狐内修羅内

(節分SS、比較的甘いライ修羅)



ちと しゃん  ちと しゃん

「やれライ様、今宵はわっちらに歌っておくりぃす」
「きゃふふ」
「くすくすり」

とと ちてとん しゃらり

「フフ…鎮まり給え、啼けぬだろう?」

三味線を抱き、窓の格子に背を預けるあの男。
黒の外套を着物の上に引っ掛けて、腰を伝う帯は煌びやかな女物。
俺に巻物作らせて、何処に贈りに行くかと思いきや…
「どうして節分に遊郭なんだよ…!」
ぎりぎりと拳を膝の上で握り締める。擬態が苦しいのではなく、居心地が悪いだけだ。
「おや、功刀君、愉しくないのかい?」
窓の外、夕闇に揺れる柳が桃色になっていた。
花道の雪洞灯りで染まったそれが、ライドウの頬の白に映り込む。
「全くもって、何も…」
そう突っ撥ねれば、俺とライドウの間の遊女達が袖を眼下に当てた。
「そんなぁ、お兄さん、いけずな」
「うぅ、っ…わっち等これでも仕事と別に、楽しんでござんす」
泣き真似と解っていても、やはり焦る。
どうして俺が…と思いつつ、何故か小さく頭を下げた。
「すいませ、ん…」
すると、俺の謝罪にぱっ、と皆顔を綻ばせてカラカラと笑った。
「かぁんわぃい」
「ふふふっ、ライ様のお連れ様云うからどないな子と思いしたんが、こりゃ初心でありんす」
豪奢な刺繍は形を潜め、普段窓の隙間から垣間見ていた彼女達とは違う。
客を相手にするとは思えぬ、至ってシンプルな着物袖。
当然泣き濡れて湿ってなどいない。
化粧もほどほどで、その素朴さが逆に戸惑う。
そんな地味な着こなしの遊女達とは逆で…
「いつも有難う、太夫達」
此処に到着するなり、学生服を脱いだこの男。意味不明だろ。
するすると、筋肉を薄く纏った腕を、艶やかな着物袖に通す。
その着衣の動きすら舞いの様で。それを見る遊女達がきゃあきゃあと雛みたく啼く。
「ライ様はほんに上客でありんす」
「んもう、いくらでも草にしておくんなまし」
先刻からのやり取りを聞いていると、どうも…ライドウの協力者らしい。
大勢居る中で、たった三、四人だけ……如何にも、この男らしかった。
「さあさ、この宵は節分…日頃の責務を労わり、このライドウが化け舞おう」
波模様に草色の袖が揺れた、その遊女がすっ、と傍に寄り差し出す紅。
「末摘花の高級紅にござりぃす」
「それは結構」
「先日の悪徳サマナーから贈って頂いたんす」
うふ、と悪戯っぽく笑った遊女に、同じく微笑み返すライドウ。
「良い鴨だったねえ、カラスにとっても、君にとっても」
「んふふふっ」
つい、と差し出された小さな陶器の紅を掬い、吊り上がった唇に奔らせたライドウ。
「豆は如何致します?ライ様」
「そうだね、そこの男が苦手だから、無しにしてくれ給え」
俺に三味線の弓を、す、と差し向けくつくつと哂う。
じろ、と睨み返して、返答はしてやらない。
「“魔滅”されては困るからねえ、ま、ムドでも逝く奴ではあるが」
「大丈夫でありんすよぉ、こんな可愛い子ですしぃ?」
「云っておくが、貴方達の“豆”を与えても狼狽するばかりだろうから、そのつもりで」
「やん、心お読みになりました?」
「いいや、読心術を女性に使っても、駆け引きがつまらなくなるだけだからねぇ」
意味が解らない。
溜息ついて、座布団の上で正座のまま…俺はただただその様子をちらちら見てた。
どうしてこんな、女性達の機嫌を窺って話すのが愉しいんだか…
「ほなライ様、歌ってくだしゃんせぇ」
夕闇に染む…注した紅の潤やかな…長い睫の横顔。
普段着飾って、窓から微笑む遊女達よりも…
思わず、はっとさせられる。
(馬鹿じゃないのか)
女装かよ、着道楽なのは知っていたが、ここまで来ると呆れる。
そう、俺は呆れているんだ。見とれてなんかない。
ライドウの夜遊びには、ほとほと呆れて…
「では、ひとつ歌おうか」
小さく歓声を上げた遊女達より、一段上からの視線で。
ライドウが、朱色の着物の袖を垂らす…三味線の胴部分を脚に掛けた。

ちと しゃん  ちと しゃん

「こん…こん」
凄まじい動悸
「こん…こんくゎい…こん…」
狐の、鳴き声

がばりと、下げた頭を振って向ける。
ライドウが、紅の唇で歌を紡ぐ。
「痛はしや母上はぁ 花の姿に引き替へてぇ…」
妖艶に哂い、三味線の弦を啼かす。つらつらと流れる歌。
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なるぅ」
喉が厳かに震える、あの男の、背筋の凍るテノール。
「信太の森の うらみ葛の葉…」
“葛葉”という語に、俺の身体が反応した。
きゃいきゃいと蕩けた遊女達が、さえずる声すらぼんやりとして。
ただ、ただライドウを見ていた。
余った紅は眼に流し、まるで狐の様だった。



「ん〜おいひ、矢代君の手巻き〜」
「黙って食べれないのですか所長は」
方角など気にせずに、がつがつと大口を開けて食む鳴海。
俺の作った恵方巻きを、容易く噛み千切って咀嚼している。
ソファに腰を下ろし、膝に肘をつくライドウが鼻で哂って発した。
「“to brag”」
「ん?な〜にライドふ」
「いえ、大きなお口だと思いましてね」
問い質したくない、どうせ俺は英語が解らない。聞けば馬鹿にされるだけだ。
「しっかし、矢代君、きっちり七福入れるたぁ、豪勢だね」
「知識通りに作ったら、思いの外太くなってしまいました…」
「具が寂しいよか断然こっちが良い!うま」
お茶でぐい、と流し込む鳴海。あんなにがつがつといかれては、本当に味が解っているのか不安になる。
「しかし、君の時代の方が盛んとは思わなかったね」
遊女達に渡した分と別にしたそれを、ライドウも掴んでいた。
「バレンタインのチョコと同じ、売る為の情報操作だ」
「ふぅん、森永がいずれするのだろう?楽しみだねぇ…僕は貰えるかな?チョコレイト」
「俺が知るかよ」
簡単に想像出来るのが苛々する、いちいち聞いてくるその視線が。
「では、聖バレンタインには、女性悪魔達ばかり狙うとするかな」
「皿片付けたいから、さっさと喰ってくれないか」
無視して食事を催促すれば、ライドウの鋭い眼が俺の手元に刺さる。
「君こそ、先刻より握るばかりでないか、はやく咥え給えよ」
「だから何だ、俺のペースで喰わせろよ…」
「まあ、初心のおちょぼ口には難しいかな?ククッ」
その哂い方に、俺がカチンときた事を…どうやら鳴海は察した様だ。
そそくさと、席を立ちながら、自分の湯呑みを手にしていた。
「だってライドウ、これ結構ぶっといよ?俺くらい大口じゃないとさ…ってちょ、っと矢代君」
「ん、もご、っ」
…痛い。
思い切り口を開いた途端、唇の中央に裂傷が。
そうだ、この乾燥した季節に…無謀だった。
が、ここまで開いたのだから、そう思い恵方巻きをぐいぐいと押し込む。
「ほら御覧、無理するから裂けてしまったろう、功刀君?」
煩い。
「しっかり湿らせてから挿れなければ、ねえ?」
人が頬ばってる所をじろじろ見るな、気持ち悪い。
「な、なあ矢代君、あんま無理しない方が良いよ?ね?」
俺の肩に手を置いた鳴海、俺の分の湯呑みを気にしてる。きっと流しこませようとしている。
それを俺は聞き入れず、察しておきながらにぐいぐいと押し込む。
何だよ、この程度の巻物、俺が作ったんだし…
「鳴海さん、無理ですよ、尻の穴の小さい奴ですから」
「ぶふぉぉおおっ」
盛大に掌に吐き出した。
中途半端に喉元を通過していた乾瓢が、声帯を刺激して声もままならない。
「おぉいライドウ!お前なあ、人が物食ってる時に、そういう笑わせる事は禁忌だろうが」
うぐぇ、とえずく俺の背をさすり、卓上の湯呑みをすす、と此方に寄せてくる鳴海。
もう、無我夢中で茶で流しこみ、喉の乾瓢をずるるると指で引き抜いて更にうええっ、とえずく。
「だって、本当でしょう?フフ…」
「っ、ライ、ドウッ!!あんたなあっ!!げふっ、ぅえ」
「ほら、この程度で頬まで真っ赤にして…度量の狭い」
違う、絶対それだけの意味で発してない、こいつ。
さも可笑しそうに、クスクスと哂って、己の分の巻物を指先で遊ばせるライドウ。
「この位ねえ…ユルング程度だろう?筒の径」
あの、形の良い唇が、丸く開けば…赤い舌が一瞬覗く。
「「…」」
俺も、鳴海も、そのあまりな光景に開いた口が塞がらない。
呑まれていく巻物は、ぐずぐずと、しかし着実にライドウの口に呑み込まれていく。
偶に鼻から抜ける息が、一瞬何かの最中を想像させる。
「ん、ぐ…んぅ……ふ、ふふっ」
結局、途中で噛み千切る事も無く、丸呑みしたライドウ。
唇をべろりと舐めずり、ニィ…と哂う。
「はぁ………っ……く、ふふ、だってねえ、歯を立てたら不味いでしょう?」
「あ、あんたなあっ!どういう――」
隣の鳴海に同意を求めんと、傍に立つ男を振り返る。と…
視界に妙なものが、俺の丁度口元の高さに。
「…」
鳴海のそそり立つ何かが、その下肢のスラックスを押し上げている。
「あっは〜……いやそのごめんなさい俺の恵方巻きが」
「…最低だ…っ!!!!」
片付けも早々に、手ぬぐいで両手をがしがしと擦ってソファから立ち上がる。
もどかしく着物の裾を捌いて、駆け上がる上の階。
しかし思えば、この逃げ場だって、奴の部屋な訳で…

「オニは〜そと」

薄暗く、愉しげな声に、びくりと肩が揺れてしまう。
ぎぃ、ばたん。
扉が閉められ、黒い影が俺に迫る。
「胸の豆を炒ってあげようか?その身を縄で締めようか?フフ…それともてっとり早く…」
振り返る、俺の左右に両の腕が挟み込む様に、壁へと縫いとめる。
「恵方巻きにしておく?」
「死ね、変態、寄るな」
「確かに僕は夜だけど?」
「寄 る な!夜じゃない」
「こんこんこんくわぁい…キツネはどっち?」
見下ろしてくるその眼は闇の色。
その奥に、俺より凶暴な鬼が宿っている事…今となっては窺える。
「節分の夜に、老烏達の巻物ばかり咥えてた僕は、家に居て良いのかな?」
幼いこの男が、虐げられる光景が脳に映像を流す。
吐き気のする、酷い遊び。
「俺が…し、知るか―――」
搾取の哂いで迫る口付けに、怒りと畏怖と……何かを感じながら。
その白い項が見える高さ、ライドウの耳に…ほんの微かに囁いた。

「…キ、キツネも〜……う、うち」

一瞬止まったライドウが、唇の端を吊り上げた。
俺の耳元で、吐息と共に…かける祝詞。

「修羅も〜うち……フフ…」

地歌の時の、テノールに。
ぞわりとした俺は、やはり搾取されるのだった。



-了-

節分の恵方巻きとか、色々逸話が御座いますので…
ライドウが女装しているのも、お化け(仮装)という行事的行為です。

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