「っぐ、ぅぅううッ」
ライドウは、機嫌が悪い。
理由は解っている。俺が先刻、天使を殺さなかったから。
「見たら処分しろと云っている」
「だ、って、別に向こうは敵意も無かっただろ!?」
「それは理由にならない」
「ひぐぅ、あ」
両手を、妙な晒で巻かれて、脚は抱え込まれている。
身動きが取れない、雁字搦めにされて、犯される。
「っ、ぐ!グゥウッ!」
「取れぬよ、しっかり呪いを篭めてあるから…重いのをね」
耳元で囁かれ、腰に響く。
その吐息が耳に掛かる、それだけで骨にまで響きそうな。
「君も強情だね…裏切った天使が憎くはないのか?」
「そ、りゃ、腹立たしい、けどっ、ぁ」
「殺しは嫌い?」
「ひ!いた、い、っ…痛い!痛いッ!!」
「僕が再度拾ってやった事に、日々感謝して使役され給えよ?」
「誰がっ!」
キッ、と首だけで振り向いて、奴を睨む。
すると、口元だけでうっそりと微笑むライドウ。
俺の中に、更に突き進んできた。
「は、ぐぅ…っ」
「…あちらの…“雷堂”に使役される方が、良かったかな?」
「ぁ、ぁあっ、んっ、んんッ」
前を弄ぶ指、中を土足で踏み荒らすライドウの熱。
でも、確かにそこに在る、俺を拾った、デビルサマナー…
「らっ、雷堂、さん…が、良いに、決まって、る」
まるで挑発か煽るような、そんな台詞だと理解しつつも。
どうして俺は、この男を怒らせたいのか。
「…そう、か!」
「っは、あ」
「僕では御不満?」
「ぁ、ぁあああぁぁ、っの、鬼、畜…」
ずるずると抜かれては、挿し込まれる雄。
背中に、ひやりと冷たい感触。
十字架の、金属の冷たさ。
雷堂の死体からこの男が取った、遺留品。
俺が、あの時すぐに戻れなかったから、雷堂さんは…明さんは…
「君が殺したも同然だろう?」
抉る言葉。ロザリオを纏ったライドウが云う、断罪。
「雷堂は、誰の為に残ったのだっけ?」
「ぁ、ぁぁ」
「僕が見つけてやらねば、その死骸すら発見出来なかった癖に」
「ぅ、ぅううっあ、ああ」
「ねぇ、雷堂が死んで、寂しい?辛い?」
俺を犯しながら、最近のこいつが発する常套句。
精神から犯される。
「ぁ、たり前、だろっ…!」
云えば、妙な笑みを浮かべて、俺を追い立て始める…
それは、蔑みなのか、怒りなのか。
打ち付けられる感情と肉が、音を立てる。
ぞわぞわと、いけない快楽が、背骨を駆け上がる。
「ねぇ、矢代……」
耳朶を噛んで、そのまま注がれる毒。
「もっと、求めて…」
求めてなんかいない。
生理現象だ、ただの。
「ぁあ、あ、ああっ、よ…」
ただの。
「夜…っ」
背中でロザリオの鎖が、しゃらりと鳴った。
中で脈打つライドウが、全て吐き出して、俺も吐き出す。
最悪な、戯れ。
煙が美味しい。
…と、感じる様になったのは、いつからだったか。
この身体の記憶の所為なのか。
溜まった鬱憤の所為なのか。
すぅ、と紫煙を燻らせて、身体を清めによろよろと浴室に向かった人修羅を想う。
しなやかな、肢体。
汗と、涙と、唾液と、精液で濡れて、どんな淫魔よりも艶かしい。
ずっと夢見ていた、貞淑な彼の、扇情的な姿。
噛み付くような、あの視線の快感も、この身体に生ってから知った。
「ふふ、所詮は同じ胎から出でた者よ…」
灰皿で押し潰し、吸殻を置く。
演じるつもりで吸っていたが、最近はこれの中毒である。
…結局、禁呪を執り行った。
そう、我は、雷堂…“日向 明”…だ。
あのまま朽ちる恐ろしさに負け、夜の身体を奪った愚か者。
己の…明の肉体を捨て、まだ動ける、弟の肉体へと、転移したのだ。
人修羅の金色の眼が、それをするには充分な魔力を宿していた。
なれば、それを右の虚に戻せば良い、と思われるのだろうが…
だが、それは無理な話だ。
制御が利かぬ、己が身に宿すには強大過ぎて…
だから眼帯で封じていたのだ。
宝を隠すのを兼ね、自我を保つ為に。
あの宝を再度宿したとして、精神は崩壊しよう。
「…貴殿は、あんな眼を向けられていたのか…紺野」
呟き、この部屋を見渡す。
夜の芝居をして、夜の荷から出てきた鍵で開けた部屋。
夜の趣向の調度品、夜の趣味の鍔が並ぶチェスト。
夜の使役する仲魔達の管、夜の着てきた黒い衣服。
あの二輪は…人修羅のだろう、以前聞いた、趣味であった、と。
だが、それを此処に置かせていたのは、夜だ。
あれ程までに、なれ合いを疎んでいたのに?
貴殿はそうやって、此処に彼の居場所を創っていたのではないか。
「ふ…ふふ、愚かしい、な、俺は」
寝台から腰を上げ、傍の姿見を見た。
顔に傷は無い。どこから見ても、紺野 夜。
此処に、現実的なものなぞ、無い。
やはり、うつろう虚像まみれだった。
(いいや、逆、か)
我が、此処では虚なのだ。
我だけが、我の魂だけが…贋物。
「ぅ、ぅううっ」
我が雷堂だ、と、名乗り出れば良いのか?
いいや、すればこの肉体を奪った事実を曝す事となる。
それだけは、絶対避けたい。
では、優しくして、人修羅の情を得るか?
いいや、それでは紺野夜ではなくなる。
寧ろ、それが恐ろしい。彼が、この身体に心を開くなぞ。
見たくない。
いいや、それ以前に、今が消える不安が大きくて。
「は、はは、紺野よ……哀しい奴め」
どんなに愛おしくとも、口に出せぬ、動きに出せぬ。
決定的な、一言が紡げぬ。
その言葉を伝えた瞬間、この絆が壊れてしまいそうで。
あの、憎悪に混じる、恍惚の瞳。
利害の一致、という名目の上での、ふしだらな関係。
(紺野、お前は、こんな想いを抱いて、彼を使役していたというのか)
嗚呼、もう、狂ってしまうだろう。
愛しい君を、愛しいとも云えずに…
破壊してしまいそうな程、嬲る日々。
その瞬間、人修羅が見せるのは憎悪と…一縷の、郷愁。
紺野の記憶の水底に見えた、人修羅との出会いが過ぎる。
だが、その記憶は我のものでは無い。
「う、うあああああ、も、う、狂う、狂ってしま、う…」
そう云い続けて、どれ位経った?
今こうしてのた打ち回る、この寝台で、幾度人修羅とまぐわった?
そして君は、抵抗しつつ、諦観するのだ。
この身体で与える傷と快楽に溺れ往くのだ。夜を受け入れて。
「本当は、本当は違うのに、違うのに」
暴言を吐き、嫌悪の態度を示しつつ、君の唇はわなわなと震え開く。
“ よ る ”
紡ぐのは、影の…我の双子の片割れの名。
この身体の、名前。
「……はぁ、っ…ふ、ふふ……夜、夜夜夜…夜だと」
さり気なく、普段にも彼が稀に呼ぶ瞬間。
情事の際、憎々しげに、それでいて甘く求めるその呼び名。
それが我の名で無い事に苛立ちを覚え
それが破壊へと駆り立てる。
愛しい筈の君を、苛む芝居を、この身体で。
(そうだ…この身体は夜なのだから)
酸欠して、机の上に置いた煙草に手を伸ばす。
苦しい時、苛々する時、毒の煙で紛らわす。
嗚呼、だから紺野も常用していたのだろうか?
こんなにも、泣き出したくなるよな立場だ。
(夜の仮面を着ける事なぞ、容易い…)
震える指先で、煙草を挟む。
すると、その先端が赤く点り、手元が照らされた。
傍を見上げれば、扉を開けたばかりの人修羅が片手を翳していた。
先刻酷くした身体は、既に痣も、液の痕も無い。
羽織った薄いシャツの下、斑紋が夜光虫の如く輝いていた。
嗚呼、美しい…
「あんた、最近頻度増えてないか…」
ぽつり、と発される言葉に、哂って返す。
「おや、気遣ってくれるのか?」
「違う…!煙たいんだよ……それだけだ」
「火、有り難う」
そう云えば、ぴくりとして我の眼を見据える人修羅。
その濡れ羽の様な黒髪から滴る水が、床を叩いた。
「…煙草の火であんたに礼云われるなんて、初めてだ」
ふい、と通り過ぎる瞬間、見えたその表情。
ほんの一瞬滲む、歓びの微笑み。
あたたかくなる、君の感情。
…だが、それは夜への感情。
「その火で君が最近燃したモノを思い出すと、気分が良くてね」
嗚呼、我は。
「…何が云いたい」
「クッ…最近燃したろう?火を見るとありありと浮かぶ」
我は、酷い。
「俺はあんな事をしたくて焔を揮ったんじゃない」
「僕の命令には背けぬ癖に」
君の罪悪感を逆撫でする。
「だって!あのままにしたら、本当に朽ちるから…っ」
「まさか雷堂も、愛しい君に燃やされるとは思いもしなかったろうね」
その、快感に、酔っている。
君が“雷堂”を想い、懺悔するその姿が…!
眩暈がする程、気持ちが良い…!
「君はずっと、彼の礎の上に立って生きるのだよ…罪深いね」
窓際に立ち、俯く君の背後に歩み寄る。
窓の外は蒼い、雨粒が乱反射して君の光を拡散させる。
唇に煙草を咥え、両手を己の項に回した。
金具を外し、そのまま前の君の首にしゃらりと掛ける。
黒い突起の上で、その留め金をカチリ、と繋げた。
「これ、やはり君にあげるよ…罪人の首輪だ」
窓に映る君の顔が歪んだ。
「似合っている…とても」
指に戻した煙草から昇る煙が、その濡れた髪の薫りを消してしまいそうで
思わず傍の灰皿で揉消す。
「…呪われてる」
「おや、それはこのロザリオに失礼だよ?功刀君」
いいや、云うとおりだ、異論は無い。鳴海所長の感情すら、今なら解る。
云い得ぬ感情を秘めた、この十字架。
本当の我と、君とを唯一繋ぐ物。
「ねぇ、矢代」
その耳元に囁く。
「“日向 明”の事、好いていた?」
冷たい窓に押し付けられた人修羅の君。
その金色で我を…夜を見て、云う。
「あんたよりは、少なくとも」
「そう」
「俺にはっきりと、云っていたから」
「そう」
「す…好き………と、か、を」
「そんな言葉、上辺だけさ」
火照る身体を、窓の冷たさに吸わせる。
君のMAGを、この夜の唇で吸う。
君の想いを、この芝居で打ち砕く。
(そうだろう?今君をこうしている男が…それを云ったのだぞ?)
天使と同じ、上辺だけ。
君を結局は、汚したい、己の色に、形に。
それをするには、最適な器。
「ふ…ずっと使役されておいで」
このまま、ずるずると、いつか殺し合うのか。
「僕の、悪魔」
云い出せぬ、明かせぬ、回避出来ぬ。
この泥沼からは、もう抜け出せぬ…
(ずっと、その時まで、舞い続けよう)
この夜の舞台で、亡霊の我が舞う夢幻能。
我に舞えぬ筈が無い。
同じ形の弟の真似が、出来ぬ筈無い。
(矢代、君がずっと観客席に居てくれるのなら…)
俺を消してしまおうか。
俺を消してし舞おうか。
ずっと、ずっと。
君の見てきた夜を演ずる。
それだけで、たったそれだけで傍に居れるのなら……!
窓の外、涙の雨で桜が墜ちている。
その景色に、徒を感じながら、散り逝く花に我々を重ねた。
嗚呼
君を、愛している。
殺される、その瞬間まで、ずっと。
その晩で、帝都の桜は全て落ちた。
偽りの太陽(雷堂END)・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
逆転した立場。
身体を奪った罪を隠し続けて舞う、偽りの己。
贖罪の十字架が哀しく光る。
真の苦悩の幕開け…
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