「……うぇ…」
先が長い程、歪曲して見える廊下。まるでボルテクスの国会議事堂を思い起こさせる。
床が揺れている訳でも無いのに、船酔いの様な気持ち悪さがこみ上げてきて。
早いところエレベーターで地上まで下りてしまおうと、急く足。
が、いざ扉の前まで来てみれば、地階滞在のランプが点灯したままなかなか消えない。
じりじりと時間の経過を感じ、携帯で時間を確認しようとして止めた。
時間の流れが違うなら、日没までの目安になりやしない。
それにしてもなかなか箱は昇ってこず、試しにもう一度ボタンを押してみる。
もしかして故障中か?いやそもそも原動力は何なんだ、こちらも電気が通っているのか?
こんな所から足止めを喰らっては、かなりの差をつけられてしまう。
「くそっ」
小さく吐き捨てて、踵を返した。一直線に向かうは、大量の段数が連なる階段。
下りならまだマシだ、それに今は擬態を解いてある。面倒なだけであって、そこまで苦には感じない。
まさに非常階段といった程度の簡素な造りで、軽く深呼吸してから一歩を踏み出した。
考えずとも、身体が勝手に駆け下り易いリズムをはじき出す。
展望台から飛び降りたなら、エレベーターより早く到達する事は知っている。でも御免だった。
同時にダメージが大きい事も知っているから。
いくら再生能力が高いといっても、痛覚は有る。
(それを、あのデビルサマナー…飛び降りるくらい平気だろうとか、確か抜かしやがって)
思い出して沸々と身体が熱くなり、相手も居ないのに挑発を喰らった心地。
ボルテクスの記憶は、ぼやけている割に嫌な事だけ鮮明だった。
きっとあいつは、悠々とエレベーターで下ったのだろう。
俺より大胆に動いて、それでも慎重だから馬鹿を見ない。
索敵だって、確かイヌガミが得意としていた筈…
調査依頼を請けるとか、そういう仕事をしていたのなら…プロじゃないか。
『ねえねえ、この階段って何段有るか知ってる〜?』
途中の階から、フワフワと付いてきた気配が有ったが。殺気は無いのでその声を無視する。
『わっかんないかなあ?正解は千二百四段でしたー!』
答えない俺に焦れたのか、悪魔は勝手に正解を述べている。
無視を続けてはいたが、突然攻撃してくる可能性も有るので神経だけは向けておく。
『問題!今は何階に居るでしょうか?』
嫌がらせでは無いが、駆け下りる速度を上げて階数を定める事すら難しくしてやった。
『正解は〜“異界”でしたーっ!』
しかも下らない洒落だ、どこぞのデビルサマナーかよ。
あの男、TPOを無視して時折とんでもなく下らない発言をする。
最初はボルテクスの環境に頭がイカレたのかと思ったが、人間世界でもあの調子だったから、きっと神経が無いのだ。
『ちょっと〜アタシの事憶えてないのぉ?』
足は止めずに、一瞬だけ横目で背後を見る。
そのシルエットに心臓が跳ね、堪らず目を逸らした。
足がもつれ、俺は一気に踊り場まで飛び降りる羽目になる。
『ちょっとどーしたの?ダイジョブ?前より美人になってて驚いちゃった?』
「憶えてない」
俺の知る、あのピクシーと挙動が似ていたので驚いたが。
改めて見れば姿も違う。ハイピクシーという奴だ、この悪魔は。
『んもぅ!前さぁ、ヨヨギ公園でナンパしたじゃないよ〜』
「悪魔にナンパなんかしない」
『ちっがーう!アタシがお兄さんを!ナンパしたの!』
手摺を乗り越えて滑空するハイピクシーは、足で下りる俺よりも随分楽そうだ。
はためかせる翅から、薄らとMAGが透けて見えた。
『でもあの時はアタシ、ピクシーだったからね〜分からなくても無理ないカモ。人間って見た目だけで個体判断するでしょ?MAGの味もしっかり違うんだからねっ』
いつの話なのだろう、代々木公園で遭遇した覚えは無い。
まさか、ボルテクスの話なのだろうか。あの世界と、この世界の悪魔は共通しているのか?
『「ピクシーなら間に合ってる」ってフられちゃったから、ハイピクシーになって出直して来ました!じゃ〜ん!』
俺の前に回り込み、胸を張るハイピクシー。それをしっしっと手で払い、また下り始める俺。
「仲魔を作る気は無い」
『はあぁっ!?せっかくハイピクシーになったのに無駄になったワケぇ?』
項垂れつつも、しつこく追尾してくるやかましい妖精。
口煩いのはこの種類の特徴なのか?相手にもされていないのに、お喋りを止めそうにない。
『お兄さんを二度目にヨヨギ公園で見た時はねえ、ちょーっと声掛けられなかったわね、だって女神様ばっか連れてんだもん。ちゃっかりあのピクシーも居たけど。お兄さんて冷たい割には女悪魔好き?お姉さん系に弱い?あ、地母神とか居たから母性有るカンジの悪魔に弱いんだ?』
ファイアブレスでも噴きつけてやりたくなったが、何かを認める気がして実行には移さない。
『でも見てる限り、仲魔への待遇悪いっぽいよね〜だから仲魔少なかったの?でもでも〜割と寄って来られるでしょ、だってお兄さんのMAG美味しそうだもん。美味しいといえばね、此処の展望レストランがね、美味しいって評判なの。でも今はなんかVIP来てるってウワサで〜――』
殺風景な空間がようやく開け、地階である表示を確認してから通路に出る。
『あーあ、階段ランデブー終わっちゃったあ、そういえばお兄さんはどーして階段使ってたの?狭い箱の中で他人と乗るの嫌とか?』
「…エレベーターが来なかった」
『えーっ、せっかちなの、女の子に嫌われちゃうよ?』
「…もう付き纏わないでくれ」
そこそこ酷使した足首を回しつつ、ハイピクシーの言葉で気付いた。
そうだ、どうしてずっと地階止まりだったんだ?あのエレベーターは結局どうなっている?
見なければ気が済まない俺は、直通エレベーターの有る位置まで足早に向かう。
角を曲がり、真っ先に視界に飛び込んできた“白”に、俺は一旦引っ込む。
翼だ……水鳥のようなソレ。エレベーター扉の前で、膝を着いて蹲って居た。
(天使…まさか、こんな早く出くわすなんて)
今度はそうっと角から覗き、様子を窺う。
天使の指先が、パネルのスイッチを押し続けているのが見える。
一瞬唖然としたが、単なる悪戯や時間稼ぎとも思えない。
あんな事で追手を足止めしたつもりなら、雑魚中の雑魚だろう。
(一瞬でケリをつければ……振り向く動作の隙がデカいから、向こうが不利)
二、三呼吸をしてから、息を殺す。
着衣の衣擦れの音が予測されたが、人間界と往復するなら脱ぐ訳にはいかない。
それに、俺は肌を晒す事が嫌いなんだ。
(翼を燃やすのは不味い、小翼羽まで燃える)
指を端から折り、拳にしてはまた開く。
やはりアイアンクロウだろうか、一撃で仕留めたいなら遠距離攻撃は避けるべきだろう。
(そういえば、小翼羽ってどの辺りに生えているんだ?)
始末した後に翼を物色すれば良いか…MAGが一番溜まっている羽根を探せば良いだけの事。
もう飛び出してしまえ、先に振り向かれたら面倒だ。
床を一蹴りして駆け出し、天使がゆっくり振り向くのを睨みつつ間合いを縮めた。
攻撃魔法の類なら、こちらも攻撃して打ち消してやる――
『ハマオン』
その呪文を聞いた瞬間、身体が反射的に防御に傾く。
(しまった!)
もんどりうって、天使の手前に突っ伏した。が、返って来た血飛沫から、爪が相手に届いた事は察した。
ビクンビクンと痙攣する天使に合わせ、翼の揺れる圧が俺の頬を撫でる。
「…っ……は……ぁ、はぁっ、う……ぅ」
耳鳴りが酷かったが、やがて遠ざかる。
破魔の術が、俺の身体に入り籠めずに泡と消える感覚。
悪運が良かったのか、どうやら生き延びた。
ボルテクスでは稀に掛けられても、すぐに蘇生させてくれる仲魔が居た…が、もう頼れない。
悪魔に頼るのが嫌なら、しっかりマガタマで回避しなくてはならないというのに。
すっかり頭から抜け落ちていた、そうだ…俺は魔物だった、半分だけは。
最悪な気分でよろりと立ち上がり、肩口から背までざっくりと抉れた天使を見下ろした。
それほど致命傷とも思えないので、警戒しつつ生死を確認しようと観察する。
生臭い臭いが鼻を衝くが、あと残り数体分が控えているのだ。いっそ鶏を捌いていると思い込んでしまえれば…
(どういう事なんだ、傷が正面にも有る…?)
靴をなるべく汚さない様に残骸を蹴れば、スイッチから指が離れてべしゃりと崩れた。
スイッチパネルにずるずると赤いランダムストライプを残して、気味が悪い。
(俺のやった傷じゃないぞ、これ)
倒れ捩じれた天使の胎に、一閃。先刻の姿勢のままなら、ぴったり閉じていたであろう程に綺麗な傷痕。
鋭利な刃物による傷……見覚えも、身覚えも有る。
身体が熱くなる、額に嫌な汗が伝う感じ。
これが汗なのか、返り血なのか…俺は無意識に、真正面のエレベーター扉に反射する自分の顔を見た。
が、それが半分に分断される。扉が開き始めたのだ。
「階段ご苦労様、功刀君」
真っ黒な外套に、イヌガミを従えて現れたのは例の男。
そうだ…エレベーターの箱が留まるには、扉の閉開を交互にし続ける必要が有るじゃないか。
天使の悪戯か足掻きなのかと疑う前に、ずっと開かないエレベーターを疑うべきだった。
「何…のつもりだ、あんた」
「君は理由が無ければ天辺から飛び降りる度胸も無いだろう?そしてエレベーターが起動しなければ、残る道は階段に搾られる」
悠々と箱から降り、血濡れた翼を跨ぎながら少し腰を曲げているライドウ。
「嫌がらせかよ」
「競争者の行動を制限するのは策だろう?」
「この天使…なんであんたにはハマ打たなかったんだよ」
「軽くひねってやれば命乞いを始めたのでね…「階段から来る標的を魔滅しろ」と命じたのさ。すれば小翼羽のみ頂いて、命を取った事にしておいてやろうと交渉した」
哂って云うライドウに、俺は寒気がした。
「ほら御覧、功刀君……此処にある、これが小翼羽さ」
おっぴろげさせた翼から、ぶちりともぎ取るライドウ。
白い指先が、ルシファーがしていた様にくるくると羽根を弄ぶ。
「ま、プリンシパリティにしてはよくやってくれたかな。堕天使の“おまけ”も剥がれて、ようやく対等に競えるだろう?僕等」
「おまけ…――」
ようやく繋がって、息を呑んだ。先刻の悪運が、ライドウの計算通りだった事を知る。
堕天使が俺にくれた“おまけ”とやらは、恐らくテトラジャだったのだ。
「天使の十八番を忘却するとは、君は随分と平和ボケが過ぎるね。どうせ今もイヨマンテなのだろう?」
「元々こいつを助ける気なんて無かったんじゃないか!」
俺に破魔の術を跳ね除けられる事を知りつつ、嗾けた事になる。
天使への同情では無いが、思わず叫んだ。
「功刀君。此処が今、結界内だと分かっている?小翼羽なぞ関係無しに、一度捕らえた天使達の場所くらい堕天使は把握出来る」
「じゃあ何でこんな事やらせた!?」
「先刻も云ったろう?君から、ルシファーのベタベタな過保護という衣を剥ぎ取る為だと」
カツカツとヒールを鳴らして、また先に行こうとするデビルサマナー。
イヌガミがふわふわと、あんな残酷な主人なのに活き活きと追従していく。
「階段も良い準備運動になっただろう?少しは感謝し給えよ」
振り返り、指先の羽根を手旗の様に振るライドウ。
やや虚脱状態の俺は、其処でまたハッとした。
「俺が始末したんだ!返しやがれっ!」
咆哮も虚しくホールに吹き抜けただけに終わる。
ライドウは血濡れの小翼羽にくちづけ、投げキッスだけを俺に返して去った。
こんなにおちょくられるのも久々で、怒りのままにイヨマンテを吐き出す。
ゲッシュを掌に喚びながら、脳裏をボルテクスの記憶が漂っていた。
残虐非道を行いながらも…惑う俺の目の前を切り開いていく、あの黒い後ろ姿。
「くそ…野郎っ…」
大した仕置きが無いなら、適当に済ませれば良いと思っていたが…
流石にそれでは怒りが治まらない。
せめて半分の五枚は携えて戻ろう、おあいこが無難だ。
応え過ぎて悪魔になるよりも、完敗して双方から失笑されるよりも…
一番マシ。
(…だって、あんたがおかしいんだ、ネジが外れているんだ、こんな嫌がらせみたいな…遠回しな…)
忠告の通りにゲッシュを呑み、エレベーター扉の映り込みで確認しつつ、頬を拭った。
袖が錆色に汚れ、これだからあの男は黒しか纏わないのか…などと考えている。
そんな自分に一番苛々して、紅潮した顔に拳を叩き込んだ。
一気に奔る亀裂、バラバラと崩れる表面…
映り込んだ自分にしか攻撃出来ない俺を、どうせまた哂うんだろう。
(あいつなら迷わず、自分を殴れるんだろうな)
胎内で馴染んできたゲッシュが、指先からツノの先までを魔力で痺れさせる。
漲る違う色の力を感じながら、このマガタマを入手した経緯をぼうっと思い出していた。
(あいつが居れば、浅草のパズル…もっと楽勝だったのに)
また思考がライドウに辿り着き、いよいよネジが緩んでいるのは自分かと疑い始める。
血の臭い、悪魔の陰鬱な気配、人修羅姿の俺。
その光景の中にいつも、黒い影が哂っていた所為だ。
「信じ易い、警戒も薄い、潔癖、変に自尊心が高い」
初めてマトモに投げられた言葉が、罵詈雑言で。
「貴方が彼を殺しに来るなら、僕が受けて立とう。彼が渡り合えるようになるまでは、僕が代わりにお相手致す」
意味も分からず護られて。
…そうだ、あいつを葛葉ライドウと知ったのは、マントラ本営前…位置的には、此処だった。
ライドウに助けられた俺は、確か…あそこの壁に押し付けられ、管で傷口を抉られて…
「でも知りたくなったらいつでもお聞き、僕は君の後をついて行く予定だからね」
ああ……ライドウに云われたんだ…人修羅を知っている、と。
あの蠱惑的な口調と哂いに唆されて…人修羅の正体を知って絶望して…
今、ついて行っているのは…背中を追っているのは…結局どっちだ?
「違うっ!」
途端、通路の隅でたむろしていた悪魔達が身を竦ませた。
それを一瞥して、無意識に叫んだ事を知る。
溜息して頭を振りかぶり、黒い外套が居ない方向を見定め足を進める。
奴の影踏みにならない様に、しかし出遅れない様に。
ボルテクス以来の、悪魔だけが行き交う交差点へと流れ込んだ…
御留ロードハンティング・前編・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
いきなり執事喫茶からのスタートで。乙女なロードとサンシャイン60です。どちらも行った事が無いので描写は適当です、すいません。
池袋周辺を舞台に暴れさせようと思いまして、後編へと続きます。
第一章では、別れ際に投げキッスをしたのは…誰だったか憶えてますか?
ライドウはいつも、さり気無く嫌味です。でも、ルシファーのおまけにはムカついたみたいですね。思わず直ぐに打ち消しちゃった十四代目でした。
そして人修羅が、ライドウの事ばかり考えていておかしいですね。段々とライドウの事が分かってきたみたいです。思い出してきたというか…
タイトルの《御留》は、御留場(おとめば)から取りまして乙女ロードとかけました。
御留場とは、一般に狩猟が禁じられている場の事です(江戸時代の将軍様の狩猟場など)
しかしロードハンティングというと「ヨッシーのロードハンティング」を思い出しますね、SFCスーパースコープの…って、古いですかね…あのスコープ型コントローラの、かさばる異常なデカさが好きだったのですが。あのコントローラで横落ちパズルゲームやってる時なんて、もう何故わざわざスコープ使ってプレイしてるんだろうという、よく分からない気分になってましたね。