呪縛
(注※邪教の館オヤジ×人修羅…が、根底はライ修羅)


『やなこった、コイツ、見るからに弱そうだ』
もくりもくりと立ち込める靄の中、現れた悪魔が俺を見て第一声。
傍の司祭が、その口をへの字に曲げて髭を撫ぜた。
「…いや、こんな事もあるのだな」
頬が紅潮するのを、ありありと感じる。
生まれたての悪魔に馬鹿にされたのだ。
「ガネーシャなる軍神であるぞ、折角合体させたのだから手懐けるが宜しい」
暗色のグラスの向こう、見えない相貌が俺を向いているのかさえ不明瞭。
霧の行き交う妙に広い空間で、その巨象と睨み合う。
「俺が、弱い…ですって?」
『ああ、ひょろひょろな上に、覇気も無い』
「…生まれつきなんで」
『どれ、連れる仲魔を見て、判断しようか』
他のたった数体に、虚仮にされている所なんか見せれるか。
「俺一人で貴方を納得させれば良い…って事でしょう?」
見上げていた合体成果の台座、其処目掛け、スニーカーを這わせる。
「必要な属性が居ないから、合体させた」
柱を駆け上がり、開けたその上空に出る。
峠から見渡す冷たい霧の峰が見えた気がする、そんな蒼い空間。
蒼い台座に鎮座する蒼い巨象目掛け、拳を打ち下ろす。
合わせて振りかぶられた剣が、どこからかチラつく光りに反射した。
『ちょこまかと!』
ガネーシャが嘶き、その刃先は俺の脳天へと来る。
咄嗟に上を向き、その刃先を思い切り咬んだ。
唇の端と、舌が裂け、じわじわと嚥下する唾に錆が混じる感覚。
上へ戻そうとも引き抜けない様子に、裂けた口で嗤った。
『小癪な…小童!』
すれば、眼元の皺を痙攣させて、その長い鼻を振り乱す。
ぐじゅり、と俺の喉元に吸い付いてきた、その湿った密着面が啼く。
瞬間、爪先までぞわりと悪寒が駆け巡り、頬が引き攣る。
「ぐ、が、ぁあああっ」
『な』
歯先で刃先を噛み砕く、怒りにまかせてその粉砕した鉄粉を飲み下した。
口内が、喉が、焼け付く痛みを伴いつつも、その武器を破壊出来た満足感。
何が軍神だ…これなら、ライドウの方が、強い。
「やっぱ、悪魔なんて要らない…っ」
嗤って、鉄分満載の血塊を傍に吐き捨てながら云ってやった。
「此処は俺に相応しくないんだ」
もういい、手持ちの仲魔だけで、次もなんとかなるだろう。
それかいっそ、俺だけで戦おうか。
『ピ、ピギィイィ』
奇声を発して、その巨体を震わせるガネーシャ。
俺に吸い付く、その鼻先から燃やしてやった。
その滓が胸元にこびり付いてくるのが、熱くて酷く胸糞悪い。
「汚いッ!」
焔を両の腕に踊らせて、その炎舞で象を踊らせる。
黒っぽくなってズンズンと台座を揺らす巨体目掛け、見舞う。
「失敗作がっ」
振り抜いた脚、衝撃がその灰を霧と舞わせて、台座から引き摺り落とす。
纏っていた装飾品の残骸が派手な音を立てて、下界に雨を降らせた。
「はぁ…はぁ…」
血だらけの口内は、不味い。
ぬるつく様な、それでいて張り付く様な喉が苛々する。
「ぅ、ぐ」
気でも抜けたのか、どうしてそのまま崩れ落ちる?
冷たい、煤けた台座に膝を着いて、掌を着いて、浅く呼吸していた。
「呪い合体をしていた事、忘れていたのか、修羅よ」
いつの間に…だろうか、此処の主が傍に突っ立っている。
その軌道を感じない動きに、やはり人間らしさは感じられない。
蒼い空間に佇み、悪魔の如き所業を全うする、蒼い聖服。
「…そ、いえば、そうでした、ね」
胎の奥でマガタマが哂う。ああ、なんて惨めなんだ。
「全書は半分も埋まっておるまい」
「誘いたくないし…此処で悪魔みたいな事すんのも、好きじゃないです、から」
「悪魔の所業…合体の事か?」
感覚の短い呼吸のまま、頷く。
すれば、その司祭は肩を揺らした。まさか…感情で、嗤っているのか。
「お前も悪魔であろう」
どうせ指摘されるとは思っていたが、今はこの動悸の所為でままならない。
斜向かいの泉で、解呪してもらおう…さっさと、この胸を、すっきりさせたい。
もう、用件は済んだのだ…やはり、俺には無理だ、こんな業。
「以前はピクシーをよく連れていたろう、最近は必要無いか」
突如かかる声に、顔を向けず答えた。
「悪魔嫌いなのに、頼りっ放しだと可笑しいでしょう…」
よろりと片脚を立てれば、追従してくる。
「本当に人間が残っているのか?」
灯台の光みたいな光源が、一定間隔で照らす。
伸びた影は、俺達を一瞬床に引き伸ばして、画を作る。
悪魔のシルエット。人間のシルエット。
「この角は、人間のものだったか?」
その悪魔らしい鋭角な影に触れる、乾いた指先。
「そんなトコばかり着眼してるのは、貴方だろうがっ」
ぞわりとして、振り払って立ち上がる、と、まだよろめいてしまう。
呪いの最中、決闘したのが良く無かったか…
黒い眼鏡の奥で、俺をどんな眼で見つめているのだろうか。
この司祭の蒼い服は、どこまでも冷たい。温度が無い。
ただ、ただその儀式を執行する、さだめの様に。
最初に、この空間に足を踏み入れた時から、ずっと俺は嫌悪の眼を向けていた。
それでいて…稀に、ふらりと来て、依頼する。
無感情に行われる死と生を、深く考える事をしないで。
「では人間の部分を捜すべきか、修羅よ」
伸びてくる、指先。
合体台座の上、贄の気分でそれを、黙って受け入れる。
どうしてか、今跳ね除ければ、人間と認められない強迫観念に苛まれて。
「……っ…」
唇を、噛み締める。
その硬い指先が、回されて項から滑り落ちる。
「鳥肌すら見えないぞ…?」
「ぐ、ぅ」
それは、悪魔に…なってから。
「この黒い斑紋は、何処まで続いているのだ?余す所無く、だろう」
「そ、そんな事は」
「知る者はおるまいな、しかしてお前が誇示する訳でも無し」
「…だ、って、そんなのは」
「此処で素材として消え逝く悪魔と違うなら、見せてみたらどうだ…」
ああ、胸が、苦しい。
それを知ってか知らずか、司祭の指がその胸の苦い芽を潰す。
俺の両の芽を、人間らしい指紋を擦らせて、指の腹で撫ぜる。
「ぁ、あふ…や、や…」
あまりな行為に頭がずきりとして、しかし脚は踏み止まる。
気持ち…悪い…のに、なんだ、免罪符でも欲しいのか、俺は。
こんなのを、赦して?
「下肢まで、繋がっているではないか、黒い斑紋」
立ったまま震える俺の着衣に…指が、掛かった。
ずる、と、それを捲られる瞬間、険しい視線と己の手を送った、が。
「下まで無ければ、中途半端な失敗作…か」
逆転。
血の気がひいて、その指の侵入を…赦した。
まるで、呪いの効力か、突如属性反転した意識が虚しい。
悪魔は…嫌だ。
でも、もっと嫌なのは…
本当の孤独、この半端な位置…なのではないか…
「…おお、やはり悪魔…しっかりと斑紋が示している、雄にまで!」
ずり、と膝まで、下着と一緒に…引き摺り下ろされて。
外気に曝された俺の恥部が、震えた。この寒さにか、その見えぬ視線にか。
「も、もう…良い、でしょう……」
「その爪先まで、あるのかね?」
悪魔崇拝の、ギラついたそれ。俺の悪魔を見出しては、蒼い服を揺らす。
「あ、がっ」
「お、おお!おおおお!ある!しっかとこの眼に…爪先まで…!」
押し倒されて、項の突起を床に強かに打ちつけた。
眼前に散る光は星の瞬きか、灯台光源の信号か。
「あ、ひぃいいぃん…ッ!」
脱がされた靴、引っ掛かった靴下の、その上から粘着質な何かが這う。
それが固く折れる指を解して、靴下を攫う。
「汚…ぃ!汚いっ、汚い!やめて…下さいぃッ!」
「はぁ…はぁ…っ…ああ、悪魔!ヒトガタの悪魔!」
指先を舐め回す、その蒼い狂信者。
裸の俺は起き上がろうとしたが、唇に入る何かに引き戻される。
「ふ、ふごぉ、っ、おぶっ」
「もっと、もっと猛々しいマガタマを…悪魔を内包すべきなのだ!お前は!!」
「ん、んんっ、ん」
荒れた口内を蹂躙する指が、喉奥に進み入る。
必死に首を振ったが、何も見ていない。いや、悪魔の俺だけを見ている。
抵抗に振り上げた手に、焔は僅かしか宿らない。
(あの、光)
モールス信号みたく、脳内にか…魂にか…パルスを送ってくる。
それがズキズキと中を麻痺させている、気がする。
ガネーシャとの時よりも、それは光を増すばかり。
そうか、だから此処の悪魔を台座で制御出来るのか…
すればこの司祭、やはり人間なのだろうか。
悪魔達にしか効かない光の戒めで、此処に贄として縛り付ける。
そんな死刑台に、今俺は磔刑に…
「がはっ、げ、ええっ…」
指を抜かれる。とりあえず、吐き出す。
「失敗…じゃ、ない…俺は…俺は違う…」
体を這う舌と指、擦れるおぞましい髭の先が気味悪い。
「で、も、悪魔とも…違う…!違うんです…だ、だからもう…っ」
起き上がらない身体が恐怖して、歯がカチカチと鳴る。
脳内で意識したが、召喚は為らなかった。
こんな時に、結局悪魔に縋る己が、惨めで…嫌になった、もう。
「…っひ…ぅ」
奥歯を噛み締めて、その指が胎の辺りを弄るのを耐え忍ぶ。
…と、その指が茂みで遊んでしばらくしてから、止まった。
「人間の、気配が」
顰められた眉根、司祭の声が、恍惚から一変する。
「汚らわしいヒトの気配が…!胎の中から!」
裸の俺から跨るのを止め、慄いて後ずさる。
蒼い裾が視界の端をチラついて、不規則に蠢いた。
「何時からだ?何処からだ?それは…それは何者の気配だ!?」
「…ぅ……ッ」
ようやく退いた圧に、ずるずると身体を起こした。
「折角の…折角の素材がぁアああアァぁ」
頭を抱え込んで、その暗いレンズで俺を睨んだ。
「潔癖で孤高なお前は何処に消えた!?」
崇拝者の糾弾。
「何者と契約した!?」





蹴り開けたのか、酷い音と同時に人修羅が出てきた。
と思えば、一直線に泉の扉を開け放つ。
「功刀君」
聞こえていないのか、いや、恐らく無視か。
やれやれ、と、傍の黒猫に目配せしてから泉の空間に身を投じる。
髭が湿って嫌なのか、ゴウトは泉に寄りたがらぬのだ。
…ひんやりとした洞窟。
聖女は毎度の如く微笑んで、何人たりとも拒まない。
人も悪魔も。
「…何をそんなに急いていた?解呪かい?」
僕が来ると解っていたろうに
何故か纏い物を岸に放った人修羅が全裸で漂っていた。
ぼんやりと薄暗い湖底で漂う、美しい生物。
金色の眼が、じろり、と僕を妬ましげに見据えた。
「護ってるつもりかよ…」
「え?」
「そんな訳無いだろうがっ!あんたのは呪縛だ!」
解せぬが、それだけ叫ぶと水中へと潜り、水面に消えてしまった。
「…何やら、あったのかな…邪教の園で…」
ふと過ぎる、あの司祭が、舐め回す様な眼で人修羅を見ていた事を。
「やはり、単独で行かせるべきで無かったかもな」
揺れる水面に歪んだ笑みの僕が、映り込む。
贄の台座に横槍は赦さぬからね…
僕と人修羅と、堕天使の三身が…あの台座で反目し合う光景が浮かんだ。
「矢代、呪いの際には共に往こうか」
まだ浮上せぬ姿に、戒めの様に命じた。
「君に触れる下賤を、斬り捨ててあげる」
君を、最高傑作にしてあげる。
寄せ集めた素材からではなく、君そのものを。

先刻、通過する彼の眼に滲んだ金の涙に
僕は縛られていた


-了-

邪教の館呪い時の『呪縛』から。

なんて酷い組み合わせ。
人修羅はギリギリまで葛藤するだろう。
犯される寸前まで。


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