箱庭
※BLACK/MATRIXを知らないと、恐らく意味不明※
目覚めると、心配そうに俺を見つめる双眸。
「ああ…良かった…良かった矢代君」
そう呟いて、横たわる俺を抱き締めた。
「もう、二度と君の声が聞けないかと思った…さあ、呼んでくれ、我を」
「…」
「矢代…君?」
抱き締めるその手が震えていた。
俺には、記憶が無かった。
この人の事も、知らなかった。
抱き締められた時に、胸元に当たった冷たい金属管の感触だけ、鮮明だった。
「もう歩けるか?無理はしなくとも良いぞ」
肩を貸してくれる、その手は愛おしげだ。
でも俺には馴染めなくて、最初拒んだ。
男性なのに、あまりに接触が多くて、慌てた。
するとこの人は酷く哀しげな表情をする。
「良い、覚えておらぬのなら、致し方無い…」
悪い事をした気に…なる。
どうして俺は数日間も寝込んでいたのだろうか。
どうして記憶が消えてしまったのだろうか。
疑問は増すばかりだが、俺に今出来る事といえば、家事位だった。
二人で暮らすには広いこの家。此処から出た事も、目覚めてからは無い…
地下室の書庫で見つけた本達は、この世界の事を教えてくれた。
使役する側と、される側に分かれているそうだ。
ルシファーという堕天使が治める世になってから、平和なんだと…
人間と悪魔が入り乱れて、それで二分されている、とか。
水鳥の羽を持つ人型は、使役される側。
黒き蝙蝠羽を持つ人型は、使役する側。
この世の美徳は
「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」
「あの、俺って…下等生物なんですか」
俺の作ったスープを啜る彼が、ふと動きを止めた。
「下の本…読みました。俺には…羽が、水鳥の羽が生えてる」
背の羽を震わせた。
「貴方は、黒い蝙蝠羽だ」
向かいに座る彼が、ぴくりと黒い羽を揺らした。
普段は外套の黒と同化しているから、意識しなかった…
「だから、貴方は俺を飼っていたんですよね」
「違う!」
初めてこの人が恫喝するのを見た。
「我は…その様なつもりで君と居たのでは…無い」
立ち上がり、俺に歩み寄る。
「それに君の羽は、水鳥だが黒い…案ずるな、何も心配いらぬ」
子供をあやす様に…屈んで、座る俺を抱き締めた。
もう、違和感は無かった。
あたたかい。
思い出せなくても、彼の真っ直ぐな感情が俺には大切だった。
下にあった書棚、彼の日記も、悪いが拝見した。
ずっと、眠り続ける俺を案じていた。
嘘偽り無い、この箱庭。
季節が廻って、吹雪く雪が窓を叩く頃。
寒くて震えれば、暖炉前に手を引かれて座らされる。
「斑紋さえ凍える色味に輝いていたぞ」
外套に包まれた。
伝わるぬくもりは、暖炉の火だけでは無かった。
「雷堂さん、いつもありがとうございます」
初めて名前を呼んでみた。
すると彼は…雷堂はその眼に涙を浮かべて、ゆっくり頷いた。
「ずっと我の傍に居てくれ、それだけで、他は望まぬ」
そっとくちづけを受け入れる。
暖炉の薪が崩れて鳴った。
いいつけを破って、外へ出ていた。
雷堂がずっと戻らなかったからだ。
自給自足だから、餓死する訳でも無いのに、俺は飢えていた。
酷く、心が空虚だった。
「お前、その羽…?」
「どうして使役印を焼付けられておらぬのじゃ?」
「二足歩行を許されているの?珍しい…首輪すら無いし」
「人?悪魔…?どっちなんだアンタ」
街の皆の視線が怖い。
俺は、やはり使役される側だったらしい…
(早く帰ろう)
危険だ、だから雷堂はずっと箱庭に居ろと云っていたのか。
駆けると、自然に羽が開く。
飛べもしないのに、なんだか惨めだ。
「!」
箱庭の柵が開いている。
庭園の牡丹の花弁が、数枚散って石畳を飾っていた。
「雷堂さん!」
帰っている、どうやら入れ違いだった様だ。
安堵して、家の扉を急いで開け放つ。
眼の前に現れた外套の背中を見るなり、疼いてしまう。
その背中に、らしくもなく抱きついた。
蝙蝠羽が、ひんやりと…冷たい。
振り返る、帽子の影の双眸が…俺を射抜く。
「下賤だ……放し給えよ」
羽がバサリと俺を払い除けた。
呆然とする俺に、見下して哂う姿…
「へぇ、こんな珍種飼っているとは思わなかったよ」
雷堂と同じ姿…だが、顔に傷が無い。
「矢代に触るなああッ」
その雷堂もどきの向こう側で、雷堂が取り押さえられていた。
「君は御主人様を間違えたのだよ、罪深いね…ククッ」
その偽者が哂って、俺に云い放つ。
そして、雷堂を愉しそうに眺めた。
「異端審問官を突然辞めて…まさか捕らえられる側に回るとは」
「だ、まれ」
「落ちこぼれここに極まれり、だな、雷堂」
「貴殿には…永遠に解らぬであろう、この歓びは…!」
遠くから、情けなくうずくまる俺を、その優しい眼で見つめる彼。
目覚めた時と同じ、慈しみの色をしていた。
「我は、彼を…矢代を愛している」
空気が凍る。
頷いた審問官達が、雷堂を鎖に繋いだ。
「や、やめ…」
ああ、駄目だ、嫌だ、止めてくれ、その人は俺の…
「やめろおおおおおっ」
立ち上がり、目の前の偽者に腕を振り上げた。
狩猟の際に使う力の数倍を放って、爪先に魔力を迸らせ薙ぐ。
「煩い」
黒い外套から伸びたのは、あたたかな腕では無く、冷たい刀。
胸元をざっくりと抉っていった切っ先に、哂う口元が映っていた。
「君の飼い主…葛葉雷堂を、七つの大罪を崇拝する異端として捕らえる」
「う…ぅっ」
「最も重い“愛”の崇拝者め…愚かだよ、フフッ」
目覚めると、冷たく光る双眸。
「お早う、功刀君」
そう呟いて、横たわる俺の首輪を掴んだ。
「悪いねぇ、少しばかり止めるタイミングを逸した様だ」
「ぁ、ぐっ」
「もう脚も繋がった事だし、逃げ回る程度なら可能だよねぇ?」
同じ相貌で、違う双眸。
俺を捕食する、猛禽類みたいに冷徹な眼差し。
「さあ、早く其処から出給え」
鎖を引かれ、俺は寝台から転げ落ちた。
絞まる首元を片手で必死に押さえて、床を這った。
「僕に感謝し給えよ?気紛れで飼うと云わなければ、屠殺されていたのだから」
「はぁ、はぁ…」
「ねえ、返事は?」
屈んで俺の苦しそうな顔を笑顔で覗き込むこの男。
その傷の無い顔に、唾を吐きかけた。
頬をゆるりと伝いながら、それが光る。
「…床で犯してやろうか」
「!」
羽交い締めにされ、進言通りにひん剥かれた俺。
身体を暴かれる事は、もう数回目だった。
泣き叫んでも、誰も助けてはくれない。
この偽者を、歓ばせるだけだ。
「もっと締めろ」
鎖が引かれ、首輪が絞まる。
「ぅ、ぅぐぅうう〜っ!」
「フフ、締まった」
「ぁ、や、もう、いや」
壊れてしまう。
もう、帰りたい、箱庭に、あの箱庭に帰りたい。
「雷堂…さん、雷堂さ…ん……」
朦朧とする意識のまま、懐かしい光景を脳裏に描いて呼んだ。
すると、強かに背を引っ掛かれた。
「ひぎぃッ!」
背後からの突きが、更に暴力的になって、中に熱を吐き出していった。
ぐたりとして、涎すら拭えず身体を床に添わせる俺。
浅く息衝いていると、抜き去った偽者が立ち上がり、俺を足蹴に哂う。
「がはッ!」
「忌々しい…その名を呼ぶな…!」
蝙蝠の羽を広げ、帽子を被り直す偽者…
刀の柄をキチリと握り、既に闇を纏い直している。
「良い事を教えてあげよう…功刀君」
床に数枚舞った俺の羽根を拾い上げた異端審問官長。
「僕の名も、ライドウというのだよ…」
高笑いして、その羽根をくしゃりと握り締めた。
ああ、もう……
俺は愛しい人の名前を、当分呼べない。
-了-
ゲーム『BLACK/MATRIX』でのパロ。
しょうもない。
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