月蝕グランギニョル
『さあ、我等の誇りし剣をここに翳そう』
真黒い闇に浮かぶ、丸い環…上の世界の光だろうか。
俺の漠然とした推測を余所に、石の舞台に道が現れる。
『おいで、人修羅…』
声が…する。
閣下の御声だ。
その声に、身体が自然と動き出す。
胎内の、ぐるぐると蠢く熱が、わあっと込み上げてくる。
『さあ、グラン・ギニョールの開演だ諸君』
その閣下の一声で、周囲の石段がさざめく。
石段は、ぐるりと俺と舞台を囲む観客席だった。
無数の眼が、俺を視ている。
上に輝く光が、日輪の如く照らす。
道を辿って着いた先には、供物を捧げる石の台座。
その台座の上には…
俺のよく知る貌が在る。
俺のよく知る身体が在る。
俺のよく知る…人間が。
『さあ、人修羅矢代よ…かつての主人を贄とし、進化するのだ』
閣下…の、仰せのままに。
そう俺は呟いた訳では無いが、沈黙がそれを表面化させる。
俺は、その人間の貌を覗き込む。
意識を失っているのか、ぼろぼろに裂けた外套が台座から垂れ落ちている。
帽子もずれて、額が少し覗いた相貌…
伏せた睫の美しい、悪魔召喚師。
こうして…黙っていれば、まるで人形の様なのに。
そう、ふと昔を思った。
そう、あの頃…ヒトに憧れた、焦がれていた。
口ではなんと云いつつも、召喚師に使役されて、それを求め続けた。
ヒトの形を模造した俺、ヒトごっこを愉しんだ日々。
俺の心も身体も穿つ悪魔召喚師、この男が憎くて憎くて…
それを糧に、使役の隙間を掻い潜って生きていたあの頃。
もう、棄てた、何もかも。
俺は、その男の胸に、指先を当てる…
懐かしい白檀の薫りを、一杯に吸っておく。
すぐに、咽返る程の血の薫りに満たされるだろうから。
「俺はもう、孤独じゃない…あんたと違ってな」
俺の声は、届いたのだろうか?
別にどちらでも良かった…ので、俺は続けた。
「あんたは生きていても孤独だろう?」
ずっと独りの、悪魔召喚師。
ヒトなどに生まれ墜ちたのがいけなかったのだ。
俺と逆なら良かったろうに。
「それを、終わらせてやるよ…今までのお遊戯に付き合ってくれた礼として」
そう発した言葉に、意識の無いと思われた供物の口が…歪む。
吊り上がる口の端に、俺の指は一瞬止まった。
が、迷いでは無い、反射だ。
ぐずり、と柔い果実を強く掴んでしまった感触に似ている。
指先から、腕に、包み込むような熱。
薔薇の色をした肉が、羽毛布団の様だった。
淡い光が俺に纏わりつく。
「ふ、ふ…」
声がする。
「ふふふふ…」
まさかの断末魔。
人を馬鹿にした哂いを洩らす男だったが…
まさか最期の声まで哂いだとは。
その、唇が終わりに…はっきりと形を紡いで事切れた。
俺の身体が、供物の血を、力を浴びて胎動する。
眼が熱い…骨格から変異しそうな程の、力の本流。
流石、悪魔召喚師の血…
周囲の歓声が、拍手喝采が鳴り止まない。
それをどこか遠くに聴きながら、俺はその供物の残骸を見つめていた。
頭上の光が、俺を照らす。
ずっと月蝕の様な空、何処までも続く暗黒。
地上を見上げて、何故だか恍惚としていた…
この国の住人に、ようやくこうして成れた気がした。
『さあ、新たな魔将の誕生を皆で祝おうぞ…!』
閣下が、俺を祝福する。
沸きあがる周囲の悪魔共が、俺に一心に言葉を投げる。
『よくぞソレを屠殺しましたな!』
『こうして貴方様は呪縛から解き放たれたのです』
『その憎きサマナーの身体は、打ち砕いてしまおう…』
『そうだ、そうしよう』
『肉を、荒野の魔獣達にくれてやれ!』
『ソウダ!肉ヲ撒ケ!』
『その滓にも、芳醇な魔力が残っている…素晴らしいゴミだ!』
石段に光る無数の眼が、まるで星空の様だ。
星に囲まれ、頭上には隠れた月の環。幻覚の満月。
美しい…夜だった。
…夜…
「黙れ!!!!」
俺の怒号に、舞台は静まり返る。
喜劇では無かったのか?悲劇なのか?
そう、うろたえる観客に俺は勧告する。
「矢代が命ずる…最初の指令だ、雑兵共」
眼が、熱い。
ああ、もう罪など無い。
俺の声が、響く…冷たい石の劇場。
「この悪魔召喚師を喰らう様を、指を咥えて観ていろ」
俺は、ライドウの肉に、齧りついた。
喰い千切り、咀嚼して、嚥下する。
美味しい。
美味しい…馬鹿になった筈の舌が、確かにそう感じた。
息を呑む会場は、そのまま暗澹。
俺は、涎を垂らした観客達の視線に悦を感ずる。
そう、この肉は誰にも渡さない。
俺に捧げられた供物なのだから。
あの時…この肉も、云ったではないか。
唇が紡いだ、最期の言葉。
“君に喰われるなら、本望かな”
そう、云ったじゃないか…ライドウ……夜。
俺は、その懐かしい魔力を、血の味に浸りながら
閣下の微笑みを感じながら
思い出と共に呑み込んだ。
これが、あんたにしてやれる手向けだ。
…確かに、愛していたんだと思う。
憎しみという名の愛は…いけない夢。
喰らい尽くした俺は、目醒めた。
月蝕グランギニョル・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
人修羅曲として薦められたALI PROJECT『月蝕グランギニョル』から。
生贄は悪魔召喚師。
喰らう人修羅。
確かに、愛していたから喰らいたい。
愛していたから食べられたい。
甘い追憶を嚥下する。
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