小さき悪魔が、群れるのが見える。
見覚えのある工事現場、君が悪魔狩人と駆けていた赤い鉄塔。
恐らくあそこだ、彼の歩む経路は把握している。そして、今宵望むであろう影の場所を推測すれば…一致する。
「辿り着ければ、一、二匹喰わせてやろう」
フレスベルグの嘴を指先で撫で、囁く。褒美が目的地にあるだけ、鳥は速く飛ぶ。
その背に飛び乗り、地上の人間には目視し難い速度で月光の雲間を縫う。
迫る赤い鉄骨、工事が止まったままの其処、蠢く星は悪魔達の眼。
僕を一斉に見上げて、獲物が来たと嗤うその海に、飛び降りた。
牙を剥き出しにして飛びかかってきた餓鬼を踏み台にして、鉄骨の上に飛び乗る。
『ギチギチ』
下等と云われる属ばかり、胎の脹れた餓鬼、爬虫類の形のヨーウィー…イツマデがこの中では強い方か。
「ねえ諸君、少し風変わりな悪魔モドキ、見なかったかい?」
ジャイヴトークの必要が有るか探りつつ、普通に問い掛けてみる。
『風変ワリィ…?モド…キィ?』
「人間くさい悪魔で、悪魔じみた人間の事さ」
『っせえナア!喰わせろよいいカラ!!』
嘶き飛んできたイツマデに、フレスベルグがぶつかっていく。何も心配して居らぬ、明らかに僕の仲魔が強い。
勝手に数匹喰えば良い、僕のMAGをわざわざ与えずとも良くなる。
『人間ぽい…?下に美味そうなヤツなら居た、ヒョロイけど』
『ンー、ヤラナイケドネ…!MAGダケハ…ウマソーォデナァ、アイツ…ケヒヒ』
人間なら弱いと思い込んでいるのだろうか、哀れなり。この時代において無知な部類の悪魔らしい。
僕とて生物…真上の月に一切の高揚が無い訳では無い。無意識に滾る衝動で、腰の短刀を握る。
銃声が遠くまで響いては面倒だ。上空から人影を確認したとは云え、この場は熱く静かに屠るべきである。
「下ねぇ…ふぅん…ありが、と!」
脚に絡み付いてきたヨーウィをヒールで強かに踏めば、細やかな骨がミキミキと音を立てる感触。
しなった瞬間吐かれる毒液を外套で掃い、低くした姿勢のままその細い胴を輪切りにする。
ぶつぶつと落ちていく蛇の胴、一階層下の鉄骨に群がる餓鬼達が、口を目一杯開けて踊り散らす。
同属だろうが、意識を持たなくなった瞬間からは餌でしか無いのだ。
ゲラゲラ笑って僕の散らした屍肉を喰らう悪魔達に、僕も哂いながら舞い降りて行く。
「ねえ!何処!?」
僕をも喰らおうと腕を伸ばしてくる餓鬼共に向かって、腰のホルスターに備えた刃物数種を投げつける。
鋼は口に合わなかったのか、仰け反って鉄骨から落ちていく数体。その出来た隙間に着地する。
「黒髪に妙な撥ね!不健康な白肌に貧相な身体!ねえ、見なかったかい!?」
フレスベルグが月光に煌き、いつも以上に食べ散らかす。その散った滓が僕の髪を濡らした。臭い。
踵を足場にカツカツと鳴らし、MAGを震わせてやれば、一声鳴いたその鳥が帰ってくる。
僕の苛立ちをようやく察して、咀嚼を止めるフレスベルグ。
「フフ、管の中を汚すで無いよお前」
外套の端、毒液で破れてない部分でその嘴を軽く拭ってやれば、胸の管におずおずとした粒子となり還る。
さあ、代わりに何を召喚しようか、それとも僕だけで済ませてしまおうか。
君と対面した瞬間に、僕のMAGが君だけに一直線に向かう様に。
それを君はどんな顔で受け止めるのだろうか、想像しただけで満月よりも滾るのさ。
「お退きよ…!クッ…フフ…諸君に喰わすMAGはね……無い!」
蹴り飛ばした餓鬼の頭を引っ掴み、そのこめかみに押し当てて引鉄を引く。銃声は脳漿に吸収された。
更に向かいより押し寄せる餓鬼、銃を持つ僕の手を狙って口を大きく開いた。
「ふ、っ」
『アギャッ』
牙が囲むぽっかり開いた暗い穴に、愛銃を握り締めた拳ごと叩き込む。
「まだ半分しか入ってないよ?」
『ゲヒャアァアガガガ』
更に喉奥まで突っ込んで、肉の薄い行き止まりまで押し付ける。
「クス、御免…尺八はお嫌いだったかい?」
首を傾げて哂って問う、顔を歪めたこの餓鬼の、更に奥の方を見る。
一直線に他の餓鬼を掻い潜り、此方へと飛んでくる悪魔の眼。フレスベルグの喰いきらなかったイツマデか。
睨みを利かせてくるが、僕の眼には通じない。本来は麻痺してしまう筈…金縛りが如く。
呪力を呑み込む、この闇の眼を見るが良い。葛葉の霊力だけと思うで無い。
これは、僕が培った魔の力なのだから。
「綺麗な音色で鳴かぬ笛なぞ要らぬよ」
イツマデの眉間に、鈍い音でぱすりと鉛が埋まった。
サイレンサーの代わりを務めた餓鬼の口内から、ずるりと拳銃を抜く。
唾液とも血とも云えぬその液体のぬめりをさらり、と外套で拭い、イツマデの屍骸を踏みつけつつ鉄骨を駆ける。
妖精の国は無い、此処一帯に蠢くのは、満月に飢えた狂える悪魔達だけ。
喰いあぶれた悪魔は、一所に集う事が多い。此処は最適な場所なのだ。
そして、君が逃げ込むにも、ね。
(居た)
三角のコーンが重ねられ、真赤な鉄骨が規則的に積まれた最下層。
地味な色目の薄いジャケットが、襤褸になっている。
鉄骨に腰掛け、前傾姿勢でだらりと…そのなで肩を微かに蠢かしている。
斑紋も角も発露してはいない、が…あの呪具は、表面だけを偽る物。
君もこの月の下、それを悟ったから此処でそうしているのだろう?さあ、振り向き給え。
「功刀」
首だけで振り返った君、薄く光る金色は上空の支配者にも負けない厳かな色。
もそもそと動いていたその頬がぴたりと止まって、紅潮していく…
「月にさえ無抵抗かい君は…全く…本当に」
カツンカツンと歩み寄る程に、君に吸われるMAGを感じる。引き抜かれていく、飢えた君に。
「僕がカウンセリングしてやろうか?その“PTSD”」
哂って、その情けない頬を革靴の甲で穿つ。悪魔の滓がこびりつく、君の普段嫌がる臭いソレが。
「僕はね、そんな雑魚悪魔を狩って申し訳程度に啜らせる為に…君に擬態の術を与えた訳では無い」
鉄骨に垂れ掛かる君の肢体を、上から更に踏み躙る。肩をヒールで抉れば、ビクンと腕が跳ねた。
「カグツチにも、月光にも、支配され切るで無いよ!利用してやれ!」
その虚ろな視線、苛々する、投げ出されるままの肢体、今直ぐ奮い立たせ。
支配者共を見返してやれ、踊らされる振りで己を昂ぶらせ、喰い殺してやれ。
「無抵抗に結ばれる両手なら、僕が削ぎ落としてやろうか人修羅」
契約の熱が篭るその胎に跨って、黒曜石を魔術で砥いだこの短刀を、肩口にさくりと喰い込ませる。
「ぁ…ぁあッ、ぐ!!」
「この世界に溶け込ませる為に…擬態させていると思っていた?」
刃を傾ければ、君の腕が震えながら反応して虚空に踊る。
「祈れば救われると思ってる?そんな螳螂にした覚えは無いよ」
「お…れは…人間」
「擬態も満足に出来ぬ蟲は、空腹で朽ちるだけだろうねぇ…」
「胎、が、充たされないっ、俺、人間の物喰っても…っ、だから、だから!」
だからそんな中途半端な状態でも殺せる悪魔を狙ったのかい?
そんな屑の様なMAGで満足する程、君は悪食だったかい?
「それで君が良いなら、そのまま擬態を続けて…人間の贋物になっておしまいよ」
僕の言葉に、君の焔が揺れる。消さない様に、煽ぐ。その無力感だけを吹き消してあげる。
君を治療出来るのはね……僕だけだよ。
「お…れは…」
戦慄く君の腕の先、力を帯びたその指先が、己の胸を引き裂かせる。
「俺は贋物なんかにならない!!絶対ならない!!」
無理矢理引き抜く金属の楔、奔る反射でその指が血塗れになろうとも。
君の胸を齧っていたピアスが月光に煌き、その指先に一瞬にして斑紋が迸る。
僕の突きたてた刃を、僕の手首を掴んで押し退ける凄まじい金色。
上空の金色よりも僕の脳髄に響き、支配しようと睨み上げてくる。
「動くなライドウ」
普段より低い声で呟いた君が、赤く光る斑紋の爪先をずくりと突き立てた。
僕の外套の襟を伝い落ちる液体が、君の頬を濡らす…
「そうそう…ククッ…出来るじゃないか」
少しばかり僕の耳をかすめたのか、じわりと熱い其処。
僕の背から襲い掛かろうとしたイツマデの脳天を、その窄めた指先で貫いた人修羅。
嫌悪に塗れた貌は、しかし高揚しているのか、斑紋がイツマデから溶け出すMAGに輝く。
勿論気付いていた、人修羅がどうするのか、見届けたかったから、放置した。
ぼとり、と地面に落ちたイツマデが崩れた粘着質な音を立てる。
…そう、僕が君にさせたのは、隠蔽擬態に非ず。
「そんな不味そうな餌で満足しているのかい?」
「…MAG…なら、もう今、何でも、いい…この震えが止まるな…ら!」
生温い風が吹く。寝そべるままの君の上で、擬態も必要無い鉄骨の森で。
「悪食祟って君のMAGまで不味く成られては癪なのだよ、功刀君」
外套のポケットに忍ばせたままの札の存在、今の時は忘れよう。
「ねえ、新田君と何してたのだい?」
向かい合うまま、突如出た己の発言にしかし疑問を抱いた。何故そんな事を聞いている?
少し呆然とし、悪魔的な興奮を少し潜めた人修羅がぽつりと零す。
「……か、カラオケでいつもと同じ歌聴かされて、ま、マックでしなびたポテト喰った…」
「あ、そう。人間の食べ物で胎は膨れたかい?」
「…結局…吐いた」
ふい、と横を向いた人修羅の頬にかかる悪魔の体液を指で拭う。その耳元で続いて囁く。
「何が一番美味しいか知ってるだろう?」
「俺から求める訳…無い」
「では満月の度に、弱い雑魚を啜って生きるのかい?人間の振りをしたまま…ただ祈る?」
見上げてくる眼は物欲しそうな癖に、その肢体も覇気もしな垂れる柳の様だというに。
「祈りで飯が喰えない事くらい…俺だって、もう…!」
小さく叫んだ人修羅は、その両腕で僕の肩をがしりと掴んだ…いいや、縋った。
柘榴の果肉みたいに荒れたその胸元も痛々しいままに、僕のホルスターの胸が引き寄せられる。
唇が、眼と鼻の先まで来て静止する。寸止めではないか、無意識なのか?
蜜が、芽と花の先まで来て滴る。僕にとって、君のMAGが美味しくないといつ云った?
擬態を見抜いて尚、啜りたい獲物。
「 ――…」
「んっ!…ん……ァ」
秘める強かさを、毒を知って尚、罠に掛かる愚かな蟲になって吸い付く僕。
舌遣いの下手糞な君は呻くが、吸魔だけは滞り無く行っている。
脆弱な人間の振りで、強かに獲物を狙う攻撃擬態。まさしく僕が教えたかったのは、それで。
つまりはこういう事なのである。
「お前こないださーぁ…ったく、びびったよ俺!勝手に帰りやがって」
向かいの新田がストローを噛む。
相変わらずの行儀の悪さに、辟易しつつもやはり安堵してしまう。
「悪かったって云ってるだろ」
「オゴりゃ良いってもんでも無いだろが!ったく……ん、でもこの米のバンズうめー!」
「金出すなら、マックよりこっちだ」
俺は、自分のトレーに乗るフライされたオニオンリングに指を伸ばす…が。
寸前で獲物が消えた。いや“横取りされた”が正しい。
「ふぅん、玉葱の揚げ物も悪くないのだねぇ」
俺の隣の椅子に、脚組みで腰掛ける黒いコートの男。煙草を片手に、空いた手で齧ったリングを弄ぶ。
「っすねえ!俺あのマックのしおっしおになったポテト好きなんだけど、オニオン有んならモスも悪くねー!」
煩い新田、こいつと話さないでくれ。苛々するんだ、何云い出すか怖いから。
「そいや、前買ってたピアス、反応どうっした?カノジョでしょ?喜んでた?」
オニオンリングが駄目だったので烏龍茶を飲んでいた俺は、思わずストローをギチリと噛んだ。
隣で紫煙を燻らせて、ニタリとしたライドウが新田に答える。
「今も着けてくれているよ」
「マジ?気に入ってくれてんだぁ〜そりゃ良かったすねえ」
ずきり、と胸と胎、三角地帯が熱を孕んだ感覚。仕方ないだろう、未だ自力で擬態出来ないのだから。
「というか、付いて来るんじゃねえよあんた……ッ」
発した俺のスニーカーの甲に、その瞬間めり込むヒール。テーブル下の躾に新田は気付いていない。
「別に俺は構わねぇけど、橘女王よか話解るからさあ、俺は紺野さん好きだぜ」
話を寛容に聞いてる振りして、飛び込んできた獲物を挟み込む鎌を持ってるのに、その男は。
新田、馬鹿な奴。その男みたいに、中まで擬態出来て無い俺にすら気付かない。
孤独が怖いお前を、ボルテクスで見たんだぞ…俺は。
「…お前は…PTSD、とか無いの」
ぼそりと呟けば、コーラ片手の新田が一瞬止まった、が、いつものヘラヘラした顔で茶化す。
「何それ、新しいバイク?」
「違う!…ったく…学校からのメール見てないだろお前…」
「ぁあ、カウンセラーとか何とかそいや来たわ!祐子先生が来てくれりゃ最高だったんだけど」
俺が云う未知の単語なら、何でもバイクか料理だと思ってやがる。
快活にというか、軽薄に笑うその顔を見て、それでも甦る。
“ダチで良かったよ…俺も敵だったら、命が無ぇんだろうな”
それがお前の本心なんだろう、敵を作らない為に、こういう形を取ってるんだろう。
お前の大好きな高尾先生への障害でしか無い俺なのだから。
今、そうして笑ってる姿は、擬態だろ。
「どしたよ矢代」
「…え」
「ストローすっげ噛んでね?いつも俺にはそれで文句垂れるクセにさぁ」
どうしてよく分かってる。観察か?敵の。
「どうだって良いだろ…少し、その…苛々してた」
ああ、嫌になる、俺が。何もかもが、紛れる為か攻撃の為の仮初の姿に見えてしょうがない。
(こんな世界に生きてきたのか…あんたは)
隣で煙草を吸うライドウを、ストローを噛むままにちらりと覗いた。
それに気付いたのか、奴は唇の端を吊り上げて俺に一瞥くれた後…新田に哂って云った。
「フフッ…口寂しいのでは?」
頬から耳まで、一気に血が昇る。考えるより早く、その指が挟む煙草を、俺の指先に奪い取っていた。
眼を丸くして、ぽかんとした口から潰れたストローの先を逃す新田が、視界の端に見えた。
「違う…あんたと一緒にするな…紺野…ッ」
勢い余って灰にしてしまいそうで、急いで灰皿にそれを叩き付けた。
さして驚く事も無い様子のライドウ、そのすらりとした綺麗な指先は、頬杖を着く為に頬に添えられた。
“最近口寂しくてね―…”
妙に云い訳じみたタイミングで鮮明に憶えている。
満月の夜、冷たい鉄骨の上で、極上の餌と与えられた台詞だったから。
擬態したまま風に揺れるより、憚り咲けと命じてきた闇色の眼。経験者のそれ。
(あんたも…何か、あったのか…過去に)
無気力に悪魔を殺すより、己を殺すより…理由を、欲望の先を見つめている。
あんたに使役される俺は、研ぎ澄まされて生きている。
下手すれば、東京受胎前よりも。
俺を苛んでいたトラウマティックな病を麻痺させる
あんたの歪なセラピー
祈る螳螂・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
いつも以上に淡々とした文になった気がします。大きな揺れや、接触は無いですが…人修羅の感覚の狂いを書ければ、と思いました。それにしても御札…これはまた後々。“加藤”は、帝都物語の加藤からです…安直。
とりあえず、イメージの為にマックも行ってみました。レモン果汁0%に驚愕。“風味”は人間を誤魔化せる。
《PTSD》
心的外傷後ストレス障害。凄く端的に云えばトラウマ、かと思いますが…通常体験の範囲をはるかに超えた出来事で生じる。その再びの苦痛を避ける為に、喜怒哀楽が調整されてしまい、弊害が出る。生理的反応…不眠だとか怒りっぽくなったり、無気力になったり。しかしこの症状に対するカウンセリングが、万人に適切かと云えばそうでもないらしく。難しいですね…なので、浅くしか書けませんでした。
ちなみに、ライドウは複雑性PTSDの方と思われます。
《お祈りするカマキリ》
被虐待児症候群から。虐待を甘んじて受け入れてしまう様になった子供に見られる症状。癒しの手を拒絶して、両手を組み自ら制している形から、こう呼ばれるそうで…
ライドウは、己が祈るカマキリに成りたくなかったから、人修羅にもそうあって欲しいと思って焚き付けている。
《擬態》
狙われない為にする隠蔽擬態。獲物を待ち伏せする為の攻撃擬態がある。
《螳螂》
カマキリ。攻撃擬態をする昆虫。祈るような姿勢の為か「拝み虫」と呼ばれたり…英語でも「prayingmantis」だったりする。praying=祈る。
この昆虫の体腔内には、ハリガネムシが寄生したりする。しかしそのハリガネムシが抜け出た螳螂は、急激に衰弱して死ぬ事が多いらしい……マガタマの様。