「!!」
何処だ、此処は。
周りに何が居る?
俺はどんな状態なんだ!?
「い…っつ…」
左眼を押さえる。
瞼が、動かない。
(何だ…一体…)
右眼で眩しい周囲を見る。
見覚えの有る…この位置から見る…この光景。
新宿衛生病院…
『目覚めおったか、人修羅』
その声が何処から来ているのか一瞬慌てたが、俺の横たわる台の下からだった。
「…ゴウト…さん、でしたっけ」
『本当に、未だ意識は人のままの様だな…』
驚いた風で云う猫に、俺もハッとする。
そうだ…そうだ、俺は…
身体を眺める。
渡る斑紋も変わり無い…力の具合も、よく違いは判らない。
本当に、悪魔の割合が増えたのだろうか?
「ライドウは…」
『屋上に行くとか云っておった、お主に伝えるよう言伝を頼まれて有る』
「このまま俺が逃げたらどうします?」
黒猫はフッと息を吐いて笑った。
『何処にも逃げ場なぞ無かろうて』
その言葉に、俺は薄く笑い返した。
そう、俺は繋がれたのだ…
何処に居ようったって…意味無い。
この世界に来た時と、同じ様に、起き上がる。
綺麗な鏡面床が、俺の影を映す。
ぼんやりと光が反射するこの姿…
悪魔。
薄っすら聞こえていた。
あの男の言葉…
人間の世で、生きれないという、事実…
“矢代君、この後屋上に来て頂戴”
いつか、教師に云われ、屋上に向かった。
そこで向かえたのは…
東京全体が、丸くなる瞬間だった…
“何ですかそれ、まさかあの雑誌に載っていた東京受胎ってやつですか?”
鼻で笑っていた、自分。
正直、馬鹿にしていた。
絵空事を唱える教師も、雑誌も。
俺は…酷く、現実しか見ようとしない、リアリストだったから。
のに、今は…
現実を、認めたくなかった。
カチャ キィ…
ドアノブの渇いた音。
動きを渇望していたのか。
開けば、広がるのは青空では無い。
受胎のあの日と似たような空色が広がっていた。
そして、高尾先生が佇んでいた場所には…
黒い外套が、フェンスに寄りかかり此方を見つめていた。
「二度目の誕生、おめでとう」
云って、ふぅ、と白い煙を吐いて哂う。
指を見れば、煙草を持っている。
「そして、生まれてくれてありがとうね…クククッ」
俺は特に反応もせず、その男の傍に行き、フェンスの網目に指を沿わす。
「まさか、あそこまで無謀というか、馬鹿とは思わなかった」
ライドウが忌々しげに、言葉と共に吐き出した煙。
俺の顔に吐きかけられた。
非情な言葉と非常な煙たさに、俺は顔を背ける。
「勝てるとでも思っていたのか?」
嘲るその口調に、沸々と記憶が、あの瞬間が甦った。
「くそ…」
沿わせた指が、網目に潜りこんで行く。
滾る熱が、冷め切った筈なのに、叫びとなって放出される。
「くっそおおおッ」
その金網に、しがみ付き、縋りつく様にして揺らす。
あそこで、もしかすれば終わらせる事が出来るかも、と思ってしまったんだ。
ライドウの呪縛からも、あの堕天使の掌からも逃れられる。
与えられた悪魔の力で…この…おぞましい…
全てから、解放かれるかもしれない、と。
「その眼、しばらくはそのまま塞いでおけ、との事だ」
ライドウの淡々とした説明。
「縫われている、眼球の感触が鮮明になったら抜糸すると良い」
「…俺の眼は…」
「堕天使がする指輪の新たな石となったよ」
その顛末に、もう俺は笑うしか無かった。
あの、絶対的な…力の前に、俺は為す術も無かった。
闇の深さには限界が無いのだと、感じた。
「今後はルシファーに従属する形になるので、そのつもりで行動しろよ功刀君」
指に挟む煙草を口元に運ぶライドウ。
煙草の先端が赤く燻る。
「なあ…あんた…本当に…」
傍の、俺の主人に…憎いこいつに、問う。
「本当に、あの堕天使を使役出来るのか…?」
視線を…ライドウに戻す。
奴は、フェンスの網目を掻い潜る視線を、遠くに送って…
吊り上げた口の端から紫煙を吐き出す。
毒の霧の様に、それは纏わりついた後、霧散する。
「あの堕天使にねぇ…僕は引き裂かれたのだよ…昔ね」
「…」
「でも判った、決して使役が不可能では無い、とね…」
「根拠は」
「僕の勘と、あの堕天使の反応で判断した」
そんな仮説…なんにもリアルじゃ無い。
「君は…今の強さではそもそも、勝てない…僕も、まだ足りぬ」
なんにもリアルじゃ無い。
「使役され、使役し、高めあうのさ…この憎悪を原動力にしてね」
そんなモノに縋る俺が、一番リアルじゃ無い。
“君は悪魔体としての根底にあるヒエラルキーに逆らえない…”
“だがね、人間という生き物は、何故だか使役出来るのだよ…悪魔を垣根無く、ね”
“僕がルシファーを使役すれば、ヒエラルキーは意味を成さない”
“その僕を、君がギリギリ残す人間の部分で殺せば…晴れて君は自由の身さ”
“ただし…その君が僕に敗れるなら…待つのは…解るだろう?”
“勿論…人間の部分を全て消し、真に悪魔となる覚悟が出来たのなら…それも良いがね…むしろ楽だろうさ”
契約の前の時…
取引しよう、功刀君。
そう笑顔で云った、この男。
俺が自由になるには、ルシファーを意のままに出来ねば無理だ、と。
染み付くヒエラルキーだか何だかが、それを難しくしているんだ、と。
だから、ライドウがあの堕天使を使役する…
そのライドウを殺せば、使役下からも脱する上…ルシファーより上に立てる。
ギリギリ、人間の自我を保ちながら、ギリギリまで悪魔を高めて…殺し合う。
ライドウは、全ての悪魔を使役して…この世界の召喚概念を覆したいらしい…
その為に、欺き、強くなる共闘ごっこをしよう、だと。
その為に…そんな…自身達の…エゴの為に…
「ねえ、功刀君…あの時、堕天使に刃向かって行く君を見て確信したよ」
ライドウが、くしゃりと丸めた煙草を、俺に押し付けた。
「…何を」
それを視線の先に捉え、俺は指を差し出す。
「愚かしいが…しかし、僕の求めている、生き物だった…君はね」
指に、未だに屑ぶる煙草がぐり、と押し付けられた。
熱いその熱を、掌に燻らせた焔で覆い消す。
一瞬で炭化したそれは、無風なのに…金網の隙間から空に向かう。
「最後の審判の刻、君が全てに勝れば…そのまま王だろうが、人間に転生だろうが、好きにすれば良いのだから…夢の有る話だろう?」
「夢見がち過ぎるだろ…」
「そうでしか、君は無限地獄から脱出が出来ないのだよ…魂の牢獄からね」
白い空の下、傍にはデビルサマナー。
「功刀君、良く覚えておいで…」
やんわりと、恍惚の笑みで…俺を見つめる、闇の眼。
「君が新たな世界で、命を留める為に必要な名前を教えてあげる…」
いつぞや見た光景…
「君の主人の名だよ…」
眩しい光の中で見た、あの…
「次の世界でも、君を見ていたいと思っているから宜しく…」
これ…は……
「…紡げぬ時は…解っているね?……矢代…!」
代々木公園駅〜
代々木公園駅〜
「!!」
駆け込み乗車はお止めください…
ドア〜閉まりま〜す
「すいません、降ります!」
ドア付近を、謝罪しつつ押し退けて車外へと出る。
危ない、何故熟睡していた?
別に、夜更かしはしていない…疲れなんて無い筈なのに。
改札口で携帯が鳴る。
小さく奏でられるアヴェ・マリア。
新田との表示に、どうせ遅れている俺への文句だろうと思い無視した。
「お客さんも野次馬ですかい?」
駅員の私語に適当に相槌して、駅の外へと上がる。
白い空の下、いつもと何も変わらない雑踏が広がる。
(そういえば、先生の病室って何処だ?)
とか、今更ながらに頭をよぎった。
(新田が知っているだろうから、問題無いか)
考えているうちに、微妙な喉の渇きを覚える。
(公園の自販機にでも寄るか…)
ふらふらと公園に足を延ばした。
結局ヨヨギ公園で、変な男性から
変な雑誌を押し付けられて…
まあそれ以外は何事も無く予定通り…問題無く病院に到着しそうだ。
(何かを、忘れている気がする)
病院近くの交差点に差し掛かった時
黒猫?
黒猫がこちらに向かってくるのが
見えた
と思ったら次の瞬間
黒い…
黒い外套が覆い隠した
足元から視線を上に移す。
学生帽をした同世代の少年。
(青年のようにも見えるな)
しかし
なんともこう、時代錯誤な。
だが周囲は目もくれない。
俺にしか見えていない?
(赤いコートじゃないんだ)
赤いコート?…何故そう思うんだ?俺は。
なんだろう…
胸が、ざわつく…
眼の前まで来た。
その姿…
先刻の、夢に出てきたシルエットに…似ていた。
『おい、あやつ普通にしておるぞ』
「そうですね」
今、おかしくなかったか?
声が二つした?
その黒い外套男と、黒い猫…?まさか…そんなフィクションじみた事…
「起こり得ないと思っていた?」
(…!?)
立ち止まる。
相手も立ち止まる。
鼓動が、跳ね上がる。
怖い。
怖い、この男が。
「あ…」
しかし、脚が動かない。
点滅する青信号が、向こう側に見える。
鼓膜を叩くのは、雑踏音。
公道を踏み潰す大型車の走行音。
横断歩道に残ったままの俺達に、鳴らされる大音量の警笛。
大型貨車が横から突っ込んできた瞬間、俺は飛んでいた。
あまりに一瞬だった。
その外套の男に、担がれるようにして…
その男が飛べるのかと錯覚したが、違った。
その男を、意味不明な化け物が、引っ掴んで飛んでいたのだ。
(なんだよ、コイツ等!!)
見た事も無い化け物に、俺は畏怖した。
「ぅ、わァァアッ」
ガクガクと震える身体。
得体の知れぬ恐怖に、竦みあがっていた。
黒猫を空いた腕で胸に抱いたまま、その男は背の高いビルの窓を蹴破った。
綺麗に蹴りが入ったのか、一発で粉々に散った硝子の音が鮮烈だ。
その中に入り込み、俺は投げ棄てられる。
まるで物同然の扱い。
「うぐっ!…」
痛…い…
散った硝子片が、指先に食い込んだ。
廃ビルらしく、射し込む陽の光りが埃を煌かす。
倒れ込む俺を見下しながら…その男が、外套の胸元を開く。
先刻飛んでいた化け物が、そこに吸い込まれていった。
毒々しい蛍光色が辺りに溢れて、俺は更に竦みあがった。
思考回路が、ついて行かない。
怖ろしくて、声も、出ない。
「ねえ」
声を発した男…
逆光で、眼だけが光っている…
倒れるままの俺に、問い掛けた、その声。
「僕の名前、云えないのなら殺してあげる」
すらりと抜かれた、日本刀の輝きは冷たくて…
混乱する脳内で、それの発する鋭い殺気を…
どこか
懐かしく感じていた。
誰…
何者なんだ…!?
この男。
「それとも…身体は覚えているかな…?」
スローモーションで
振り上げられる刀
狂気と狂喜に染まった
美しい相貌が刀身の反射に露になる
心臓が握り潰される程の恐怖と共に
云い様の無い高揚が
全身を廻った
唇が、勝手に開く
夜
ぅ
ぅ
ぅ
う
う
う
う
ぁ
あ
あ
ぁ
あ
あ
あ
あ
あ
向こうの硝子に映り込む
化け物の姿
斑紋姿も禍々しい
その化け物が
振り下ろされる刀に向かっていく
金色の眼を光らせて
奏でた夜想曲
不協和音
甦る
狂い弾く二匹の獣
第一章・完結
↓↓↓完結にあたって↓↓↓
はい、この沼地の主、親彦に御座います。
ようやくと云うべくか、もう?と云うべくか
第一章完結です。
お披露目する文章としては拙い物でしたが
人修羅とライドウの血肉を感じる事が少しでも出来れば、と
陰鬱とした世界観を描いてきたつもりです。
他所様ではここまで仲の悪い(というか敵対に近い)彼等をそう見ない為
受け付けない方も多いと思いましたが…
数々の声に支えられて書いてこれたと、そう思っております。
最後辺りにまだ不鮮明な部分(カグツチはどうなったの?等)
まだまだ謎な部分が有りますが
それはライドウや閣下が述べてくれますので…第二章で。
結局次の世界でも、ライドウと運命を共にする人修羅…
最後に立つのは、どちらなのか。
もし宜しければ、その結末までお付き合いくださいませ…
2010/5/16 親彦
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