カタストロフィ
「お前さん、本当にレトロゲー好きだな」
最近流行のダウンロード購入ですら無い、スーパーファミリーコンピュータというヤツだ。
そいつをぶっといコードで繋いで、小さいモニタを見ながらシケモクを噴かす同僚。
懐古主義なのか知らんが、事ある毎に昔は云々云い出すモンだから、俺等はカイコって呼んでるが。
「いよいよ世界崩壊ですよ」
「あーあるある…って事ぁ中盤から終盤って事か?」
「そうです、んで、飛行艇的なの手に入れて、ラスボスの居るなっがいダンジョンクリアして、ジ・エンドですな」
「随分王道だな」
「人間なんだかんだで王道には弱いんですよ」
オーケストラヒットBGMの迫力がどうしても欠ける、その過去のハード。
小さいモニタのドット絵が、滅び往く世界を映し出している。
「昔はお約束の展開でも楽しかったもんだ」
云いながら、昔自分もあんなゲームをやってた気がするなぁ、と遠巻きに見ながらデスクに視線を戻す。
紙面には調査済みの走り書き。俺の急いだミミズののたうち這い回る様な字面。
東京受胎…
来る来る云って、一体いつ来るんだか、そんなのぁ誰も知らない…筈。
そう、引き起こそうとしてる当事者以外はな。
「おいカイコ、お前もちったあ新しいネタ探してこいや」
鞄を掴んで帽子を被った俺は、奴の傍を通る際にその頭をコン、と軽く叩いた。
モニター中央のキャラクターが、その弾みでちょっと動く。
「ヒジリさんもフリーなんだから此処に箱しなくてもイイのに」
「今時純粋なオカルト誌も珍しいんでな、貴重なのさ“アヤカシ”は」
スピリチュアルやら、自己啓発系の雑誌にゃ書きたくないのさ。
「そーいや上の階の朝倉さんが、欲しい写真あるとかってさっき来てましたけど」
「俺のPC勝手に漁ってくれ」
上の階、ってのはそれこそこの出版社の抱えるメイン誌のひとつを作っている部署。
そこの人間がこんな処に入り浸ったら、それこそ笑われるぞ?そこそこ売れてる雑誌のライターなら、避けそうなもんだってのに。
きっとまた土俗学なり、その辺の関連だろう。オカルティックな側面は一般人からすりゃ同じだ。
お綺麗な廊下から、エレベータを経由して、緑も置かれた爽やかなエントランスを通過する。
自動ドアの幕一枚、開けた景色が鮮明になって脳内で溜息だ。
(まーた曇り空かい)
最近の白い空は、秋だから、なんて勢いじゃねえ。
その空を映し込む高層ビルのガラス壁も、曇り空の色をするもんだから、ユトリロの街みたくなって憂鬱な気分になる。
憂鬱つったらアレだ、サイバースの氷川。
結局引き篭もりやがった。病院に居ない、自宅療養?取材すらままならねえ。
代々木公園の建設はストップしたまま、あの周辺の怪異について今度こそ聞き出そうと思ったってのに。
家に居られちゃ尻尾すら掴めねえ…
となりゃ、今出来る事ぁ取材以外。追ってる対象に更に調査入れるか、営業か。
定期購読者だけじゃアヤカシも危うい、眉唾モンの雑誌を衝動買いしてくれる人間が欲しいのだ。
(…ん?)
ふと、目に付いた書店に脚を止めた。
あんな本屋在ったか?小さくて見過ごしてたんだろうか…寂れてるとは云わないが、自動ドアが開く事は多くない。
一本道を変えただけで、気付いてなかった事が露になる、こういう感覚は嫌いじゃねえな。
んで、俺のやる事は決まっている。
人の流れに乗じて、その付近まで来たら降りる。自動ドアの前に一歩踏み出せば左右に割れた。
ドアの張り紙を見る限り、参考書関連に強い店なのか…入学シーズン前に一気に稼ぐ店って事か…
少し歩けば、それでも新刊なんかは一通り揃っている。それと、古典が多いか…古き良き児童文学とかな。
「お!」
と、思わずそこで声を上げてしまった。
とある一画に、妙にファンタジーな空気を感じたからだ。対象年齢が最早バラバラのそのラインナップ。
妖精図鑑とか、幻の大陸についてだとか、SF大全とか、日本各地の忌み地とか。
「あの、何かお探しですか…その辺のシリーズなら取り寄せ可能ですが」
そこで隣から声を掛けられ、俺は営業のモードに切り替える…筈だったが。
「あ」
「…!!」
「お前さん、此処の何、バイトだったの?へぇー…」
というか、その仏頂面でバイトなんて出来たんかい。
そんな事を考えてしまっている俺がどこか可笑しくて、ヘラヘラ笑ってしまう。
相手も俺に気付いている…ってよか、先日俺見て逃げ出したじゃないか、そりゃ気付いてない訳ぁ無いな。
「責任者の方、居る?」
「…今店長は外出してます」
「お前さん一人?他にバイト見えないけど」
「ほんの数分で帰る筈です、それに業務は全部出来ますから…今の時間帯はバイトは俺だけです」
淡々と、おまけに視線を合わせない。そんなに嫌われる様な事したか俺?
エプロンの小さなネームプレートには、功刀、とある。
「ふーん…右側、刀じゃないんか」
「…え、あ、名字の事ですか?えぇ、まぁ…本当は力じゃなくて刀ですけど、パっと出ないので」
「だわな、環境依存する漢字は辛ぇわな、俺も記事タイプしてると気付かんで原稿上げちまう事多いぜ…って、話だけ先にしとくか」
鞄から俺が取り出すアヤカシ最新号と名刺に、途端顔を顰める功刀。お前さんそこは営業なんだから、そんな顔しなさんな。
「…置きませんよ」
「お前さんにそれを決める権限があんのかい?」
「管理を任されてるのは俺ですから、特に宗教絡みのは選定させて頂いてますね」
功刀の視線を読めば、最新号の見出し《ガイアとメシアの境界線》に走っている。
「まぁまぁそう云いなさんな、あのくれてやった号、気に喰わなかった?」
「東京受胎なんて起こらなかったじゃないですか」
「ハッキリいつとは書いてねぇ」
「あの文体だと間も無くって様子でしたよね?」
嘲笑して、手にした脚立を傍に立てる功刀。蒼いエプロンが揺れた。
「そんな悪魔だ神だ云って、よく嘘が売れるもんですね」
ぎし、ぎし、と三段程度の小さな脚立を踏む功刀。
確かに此処の本棚は結構高い。木製のアンティークか?この一画に合わせてある様だ。
「嘘か本当かは、起こってみなきゃ分かんねえだろ?」
取ろうとしていたっぽい本を、すかさず先手を打って抜き出す。
「営業妨害で訴えますよ」
「親切心で取ってやったろ?ちいっとばかしその身長じゃ高い位置だったもんな」
そう云えば、仏頂面が今度は沸々と苛立ちを内抱したソレになる。
マイナスの表情ならコロコロ変わるんだなこの小僧。
「で、店舗責任者の方に話は通してくれる?」
「返して下さい」
すい、と伸ばされた手から本を逃がす。
「これ、どうすんの」
「新しくこの棚にスペース必要なんで、出版別の棚に戻すんです!」
「んじゃ俺買うよ、空くだろ?ん?」
ひらひらと手にした本で仰いでみせて、さっさとレジに向かう。呆れ声の相槌の後、脚立のギシつく音が続いた。
どこかぶすっとしたまま、俺がカウンター越しに手渡すそれを受け取り、レジスターに入力する功刀。
「他に客が居ないからって寂しいねぇオイ…ちったあ営業スマイルしてみぃよお前さん」
「カバーお掛けしますか」
「いんや、要りません」
回答になってねえぞそれ。
受け取った本は、綺麗に紙の袋に入れられて差し出される。
俺は商品代金ぴったり揃えた小銭と、一緒にアヤカシと名刺を突き出した。
「…ヒジリ…」
「ペンネームだけど、んまぁ本名まんまだから」
俺の名を読み上げた功刀は、何処か遠くを見ている様な眼をした。
ふらりとカウンターから抜けて、棚と棚の隙間を足早に潜り抜けるそれを見て、俺は買った本を急いで鞄に突っ込んだ。
「おいお前さん」
「帰って下さい」
「店長とやらは、ってか何おい閉めてんだおいおい」
客が俺以外に居るか否かの確認だったのか、居ないのを確認した途端に閉店準備を始めやがった。
自動ドアのセンサーを落とし、店内照明を暗くして、レジに戻ると締め作業でレシートをずるずると出す功刀。
俺も追従してレジに戻って、その背中に問い掛ける。
「お前さんが閉店時間決めて良いのかよ」
「もう今日は一任されてたんで、好きに上がれって云われてます。店長は奥さんと今日は出掛けてます、戻りません」
「おま…さっきの嘘か」
ガタガタガタ、レシートを吐き出すレジスターの声だけが響き渡る。
「置くかどうか、俺が決めても店長も文句無い筈だ」
ぽつりと呟く功刀、出し切られたレシートを指先に巻き取って淡々と俺に告げる。
「俺は東京受胎とか滅茶苦茶な妄言書き散らかす最低な雑誌、置きたくありません」
その睨み上げてくる眼が、一瞬金色に光ったのは照明の加減か?俺の錯覚か?
しかしその台詞を黙って聞いて居る程、俺もこの仕事に誇りを持ってない事ぁ無い。
「あんまし大人を揶揄うモンじゃないぜ…」
レシートを掴むその腕を軽く掴もうとすれば、途端にその眼は怯えが奔った。
振り払われて、白いレシートがしゅるしゅると互いの脚の上を舞う。
「触らないで下さいっ!」
「こちとら営業しに来たんだ、店の評判背負ってんのに、そりゃ無いだろう、なあ?」
おちょくるにはしっくりくるタイプだな、噛み付いておいて自分が啼くタイプって奴だ。
どうせコイツに頼んでも置いてもらえない、おまけに侮辱ときたもんだから、少しは仕返しもしてやりたくなる。
薄暗い店内は街路の明るさに負けて見えていない、レジがそもそも見えてない、つまり此処は人の眼が無い。
監視カメラがあったとして、この暗さ。暗視でもなきゃ見えやしない。
「此処の“功刀”って店員…って、名指しで文句云われたらどうするんだ?」
レシートの帯に脚を取られてよろめく功刀の肩を掴んで、へらりと笑ってやる。
その異様な怯え方に、俺は妙な既視感を抱きつつも、少しばかり悪心が疼く。
「そんなにオカルト駄目?色んなメディア展開してるじゃねえか、ファンタジーだってSFだって、現実ならオカルトだもんなあ?」
「あ、っ!」
功刀の肩を片腕で抱き寄せて、カウンターの作業台に置かれたままの最新号を空いた手で掴み、ページを捲る。
ぐぐ、と抵抗して蠢く腕を、肩を強く掴んで怯ませた。アメリカ留学中にだって柔道してたんだ、ヒョロイからって舐めんな。
「このガイアとメシアだってなあ、空想かと思ってんのか?え?」
見開きを指でたん、と軽く数回叩く。俺の携わった特集だ、記事の内容なんて空で云える。
「単なる宗教とか、そんな話じゃねえんだぞ?何で対立してるってなあ、思想云々のその前にだ。何と共生するしないつってるか、知ってんのかお前さん」
ガタガタと身体を震わせて、その紙面を見る功刀。何にそんな怯えているのか謎だが…
まさか、ページのイメージ画が怖いとか?悪魔だ天使だのこの画が?んな幼稚園児でもあるまい。
「ガイアもメシアもな、声を揃えて云う存在は共通してんだ」
「は、離して、離して下さい、聞きたくない」
「アクマっていう存在をだな――…」
それを云うと、功刀は小さくいやいやをした。んだコイツ、妙にぞわりとさせる。
おかしい感覚だ、こう、なんだか抱き寄せて密着する部分から、感情のざわつきが感じられるっつうか…
それが何やら本来は得難いモノの様な、貴重な気がして、俺は更に追い詰めたくなった。
「メシアは随分と表にのさばってるがな、まあ選民思想の強さからアクマを毛嫌いしてる、一部の人間の事も、だ」
しっかり見ろ、と云わんばかりに、俺はぐ、と功刀の襟首を項側から掴んで、アヤカシの上に引き寄せた。
「あっ、いやだ、あぐ」
と、項に指先が触れるだけで嫌らしいくらいにビクンビクンと身体を捩らせるもんだから、笑っちまった。
「お前さん項弱いの?」
「殺したく、無い、ッ」
何か小さく喘いだが、よく聞こえなかった。気を取り直して、俺は紙面の文の一部を指で叩いて示す。
「こないだの事故、突き飛ばしの、知ってるか?流石に知ってるだろ?この近くだ」
「ぅ、っ」
掴んでいるシャツの白さと、よく効いた糊の手触りに、育ちの潔癖さが窺える。
「あれなぁ…ぐっちゃりと逝っちまった被害者、メシア教徒なんだぜ?」
「…俺に、関係、無い…っ、もう離してっ、頼む、頼みますから、っ」
脚がレシートを蹴る乾いた音、流石に自分より大きな大人に凄まれたらおっかねえかもな…
それか、功刀は極度のオカルト嫌い、か。
「突き飛ばしたのはガイア教徒かもしれんなあ?何せどっちも過激だから――」
「そうでしょうか?」
今の声、功刀じゃ無い。俺でも無い。
…んじゃ、誰だ
「大きく報道される…それは悲劇的な、それでいて理不尽…嫌悪されるべき内容の事件であるから」
俺のページ上の指の傍を、すらりと白い何かが通る。陶磁器みたいな白の…長い指。
それだけ見たら、ピアニストのソレを思い出した。
「たった一人のメシア教徒を礎にするだけで、世間の同情と、ガイアへの疑心が育めるならば…どうでしょうかね?」
傍の功刀と同時に、俺の呼吸も止まった。
人が居た、いつの間にか、カウンター越しに、黒いマントコートの…男が。
上背と声からして、女性で無い事は判断出来る。
自動ドアは開かない筈、この店の様子からして、閉店してるに決まってるだろ。まさか、泥棒か?
それより何より、口にしているその台詞…好奇心が疼き、思わず聞き返す。
「じゃあ、メシア教徒がメシア教徒を殺したってか?」
「無きにしも非ず、でしょう…フフ……ヒジリさん」
傍に放置された名刺を見たのか。
「亜米利加に留学している際、そういうのを多く見ませんでしたか…?昔から得意でしょう、あの国、“ネガティブ・キャンペーン”という奴ですよ…」
どうして俺の経歴を知ってる?アヤカシの編集後記には、確かに軽く載ってるが……購読者?
「さ、いい加減それを解放してやって下さいな」
ページの天使の首をキッ、と横に遮断した白い爪先。
その顔をしっかり見ようと、面を上げた瞬間。
「うおっ!?」
痺れる感覚、四肢が一瞬勝手に躍りだしてしまう様な。
(感電?何にだ?)
俺の腕に弾き飛ばされた功刀には、その謎の感電は奔らなかったらしい。
「あぐっ」
レジに体をぶつけて小さく悲鳴して、飛び出した引き出しに垂れた腕が押されている。
「な、何だ、今のぁ」
俺はよろけた身体を立て直して、カウンターから身を乗り出したが、既に誰も居なかった。
まだジンジンと、指先まで痺れが残っていやがる。
「すっげ、もしかして、未知との遭遇?」
消えた謎の人影と、意味不明の電撃に、俺は寧ろ興奮し始めた。
似た様な今のっぽいウワサは有ったか?でも何だ、随分と裏に詳しそうだったじゃないか、あの黒マント。
「そういや、お前さんを放せって云ってたな」
踊る心を抑えて笑顔で振り返れば、脳天に衝撃。
軽く頭を振って眼を凝らせば、分厚い台帳を手にした功刀が呼吸を荒げて俺を睨み上げていた。
「はぁっ、はぁっ、か、帰って下さい」
「っつ…いや、俺もちぃとばかしイジメ過ぎたわ、悪ぃな、んで、その」
「帰れ!!」
その怒号、身体が接触してなけりゃ態度がデカイのか、成程、潔癖理解。
「悪かったな、んじゃ…気が向いたら読んでくれやソレ」
俺はなんだか暴行犯の気分で、よろよろとカウンターを抜け、重い自動ドアをこじ開けて暗い書店を後にした。
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