フェティッシュ
(ライ修羅)




「何」
「ん?」
「さっきから…俺をチラ見してる、何かあるなら云えよ」
傍の人修羅は、雑踏に紛れればそれこそ凡人で。
過去の自分に縋りつく様に、学生服に身を包んでいる。
眼鏡が醸し出す文系らしさが、虚弱なイメェジをもたらしている。
「いいや、君は同年代の学生達の中でも、更に弱そうだと思ってね」
「…知るか」
スクランブル交差点の信号を待つ。
様々な自動車が路面を行き交う。
傍の人修羅は、一瞬ぴくりとして、肩に下げた鞄に手を突っ込む。
バイブレイションする携帯電話を掌に、その側面を見ている。
そのまま信号の切り替わりに歩み始め、携帯電話は戻された。
「誰から?」
「新田、別に後から確認する」
「急用だったらどうするのだい?」
「それなら電話で来ると思う」
交差点を人の群れが、巧い事接触を避けつつ各自の目的方向へと渡る。
携帯電話を開いて、その画面を見ながらに渡る学生達。
急ぎ足に、電話で遠くの人と会話しながら渡るサラリー達。
「君は、この世界においては、所謂“真面目”という存在なのかな?」
くすくすと笑いが零れた。
それに些か不満を感じたのか、いや、きっと僕の言葉の全てが気に入らないか。
「万が一ぶつかって、喧嘩売られても嫌だから…それだけだ」
人修羅が僕に向かい、そう云い放つその瞬間にさえ…
間の抜けた、ケタケタ転がるかの様な電子音がする。
ハッとした人修羅が、その方面を振り返った。
視線の先に、日本人とは違うと突っ込みたくなる薄茶の髪色の女学生。
「ちょっと…すいません」
一直線にその女学生に向かい、淀みの無い歩みを進める人修羅。
「断りも無しに、撮るの、失礼ですよ…」
女学生の眼が、人修羅を通過して僕を見ている。
まるで助けでも求めている、そんな反省顔。
「功刀君、別に…その位にしておいで」
彼の詰襟を、背後から掴んで引き摺り寄せる。
「っおい、まだ話が終わって」
「タイムセール品、無くなるよ?」
たったその一言で、彼の意識は晩御飯へと向かうのだ。


「だから、あんたと外歩くの嫌なんだよ」
「何故バレるのかな?」
「あんたが目立つからだよ…色んな意味で」
買い物籠に、慣れた手付きで食材を入れる君は、とても人修羅に見えぬ。
「黒帽子に黒のロングコートとか…黒ずくめって、逆に目立………」
云いながら、人修羅は言葉を尾切れにさせた。
微妙に高い位置の調味料に、一瞬息を詰まらせてつま先を立たせた。
それを目敏く認識して、僕は彼の視線の先の目標物をすい、と取り上げた。
「…」
「おや?必要無かったかな…使役されてみたが、どう?」
僕の言葉を無視して、人通りの多い方へとつかつか歩みを決める彼。
きっと無視のあかつきに、蹴りが飛ぶ事を察知している。


夕刻、静かな空間。彼はテレヴィジョンをONにしない。
身内の誰も居ない、広い家の中で、ただただ趣味の調理をする。
課題をこなして、シャワーを浴びて、就寝する。
彼は、酷く生真面目で、主夫で、貞淑な性質の人間…だったイキモノだ。
それ故、孤独にも見える。
そういう類の、ストイックな人種を…面倒と思う人種も多いからだ。
「功刀君、起き給え」
「う…」
「渋谷区道玄坂2-29-1に向かう」
「はぁ…?…んだよ…其処…」
「『渋谷109』イベント広場の文化村側に、天使がたむろして居たのを視たそうだ」
「…こんな…夜中に…」
「明日は女性アパレル誌のイベントがあるからね…準備に開放される筈だ」
人修羅の掛け布団を脚で蹴り撥ね、刀の鞘ごとその頬に押し付ける。
「これ以上メシア教をのさばらす訳にもいかないのでね」
云えば、君はその視線を少し泳がせる。
そう…君はメシア教を、完全否定していない。
天使を屠る事にさえ、抵抗を感じている…その返り血に、酷く怯えている。
それを払拭するかの様に…普段、徹底して君は、清純で在ろうとするの?


眠らない都。僕の居た帝都とは、全く違う。
「街中って、深夜は更に煩いから嫌いだ…」
傍で呟く人修羅。
「折角シャワー浴びたのに」
君は文句を吐きながら、日中も渡ったスクランブル交差点に辿り着く。
氾濫する光の中、君の横顔。微妙に不吊り合い。
君の本来の世界なのに、此処に居る君が、可笑しかった。
そんな事、理由は解っている。
「君はよく酸欠しないね」
そう云って、僕は渡った先の遊楽街、路地の暗がりに君を引き摺り込んだ。
「っいきなり何だよあんた、退けよ」
そうやって睨んでくる、その眼の光に誘われる…
浅ましい蛾達が、この世界には溢れているのだよ。
「功刀君…君の様な存在は、稀有で…美味しいのだよ」
顔を背ける君の、後頭部を掌で押さえつける。
「いらない、今MAGは必要無い!」
「フフ…少し汚して、此処の空気に同化して往くべきで無い…?」
吸い寄せる唇の、そのもどかしさ。
幾度と繰り返そうと、哀しさが滲む。
君の項に角が在ろうが無かろうが、新緑の薫りがする。
普段学生服の詰襟に隠れた香りが、背伸びした瞬間に傍で舞って、誘う。
「っぁ…ぅ」
強い欲に堕落していくその瞬間の、君の眼が、狂おしい程に掻き立てる。
その背徳が、君を更に罪悪感で覆って、路頭に迷わせるのだ。
狡猾な悪魔では無く、浅ましい人間でも無く。
功刀矢代、という、君は少年のままで在ろうとするのだろう。
君の指先から髪の先まで、春に萌える甘やかな芽。
その汚れを拒絶する高潔な意識が、眼に宿って
引寄せられた灯蛾達を焼き殺してきたのだ。
ボルテクスでも、此処東京でも…
結局、君は君しか、愛していないね。
「ライドウっ…いい加減っ…や、め」
でも、それも仕方無いか…
僕がそうさせているのだから。
君を焦燥へと駆り立てる接吻を、今も降らす。
少年のままで在りたい君を、僕は創造している、こうやって。

その身を穢す様な、茨の斑紋が一瞬浮かんだ君。
毎回泣きそうな顔で悪魔に戻る、ただの少年の君は
とてもフェティッシュな恍惚感へと僕を墜とすから………


-了-



中谷美紀の『フェティッシュ』から。

人修羅は、汚したくなる清廉さを持ち合わせる少年。
でも、その心が真っ白かと云えば、そうでは無い。
匂い立つ背徳感が、新緑の青臭さを連想させる…
劇中は長編第二章のイメージが強い?です…たぶん…


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