「……ダンタリアン?」
意外な展開に、引き金にかけた指を止めた。まさか人修羅の口から、悪魔の正式名称が出るとは思わなかった。しかもボルテクスではお目見えしなかった悪魔だ、一体何処で知識を得た。
「まさか君の仲魔かね、勝手な召喚を許した覚えは無いが」
「仲魔な筈無いだろっ、その……ケテル城からあいつを派遣して貰って、ヤクザ事務所に居た人達の記憶を……」
「フフッ……成程、君にとっては顔を合わせたくない相手という訳だ」
沈黙してしまった人修羅を横目に見れば、眼を鋭くしたまま姿勢を低くしている。やがて自らの燐光に気付いたのか、タオルケットで背面を覆い、再びうつ伏せた。
「撃たないのか……」
「さてどうしたものかね、君に報告に来たのかもしれないだろう?」
「だからって監視みたいな真似されてるのは不快だ、それに……何を報告するっていうんだ。あの日の記憶を混濁させて、適当に放流すれば済むだけの話を」
「ダンタリアンは記憶操作をする際に、まずその記憶を吸い出すからね。それを他者に見せる事も可能だ。あの複数の頭を、吸い出した人間の顔に挿げ替えて説明するのさ……襞襟が回転台の様にくるくる回ってねえ、正面に来た頭が喋る」
「ゲテモノ」
「当然、ダンタリアン自身が見聞きした記憶も、他者へ譲渡出来る。つまり……僕等の今しがたの行為を見られていたとすれば、それをあっさり流される事も考えられるね」
「はっ?」
「君と僕のポルノが、ケテル城で上映される可能性を説いてるのさ。あの悪魔は言葉だけでなく、幻灯機が如く映像として伝える術も持っている」
「は……はぁ? なんだそれ、絶対させるかよ、っていうかずっと見られてたのか!?」
「さあ? もしかしたら、真っ最中には此処のベランダに居たかもねえ……フフ」
慌てふためく人修羅は、殺気を隠す事もしない。騒ぐべきでない、という姿勢は既に見る影も無かった。
構えを緩め思案のフリをする僕の肩に、爪まで立てる始末だ。上擦った声音は、どこか脅迫めいている。それが僕への脅しなのか、それを通過したダンタリアンへの攻撃性なのか、定かではない。
「どうして撃たない」
「先述した通りさ。ダンタリアンが只の報告に来ており、君に接触する機会を見計らっていたとすれば……それを撃つのは宜しくないかと思ってね」
「何云ってんだよ、あんたさっきまで撃つ気満々だったじゃないか」
「これで攻撃した事が仇となり、報復の証にポルノ上映会をされたら?」
「一撃で仕留めろ」
「ククッ……無茶を云う。この距離に狙撃重視の得物だ、攻撃力も低く相手は多頭。そもそも君、僕に命令する権限が有ったかい?」
「あんたはこんな恥ずかしい関係晒されて平気なのかよ! 撃ち殺せ!」
引き金から外した指で、人修羅のツノを掴む。本当はイチモツでも握り締めてやろうかと思ったが、今は位置が悪い。
「ひぎッ」
「恥ずかしいと思っているのは君だけだ」
「……はぁっ……ただの、主従でも無い……なんでこんな、セックス……の、真似事」
頬を引き攣らせる君の、その耳に吐きつける。僕が見てきた人と悪魔の感性を。
「あのねえ功刀君、人を嗤うのは人だけなのだよ」
「な、に……が、云いたい」
「悪魔の城にこの関係が流されたとて、何も痛い事は無いさ。彼らが形だけ笑ったとしても、それは君が恥じているからに過ぎぬ。悪魔達が嗤うのは、人間の関係性や立場や容姿では無い、それを恥じたり呪ったりするヒトの感情そのものだ」
「俺は人間だ……人間相手への感性しか持ってないんだ、あんたと一緒にするなっ……」
「……それでは悪魔にいつまでたっても付け入られるね、哀れな奴」
攻撃性を露わにした時は滾ったのに、何故だか今の一瞬で萎えてしまった。
僕とて人修羅と共感を噛み締めていた訳では無いが、折角悪魔に対峙する際の秘訣を教えてやってもこの態度だ。それをダシに嬲ってやっても良かったが、どうもそういう気分にならぬ。事実、ダンタリアンの目的も判明していない……相手を前にこれ以上戯れるのは避けるべきだ。
「いっ」
「そんなに恐れるのなら、君が話をつけるか始末するかして来たら良い」
人修羅のツノをぐい、と押しやり突き放した。
脈を感じはするが、冷たい突起。甲虫の様に武器になる訳でも無く、寧ろ弱点を項に晒す不可解な構造。
しかし、一寸目を離した隙に形を変えるかもしれないと思えば、毎日気になる部位だ。
己のMAGを与えて、近付き過ぎぬよう痛みと蜜を与えて、仕方が無いから時折尻拭いしてやって。そうして従えてきたというのに、変化の瞬間を見られぬ事は耐え難い。だから、多少歪になろうが構いやしない、君は例外だ。この先、等しい存在を使役出来る機会が有るとは思えぬ。人修羅の心と体が捻じれても、僕の支配下に留める事が最重要。バラバラに砕かぬ様に、これでも限界を見極める事に慎重なのだから。先刻だって、痴態を見てやろうと快感を優先して引きずり出してやったというのに。
「おい、ライドウっ」
僕は銃の安全装置を戻し、枕を放ると寝台から降りた。察した通り、下肢の武器も臨戦態勢からは逸し草臥れていた。寝台の端から部屋を点々と散る衣類を拾い、順に纏ってゆく。
ボタンをかけようとして、その幾つかが無い事に気付く。そういえば、人修羅に学生服の前面を引き千切られたのだったか。廊下を這いつくばって探すのは彼にさせるとして、今はこのままで良い。
「ヤり逃げかよ手前っ!」
部屋から叫ぶ人修羅を背にして、僕は階段を下る。途中でゴウト童子が足並みを揃えてきたが、お小言のひとつも無い。
普段と違う銃を手にする僕を、ただただ訝し気に睨み上げてくるだけだった。
『とんでもない! 確かに動向を見て、都合の良さそうな折に伺おうとはしてましたけど、監視だなんて……いやいや本当に、読み始めた本が良い所で! 実のところ、ついさっきから夢中になり過ぎて、他を見向きもしてなかったのですよ』
よれたシャツと学ランの下だけ着付けて、ダンタリアンの目の前に直接出向いた。
俺が庭園に降り立ってからようやく気付いたらしく、どうやら本当に部屋の中までは見えていなかったらしい。
いや、それも芝居かもしれない。追及しないと気が済まなかった。
「別に俺、報告を義務付けてはいませんでしたけど」
『いあ、記憶こそ見えないじゃあないですか。ですからね、職務を全うしたという証拠を見て頂きません事には、後から首を刎ねられても大変ですからね。お手を煩わせるでしょ、沢山有りますのでワタシ』
ダンタリアンの言い訳を聞きながら、つい先刻ライドウの云った「多頭」という言葉を思い出していた。確かに、口を動かしているのは真正面の頭ひとつだけ。
「……じゃあ一応、事務所に居た人達の記憶は見せて貰いますから、多分それで大丈夫だと思います」
『おおイケますか? 一旦引っこ抜いて、中身だけ攪拌させて元の位置に戻すの苦労するんですよね、ご確認頂くので分かると思いますが、覗き見でもちょっと酔いますよ?』
「さっさと済ませてくれたら……」
『人間で云うと、二日酔いの頭で白昼夢見てる感じでしょうか。今回弄られた人間達なんかは、当日の記憶は夢が如く目覚めと共に消えるのです。掴みどころが無い物事ほど、ヒトは憶えられませんからね』
あの日、あの事務所で見た面々の顔が、ダンタリアンの顔と次々に挿げ代わっては俺にアイコンタクトしていった。その度、一瞬だけ垣間見える彼等の記憶……いや、云い表せる映像は殆ど無かった。書き替えられた記憶というものは、今聴いた通り……酷くおぼろげで、何が何だか分からなくて。
『完全なる消去ってのは難しいんですよ、忘却といってもそりゃ頭の奥の奥に隠れちゃってるだけでして。ですから、攪拌させた記憶を再構築される場合ってのも、一応覚えといてくださいよね。パズルのピースを噛み合わないのに無理矢理はめて、枠に収めた状態なんです。だからどこか違和感が残って、ギシギシするワケですね。それを元に戻して綺麗に組み上げる事が出来る、そういう術を持つ同胞も居ますので』
「……あの人達が今後、悪魔と接する様な機会さえ無ければ大丈夫でしょう」
『ま、例外として……ワタシ自身の記憶っていうか記録なんかは、意図的に消す事が出来ますけどね。無尽蔵に溜め込むと、処理が重くなってくるんで』
「そうだ、さっきの話に戻りますけど」
『あ〜はいはい、貴方様と……デビルサマナーに関する記録の消去ですか。でもこれすると“さっきまで何しようとしてたっけ?”ってな硬直時間が長くなるので、出来ればワタシが此処に来る直前からの記録にして欲しいですね。貴方様に関する全てを消去しては、直後戦闘になりかねませんから』
云うなりダンタリアンは、頭をゴトゴトと移動させ始める。白く波打つ襟の上だから、その凹凸に踊る生首のシルエットがメリーゴーランドの馬みたいだ。互い違いに、上へ下へ……老若男女、様々な面立ちや髪色の頭が……
「うッ」
と、目の前に現れた顔に思わず声をあげてしまった。嫌という程見覚えのある……俺の顔が其処に在った。
薄っすらと金眼を伏せて、ちゃっかりと斑紋が横断する頬……鏡に何度も確認してきた、気色悪い姿。
『さ、頭を潰して下さいな』
「……他にやり方無いんですか? どうしてこう、何するにも悪趣味なんだ悪魔は」
『パイプふかして煙と一緒に棄てる事も出来るんですけど、まあそれは時間がかかりますから……だってさっさと終わらせたいのでしょ? 貴方様の事は、セエレから“せっかちだから単純で一番手っ取り早い手段を提示して”と伺ってますよ、偽り無しでしたのほほ』
憤慨すべきか感謝すべきか言葉を迷いつつ、俺は目の前に鎮座する俺の頭を見た……ああ、とため息が漏れる。
この庭園は緑が濃いので、多少の光は紛れると思い擬態解除していたが……こうして同じ顔と対峙すると、やはり嫌気が差して擬態したくなる。こんな気色悪い姿をしているのかと、自覚させられる。
「……本当に潰して良いんですか」
『ええそりゃもう、ゴチャっとやっちゃって下さい。その頭の中には、消去したい分だけ記録を詰め込みましたんで。持ち主の外見を模造するのは、間違えて消しちゃわない様にする為ですからね』
簡単に部位破壊を云い渡すダンタリアン、痛覚は頭に無いのだろうか、いやそんなの俺が気にする事じゃない。きっと生えるのだろう……潰した頭の位置にまた、適当な形で、花の様に。
「貴方、血は……体液は出るんですか、この頭」
『MAGはちょっと散りますけど、まぁその程度です。一瞬色々視えるかもしれませんけど、それ等は空気に溶けて消えますの〜で御心配なく』
アイアンのテーブルの上、開きっ放しだった本を閉じるダンタリアン。本当に……他意は無かったのかもしれない、只の報告に来て……暇潰しに読書して……この家の庭を荒らす訳でもなく。
この悪魔は……俺が撃ち殺せと云った言葉を、本当に聴いていなかったのだろうか。
『御自身の顔だから気が進まないでしょうけど、まぁここはストレス解消だと思って』
沸々と込み上げる嫌悪、目の前の悪魔ではなく、この顔に怒りが向かう。引き絞った腕をくっと止め、上体を捻りながら拳を繰り出した。
ダンタリアンは圧でよろめいたか、尻餅をついていた。背中の羽をひと煽ぎしつつ「よっこらしょ」と立ち上がる。
『いや〜びびった……あの、今頭潰したんですよねっ? ねっ? 何もそんなにマジな右ストレートぶつけなくても……割と簡単に弾けますし、ワタシの襟飾り』
頭を襟の飾りだと云う悪魔に……息を荒げる己の滑稽さが重なって、酷く脱力した。
それだけじゃない……聞いていた通り、一瞬で様々な映像が頭を潜り抜けていった。僅かに残留している……俺の後ろ姿や、家のアプローチ……玄関。二階のガラス越しに物陰が見えたが、レースのカーテンですぐに遮断された。
『頭潰して貰った後って、気絶から目覚める感じなんですがね。や〜こんなシチュエーション初めてで、何故倒れてるんだか……分からなかった』
「……すいません、次お願いします」
『あぁ、デビルサマナーの分ね……でも、別に無理して消す事も無いじゃないですかね。だって殆ど重複してますもん、ワタシは貴方様の住処を暫く眺めてましたので、時折出入りしてたデビルサマナーの姿くらいしか残ってませんよ』
今の映像を見る限り、ダンタリアンの云い分は最もだ。でも、そんな事は関係無い。
「いいんです、念の為消しておきたいから」
砕けたMAGが指から滴るのを、吸いもせずに払い落とす。空席となった所に、ずるりと移動してきた影……それがゆるゆると形を変えて、見慣れた学帽を被る頭に成った。
(澄ました顔しやがって)
当たり前だ、此処にあの男の意思は宿っていない。ダンタリアンが見た形をそのまま投影してあるせいか、帽子の影になった部分はどこか不鮮明だ。薄暗がりに冷たく滲む眼光や、どういう原理で生えているのか問い詰めたくなるあのモミアゲも、鋭さが無い。ただ、紛い物と云うのは憚られる程度に、シルエットは同じで。
(壊してやる)
重複している記録など、本当はどうでも良い。
ただ、葛葉ライドウの顔を殴りたいだけだ。偽物だからこそ厄介事も無く、それこそストレス解消になるだろう。
「は、ぁっ……」
先刻と同じ様に殴れば良い、いつも悪魔に攻撃するみたく、ただ破壊する事だけを考えて。躊躇えば反撃されるし、余計に拳も汚れるだけで、俺にとって良い事はひとつも無いんだ。だから何も考えず、俺にとっての悪魔を殴れば良いんだ。破壊すればこの頭の軋みも、舌のえぐみも、胸の冷たさも消える筈なんだ。
「……ぅ」
力が入らず、一発目は取り止め。コントロール出来ず、二発目も引き返し……三発目、学帽のつばを掠めただけ。ライドウ頭の鼻先で、俺の拳はぴたりと止まっていた。
どうして殴れない、何に怯えている。この頭は只の容器に過ぎないと、説明されたじゃないか。俺を睨み返してくる事も無いし、その唇が吊り上がる事も無い。薄く開いた眼は何も見ていないし、閉じた唇は毒を吐かない……
『どうしました? いきなり命中率ダウンしてますけど、唐突なスクンダ?』
他の頭を介して発されるダンタリアンの声に、早く云い訳しなくてはと気持ちが焦る。
「竦んでなんかいません……」
『いやいやスクンダ? って訊いてるんです』
「竦んでないですってば!!」
怒鳴り返した途端、目の前の顔からMAGが噴いた。
更に続いて、ばすっ、ばすっ、と吸い込まれる音。学帽の意匠に穴をあけ、眼の暗がりを更に暗くし、MAGがその穴という穴からわあっと流出する。崩れ始めた頭は襞襟からほろほろと零れ落ち、俺の靴先に落ちて弾け、無色透明に消えていく。
「あ……ぁ」
ダンタリアンは痙攣しつつフラフラと前後しているが、ギリギリで踏み止まっていた。少し経てば、また意識を戻すだろう。
俺は庭の端へと駆け出し、格子から身を乗り出して自分の家を睨んだ。二階、自室のベランダ……予感は的中した。
「ライドウッ!」
夜風に浮かび上がる様な白いシャツを靡かせ、銃口を此方に向けたまま哂う男が居た。
すっと構えを緩め、スコープから眼を外したライドウ。サイレンサーを着けたというだけあって、殆ど音は反響していなかった。
会話出来る距離では無いので、互いに無言。俺の先刻の叫びも、きっと聴こえていない。
(何の躊躇いも無く、自分の顔を撃ち抜きやがった)
薄着のまま銃を片手に、ただ哂って俺を見つめるデビルサマナー。酷く不穏な姿と不遜な笑みだというのに、何故か廉潔にさえ感じた。悪魔でなくとも、その姿を嗤う事など出来ないだろう。
あいつの云っていた事が、少しだけ身に染みて……息苦しくなった。自分が絶対なのだと、恥も呪いも無く行使するその威圧に……俺は怖れと焦燥感を抱く。
「くそっ……くそぉッ」
家主を起こさぬよう、声を殺してその場に慟哭した。
偽物すら殴れなかった俺に、本物が殴れる筈も無かった――……
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
ようやく行為に入りましたが、ライドウの女体化は随分あっさりと描写しました。(そこが最重要な話では無いので)
冒頭の人修羅の語りっぽいのは、第一章の二十一話『モイライ三姉妹』を読んで頂ければすんなり入って来ると思います。
ダンタリアンですが、これは真3とライドウしかプレイしていないと、姿形がピンと来ないと思います。そういう方は画像検索して頂ければ文章理解度が上がると思いますので、是非そうして頂ければ!(他力本願)
ダンタリアンの記憶操作と保持に関する設定は、勿論捏造。ソロモン72柱における解説通りの能力…にはしたつもりです。
今回初めてルビを振ってみましたが、これスマホだとちゃんと表示されるのでしょうか…(されなくても問題は無いのですが)
↓余談↓
タイトルの《廉潔》とは「私欲がなく、心や行いが正しいこと。また、そのさま。」
前回と音だけ揃えてあります。
back