「はあ、はあっ」
何故、殴った側である自分が喘いでいるのか。
打たれたライドウは、口内の血を横にペッと吐き出した。
「ち、違う……こ、れは……これは、さっきあんたに喰らった分の」
「早く探したら? ただでさえ、君は集中力が無いのだから」
一瞬惑った拳は大したダメージを与えられず、ライドウの頬は人並みにしか赤らんでいない。
その成果にも恥が生じる、周囲の悪魔共に笑われている気がする。
意気地なし、と。
(何が恥なんだ)
この結果は、手の怪我が完治していなかったからだ。
そうだ、何より俺は、怒りに任せて殴るほど野蛮じゃない……なかった筈。
癇癪でボコしたら、それこそ知性の無い悪魔の様だろう。
『ヤシロ様! そのサマナーは我々で封じておきましょう! その間にお探しになって下さいまし!』
ビフロンスの声に顔を上げると、未だに落ち切らない羽根が頬を撫でた。
ライドウを押さえ続けるセエレに目配せして、俺はゆっくりライドウから離れた。
「僕を解き放ち給え、功刀君」
「馬鹿云うな、する訳……無い」
「一声かければ、十割とは云わずとも三割は従わせる事が出来る。 僕は己のMAGに価値が有ると自負しているからね」
「……従わせる? 周りの連中の事か?……あんたのMAGで釣ろうが勝手だが、ゲテモノ食いする連中の鼻が利くと思ってるのか」
「君にとっては下手物だろうが、彼等にとっては餌であり快楽なのだよ」
「人海戦術したいなら勝手にしろ。 あんたを相手に羽根を漁るより、雑魚相手の方がまだゆっくり探せそうだしな」
立ち上がる俺に向けられる、ライドウの眼。
その薄闇の中に、何かが見える……
「僕を放すのならば、君にMAGを与えよう」
何を云い出すのかと思いきや。
「勿論、すぐにあげる。 それから競争しよう?」
「誰も放すって云ってないだろ」
「要求を呑まぬとすれば、暫く君にはあげない」
「何をガキみたいな事……」
「働いた対価を、僕は仲魔に与える。 現状脱出の為の加勢にも、僕はMAGを与える。 その頃には君の分なぞ無いのだよ、功刀君」
……駄目だ、思わずもう一発殴ってしまった。
この悪魔しか居ない環境が悪い、まるでボルテクスみたいだから。
ライドウの怖気づく事の無い言動が、この場に人間は不在だと錯覚させるから。
「い、いちいちムカつく云い方しやがって……そもそも俺は定期的に貰ってる覚えも無いし――」
取り繕った次の瞬間、あっという間に言葉が詰まる。
態度と裏腹な算段が始まっていた、俺の頭の中で。
(この男が、あからさまに一方的な条件を持ちかけてくるとは思えない)
要求を無視すれば、このサマナーは周囲に呼び掛けるだろう。
口もMAGもうまい奴だから、それなりの数が俺の敵に回る筈。 対して俺の味方は骨とマッパの優男だけ……
(相手にとっての餌を含ませる筈だ、リターンの無い交渉に食い付く奴は居ないだろうし)
要求を呑めばどうだ?
MAGを与えられた俺は回復して、それからの勝負になる。
『ヤシロ様、放すなら早くしよう……』
「まだそんな命令してないですけど」
『“まだ”?』
ライドウを押さえるセエレの腕が、少しだけ緩んでいる。
こいつ、読心出来るのか? いや、それなら道中の的外れな応答はおかしいだろ。
『こ、こらぁあッ! 下賤な者共めぇっ! 小翼羽はヤシロ様の物なのですッ! せめてフィンガーボウルで洗った指で漁りなさぁい! あっ、イヤだからって盗ったら極刑モノですけどぉぉ 』
いたずらに舞う羽根を掴み取る奴等、それを燭台でガスガスと殴るビフロンス。
ああ、そうか……焔は撒けないのか。 こんなに舞っていては、火種を増やす事になるから。
此処のスプリンクラーは生きているのか? あの豪華客船を思い出して、どうでもよくなった。
「そいつ、放して下さい」
俺は腹を括って、セエレに命じた。
腕を解放されたライドウは軽く肩を回し、急いた様子も無くベルトを締める。
管を引っこ抜いておくべきだったか……いや、後々の報復が面倒だから、そこまでしなくて良かったと思いたい。
「君にしては英断だ」
「あんただって、雑魚に羽根を取られたくないだろ」
「では僕の口から吸い給え」
「はぁ!?」
「君だって、雑魚に僕のMAGを取られたくないだろう」
立ち上がる姿勢が、既に構えている。
馬鹿みたいな台詞を吐きながらでも、ライドウの身体は真剣そのもので。
その手が内側から外套を閉じるのを見て、俺の緊張感も高まった。
「ばっ……ふざけてないでさっさと寄越せ。 っていうかさっき俺が乗ってる時に、そのまま流してくれりゃ良かったん――……」
ピッ、と弾く様な感触。
喋っていた俺の唇に伝い、割り入って来る。
触れた瞬間は跳ねた油の様に熱く、伝う今は雨粒の様に冷ややかで。
舌に沁みると鉄の香りが鼻腔に抜け、息を吐けば溶け残る砂糖の様な刺激に見舞われ。
「……っ、は」
ライドウの吐きつけてきた血反吐を嚥下して、身体が震える。
怒りなのか魔力依存なのか、判らなかった。
確かにMAGが含まれてはいた。
「これは、さっき君に喰らった分の……ククッ」
俺は羽根を無視して、哂うライドウに飛び掛かった――





「それで、君はどの様にして十枚を再確保したのだ」
何をつまむ風でも無い堕天使の指先を見ながら、問いに答える。
「実に単純な仕組みですよ閣下、紛れ込ませた十枚は小翼羽では無かったという事です」
「ほう、いつすり替えた?」
「仲魔の妖鳥に保持させたまま、そこら辺の適当な翼から“ダミー”として十枚引っこ抜けと命じておきましたので。 つまり舞い散った羽根は全て贋物、漁る価値も無い煙幕に過ぎませぬ」
「成程、手癖が悪い。 君の仲魔はそれをすんなりとしてのけるのか、人修羅には疑われなかったのかね?」
「十枚をこれ見よがしに提示させましたからね。 瞬時に補足出来る様、片手に五枚ずつ」
「はは、それは人修羅も慌てたろうね」
こうしてテーブルを挟む事が、遠い昔の様でつい先日にも感じる。
空間は随分と未来的であり標高も有るが、卓上はさほどの違いも無く。
向こう側にはグラスがひとつ、僕の方には酒と肴が山ほど置かれている。
「さてライドウ、私から何かと聞きたい事は有るのだろう?」
「叩いた分、きっちりと吐いて下さるのでしたらね」
「消化してしまったものは吐き戻せない」
何を云うやら。 あの頃口にした物でさえ、そのまま体内に保管出来るだろうに。
パーラーでこの堕天使の口に、フォークを突っ込んだ事をふと思い出す。
どうせ分かる筈も無かったのだ、残りをくれてやる必要も無かった。
「ルイ・サイファ、人ならぬ者の名、擬態名……」
「好きに呼べば良い。 人修羅に吠えられたくなければ、二人きりの時にでも……“昔”の様に」
「そうだね、堅苦しいのは嫌いだ。 では単刀直入にいこうか、何故僕を雇った」
「君がよく口にしていただろうライドウ」
指を交互に折り重ね、金色の指輪が目立つ。
祈りの形に見えなくもない姿勢のまま、堕天使が微笑む。
「“面白そうだから”だよ……夜」
「此度は葛葉ライドウ十四代目として依頼を請け、今もその形で取引をしている」
鸚鵡返しは、すれば愉しくされれば苛立つ。
個体名をどうして教えてしまったのか、どの様に伝えたのかを思い出したくも無い。
人間がいくら阻もうが、この堕天使ならば容易く知る事が出来るのだろう。
問題は“僕が自ら教えたか否か”今となってはただそれだけ。
「名前も呼ばせてはくれないのか、寂しい。 最早、我々の新世界は訪れぬと」
「先刻の問いに答える気は無い?」
「君の前にデビルハンターを雇った事は――」
「把握している、幾度か交戦した」
「あの半魔は人間に肩入れし過ぎだった、それが想定よりも度合いが強くてね……」
「人間に近い悪魔よりも、悪魔に近い人間が適任と思った?」
空のグラスを傾けたルシファーが笑う。
硝子の内側で金属も笑う、僕が人修羅に与えた魔具がまだ入っていた。
「随分と急いているなライドウ、もっと泳がせようとは思わないのかね」
「フフ……此方から突かねば跳ねもせぬ癖に。 泳ぐお前を黙して見れば、僕の寿命が先に来る」
「そうだな、君は人間だった。 だから人修羅の傍に置こうと思ったのだよ」
弄ばれるグラスが差し出されたので、仕方無く傍らの瓶を取り、注いでやる。
味も無い炭酸水、あの頃ずっとお前が向かいで飲んでいた。
僕ほど喋りもせぬから、喉を潤す為でも無く。
味など気にも留めぬから、飲食の快楽の為でも無く。
まるで人間の中、周囲に息継ぎを合わせるかの様に飲んでいた。
「何故僕にあの蟲を呑ませなかった」
「合わない人間の身体では崩れる」
「試そうとしなかったのか」
「君が死ぬかもしれないのに?」
嫌に鮮明に聴こえた台詞。
炭酸水の水底では、赤瑪瑙の魔具が弾ける泡を生み続ける。
堕天使の声に続き、その音だけが個室に響く。
どう返すべきか一寸考えた僕は空気を吸い、答えと吐き出した。
「一度は殺そうとしたではないか」
「教会での出来事? あれを殺し合いと思ったのかね、じゃれ合いだろう」
「人間が死ぬ心配なぞ、お前がする筈無い。 功刀が幾度か転生させられている事を、僕は知っている」
「我々にだって調整出来ない生き死にも有るよ、ライドウ。 現に人修羅も気付き始めただろう? 魂の行く先を操作された者は、いずれ気付き離脱を求める」
悪魔狩人に殺害依頼をしたという、一時の人修羅を思い起こす。
アレも脱するつもりだったのだろう、まんまと僕に拾われてしまった訳だが。
「それに万が一、君に適性が有れば、それはそれは厄介だ」
「次代の剣が欲しいと……強い悪魔を欲していると、お前は述べた筈」
「力を得た君は何もしなくなるよ、ライドウ」
会食開始から、一番腹立たしく突き立つ台詞だった。
未だ中身の有る酒瓶で殴りたい衝動に駆られる、どこぞのダークサマナーにした様に。
脳が揺れる程に打ち付けても、へこむ頭蓋がゆっくり形を戻す様まで脳裏に浮かぶ。
「人間に戻る為、人修羅は奮起しているのだろう。 君は人間から逸脱したく今ももがいている、あの頃からずっとか」
「おかわりは如何」
「ライドウは飲まないのかね」
「結構」
「喰いこんでいただけあって、微かに彼の味がするよ」
馬鹿、それだから拒否したのだ。
僕は椅子から腰を上げ、個室の出入り口を見つめた。
会食を続ける気が無いと、態度で示す。
頭を読んでくれても、最早構わぬ。 別段隠す事も無い、今のところは。
「もう良いのかね」
「抜けた炭酸水は嫌いだ」
「躍起になって権利を勝ち取った割に、素っ気ないものだな。 私と食事したかったからでは無いのかい、ライドウ」
「褒美が何であれ、僕は勝つ事に快感を得る。 お前と酒を呑み交わす為では非ず」
「メインディッシュは良いのか? 人修羅が頑張って焼いている最中だと思うよ」
「要らぬ、大広間で暴れた際、散々食物の臭いを吸ったので腹が膨れた」
「君は大飯喰らいだった気もするが……ああ、所属する機関に命じられ断食する事も有ったな……?」
刀の鞘を椅子にぶつけぬ様、席から抜けた。
ルシファーの横を通過する際、もう一言程降りかかってくる事は予測していた。
しかし僕の足を止めさせたのは、言語でなく物質。
影を纏わりつかせた翼一枚が、目の前を塞いでいる。
「ライドウ」
「邪魔だ」
「頬が腫れているぞ」
「脆弱な人間に御座いますから、赤みが引くまで少々お時間を頂きまする」
「私が踏み荒らした君の胸は、完治にどれだけの時間を要したのかな」
横を潜ろうとすれば、共に蠢く羽の壁。
色違いの双眸が見下ろしてくる、背丈は“ルイ”の頃とそう変わらなかった。
「舐めるでない。 人間とは云ったが、その中では頑丈な方だ」
「傷を舐める、という言葉が有ったな。 とても人の唾液に治癒効果が有るとも思えぬが……あれは気を高める愛情表現というもので間違い無いのかね」
「僕にそれを訊くのか――……」
撥ね除けようか迷った、だが扉の開閉音に動きを止める。
慌てふためくよりは、させておいてやっているかの如く場をやり過ごすが吉。
頬に降りるルシファーの唇も、肩で緩く波打つ金の髪も、全て知れた感覚だった。
歓喜も慟哭も無く、僕は眼を伏せ。
脚の隙間から見えている、ひっくり返った食器を眺めていた。
「矢代……矢代、聴こえているのかね」
振り返る横顔は微塵も心配を滲ませておらず、翼をずるりと引っ込めた堕天使は人修羅の肩を叩いた。
「おやおや、折角焼いたのに落としてしまうとは、そそっかしいなお前は」
彼の呆けた眼は、真っ直ぐに此方へと向けられていた。
ルシファーを素通りにして、睨み始める眼は金色で。
それが堪らなく気持ちが好いので、僕は口元が吊り上った。
「……申し訳ありません、何ならやり直しますけど」
「いいや構わない、ライドウはもう食べないそうだから。 私もメインが来ないので、思わず“つまみ食い”してしまったよ」
「人間なんて美味しいんですかっ!」
謝罪の直後だというのに怒鳴る人修羅は、怒りを隠す事もしておらず。
その怒りの矛先が何なのか、真意は何処に有るのか、恐らく僕も堕天使も朧気にしか分らない。
やりたくもない天使の調理をさせられ、それが無為に終わった事への苛立ちか。
僕等が内通している空気と読み取り、謀られたと憤っているのか。
「功刀君、魔具はしっかり君の方で返して貰い給え」
「はあっ!? ど、どうして俺がっ! 今あんたが勝手に吸うか吸われるかしたんだろっ」
ほら勘違いしている。
確かにやり取りは有ったが……治癒促進の魔術だ。
純粋なMAGの応酬では無い。
「マグネタイトじゃないよ君、ピアスの方の魔具だ」
絨毯床に散らばる料理は、こうなると最早汚物でしかない。
外套を軽くはしょり、跨ぎ超える。
「お、おいっ、あんた先に帰るつもりなのかよ!? 」
「勝負はついたし、床の残飯を犬食いする趣味も無いのでね。 ちゃんと焼いたのかい? 生臭いよソレ」
「何が勝負だ! 横取りした上に不正まで働きやがって! おい聞いてんのかライド――」
煩いので、扉で遮断した。
あんなに破け煤汚れた上着で、どの様にして帰宅するのやら。
それとも堕天使に懇願でもして、直接家に送って貰うのか?
(先に帰る……? それもおかしい)
僕がこの後向かうのは人修羅の家だ、僕の家では無い。
かといって元の時代にもやはり無い。
居候……出張先の宿……調査での野営……
帝都守護の任に就き、に未だ十年も経っておらぬ。
そこそこの年数を過ごした里だが、其処の連中の顔は出来る限り消したい。
(寒気がする)
個室の方が都合が良かったのか? いや、此方にとっては裏目に出ていた。
周囲に聴かれて困る事なぞ無い。 それよりも、あの堕天使が昔の様に接してきた事実におびやかされた。
まるで遠い異国に来て、祖国の者と会った様な心地を抱いていた……この僕が。
(情けない、酷く気持ちが悪い)
正確には此処は異国ですら無い、相手こそが異国の空気を醸し出している訳であり。
祖国? それ程の愛国心が、己に有った覚えも無い。
僕の諸々を掻き集めても、奴しか身近に感じていなかったという事になる。
己を潰したあの存在が……現存する僕の過去だとでも云うのか。

『ああ〜っ発見したぞぉオイ、ベンショーしろやー! あのボウズとグルなんだろこの真っ黒くろ助』
威嚇に揺れる槍の反射が、視界に入る。
帰路を急く僕から威圧を感じないとすれば、このヨモツイクサは相当鈍感なのだろう。
『ダンマリかぁ? いやいやいいんだぜ、腿肉御馳走してくれりゃあ』
銃に手が伸びかけたが、此処で妙に殺戮すればその爪痕を嗤われかねない。
軋む理性が歯止めをかけ、近くの卓上の饅頭を掴ませた。
ぎょっとするカハクを尻目に、思い切り振り被って投げる。
「これで我慢し給え」
『ぎょえぇーっ! も、モモだーー!』
直撃した顎を押さえ、転がる桃饅頭からびくびく這い逃げるヨモツイクサ。
迷惑そうな眼で睨んでくる卓のカハクに、僕はひとつ哂って魔貨をちらつかせた。
「中華がお好き?」
『……まーね』
「良い趣味だ」
『そんなにしなかったけど、値段』
「迷惑料込みさ」
『ふーん、んじゃもらっとく』
先刻まで饅頭の入っていた蒸籠にそれを放る。
後追う文句はこの背に刺さらず、つまり交渉成立だ。
広間を抜け、変わらぬ速度で食み続けるトウテツの横を通過した。
『お、お客様、大変申し訳ないのですが』
食堂の出入口を塞ぐはカマプアア、書物でしか確認した事の無い悪魔だ。
じっくり炭火で焼き上げられた様な艶をしている。
「何か」
『今外に出るのは危険です、すぐソコに次元の穴がさっきポッカリと開いてしまいまして……あれは恐らく人間世界へ強制的に落とされるヤツです、ニオイで判ります』
ブヒブヒと鼻を鳴らしつつ警告してくれたが、僕にとっては問題無い内容だ。
ルシファーが御丁寧にこじ開けてくれたのだろう。
「御忠告感謝するが、僕は此方の世界の者では無い」
『……はぁ、人間!? あっ、そうでしたか……』
「では然様なら」
『ああっ、お帰りの前にアンケートにお答え下さい』
「そういう物は卓上に設置しておくものだ」
『先程広間で一波乱ありまして。 料理が流れてしまった折に、空腹のお客様が「紙でも良いから」と用紙を食べてしまいまして』
成程、それは是が非でも加担者の僕には書かせたい事だろう。
筆記具は木炭から墨壺まで、色々と用意されていたが僕は普通の万年筆を手に取った。
人型ならば此れに落ち着く。
『どれか一項目でも埋めて頂ければ結構ですので』
「はいどうぞ」
『早いですね』
僕はカマプアアに用紙を手渡してから、するりと穴に跳び込んだ。
後方からの荒い鼻息が耳に残る。
まあそうだろう、《今後希望するメニュー》という欄に思いつく限りの豚料理を書いてやったから。


「あ、あれ……あらっ?」
抜けた先は、同じくスカイレストラン。
ただし、出入口から僕を眺めるは人間女性の店員だ。
「あの……失礼致します、お客様を個室に御案内した覚えが有るのですが」
「ええ、そうですね」
「御用事による一時退出でしょうか」
装備のベルトを調整したので、外套から鞘は零れていない筈だ。
未来の帝都は面倒である、僕は武器を見え隠れさせて闊歩する事が嫌いでは無いのに。
「いえ、自分はもう帰りますよ。 会計は残りの者に任せますのでね」
「そうでしたか。 この度はご利用頂き有難うございました、またのお越しを――」
「アンケートは無いのですか」
「各テーブルに……あっ、もしかして切らしてましたか? 御席の用紙……」
「いえ結構ですよ、二度も書きたくないのでね」
確認しておきながらこの台詞、さぞかし困惑した事だろう。
不可思議な黒ずくめとして、後々の笑い話にでもすれば良い。
僕はしっかりと起動しているエレベーターに乗り、つらつらと並ぶ階数ボタンを眺めていた。
(誰か、途中で乗ってこれば良いものを)
重力は下降状態で一定のまま、僕の思考を途切らせる事も無く。
それでいてなかなか辿り着かないから厄介だ。
先刻のアンケートが手元に来ていたら、何を書いたろうか。
(置かれていなかった、マイヤーズのダークラム)
頬に触れた。
人修羅に殴られた後はひっそりと成りを潜め、自身の冷たい肌が手の甲に当たる。

いつもあいつと、頬が熱を持つまで飲み明かしていた。
こんなにも愚かしい過去はただの汚点であり、秘密にすらなり得なかった。

「もう、そんな間柄では無いというに……ふっ、ククッ……」

金色の眼を、奴の指輪より光らせていた。
口付けを交わしていたかの様に見えたのか?
誤解させておけば良い、人修羅がこの頬をまた熱くさせてくれよう。



-了-

↓↓↓あとがき↓↓↓
これはライ修羅の長編です、これはライ修羅の長編です(大事な事だから二回言った)
SS『汚点』三部作を読了しておくと、ああ〜……という部分が後半にちらほら(勿論、読まなくても大丈夫) どうしたライドウ、いつもの押しの強さはどうした。
それにしても長くなってしまいました、ようやく池袋脱出。 次回は人修羅がモヤモヤしている筈です。

灰色(かいしょく)のテーブルと読ませており、会食とかけております。
「白黒はっきりしない」と「過去の記憶」のイメージで。


↓雑談↓

序列46番の地獄の伯爵
「……毒?……麻痺?」

序列70番の地獄の君主
「神経毒による麻痺だから、パララディでいいんじゃないのー(適当)」



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