周囲の天使が唾を呑み込む、私の腰がいよいよ進むと思ったのだろう。しかし、その前に……気になって仕方が無いので、ひとつ確認してから挿入しようと思った。
 乱れた黒髪に私の青い指を絡ませ、目隠しを解いた。激しい憎悪の眼を、脳内に描いて……黒革を奪い去る。
「貴方の事……軽蔑します……」
 目の前に露わになった表情は、私の予測に反していた。まるで人間の様に、金眼はぐっしょりと濡れそぼり、頬に一筋伝い落ちていく雫を見た。
 発光を反射するそれがあまりに綺麗で、堪らずに舐める。果実を搾った純度の高い蜜の様な、そんなマガツヒ。
「ん、んぅっ、ん、んぶッ」
 すぐ傍の唇に吸い込まれる様に噛み付けば、これも酷く甘く感じる。激しい激昂を示した証が、人修羅の肉体から発されている。
 私にセキレイの羽は効いていない筈だが……これは人修羅のマガツヒに酔ってしまったのだろうか。
『赤い、血液?』
『いや、マガツヒだこれは!』
 アークエンジェルとパワーが、人修羅の肌に薄ら滴るそれに感嘆の声を上げ、掴む脚に頬擦りしている。じっとり滴り、陣を濡らす赤い水。彼の額にも浮かぶそれは、接吻する私の髪をも湿らせる。
「んんっ……」
 逃げる舌を追って、その舌からも吸魔をした。約束が違うと糾弾されようが、この状況では魔力を吸われた事すら認識していないだろう。接吻の為に捻らせた首も痛々しいままに、先刻解した孔を探る。
 マガツヒは既に散々浴びて、私にその欲求は無い筈だというのに……
 事を終える為だけに、下肢の器官が反応しているとは思えない。違う熱を蓄え始めている、この異様な感覚。
 唇を外してツノを甘く噛めば、解放された人修羅の口が大きく喘ぐ。
「っぐゥ……うぇえ、ぇッ」
 喘ぎというよりは、嘔吐きに近い。先にマガタマを吐き出してしまおうという魂胆か。
『内臓が口からはみ出ても知りませんよ』
 軽く臀部を叩いてやったが、止めようとしない。欺かれた憤りの方が、どうやらリスクに勝るらしい。
 このまま下から突き込めば、その狭い唇から勢い余ってポロンと吐き出すかもしれない。中身の空っぽになった人修羅では、このまま遊べない。
 しかし、巧い事一個を残して吐き出されても、本来の調子を取り戻されてしまう可能性が有る。術が使えないとの暗示をかけては有るが、魅了が消え去った時の暴れ方が少し怖い。魔法など使えずとも、この少年は拳で殴り殺してきた半人半魔だ。
『マガタマを吐き出されては人修羅の身体が心配です。其処の貴方、口を塞いであげなさい』


 人修羅を貧相と評価したあのパワーに指示を出せば、赤銅色の兜の影で口角が上がった。金属音を鳴らして此方に歩み寄ると、人修羅の短い前髪をわしりと掴んだ。
 乱雑に扱う事は避けて欲しいのだが、悠長にしていれば先にマガタマを嘔吐される予感も有った。
『よく分からんのを呑んで、悪魔になったと聴いたぞ? ビチビチ跳ねる金属の蟲だとか』
「ぅ……はあっ……はぁ……放して下さい……マガツヒ、くれてやるつもりは、ありません……ない」
『魅了状態というのは、体力が削れるだろう? 貧相な割に良いマガツヒのお前に、私からもくれてやろう』
 下肢の装備は上部より薄い為、パワーは人修羅が顔を背ける前に男性の象徴を曝け出した。
「んぁ!? ぶ、ぅうぐぅッ」
『ウリエル殿にひとまず注いで貰ったなら、息継ぎに抜いてやろう、ふはは……』
 技巧を求める事はしないが、それでも野太い指を黒髪に絡め、人修羅の頭蓋を固定しているパワー。エンジェルとは違い、支配欲に駆られる類だろう。ヒトで云う《男》の形をした天使は、他種に尊大な態度を取る者が多い。
「うっ、うぅーッ、ぐぉッ……」
 咥えさせられ、自然と上目に睨む姿勢となる人修羅。顎に滴るのは、マガツヒと唇から垂れる唾液。唇が裂けそうなくらいに、こじ開けられていた。その歪まされた口元のせいで、金色の双眸はやぶ睨み程度にしか開いていない。
『苦しいですね、ヤシロ。すぐに注いで差し上げますから、もう少し我慢して下さい』
 真っ赤な耳に唇で軽く触れ囁き、私は自身の雄を侵入させる為に人修羅の腰を掴んだ。背に渡る黒い斑紋は、私共の白い翼と対極にあるかの様な形状をしている。
 我々の魔力を……エネルギーを注いだなら、この斑紋が変わったりするのだろうか、と一瞬夢想した。が、私の夢想も侵入も、つんざく悲鳴に掻き消された。
『ギャアアアアッ』
 太い声が甲高く叫んでいる、戦闘中でも無いのにあまりの絶叫で。私も含めた天使一同の殺気が強まる。
 悲鳴の主はパワーであり、彼と接触しているのは人修羅しか居なかった。当然の様に、警戒対象は人修羅である。
「っ、げぇ――ッ、げっは、ッ! はぁっ、はぁ、はぁ――」
 パワーに咄嗟に引き剥がされた彼は、赤く染まった何かをブッと吐き出した。
 ほんの一口分の大きさだが、それは喰い千切られた雄だ。
『貴様ァ』
 脇に置いてあった槍を手に、よろめきつつもその切っ先を振るパワー。人修羅の四肢を抑えていた天使達が、蜘蛛の子を散らす様に飛び退く。
 私は腰を掴んでいた手を向こうへと滑らせ、人修羅の脇を掴む。そのままぐい、と引き寄せ、体重も引き受ける。
起こす様にして重なるまま仰向けになれば、パワーの得物の風切り音がヒュッと聴こえた。
「っ、あああぁ――ッ!!」
 私に自重で貫かれた人修羅が、体液まみれの口で悲鳴する。しかし、パワーのそれとは違い、微量の艶が混じっていた。
『駄目でしょう、パワー……私から悦を奪うつもりですか……』
 股座を押さえたまま、槍を片手に呻く天使へと呟いた。
『しかし、ウリエル殿ぉ……!』
『その程度、致命傷では無い筈ですよ……我々の急所は、人間とは違いますから、ね』
 背後から抱擁して、人修羅の乱された髪を優しく撫でてやる。がくがくと引き攣る細脚が、私の法衣の垂と絡んでいた。
『貴方もですよヤシロ、ほんの少しの我慢と云ったでしょうに』
 耳元で囁いているのだから、聴こえていない筈は無い。しかし、人修羅からは反論も無い。浅い呼吸を繰り返し、時折咽ては先刻の残滓を吐き捨てるかの様に嘔吐している。だが、その吐瀉の中にマガタマは見当たらない。
『本当はもっと、ゆっくり挿し入ってあげたかったのですが、まあ、不可抗力ですね』
「……は……はぁ……ぅ……」
『ほら御覧なさいな、貴方を助ける為に仰向けになってしまったのですよ』
 起き上がり逃れようとするものの、まだセキレイの羽が効いているらしく、おぼつかない人修羅。
 私は揺り籠の様に下になり、ぴったりと抱き締めて翼の先で胸元を擽った。
「う、うぁ、あっ……ぁ、やめ、ろ」
 黒に紛れた二つの突起を弄れば、きゅう、と下では締め付けてくる。陰茎を喰い千切った凶暴性とは裏腹の肢体に、面白可笑しい心地となって私は更に酔う。
『良かったです、まんざらでも無さそうで』
「く、苦しい、キツぃ――」
『深呼吸して下さい、もっと力を抜いて……大丈夫……貴方のマガツヒを吸いはしますが、約束通りに試してはみますから』
「……もし……人間に戻れたら、その、俺をどうするんですか」
『さあ、どうしましょうか? 私には人間に構ってはあげても、飼う趣味は無いですからね』
 人間から搾取されるマガツヒは良質だが、そこまで痛めつけようとも思わなかった。どうせ搾取し始めたら、すぐに死んでしまうだろう。それよりも、もっと続きを見ていたい。
『このボルテクスから……貴方以外の人間が一人も居なくなってしまったなら、貴方はその時どうされるのでしょう?』
「それこそ、マガタマでも呑まなければ悪魔なんかになれない……! 他の奴は、ずっと皆、人間の筈……」
『そうでしょうか? 数多の力を収集し得る存在となれば、神降ろしなどをして更に力を得ると思いますよ? 人間の器では物足りなく感じるでしょうから』
「そんな事考える訳無い! だってっ、こんな世界に人間のまま居たら、絶望してそんな事考えられる訳が――あいつ等にそんな覇気が」
『貴方は知人の何を知っているのですか? それは仲間意識ではありませんね、運命共同体を増やしたいだけでしょう』
「……もう、っ、いい加減にしてくれぇッ!」
 嗚咽混じりのその声に、人修羅の中で堪らず息衝いた。感情も腰も、揺さぶる程に溢れるマガツヒ。
「俺の事、晒し者にしてっ、貶めたかったんだろ、っ……ウリエル、あんたは、っ……あんたはぁ……ッ――」
『私はこの状況に、恥も背徳も感じておりません』
 しっとり濡れたツノを甘く噛めば、暴れていた四肢もビクンと跳ねた後に強張ったまま制止した。
 己はパワーの雄を噛み千切っておきながら、この状況がツノを噛み千切られそうで怖いのだろう。
「……ん……んん、天使ヅラ、しやがって……ぁ……」
 れろりと噛み痕を舐めてから、頬を寄せて眼を見つめた。
 私が普段通りに微笑みかける、そうするだけでこの少年は怒りの言葉を叫びつつも、酷く傷付いた表情を浮かべる。私の形と微笑みに釣られた事の自覚が、芽生えた瞬間に自己を破壊し始めているのだろうか。
『こういうツラですか?』
「……馬鹿に……しやがって……」
『泣きたければ、どうぞお泣き下さい。この笑顔で抱き締めてあげましょう、貴方が悪魔であろうと、ね』
「……う」
 誰もこの世界で、貴方に微笑みと抱擁を、まだ与えていなかったでしょう。目先の赦しに甘えたがる弱い半人半魔には、この態度が適している。
「ぅーっ、あ、あぁ……わああぁあッ」
 その表情を見れば、意識せずとも喰い込んでいる私の一部が張りつめた。
 泣き濡れた金色が、目の前でふるふると揺れる。堰を切った様に溢れ出す声も涙も、この少年の人間の部分が生み落しているものなのだ。
『ほら……もうじき、ですよ……っ』
 人修羅の膝裏に手を添え入れ、掲げる様にその腰を持ち上げた。人間男性の好いとされる場所を目掛けて、丹念に揺さぶる。結合部からにちにちと、マガツヒの滴だけでは無い音が鳴る。
「こんなっ、こんな恰好っ、あ、あっ、ぁ」
 爪先をくにくにと曲げ伸ばし、時折背を仰け反らせる。忌々しげに喘いでいる人修羅だが、股座で揺れる急所はまた主張をしている。
 喘ぎの隙間を縫い、うっとり此方を見ていたエンジェルに私は声をかけた。
『エンジェル、丸見えなのが恥ずかしいそうですよ』
『ん、んふふっ……では、わたくしが其処で壁になりますわ』
 その下ろした瞼がひくひくと引き攣っている、間近から凝視しては、気でもふれてしまうと云わんばかりなエンジェル。思い切り広げさせた股の間に跪き、ふらふらと揺れている人修羅の急所に頬擦りした。
『あのパワーと、同じ様に施されたいかしら?』
 そのつもりも無いくせに、挑発的な言葉を吐く彼女。しかし、その台詞を聴いた途端に、私をきゅうっと激しく締めた肉の壁。
『ふふん、冗談ですわよ……ん、ちゅぶ……んふぅ』
「……ッ、あ――……」
 私が突き上げる反動で、咥えこまれる人修羅の急所はぬぶりぬぶりとエンジェルの口を洗う。
 堪らずに仰け反る人修羅だが、項の急所は私が根本から噛む様にして舐めしゃぶっている。暴れようとする脚は、窺いつつ再び捕えに来た他の天使に左右から掴まれているので、当然閉じる事など出来はしない。素足の先の指まで、ちゅうちゅうとしゃぶり吸われている。
 エンジェルに放られた履物は、既に蹴り転がされて陣の外だ。
「はぁ、あっ、き、気持ち悪い、んな……こんな事ぁ………あんた等、狂ってる、ぁ……あっ」
『気持ち、本当に悪いだけですか』
 この胸の突起も、生理的な反射と説明するのだろうか。翼の先で淡く虐めてみる。
「ほ、んとぅ……っ、ん、は……ぁあ……は、羽、止めて……ち、乳首……が、ぁ」
『セキレイの羽とは違いますから、マシとお思い下さい』
 膝裏から通し支える腕先で、握り締めた人修羅の手首……もがく力が、強まっていくのが判る。
 もう中に吐き出してしまうべきかと、脳裏に思案が過る。いつまでも魅了と暗示が効いてくれる訳では無い。このままマガタマを吐き出させずに放置したとしても、人修羅は複数の力に内部から理性を侵食されるだけで。我々にとってデメリットは、理性を欠いた彼から攻撃を受ける……その程度。
 だが、ヒトらしさという彼の自尊心を残したければ、そろそろ燃え盛る内部を落ち着かせてやらねばなるまい。
 あちこちにブレているであろう魔力の性質を慣らして、内部から剥離し易くさせる。少しばかり背をさすってやれば、きっと吐き出すだろう。旨い事、全て吐き出せて更に苦しみも無ければ……この少年にとってめでたい結果となる。恐らく黒い斑紋も、失せる。
 しかしそれは、本当の地獄の始まりかもしれないのに……愚かな子羊よ。
『人修羅、ヤシロ……さあ、中に出しましょうね』
「ひっ、ぐ……あ、あぁ、で、出るっ、駄目だっ、ダメ」
『下からは幾ら出しても構いませんが、マガタマは出来るだけ我慢して下さいね……さあ……しっかり零さぬ様に、もっと締めて下さい……!』
 嬲る孔は、狭隘ながらもまるで坩堝の様な熱と湿り気だ。華奢な手首に私の爪が喰い込む事も厭わず、強く握り締めた。
 他の天使にも同じ事をさせるつもりだが、もうこのまま私だけで続けてしまっても良いかもしれない……と、甘美な妄想をしつつ突き上げる。マガタマを吐き出すまで、私でひたすら突いてみようか。天使への固定観念を崩壊させてみせようか。
 ああ、この人間の血潮たる熱を巡らせる肉体、悪魔の魔を蓄える胎内。ただの人間でも、ただの悪魔でも感じられ得ぬ感触。
 私に頼り縋る、まだ成熟しきらぬ面立ちを思い返し……それを裏切る快感に背筋が粟立つ。
『ン……っ……お受け取り下さい』
 私情混じりの熱を、打ち付けた奥で放った。人修羅は声も無く大きく仰け反ると、ぱたぱたと唇の端から唾液を垂らし零す。下肢でエンジェルが恍惚と喉を蠢かせているので、恐らく下からも漏らしているのだろう。
 私は軽く頭を振って、額に貼り付いた前髪をはらう。は、と一呼吸置いてから、静かな人修羅の顔を覗き込んだ。
『如何ですか……お加減は……まだ、熱いですか』
 私の吐き出した熱などは、通り過ぎる一瞬が熱いだけで。エネルギーとして内部に融け込めば、それは冷める。
 マガタマ同士が喧嘩する熱に、水を被せるイメージだ。
『……ヤシロ?』
ぐったりと俯く人修羅の頬を見た。意識確認として、軽く叩くべきなのかもしれない、が。
何も意識せず、黒い斑紋の肌に接吻をした。熱も何も含まない挨拶の様な、それこそ触れるだけの。
「……その……」
 ぼそりと呟かれた声に、姿勢も変えずに返答する。
『はい』
「その優しい素振り、止めて下さいよ……あんたの本性は、もう知れたんだ……」
『これが平常なので、意図的なものではありません。内部は如何ですか、するりと吐き出せそうですか?』
 問い質せば、私から顔を背けて呻く人修羅。まだ入っている私にもぎゅうぎゅうと響き、それが嘔吐の為の腹式呼吸だと判断する。
「ふ、うぐうぅうッ……ぇ……っ」
 苦痛の入り混じる声色に塗れ、ずるりと蟲が落ちる影を見た。
 ばたりぼとり、血の様な色の粘液は、産まれたての胎児が纏うそれにも似ている。目の前にした記憶は無いが、原罪の様に頭に刻み込まれている、人間の知識だ。
『……それは、全部では無いですね』
「ふーっ……ふーッ……」
『やはり、まだ注ぎ足りないでしょうかね』
「はあっ……その、必要は、無い……」
 此方をようやく向いた双眸は、カグツチよりも鋭い光で私を射抜く。
「まだこのままで……悪魔のままで構わないっ!」
 私が掴んでいた人修羅の両手が、轟々と燃え盛った。
 咄嗟に放し、翼をはためかせて後方に宙返り緊急回避した。その際に、ずるりと抜けた肉の摩擦で、人修羅が小さく眉を顰めた事は目視出来た。
『おや、この陣の上で術を使うと思いませんでしたね』
「嘘吐き野郎……」
 吐き捨てつつ、忘我状態で吸い付くエンジェルを己の股座から引き剥がす人修羅。
 金髪に燃え移った炎が拡がり、顔面を焦がしてもまだ恍惚としている。どうやらマガツヒで彼女が魅了されてしまったようだ。
『私の買い与えたシラヌイを、まだ胎に残している……違いますか?』
「そうだ、あんたにさっき貰った……気味悪い蟲、仕方無いから残してある」
『全てを吐いて無防備になる事を怖れたのですか?』
「身の安全を確保してから、戻る方法を探します。もうあんた等には……頼らない」
 私の注いだエネルギーは燃料となったのか、発する焔の熱は上昇する一方で。炭化しつつあるエンジェルが邪魔だったか、それを物の様に蹴り掃い、転がる履物に足を突っ掛ける人修羅。
「もう触れたくもない。だから、今の俺の目的に一番適したマガタマを残した」
『はは、私の教えた事はお役に立った様子で、何よりです』
 法衣を整える私を時折睨みつつ、周囲の天使に焔を放つ彼。まだ私ほどの火力は無いが、火は成長するもの。一旦翼に燃え移れば都合は悪く、屋内という事も相俟って肌に纏わりつく大気が熱い。動ける天使は、私の背後に控える様にして退避してくる。
「集団の癖に、逃げやがって」
『焼かれたくはありませんからね』
 笑いつつ、私は腰に携えた剣を片手に構えた。
「……どうして」
 打ち捨てられた着衣に脚を通しつつ、此方を睨んでいた人修羅が眉を顰める。動揺したのだろうか、革のパンツを通った脚がもつれそうにたたらを踏む。
「どうしてあんた、手……燃えてないんだ。さっき俺……あんたの腕ごと……」
『私が焔の術を勧めたのはですね、ヤシロ……』
 狭い室内なので、軽い羽ばたきに留めて浮上する。私に合わせて顔を上げ、視線で追ってくる人修羅が……何やら少し微笑ましい。
『私には、焔が通用しないからですよ』
 一気に翼を煽ぎ、速度をつけて飛び込んだ。はっとした人修羅は、まだ慣れぬ焔を使い過ぎたのか、一瞬遅れたその構えで私を迎える。霧の様にけぶる甘露な血飛沫が、この頬を濡らす。私の剣を受け止め、肉を裂かれつつもギリギリと金属を軋ませる黒い指。
「卑怯者……」
『はは、戦術という奴です。次はシラフで遊びましょう、その為にもコレをどうぞ』
 空いた片手で懐を探ると、武器でも取り出すと思ったのか。人修羅は、咄嗟に私の腕に咬み付いてきた。
 背後で数体天使が動く気配を感じ、手出し無用と翼を拡げる。私と人修羅だけの、小さな羽毛の結界。まるで内緒話の様に、歯を立てる必死の彼へと囁いた。
『私からの餞別です』
 咬まれる腕の手先から、ほろりと零す蟲。イヨマンテという、まだ渡していなかったマガタマだ。これを呑み、同じ手に引っ掛かる様な無防備さを直せば……この少年の生存率も上がるだろう。
『しかし、貴方に《天使様》と頼られるのは、素敵な一時でしたよ』
「ゲス野郎!」
 ぐい、と刃を引き抜けば、呻いた人修羅が裂かれた指に一瞥をくれていた。
『悪魔がどんなに嫌いでも、後でピクシーにでも治して貰いなさいな』
 一瞬で掴み寄せ、その血濡れの手に接吻をした。
「……ッ、の――」
 振り被られたその腕に、殴られるのかと予測して軽く奥歯を噛み締めた。が、乾いた音が響いただけで、私の顔は変形していない。
 べたりと頬が濡れている感触……これは……恐らく、ビンタというものをされたのだ。
「次なんて無い! 二度と俺の前に現れるな!」
 翼の隙間から抜け出し、甘い残り香だけを残して駆け抜けて往く人修羅。この空間から彼の気配が消えたのを、やがて感じた。見ずとも判ったので、出入口を凝視もしない。
 私は肩を回し、翼をたたんで辺りを見渡す。勘違いサバトでも繰り広げられたかの様な、そんな血腥い空気。
『暇潰しはおしまいです、それぞれの場に戻りなさい』
 好き好きに解散と号令してから、私は燃え滓となった一部の屍を軽く隅に寄せる。借りた場なので、それなりに片付けておくべきかと思ったが、そういえば魔法陣には色々染みついてしまった。
 確認の為、まだ燻る陣の上を歩いた。ふと、燃えずに捨て置かれた黒革に気付き、それを拾い上げる。人修羅の眼を隠した、あの帯だ。
『……また暫く、暇な時間が続きそうですね』
 呟きつつ、その黒で視界を覆ってみた。
 己の温和な声音だけが響き、柔らかな翼の羽がふわりと脚をくすぐる。
 一瞬、優しい天使が見えた気がして……思わず独り、失笑した。



 -了-
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