フトミミ・サカハギ
マネカタ達の視線が、突き刺さる。
声を潜めて何か話し合う姿は、学校で見た“グループ”のようだった。
共通思考同士が集まり、和気藹々とする姿。
だがそれは、裏を返せば“相容れない者は疎外される”システムだ。
自分は元々独りで淡々と過ごす性質だったので、気にした事も無い。
皆良くしてくれたし、それで十分だった。
アマラ経路とは違う感じの、疎外感。
「本当に生き返ってる…」
「不死身なのかな?悪魔ってのはやっぱり…」
そんな呟きが聞こえる。
意外と聴覚も発達したんだな…と、自嘲気味に思った。
先刻…俺は水に包まれて目ざめた。
清らかな水。
其処は回復の泉で、聖女が俺に告げた。
「外套姿の方が、運んできてくれましたよ…」と。
岸を振り返れば、適当に汚れの掃ってあるスラックス。
下着はその中に、剥がされた時のまま重なっていた。
(見られた…!!)
そうだ、そうだった。
全て見られたのだ。
聖女に見られるのとは訳が違う。
医療従事者に見られるのと、変質者に見られる違いだ。
(あいつ…ッ)
拳を握り締め、頬と耳が熱くなる。
しかし、俺を苛むのはそれだけでは無かった。
この身体が、元の形を保っているのは
紛れも無いあの男の功績だ。
爛れた皮を引き剥がし、泉に突っ込まれた。
その清らかな癒しの海に漂いながら
俺の身体は傷ひとつ無い状態に再生された。
以前より綺麗に整った肌理に、胸がざわつく。
でも、誰が感謝するものか。
誰も、誰もあんな男に…
「頼んじゃいないっ」
湧き出る水で濯いだスラックスを、ばんっと掃う。
切れた水が、辺りに跡を残す。
(…最低)
最低、最悪な目覚めだった。
思えば此処に来て災難続きだった。
ターミナル前で、魔人に引き込まれて強制的に戦わされた。
マガタマなんて替える暇も無く、焼け付く空気に肺を焦がした。
黒く、爛れてカサつく表皮。
痛くて、苦しい…!
仲魔は炎の耐性を持っている者も居たが、使役する自分があのザマだ。
何故勝てたんだ、俺…
もう記憶すら定かでは無い。
眼が終盤見えていなかった気がするが、寧ろそれが良かったのか。
何も見えぬ方が、それまで視覚から伝わってきた恐れも無い。
熱かろうが、痛かろうが関係無い。
自分の状態すら確認出来ぬのだから、後は叩く事しか頭に無かった。
放たれた熱の方向へ、自ら突き進む。
頭だけは護って、相手へとぶつかっていく。
捉えた形を爛れた指先で確認する。
地表に引き摺り下ろし、重力を頼りに上を取る。
殴りつける拳が、目測を誤り地にぶつかっても止めなかった。
指の関節がむき出しになっても、止めなかった。
止めたら死ぬのは自分だ。
痛くても止めなければ…
死ぬのは…相手だ。
フトミミが中枢ミフナシロに居ると聞いた。
あの大地下道で逢った老人が、良かれと思い声をかけてくれたのだ。
「しかしあんた、よくもまあ生きておったの」
その率直な意見は自分でも納得してしまう。
「本当です、大地下道でも魔人に遭って…」
「そりゃ災難続きじゃの、いよいよもってフトミミ様に視て貰うべきじゃ」
手をすり合わせ、祈るように老人は北を見る。
いや、球状の世界に方角なんて概念はもう無いのか?
アサクサから見て、北だった。
「そう…ですね、挨拶に行ってきます」
あの捕囚場以来だったし、顔くらい見せようか…
そんな軽い気持ちだった。
(まだ俺を人修羅と云うのか…)
俺は世界なんて創世しないのに。
未舗装の地下通路を歩き、心が沈んでいく。
俺の事を必要としている人なんて、居るのだろうか。
創世の為の人修羅ではなく、この中途半端な功刀矢代を。
先生…新田…橘さん…
皆、皆何処かへ行ってしまった。
あの氷川という男は計画を着々と進めている様子だ。
聖さんは…このまま創世を見届けるのだろうか?
この世界の、俺を知る人達は…
俺の存在を、利用か敵対視しかしていないのでは無いだろうか。
ダンテ…
ライドウ…
あの2人は、何なんだろう。
間違いなく殺意を向けられているのに。
それは通り越して俺を見つめている。
“俺”を…見てくれている。
(…何血迷った事考えているんだ俺!)
ダンテはまだしも
ライドウが?馬鹿だろう俺、馬鹿過ぎる。
意識を切り替え、今さっき殺した悪魔の死骸を避けて通った。
「ヴァルキリー!戻ってくれ!」
道すがら襲い来る悪魔を薙ぎ払い、進んでいた。
ディースの進化した重厚なる戦女神は
双剣を鳴らし1体始末した後だった。
『ヤシロ様、まだ道中危険がございますが』
「いい、俺だけで十分だから」
『御衣』
素直に返答して、俺の内に宿る。
(足りない)
まだ、足りない。
ライドウに勝てるまで、力が全然足りていない!!
脳内で警鐘を鳴らす理性。
視野の端に、動いた何かを捉える。
…こちらに目をつけた獣型の悪魔が、牙をむいていた。
(あれは…なんて悪魔かな)
最近、相手の内面を透視出来ない気がする。
他にいろいろ覚えてきた所為だろうか?
でも…それならそれで、良いんだ。
炎が駄目なら氷でいけばいい。
氷が駄目なら他の属性で。
魔法が駄目なら殴って。
殴って駄目なら魔法で…
「…何か、用?」
俺は半分理解していながら、その悪魔に声をかけた。
その悪魔は唸り声をあげ、爪を地に喰いこませる。
威嚇の素振り。
『クワセロ…マガツヒ!ニク!』
「嫌だと云ったらどうなります?」
『コロシテカラ クウ!!』
俺のすっ呆けた返答に、怒りを露わにしたそいつが躍りかかってくる。
戦闘の気配に、俺は胎内に熱い慟哭を感じる。
マガタマがそうさせるのではなく
俺がそう望んでいるから。
先刻呑んだゲヘナがそれに呼応している。
俺にそいつを焼き払え、消し炭にしろと語りかける…!
ぞわりと内から這い上がる力に、身体のラインが一瞬光った。
「やってみろ!!」
叫び眼を見開けば、溶解するような熱気が辺りに爆ぜた。
地獄の業火…
まさに、その名のままだった。
その相手悪魔の身体は、じりじりと焼け焦げ
衝撃で表面が削げ飛んでいた。
嫌な臭いが立ち込める。
どうやら、効果は高かったらしい。
炎に弱かったのだろうか…
その、びくびくと痙攣の収まらぬ生物に
ゆっくりと、近寄ってみる。
(…死んだのか?)
表面の縞模様が削げたその肉体を、警戒して確認する。
「!」
周囲の表皮が爛れたそれの眼と、俺の眼が合う。
突き出された、脚とも腕ともつかぬパーツが
俺の胸元を真っ直ぐに狙ってきた。
「くぅっ!!」
瞬時に出た自身の脚が、それを蹴り飛ばす。
ぐじゃり、と粘着質な音を立てて
その悪魔のパーツが空に飛散した。
その飛沫が口に入る。
「…っこの!!」
苦いような、マガツヒの刺激のような
難解な味に吐き気がした。
蹴り上げた脚を、そのまま振り下ろす。
既に絶命しているであろう相手に向かって…
スニーカーの青いソールが、黒ずんでいく。
めり込んだ脚を、地に着いている脚に力を入れて抜いた。
「げっ、げえっ…」
口内の唾と共に、苦みを吐き出す。
こんなのが美味しいだなんて、味覚障害じゃないのか?
「はあ…はあ…」
その肉塊をよくよく見てみれば
マントラで俺を引っ立てていったヌエという悪魔だった。
あの時は仲魔と戦って、それでもいっぱいいっぱいだったのに…
ほぼ一瞬で決着がついた。
口を拭い、息を整える。
(俺みたいだ…)
そのヌエの、爛れきった無残な姿は
ホワイトライダーなる魔人と対峙した己を見ている様だった。
(いつまでこんな気持ちが続くんだろう)
頭が痛い気がする。
間違い無く、このヌエと出遭った時思ったのは
戦う事だった。
ライドウに勝てないからって、ここで発散したとでも云うのか。
(そんなの悪魔じゃないか…)
周囲の悪魔が蠢いている。
俺の殺戮に感化されたのか、マガツヒ…が震える波動を感じた。
(フトミミさん…俺の未来は読めないのか)
その予言で、俺にレールでも敷いてくれたら
俺はそれに沿って進んでしまえるのに…
熱い身体を抑えて、汚れた脚のままミフナシロへと入って行った。
静かな処だな…
冷気さえ立ち込めそうなその空間に、恐る恐る足を進めていく。
行き止まりに、丸い壁がはだかった。
すると、まるで俺が来た事など見通しているかの様なタイミングで
それが開けた。
「…よく来てくれた、人修羅…!」
「…こんにちは」
笑えているだろうか?
この人と会う時は、いつも気落ちしている。
どうも間が悪い。
フトミミは相変わらず綺麗な空気を纏っていた。
俺は話している時、自然と脚をより合わせていた。
汚れているのを隠したかった。
(この人と居ると、俺の汚い部分が浮き彫りになる気がする…)
希望に満ち溢れたフトミミの演説を、話半分で聞いていた。
ああ、何故だろう。
なんだか、とても…
酷く哀しい。
「…人修羅?」
「…」
「どうした?気分が優れないのかな?」
「!い、いえ…ちょっと」
押し黙り、相槌すら返さなくなった俺を心配しているのか
フトミミは話を切り替えてきた。
「いいか、いくら半身悪魔とは云え、もう半身は人の身なのだ」
「…はい」
「ご自愛されよ」
そう云い、俺の額に指をかざした。
冷たい指先が、表皮をかすめる。
「人修羅、帰りの道中…邪悪なマネカタに気をつけなさい」
急な忠告に、その指先を辿る。
そのまま視線をフトミミの眼に移す。
どうしたのか、何か…今視えたのだろうか?
「邪悪…な?マネカタにも悪い人がいるんですか?」
「ああ、サカハギ…という名のマネカタでね、危険な奴だ…」
露わになる嫌悪の表情。
この人もこんな顔をするのか…と、驚きの様な
何処か安堵した様な感覚がした。
(サカハギ…か)
何を以ってして悪とされるのだろうか。
この混沌とした世界なら、皆悪魔は犯罪者だろう。
マネカタだけの世界でも、もしかしたら良いんじゃないか?
もはや創世など人事だと、客観的な考えであの場から去った。
空気のひゅうひゅうと吹きぬける地下通路を独り歩く。
こういう場所を歩いていると
ふと錯覚する。
もしかして、曲がり角を曲がったら
普通に人が行きかっていて
通勤や通学に足早だ。
そうして階段を上がり終えたら、日の光が眩しくて
緑と排気ガスの匂い。
雑踏に自分も呑まれていく…
(なんだ、まだ全然…)
あの感じを覚えているじゃないか。
甦るあの頃の感覚に浸り
汚れも乾き切った脚も軽やかに、タイルを踏む。
曲がり角を曲がった。
「ひ…っ」
マネカタ?
の様な赤い塊が、布に包まれてごろりと道を塞いでいる。
この赤…あの捕囚場を思い出す。
あの、ライドウに無理矢理摂取させられた赤い果実…
膝を折り、その塊を間近で確認する。
ふわふわと漂う赤い光球が、俺の肌を撫で上げた途端。
「…ぅ」
痺れに近い、刺激がぞわりと這い上がる。
そのまますっくと立ち上がり、先を見渡す…
点々と、赤い跡が俺を導いていた。
「…誰か、誰か居るんですか!」
加害者に向けているのか
被害者に向けているのか
どちらでも良いので、とにかく呼びかけた。
「サ、サカハギだぁ〜っ」
一拍置いて、悲鳴のような返事が来た。
急いでその方向へと駆け出す。
「ああっ、あの悪魔!!」
通路の脇道を過ぎようとした時、そう云われて脚が止まる。
「大丈夫ですか?」
そのマネカタは肩を押さえてはいるが、重度では無いらしい。
此方を警戒しつつ、説明してきた。
「君生きてたんだね、って…そうじゃなくて!!」
「サカハギ…ですか?」
「そうそう!君も皮剥がれないうちに避難しなよ!!」
(皮を…剥ぐ?)
気になる言葉を脳が掻い摘む。
奥を見れば、まだ続く赤い道標。
「あっ!止しとけってば!!」
マネカタの声を背に受けながら、其れを辿っていく。
「〜〜!」
なにか、悲鳴の様な怒号の様な喧騒。
更に奥の突き当たりから、聞こえてきた。
(あの扉の奥か…)
胸に手を当て、一呼吸おく。
ひらりと電流が閃き、小さな体躯が姿を現した。
『ヤ、ヤシロ!?』
「久しぶり、早々で悪いけどこの扉の前で待機していてくれ」
歩きつつ、ピクシーを扉前へと誘導する。
久々の召喚だというのに、すぐに別行動という事実に
ピクシーは立腹した。
『ちょっと!何?その奥…すごくヤな感じがするわよ』
「だから、隙間から見てて」
『…危なくなったらディアでもかけてくれって?』
「そういう事、それか逃げれるように隙を作ってくれ」
『他の子に頼めば?』
「君が一番身を潜めているのに適しているんだ、頼むよ」
そう云って、口元だけでも笑いかければ
ピクシーはコロッと墜ちた。
『…しょうがないなあ!もう!!』
視線を逸らしつつ、赤面している。
(あれ?俺いつの間に悪魔に愛想使ってるんだ)
自分に驚きながら、扉に手を掛けた…
ねちょり ねちょり
耳障りな、粘着音。
絹を裂くような、高い音。
奥で蠢くシルエットは、何か作業的に動いている。
「…誰だぁ?次の獲物は」
その声は、俺に向かって放たれていた。
「同じマネカタに対して…何…しているんですか!?」
そのマネカタは…同胞の表皮を剥いでいた。
(このマネカタが…サカハギなのだろうか?)
ライドウとは違い、乱暴だが綺麗に。
まるで剥製の皮を採取するかの如く剥いでいる。
「はぁ?お前…そりゃマガツヒの為に決まってるだろ」
当然、と云わんばかりの語気。
「だったら悪魔を狩れば良いじゃないですか!」
俺の台詞が妙なのは分かっていた。
何せ俺が悪魔なのに、其れを云うものだから。
しかし、そのマネカタはニタリと笑って作業を一時停止させた。
「悪魔のくせして、嫌に否定的しゃねえか…な?人修羅さんよ」
その“人修羅”という単語に鼓動が跳ねる。
「お前の事、実はさっき見てから目ぇ付けてたんだぜぇ?」
濡れた腕を拡げ、気分良さそうに笑っている。
続けて俺の方へ、歩み寄ってきた。
「来るな…」
ぐっと靴を後ろへすり下げ、拳に力を篭める…
「おいおい、オレ様もあのヌエみたく真っ黒焦げは勘弁だぜ?」
見ていたのは、あの時か…
静かに脳で理解した。
「お前のそのライン、オレのコレクションに加えてぇんだよ…マジでな」
そう云いながら、そのマネカタは瞼から頬、首筋と
指で自らをなぞってニヤニヤしている。
その指のなぞる流れは、俺の斑紋のラインそのままだった。
まるで自分が、その指に嬲られている様な錯覚に陥り
身の毛がよだつ。
「残念だけど、皮を剥いだってこの紋様は刻まれていないですよ」
「なんでそんな事分かるんだよ」
「もう全部剥がれたから」
その俺の答えに、マネカタは腹を押さえて大爆笑していた。
「それが本当なら、お前は噂通りの化け物だな!!」
「…うる…さい」
「さっきのヌエだって、あそこでもう一蹴り入れる必要が有ったか?無ぇ!無ぇだろうがよ?違うのか?え!?」
俺は、握った拳を振るえずに聞いていた。
振るえばそれが、何の証明になるかを察していたから。
「お前は噂のまんまだな!頭のおかしい可愛い悪魔のボウヤだ」
震える拳を、そのまま掴み取られて
両腕を頭上に上げさせられた。
「いや…可愛いと云うか、可哀想な、か?」
「は、放してくれ…」
「自分の本能を押し殺してまで生き延びて、お前何がしたいんだ?あの時みたくガツガツ殺りゃ良いじゃねえかよ!!あの時のお前、どんな顔していたか分かってんのか?」
「聞きたくない、聞きたくない!」
(何故力が、入らない)
今まで自分で自分に問い詰めてきた疑問を、叩きつけられる。
ライドウとはまた違う苛み方で。
「ヌエに脚をお見舞いした時のお前、壮絶なまでに綺麗だったぜ?最高に恍惚としたイっちまってる顔…」
「違うっ!!!!」
(何故、涙がここで出るんだ)
頬を伝う何かの正体が認識出来ている間は、まだ人間だろう。
そう心に言い聞かすかの様な、反射。
「いいや…何にも違わねえよ、お前は悪魔だろ?同胞殺してるだろ?人間だってそうだったんだ。人間は人間に殺されるのが常だったろ?」
「人間は、大多数がそうなわけじゃ、無い」
「…どうだか」
鼻で笑ったマネカタは、俺の指先をきつく握り締めた。
妙な場所に掛かる負荷に、顔をしかめる。
「この指先から、肩までは首元に巻こうか」
マネカタの視線が、云うとおりに俺の斑紋を辿っていく。
「胸の辺りは、背と一緒に剥いで羽織にしようか」
そのままぐいぐいと背後に押され、扉が背に当たる。
そこで俺は出来るだけ踏みとどまった。
扉を挟んで、ピクシーが居るから。
「なぁ…口を覆うマスクはお前のその可愛い顔で良いと思わねぇか?」
手にした凶器が血塗れの反射で煌く。
その先端が、俺の額にあてがわれた。
「ここら辺から切れ目を入れて、ゆっくり剥いでいくのさ」
「あ…っ」
眼が開けていられない。
眉間に強く切っ先が当てられ、肉体の反射で双眸を閉じてしまう。
「お前の身体を纏ったら、修羅如き力が手に入るのか…どうなんだ?」
暗い視界に、そのマネカタの声だけが響き渡る。
「お、俺は人間だ…修羅じゃ、無い!」
「折角道中喰いかけのマネカタを置いてきてやったのに、喰わなかったもんなぁ?でもそりゃ痩せ我慢ってやつだ」
「人修羅じゃない!フトミミさんが…勝手に云っているだけだっ!」
「フトミミぃ?あの野郎の理想に付き合わされているなら尚更、下らねぇんだよ!綺麗事も欲を棄てた生き方も!!」
「むぐっ…」
凶器は、位置を変えて口内へと潜り込んできた。
錆の味が、金属のものか血からくるものか、分からなかった。
「お前の為に、口元のマスクは特等席として空けといてやる」
マネカタの声が、少し鮮明になる。
彼は、発声を妨げていた口の皮衣を外していた。
「お前の顔で口元を覆ってミフナシロへ挨拶に行ってやる」
「…ぐ」
「フトミミがどんな顔するか想像するだけで腹が捩れるなぁオイ!!」
『ジオ!!』
そのマネカタの笑いが、くしゃりと苦くなる。
俺の背を掻い潜り、電流がそのマネカタの身体を痺れさせていた。
俺は口に突っ込まれた凶器を強く歯で噛み締めた。
そのまま頭を振り、反対側の切っ先で思い切りマネカタの首元を薙いだ。
「うぐぁああっ、てめ…」
その弛緩した腕を振り払って、相手を突き飛ばす。
背後の扉をもどかしく開け放ち、ピクシーを片手で引っつかんで走った。
あのまま戦えぬ事も無かった…
でも、俺は一目散に逃げ出した。
背後から聞こえた叫び声が、耳に纏わりつく。
「理性の皮も剥いでやるよ!!人修羅!!」
『ヤシロ!どうしたのよ、逃げちゃって』
「はあ…はぁ…」
『あのまま他の仲魔呼べばあいつ殺せたかもしんないじゃない』
あっけらかんと言い放つピクシーに、瞬間沸騰する。
振り返りざま、ピクシーの背後の石壁に拳を叩き込んだ。
流石にターミナルの部屋は頑丈なのか、ミシリと亀裂が生じた程度に終わった。
『ヤ、ヤシロ…』
「俺は、俺は悪魔だよ!そうだよ悪魔そのものだよ!!」
拳を打ちつけ、表皮が削がれても殴り続けた。
「殺す瞬間もマガツヒに触れる瞬間も!感じるのは嫌悪感だけだと思っていた…でも違う!!」
涙が止まらない。
「湧き上がる…んだ、人間より強くなった力を振るう快感がっ」
それを行使しながらに、贖罪を求める背徳感。
「悪魔なんて同胞じゃ無いと思っていたのに!!」
爪が剥がれても、石壁を掻き毟った。
赤い線が幾重にも連なる。
「悪魔にされて!殺し合いさせられて!俺になんの罪が有ったんだよ!?」
『ヤシロ!落ち着いてよっ』
「神様だって天使だって悪魔なんだ!!人間の本能だって悪魔なんだろう!?だったら所詮世界なんて悪魔で構成されてるんだ…!!あははは、あはははははっ!!」
もう、笑うしかない。
人間で居る事なんて、このボルテクスでは無理だったんじゃないのか?
そう自分に赦しを与える為に、声高に叫んだ。
「ははは…はぁ…はぁ…」
石壁に、もたれる。
床にうずくまり、そのまま黙っているとピクシーが背に下りてきた。
『無理しなくて、いいじゃない。アマラ深界で気分晴らせば?』
「…」
『それでスカッとしたら切り替えて、人間の世を目指して創世も良し、悪魔で居続けるも良し…でしょ?半分なんだから選べば?』
「っう…うっ……わああああああ!!あっ、ああっ…っく…」
今、流す涙は何の為なんだろうか。
俺はいつから、本能を必死で隠して生きなければならなくなったのだろう。
この本能は、俺を確実に蝕んでいる。
本能に、このままでは…喰い殺されてしまう
「ピクシー…」
『なぁに?』
「この後、アマラ深界付き合って…」
毒をもって毒を制す…
まだ、居れる。
まだ人間の部分を残していてやる…絶対に…
屍の上にその冠を戴く事になっても
その屍が悪魔なら
もう…それで良い気がしてきた。
あの俺にマガタマを植え付けた悪魔と思わしき奴等を
八つ裂きにするまでは、取り込まれるものか…
フトミミ・サカハギ・了
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