実かしら?
“欲しいモノはね、その場で手に入れるの、チャンスを逃さないのがイイ女ってもんよ”
手持ちが足りなくて、新作のライダースジャケットをツケで払ったレディを思い出した。
もちろん、ダンテに請求が行くのだけど。
(そうよね、女は度胸!)
ひとつゴクリと生唾を呑んで、思いっきり開け放った。
白い清潔そうなベッドの上、確かに人の形が寝そべってる。
「え…っ」
でも、妙な色と模様にぞくりとして、思わず声を上げてしまった。
ドアを開けた音に開眼した眼は、金色で。
その眼の上下を伝う様に、黒いタトゥーが入ってるの。
バタン、と咄嗟に閉めて、階段を駆け下りた。
もしかしたら、とてもマズイ事をしたのかもしれない。
ダンテの客人なら、ソッチの人の可能性がある……
(悪魔?)
でも、トリッシュみたいな悪魔も居る事を知っている。
人間に害をなす悪魔を、ダンテは見過ごさない。
(大丈夫、大丈夫……襲ってくるなんて、多分、ううん絶対無い)
下りた先で息が上がって、胸に手を当て落ち着くのを待つ。
マドラスチェックのブルーが揺れた、そういえばこれもレディのライダースジャケットと一緒に買ってもらったんだっけ。
ダンテのツケだから、一応お披露目してやらなきゃ、と思って巻いて来たんだった。
胸元の手を外して、駆け下りた際に乱れたそれを直そうと手をかける――…
と、布地の感触じゃない。
ひんやりとしてる、けど、息づいてる。
私の指を伝う、人間の指の形。やんわり首を絞めてくるみたいに、背後から。
『 』
聴いたことの無い言葉だった、でも、声音で直感的に感じたの。
疑問系、何かを問い詰められてる。
言葉が通じないと思った瞬間、勝手に抱いていた希望が掻き消された。
会話出来ない悪魔は、恐怖の対象にしかならないから。
「い、いやッ…!!」
足が一瞬竦んだけれど、もう何回か修羅場は潜ってるもの、なんとかなる、多分。
事務所の短い距離を駆けて、入口のドアさえ開け放てば生存率は上がるわ。
得体の知れない指に噛み付いて、振りほどく。
小さく喉を鳴らした後ろの気配を感じる、そこから夢中で離れる為に走った。
ドアの取っ手に指を伸ばす、でも、投げ出した重心が一気に反転した。
首が絞まる、後ろに引っ張られてる。
反射的に、悪魔の名を叫んだ。
「ダンテェッ!!」
悪魔から逃れる為に。本当現金よね…解ってる。
それでも、ダンテは助けてくれるって。
「…おい、何ビビってんだ、少年?」
ナイスタイミングで開かれたドアに、思わず口角が上がる。
開け放たれたそこに立つダンテが、背中のリベリオンに手を掛けていた。
そのシルエットが逆光で浮かび上がると、首の窮屈さは消えた。
背中からリベリオンを抜いたダンテが、それを構える。
「しゃがんどけ!パティ!」
声の通りに、床に倒れこむ様にして這いつくばった。最近ダンテに任せっきりだったせいか、埃っぽい。
そんな事を瞬間的に考えていると、頭上を風切り音が通過していった。
続いて、壁に何かがぶつかる様な、めり込む様な、そんな衝撃音。
床に手を着いたまま、振り返ろうとすると。
「R指定だぜ?」
ダンテが見下ろした私に笑ったけど、気になってるんだからしょうがない。
止まらずに上体を反らして、振り返る。
「わ…」
もう何度も見てきたから、ちょっとやそっとのスプラッタじゃ怖気づく私じゃないわ。
と思ってたけど、標的が人間の形をしているから、背筋が凍った。
「寝惚けてんのか、ヤシロ」
今のダンテが呼びかけた単語は、名詞なのかしら。
だとしたら、壁にリベリオンで縫い止められてるその悪魔…?の名前は…
「ヤシロ?」
「おい帰れよパティ、どうせ家政婦ごっこでもしに来たクチだろ?」
「この床じゃあまた掃除必要でしょ?」
「ガキに血生臭い掃除させる趣味は無ぇんだよ」
壁に歩み寄るダンテの後を追うと、ふんわりコートがなびいてるのが判った。
見た目にはサッパリだけど、こういう時のダンテは悪魔の力を滲ませてるのを知っている。
「ねえ、死んじゃったの?」
「死んじゃいねえ」
「ねえ、この人悪魔?ダンテのお友達?」
「お前今“人”っつったじゃないかパティ」
「だって…外見は人間じゃない」
ダンテもそうだけど。
「…悪魔じゃあねえ、な」
「人間?」
「ソッチも違う」
「何よソレ」
「自分のオツムで考えな、宿題だ」
「意味分かんない」
胸元から、ぐっさり。
手足をひくんひくんさせて、ダンテのお友達?のヤシロがゆっくり眼を開いた。
でもその眼は、金色じゃない……
そういえば手足も、顔にだって、黒い線は無い。
「見間違えたのかなあ」
「何がだよ」
「さっき見た時は、体のあっちこっちに黒い模様が浮かんでたの、眼も綺麗な太陽の色してた」
「あ?月の色じゃねえのかよ」
「金色って太陽でしょ?」
「いんや、月だ」
ふんぞりかえって云うダンテが、リベリオンの柄に指を引っ掛けた。
少し傾いた剣を伝って、赤い液体が切っ先から柄頭に降りてくる。
グローブまでそれが来たのを見計らった様なダンテが、小さく笑った。
「お前、血ぃ貰った時の事忘れてんのか?夢と勘違いでもしてるとか?」
更にぐぐ、と柄を下げるから、傷口が開いてるのか、ヤシロが呻いた。
「ねえ、痛そうだけどダンテ…やめなよ」
「痛くしてんだよ。よく確認する時に抓るじゃねえか、頬」
「じゃあ頬にしてやりなさいよ」
ずるる、とリベリオンを抜くと同時に、赤いソレが噴出する。
身体に掛かる、と思って一歩大きく下がったら、ダンテがコートで私の前を塞いでた。
赤い肩に背負い込む様にして、ヤシロという生き物を抱え込んでる。
「お目覚めか?」
『……ッ、ゲホッ、ゲホ』
身じろぎしたと思ったら、咽てまた血を吐いてた。弱い悪魔なのかしら?
ダンテのコートに伝う赤は、馴染んで境目も判らなかった。
「でも、ダンテも無茶苦茶よね、止めるにしたってもっと優しい方法あるでしょ」
「お前、助けてもらってそのセリフか?」
試着室のカーテンが開くと、ダンテより早く私が目を向けた。
「あれっ、本当だ」
「ホラ云ったろ、もうワンサイズ下って」
「どうして分かるのダンテ」
「抱き心地でんなモン分かるさ、細っこいって」
ヘラッと笑って、ハグのジェスチャーをするダンテに、ヤシロが小さく叫んだ。
なんか、否定した言葉を云ったみたい。
「文句云うなら、俺のダボダボの服でも着てるんだな」
云いながら、洋服代を店員に渡すダンテ。おかしいわ、レディに渡すのはあんなに渋るクセに。
「それにしても、靴も無いなんて……一体どうやってデビルメイクライに来たの?貴方」
首を傾げて問いかけたけど、ヤシロは困った顔ばっか。
なんでダンテの言葉は聞き取れて、私や他の人の言葉は分からないの?
「そいつの母国語は日本語だ、パティ」
会計を済ませたダンテが、貰った紙袋に服を詰め込んで云った。
お店に来る際に、ヤシロに着せてた自分の上着とか、そういう物。
「ニホン?東洋?」
「んでもって、ヤシロは此処の言葉はサッパリって訳だ」
「じゃあどうしてダンテは会話出来るの?」
「“全地は一の言語一の音のみなりき”だぜ?俺にはヤシロの言葉が知ってる言葉に聴こえるのさ」
やっぱり意味が解らない。
二人の間でだけ成立してるなら、悪魔の言語って事?
「っつーのは嘘だ、俺が日本語分かるってだけさ」
道中さらりと暴露したダンテの脚に、軽く蹴りを入れてやった。
痛い痛いとうそぶくダンテに、隣を歩くヤシロが小さく笑った気がする。
でも、こうやってパーカーにジーンズだと、本当にただの人間みたいだった。
なんでもさっきは、目が覚めたばかりで気が動転してたんだって。ダンテの云うには、だけどね。
此処がドコなのか、よく分からなくて。かと思えば私に目撃されて。
ヤシロにとって、見知らぬ土地や人は、かなり警戒すべき対象みたい。
「でもねえ、だからってイキナリ背後迫られたらおっかないわよ?ヤシロさん」
ジロ、とヤシロを見上げる。レディよりも真っ黒な髪、妙な癖毛。
私がちょっと責めてると気付いたみたいで、眼を逸らされた。
ちぇ、と思って合わされなかった視線を通りに流せば、カラフルでちょっとロックな外装の飲食店が視界に入った。
「あ、ねえねえダンテ、お腹空いてない?」
赤いコートの裾を引っ張る、ザラついてない、一応血汚れは拭ったみたい。
「今服買ったばっかりで、んな余裕無ぇよ」
「とか云って宅配ピザばっかじゃない、それにヤシロさんにどうせ食べさせるなら、冷めたピザよりあったかいピザでしょ」
「お前がリゾット作ってやってくれよ、こないだの」
「えーあんまりユルい物を今入れたら、胸からダダ漏れにならない?」
「もうさっきの傷くらい塞がってるよ、コイツは」
コツン、と額を指先で叩かれたヤシロが、ダンテを睨んだ。
私とダンテの会話なんて、聞いてもチンプンカンプンなんだろうけど、その方が良いと思う。
「おいヤシロ、もう食えるか?」
さりげなく訊いて、頷くヤシロに溜息したダンテ。
「ほらほら、寒いし早くお店入ろ!」
ラッキー。私はチョコのパフェにしようかなあ、と、さっそくこの店のメニューを脳裏に展開する。
何か違和感を感じたけど、お腹がぐう、と鳴って一瞬で掻き消された。
店内は、レコードやギターが壁に所狭しと飾られていて、ウエイトレスも凄くミニなスカート。
ダンテと何回か来てるけど、いっつもピザかストロベリーサンデーしか頼まないの。
「私チョコとバナナのパッフェ!」
「へいへい、俺はもう決まってる……で、お前は」
メニューのカードを向かいのヤシロに差し出すダンテが、普通に訊いた。
困惑した眼のヤシロは、メニューに落とした眼を泳がせている。
明らかに視線は滑ってる…きっとよく分かってないんだ。
「ダンテのを分けてあげたら?」
「ん、それもそうだな」
即決させたダンテがウエイトレスに注文してる際、ヤシロの眼が思いっきり窓に逃げていた。
注文を取る為に前屈みなウエイトレスの胸元は、谷間が見えている。
「ねえねえ、どうしてヤシロさんはデビルメイクライに来たの?憶えてないの?」
待ち時間を隣の玩具で潰そうと思って、言葉も理解されないのに話しかける。
コートを脱いだ黒シャツのダンテが眉を顰めた。
「詮索する女は嫌われるぜ」
「じゃあダンテが教えてよ」
「俺だって知りてぇよ」
隣を見る、膝上の握り拳に黒いラインは無い。
胸元だって、もう傷は塞がってるとか。まるでダンテみたい、高い治癒力。
「友達?前の依頼のお客さん?それとも…」
ダンテと同じ、デビルハンター…とか?
それに答えてもらえずに、あっという間にウエイトレスが料理を運んできた。
「はい、お待たせぇ!ストロベリーサンデーとピザはダンテよねえ」
「御名答」
「で、チョコはこちらの小さなレディね」
「はいはーいっ」
と、黒髪の少年が何も注文していない事に気付いたのか、ウエイトレスが「ちょっと待ってて」と云ってテーブルを離れる。
少しして、取り皿を持って来た。
「お、気が利くじゃねえか」
「ダンテ、案外子守が向いてるんじゃないの?じゃあごゆっくり〜」
反論の隙を与えずに去っていくウエイトレス。
「一番の子供はダンテだってば!解ってないなあ、あの人」
「お前なあ……って、おいおい…抜けって云ったじゃないかよ、マスターめ」
ほら、好き嫌いでブーブー文句してる辺り、やっぱり子供よね。
サラミとピーマンとトマトソースの隙間、点々と置かれたオリーブのスライスを見てダンテが唸る。
と、取り皿に突然乗り始めるそのオリーブスライス。
隣のヤシロが、フォークを使ってピザの上から丁寧に、オリーブだけを取り除いている。
ぽかん、としてチョコウエハースを手にしたまま、私はそれを見ていた。
『 』
何か発して、ダンテにピザ皿を押して寄越すヤシロ。
オリーブがすっかり取り払われたそれを見て、一瞬渋い顔をしたダンテ。
でも、すぐにヘラッと笑って「サンキュ」とヤシロの額を小突いてた。
「ダンテの好き嫌いも知ってるなんて、仲良いんだね!」
思い出した様にウエハースを齧りつつ、笑いかけたけど。
どうしてかしら、なんだかぎこちない、ダンテの方が。
マントラ本営前、最初の邂逅。この高さからの所為と思ったが、近くで見てもモヤシだった。
「なんなんです、貴方」
一応人間の形をしている俺。そんな俺を見る金眼は、判断の為に彷徨っている。
俺が、この閉じた世界に残された人間なのか、はたまた悪魔なのかを。
「流石に六十階以上の高さからの紐無しバンジーだ、イイ感じにセットが決まったぜ」
後ろによれた髪をグローブで梳いて、指の隙間から目標を捉える。
写真で見た通り、細っこいただのガキ。その黒い紋様以外は。
「…悪魔…です、か…貴方」
「お前程イカしたタトゥーも無い、タダの凡人だぜ俺は」
身体的特徴を挙げれば、その金色が鋭く光った。
どうやら、身体に関して弄られるのが好きじゃないみたいだな。
無人のショッピングモールのトルソーから拝借したのか、適当なネイビーブルーのフードパーカーを着ている。
それだって、返り血でムラ染めになってたが。
「駄目だな、ソレ」
「…え?」
「もうワンサイズ下だろ?」
云うなり俺が駆け出すと、咄嗟に少年も構えを取ったが、その先どうして良いかを分かっちゃいない。
傍に飛んでいた妖精が電撃を繰り出したが、それをリベリオンで両断した。
ついでに妖精の翅も片方スッパリ。
墜落するそいつが地面にぶつかりそうになるのを、少年が滑り込んで掬い上げる。
「ホラ見ろ、だぼついてるじゃねえか」
床に這う少年のパーカーフード目掛け、鉛弾を数発見舞えば、縫いとめられる着衣。
黒いラインの両手に包まれた妖精は、そのまま光の粒になって少年の内に消えた。
「召喚を戻したのか、随分とアクマに優しいな」
「足手纏いなだけだっ!」
床に磔にされたパーカーから腕を抜き、傍の俺に向かってその振り抜く拳を叩き込んできた。
「悪魔なんて!」
少しコートの襟元が焦げた。焔を灯した指先で、俺の首を絞めてくる少年。
「貴方もそうなんだろ!?俺を笑いやがって、っ…」
「誰に笑われた?」
「悪魔にも!思念体にも!マネカタにも…」
「何て笑われた?」
「半端者だと!!」
魔力が巧く流せていない、その宝の持ち腐れな細腕を掴み上げる。
脚で蹴り上げてきたので、リベリオンを胎にぶっ刺してやると、ようやく静かになってくれた。
ぐったりとしているが、眼の金色は鮮明だった。
「俺は笑わねぇぜ?少年」
「…が、はっ………」
「何故なら、俺も、半端者なのさ」
俺に向けられる毅然とした意思は、純粋な殺意と…
「…何者…だ…貴方」
「お前と同じさ、人修羅」
「お…同…じ……?」
懇願、だった。
いつも、危ない橋を…
いや、橋どころかタイトロープだろう、ありゃ。
確かめつつも、渡って、落ちかけては蹴落とした死骸を足場に踏み止まっている少年。
俺は、悪魔の部分の己を、そこまで恥じた事は無かったが、アイツにとっては違ったらしい。
そりゃそうだ、俺は父親の血を受け継いだという自負が、半身にある。
あの少年は、突然悪魔にされたのだから、無理も無い。
追いかけっこの熱も冷めない内に、三度目の邂逅。
「蝕まれちまった方がラクだろうさ」
「嫌だ」
「お前の意識が悪魔を拒絶するなら、力は引き出せない。何故かって?受け入れる心が、トリガーを引く唯一の力だからだ」
「俺は人間に戻る為に、この力を利用しているだけだ…悪魔を受け入れた瞬間、完全な悪魔にならない保証なんか、無い」
「だったら、お前はいつまで経っても俺に勝てないのさ、人修羅」
「っぐ、ァ」
カルパの床に少年を叩きつければ、隙を見計らっていた少年の仲魔からの攻撃が、脇腹に刺さった。
振り向きざまに発砲してやれば、たった今突き立ててきた槍で数発弾かれた。
『ヤシロ様!』
マントラの前で、妖精も呼んでいたその名前。
マフラーにおかっぱ頭の、何とも暑そうな格好をした悪魔が、今はその名を呼んでいる。
「ヤシロって云うのか?少年」
問いながら少年に跨れば、マフラー悪魔が魔力を震わせて掛かってきた。
空気の軋む音がする、氷結の術だった。
凍りつくと思っていたのか、その身体ごと素手で受け止めてやれば、驚愕に眼をひん剥いたマフラー悪魔。
ぐ、と魔力を送り返してやる、するとミキミキとそいつの手足が凍っていった。
「OK、外野は落ち着け、今からはビジネスの話だ」
『……貴様!』
凍りついたままの悪魔は、マフラーに覆われた口元だけを蠢かしている。
それを、さほど心配でも無さそうに、俺の下から見上げている少年。
そう、こいつにとって悪魔は盾でしかない。新宿衛生病院の時から、そのフシが有った。
「なあ少年、悪魔を受け入れる力の無いお前に、イイ話があるぜ?」
「…早く、降りて下さい」
「そう怖い眼ぇするなって、可愛い顔が台無しだぜ?」
「………セタンタ!!」
金色が激しく揺れる、俺を恫喝して押し上げてくるのかと思えば、叫ばれたのは悪魔の名称。
それに呼応するが如く、傍の氷像が動き出す。
そういえば、足元にぼんやりと熱を感じる。足元を見れば、赤い魔力が広がっていた。
叩き付けた少年の血が流れ、傍のマフラー悪魔の凍れる足先に、いつの間にか辿り着いていたという事だ。
「おいおい、無理なさんな」
『放せ!貴様、主を、っ、私の主人を!』
思わず失笑しちまった、この悪魔は少年に御執心な様だ。
まだ溶けきらない身体を無理に動かして、肉体に亀裂が奔っているってのに。
俺の足元目掛け、氷塊を纏ったままの槍で一閃してくるマフラー悪魔。同時にその腕が砕けてキラキラと飛散していた。
「捨て身か、ハ、古臭せぇ」
少しよろけて、片足を浮かせれば。其処を突いて押し上げてくる少年。
俺のレザーパンツに喰い込む爪は、人間のソレより鋭い。
「まだ脚が有るだろっ!セタンタ!!」
驚いた事に、少年は俺越しに仲魔を叱咤した。
その憤怒の号令に、マフラー悪魔が脚を翻して少年の攻撃を補助する。
流石に二方向から打ち付けられては、退かざるを得ない。
そういう事にしておこう、このままでは少年もマフラー悪魔も壊れちまう。
いや、既にマフラー悪魔は床に這い蹲っているが。
主人の叱咤に奮い立たせたその脚は、見事に砕け散っていた。
「酷ぇ命令だな、そんな自分にも自己嫌悪してんだろ?」
「黙ってて下さい」
血まみれで立ち上がる、痛々しい少年の姿。いつから眼が離せなくなったのだろうか、俺は…
「だから、俺が手伝ってやろうか、って云ってるんだよ」
『ヤシロ様!耳が腐り落ちます!その男はデビルハンターと自称する存在に御座います!どうか無視なさって下さい!』
ほら、揺れてるじゃないか。
俺を見続ける金色が明滅する、また彷徨ってやがる…
「おい黙ってなマフラー」
『マフラーでは無い!セタンタだ!』
「へいへい」
床に転がるその悪魔から、ぐい、とマフラーを引っ張って奪い取る。
ごろりと転がったそいつは、回復の術を持たないのか、俺を睨むばかりだ。
「おい少年、俺を雇わないか?」
唖然とする少年にズカズカと歩み寄れば、向こうはその分後退する。
「雇うだって…?得体の知れない悪魔を?」
「だから云ってるだろ、俺も半端者だって」
「つけ入る為の虚言かもしれない」
「俺としては、依頼してきたジジイの方が疑わしいんでな…手を貸すなら、お前にしたいのさ人修羅」
人間の形をしたヤツに弱いお前。
きっと、トリガーを引いた悪魔姿の俺で交渉したなら、聴く耳持たなかっただろうな。
「望んだ世界を創世するにせよ、お前の云う“人間に戻る”方法を探す旅にせよ、面白そうだから雇われてやる」
出来るだけ、軽く云ってやった。重々しい力に引き込まれる事を、無意識に恐れている少年に。
ゆっくり歩み寄ると、今度は退かない。
眼の前で止まり、その白い首にマドラスチェックのマフラーを巻いてやった。
男にしては華奢な項に生えている、その黒いツノが、もったりとしたそのニットに隠される。
「半分人間の俺の云う事が、そんなに信用出来ないか?少年」
「…誰が」
「このツノさえ隠せりゃ、シルエットは人間だもんな」
頭を撫でてやると、泣きそうな眼をしやがった。
「名前は?」
改めて訊いてみる。
「…矢代」
「OK、ヤシロ!マッカは後でいい、とりあえず騙されたと思って雇ってみな。お前の生きたい様に生きてみろよ」
癖の強い黒髪を撫でる指を、そのまま下ろす。親指が頬の黒い涙を伝い、小さめの唇の横を通過する。
「ただし…」
マフラーの端を握ると、少年の眼よりも高い位置に引く。
絞められた喉が啼き、呼吸を求めて喘ぐ。爪先立ちになる主人の姿を見たセタンタが、背後で喚いている。
「ッ、は……ぁ、ぐ」
「あのジジイの眷属に…成り下がるって云うなら、話は別だ。自己紹介すらしねえで高みの見物決め込む悪魔なんざ、ロクなもんじゃねえ」
耳元で囁くと、かすれた声で返してきた。
「どんな、事、したって…人間に、戻って、やる」
人間に還る、という選択肢。
それが元々の意志だったのか。突然しゃしゃり出てきた馬の骨に肩を預けたくなったから、無意識にそう思い込んだだけなのか…
ヤシロの中で、そのどちらが強かったのか、今となっては定かではない。
ただ俺は、アイツの強い言葉と眼に、満足気に笑ったのを憶えている。
「そうこなくっちゃな」
そう、魔道に堕ちないと強く誓う存在が、欲しかったんだ。
お前を辛い目に遭わせるかもしれないと、頭のどこかで思いながらも。
慈善活動じゃねえ、こんなの。
兄貴の二の舞を、見たくない…
憐れな手前から逃れたかった、それだけさ。
「んーっ、満足満足、満腹満腹」
「何が満足だよ、タダ飯に来てるならさっさと帰りな」
路地を意気揚々と歩くパティが、俺を振り返る。
ひらひらしてるワンピースは、見目に肌寒い。
「…ちょっと、ダンテ!」
突然靴音が止み、俺のコートの裾を掴む小さな手。
くすんだ色のブロンドを揺らしたパティが、ぐいぐいとコートを下に引く。
こういう時の彼女は、何か耳打ちしたいのだ。
溜息しつつ腰を曲げてやれば、耳元でコソコソと喋る。
「左の壁、見て」
云われるままに視線で横を確認すると、少しドキリとした。
俺とパティのシルエットが、夕陽のせいで街路の壁にくっきりと浮かび上がっているのだが…
傍のヤシロの項には、鮮明にツノが生えていた。
あまり考えた事も無かったが、擬態しても影はそのままって事か?
「やっぱり、悪魔なの?」
「でも影だけだ」
「じゃあ結局何なのよ」
「人修羅さ」
「ヒトシュラ?」
「もういいだろ、今度までの宿題で」
パティの口元から顔を上げ、背筋を戻す。
「もうっ、さっきから見てればオカシイわ!ダンテの言葉、日本語じゃ無くても通じてるみたいじゃない」
「話は終わりだ、チビ相手は腰が痛いんでな」
頬を膨らますパティがやがてハッとすると、それを萎ませてから急いで首を探る。
クルクルと幾重にか巻かれたマフラーを己の首から解き、俺に手渡して得意気な顔をした。
巻いてやれ、という事か。こういう時ばかりお節介焼きめ。
「だって、目ざとい悪魔に目ぇつけられたら大変でしょ?」
「まあな」
「ダンテ、ヤシロの事気に入ってるよね」
「コイツはどうだか知らないがな」
放っておかれたヤシロに体を向ければ、怪訝そうなツラをしていた。
マドラスチェックのマフラーを、その白い首に掛けてやろうと、俺は歩み寄って腕を広げる。
「!!」
「っ、と」
突き飛ばされそうになって、ブーツのソールが鈍く啼いた。
踏み止まった俺を見たヤシロが、慌てて俺の腕に手を添えてくる。
引き攣った眼は、マフラーに注がれている。
「急だったから、ごめん」
俺には鮮明に聴こえる、コイツが何を云っているか。
日本語?British English?American English?
よく判らなかった。
何せ、ボルテクスに居た頃、言葉に困った記憶が無い。
伝える意思が強ければ、俺の言葉はヤシロに通じた。
その気も無い、例えばジョークなんかをひとりごちた時は、首を傾げられていた。
そう考えると、片言の日本語なら解る俺はズルイかもしれない。
コイツのふとした呟きなんかも、余す事無く拾えちまう訳だ。
「…いいや、俺も前触れも無く…悪かったな」
謝罪してから、気を取り直してその首にマフラーを巻いてやった。
壁に映り込むツノのシルエットは、マフラーで見事にカモフラージュされた。
「キツイか?」
「…病み上がりの散歩に関して?それともコレ?」
くい、とセルリアンブルーの首元を抓むヤシロ。
「どっちもだ」
「どっちもキツクない」
「そうこなくっちゃな」
ドン、と背中を叩いてやると、少し咽て俺を睨んできた。
それでも少しの間の後、小さく失笑して。
マフラーの端を手に持ち、傍に控えていたパティに「Thank You」と云うヤシロ。
その程度なら話せるのか、流石に。
「すっごい発音ヘタ」
片足でフラフラと立って、待ちぼうけのアピールをしていたパティが爆笑した。
どうやら事務所で追いかけた件は、これでチャラにしてくれそうだ。良かったな。
(いっそ、会話出来なければ良かったのかもな)
大通りで、パティと別れる。
赤に近い夕陽の色の中、俺の隣にこれまでは無かった影が居る。
「なあ」
横目で俺を見上げる気配、相槌も無いが、続けた。
「クズノハとは、どうした」
こんなに赤い中に居ると、アマラ深界を思い出す。
お前と、最初に追いかけっこした事と。
クズノハに、お前がたぶらかされちまった事。
「さあ」
「さあって何だよお前」
「アイツとは別行動で…閣下に謁見しに行った記憶で止まってる、気付いたら埃っぽい部屋のベッドに居た」
「おいおい一応掃除したんだぞ、失礼なヤツ。潔癖すぎなのさお前は」
“閣下”だとさ。
さらりと云ってのけたその口が憎かった。
あのデビルサマナーの名前を出しても、普通に理解している。
つまりお前は、俺が最後に会ったヤシロなんだろう。
そう思いたかった。その方が気楽だったから。
「帰るのか?」
「どうやって」
「さあ」
「さあって、何だよそれ…訊いておいて」
人修羅の、呆れた眼の奥、安堵感。
そういえば、無人の廃墟しか歩いた事が無かったな、お前とは。
あれからどうしてたんだ?とか、色々訊きたくて仕方が無い、ガキか俺は。
神に背く罪で足元崩されて、いっそ言葉さえ通じなければこんな思いせずに済んだだろうが。
今、眼の前に居るお前は…
どうして俺の好き嫌いなんざ知っている?
どうしてマドラスチェックのマフラーに怯えた?
カンが良い?まさか、コイツに限ってそれは無い。
オリーブが苦手だって話した事も、あのセタンタのマフラーを巻いてやったのも…
最初に俺を雇ったヤシロにだけだ。
なら、どうしてクズノハを知っている?
「まだ人間に戻れてないんだ……憐れと思うなら、手伝ってくれよ、ダンテ…」
あの、車椅子の依頼人を思い出す。
静かな、それでいてうっそりとした笑みは…憐れみのソレだ。
てっきり標的の少年に注がれていたのかと、今までは思っていたが。
あの堕天使、俺を嗤っていやがったのか。
俺が、一思いに人修羅を殺せないと、既にお見通しだったって訳だ…
「…いいぜ…約束は、果たす。俺は、お前を笑わない、憐れまない」
なあ、お前は一体、いつのヤシロなんだ?
To be continued…
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冒頭の『全地は一の言語一の音のみなりき』は、旧約聖書十一章、バベルの塔の物語から。
回想が多くて、いつも以上に読み辛いと思います、すいません。回想の中の人修羅は、ダンテが一番最初にボルテクスを巡った際の人修羅です。
意志の疎通は、却って戸惑いや躊躇いを生む。
パティ視点では意味不明な言葉なので、矢代の台詞は『 』な具合です。
タイトル「Sympathy for the Devil」はRolling Stonesの曲。
邦題《悪魔を憐れむ歌》ルシファーの観点から歌われた歌詞。
しかしGuns N' Rosesのカバーの方が馴染み深いです。インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア…
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