オベリスク
「彼は順調にメノラーを揃えています」
『そうですか…』
「此処に潜る事は少ない様ですが、魔人との戦いは避けられぬ様子です」
『勿論、あの者達とて半人である悪魔に引けを取るつもりも無いでしょう』
黒いレースのベェルの奥で、哂う瞳。
(自分達で計っておいてよく云う)
喪服の淑女が、傍の車椅子に寄り添う。
『我等の主も、彼がただ生き残れば良い、とは思っておりません』
車椅子の上で、杖を握る老人。
頷くでもなく、ただ黙して頬杖をつく。
『火の粉を掃い除け、多くの屍の上に立ってこその修羅…我等が剣』
「…失礼ですが、メノラーの回収が目的…でしたよね?」
僕は、笑っていたと思う。
あざとい問いかけに、相手が憤慨するとも思わなかったからだ。
『…貴方はもう解っているのでしょう、デビルサマナー』
「そう思われるのでしたら、その様に」
『メノラーは餌…』
「餌の喰い合いをさせて、其れを使い先を照らした者だけが頂に立つ、と?」
淑女達の不敵な笑みに、肯定と見受ける。
(まるで蠱毒の様だ…)
猛き者達の喰い合い。
この血肉の壺で残った者を祀り上げるのか。
『葛葉ライドウ、貴方こそ我々の思想を理解出来ると思いますよ?』
いきなり矛先が自分に向いた事に、多少驚く。
「何故でしょう?」
『自らの定められた運命を呪い、善悪の均衡を量りかねる貴方には』
「…探偵は雇われる前に身辺調査をされる、とは真実の様ですね」
胎の探り合い。
口元に張り付く笑み。
逸らさぬ眼。
決して相手に読ませようとしない、壁を互いに打ち立てての会話。
覗き穴を介してでも伝わる…空気が重い。
『デビルサマナー、貴方が悪魔となっても良いのですよ?』
「僕が?」
『力を求める兵を、我々は受け入れます』
自然に口が歪んでしまう。
とても…とても馬鹿馬鹿しい。
「遠慮しておきます」
まだ死ぬつもりは無い。
適正者しかあのマガタマなる種の苗床になれぬ事くらい解る。
でなければ、あんな普通の少年に植える筈無い。
あんな無害な人間に。
「もう十分悪魔らしいですからね」
『フフ…ならそれはそれで』
僕の拒否をどう取ったかは知れぬが、予想した通り…らしい。
「では報告はひとまずこれにて…」
帽子を目深に被り直し、淑女の反応を確認してから離れる。
その覗き穴は、多分思っているより深いのだろう。
彼らが実際に居るのは、更に深い奥底…の筈。
少し離れた処で、メノラーの光に照らされゴウトが佇む。
『おい、依頼主はなんと?』
「まあまあ満足している様子です」
煌々と辺りを照らすメノラー。
まだ最初の層だが、これは人修羅が点した物。
彼が此処へ潜った証。
自らの人間を削いで、供物とするような。
(人の油で悪魔の魂を燃やすのか)
「なんて背徳的」
クスリと、零れる笑いにゴウトが鳴く。
『お主も望んでいる癖して、何を云う』
微量の侮蔑をはらんだその声音。
無視してその黒猫を拾い上げる。
「散り散りになりたくなかったら、しっかり抱かれておいで下さいな」
にこやかに伝えて、僕は階層移動の穴へと飛び込んだ。
重力の反転するこの穴。
片腕でゴウトを抱え、抜刀した腕を振る。
赤い障害が弾け跳び、外套と顔を濡らす。
「此処は汚れるから好きじゃない」
誰に云うでもなく不満を漏らし、上階層へと降り立った。
『ぷぁ!く…苦しかったわい』
「お疲れ様です」
腕から飛び出し、逃げるように着地するゴウト。
僕は外套をひと掃いし、刀を壁にぶっ刺した。
ぐずりと鈍い感触が指先に伝わる。
そのまま抜いて、先程の飛沫を拭い取る。
『気味の悪い手入れをするでない』
「迅速かつ効果的ですよ」
この肉壁なら刀身が刃こぼれする事も無い。
勿論、綺麗に刺さねば良い影響は及ぼさぬが。
「さ、オベリスクへ向かいましょうゴウト」
ターミナル、アマラ天輪鼓に手を当てる。
(1番近場はマルノウチ…)
目まぐるしく流れるアマラの流れが眼に痛い。
僕は移動中いつも眼を瞑る。
この移動中というのは、集中せねばあらぬ処へ流れる可能性が有る。
(思えば、ボルテクスにも慣れたものだ)
空気の沈静化を肌に感じ、眼を開いた。
部屋を出て、静かな空間に足を踏み入れる。
最近ニヒロの司令官が、人修羅に接触したようだが…
人修羅功刀は、どうやら賛同もしなかった様子だ。
彼の思想に近いと思ったんだがな…
流石に他者から利用されるのは、あの自尊心が赦さぬのか。
『長い回廊だな』
いい加減、続く廊下にゴウトがブツクサ云い始める。
「ループしていたらどうしますか?」
『おい、悪い冗談はよせ』
笑いながら云う僕に叱咤する。
「でも、知らぬ内に無限回廊を歩まされていたらどうしますか?」
『…知る由も無いなら、どうするも何も無い』
「でしょうね」
『歩き続けているのだろうよ』
何を示唆したのか、聡いお目付け役は解ってくれた様だ。
人修羅…彼の歩む道は、いつ形を変えるのだろうか?
(僕が変えてみせようか)
妖しいその予感に、胸が躍る。
「ほらゴウト、僕達は出れたようですよ」
カグツチの光が射す出口が見えた。
見上げると、天まで届きそうなその外観。
「何階あるのでしょうね」
『数える気も起こらんわ』
疲れた声のゴウト、昇る前からこれとは余程気が進まぬのだろう。
オベリスク…カグツチに近い塔。
この頂に囚われの姫君…か。
果たしてその姫は、人修羅の望む回答をするのだろうか?
彼はどうも、絶望へと進む傾向があるようだ。
可哀想な、可哀想な人修羅。
ニヒロの巫女が、あれを悪魔にした様なもの。
その張本人を助けるのは、何の為か。
憎しみ余って、殺すのではないだろうか?
それもまた、自尊心が赦さぬだろうか?
(悪魔は殺せても人は殺せぬか)
道中の悪魔の死骸を見て、口元が綻ぶ。
焼け爛れた死骸は、あの人修羅の得意とする焔を匂わせる。
「しかし、未だに女性に手を下すのは苦手な様で…」
点在する悪魔を見る限り女性型が多い。
彼女等と遭遇しては逃げているのだろうか。
残党は女性悪魔が大多数を占めていた。
『お主の様な冷血漢では無いのだろう』
傍のゴウトが云った瞬間、斬り削いだサキュバスの翼が地面を叩いた。
「悪魔に性別も何も」
刀身をひと振りし、血油を掃う。
「でも抱くなら女性型かな、とは思いますが」
『わざわざ口にするな!まだお主も一応書生の身だろうが!』
そのゴウトの台詞がちゃんちゃら可笑しくて、思わず吹いた。
「万年不登校の書生に何を求めておいでで?」
鞘に収めた音が、キチリと小さく響いた。
「それならサマナーなどさせるべきで無いですね、コレは実に教育に悪い」
『しかし其れがお主の本分だ』
「なら好きに生かせて下さい、責務は果たさせて頂きますので」
急に青みを帯びた足元に警戒し、応酬を止めた。
どうやら仕掛けの様だ。
この類の物は、支配する者の趣向が出る。
時間操作か…?
ちら、と上空を見る。
同じ様な足場が浮遊する様が、取って見られる。
失敗は命取りだな…あの高さは。
この人の身では耐え切れまい。
「何かで試すべきですね」
ゴウトに話しかけたその時、上から物音がした。
反射的に見上げれば、先程の足場が消えている。
瞬間的に霧散したかのような状態。
そして物体が重力に逆らえず舞い落ちてきた。
「わあああああっ!!」
その姿と悲鳴に、身体が迷わず動く。
両の腕を差し出し、脚に力を込めて衝撃に耐える。
手前に見えた光球に触れた気もするが…そう思っている内に
どさり、と結構な圧が腕に奔る。
目測は我ながら見事としか云いようが無い。
「思ったより重いね」
「!?」
僕の声に、もう条件反射だろうか
怯えた様な、睨み付けるかの様な
そんな顔を向けてきた腕の中の人修羅。
「お姫様のように抱っこされるのは好かない?」
馬鹿にした台詞に、顔を真っ赤にする彼。
だが、暴れるかと思っていた矢先
「馬鹿!壁見ろ壁っ!」
ハッとした彼が辺りを見渡して叫んだ。
「壁?」
何か、確かに見えるが…
余所見をしている隙に殴られてもおかしくない。
「足元見ろ!ほら!そっちに早く移れ!」
「このままで良いのかい?」
「良いから!右・右・向こうでブロック踏んで渡れっ!!」
はあ、成る程。
僕はそのまま少ししゃがみ、背後に促す様に叫ぶ。
「ゴウト!乗れ!」
トッ、と肩に飛び移ってきた猫の感触。
半人半魔1人と猫の重量を身体で支え、足元を確認しつつ渡る。
足場は崩れる事無く、向かいへとそのまま降り立つ。
「有難う功刀君、君が計算間違いしてくれたお陰で解ったよ」
降り立つと同時にそう云えば、足場ばかり気にしていた彼が
此方を振り向きながら拳を振るってきた。
想定の範囲内なので、そのまま数歩先辺りに投げ飛ばし事なきを得る。
背から落ちつつも、後転して低姿勢のまま構える体勢を取った人修羅。
「計算ミス位、あんただってするだろ」
「命懸けの計算ではしないかな、一桁程度の暗算なら尚更ね」
「気ぃ散ってたんだよっ!!」
立ち上がり、両腕を交差させる彼。
辺りに熱気が生まれる。
咄嗟に管を掴み、名を呼ぶより早く命じる。
「死ねッライドウ!」
「マハザンだ!」
光と共に現れたモー・ショボーがその光を疾風に変える。
薙ぎ払われた熱気が、前後左右で取り囲む様にして爆ぜた。
その爆発の向こうで、静かに舌打ちする人修羅が垣間見えた。
「助けてやったというのに、随分だな」
立ち昇る余波の煙を纏い、抜刀しつつ接近した。
低く姿勢を取り、濁った空気に姿をくらませる。
「うがああああああっッ」
突如、獣の様な雄叫びが、まるで道を開くかの様に煙を散らす。
同時に身体に変化を感じた。
(能力に制限を掛けられた…)
開けた空間に、仁王立ちで咆哮を止めた人修羅が見えた。
「誰も頼んでない!」
叫び、両腕を左右に伸ばす。
バチリと電流が伝い、彼の両脇には呼ばれて出でた悪魔が並んだ。
(マカミ、キクリヒメ…)
大人しい面子だ。
彼らしいといえば、彼らしかった。
「ショボー」
僕は構えのまま、背後に命令する。
「きゃははっ!任せてぇ」
その幼女のカラカラとした笑いと共に身体が軽くなる。
デクンダの効果が縛りを失くす。
「上出来」
軽くなった身体を良い事に、柄を握る掌に力を込める。
元の力が入る、これで彼の肉を深い処まで斬りこめる…!
「随分と保守的な仲魔だね」
長い胴体を使い、打ち付けてこようとするマカミを
刀で斬り伏せる。
当然すぐ起き上がり、2撃目を狙いにくる。
足元に擦れた音がした。
制服の折り返し部分が、少し裂けて糸屑を舞わす。
「ふっ」
伏せた刀をそのまま折り返すように薙いで、斬り上げた。
マカミの胴にえぐる様に刀身を埋め込む。
ビクリと一瞬の痙攣。
だが、気にすべきは彼だ。
(人修羅!)
確認もせずに、背後に振り向きざまに蹴りを見舞う。
「あぐぅっ!!」
彼の悲鳴。恐らく胸元に入った。
あまりに思った通りで、クッと哂いが零れてしまう。
そして気持ち良く吹っ飛んだ人修羅を、キクリヒメが受け止める。
『ヤシロ様!』
「…大丈夫っ」
胸元を押さえて、息を深く吐く人修羅。
「へえ、やはり頑丈だな君は」
その姿を見つつ、足元に横たわるマカミから刀を抜き取る。
死んではいないが、今は再起不能だろう。
『きゃ〜ん!ヤシロ様だぁ』
モー・ショボーが頬に手を当て、空で身体をくねらせる。
ぎょっとする人修羅…
それはそうだろう。
「おい、足だけは引っ張るなよ」
モー・ショボーに一言云い、構え直す。
と…ふと思いついた。
「ショボー、お前だけでやってこい」
僕の意外な指令に、彼女は憤るどころか更に笑顔になった。
『ショボーだけでいいのぉ?行ってきまぁ〜す!』
羽ばたき、彼等に迫るショボー。
強張り、告げる人修羅。
「キクリヒメ、応戦してくれ!」
『了解致しましたわ』
その様子を見て確信した。
(やはり女子供に弱い…)
それはもう決定的な弱点であった。
腰のホルスターに指を沿わす。
なぞり、冷たい金属を握る。
「そのまま宜しくショボー」
穏やかな声音で僕は云った。
銃の照準は…彼等。
渇いた音が雨のように降る。
「うぅっ!?」
『きゃあ!』
一通り撃ち終わり、薬莢の軽快な音が辺りに響いた。
血だらけになった人修羅が、ショボーの向こう側から怒鳴る。
「あんたの仲魔が此処に今居るだろ!?」
その台詞に心底思う。
「君は勘違いしているよ」
本当、可哀想な少年。
『ショボーは全っ然平気だよ〜!ヤシロ様!』
その愛らしい言葉を紡ぐ薔薇色の唇が
異形の嘴となって彼の首元に突き刺さった。
「っあ!!」
『ヤ、ヤシロ様ぁ!』
慌てて指を組み、術を生み出そうとするキクリヒメ。
その組まれた指に狙いを定める。
「させない…!」
この間に装填した弾を全弾
その美しい女性の指に、掌に撃ち込む。
『…ぅっ』
声に成らぬ悲鳴を呑み、キクリヒメは身体を震わせ慄く。
タタッと赤い液状のものが床を打つ。
「キクリ…ヒメ!」
喉元に刺さる嘴で空気が逃げるのか、かすれた声の人修羅。
キッとショボーを睨み、腕を伸ばす。
そのまま拳でも叩き込むのかと思いきや…
「や、止めてっ…君」
ショボーの頬を両掌で挟み、押し退ける彼。
ずるずると引かれた嘴が、肉から抜けると、赤い飛沫が迸った。
「うああ…ッ」
ショボーをそのまま突き飛ばし、うずくまる彼。
その飛沫で体を、羽を真赤に濡らしたショボーはといえば。
「あははっ!あったか〜いぃ!おまけに美味し〜い!」
人修羅のマガツヒを直に受けて、感極まった状態だ。
(全く…馬鹿な奴)
銃をホルスターに収め、柄に手を伸ばしつつ寄る。
「功刀君、どうしてその悪魔を攻撃しない?」
「…」
押し黙り、しかし警戒は解かずに此方を睨んでくる。
その眼から視線は逸らさず、僕は近付いていく。
キクリヒメの傍まで来ると、その手先に目が行った。
穴だらけになった掌。
芯の見えている指先。
外套からすいと腕を伸ばし、それを掴みあげた。
『ひっ』
痛みと恐怖か、短い悲鳴をあげる彼女。
「痛かったでしょう?銃の弾は」
『っは…あ』
その指先の残った肉を、恋人がするように優しくなぞる。
「だが、もっと酷い事は幾らでも出来る、この葛葉ライドウには…ね」
彼女の眼から他の色が消える。
恐怖しか残らぬ、彼女はそのままへたり込み、項垂れた。
「いいっ、もう戻って良いキクリッ!戻れ!!」
その声が終わる頃には、彼女は姿を消していた。
戦意喪失による帰還。
人修羅の声が掛かるのが遅ければ、独りでに帰還していただろう。
「で、何故攻撃しないの?女子供の形をした悪魔には」
上から見下ろし、うずくまる人修羅に問い掛ける。
『ねえねえ!もしかしてショボーが可愛いからあ〜?』
「ちょっと煩いショボー」
空気を読めない辺りが子供型の特徴だが、これは頂けない。
するとショボーの声に触発された人修羅が、彼女を見て云った。
「君は自分に弾が当たるかもしれなかったのに、怒りを感じないの!?」
怒るようにそう、叫んだ。
まるで賛同を求めるかの様に、だが…
『ええっ、だってライドウはそういう人だよ?おかしくなんか無いよ?』
まさに返り討ちである。
無邪気に笑顔で、相手にそう返されてしまっては終わりだ。
「だって…彼女はまんざらでも無い様だけど?」
足先で、彼の顎をくい、と上げる。
「そんなにフェミニストで在りたい?」
「ち、違…」
「気分が悪い?寝覚めが悪い?殴る感触が柔くて気持ち悪い?」
「歪んでるな、あんた…っ」
「君らしい馬鹿さ加減で好きなんだけどな、功刀君」
足先でそのまま彼を横倒しにする。
ぱたりと崩れる彼の眼が驚愕に見開かれる。
「何故?という顔をしている…」
ギロ、と金眼だけ此方に寄越す彼。
「ショボーの嘴は餌に対して神経毒を注ぐから…」
倒れた彼に、そう説明する。
身に沁みて解っているのは彼だと思うが。
『くぅうう!動けないヤシロ様って…最高の』
「煩い」
いい加減煩かったショボーを、返事待ち無しで管に戻した。
一息つき、足元の彼に向き直る。
「さてと…どうしようかな?」
僕はそう云い、遠くの影に身を潜めるゴウトに目を配る。
『それで殺して、依頼主に文句を云われても我は知らぬぞ』
「まさか!僕が依頼をしくじる事が今まで有りましたか?」
それは妙な自信、という訳でもなくて
葛葉としてのプライドを、多少なりとも持ち合わせた上での発言だった。
「君には最上階にさっさと到達して欲しいんだよ功刀君」
彼の首筋に指を滑らせる。
先程穿たれた穴が、塞がりきらずに赤い光を垂らしていた。
指先に感じる鼓動に、彼を感じる。
「以前より肌は良くなった?」
「うっ…さい!」
四肢を折り、眼でしか反論できぬ人修羅が
僕の指先を嫌悪している。
その腕を掴み、自身の肩上に乗せる。
もう片腕をくぐらせ、胴体を背に乗せた。
「よっ…と」
『おい、ライドウ』
「なんでしょうか?」
『何故そやつを背負う』
「だって、先に到達しても暇を持て余すだけでしょうから」
外套越しに、人修羅を背負う形で歩き出す。
当然ゴウトだけでは無く、背中からも意見が飛んだ。
「おい!何で、あんたに負ぶわれる必要があるんだ…!?」
「君弱いし、女に手が出せないのだから時間がかかると思ってね」
少し引き返し、未だ倒れているマカミに寄り足で小突く。
「この仲魔、早いとこしまいな」
「あんたに云われずともするっ!」
足先の感触が消え、その悪魔の帰還が目に見えた。
「やれやれ、君はもう少し攻撃的な悪魔を従えるべきだ」
「俺が攻撃すれば済む」
きっと僕に云われる言葉は何でも気に入らないのだろう。
そのまま赤いブロックに乗り、階層を昇る。
一段一段の幅が広く、大股で其れを昇っていく。
押し黙っていた背中の君が口を開いた。
「あんたに何のメリットがあるんだ」
「君をこうして運ぶ事に?」
「…何を企んでいるんだ、あんた」
彼の勘ぐりは、して当然のものだ。
ずり落ちてきた彼を、勢いつけて上に上げる。
「企み…か。強いて云うなら、君がアマラ深界へ潜るのを少しでも早めたいから…とでも云っておこうか?」
背中に対して哂いかける。
「俺は、あんたの望む最終形態は取らない」
「…完全なる悪魔?」
気配を感じ、銃を抜く。
片腕で背中の人修羅を支えつつ、柱の影に発砲する。
悲鳴と共に転がり出る悪魔。
「何が完全を指すのかは知らぬが、今の君には無理だろうよ」
弾切れまで撃ち込み、その向こうから湧いてきた悪魔に対しては
抜刀と同時に斬り付けた。
「っ」
背中の呻きに咄嗟に振り向いた。
カラステングの羽ばたきで、矢の様に降り注いだ矢羽が
背中の人修羅の背に幾つか刺さっている様だ。
「盾になってもらってしまったな」
苦笑し、片手では銃の弾が装填出来ぬ僕は
刀を逆手に持ち、思い切りカラステングに向かって投げつけた。
『ぎゃっ』
中心に突き立つ刀を見送り、管を抜く。
「ヨシツネ、取って来い」
光を震わせて姿を現せたヨシツネが渋い顔をする。
『俺は犬じゃね〜っつの』
そう悪態をつきながらも、カラステングに向かって突進して行く。
双剣が、その悪魔を切り刻む。
『ほらよ』
抜いた刀を下から放るヨシツネ。
放物線を描いて抜き身の刀が振ってくる。
「もう少しまともに返せ」
文句を云って僕はそれを受け止めた。
辺りを警戒し、一掃した事が確認出来ると
壁際に人修羅を一旦下ろした。
「く…」
背中に刺さったままの羽を、抜き取る。
神経毒が効いていても、痛覚は消えぬようだ。
銃に弾を装填し、ホルスターへと収める。
そして外套の首元に在る紐と釦を外し、その背中に掛けた。
「…何だよ、お情けのつもり?」
「これで少しは背後からの攻撃も防げるかと思ってね」
人修羅に外套を纏わせ、其れを背負った。
学生服のみとなり、少し腕周りも大きく動かせる様になる。
「ああ、学校に偶には行ってみたいものだ」
『よっ!不良男児!万年不登校!』
「煩い」
ヨシツネの野次に一言哂って返す。
「…あんたの仲魔って頭おかしいのか?」
背中で人修羅がぼそりと呟いた。
もう随分昇った筈なのに、天井が見える気配が無い。
『ライドウの旦那、本当アンタってタフだよな』
背後を任せてあるヨシツネが、笑いながら掛けてくる。
「いや、正直疲れている」
『へぇ!珍しい事もあるもんだ』
(見て解らないか)
全く、その烏帽子の中も全て脳なら良かったろうに。
イヌガミより、即戦闘に対応出来るヨシツネを連れているが
こいつはあまり節約だの調整だのを考えない。
その為マグネタイトの消耗が、実は激しい。
完全に攻撃要員。
「…功刀君」
背中に話かけてみた。
先刻から定期的に飛んでいた侮蔑や不満が治まったからだ。
「…?」
少し肩をおとして、背後に振り向く。
「…おいおい」
なんと、すやすやと寝息を立てているではないか。
悪魔に睡眠が不可欠では無い筈なのに、どうしたのだろう。
道中のドルミナーが実は効いていたのだろうか?
「まあ、寝ていてくれた方が好都合か」
女性型の悪魔を殺す度、背後からの嘲りを聞かずに済む。
(しかし、弛緩した身体というのは男女関係無く重いらしいが…)
流石に負ぶって昇るのはしんどくなってきた。
人間ではやはり限界が有るな…
ふうっ、と力を入れなおして一呼吸。
した途端に首が絞まる。
何かと重い、視線を下にやる。
人修羅の、綺麗に斑紋の通った両腕が首を抱きしめていた。
確かにずり落ちる事は無いが、少々苦しい。
そして項に感じる彼の吐息。
寝惚けているのか、凄い密着率に鼻で笑ってしまう。
「寝ている間は随分懐っこいようだ」
『アンタが誰か負ぶってるなんざ他に無ぇだろ』
「依頼で一件、迷子の少女を負ぶった」
『げえええ、想像出来ねぇし!』
「まあ、背中にその後酷いダメージを喰らったのだけどね」
なんじゃそりゃ、と疑問顔のヨシツネ。
(だって、その少女は悪魔だったのだから)
葛葉ライドウを陥れる為の、遣い。
子供だから、と油断した昔の自分が懐かしい気もする。
未熟だった。
今なら、少しでも妖の気を感ずれば
いつでも斬り殺せる様、準備をするのだろう。
少し思い出して歩みを進めていると
狭い通路に入り、ヨシツネが云う。
『ここで出くわしたか無ぇな』
「そうだな」
その矢先、気配を感じて止まる。
『居るか?』
「…」
柄に手を置き、抜刀の用意をして壁を背後に躍り出る。
(…アラハバキ!!)
「ヨシツネ!戻っていろ!」
『はああぁ?何でだよおいっ…』
有無を言わさずに管へと戻し、引き返す。
とりあえず広い処へ出ようと。
(イヌガミにブレスでもさせるか…)
駆け出して曲がり角に入る瞬間。
「はっ…千客万来だな!」
反対からも土偶が迫ってきた。
どちらもアラハバキ、物理は無効。
(ショボーにザン系で…)
考えながら、管を抜こうとするが
狭くて相手の攻撃に間髪が無い。
(やれやれ、重いな)
結構消耗していたのか、自身の動きの緩慢さに少々苛立つ。
2体の土偶の突進が、狭い通路を満遍なく埋める。
端まで退避しても、避けきれぬ。
胸部を穿つ衝撃に、脚を踏みしめ耐え抜く。
少しでも隙が生じたら、召喚か…
刀で受け流して刃こぼれや、折れるのだけは避けたい。
すると、奴等は2体同時に此方へと突っ込んで来た。
同士討ちも狙えるが、それによる爆ぜた欠片が
こちらにも被害を及ぼすのは目に見えている。
しかし、背を向けて護りに入れば背中の人物に多大な被害がいく。
(いや、彼はすぐ治るから良いだろう)
脳内でそう瞬時に思ったが、何故か身体は動かなかった。
…甘んじて受け止めようか。
帽子のつばを下げ、顔をその腕でせめて覆った。
その時、急に首元の圧迫が消える。
眼前に交差する腕が、光を帯びた。
周囲の空気が微振動をして、疼く…
(地獄の業火…!?)
自分を取り巻くようにして、辺りが爆ぜた。
通路に立っているのは、人修羅を負ぶさる自分だけ。
アラハバキは、この狭い空間で焔の圧を直に受け崩壊したようだ。
眼前で交差を解いた人修羅の腕からは
魔力とも煙ともとれる気が立ち昇っている。
「気が利くじゃないか」
「…」
「いつから毒は抜けていたの?」
いや、いつから狸寝入りだったのか?と聞くべきだろうか。
「このままあんたを殺そうかとも思ったけど」
「けど?」
「…あまりに卑怯っぽくて嫌だから」
怒気をはらんだその言葉。
背後から討てなかった自身への怒りだろうか?
それも自尊心が邪魔した結果か。
なんて、甘いんだ。
なんて…
「君は勘違いしているよ」
なんて愉しいんだ。
「もっと僕と正面から殺り合いたいんだろ?」
足元の黒猫が、僕に威嚇した気がする。
オベリスク・了
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