ここでまたテンプレみたいな、サマンサタバサの財布なんぞ開きやがって……
街中で見ても群像の一角としか映らない、特徴の無いルックス、型にはまった女子大生。
こんな男を選んでしまうとは憐れな奴……シャブってないなら、まだマシか。
とりあえず現金下ろして来ないと無理だから、さっさと財布は仕舞えって。
「当然だけどネエちゃん、チクんなよ? まあ君もお縄になっちゃうからね?」
「……はい」
「うんうん、聞き分けが良いね。そいじゃ此処の一階ですぐ下ろしてきて」
「えっ、でも銀行ATMなんて無かった」
「130万も貯金有るの? 無いっしょ?」
「そ、そんなに!?」
「ほぉ、無理? 風呂沈めたろうか?」
「ひっ」
「……はっは! なんて都市伝説かい! んな七面倒くさい事ぁ云わねえよ、ほら借りに行った行った」
下階に在るのは無人契約機、そういう事。
流石に不安が累積し過ぎたか、目許のラインが滲んでパンダになっている女。
気風の良い奴には一目置くので、そう乱暴にはしない。
寧ろ、其処でへこたれてるまあ君みたいな野郎に、こっちの連中は手厳しい。
オレは先刻から見ているだけ。部屋を出ようとする女の為に、扉の横で待機していた。
と……ふと妙な気配に引かれて、横目に擦り硝子を確認する。
扉にはめ込まれた縦長の窓に、人影は無い。
しかし気になってしょうがない、利き手を自由にした状態で唐突に扉を開け放った。
扉の背が何かを押しやった感触があり、一歩踏み出し覗き込んだ。
(雨漏り……?)
点々と、廊下が濡れている。びっしょりというには程遠い、濡れ布巾を絞らず持ち歩いた時の様な。
「どうした、誰か居た?」
「……いや、ちょっとそんな気がしたけど、居らんかったです」
「ワレそんなんばっかやん、まーた幽霊かぁ? お前、この仕事向いて無さ過ぎ」
事務所がドッと沸く、それはいつもの事だから良い。
やっぱおかしい、ぺたぺたと足音が聴こえる……その音を拾って、視線で追えば……
最後に見た時はしっかり閉まっていた筈の、ベランダへの勝手口が薄く開いている。
(何か光ってないか)
日光じゃない、逆光の中で点の様にして何かが光っている。
つまり、其処に誰か居る。
「おい!」
威嚇の声を上げ、目掛けて走った。
徐々に幅を広くする隙間から、何かがコッチへと躍り出てくる。
「っう、げはっ、げえっ」
喉に一撃喰らったのだと、歪む天井を見ながらに察した。
咽ながらもんどりうって、体軸を捻る。ジンジン痺れる首を反らし、事務所の出入口に向かって喘いだ。
駄目だ、喉が潰れて声が失せている。
(何だ、あいつ)
その背中は、どう見ても学ランだ。学生が殴り込みに? んなバカな。
オレが立ち上がる頃には怒号が飛び交い、学ランは平然と室内へ侵入。
慌てて加勢に駆け寄れば、戸は開いている筈なのに何かにぶつかった。
「ってえ……おい、しっかりしろ」
重い、押し退けてみれば、それはぶっ飛ばされたらしい組員一のデブ。
まだ寄りかかってくるキングサイズのスーツが邪魔で、廊下側にごろっと転がしてやる。
「どこの組のモンじゃてめえ!」
ナイフをチラつかせた組員が怒鳴る、それでも学ランの挙動にブレは無かった。
突いてくる切っ先を紙一重でかわすと、柄を握る組員の手首へ目掛けて手刀がかまされる。
それは刃物よりも鋭利に感じられた、風切り音さえ聞こえた。
喰らわされた奴は悲鳴を上げて、二三歩後退する、多分骨がイったんだ。
床を打ってクルクル踊るナイフを拾おうと、脇の組員が跳び込む。
あの学ランより近い位置だ、先に拾われる事は無いだろう。
そう認識していた周囲の安堵は、またもや悲鳴で帳消し。
学ランは我先にと焦る事もせず、組員がナイフを掴み上げた瞬間を狙って、その手首を蹴り上げていた。
弾みでポオンと放られたナイフを曲芸みたいにキャッチしたソイツ、いよいよコッチを振り向く。
顔にクッキリと、墨が入れてあった。
明るいLEDの電灯の下、鮮明に映るそれは異様な空気を事務所に流した。
見慣れている筈のモンモンに、一同押し黙って悶々とする。
と、学ランが息も乱さずさらっと喋った。
「……殺人しようとしてたんですか?」
開口一番がそんなセリフなもんだから、何て返せば良いのか、誰も分らないのだろう。
「襲撃したんはテメエだろうが!」
「舐めた真似して、ガキだからって見逃して貰えると思ってんのか!」
口々に野次は加速するが、誰も飛び掛かろうとはしない。
オレは押し退けたデブが気絶しているのを好い事に、その影に回り込んでそろそろと廊下を移動した。
デブの垂らした鼻血のせいで這いつくばった手が滑ったが、立て直して前身する。
「逃げられませんよ」
学ランの声は、恫喝といった凄みも無い。それが却って、気味悪い。
「他の上階にベランダは無い。其処のベランダは今、外から押さえて貰っています」
「んだとオイ、仲間が居るのか!?」
「仲間なんかじゃないです、一階も止めておいた方が良いですよ」
マジだろうか……ハッタリかもしれない……
他の連中が応酬している間にと、オレはベランダの方へと駆け出す。
さっきまで薄く開いていた扉は、僅かに揺れるがそれ以上開いてくれない。
ノブを回しまくれば、金具の感触も無かった。
誰かが向こうから押さえていると云っていたが、まるで重い空気の様だ。
力みや息遣いのカケラも伝わってこない、薄い金属扉一枚しか隔てていないのに。
人の居る気配が無かった、もしかしたら積んであったコンテナで塞いである?
いや、結局協力者は居るって事か。
「くっそ」
それならばと踵を返し、再び廊下を走る。
事務所の前を通過したが、学ランの邪魔は入らなかった。
階段を数段飛ばしで駆け下り、無人のフロアに出る。
契約機だけが挨拶する空気を裂いて、表に出ようと――……
(やべえ、何か居る)
直感だった、呑気に開く自動ドア……その狭間からぶわっと吹き込むのは、外気だけじゃない。
思わず立ち止まったオレの脚が、突如空中に引っ張られる。
「うおぁッ!?」
そのままズリズリと見えない何かに引き摺られ、フロアの中央へと戻された。
熱い、数年前に頭の飼い犬に噛み付かれた時みたいな。
スーツのズボンにめり込む空気は、まんま獣の歯型の並び。
「うわっ、うわぁっ」
既に自動ドアは閉じている。外の方が明るいので、この状況は表から見えない。
パニクって逆に冷静な頭が、そう判断していた。
「だから云ったでしょう、しかも血の臭いさせたまま……」
うんざりしている、といった声音が階段の方から降りて来る。
どうすりゃ良いんだ、見えない獣と学ランのバケモノと、どっちにやられるのがマシなんだ。
「おわっ」
自制の利かない身体が転がされる、どうやら見えない何かからは解放された。
ボロボロになった裾を指先に確かめつつ、風向き通りに視線をやった。
きっとオレを放って、あの学ランの所に突っ込んでいったんだ。根拠も無く思った。
「獲物の見分けもついてなかったんでしょう? 悪魔といえど、犬の眼だ……」
それは嘲りを含んだ声だった、先刻ドンパチしていた時より遥かに冷たい。
間髪入れずに学ランは、何も無い所に向かって思い切り蹴り込む。
ビビッと空気が歪んだ気がする。あのスニーカーが一瞬、何かにめり込んでいた。
奴の視線が動く、まるで蹴り飛ばしたボールを追うみたく。
(悪魔とか云ったか、このガキ)
ふうっ、と息を吐いた学ランが、床からようやく視線を逃した。
オレに一瞥くれてから、自動ドアへと歩き出す。
学ランを客と認識したセンサーに、そりゃ誤解だと云ってやりたい。
「俺だって、別に荒事が好きでやった訳じゃないです」
引っ掻け棒もスイッチも使わずに、ジャンプして天井のシャッターに掴まり、勝手にガラガラと下ろしている。
とりあえずカタギじゃない事は分かった、やんちゃな学生なんて形容もハマらない。
無駄口を叩いたらヤバそうだと理性は云うが、無言のまま始末されるのは冗談じゃねえ。
オレは意を決して学ランに怒鳴った……つもりだった。
しかし聴こえたのは、裏返って吹き抜ける風みたいな音だった。
「お、おぃ、お前、他の組の奴か」
「は? 組って……貴方スーツ着てますけど、同じ高校なんですか?」
「違ぇよ! その組じゃねえ! っゲホッ、ゲホ」
信じられんボケに、思わずツッコミを入れちまった。
傷んだままの喉が再熱して、咳が言葉を食い止める。
「あのな……オレ等が《阿修羅会》って分かってて、此処に来たんじゃないのか」
組の名前を出した瞬間、コイツの眼がオレを睨んだ。
気のせいじゃない、やっぱり関係者か?
「ああ、ヤクザ……どうりで」
「シラ切ってんじゃねぇ、本当は分かってんだろ」
「襲撃って、そんなドラマや漫画みたいな事、本当に有るんですか」
「お前なんなんだよォ!?」
腰が抜けているのか脚が砕けてしまったのか、立てない。
そんなオレを余所に、学ランはごそごそと内ポケットを漁っている仕草。
やべえ……何が来る、いよいよチャカか?
学生服ってのは割と隙間を作るもんだ、何が仕舞ってあってもおかしくない。
「今から通話するので、静かにして貰えますか」
おいおいおいケータイかよ、と拍子抜けしたが、すぐに我に返った。
「てめえ、まさかマッポか?」
「……服着てますけど、見て判りませんか?」
「てめぇワザとだったらブッ殺すぞ! マッパじゃねえよマッポ! サツかって訊いてんだよケーサツ! っげほっ、げほおっ!」
「俺は警察関係者でも無いし、今から電話する先も無関係です」
「そうだ、上の連中はどうなったんだ、おい」
「大怪我はしていない筈です、大人しくして貰ってます……あ、すいません」
散々やらかしときながら、通話開始だと謝罪している。
形だけの社交辞令が、黒々とした墨と学生服とのアンバランスを強調する。
どれもヒントになりゃしない。このガキが何者なのか、全く分からない。
そういった得体の知れぬ意味不明さが、一番やばい。
――あ、おい切るなよ、簡潔に説明する。擬態解除して、人を数名ボコした。
顧みない無鉄砲さはシノギ連中も持ち合わせていて、多分それが強みだ。
しかしそれってのは様式美というか……悪く云えば単純な縦社会というやつで、分かり易い。
オレ達の統率は組長が執る、組長ってのは他の組にも存在していて、共倒れしない為に《手打ち》なんかが有る。
同業者が突如消えてもメリットは無い、組長を殺るなんざタブー扱いだ。(ただ、近年じゃ怪しい)
そういった他との兼ね合いが、シノギの古めかしくも古風な理性なのかもしれない。
――何哂ってんだよ、楽しい話題じゃないだろ。ああ……そうだ、どうせあんた暇だろ、早く来てくれ。
それぞれの組に唯一絶対の親分は居る、そして目に視える。
だがカルトな集団は違う、あいつ等のトップはただひとつ、カミサマしか居ない。
カミサマは視えない、なのに視える物をかなぐり捨ててまで、信者は必死にソレを守る。
己をを含め、カミサマ以外の全てがどうなったって良いんだ……そういう意味の無謀さが、恐怖の源なんだろう。
オレにとって、理解がまるで出来ない連中だから……目に入れたくもねえ。
――場所? 俺も把握してな……ちょっと待て、待ってろ! すぐ確認する……
昔からハッキリとは視えないが、気配にだけは敏感なんだ。
そんな揺らぎに立っているのが気持ち悪くて、尚更コッチの業界が居心地良く感じた。
目に見える金と力と、人間だけが確かな世界。
オレが時折ボヤいても、そんなものは居ないと笑い飛ばしてくれるこの世界が――……
「あの、此処の住所を教えて欲しいんですけど」
ボーッと考えに耽っていた所を、通行人にも訊かれた事の無い台詞で遮断された。
這いつくばったオレを見下ろす学ランのガキ……ああ、光って見えてたのは眼だったのか。
妙な気配なのに鮮明に視えていて、シルエットだけは人間ときた。
実家の田畑に居たカカシを思い出す。
「その携帯で調べろよ」
「これ通話しながら現在地を出すとか出来ないんですよ、古い機種だから」
繁忙期に手伝ってやろうと帰省したら、援農の余所者が複数名、実家の畑に居た。
家にとっては、もうオレが余所者なのかもしれない。コッチで何してるか知ってるだろうし。
ただ、あの時酷くモヤモヤした。あの辺に来る援農者なんて、多分東京者だ。
東京者は東京に居ろよ……と、ムカムカした。オレだって、今は東京者なのにな。
「…………○○ビル」
「どうも」
向こうさんが東京在住かは知らんけど、ビル名で場所を探すくらいは出来るだろ。
龍でも華でも無い、意味不明な墨入れやがって。似た様な奴が、この後此処に来るんだろうか。
代々木公園の現場で見かけるあの輩でも、そんな物騒な見た目してねえよ。
何つったか、うちのフロント企業が仕事請け負ってるんだよな……あのナントカ教団から。
――○○ビルだって。今入れない様に細工してあるから、近くまで来たらそっちから電話してくれ。
――ああ、そうヤクザ。なんか中二病っぽい名前、阿修羅会だとさ……哂う所か?
――仕方ないだろ! 俺だって好きで暴力行為してる訳じゃない、あんたとは違う。
おい中二病とか云いやがった。戦闘神だぞ、これ以上無いくらい良い名前だろう。
しかも更なる暴力野郎が来るのかよ、おっかねえ。
――だって、人が殺されそうになってたんだぞ!? あいつら、女性を「風呂に沈める」って。
「ちげえぇ! そりゃソープに売り飛ばすっつう意味だよ! 溺死させるんじゃなくてだな!」
絶対勘違いしていると思い、横から大声でツッこんでしまった。
じっとオレの眼を見てくる学ラン。その眼を見つめ返す限り、マジで大当たりだったらしい。
信じられん、早とちりかよ。
「しかも売らねえよ! んなドラマや漫画みたいな事するか! っげほっ、げほぉッ!」
ジクジクと熱を冷まさぬ脚が、更に血の巡りを良くして出血する。
これはさっさと失神しちまった方が楽だな、新しい客も来るらしいし。
“まあ君”への意見は撤回しよう、現実逃避に五体投地してるオレも大差無かった。
どうやって上の連中を治めてあるか知らんが、寝たオレの事も其処に放ってくれ。
息の根を止めたいなら、そうしてくれても構わん。
粉々にして、実家の畑に肥料として撒いてくれよ、そうすりゃ流石にオレも敷地に入れて貰えるだろう。
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
先生復帰⇒花屋⇒からの暴力団事務所。
という脈絡の無い展開ですが、ひとつのアクシデントとして読み進めて下されば幸いです。しかも後半がモブ組員のツッコミメインという…
次回作は「ライドウにヘルプコール(証拠隠滅)を求めた人修羅だが、ライドウはそこまで甘くなくて…」といった具合です。人修羅が此処まであっさり人間を対象にした理由(という名の言い訳)を書いていきたいと思います。
ブログで予告してあった「ライドウがキレる」というのは、このヘルプ要請に関してでは無いです。ちなみに、閣下×修羅の予定です(フラグ)
↓余談↓
《手打ち》に関しては、ここの「暴力団ミニ講座」が分かり易いです。
ttp://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini10.htm」
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