命ノゼンマイ
「えっ、動かない?」
『うん、動かなくなっちゃった』
アリスの小さな指の中で、ブリキの玩具が俺を見上げていた。
『死んだの?』
「ちょっと見せて」
そこから拾い上げ、その金属兎をひっくり返して見た。
背面の尻尾がカタカタと小さく揺れていた。
それに納得して、指先でその尾を摘まんで回す。
「分かり辛いけど、ここがゼンマイだよ」
アリスの両手の器にそっと置いてやる。
キチキチキチ…
脚とヒゲがゆらゆら蠢いていた。
『動いた!生き返った!』
クスクス笑って、俺の腕を引っ張ってくる。
『さすが矢代お兄ちゃん!』
半強制的に屈まされる、それに苦笑いするしかない。
「俺そんな歳じゃ無いんだけど…」
『いいこいいこ!』
髪をぐい、と引っ張られ、後頭部をわしゃわしゃされる。
「何やってるの、君達」
事務所の扉が開く音と同時に、苛つく高慢な声音が降り注いだ。
『あ!夜兄様だぁ〜!おかえりなさぁい!』
何故俺は“お兄ちゃん”で、あの男は“兄様”なんだ。
もやりとしていると、ライドウが外套を腕に掛け、アリスの頭を撫ぜた。
「ミス・アリス…こんな時間に茶会とは、門限は大丈夫なのかい?」
『満月までに帰れば大丈夫!あっ、ゴウトにゃんこだ!』
ライドウを避けて、手摺に乗り上げたゴウトに駆け寄っていく少女。
『おいっ!誰か止めろ!』
『きゃはははは!すばしっこ〜い!』
叫びながら逃げるゴウトを、知ってか知らずか笑って追い回す。
「…あの子は、元気だな」
俺の呟きを、テーブルに放られたブリキの兎だけが聞いていた。
そう思っていた刹那、すらりとした指が兎を掴み上げる。
「玩具を与えた途端、生き生きとし始めたね?」
ライドウが口の端を吊り上げた。
その台詞の意味する事を知っている俺は、小さく舌打ちした。
『ねぇ、お兄ちゃんが動かなくなっちゃった』
降りしきる雨の中、少女の声が微かに聞こえる。
『死んだの?』
「少し待ち給え、ミス・アリス」
うつ伏せに倒れている俺の腕を掴み上げる感触。
ライドウの声が、雨音を弾く。
「不貞腐れて、寝ているだけさ……」
項の突起を掴まれて、強制的に顔を上げさせるその動き。
「あっ、ぐぅッ」
「ゼンマイ式と同じ…動力さえ与えてあげれば、すぐ遊べるよ?」
云いきって、俺の唇に噛み付いてくるデビルサマナー。
俺の、枯渇していた胎内が、充たされる。
与えられたMAGが、治癒を促進させて、傷がたちまち癒えていく。
雨に溶けていた血が、雨粒に消されていく。
『あっ、動いた!生き返った!』
「ほら御覧?」
酷く、頭が痛い。
微笑む少女の金糸の髪が、雨の満月に煌く。
『流石は夜兄様だぁ!ねぇねぇ!もっと遊ぼうよぉ!』
「僕は構わぬが…功刀君?そろそろ起き給えよ、ほら」
「ガぁっッ!」
革靴で頬を蹴られ、跳ね上がる泥が反対に向かった。
『きゃ!んも〜ぉっ、せっかく血しか付かないようにしてたのにぃ』
アリスの声がそれでも愉しげだ。
『からだでべんしょーしてよ!矢代お兄ちゃん…』
感じる脈動に、身体が勝手に反射して転がる。
元居た場所には、水柱が上がって煌いていた。
「…アリス!いい加減にしないか…!」
顔の泥を手の甲で拭って、俺は叱咤する。
アリスは両腕に立ち昇る気を纏わせて、笑っている。
『だって、人修羅ってオモチャ、面白いんだもん』
雨を弾き浮遊する魔人少女、横目にライドウを見た。
「おいおいミス・アリス…貸してあげているだけだよ?」
満月を反射する刀を、アリスに向けて返事するあの男。
「アレをガラクタにしたら、殺すよ?」
『え〜…そしたらもう遊べない?』
「茶会のトリュフもダージリンも、血のお遊戯も今後一切無しだ」
頬を膨らませるアリスが、青いワンピースを翻した。
『だって!せっかくの満月なのに、矢代お兄ちゃんガマンしてるんだもん』
当たり前だろう…満月の夜…アリスが遊びに来る度に…
こんなふざけたお遊びに、付き合ってられるか。
「雨が洗い流してくれるのだから、潔癖な君も今宵は踊れば?」
刀をアリスのワンピースの裾に通すライドウ。
『ねえおいでよ!矢代お兄ちゃん!』
宙で一回転したアリスが笑って舞えば、裾の青い切れ端が切っ先にはためく。
その刀を振り下ろし、アリスの放った衝撃を外套で水滴と爆ぜさせるライドウ。
「僕もミス・アリスも、玩具遊びはこういうものだと思っているからね」
ああ、この人格破綻者め。
『夜兄様しか、満月のダンスにつきあってくれなかったんだもん!』
俺を巻き込まないでくれ。
俺は…俺は殺し合いの真似事なんか…
「動かなくなった玩具は捨てられるのみ…だろう?功刀君?」
ライドウの声に、記憶回想から帰還する。
「だから僕は君のゼンマイを毎回毎回…巻いてあげるのだが、ねえ?」
「…要らない、寝かせてくれよ」
「駄目だよ、僕のMAGで…寝かせない」
溜息で睨みつけた俺の顔に、その唇を寄せてきた。
「ガラクタになるまで弄んであげるよ…」
耳元の囁きに、背筋がぞわりとした。
『いだだだだだ!!!!』
『ゴウトにゃんこつかまえた〜!』
『おい!ライドウ!!この娘をなんとかせんかお前!!』
向こうの喧騒に、その囁く唇が離れていく。
「やれやれ、逃げ切れぬ貴方が悪いのでしょうゴウト」
哂って、そんな和やかな輪に入っていくライドウ。
「ほら、ミス・アリス、お茶にしようか」
『今日はどんなお菓子があるのかしら?』
「功刀君、今日は何?」
振り向いて、俺を見つめる金髪碧眼の美少女と、眉目秀麗な書生。
見目だけは正常どころか、麗しい彼等を見て、嘆きたくなる。
ああもう、満月が煌々とする前に帰ってくれよ。
「マカロンとフィナンシェ…」
『わぁ!ステキ!ね〜ね〜紅茶は?』
「セイロンとアッサム混ぜた…」
『それ、香り良さそう〜…さっそくお茶会の始まりよ!』
顰め面のゴウトを腕に抱きかかえ、俺に微笑みかける少女。
「いい加減ゴウトを解放してやってくれ給え、フフ…」
外套を椅子の背に掛け、アリスの頭の崩れたリボンを正すライドウ。
(彼等は、玩具にされてきたから、きっとああなんだ)
都合で殺され、気紛れで生き返させられた、孤独な少女。
烏の巣で、羽を散々毟り取られた、歪な青年。
煌びやかな玩具は、浅ましい手垢で…汚される。
付いた傷は、二度と消えない…
「アリス」
お茶を注ぎながら、背中を向けたまま声を掛けた。
「俺、今夜の満月…一緒に見てあげるよ」
もう…俺という玩具で、遊べばいい。
ボルテクスとかいうゴミ箱から拾い上げてくれた、俺の持ち主が
背後で哂った気配がした。
そう、それが俺の知る遊び方。
俺を拾い上げた、憎い奴の手垢で汚される事。
その手垢に居場所を見出して、安堵して、殺意を発露する免罪符を得るんだ。
ライドウに、命のゼンマイを延々と巻かれ続ける。
確かに、それは、ずっと孤独じゃない。
どっちかがガラクタに変わるまで、互いに巻き続けるんだ…
-了-
9mm Parabellum Bulletの『命ノゼンマイ』から。
アリス初登場。
ライドウと仲良し、しかし互いに“殺し合える相手”の対象に入っている。
享楽的で歪んでいる者同士。
人修羅も歪んでいる。手垢が孤独で無い証って…
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