オレ、祐子先生はあの時の先生(仮)だと思っている。
高校入ってから、二年になる直前に見かけて一目で分かった。しかも自クラの担任とか、漫画みてえな展開。
まあ、そこから何の進展も無えし、先生は他の野郎にばっか構ってる始末だけど。
もう煙草は辞めたのかな、元々そういうの好きなタイプにゃ見えないし、ひょっとしたら入院を期に辞めてるかも。
あの頃はストレスも溜まってたろうし、だからバッタリ出くわした生徒に合わせて、あんな話で盛り上がってくれたんじゃねえの。
ここまで妄想しときながら別人オチが一番怖いから、本人に確認した事は無い。
いい……それでイイんだ、別人だったらそれはそれで。だって今のオレは、祐子先生が好きなんだし。
ただしあの頃からだ、オレは燃えるような夕陽を浴びると体が蒸発するイメージが止まなくなる。何処か高い所、フェンス越しに見下ろしてくる視線が無いか気になる。
祐子先生が、ある日唐突に「世界が燃えてしまったら」とか、云い出すんじゃないかって。
それを聴き逃したくないから、いつも傍に居たいのにさ。あれからずっと独りだったか、確認したいのにさ。
(周りは惚れた腫れただ茶化しやがってよ)
オレは、独りで居る事を認めて欲しくて、コケにされないよう今度こそはと高校デビュー頑張って、気付けば独りが怖い。
祐子先生、実はこっちの正体を(あの時のガキだと)分かっていて、わざと話題にしないんじゃないか。
あの時の事を掘り起こすと、オレが怒るとか思ってるんじゃないか。
怒らないのに……先生、今のオレが見えてないのかな。
互いに独りだったから、中坊の頃は見えてたのかな。
オレに今もまとわりついてる荷物って、一体なんなんだ。この、矢代の鞄じゃなくってだな。
(出なかったら、玄関先に置いて立ち去ってやるぞ)
功刀という表札をチラ見してから、インターホンのボタンをゆっくり押す。
扉が開いて……紺野だったら、いっそその方が楽だし早い。コレ渡しといて下さいつって終了だ。
矢代が来たら、何を云ってやろう。最近のアイツは、なんだか以前にも増して壁が厚い。オレの言葉が聴こえてるんだか聴こえてないんだか、スルーしてたかと思えばいきなし食いついて来る事もあるし。
別に矢代と仲良し友達ごっこしたいワケじゃないけど、全部を知りたいとかそんな気持ち悪ぃ事思わないけど。
でもなんか、隠し事ばかりが増えている気がする。んん……オレが隠してる側じゃないから、この場合は「隠され事」か。
「ぅおッ!」
開いたドアに思わず声が出た、当然心の準備はゼロ。
黒くない……紺野じゃない矢代だ、部屋着にカーディガンってとこか。コッチを見て、無言。
オレも云う事なんか決めてなかったから、無言。互いに押し黙ったまま、数分経過したような気さえする。
ああ、そうだ荷物、とりあえずコレ渡すのだけはハッキリしてる。
「おいこれ、オマエの」
「ああ……ありがと」
「オマエ、わざわざ先生の前で失踪したんだって? 学校ダルいなら、荷物持って出りゃ良かったじゃん。祐子先生に迷惑かけんなよ、カントク先責任っつうの? 問われたら可哀相じゃんか」
「……別に学校が嫌になった訳じゃないし、あの人の前でわざとそうしたつもりも無い」
なんだ? なんか無性にムカっとキた。
あの人って何だよあの人って、オマエは生徒なんだから先生呼びが適切なんじゃねえの。
そういう呼び方って、なんか個人と個人みたいで。
「ちょっとオマエやらしくね、そういうの」
「は?」
「あのさ、もしかして抜け駆けしてんじゃないだろうな。オレの知らん間に、何度か祐子先生んトコお見舞い行ったりしてさ、親密になって、いざ学校で顔合わしたら恥ずかしくなっちゃってーとかそんな話だったりしないよな? な? おいどうなんだよ」
「どうして俺が自分から接点増やしに行くんだ、あんな人と関わりたくないって何度も云ったよな」
「あ、あんな人とか云いやがったなてめー!」
ガキみたいな事に腹を立てていると自覚してる、が、聞き捨てなるかよこんな。
「隠し事してるのは間違いないだろ! 最近付き合いも悪けりゃなんだその、ギ……ギシアン?」
「はあっ? 誰がしてるかよ馬鹿じゃないのか!」
「ああっ、ギシンアンキ! 疑心暗鬼なんじゃねえの」
ヒートアップするオレの襟首を、いよいよ掴む矢代。一瞬奥歯を食い縛ったが、殴られるなんて事もなくグイっと引き寄せられた。
玄関のタタキに叩きつけられる感じで、支えも無いままパッと放される。
「声が大きい、近所迷惑になる……用が済んだなら帰ってくれないか」
不機嫌MAXっぽい声音の矢代が、鞄を片手にオレを睨んだ。まだこいつもサンダルのままで、家に上がってはいない。
オレを追い出すまで粘るつもりだろうな、そう思ったら火が点いた。
「なあ、紺野さんと喧嘩でもした?」
「どうしてあいつの名前がそこで出てくるんだ、あいつが俺をまともに相手する事なんか無いし、喧嘩にもなりゃしない」
あー橘千晶の予測は当たりだな。答えるまでに一瞬間が有ったし、妙に説明的な矢代はいかにも怪しい。
薄目で見下ろす、靴は少ない……矢代のスニーカー、ライディングブーツ、今履いてるサンダル……だけだな。多分、紺野は外出中。
「ちょっと通せよ、久々にゆっくりさせてくれっての」
「あ、おい勝手に……おい新田!」
脱いだ靴を揃える事もしないで、オレは廊下を小走りした。どうせいつも通り親御さんは居ないだろ、こいつ一人だ。
ああ、親御さんつっても片親だから……そういや、最近本当に矢代のカーチャン見てないな。
「麦茶ある?」
「……今ほうじ茶だけ。勝手に飲め、飲んだら帰れ」
諦めた矢代を尻目に、戸棚からグラスを出した。こいつの家の食器って、クリアか無地ばっかだよな。
トクトクと注いで、ボトルを冷蔵庫に戻す。庫内の違和感なんじゃこりゃ、食材があまりに少ない。
「最近料理してねーの?」
「いちいち質問が多い」
「オレのおやつになりそうな総菜ねーのかよ」
「最近食欲無いから……作り置きもしないんだ、悪いな」
「おふくろさん元気?」
「もう質問止めてくれないか」
「だってオマエ、なんかおかしい。オマエとゆーか、オマエの周りもだけど。先生のお見舞い行った時だよな……オマエがダチや身内以外と行動してるの、初めて見たわ」
どっかりソファに座ってみたが、矢代は隣に座らない。いや……元々そういうタイプじゃないっけ。距離感がさあ、遠いんだよな毎度。いやオレだって男とくっつきたい筈無いんだけど。でも以前にも増して遠い、なんでだ。
「周りといえばさ、“功刀には学園祭の日の事は訊いてやるな”って、周りの大人からきつーく云われてるけど」
「じゃあ訊くな」
「いんや訊きたいねオレは、オマエを心配してるなんて綺麗ごとは云わないぞ、そういうの別にオマエも望んじゃいないだろうし」
あの日、体育館で何かが有ったんだ。あっという間に一帯が包囲されて、覗き見た奴さえ居なかった。
オレ達生徒には「外部の人間が傷害起こした」って、相当ボカして説明されたけど。そんな扱いにしちゃ一気に生徒減ったよな。
矢代は暫く休んでたけど戻って来た。あの日あの時、体育館に居て唯一無事だったんじゃないかって、既に噂されてる。
「でもさあ、オマエから誰かに話す事も出来ないって、つまりはそういう事になるだろ。そうしたらオマエの性格だし、どんどん引き篭もっていくんじゃないの?……オレは一応トモダチのテイで居るもんだからさ、先生の悩みの種は回収しておきたいのよ」
「引き篭もりはお前だろ」
思わぬ指摘に、グラスを落としそうになった。的外れなら、笑ってスルー出来るのに。
なんだ、なんなんだ、心音が速いしデカイ。
こいつ、オレとは違う中学だったよな? 今のはこいつの、オレに対する勝手なイメージだよな?
中坊の頃にヒキコモリした事実を知ってたら……じゃあどうするってんだ。
「他人の事なら知りたがって、根掘り葉掘り訊く癖に。オマエは確かに輪の中心に居たり、お喋りで流行に敏感で、最近何にハマっただとか宣うが……自分の事は晒さない。全部うそぶいてる様に聴こえる、新田……お前の話す全部だ」
「ははあ、なんだぁ突然」
「お前の感情って何で構成されてるんだ、先生か?」
「オレが無いって、そゆこと云いたいワケ?」
おっかねえから、グラスは目の前のローテーブルに置いた。
手が震える、投げつけちまいそうで。
「新田自身の目的が見えない、お前は他人の集合体に見える」
「集合体」
ゾワッとした。それを云われた途端に、自分の身体がバラバラになりそうになった。喩えじゃなくて、マジで。
眩暈がして、視界がブレブレになったと思ったら天井に固定された。どうやらオレは、ソファから転げ落ちたっぽい。
矢代って声に出したつもりが、ヒューヒュー風みたいな音になって聴こえた。
「新田!」
抱き起こされる、オレは自分で立てない動けない。今、力を内側から入れると、崩れそうで怖い。
自分の呼吸音と違う、謎の耳鳴りが何重にもなって鼓膜を震わせた。
皆、好き勝手云いやがって、オレはオマエらの指図なんか受けないし、シカトしてやるからな。
引き篭もって何が悪い、引きずり出そうとする癖に、いざ表に出したら後は放置か腫れもの扱い、それなら最初からほっとけっつーの。
矢代、オマエ独りが好きだったよな、そうじゃないのか、もしかしてそのつもりは無かった?
(ああ……こいつ、そういえば云ってたっけ)
「独りとか、感じた事ない」って。
そうだよ、完全に忘れてた。いつ聞いたなんて、サッパリ思い出せないけど。
オレさあ、オマエの独りっぷりが羨ましかったんだよなあ、多分。
口では責めながら、それでいいのかって諭しながら、平気なそぶりのオマエを見て過去の自分を慰めてた。
“独りが辛い”って顔をまるでしないオマエに癒されてたけど、矢代って実は全然独りじゃなかったのかもな。
「体が、カラダが熱い、ちぎれる」
「落ち着け! 深呼吸しろ!」
「赤い、何だコレおい矢代ッ、部屋が真っ赤だ、オレ目がイカレてんのか?」
室内なのに、燃えるような赤が目まぐるしく流れを作っている。
オレと矢代の隙間から炎が揺らぐみたいにギラギラ光って、脳天がぐらんぐらんして。
体を包む学ランが邪魔だ、オレがそう思ったワケじゃないけど、指先がボタンを掻き毟った。
「動くな新田、呼吸だけ整えてジッとしてろ」
視界が真っ暗になった、目許に何か被せられたか。赤が見えなくなったせいか、少しだけ血肉が冷えた。
「見ると余計慌てる、俺が身体確認する……そのまま楽にしとけよ」
「はあっ、なんか怖えっ、オレビョーキなの?」
「医者じゃないし、そこまでの判断は出来ない。必要そうならすぐ救急車呼ぶし、不安なら後日病院行ってくれ」
背中の感触……ソファに寝かされたな。ああ、学ランの前が開いたな、シャツも捲られて風通し良くなった。
あーあ、どうしてこんな流れで脱がされなきゃならんのか、どうせなら祐子先生みたいな大人のお姉さんが良かった。
「表面的には異常無い、湿疹だとか腫れたりも無い……内蔵痛む感じとかは」
「うー……」
「まだ熱いのか」
「や、さっきよかマシになったけど……」
長い立ち眩みのようで、長いトンネルのようで、動くタイミングが掴めない。
ああ……耳鳴りはまだ酷ぇ。
『集合体とか抜かしやがって』
『いつも高みの見物でもしてるつもりか』
「はぁ、悪ぃな矢代」
『オマエは運が良いだけだ環境が違えば孤立してたハズ』
「休んだ人間に看病させたの知れたら、千晶サマにどん叱られちまうなぁ、ハハ……」
『これは分かたれた思想の数だけ出来た個だ全てオレだオレ自身だ』
『孤立と固有は違うオレに同調しないオマエはいずれ前者になる』
『世界が滅亡したってオマエにだけは頼らねえよ!』
「いッ?」
何の前置きも無しにシャツの裾が下ろされ、布越しに矢代の指が鳩尾を擦った。
「おい最後までキッチリやれよ、いってえなあ」
「……ああ」
何だ、今度は矢代の方がおぼつかない雰囲気だ。
オレは目許を覆っていた物を勝手に除けた、お上品な刺繍入りのハンカチだ。まだ視界が眩しくて、その細かいモチーフが何かは判らんかった。
胸元を確認すると、オレの学ランを神妙な顔して閉じる矢代が見えた。
ボタンをはめる指が震えているのは気のせいか、オレの視界がブレブレなだけか。
「ど、どした? なんか今度はオマエが具合悪くなっちゃったって感じ?」
「元々……好くなんてない」
青褪めたその表情が、オレの気持ちをまた騒がせる。
勝手に診たのはオマエだろうって気持ちと、気を遣わせた挙句の悪影響でバツの悪い気持ち。
しかし芳しくない反応を見るに、実はオレの身体ヤバい事になってんじゃねえの?
だからといって今、目の前でまた脱ぎ始めたら……矢代が文句云いそうだ。家帰ったらソッコー風呂入るか、鏡の前で一回転しとこ。
「なんか今日はさ、悪かったよ。さっきもカチンときてついつい……あ、もしかしたらオレ、血圧一瞬で超上がったから倒れた?」
「……どの辺りでお前を怒らせた」
「へっ?」
おいおいそれを云わせるんかい、まぁでも、こういう流れでも無きゃオレも永遠に暴露しないだろうし。
矢代のデリカシーの無さと鈍さに、この際乗じておくかね。
「あーあのさぁ、オレ中坊の頃にマジでヒキコモリしたのよな、だからさっきのは図星ってやつ? しかも“オレ”が無いとか云われたもんだから、じゃあ此処に居るオレは何なんだよって思って。本物のオレはまだ引き篭もってて……この体は生霊とでも云いたいのか! ってさ、ハハッ、は……」
数分前とは別の理由で、息が止まった。
オレから目を逸らし、部屋の隅を睨んでいた矢代の頬が光っていた。
落涙に音なんか無くて、むしろ周囲の音を全部吸い込んだみたいに、時間ごと凍った。
「お前が居ないんじゃなくて、俺がお前を見ようとしていなかったのかも」
「は、はあ」
「悪かった」
同情……するようなタイプだっけ、こいつ。
いや、そういう掌返しとも違う、応じる空気が変わったのはオレが倒れた辺りからだ。
確かにオレを見る目が、此処に来た時と今とで違う気がする。
「もういいって、あんま大事に受け取られても困るし! まあ拭けよ、オレのじゃないけど」
さっきまでオレの瞼に載っていたハンカチを、矢代の頬にグイグイ当てる。預かる様に矢代の指が重なったから、手を引いた。
っていうか、こいつ泣くんだなあ……そんな所に何故かドキっとした。そりゃ人間だし涙は出るか。
しかし野郎の涙でも一瞬怯むくらいだから、女、それも先生だったら、オレどうなっちゃうんだろう。
シチュエーションに期待ばかり膨らむが、要求がとんでもなかったらきっと破滅だな……うーん、下らん妄想が止まらん。
そんな事でニヤつく自分に、やっと体調が戻ってきた実感が湧く。
「今日の所は帰るわ。無理矢理上がってこっちも悪かったし」
身だしなみを整えるフリして矢代に背を向け、ススッと学ランの内側に手を巡らせた。
違和感無し、痛みや熱さも完全に失せてる。病院に行くまでもなさそうだな。そもそもあんなの説明しようが無いし。
「じゃな、あんまフケんなよ、次の出席ダルくなるかんな」
玄関まで黙って見送ってきた矢代だったけど、オレがドアノブに手を掛けたらやっと口を開いた。
「またな……勇」
先に体が反応して、一瞬引き返しそうになったけどガマンした。ココで尻尾振って向かって行くとか、冗談じゃねえ犬かよ。
ああでも、それを聴き逃したくないのもあって、なんとなく傍に居たし。オレが独りじゃないのか、確認したかったし。
先生の事で協定結んでからどれだけ経った? 長かったなあ、下の名前で呼ぶのってそんなに難しいモンか?
ま、あいつには難しい事だったんだろうな。憎い教師を慕ってるのがオレなんだもん、理解し難いだろうさ。
空はもう赤くないし、めいっぱい吸い込んだ空気も冷たい。用事でこんなに時間割くとは思わんかったけど、収穫は有ったな。
心なしか身体も軽い。矢代の鞄だけじゃなくて、なんかそれ以上に降りた感じがする。
纏わりついていた荷が、ようやく――……
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
勇に関する掘り下げの回、中学時代の事は完全捏造です。戦闘もCP要素も無く、大人しい内容でスイマセン。
先生(仮)が祐子先生なのか否か、明言しません。勇の云う通り、今となってはどちらでも良いので。
後半、複数の声が詰るシーン有りますが、勇には聴こえていません。自分から発された声だとしても知覚していません。
彼の学ランを開けた人修羅が何を見たかは、また近いうちに……
勇って、調子のいい事ばかり言って、実際ズルい所があって、優しさに見せた依存が強く(だから裏切られたと思い込んだら掌返す)
こうして特徴を上げていくとしょうもない人物だが、自己防衛本能の強さが何処から来るんだろう、と想像すると面白い。
同時に、誰か真面目に相手をしてあげた事があるのだろうか、と思ってしまう。
道化のなりそこないみたいな印象が強く、痛々しい。
↓余談↓
《嘯く》とは本来、鳩を呼ぶ為の口笛を指すらしいですね。「嘘吹き」という音が「うそぶく」になったのでしょうか……
「ウソブキ」ってノア(コトワリボス形態)の技名だったと思いますが、なんとなく勇らしくて当時クスっときました。勇の事なんかゲーム中殆ど語られないのに、何故かそう感じました。
タイトルの「帰って来た」とつけたのは、ノアの箱舟で放された鳩のイメージ。
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