反射的に室内扉を開き、ロックを解除して重めの扉を開く。
最後の声だけニュアンスが違う、スピーカーを通されてたって判る。
俺を哀れむ様な、馬鹿にする様な、あの声。
「ライドウっ!!」
開いた先、従業員らしき恰好の人間女性が佇んでいた。
が、その眼が俺を見て哂う。
「お客様、その様な姿では寒いでしょう。テラピーもサービスしておりますので、宜しければ中に入れて頂けますか?」
は、と自身を見下ろせば、斑紋姿のままの全裸。
内開きなので、扉の外に出る羽目にならず助かった。
(ライドウと呼んでも、首すら傾げなかった)
確信しつつ、従業員モドキを部屋に引き込んだ。
俺の露出が今更気になって、かといって咄嗟に覆うのも躊躇われて、視線を逸らし身を捩る。
にっこりとした従業員に、羞恥を紛らわす様に睨み付けながら問い詰めた。
「どういう術だ…」
「お客様、当ホテルは清潔感が第一と心がけ、ベッドには髪の毛一本さえも残さぬ様気を付けて御座います」
「あんた、ライドウなんだろっ!?さっさと解けよ!」
「そう、たった髪の毛一本さえ、擬態には充分…」
空気が揺らぐ、従業員の制服が影の様に黒ずんでいく。
それも魔力の造形なのか?最早、魔法で何もかも説明出来そうな世の中が信用出来ない。
適当な従業員の髪を拾って、擬態したとでも云うのか。
「そして、この時代の東京においてはその一本でDNA鑑定も可能…だろう?功刀君」
「…どうして此処が分かった」
「だってねえ?魔具の必要が無いとあんなに強く訴えられては、おかしいと思わぬ方がおかしい」
そうだった…破壊衝動のあまり、昨夜は身体の魔具を外す事に躍起になっていた。
ライドウにそれを依頼する事が、どれだけ怪しい挙動かすら認識出来ていなかったのか。
どれだけ沸騰していたんだ…俺は。
「だから云ったろう?強い力を巧く制御…発露出来ぬ奴は、自滅するとね」
ライドウが手に提げたバスケットには、間違い無く反魂香が顔を覗かせていた。
俺がこの部屋の中で、何をしていたのかもお見通しだったらしい。
「いつもいつも、付け回しやがって…」
「まだ君に倒れられるのは、僕としても本意では無い。今回の様子ではどうも対象が“人間”らしかったのでね、これは…放置しては不味いだろうと思ってねえ…ククッ」
バスケットから反魂香をするりと抜き出し、ベッドサイドに置くライドウ。
室内をぐるりと見渡し、最後にぐったりした痴漢男に眼を落とした。
「どれ程放置した?」
「…十分」
「フフ、適当を云ったろう?入室時刻から逆算し、君とこの中年男性がだらだらと睦いでいたとも考え難い。入室十分後には暴行したね」
「…知ってるなら訊くんじゃねえよ…」
何を云っても云い逃れになり、首を絞める。
倒れ込んだ男に軽く触れ状態を確認しているライドウ、その黒い背中を俺はぼんやり見ていた。
初期化の終了したPCの液晶が、暗い部屋で同じくぼんやりと輝いている。
「肋骨は数本折れてるね…この様子だと血胸になっている可能性が高い」
「け、けっきょう…?」
「程度までは判らぬが…頻脈気味、顔面蒼白…失血性のショック症状が出てきているかな?」
意識の無いその肉を、ぐっと持ち上げるライドウ。出来るだけ男性の体勢を崩さぬ様に、脚を踏縛っていた。
苦しげも無くベッドに横たえると、人間一人の重量で軋む音がした。
「ま、仰向けにして血流を促しても、臀部の欠損に響くだろうが…ねえ?功刀君」
ニタリと俺を振り返る横顔、あの痴漢男の何処を攻撃したのか把握されている…
「手っ取り早く反魂香で魂魄は繋ぎとめ、肉体治癒の強制促進を回復術で行う」
胸元の管を抜き、召喚されたのはパールヴァティ。
そういえば、自身の使役する悪魔で最後に見たのはサティだった気がする。
悪魔の差を見せ付けられたかと一瞬思ったが、ライドウが扱えば低級の悪魔さえ有効活用されている。
いや、褒めている訳ではない。
『あら、お久しぶりですわライドウ様』
「最近怪我のひとつも無くてね、温い世界さ」
『一体どういう状況ですの?何やら淫猥な空気のお部屋…』
「残念ながら、複数淫行では無いよ」
『あらあら本当残念ですわ』
ライドウの使役する悪魔達は、何処か生き生きとしている。俺以上に。
『で、誰が怪我をしているんですの?其処の斑紋の…人修羅?』
「怪我している風に見えるのか?」
『肛門、直腸の裂傷だとか…』
「だから、“プレイ”には及んで無いと云ったろう?クク」
俺を馬鹿にしていると、途中から気付いた。
確かそうだ、男同士は其処を使うんだ…あやふやな知識が脳裏を過ぎる。
「ふざけるなっ!誰がそんな事するか!」
叫ぶと、何故か不思議そうな顔をしたパールヴァティ。
どうしてだ、俺がホモだと勘違いしているのだろうか。
「パールヴァティ、彼はボルテクスの記憶が少し抜けていてね」
『…あらあらまあまあ、それは…美味しいですわね』
「美味しい?」
『初めてを二度も味わえるなんて、お得ですわ』
鼻で哂うライドウ、俺は意味も解からず遠巻きに奴等を眺めるだけで。
「成る程…ククッ、それが彼にとって幸か不幸か…決めるのは僕等でも無いがね」
『あら、愉しいんでないですの?』
「早くディアラマを唱え給え、対象は判っているのだろう?」
ライドウが、哂いながら急かした。
ベールを白い手でふんわりと退け、ベッドを覗き込むパールヴァティ。
風で扇がれる様に、白い薄布が舞う。ベッド上の男性も、魔力に扇がれゆっくりと反転してシーツに皺を寄せた。
『あらまあ、これは酷いスパンキングをされておりますのね、可哀想な変態さん』
もう、耳が痛い。
脱衣所に置いたままの着衣を取りに、俺はその場から逃げるべく素足で駆け出す。
と、背中にぴしゃりと刺す声音。
「功刀君、ロビーに野良のサキュバスが居る。連れてき給え」
「どうして俺が…!」
下着に脚を通しつつ、怒鳴り返す。
いくら畏怖させたかったとはいえ、全裸になる必要が有ったのか?服を纏いながら後悔ばかりが押し寄せる。
「この男性を暴行の後、回復させたとして…どう説明するつもりだったのだい?」
「それ、は…」
「少しばかり調査したがね。此処の監視カメラは、ロビーや廊下を撮影している、記録保存期間は一週間。つまり先一週間、このホテルに妙な事が発生し、警察が立ち入らぬ限りは其処から足は着かない」
「…この後、俺が一人でロビーに行くまで映るのは――」
「普通にしていれば大丈夫だろう?挙動不審だったり、擬態が解けない限りは気にも留められぬさ」
「どうやってサキュバスに話し掛けるんだよ、悪魔が視えない人間にとっては怪しいだろ……その、俺が独り言云ってる奴に見える」
「目配せのひとつも出来ぬのかい?中年男性は誘えて女性悪魔は誘えぬと?」
「…っ」
香を焚き始めるライドウ。生きている者にとっては、少し咽そうな濃い煙が室内を漂っては、消える。
ベッドに脚を組んで腰掛け、パールヴァティの処置に背を向けたまま…哂って俺を嗾ける。
シーツの白の上、鮮烈な黒の外套がゆったりと侵食して垂れていた。
「カメラの記録を万が一見られようが、この男性が“君とナニをした”という仮初の記憶を持てば問題無い、そうだろう?」
「…んなもん、どうやって」
「サキュバスに見せてもらうのだよ、夢からの暗示をかける」
「俺が消したデータとか、その人の…携帯とかはどう説明したら…」
「一夜を過ごす代わりに、記録の消失を依頼した…そういう物語は如何かな?」
さらりと提案しやがった、どんな悪趣味な物語だ。
何か、名刺の様な物をヒラヒラさせながら唇を歪めて哂うライドウ。
「お、俺がその痴漢野郎と…や、ヤったって事実を作れって云うのか、あんたは!!」
「そうだよ?君が徹底した魅了を使えぬのだから、其処の肩代わりをサキュバスにしてもらうのさ……しっかりMAGをくれてやるのだよ?」
「違う!サキュバスへの対価はこの際くれてやってもいい、けどな!どうしてそんな恥ずかしい方法を…っ」
「恥ずかしい?何を云っているのだい君は」
ディアラマを施し、男の血を拭っていたパールヴァティがライドウの隣に舞い降りる。
『ライドウ様、あと少し寝かせれば身体は元に戻りますわ』
「御苦労」
『人修羅の坊やにとっては、恥ずかしい事と思いますわよ』
「興奮のち混乱して、他者に縋る方が余程の恥と思うがね」
『うふふ、はいはい…愉しんでらっしゃるのに』
「知れているなら傍観してい給え、僕の興が醒めぬうちにね」
『承知しましたわ』
管をす、と翳して女神を消したライドウ。
温かみの有る光は消えて、ブラックライトの蒼暗い空気と、香の煙だけになった。
薄い足袋の足先をすらりと伸ばし、脚を組み直すライドウ。
何時の間に脱いでいたんだ、その踵に靴のヒールが無くて違和感を感じている俺はおかしい。
「人修羅の姿を見せた相手が悪魔なら、迷いも無く殺せるのだろう?それがどうだい、相手が人間というだけでこの始末さ、功刀君」
「……辱められて、いい加減腹立った、から」
「辱め?痴漢に遭った程度で悪魔の力を発露かい?相当有効活用しているではないか、その力…ククッ」
「笑い事かよ!身体触られて、盗撮されて…っ…気持ち悪い…俺の立場にもなってみやがれ――」
叫び返した瞬間、腰掛けていた筈のライドウが眼の前に居た。
「尻拭いも殺人も出来ぬのならば、最初から誘い込むでないよ」
冷たい声が、耳元に囁く。
硬い床が背にあった、押し倒されている。気持ち悪さは…無かった。
「本当の辱めさえ知らぬ癖に、一人前の様に狩場に誘い出して」
怒っている?それなら最初から怒気が露わになっていてもおかしくないだろ。
このタイミングで突然眼が俺を睨んだ事が、理解出来ずに…少しだけ、脚が震えた。
「な…ん、だよ…本当の辱めって」
「云わせたいのかい?生意気だね」
「違――ッ」
胸元に痛みが迸る、金属の感触。また乳首に噛まされている。
魔具が斑紋をじわじわと、身体の奥底に引き込み始める…魔力が抑え込まれる感覚…
ついでの様に、ライドウの爪先が脹らんだ其処を摘む。
「ぁ…いッ……つ、爪…」
「手を汚す覚悟も無いなら力を振るうで無いよ、悪魔」
「……退けっ…っ!!」
三箇所に噛まされたのを確認してから、ライドウを突き飛ばした。
結局コレに頼る俺、だって、今は不安だった。自制心だけで力を抑え込む事に、自信を失いそうで。
ライドウの身体を除けれても、「悪魔」という言葉を除けれなかった。
そうだ…昨晩からずっと、後先も考えずにただただ力を行使して、ぶちのめす衝動に駆られていた。
カグツチも無い、月だって円くないのに。
こんな感情…間違い無く…
(いいや、まだ違う)
もう今後、ただの人間に悪魔の力を振るわない…
これを最初で最後にすれば、まだ許される。
「逃げるのかい?」
「…サキュバス、連れて来る」
はだけた服を整えてから、深呼吸をひとつして部屋を出た。
一体どうしたっけなあ。なんだか…ふわふわする…
まるでそういうクスリでもやっていたみたいな、妙な多幸感に包まれていた。
あんなにも撮る事に執着していたのに、どうして対象そのものを得ようとしたのか…
(誘われて…ヤって…?その代わりデータを消して…?)
おかしいな、別に少年趣味という程でも無かったのに。
「お疲れの様子ですから、先に退室しますね」とか何とか云い残して、あの子だけで帰ったのだっけ?
PCなんか初期化してあるし、デジカメに差してあるメモリも空っぽ。
記憶を遡ろうと思って、携帯を探れば見当たらないし…紛失届けは面倒だ。
どうしようか、まだ全部のデータを依頼主に送っていなかったのに。
「やっちゃったなあー…」
スイートルームで独りごちる。なんだかケツが痛い気もする、シモンズのベッドなのに。
しかし潔癖に見えて結構なビッチというか、テクニックだった…
そうだ、だから腰がこんな砕けたみたいにじんわり痛いのか。
「いちち」
どこかギクシャクした身体で立ち上がり、伸びをする。ツンと香の様な匂いが鼻を突く。
いや、なんかちょっと違う臭いも…?
下肢を見れば、じんわり濡れている股座。
呆然と、だらしない腹越しに覗き込んでは思い出そうとする自分。
んん…そういえば…脱ぐ前になんか凄い事されて漏らした気が…しないでもない。
(そんでもってどうしてまたズボン穿いてるんだっけ?着衣でシたっけ?自分ってそういう趣味だっけ?)
本当にあの少年が居たのかすら、怪しくなってくる勢いだ。
…まあいい。またあの時間帯の電車に乗れば、存在確認は出来るんだ。
二度目は無い、という風だったが…電車でまた自分に遭うとか、考えないのだろうか?迂闊な子。
なぁに、今度こそ惚けてないで、しっかりセミヌード撮って…それは私物化して…
外で撮ったマトモな尾行写真だけは、ちゃんと依頼主に送れば良い。
「そろそろ衣替えだね」
人修羅の胸元に、指を這わせて囁く。
「…それが、何だ」
「シャツになったら、コレが薄っすらと見え隠れしやしまいかと思ってね」
「インナー着る、その心配は必要無い」
「この魔具の…妙な凹凸を乳首と勘違いされないかな?」
「うるさ――」
きゅ、と抓りながら、少し開いたピアスの孔をMAGで塞ぐように流す。
ただ、じっと奥歯を食い縛って。人修羅は今日も施される魔具に耳を染めていた。
「ほら、黙ってい給え」
「…ふ」
「呪力をねえ、毎日塗り替えねば。力が薄まり外れ易くなっていては、また衝動的に引き千切ってしまうのだからねえ…君」
「い…つまで、弄ってる」
「硬くなった方がハメ易いだろう?」
「はぁ……っ……クズ野郎」
「“クズノハ”だよ、いい加減覚え給え」
敏感な身体、堪えた声が嚥下されてゆく白い喉元が悩ましい。
眼鏡越しに睨んでくる眼は、金とは違う。普通の人間の眼をしている。
「はい、おしまい」
仕上げに、脇腹の窪みに沿って指を滑らせる。とん、と突き放してやれば、よろりとたたらを踏む人修羅。
急いた手付きでシャツの釦を留め始めるが、慌てた所為か段を違えて、また外しては留め直していた。
「続きが欲しい?」
「そもそも続きの意味が分からない」
「サキュバスが見せた夢の様な内容さ」
「ふざけるな」
「今日も学校?御苦労様」
シャツの上に学ランを着込むと、鞄の肩紐を掴む人修羅。平凡な一学生の姿になった。
「あんたに送り出されるとか、反吐が出る」
「人間の振りして暮らし続けるなんて、君は余程のマゾヒストだね」
「あんたこそ、人と悪魔の区別ついてるのか怪しいな」
「そうだね、中途半端な君ばかり見ているので最近眼が濁ってきたよ」
述べた瞬間、部屋から出ようとしていた人修羅が腕を振り被った。
す、と首を傾げてそれを避ける僕の背後で、猫の鳴き声がフギャッとした。
「人間ごっこに、今日も行ってらっしゃい功刀君」
「誰が行ってきますとか云うかよ、この……」
言葉尻を噛み潰して、一瞬眼を彷徨わせていた。
毎日云われていたし、答えていたのだろう。母親というものにでも。
逃げる様に踵を返し、階段を下る足音がたどたどしく響いた。
『まったく…最近あやつ、手癖も悪いな』
彼が箪笥上から掴み放った時計は、僕の背後でゴウトを直撃していた。
受け止めれば、背後への被害は無いと認識していたものの…残念。
死なぬ程度と判断したなら、僕は童子を庇うなどしない。
日なたで惚けていたところへの一撃、なかなか良い鳴き声が聴けて寧ろ人修羅に感謝したいくらいだ。
『また勝手に人修羅宛ての電子文を見ているのか?』
「人修羅は見ても構わぬと云っておりますよ童子」
『奴はこの世界ではただの学生…』
「僕とて書生に御座いますが」
『お主は例外ぞ』
「これはまた都合の宜しい事で」
『…で、何だ…先日の人修羅は魔具を外して何かしでかしたのか?』
ゴウト童子も、それなりに人修羅を気に掛けているのか。
まあ、それも仕方の無い話だ。人修羅…もといボルテクス界の件は、ヤタガラスの認可の下で行なっている事。
僕の動き方が今回はいつにも増して特殊で、苛立っているに違いない。
その畜生の身体に、硬貨大の禿でも出来ているだろうか?
『おい、何だ』
ニヤニヤと哂いを堪えきれずに、黒猫を膝上に乗せてみた。
指で探る…とりあえずは無い様子。
「人修羅は通学中の痴漢への報復に、悪魔の力を利用しまして」
『…は、簡潔過ぎて最早突っ込めぬが。して、殺したのか?その痴漢とやらを』
「いえ、生かして候」
『おいおい、人修羅としての姿を見たのだろう?口封じしてあるのか?また電車にて邂逅せぬのか?それこそ今日にも…』
「御安心を童子。夢魔にて催眠を施し、暴行の記憶は淫行に書き換えてあります。実は写真も撮られていたのですが、手の出せる範疇では削除済み」
『淫行?それこそ二度三度と…要求されるだろうて』
「フフ…ぬかりは無いですよ、此方を御覧下さいまし」
管ホルスターの裏、潰れた煙草の箱が忍ばせてある方とは逆の胸。
名刺入れを取り出し、一番上のそれをチラつかせる。
『何だそれは』
「その痴漢男の所有していた名刺に御座います」
反射的に童子の黒い尾がゆらゆらと漂い、少し煩い。
翡翠の眼がじりじりと名刺に吸い込まれ、瞳孔がフォーカスを合わせる。
『……探偵?』
「ええ、まさかの同業者ですよ」
『どういう事だ…』
「普段から盗撮や痴漢の常習犯という風はありましたね。紛れての接触や撮影の技術は、仕事で培われたものかと」
『調査対象…に、過去も手を出していたのか』
「そういう事です、今回人修羅は何者かの依頼にて調査されていた…その“ついで”です、痴漢は」
『ついでと知れば、人修羅の奴…更に激昂するだろうな…やれやれ』
名刺に記された探偵社の名前を指で撫ぞりつつ、童子の尾を手の甲で払った。
フーッと少し立腹されたので、パソコンの椅子でくるりと寝台の側を向き、黒猫を逃す。
「ま、今回この探偵社には僕から遣いを出しておきましたので。調査対象に痴漢行為を働いているとね…耳打ちという奴ですよ。盗撮は身辺調査において灰色ですが、これは云い逃れも難しいでしょう」
『だからかお主…今朝方、柄の悪いヨシツネを擬態させておったのは。それは耳打ちと云わん、脅迫だ』
「童子、鳴海所長より佐竹さんが来た方が物騒でしょう?外見は大事ですよ」
『…しかし、調査と云ってもどの程度だ?この家も張り込まれてはおるまいか』
「慌てずとも、既に依頼者は特定済みに御座います」
『は…?』
椅子に掛けた外套の衣嚢に手を突っ込み、画面に穴が開いた端末を取り出した。
所謂、液晶という面がバリバリに砕けている。
『それは何だ。文明の利器とは推測出来るが、恐らくゴミ同然の状態だろう』
「然様、先程述べた痴漢男もとい調査者の私物に御座いますが、人修羅が感情に任せて破壊した結果です」
『……人修羅は、工具や銃など所持してないよな、確か。いや、その貫通の具合からして指でも突っ込んだのか…恐ろしい奴よ』
「ここまで破損していると、内部の記録を抜く事は難しいそうですね、おまけに焦げている。しかし写真は別の記録部品に保存されている…この本体の外部損傷はほぼ無関係」
『…で、そのゴミの中を観たのか?』
「ええ、童子も御覧になります?もう此方の大きな画面で見れますよ、移しましたので」
『さっぱり訳が分からん…一体何時の間に遊んでおる?あまりにこの世界の玩具に慣れると大正に戻った際、渇望に暮れるぞ』
「フフ、それは有るかもしれませんね」
パソコンの画面は、寝台のシーツ上からもよく見えるだろう。
見たところで、感動も糞も無い画な訳だが。
ずらずらと映し出されるのは、中年男が跪いて失禁している姿。
「如何に御座いますか、童子」
『如何も何も、この趣味の悪い写真達では依頼者は特定出来ぬ…何だこれは』
「恐らく人修羅が怒りに任せて撮影したのでしょう、良い趣味ですね」
『…錯乱すると相当まずい奴だな、もしかするとライドウ、お主より危険だな』
「失敬な、では更に遡ってみせましょう………」
スライドショウを回す、盗撮された人修羅の遠い横顔が一瞬眼につく。
そう、ボルテクスの時もこんな具合の距離。遠くから眺めていた、彼の苦悩と咆哮と…激しい憎悪を。
僕の視線には、いつから気付いたのだろうか…
「ほら、この写真の面子、見憶えは御座いません?」
辿り着いたのは、電車では非ず。背景が妙に白い写真…人の影が見える。
その中に…遠巻きだが、此方側へと視線を向けている人修羅の姿。
やがて、黙りこくっていた童子が髯を小さく震わせた。
『手前の人影二名は、コトワリの指導者……人修羅の友人では無いのか。視線の様子から、隠して撮った訳ではなさそうだが』
「その通り、僕等にとっては悪魔と化した彼等の姿の方が印象強いですがね。…そう、新田と橘ですね」
『…この写真は誰が撮ったのだ……背景は、病室に見えるが』
「この視点は寝台に寝た時のソレと合致する」
『…?痴漢の男の見舞いに奴等が行ったのか?知人でも無いだろう?』
「童子、僕等も依頼者からまず差し出される資料が有るでしょう?」
翡翠の双眸が光っている、それとなく察したのか。
「これは、人修羅の身辺調査を依頼した者が撮影した写真です」
『調査資料として、痴漢男…じゃない、調査者に渡したのか』
「対象である人修羅が痴漢行為まで働かれているとは…依頼者も認知していない可能性が高いですがね…クク…ああ、おかしい」
スライドショウを跳ね除ける様に、割り込んで入ってくる情報。
こんなに氾濫していては、未来人は忙しないだろう。
「ほら童子……早速お目見えしましたよ…狂信者が」
--新しいメールが届いています
こんにちは矢代君。
先日はどうしたの?進路指導室に来なかったそうですね。
真面目な貴方にしては珍しいので、事故にでも遭ったかと心配でした。
でも、学校からもそういった連絡は来ていないので、ひとまず貴方がサボタージュしたのだと解釈します。
焦らせようという気持ちは無いのですが…まだ指針が決まっていない生徒が居ると、先生もそわそわするのが本音です。
先生は昔から見る夢があって、其処には繰り返し同じ顔が現れるの。
お告げとか、少しカルトが入ってしまうかしら?気持ち悪かったなら、ごめんなさいね。
夢で、いつも私を救い出してくれるその顔を、常に思い描いて生きてきたの。
今、何かの為に生きれているのかしら?そういうものを見つければ、路がおのずと見えてくると思います。
それがどんな路でも、応援しています。
PS・先日のメール、追記が途中で送信してしまったみたい、うっかりしていますね(新田君辺りは許してくれそうだけど)
面倒臭そうな顔以外も、もっともっと見ていたいです。
折角だから、ついでに教えてしまいましょう。先生はよく貴方をじろじろ見つめてしまいますが…
矢代君は、さっき挙げた夢の中の私の救世主と、本当に同じ顔をしているのです。
どんな表情だって、遠目だって、憧れの存在を眼の前に出来る気分で…
そう、写真だって構わない、いくらでも身近に感じたいのです。
だから、世界の終わる瞬間にも見ていたい気持ちです。
気味悪い、と今眉を顰めたわね?
そういう顔だって、私には救いなのです。
支離滅裂・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
長おっさんをラブホでボコして自己嫌悪という悲惨な回。
ライドウの方が最近マトモに見えますね。
結局縋れる相手はライドウしか居ない状態なのです。
そして祐子先生のメールでぞわり。先生や他の面子の挙動が怪しくなっていく前兆。
スマートフォン持ってないので描写は適当です、すいません。SDカード…?というくらい機械オンチです。
タイトルは尻滅裂、そういう事であります。