「云ってない!!」
割り込んできた怒号に、俺もクズノハもいちいち驚かない。
そりゃそうだ、これだけ大騒ぎして二階から降りて来ない筈が無い。
階段の踊り場辺りで、様子を窺っていたのだろう。
「遅かったなヤシロ、とっくにショウは始ってるぜ?」
「今の流れであの台詞を出すのは誤解を招くだろ!俺はダンテのバイクにああ云ったんだ!」
「良いじゃねえかよ、多分同じ事云うぜお前」
糸の壁越しに笑えば、頬を真っ赤にして俺を睨むヤシロ。
ああ、ありゃ結構本気で怒ってるな。後で機嫌直す為に、何してやろうか。
「へえ、君この短期間でもう跨ったのかい?」
「ち、違う!あんた絶対違う解釈してるだろ!俺はそういう趣味じゃな――」
怒鳴りつつクズノハに迫るヤシロの足下を、蜘蛛の糸が絡まった。
買い与えた薄手のジーンズが、みるみる糸車の様になる。
「Sun of a bitch!」
そう唱え、ヤシロの目の前まで跳躍したクズノハ。
よりによってそのスラングを選ぶとは、やはりイイ性格をした男だ。
辛うじてビッチとだけ耳に入ったか、ヤシロは憤慨した様子で下肢を捩りクズノハから後ずさる。
「先日は橋でひと暴れしたそうじゃないか、戦闘生活からの逃亡を試みたい訳では無さそうだね」
クズノハは、ヤシロの横に位置する様にカツカツとヒールを鳴らして接近していく。
俺に完全に背を向ける事の無い足取りで、刀を構えつつという警戒っぷりだ。
「突然消えられては困るのだよ、解かっている?契約を結んでいる限り、此方への負荷が多少なりとも有るのでね…割が合わない」
得物の切っ先を、黒いタトゥーの奔る細首に突き付けたクズノハが云う。
緩やかに擬態を解除したヤシロは、無意識に目の前の男からMAGを得ていた。
そう、それが今クズノハの云った負荷という奴だろう。ヤシロの悪魔としての器がデカい分、命の残量を削られているのだ。
ヤシロが人修羅として、サマナーの役に立っているかどうかは、別問題で。
離れていようが、契約関係ってのは暗闇の中の蜘蛛の糸だ。視えていないだけで、確実に繋がっている。
「知るかよ…俺の用事だ、あんたが余計な手出しさえしなけりゃ、終わる」
「これは抜け駆けに等しい行為では無いのかい?同じ舞台上で僕を出し抜くならともかく、部外者を利用して単独で悲願達成かい。君も随分と狡猾になったものだ…フフ」
ヤシロの眼が、一瞬俺を恨めしそうに見つめてきた。
助けてくれ、と訴える眼だろうか?だが俺は、糸のコッチ側で黙っていた。
一度はレディに連れられ、赴いたお前だろう?真意はどうなんだ…本当のトコ、デビルサマナーの下に帰りたいんじゃないのか?
気を惹きたくて、ワザと迷子になるガキの様な、そんな眼だったりするんじゃないのか?
「あんたを出し抜くつもりは無い、あんたは今回“無関係”なんだ!」
「僕が納得する説明をしてくれ給え」
「全部話せる訳無いだろ!あんただって俺にすべてを云わない癖に!」
脚に絡む糸を燃したヤシロが、喉元を押さえながら横に跳んだ。
刀で斬れた傷口から赤い飛沫が迸って、壁際のジュークボックスを濡らす。
こないだ修理に出したばかりなのに、今度はイカしたペイントかよ。
「堕天使に何か吹き込まれたかい、憐れな奴」
「最終的な判断は俺がする、横槍入れるんじゃねえ!」
「そうかい槍がお好きかい、御希望に応えてあげようか」
刀を手先でクルリと回したクズノハ、その切っ先にMAGを流してリーチを伸ばした。
瞬時に魔力を操る業は、年若い人間にしちゃ恐ろしい出来栄えだ。
「俺を、連れ戻そうって、いうのか」
「さあ、どうだろう、ねえっ」
間髪入れず幾度も突き出される蛍光色の槍を、ギリギリで躱しつつ後ろへ下がっていくヤシロ。
いいや、正確に云えば躱しきれて無い。パーカや肌の裂け目がジワジワ増えているのが、此処からでも判る。
あのまま下がり続ければ、デスクに当た……ほら見ろ、追い詰められた。
腰骨にガツンとデスクの天板がぶつかり、ハッとしたヤシロ。
それと対照的に哂っているであろうクズノハの表情、俺から見えない筈なのにありありと浮かぶ。
が、そのまま胎でもブチ抜かれると思った俺の予測に反して、ヤシロは背面からデスクに乗り上げ攻撃を躱した。
天板上で素早く後転する際、俺の食い散らかしたピザの箱がガサガサと床に落ちる。
「っ、何か付いた!?」
デスクの端にしゃがみつつ構えるヤシロが、頬を指で拭いつつ零した悲鳴。
それを見て思わず笑っちまった。あれは俺がピザ生地の上から退けて、空き箱に放っておいたスライスオリーブだ。
「ハハッ、悪ぃなヤシロ」
笑いながらの謝罪は、アイツの気を更に逆立てる。そんな事知っている。
「好き嫌いするなよっ、くそっ!」
怒鳴るヤシロが指先に摘まんだオリーブを宙に放れば、クズノハが切っ先にそれを突き刺した。
そんな曲芸みたいな動作で槍を弄ぶと、軽く振り返って俺とアイコンタクトをする。
「との事ですが?デビルハンターダンテ」
クズノハはスリーステップ程度で一気に距離を詰めてくるが、俺は慌てて退かない。
ビビってると思われそうで、ムカつくからな。
それに、蜘蛛の糸が壁になっている。これはサマナーにとってもちょっとした障壁だろ?
「ダンテ!」
向こう側でヤシロが叫ぶが、いいや何も心配する事は無いさ。
細い切っ先の軌道は視えている。真っ黒なオリーブが目立って、更に読み易い。
糸壁の隙間を掻い潜って、俺の目の前に突き出された一品。このサマナー、おちょくってやがるな。
「Thank you for serving.」
俺は礼を云いつつ首を捻り、先端のオリーブに齧りついた。
舌先に広がる独特の風味、噛んだソコからじゅわっと染み出る油。
焼こうが漬けようが、俺の眉間に皺を作るとんでもないブツ。
「やっぱ不味ぃな」
俺は咀嚼もほどほどに嚥下し、頬を掠めて戻りゆく切っ先を睨んだ。
クズノハが器用に長い得物を通すその動きは、それこそ糸通しの様で。
奴は再び構えると、MAGを潜ませ槍を刀に変える。
リーチの短くなった刃先をスッと翳し、俺とヤシロを交互に見て哂った。
「此方は美味かな…」
薄っすらと付着した俺の血を、同じくらい赤い舌で舐めたデビルサマナー。
おいおい、悪魔がサマナーの血を舐めるってなら、有りそうなモンだが。
「そりゃどうも、味は親父譲りかね。スパーダの名前出た途端、悪魔には俺が特上品に見えるみたいだからな」
「あまりに強い血は体質を変化させる可能性が有りますのでね。僕は脆弱な人間ですから?これ以上は遠慮しておきますよ」
「へっ、誰がもっとくれてやるっつった」
「しかし人修羅は返して頂きますよ」
「ヤシロに訊いてくれよ。俺は痴話喧嘩を見る為に事務所を貸切にさせてやってる訳じゃない、さっさとケリをつけてくれ」
俺の表現が不快だったのか、遠くでヤシロが吠える。
クズノハはその声にも動じず、刀を指先でクルクル回して哂う。
「功刀君、どこから聴いていたかは知らぬが…パティ嬢を巻き込むのは、君も本意では無いだろう?」
「汚い野郎」
「交渉の下準備さ、それに無理な要求をしているつもりは無いがね。君が元々居た処に戻る…それだけの話」
「俺の本来の場所は、東京の自宅だ。あんたの時代の銀楼閣じゃない」
「居候先から逃げ、此処でも居候している癖にね。本来の場所は、無いに等しい状態だろう?君は人修羅である限り、何処だろうが彷徨い続ける」
「だから俺は今回っ――」
言葉が切れた、今のが台詞の全てとは思えない。
まくしたて、息を荒くしたヤシロが拳を握りしめている。続きを呑み込んで、殺したのか。
「今回、何?」
クズノハの追及にも、無言で睨み返すだけ。奴が相手だから云えないのか…それなら蚊帳の外では無い筈だ。
だとすれば、この場に居る他の奴に聴かれたくないという事だ。
「席を外そうかヤシロ?出入口はコッチに有るからな、蜘蛛の巣に引っ掛からずに俺は退出可能だぜ?」
「違うっ」
弾かれた様に、俺に視線を向けてくる。その眼に焦りと懇願が見え隠れした。
多分、俺がこのまま事務所を出たら、アイツはサマナーに連れられて行くのだと思った。
強制では無く、半強制くらいの勢いで。
「何が違うんだ?そんな顔するなよ、ヤシロ」
ボルテクスで、殺して欲しいと願ったお前も。次のボルテクスで、死にたくないと願ったお前も。
その両方を、俺は知っている。
そして、クズノハの手を取った事も。
「俺は、お前が此処に居る理由説明なんか要らねえ。お前が苦しいなら吐き出す必要は無い。どうしたいかを、そん時そん時で俺にオネダリしてくれりゃイイのさ」
好きに使ってくれたら、それでもう構わない。
どっちのヤシロの願いも叶えてやれなかった俺の、ストレス解消方法。
お前が人間に戻れるなら…魔の路へ堕ちないのなら。
「散々に利用されても構わない、と?」
失笑するクズノハが、マントを肩に払う。
確かに、お前には信じられないだろうな。いや、信じたくない、か?
無償の愛ほど侮辱したくなる。
ボルテクスでやりあった時から、そう顔に書いてあったぜクズノハ?
いつかどこかで見た…“力を欲する奴の眼”をしている。
「ああそうだ、お前と違うぜデビルサマナー。俺はあの時から、1マッカで雇われてんのさ」
「フン…単に執着しているだけでは?」
あまりに小馬鹿にした横顔だったから、その綺麗な鼻っ面をへし折ってやりたくなって。
さっきから乗っていたお前の口車で、派手にスピンしてやる。
「ハハ、よく解かってるじゃないかクズノハ。そうさ、俺は人修羅って悪魔に利用価値を見出す真似はしねえ。ヤシロそのものが好きだ」
ほら見ろ、哂っていた眼が据わった。対照的に、ヤシロの眼は泳ぎ始める。
やっぱり面白い奴等。どうやってボルテクスで組んでたのかを、思わず訊きたくなっちまうくらいに。
そこまで正反対でも、利害が一致さえすれば契約を結べるのか…
それは目的の為なのか?本当にそれだけなのか?
「好き、じゃ温いか……そうだな“愛してる”だ」
ワザとクラッシュしそうな台詞で挑発すれば、ゾワリと空間に映える黒。
コロリと表情を変えるヘマはしてないが、殺気まではマントで隠せないだろ。
誰が執着してるんだかな…
「成程、1魔貨で許したのは、サービスに見せかけた自身の為の配慮ですか」
「本当は金なんて取る気も無かったぜ?だって俺はヤシロの事を――」
「一度で結構!幾度も聴かせるな気色の悪い…!」
声を張るクズノハ、それにヤシロが一瞬ビクリと肩を揺らす。
どうやら声を荒げるのは、相当珍しい事みたいだ。
「それなら悪かったですね、貴方の愛しい悪魔は僕の使役下…未だ契約も切れてはいない。生殺与奪は僕に権限が有る」
「戦わせるだけか?へえ、そんなら俺に可愛がるのをさせろよ。どうせ噛み付くようなキッスだとか、上下関係アピールの為のレイプしかしてないんだろ?」
露骨なワードを並べ立てりゃ、遠くでヤシロが唇を開いた。
が、何も云えないのか、発声に発展しないでまた閉じる。
その、痛々しい程に噛んでいる唇を…今は妙に、舐め吸ってやりたい。
血の味と一緒に、真っ赤なマガツヒというアレが俺の舌を刺激しそうな気がする。
「…貴方は酷く甘やかす。とてもではありませんが、アレを任せられませんね」
「お、否定しないなァ?一応普段もセックスはしてんのか…お前がよく云う“ただの手駒”の使役悪魔相手に?」
いよいよ胸元に指が伸びたクズノハ、言葉より先に身体が反応したんだろう。
俺を排除すべき敵なのだと認識し、あの金属管を触っている。
見えた指先には迷いも無く、訓練されたその反応に俺もニヤリとした。
俺はクズノハを、決して嫌っている訳じゃあない。
あの鋭い眼が激情する時、一瞬ヤシロに感じるソレと同じ感情を抱く。
なんとも、形容し難い。語彙の無い俺には、うまく言葉に出来なかったが…
必死な奴の眼をするんだ、両者共。
「いいぜ?蜘蛛の次は何だ、あんま虫ばっかは勘弁してくれよ?害虫だらけの事務所じゃ今より客足が遠退い――」
台詞の途中だが、今度は慌てて避ける俺。
轟音と同時に事務所の扉がバキバキ砕け、黒塗りの車が乗り込んできた。
四輪のせいで、バイクと違って角度がついてタイヤは空回り。
後輪は多分、入口のステップに乗っかったままで、勢いを失っている。
「随分と慌てた客だな、トイレなら今は貸せねえぜ。蜘蛛の巣に引っ掛かっちまう」
「ハァイダンテ、イカした車が有ったから乗って来ちゃった」
いつかと同じ様に、エンジン音が妙に接近してきたもんだから嫌な予感がしてはいたが…
今度はバイクではなく車で突っ込んできやがった、トリッシュめ。
これが気紛れなら流石の俺も呆れるが、助手席を見てニヤリとしちまった。
「変な気配で同じ街路を廻っていたから、思わずバイクで追いかけたら…この子が助手席に」
「ナイスだぜトリッシュ」
「運転士も悪魔だったから、適度に痺れさせてトランクに積んであるわ」
「後部座席にしといてやれよ」
「途中で覚醒されたら襲われるでしょ?それに私、席に荷物積みたくないの、運転が少し荒いから」
「見りゃ判る」
こんな荒くれた運転でも、助手席でぐっすり眠っているパティ。
軽く催眠でもかけられてるな、でもなきゃ相当な鈍感だ。
「あんなに同じ場所ばかり廻ってたら、レディはすぐに退屈しちゃうわよ?もっと良いデートコースを下見しておく事ね」
云いつつ車から出てきたトリッシュが、運転席のドアを閉める。
その衝撃で、さっき突き破られた事務所のドアが完全に崩れ落ちた。
「それは失敬、人通りの多い通りを避ける様に命令しておいたので」
クズノハは、第三者に水を注され、どうやら冷静さを取り戻した様子だ。
俺としては、別にあのまま癇癪起こしてくれたって面白かったのにな。
「煌びやかなショウウインドウの一つも無いんだから、あそこ」
カツカツ、と俺の隣に来て、クズノハを見据えるトリッシュ。
“交渉という名の恐喝”のキーだったパティは、もうこっちに有る。
「ほらヤシロ、これで落ち着いて選択出来るぜ?俺等の事は気にせずそっちの都合だけで決めな」
「落ち着いていられるかよ…っ」
怒鳴るヤシロだが、さっきと違ってビビった気を纏っていない。
クズノハも、俺とトリッシュ相手に暴れる気は無さそうだ。
召喚した蜘蛛に背を預け、全員から間合いを取って、手は刀と銃の合間に置かれている。
何に対しても対応出来る構え方で、そういう所にヤシロとクズノハの差を感じた。
カタギで、突然強大な力を与えられて持て余している奴と…
教育の賜物で、実戦経験の長い奴…
(マガタマ呑まされたのが、クズノハなら良かったのにな)
ふっと思ったが、これはボヤかないでおくか。
なんとなく、ヤシロにも嫌な顔されそうだ。
「どうやら戻る気は無さそうだね」
「…云っただろ、俺にはこっちでやる事が有る…俺の用事だ」
「君には呆れたね…あの堕天使が、愉しめぬ提案をする筈無いだろう。忠告しに来てやったというに…馬鹿な奴め、破滅しても骨だって拾ってやるものか」
ヤシロにそう吐き捨て、クズノハは蜘蛛を管に引っ込めた。
入れ替える様にして召喚した、片脚一本のハンマー悪魔。
蜘蛛よりはスマートだが、あのハンマーが嫌に目につく。
「では御機嫌ようデビルハンターダンテ、その車はあげますよ」
「おいおい要らねえよ、っていうか退かしてけよ。これじゃ商売あがったりだ」
「積載した僕の仲魔は、外にでも転がしておいて欲しいですが……載せていても邪魔でしょう?」
武器を敢えて構えずに、革靴を鳴らして壁際に移動するクズノハ。
俺達が武器も無い人間に、無闇やたらに攻撃する悪魔とは思っていない証拠だ。
巧みなヤツ、人間に片足突っ込んでいる悪魔の心をよく知ってやがる。
そういうプライドを利用して、軽やかに退出するのか。生粋のデビルサマナーめ。
「イッポンダタラ、出口を宜しく」
『Yes, sir!』
妙にハイテンションなその悪魔は、場の空気に合わせてか、そんな言葉で返事する。
と…間髪入れずに手にしたハンマーを、俺の事務所の壁に平気で振り下ろしやがった。
「おいお前等!マジで此処壊す気かよ!」
悪魔らしい早業で、俺のシャウトを掻き消す施工音。
あっという間に、壁だった所に人が通れるサイズの穴が開いた。
「それではダンテ、世話を焼くのは構いませぬが、逆に焼かれぬ様…」
帽子のつばを掴み、軽く礼するクズノハ。
懐に手を突っ込んだので、俺もトリッシュも少し強張る。
何より、向こう側に居るヤシロが一番警戒した訳だが…クズノハは小さいナイフを取り出しただけだ。
悪魔に自身を担がせて、ヒールの脚をぶらりとさせて哂う。
「…功刀君、やっぱり骨くらいは拾ってあげる。人修羅の骨には呪力が期待出来そうだからね……ま、それだけだけど」
云い残し、デカい風穴を潜っていく連中。
ナイフを振り上げたクズノハが、壁を素早く引っ掻いてから背後に放る。
「……うるさい」
捨て置かれたナイフを見つめたまま、ヤシロが呻る。
クズノハがこじ開けた非常口の上には、御丁寧に《EXIT》と彫刻されていた。
刻みつけられたあの男のMAGとかいうケバい光が、それこそ非常灯の様に照らす出口。
其処に飛び込む事もせず、ヤシロは黙ってナイフを拾う。
「あらあら、じゃあこの車は貰っちゃって良いのかしら」
軽くポンポン、とボンネットを叩くトリッシュ。その拍子に今度は車の後部が浮いて、トランクの蓋がパカッと開いた。
「くっそ…風通し良くしやがって」
「またレディに借りれば?どうせアテも無いんでしょう?」
「半分はお前が出せよトリッシュ」
迫る俺をあしらう様にして、助手席からパティを引きずり出している。
呑気な眠り姫は、あのマフラーを相変わらず首にグルグルと巻き付けて。
口元まで覆われていると、どうしたってあの悪魔が脳裏に過る。
「やっぱり催眠ね。でも解除が必要という風でも無いわ…明日の朝には気怠い目覚めが待っている筈よ」
クスリと笑うトリッシュが、パティを抱えながらマフラーを直してやっていた。
「そりゃそうだろ、荒いタクシーで身体を相当打ってる筈だからな。ムチウチやばいぞ多分」
「そうね、じゃ、帰りは貴方が送ってあげなさいな」
「は?」
抱えていたお姫様を俺に押し付けると、金髪を肩から払って片脚を振り上げるトリッシュ。
鋭いヒールで車のフロントを蹴ると、それはひでぇ音を立てながら突き破った穴を拡げつつ外に押し出されていく。
「私、あれに乗って帰るから」
「傷だらけじゃねえか、ってそういう問題じゃねえよおい、待てトリッシュ」
「あら、チューンすれば良い車よ?載せてある悪魔は……どうしようかしらね、使い魔にでも調教しようかしら?」
ご機嫌にケツを振って、退出していく元相方。
颯爽と運転席に乗り込み、ライトを数回パッシングしてから猛スピードでバックして消えていく。
多分、切り返してターンするのが面倒だったんだな。ミラーを確認したのかすら、怪しい。
「トリッシュのヤツ、荒すぎだろ全く」
パティを片腕で抱き支え振り返れば、ナイフを手にしたヤシロがソレをじっと眺めていた。
俺から声を掛ける事もしないで、ただじっと待ってやる。
「……あ、ダンテ」
ようやく口を開いて、ナイフを折り畳むと周囲を見渡す。
「事務所…掃除しないとな」
「掃除だけじゃ足りないの分かってんだろ?さてどうしたもんかな…」
糸壁の前で立ち止まり、フッと吹けば白いソレはゆらゆら揺れた。
頬の汚れを改めて拭いつつ来たヤシロが、俺の向かいに立って唇を差し出す。
一瞬キスの誘いの様に見えて…思わず、パティの顔が振り向かない様に、支える腕に力が籠もる。
「ふぅ…っ」
見事に調整されたファイアブレスが、糸をじりじり焦がし熔かす。
じわじわと拡がっていくその穴が、ヤシロの胸元辺りまで届いたのを確認して。
俺は覗き込む様に屈み込み、唇を尖らせた。
「そ、そんな為に燃したんじゃない…!」
さっと離れて、糸で宙吊りのままだったリベリオンに歩いて行っちまう。
逃げられた俺は、ヤシロの焔で解放されるリベリオンと目が合った。
野郎、また嗤ってやがるな。





「御免なさいダンテさん……だから夜分遅くにお邪魔するのは失礼だって…あんなに云ったのに、この子ったら」
玄関口で、おろおろするパティの母親。
心配より先に謝罪が出て…こりゃ俺達を相当気遣っているな、そう感じる。
「気にすんなよ……ま、親に心配かけるのはじゃじゃ馬の証だがな」
「私がしっかり止めなかったのが悪いんです」
俺の背中でくったり眠る娘を見ながら、溜息を吐く母親。
俺もガキの頃、散々母親の溜息姿を見たモンだ。
兄弟喧嘩ばかりしてたから、五割以上はそれが原因だった気がする。
「俺の世話でも焼き疲れたんだろ、悪いがベッドまではアンタで運んでくれな」
その細い背にパティを乗せてやると、寝息を聴いたか、ようやく母親の横顔に安堵が零れる。
これでさっさとオサラバ…と、踵を返そうとした矢先。
「そういえばダンテさん、ウチに…何かデリバリーのサービス、頼まれました?」
「は?いいや…何も」
「さっき、ストロベリーサンデーが届いて…覚えが無いのです。パティ宛になっていて…料金は支払われているって」
誰だ?パティにわざわざそんなモン贈る奴なんざ……限られている。
「製造元がハッキリしてるなら、喰っても平気だろ」
「ダンテさん、ストロベリーサンデーがお好きなんですって?パティから聞いてます」
「…折角母親と暮らし始めたってのに、何話してんだかなお前は」
背負われるパティの額を軽く指で弾き、その手をヒラヒラとさせて別れの挨拶とした。
今度こそはと、クルリと背を向け離れる。待たせている奴が居るから、玄関で立ち話という訳にもいかねえ。
大股で歩いて行けば、もう人も殆ど無い通りの中…ヤシロがぽつんと突っ立って居て。
俺の姿を見るなり、軽く駆け寄って来た。
「心配してたろ、家族の人」
「そうだな、でもこうして送り届けた。結果オーライってやつだ」
「そういう問題か?」
この深夜だ、家の窓から零れる光も殆ど無い。
点々と灯る街燈と、遠くのハイウェイに流れるテールランプの流動だけが目立つ。
月明かりも、雲間を割く程の力が今宵は無いらしい。
「昔な」
俺の唐突な切り出しに、ヤシロは相槌もしないで一瞬目をこっちに寄越した。
「暗い所が怖くてな」
「…ダンテが?」
「俺にだってガキの頃が有る、可笑しいか?」
「……いや」
「しかし兄貴は、暗くしないと寝れねえもんだから。普段なら平気な俺も、ホラーなテレビやコミックを見ちまった晩にはビビって兄貴に挑んだもんさ」
「ダンテは電気点けたまま寝たかったのか?」
「そういう事だ、で、兄弟戦争の勃発って訳」
両手を軽く上げて肩を竦ませれば、呆れ顔をしつつも小さく笑うヤシロ。
ようやく緊張が解けたか…クズノハと対峙してから、ずっと怖い顔してたもんなお前。
「寝るといえば…今帰って寝ても、相当寒いな」
結局、事務所にはデカイ風穴が二ヶ所。
塞ぐ物も無いし、下手に弄るくらいなら最初からプロに任せて施工してしまいたい。
なんてな、日曜大工が面倒なだけだ。ヤシロの細腕に鋸引かせるのも、気が引ける。
「寒い…のか、ダンテは」
「ああ、今の事務所のソファで寝たら一発で冷えるぜ?」
本当は気にする程でも無い、でも此処は気にしてやるべきなんだろう。
まるで人間の様に、身体を冷やして風邪をひく事を危惧するのさ。
いつかのお前も、人間の頃はそうだったろ?
「あれじゃロクに休めねえし、帰ってから片付けするのも嫌だろ?」
「嫌って云っても…まあ、休むだけなら二階のベッドが有るだろ?俺が今日は椅子で寝るから、ダンテはベッド使えよ」
「お前も入れよ、少しくらい隙間空くだろ」
「はぁ?嫌だ。貴方あのベッドに寝たら、ただでさえ脚はみ出してるじゃないか。無茶苦茶狭いだろ…」
「ほお、よく判るじゃねえか。横着して買ったらさ、微妙に脚が入りきらねえんだよアレ」
「……俺とダンテの身長差考えれば……寝てたら何となく判る」
自分で云っておきながら、拗ねた顔をするヤシロ。
別にチビだとか、云ってないだろ?俺がセンチに換算すりゃほぼ190なんだ、無理も無い。
「うん……そういやお前はネロのボウヤより10は低いな…いや、もっとか?」
「いきなり誰と比較してるんだよ」
結局チビと、遠回しに云っちまった。先の事を考えていて、思わずぽろりと零れたネロの名前。
「クズノハの開けたデカい穴、流石にすぐは塞がらないだろうからな。工事してる間、お前をソイツん所に預けようかと思って」
「は?預ける?…待てよ話が唐突で…」
「工事の音とか煩くて嫌だろ?何心配すんな、俺の知り合いだからな…会話通じなくても問題無いぜ」
「大いに有るだろ…!それに俺はダンテに用事が――」
また其処まで云って、口を閉ざすヤシロ。でも俺は追及しない、誰にも云えないならソレでいい。
俯く黒髪をくしゃりと撫でて、背中を叩いてやる。
「工事の間…って云ったろ?事務所が元通りになりゃ、嫌でも俺とお前の二人きりさ」
「…俺は」
見上げてくる眼が、暗い夜道で一瞬金色になる。目の前で流れるラインは、遠くのテールランプより綺麗に輝る。
「俺は、どうしても人間に戻りたい」
「知ってるさ」
「………なあ、路…違わないか?」
「お、よく気付いたじゃねえか」
パティの家の通りから外れて、来た順路を無視して遡る。
街燈の数が減って石畳を照らすものが無くなり、互いの眼が猫みたいに光る暗がり。
「安宿で悪いがな…安心しな、前に使った時はそんなに埃っぽくも無かったぜ」
俺の視線の先を見て言葉を聞いて、ヤシロは其処が何か理解したのか、少し構える。
「薄暗い路地の宿だから勘違いしてるのかもしれないが、ソッチ専用じゃねえよ」
「まだ何も云ってないだろ」
「隙間風は来るかもしれんが、今の事務所よりマシってもんだろ?」
「そうじゃなくて…」
扉を開け、軽くステップを降りてからベルを鳴らす。
店員が来るまで、ヤシロは俺の背中に隠れる様に佇んで。
「……前、誰と来たんだ」
「俺一人の可能性を考えないのか?」
「一人なら、寝床の確保なんてしないだろ…貴方は」
格子の向こうに影が見え、少しヤニ臭いハゲた店員がキーを差し出してきた。
それを小窓から受け取り、後ろのヤシロを振り返って…俺は意地悪を云う。
「前は女と来た」
嘘は云ってねえ、パティと来た。
以前、事務所に大量の荷物が届いた際。二階まで埋め尽くされちまったから、一番近い此処に泊まる羽目になった。
「へえ、女の人、と」
「可笑しいか?」
その荷物ってのも、パティが慰謝料として余所からふんだくったブツで。
しかも、俺には無縁のヌイグルミやらレースやフリルのゴテゴテ付いた装飾品ばかり…
あの時は、俺が「外泊する」とゴネた。あんなファンシーグッズに囲まれて寝たら、夢の中でお姫様になってそうだろ?
「別に…可笑しくは、無い。だって、ダンテだって男だし、正常だ……ああ、正常…」
階段を昇る俺の背に、革コート越しだってのにチクチク刺さってきやがる視線。
いっそブチ抜いて、この胴を貫通してみろよ。
「ん、でもアイツと泊まりは二回目だったっけなァ」
「…よく会ってるのか」
「ああ、実はしょっちゅうな」
何だかんだと、あのガキと二回もお泊りしている事に失笑しちまう。
不潔・うざったい・デカいから邪魔、と喚き立てられ、俺は二回ともソファ送りだったが。
俺だって、ガキに添い寝する程餓えてねえ。
(じゃあ、コイツに添い寝はどうなんだ)
塗装の所々剥げた扉をいくつか横切り、一番奥の扉で止まる。
ナンバープレートが提げられたキーを挿し込み、捻るまで自問自答を繰り返す。
(パティよりは、ガキじゃない…よな)
「そうか、じゃあ今回は俺で悪かったな」
茶化しながら入室したヤシロ。それを背にしたまま、扉が閉まる音を待つ俺。
(ガキどころか、半分悪魔で……しかも、サマナーに散々…)
ボルテクスの頃から判っていた、お前の身体にあまりに深く刻まれた契約。
文字通り、心血注がれている事なんざ。
「コールガールって云うんだっけ、呼びたかったら呼べばどうだ。その間、俺は外でも散歩するし…」
(それなら犯罪的って訳でも無い……違うか?)
「こんな夜更けだけど、何だったらその“彼女”でも呼べば良いじゃな――」
自問自答がまだ続く、脳内の懺悔室と、さっきのフロントのがダブる。
格子の向こうに「今から抱きます」って云ってる様な、あの感覚だ。
抱く対象が、肉か罪かの違いで。
「…っ、ん、んゥ……ッ」
押し付けたヤシロの背中で、扉がギシギシ啼く。
掴んだ手首に、いつになったら黒い紋様が浮かぶのかと横目に見ていたが。
一向に現れず、人間のまま貪られている。
(コイツ、こんなに唇小さかったか)
水面下で息を吹き込んだ記憶が甦る、ぶくぶくと溺れるコイツを…
ああそういえば、引きずり込んだのは俺だっけな。
(回復の泉で死んだら、蘇生するのか?)
「ぁは、ぐ……ぁ……ぁぶ」
どうでも良い事に思考を逸らさないと、罪悪感に潰されそうだ。
ヤシロに欲情していない…筈だったが、どうしてこんな事してんだ。
(クズノハに喰らった挑発、今更効いてきたか?)
俺だってそこそこ俯いてキスしているのに、ヤシロは爪先立ちで震えている。
その震えが、唇から垂れる唾液をツウ、と奔らせる。
(コイツは…ガキでもねえ、が、やっぱりオトナでもねえか…)
ヌルリと舌を引き抜くと、今度は呼吸に必死で。
よたよたとその場を踏みしめ、俺を押し返してきた。
「…御主人様のキスの方が良かったか?」
訊いた途端、腹に一発。
細い腕からはイメージ出来ない重い一撃に、俺は二歩三歩後ろに追いやられてソファにぶつかる。
そのまま背を預けて、草臥れた中綿の弾力に身を任せながらヤシロを見た。
「最初から変身しときゃ良かったじゃないかよ…それともキッスくらいなら朝飯前か?しかし悪ぃが、此処は朝食付かねえぜ」
唇を手の甲で拭い俺を睨む、その真っ赤な頬には黒いラインが通っている。
殴る時はちゃっかり悪魔になりやがる、小憎たらしいヤツ。
「さっきから…おかしい…っ」
「何がだ?」
「変な冗談多いだろ、今日ダンテ、変だ」
俺は両腕を交差させて頭の下にで枕にし、ブーツのままの脚を組む。
ソファに横たわる姿勢は、このまま睡眠導入出来そうだ。
別に眠くも無かったが、このタイミングは都合が良い。
これで清々と別々の場所で眠れる。ヤシロも今のキスに怒って、寝床の遠慮はしないだろ。
「シャワーは有るぜ、浴びたいなら浴びてこい。で、お前はベッド使いな」
瞼を降ろして、シャットアウトさせる。事務所の修理費をまず考えたが、すぐに別の思考で押し退けられた。
クズノハは…負け惜しみだなんて、云うタイプじゃねえ。
“破滅”という単語が、あれから脳内を黒く塗りつぶしていた。
ヤシロの目的や手段の詳細は知らなくとも、此処まですんなり来てたんだ。
クズノハはクズノハで、あのジジイ…ルシファーから何か聞きつけたのかもしれない。
(危険な賭けでもするつもりか?ヤシロは)
あのサマナーだって、ヤシロを死なせるのは惜しい筈だ。
だから連れ戻しに来たのか…いや、それだけか?
確かに、人修羅に潜在するパワーは魅力的だが、クズノハの生きている間にソレが覚醒するかも分からない。
血肉を注ぎ契約を交わした…クズノハこそ、危険な賭けばかりの人生だろう。
(単純に、ヤシロの事が気に入ってるんだろうな)
それであの仕打ちとか…いじめっ子というヤツか?おいおい…案外ガキなんだな。
ガキ…?それなら、さっきからヤシロをつつきまくって遊んでいる俺は?
(ガキだな…)
だってな、クズノハとヤシロを同時に視界に入れた瞬間、嫌なイメージを浮かべちまったのさ。
サマナーと悪魔だとか、主従関係だとか、そんな事は無関係に…
ヤってるコイツ等の映像が、見た事も無いのに俺の脳内をウロウロしやがって。
「!?……ぉ」
あまりに下世話な妄想が、一瞬に両断される。
やんわりした唇の感触に瞼を即行上げれば、真っ黒…そしてチラリと金の輝き。
「眼、覚めた?」
「まだ寝て無かったぜ俺」
「不意打ちされる気分、分かったか?さっきの仕返しだ」
シャワーはもう浴びたのか、腰タオル一枚のヤシロが強い語気で吐き捨てた。
俺としては、その恰好の方が不意打ちだ。自分でけしかけた癖に、また赤くなってやがるし。
「仕返しってのは、同等か倍返しにするもんだぜ?あんな母親にするみたいなキッスじゃ、逆に眠っちまう」
「誰がそこまでするかよ」
「おい何してる」
細い指が、俺のブーツの紐を解きにかかっている。硬く結んだ玉に苦戦しつつも、片足をすぽりと脱がされて。
「ダンテもシャワー浴びろよ」
「たった一晩だぜ?それに俺は今日、一度浴びてるし」
もう片方も、ズルズルと…
「金出して貰ってるのに…それで貴方をソファに寝かしてると、俺が傲慢みたいで嫌だ」
事務所でベッドを使うのは、毎日ハウスキーパーの真似事してるからチャラって事か。
でもなヤシロ、自分が何云ってるのか解かってるのか?
「さっき…事務所で少し動いたじゃないか、汗ばんだ身体が隣に有るのは嫌なんだ」
「お前なあ…だから俺にも浴びてこい、って?」
ソコが既に傲慢だろ、この悪魔め。
しかもシャワー浴びて、添い寝しろって?
「…そんなだから、クズノハも気が気で無いんだろうな」
「どうしてアイツの名前が出るんだよ」
いよいよ胸元の留め金に指が伸びてきたので、それを軽く払って起き上がる俺。
「ああ、俺の負けだ負け、浴びるからお前は先に寝てろ」
まさか、クズノハにもこんな事して脱がしにかかる…のか?
いやまさかな、だってヤシロはガキなんだ…子供だ、子供。
そう頭に云い聞かせて、まだ濡れている黒髪をわしゃわしゃと撫でてやる。
「また子供扱いして!」と、ここで憤慨して…また腹に一発へヴィなのを見舞ってくれたら良かったのに。
視線を逸らしながら耳まで染めて、そんなコールガール顔負けの仕草で俺に云うんだ…
「本当に…本当にダンテがしたいなら、俺は…構わない、けど」
これは一体どういう拷問だ?俺とお前は半魔だが、バイじゃないだろ?
いや、これがコイツの倍返しか?ってそんなジョーク口にも出せねえ。
何か云え、返せ、沈黙は肯定になりがちだ。
幼い俺がホラーショウにビビッてだんまりしてたら、兄貴が「ふーん、楽しんでるみたいだな」とか勘違いしやがった事を一瞬思い出す。
勝手な解釈されるのが一番ヤバイだろ。歴戦のデビルハンターなら、今こそカウンターを喰らわせるんだ俺。

「……R指定、だからダメだ」

なんだそりゃ、自分で云っといて困惑した。
「…R指定?」
「お前、確か十七だろ?だからダメだ」
「…もう殆ど十八だけど」
黙らせる様に、はねた黒髪の天辺をポンポンと掌で叩く。
「人間に戻らねえと歳も取らずに、ずっと十七なんだろ?だから、キッスの続きはお前の夢が叶ってからな」
更になんだそりゃ、それは完全にノーと云ってないだろ。
じゃあ何だ、ヤシロの夢が叶って人間に戻れたら…それで今みたいな展開になっちまったら…
今度こそ断れないだろ、バカか俺は?まるでヤりたいみたいだろ、こんな先延ばし。
「あー…そのだな…別に人間に戻れたからって、強制してるワケじゃあ――」
「いや、別にそこまでしたい訳じゃないから」
ほら見ろ、バッサリきやがった。
(倍返しどころじゃねえな)
安堵か落胆か、自分でも判断出来ない感情をシャワーに流してから、タオルを巻いてベッドに向かう。
ダブルベッドの半分も埋めずに、ヤシロが寝そべっていた。
くそ…寝間着なんか用意されていない部屋がアダになった、下着一枚でキルトを掛けてやがる…
観念した俺は、その隣に潜り込む。どうして今、クズノハの顔がチラつくんだ。
「お前……あんなジョーク云うもんじゃないぞ」
向けられた背中に諭せば、無言でツノが震えていた。
だって、どこまで本気かも判らないだろ。それにコイツは、クズノハとさっき別れたばかりだ。
一時的なものかもしれないが、多分吹っ切れてない。あの男の顔を見た瞬間、また苦しくなったんだろ?
だからって、俺を使って吹っ切れられても堪らないぜ。
「……回復の…」
半分寝惚けた様な、ぼんやりとした声音が、何の前触れも無く俺に降る。
「回復の泉で、溺死って…出来たのかな」
デジャ・ヴみたいな。さっきの俺と同じ事を考えているその問いに、笑って返そうとした…
が、俺は笑うどころか、ハッと開いた口で呼吸しか出来ずに居た。
「出来るのかな?」って普通訊くだろ…「出来たのかな?」ってのは、過去形だ。
(コイツを泉に引きずり込んだのは…前のボルテクスの時だ)
(なあ、お前…本当にいつのヤシロだ?)
悪魔の心臓なのに、破れそうなくらい動悸しやがる。
胸を掻っ捌いて、煩いこいつを窓から放り投げちまいたい。
「貴方のキスって、いつも不意打ちばかりだ……」
云い残したヤシロは、やがて穏やかな寝息を立て始めた。
逆に俺は、今から眠るなんて気分じゃねえ。
ベッドのサイドスタンドをOFFにして、脳に眠れと暗示をかけるが…ダメだ。
変身したまま寝やがったヤシロが、隣でフワフワ光って仕方が無い。
デビルメイクライのネオンのケバい光と違って、眼を誘う様な神秘的な光。
確かに、こりゃ夜でもなけりゃ目立たない。
「…お前には、真っ黒い夜が御似合いなのかもな」
パティに罹っていた催眠が、たった今、俺に欲しいと強く思った。
生殺しの気分で、石鹸の薫りが混じったヤシロの匂いを感じつつ眼を瞑る。

 「救いなど無い!」

ボルテクスであのサマナーは、自身と俺にそう叫んだ。
それなら、どうして此処までヤシロを追ってきた?
人修羅が居なくたってあのサマナーなら、狭いニホンでサマナーのボスになれそうじゃねえか。

(俺と同じ事してるじゃねえか…傑作だぜ)

違う世界まで、未練がましくケツ追っかけて。
素直に云えず得物を突き立てるのさ、あの華奢な身体に。
お前も救われたいんじゃないのか?照らされる事に慣れ過ぎたか?
互いにプライドがアダになったな「Black Night」



To be continued…


↓↓↓P.S.↓↓↓

タイトル出オチで。ダンテ相手に強奪は無理と判断しつつ、一応引き下がるライドウ。
ダンテもライドウに挑発されたりしたり。そして生殺しの矢代…が、一番悪魔ですね。
パティ家に届けられたストロベリーサンデーは、クズノハさんからです。約束は守る男。
ダンテはライドウの名前が「夜」だと知っているのか?という謎ですが、どうでしょうか… 知っていても知らずとも、最後辺りの文章は大差無いので、どちらでも構わないと思って書いてました(ちゃんと設定決めろよ)

タイトル「Black Night」はDeep Purpleの曲。
もうこれはタイトルだけで選んでますね…歌詞もひたすら黒い夜連呼。


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