「何を考えているのか知らないが」
ライドウが、刀を持ち直して俺の頬をぴしゃりと裂いた。
当然、ライドウの頬にも赤い筋が奔る。
「僕と同じ心持で居てくれなければ困る」
「あんたの頭の中なんて知らない」
「対峙する悪魔を処分する事だよ」
血を形の良い輪郭に滴らせ、不敵な笑みを浮かべたライドウ。
突然俺の頭を掴み、そのまま押し退ける。
「なっ」
いきなり何をするのかと、ライドウの方向へと向き直れば
クロトがライドウの刀をかわす瞬間が、俺の眼に映った。
「もうテトラカーンは無い様ですね」
そう云ったライドウが、酷く嬉しそうな笑みを湛えた。
その横顔は、悪魔的でさえあった。
『なに…』
「貴方には用はありませんから、ご長女様」
勢いを付けたその刀身に、羽織の隙間からばっさりとやられる彼女。
振り上げた刀を前方に構え直すライドウの顔は笑顔だ。
マガツヒの飛散した雫が、俺の身体に撥ねた。
『き、貴様あぁっ!!』
糸を手繰る事すら忘れたラケシスが、ライドウに襲い向かう。
それを構え待つライドウが、視線を俺に投げる。
「飼い犬が通行人に襲い掛かったら君はどうする?」
ただ一言、俺に云う。
俺はその言葉に反応したのか、それとも反射だったのかは謎だが
「うおおぉっ!!」
自身の首から伝う糸を掴み、思い切り引き絞る。
ラケシスはライドウの一歩手前で、見事背後に引っ張られるように
掴んだ糸に絡め取られ、転倒した。
その俺の行動に満足だったのか、ライドウはクスリと哂った…
「無能では無いみたいだね」
先刻クロトを斬り裂いた刃が、何の躊躇も無くラケシスに突き立てられる。
『ぎゃああああ』
つんざく悲鳴に、俺は思わず顔を背けた。
耳も、本当は塞ぎたかった。
『あ、ああ』
その背けた先に気配を感じ、見上げれば
先の方角にすっかり縮こまった三女が、後ずさる様にして居た。
顔を覆う外布から、怯えた眼がか細く光っている。
「その鋏を貸して頂けるなら、もう済むのですが」
ひゅっと刀を回し、鞘に納めたライドウがアトロポスに語りかけた。
先刻姉二人を始末しておきながら、この態度。
『よくも、姉さま達を…!』
「貴女だって人修羅の仲魔を始末したでしょうに」
『ニヒロ以外の勢力は皆敵だ!氷川総司令の邪魔をするなら…』
言葉を止めたアトロポスの周囲に魔力が漲る。
『消えておしまい!人修羅!デビルサマナー!』
吹き荒れる疾風が、ライドウの外套を裂き
帽子を飛ばした。
俺の身体に奔る傷が、ライドウにも同じ痕を刻む。
「折角納刀までしたのに」
豪風で何となくしか聞こえなかったが
ライドウはそう云った気がする。
「残念だ」
それが合図だったのだろうか。
その台詞と共に、抜刀した。
その切っ先からは目に痛い眩い光が放たれていた。
きつい、蛍光色の緑…
それを衝撃に沿わせるように振るえば、薙ぐ風は掻き消えていく。
(マガツヒと違う!?)
嫌に人工的な光に、体が粟立った。
『くぅっ…鋏はやらぬぞっ!!』
抵抗し、鋏を持った手で更に魔法を放とうとするアトロポス。
俺はせめて、鋏を奪い取ろうと目論んでいたのだが
ライドウは…違った。

「勝手に頂きます」

そのライドウの言葉と同時に、俺の足下に
ゴツッと鈍い音がした。
何か最初、判断すら出来ずに暫く眺めていた。
「…う!ううっ!」
自身の噛み締めた歯の隙間から、恐怖に洩れる吐息が逃げる。
鋏を握った女性の手が、びくりびくりと痙攣して地面に転がっていた。
ライドウが、無情にも切り離した手首。
鋏さえ在れば良い、と云わんばかりの所業。
『うわああああっ!?』
アトロポスの声がする。
錯乱しているのだろうか…
(悪魔だって、痛い)
それは俺が良く知っている。
以前殺したヤクシニーを思わせる叫びに、俺は吐き気を感じる。
あの時、彼女を殺せたのは、あんな仕打ちがあったからだ。
俺も錯乱していたからだ。
でも…目の前の悪魔召喚師は違った。
「功刀君、それ拾っておいてくれよ」
ライドウは落ちた帽子を拾い上げ、いつものように深く被る。
あの男の頭には、悪魔の角でも生えているのではないかと
目を凝らしたが、漆黒の髪が手櫛でかき上げられただけだった。
烏の濡れ羽色、だった。
汗で湿って…すらいなかった。
「アトロポスは、あのままなのか」
あのまま錯乱していても、魔法のもう一発は放てるだろう。
俺は同情と警戒を持って、ライドウに云う。
「可哀想ならとどめを刺しておやり」
「…」
「それとも…後の障害になるから始末したい?」
ニタリと哂い、俺に問い掛ける。
俺の中の悪魔に、間違い無く問いかけている…
「うるさい…っ」
わなわなと、身体が震える。
「ほら、鋏を掴んで、早いところ切って」
「掴んで…って」
すでに手首から先だけのアトロポスが掴んでいる、その鋏を?
俺がする…というのか。
ライドウの眼が、急かす。
早く、やってみろ、それを引き剥がし、掴んでみろ、と。
「う…っ」
そっと、拾うとまだそれは微かに生暖かい。
指先に、赤い液体が伝う。
その強固に握り締めたアトロポスの指を、開いていこうと
自身の指を掛ける、が。
(硬い…っ)
酷く、硬い。どれだけきつく握り締めているのだろう。
鋏の咬み合わせすら、動かぬ位である。
「ほら、引き剥がしなよ」
ライドウの言葉が追い立てる。
「指を千切ればわけないだろう?人修羅には出来無い?」
「あんた、簡単に云うなっ!!これって…!」
これは、女性の手指だろう?
何だよ、千切る…って。
これを掴んでいる時点で、俺は気分が悪かった。
普通に悪魔を殺してきたのに、これは、駄目だ。
「先の戦闘では活躍出来なかった分、此処でしっかり働けよ?」
クク…と帽子の影から覗く眼が、光を帯びていた。
暗く妖しく光る眼。
「っう…ううっ!!」
何故、何故なんだ。
何故いつも俺の腕は、指は護れないのだろう。
指先を、グローブを嵌めたアトロポスだった指に、立てる。
爪をめり込ませ、その皮の感触が
肉の表面へと移行するのが分かる。
ごりぃ…ごりり
俺の指が、その指に埋まる。めり込んでいく。
ライドウの視線が冷たく俺の手先を見る。
(あんたがやれと云ったのに…)
随分と冷たく見下すんだな。
惨めな俺を蔑んでいるのだろうか?
結局は自身の生きる道を選んでしまう、利己的な俺を?
あんなに嫌がっておきながら、女性の指を引き裂く俺を?
「くっそおおおっ!!」
指先の圧で、鋏ごと粉砕しそうだった。
それは避ける、何としてでも…
俺は、その手首を横にして掴み直し、その指部分に歯を立てた。
人差し指と中指に、前歯を引っ掛ける。
下の歯で、それを咥え込む。
苦い皮グローブの味と、マガツヒの苦味。
噛み砕く感触に、背筋がぞわりとした。
その骨が砕け、ぶちぶちと筋が千切れていく音に
ライドウがフッと哂った。
俺は喰い千切りながら、その悪魔召喚師をひたすらに睨んでいた。
(痛いのは俺じゃないのに…)
何故だか、目尻に涙が滲んできた。
この男に結局助けられて、結局女性の指を咥えて千切る状況に…
情けない俺自身に…
「うっ、うえぇっ!えっ…!」
唾液とマガツヒを唇から垂らして、肉の崩れた指を吐き出す。
「はあっ…はあ…っ…これで、満足、かよ…!」
ずるりと剥がした鋏を、ライドウに突き出す。
赤くぬめるそれを見て、そいつは唇を歪ませる。
「やれば出来るじゃないか、悪魔らしい事が」
その言葉を聞いて、荒げた息を呑む。
奥歯を喰いしばって、俺は鋏を掴んでいない手で
ライドウの顔面に拳を叩き込んだ。
少し顔を逸らし、頬で受け止めたライドウ。
脚で地を踏みしめ、ぐっとよろけぬ様堪えていた。
一方俺は糸の効力で、自身の頬に衝撃を同時に喰らう。
ガツリと頬にくる衝撃は、均等に分けられたとしたら
我ながら恐ろしい力だった。
「左の頬も差し出そうか?」
ぷっと血を床に吐き捨てたライドウが、哂いながら云った。
「何だよ…それ」
「冗談だ、分からぬなら別に良いよ…それにしても君」
ライドウが帽子のつばを掴み、少し上げて見つめてきた。
「糸を切ってから殴れば良いものを…理解に苦しむな」
その探る様な視線に、俺は叫んだ。
「あんたは必要以上に、残酷だ…っ」
「そうか」
「でも…でも俺も同罪なんだよっ!!」
その俺の発言に、少し眼を見開くライドウ。
「だから、同じだけ受けなきゃ、気が済まなかっただけだ!」
同罪…だと思った。
その残酷さに今回は助けられてしまったのだ。
それを糾弾する資格は、俺には本当は無かった。
この男がどんなに憎くても、それは俺の根本にある意志が
納得出来なかった。
「しかし、残念だな…ククッ」
ぼそりと呟くライドウ。

「まるで血濡れが赤い糸の如し…だったというのに」

その哂い声と台詞の直後に、俺は手にした鋏を
脳で理解するより早く、振りかざしていた。
硬質な音を立てて、鋏で瞬間、切断された糸。
俺とライドウを繋ぐそれは、切れた端から
互いの間にぼとりと落ちた。
「あんたと結ばれているくらいなら、どんな手を使ってでも断ち切ってやる…」
「…君の繋がれている先は、一体誰なのだろうね」
「何が云いたい…」
「僕の依頼主なのか、コトワリを掲げる者達なのか…悪魔狩人なのか」
そこまで云ったライドウは、突如銃を引き抜き
俺に向けた。
「っ…!?」
撃たれる、と思い強張る身体の脇を通過していく弾丸。
驚き背後を見ると、そこには魔法を放たんと構えていた三女。
「アトロ…ポス…」
撃たれ、地に伏した彼女を見つめたまま、静止している俺に
ライドウが云い放つ。
「だから云ったろう?全く…君は今まで僕に何度命を拾われているんだ」
ホルスターにその硝煙立ち昇る銃を納め、口の端を吊り上げた。
「まあ良い、人修羅を殺さぬ程度にいたぶるのが仕事だからね」
とんでもない事をさらりと云ってのけるその姿に、俺は恐怖した。
「君と本格的に遊ぶのは第三カルパと決めているから、今回はここまでにしようか」
そのライドウの指が、俺の唇から頬の血を拭う。
俺は、何故か動けない。
ふわりと、白檀の香りがした気がする。
「人間女性の伴侶は諦めるんだな…もう人修羅である君には、従う伴侶か従われる伴侶しか在り得ぬよ」
その、戒める眼は、デビルサマナー特有なのか?
それとも…俺が恐怖に、竦んでいる、のか?
「…僕の指は噛み千切るなよ?」
血を拭った指と逆の手の指を、すっと俺の口内に突っ込んでくる。
「んぐっ!!」
何かを指の間に挟んでいる。
その物体を口内に残し、指を引き抜くライドウ。
そのまま昇降機に向かい、外套を翻して歩き出す。
口に広がる熱い魔力…
(まさか、チャクラドロップ…!?)
その情けなのか、あの男なりの遊びなのかは分からないが
俺に施された回復措置に、悔しさと羞恥が沸き立つ。
「葛葉ライドウ!恩を返すつもりは無い!」
その背に向かって吐き捨てた。
何処に潜んでいたのか、黒猫を引き連れて
振り向かぬライドウが云う。
「今後共、たっぷり返して頂くつもりだから気にしなくて良い」
「…な」
「第三カルパまでに死ぬのは、赦さない…人修羅・功刀矢代」
「ふざけるな…この死神っ!」
その俺の言葉に脚を一瞬止めて、高笑いする悪魔召喚師。
「死神…か」
ククク…と、耳につく笑い。
「悪魔と同義の死神なら、不服は無いかな?半魔の君よ」
昇降機に乗り、下っていくライドウを、ただ見ていた…
先刻拭われた頬の傷から、新しい熱が生まれる。
(死神に憑かれた悪魔…か)
同属、とは思いたくも無かったが、あの男は悪魔の様な性格だ。
(あいつは、悪魔だ、死神だ…)
口に解けたドロップが、血の味を薄めていた。
(あいつに関わって、得なんて有りはしない)
首から垂れる糸を引きちぎり、完全に取り掃った。
あいつと俺の運命が交差しているのが赦せない。
癒えた魔力が、あいつから与えられたものだと思うと
早く使い切ってしまいたかった。
でもそうすれば、またあいつが現れて
適当に俺を半殺しにして、また癒しそうな気がした。
(赤い…糸、なんかじゃ、無い)
悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて…
ぽつりと、眼から雫が落ちた。
まるで、鎖の様だ。
あの悪魔召喚師が、俺の首から垂れる鎖を
じりじりと手繰り寄せている…気がする。
そんな、おぞましい予感がする。

俺は、ライドウとは逆方向の昇降機に乗る。
カグツチにより近付く。
巫女の元へと舞い昇る為に…



モイライ三姉妹・了



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