散華
(ライ修羅、独占欲)
『また毒を買うのかお主は』
見上げた先の眼が、学帽の影で光る。
我の様に畜生の肉体でも無い、悪魔でも無いだろうに。
「おや、失敬な童子…痛みに強いこの身体で居るには要るのですよ」
ニィ、と唇を吊り上げ、肩にふわりと寄りかかったイヌガミをひと撫で。
こそばゆいのか、そういった錯覚でも抱いているのか
犬の様に鼻を鳴らすその悪魔を、その撫でた指先で木の格子に括りつけた。
「番犬宜しく」
『アゥ…了解シタ』
一瞬飴を与え、その直後に素っ気無くする、その態度は見慣れた。
十四代目はそういう男だ。
「おい、荷物持ちって、廃材でも拾うのかあんた」
雨上がりの鬱蒼とした廃屋に、怪訝な表情の人修羅が文句する。
「そもそも、いくら廃墟だからって、不法侵入だろ」
「おや、君には此処が廃墟にしか見えぬのかい」
クク、と含んだ笑みで背後の人修羅を嘲った。
何故そんな答え方しか出来ぬのか、ささくれ立たせる天才なのか。
「ああそうか、ボルテクスで見慣れた所為かな?」
「黙れよ、さっさと説明しろ」
睨むその眼は、奥底に秘めた金を覆い隠してはいる…が。
あまりに怒らせては、いつ擬態を解除するか怖ろしい。
そんな我の心配を、傍の十四代目はせせら哂って踏み躙る。
「秘密の花園だよ」
蔦が絡むそのボロけた木の戸を、白い指先で撫ぞる…
躊躇無く言挙げをする姿は、実に誇らしい。
この男こそ葛葉に相応しい、と思うではないか…
しかし、我をそうやって嬉々とさせる一方で、酷く落胆させるのだ。
「ぅ、わ…」
「綺麗だろう?」
まじないを解かれた門、其処の蔦がするすると格子から離れ往く。
ギチギチと封鎖されていた木戸は、ライドウのひと押しで簡単に開いた。
「何だ、どういう仕組みだ…外の柵の隙間からだって、廃屋だったのに」
「異界に幾度も訪れている癖に、まだそういう事を云うのかい功刀君」
立ち止まって下方を見渡す人修羅の背を、靴底で足蹴にしつつ述べるライドウ。
色とりどりの花が咲き乱れるこの空間は、実に異様ではある。
『何、今日は彼氏な訳』
掛けられる声に、反射的に人修羅が眼を光らせた。
一瞬魔力が滲んだが、向かいの影が人の姿をしている事に消失す。
「僕にそういった趣味は無いと知っているだろう」
『ふーん…どうだか』
草木染の兵児帯に、植物柄の着物をだらりと着流す男。
欠伸をしながら家屋から出て来れば…縁側にごろりと寝転がった。
客人の前で、そのあまりな態度。唖然とする人修羅が、言葉を失っている。
『好きに刈って、持ってきて』
「分かっているよ」
答えるライドウが、人修羅を爪先で小突いて顎で促す。
「口は何の為にあるんだよ!云って指図しろ!」
吼える人修羅を見て、縁側の男が瞼を上げた。
『其処の、誰?初めて見るんだけど、何属?』
その問いに、戸惑う様にライドウを見返す人修羅。
「当てて御覧、フフ…」
泳ぐ視線に冷淡に答える。そんな主にやはり激昂する。
「やいてめ…っ、否定しろよ、何だよ何属って!」
「君が人間で無い事は知れてるさ」
「な…」
花畑をさくりさくりと分け入る黒い影に、人修羅は呆然と突っ立って見るばかり。
縁側で、むくりと起き上がった着流しの奴が笑って揶揄する。
『だって、葛葉の十四代目が人間の友達連れてくる訳無いっしょ〜』
からからと笑って、その派手な金色の髪を肩からばさりと払って、まだ笑う。
「悪魔なんかじゃないです」
『ボクはその悪魔な訳だけど?』
「何ですか、此処」
『お花屋さんだよお花屋さん』
小馬鹿にした口調で胡坐をかくその悪魔に、人修羅の頬が引き攣る。
得体の知れぬ悪魔に虚仮にされる、その事実に憤っているのだろう…
やれやれ、と老婆心では無いが、下駄の傍から助け船を出す。
『おい人修羅、奴はナルキッソスだ』
「ナルキッソス…」
『ボルテクスには居らんかった気もするが…まあ、どの道お主の知る悪魔では無いだろうて』
「悪かったですね、悪魔大全なんて見てる暇があったら、レシピ見てますよ俺」
相変わらず…
『かわいくね』
ぼそ、と、我の代わりに呟くナルキッソスに、更に油を注がれたのか。
「ナルキッソスって、ナルシストの語源でしたっけ?」
縁側にずい、と、歩み寄る人修羅。
「誰の事だって可愛いなんて思えないんでしょう?貴方」
『そんでも一応格付けはする』
「……比較して、自分が結局一番なのに惚れ惚れしてるんですか」
『ああ、そうか〜…ボウヤは自分に自信が無いのか、なる〜』
それが決定打なのか、カッとした人修羅が、咬みつく勢いで口を開いた…瞬間。
焦げ付く硝煙の薫りが、花の薫りに入り混じる。
「ッ…ぐ………くそっ!!」
かろうじて擬態を解かずに、空いた傷口を指で押さえる人修羅。
掌なのか、貫通して拳に収まった弾丸を、憎々しげに放り投げた。
「何しやがる手前ぇっ!!」
銃声の方向に、流れる血を舞わせ…なかなか鋭い剣幕で振り返る。
その視線の先で、花園に立つ黒い外套が風に揺れた。
「踏んでいる」
「は!?」
「足下を見給えよ、愚図」
銃をホルスターに回し入れ、ライドウは選定(剪定が正しいかもしれぬ)作業に戻って往った。
「…ぁ」
我の目線の高さで、確かにはっきりとソレは確認出来た…
『おいおい踏んだそれ、買ってよね』
「…す、いません」
“納得いかぬ”とそんな顔で謝罪するものだから、悪魔につけ込まれるのだ。
ナルキッソスの口車に乗せられ、坂道を真っ逆さま、愚かしいのか…いじらしいのか…
『ん〜……ふっふ』
気味の悪い微笑みで、ナルキッソスは裾を捌いて裸足で歩み寄る。
踏まれて草臥れた、その草木に指を伸ばして、土から掘り起こす。
『ま、コレならお茶に出来るから…此処で呑んでけばどうよボウヤ』
「は、いや、でも…俺」
『治癒の促進効果あるんだけどな〜…』
ちら、と落とされた視線の先、赤く滴る人修羅の指先。
思い出したのか、眉根を顰めた人修羅。急な痛みがその神経を襲ったのだろう。
「…ください」
『おうおう待ってなさい待ってなさい、ふっふっふ』
掴んだその植物を土も掃わず、軒先から縁側へ、少し汚れた裸足のまま駆ける姿。
その様子に、潔癖なこやつは更に眉を顰めていた…
『此処でライドウは薬草の類を調達しておるのだ』
「花園っちゃ花園ですけど…こう、何かおかしくないですか、空気」
『異界に近いでな、季節感は無い…』
縁側に腰掛ける人修羅の傍で、我も四肢を折り丸まった。
温かな陽射しは、確かに春なのだが…遠くを見れば、冬椿に楓の紅葉。
『そんでも外の季節の花は咲き易いから、影響が無いって訳じゃないんすよ〜ね』
暗い屋内から、ぬるりと出てきたナルキッソスの声。
『お待ち〜ぃ、美男子喫茶に御座い〜』
「……自分で云ってる…」
ぞわり、と、傷口が傷んだその悪寒とは別の何かに苛まれる人修羅。
震わせた肩の横から、すっと置かれた御盆。何処にそんな物有ったのだろうか?
『野蒜のお茶に御座ぁ〜い』
「ノビル…だったのか、俺の踏んだの」
葉で判断するのが難しいだろうその植物、人修羅は先刻まで立っていたその地を眺めた。
「天ぷらとか…刻んで薬味にするのも、美味しい」
ぼそぼそと呟くその姿は、既に思考が飛んでいる。
そうやって戦いと無縁な思考に飛ぶ事が、この男にとっての安堵感の得方であり現実逃避と成るのだろう。
『かんぽーかんぽー!ほら呑め呑め!』
「…まあ、食材無駄にするのは、俺の理念に反しますから、そういう事で…」
決して有り難そうに頂かぬ素振りで、しかし食物としての興味からか、手を伸ばす人修羅。
湯呑みの汚れをしかと確認する視線を我は見逃さなかったが、一応そこは合格したらしい。
薄く唇を開き、縁にはむ、と喰らいつき、すする…
「……ん」
が、その湯飲みを持つ指が、ふるふると震え始めた。
『おい、何だ、お主の舌に感じる程不味かったのか人修羅よ』
髭を震わせ、我も可笑しくなり笑ってしまったが…
かちゃりと湯呑みの割れそうで割れぬ音に、はっとした。
「ぅ、う…っう…」
痺れるのか、口元を押さえたまま横になだれ込む。
そんな人修羅を胡坐で見下ろすまま、ニヤニヤするナルキッソス。
『おい、貴様何を盛った…!?』
人修羅なれば、問題は無いだろう…その身に潜ませるマガタマに生かされる。
擬態をさっさと解けば良いだけの事。そう思い、ナルキッソスに我は威嚇した。
尾をピン、と立てれば、ナルキッソスはただ笑って、人修羅の頬を指先でつついた。
『踏んだ花で淹れたお茶には違いないけど』
『何なのだ、野蒜では無いのか!?』
狂おしげに酸素を求める人修羅が、視線をナルキッソスに投げるのかと思っていたが…
掻き毟る指先の血が、一際薫った瞬間、花弁が舞った。
「何を飲ませた…」
ナルキッソスの、頬をつつく指先が飛ぶ。
春の陽射しが遮断され、夕闇でも訪れたかの様な陰りが迫る。
『…ちょっと、痛いよライドウさん』
「入れた物を見せ給え」
『…そこ』
抜刀した刀を片手に携えたまま、ナルキッソスの促す先に放られた植物に我も駆け寄る。
手に取り、その根茎から葉先までをしっかと見るライドウ。
その眼が鋭くなり、唇が意地の悪いそれに吊り上がる。
「狐の剃刀だ」
『何…!?そうは見えぬが』
「花を咲かせておらぬだけですよ、これは野蒜に非ず」
床板に叩きつけ、刀を鞘に納めたライドウ。その名に怒れるのか、滲む圧が歪だった。
『おい人修羅!毒草だ!擬態を解けば良い』
叫べども人修羅は呻き転がるだけ。
唇を覆う指の隙間から、だらりと涎が零れた。
それが血と混ざり、腕まで濡らしてしまっている。
『何をしておる!?悪魔に戻れ!』
顔の傍でフウッと鳴いたが、耳すら利かぬのか?
と、少し狼狽した我の首輪を、くい、と掴む指の感触。
『ライドウ』
「擬態を解きませんよ、人修羅は」
『何故』
「功刀君…剃刀に中をやられているのかい?それはそれは…御愁傷様…」
我の疑問を無視して、その着物衿を掴み上げるライドウ。
人修羅の虚ろな眼が、ぐわりと見開かれた。
唖然とする我とナルキッソスの前…
人修羅の胎に膝を入れたライドウが、同時に唇に咬みついていた。
「んっ、ぶ、ぅぅうっうっぅ!!!!」
涙と冷や汗を流しながら、背をぐねりと反らす人修羅。
それをがしりと羽交い絞めて、逆流した吐瀉物を吸い出し…
喉が隆起した。嚥下の証。
『のっ、呑んだ』
云いながら、生唾を飲むナルキッソス。
あまりにも予想外だったのか、悪戯の快感は吹っ飛んだらしい。
「庭に吐き捨てれば、コレの養分が吸われるからね、花に」
あまりに逸脱した理由に、辟易しつつ一応心配する。
『ライドウ、それにすら毒は滲んでおろう、平気なのか』
「僕が毒に慣れた身体をしている事くらい、御存知でしょう?」
浅く呼吸をする人修羅が、妖しく哂うライドウに抱かれたまま、小さく喘いだ。
「き…たない」
ようやく喋れる様になったらしいので、今ここぞとばかりに我から問うてやろう。
『お主、何故擬態を解かなかった』
「…だ、って…」
その眼が、恨みがましくナルキッソスに向いた。
「その悪魔が人間の真似してるのに、どうして俺が此処で、悪魔の姿なんか…」
はあ、はあ、と合間に漏れる吐息が、その台詞に似合わない。
『だからとてお主、毒が身体に回っては…』
「それなら失神してる間に解けてくれたらマシだ」
『無茶苦茶だろうて…!』
呆れ果てる我の前で、ライドウが肩を震わせた。
哂っている。
「ナルキッソス…残念だったねぇ…」
『あっひぃ…やっちゃった』
「今回のお代はチャラにして頂けるのかな?」
『も、もっちろん、させて下さい〜』
へらりと笑うその表情は、消え失せた指を擦りつつ怯えている。
「狐の剃刀…Lycoris sanguinea…リコリンとガランタミンを含んでいる」
鼻で笑って、人修羅の掌の傷を、舌で舐める。
「い、ぎっ」
「フフ、その愚鈍な神経は侵されておらぬ様子で、何より」
「ぅ…っく」
未だ痺れが残るのか、濡れた唇を震わせる人修羅。
紅潮する頬は、何が理由なのか。
「君は踏む側に非ず、踏まれる側だろう?功刀君?」
見せ付けるかの如く、しかし外套で覆い隠し。
見えぬそれは、要らぬ妄想を掻き立てる…あざとい技巧。
「踏んだからには、買ってやらねばならぬから、ねぇ?」
影にて育つ、夜行性の華が如く。
湿ったその地にしか居られぬ、憐れな奴等よ。
『…ゴウトさん、ライドウ…あんなののドコが良いの?』
『我に聞くでないわ』
ライドウの叱咤を恐れつつ、まだそんな事を聞いてくる神経を疑うが…
ナルキッソスの耳打ちをかわしつ降りた庭先。
『…フン』
散華の様な花道が、はらはらと舞い落ちて、路と成っていた。
『慌ておったか?十四代目』
花摘みも放り投げ、その一輪に罹る毒の露払いをしたのか。
毒草の花畑から、一直線の花の路。
「ほら、いつまでも寝てるで無いよ」
背後から、罵り蹴る音がしたが…人修羅は意識も朧気だ。
きっとこの花路を見る事も無いのだろう。
(まったくもって、不毛な奴等…)
落ちた花の中の一輪を銜えてみれば、小さな牙で傷付いた其処から滲む苦い液。
そんな毒で痛みを紛らわせる…狂気に踊る十四代目を遠目に見つつ…
この毒の花道は、奴の歩む路、そのものと思い知った。
己を殺す、揺れる感情。
それが何なのか、我とて知らぬ。
(…そういえば、あの男の所為で、狐の剃刀の花言葉を知ったのだったな…)
失笑し、極彩色の狂った花園をぶらりと歩む。
黒い外套の影が、向こう側で哂った。
その一輪を啄ばんで、“妖艶”に微笑んで。
-了-
狐の剃刀の花言葉は『妖艶』
春、野蒜と間違え収穫し、食べてしまう事があるそうです…皆様も御注意下さい。
ナルキッソスのお花屋さんは、SS『三月狐のお茶会』を読んでいるとリンクします。
確かに、人間の友達は連れてきてません。
刈った花すら散らして駆け寄った…
草花にやるのすら惜しい、君の養分
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