泥眼に遮眼帯(前編)


「何処ですか」
爪先まで、ビリビリと紫電が駆ける。
「雷堂さんは、何処ですか」
以前、眠らされて連れて来られたこの門戸を、歩いて掻い潜る。
放たれた悪魔が、立ちはだかった。
巨大なその影が、俺の身体を暗く遮る。
その、獣型の数体に囲まれた俺に、声が飛んだ。
「我等の十四代目は出ておる…」
「此処には居らぬ!」
「早々に立ち去れい、人修羅よ!!」
その、方々から放たれる怯えた声に
俺はどこかで笑いながら指先をくゆらせた。
地を這って、獣達の脚に紫電が奔り込んだ。
『ギャウ!!』
悪魔というよりは獣のそれを上げ、倒れこむ周囲。
弱く放ったが、旨い事痺れを宿して
その場に縛り付ける事が出来た。
「もう前回の件で此処には懲りたろう…」
「恐ろしや…半人半妖め」
ヤタガラスが鳴き喚く。
俺が一歩踏み出せば、それが一瞬静まる。
「別に暴れまわる気は有りません…雷堂さんが居ないのなら、今此処で確認します」
俺の台詞に、辺りが息を呑むのが分かった。
「あなた方、雷堂さんに何を飲ませていたんですか?」
ポケットから、俺は白い紙を取り出した。
燃やす羽目を逃れた、唯一の一枚だった。
雷堂の放った式としての役割を終えたそれを、指に挟み
天に掲げる。
「それは何なのだ」
「雷堂さんが飲まされていた薬の薬包紙です」
「それがどうした」
「…これに残留していた薬、御法度とされている物では無いのですか?」
そう問うと、彼らは黙りこくった。
それは肯定と認識できる反応だった。
これを確保した日、すれ違ったゴウトに云われたのだ。
『お主、いつから薬なぞに手を出すようになったのだ?』と。
その微少の臭いから分かるのだ、きっとライドウも分かっている。
本当は、あの擬態騒動の際に聞きたかったのだが
ライドウに頼める事も無く
むしろそれどころでは無くなったので、流れていた。
もう、雷堂の事は何がどうあろうと良かった。
その筈なのに…日増しに脳内が不安を燻らせていく。
(あんな事を云ってしまった)
(あの人は、また思い詰めたろうか)
(また、式を飛ばすのだろうか)
(あの告白は、真実だったのだろうか…)
薬を盛られているこちらの十四代目を、想う程
その身を案じている自分が形を露わにする。
「どうして、雷堂さんに麻薬を盛るのですか?」
「それについては、悪い意味でしてはおらん」
「ほんの微量なら、って…?そんなのあなた達の解釈だ」
「それが無ければ、頭も身体もしゃんとせぬ」
「身体が先に駄目になる!」
「その程度には耐えうる器で生まれ育った御人だ、常人よりは永かろうて」
云っている事の滅茶苦茶さが、俺の拳に力を入れさせる。
こんな機関に与する雷堂が…哀れだ。
「もういいです、雷堂さんに直接聞きますから!」
俺はそう叫び、踵を返した。
実際この本部には居ない様子だ。
居れば騒ぎに飛んでくるだろう…
身を退く俺に、周囲の装束は緊張を緩める。
背後に俺を警戒しているのか、悪魔の気配がする。
そのまま放つようなら、俺だって黙ってはいない。
只でさえ、此処には嫌気が差している。
ライドウの所属するヤタガラスより臆病だが
こちらも好きにはなれそうにない…
悪魔の長まで利用したのだ…俺を悪魔たらしめるその手段。
ここまでして抜け出して、手ぶらで帰る気にはなれない。
ライドウに切り刻まれようとも、これは…云いたかった。
あなたは、繰られているのだ、と。
まるで、人形の如く。
それが…あの錯覚を生み出すのだ。
俺に対する情は、閉鎖環境が生み出したすり込み、であって
本来持つべき感覚では無いのだ…と。
そんな感情に駆られながら往く俺に、広間の門がはだかった。
手を伸ばした…その瞬間。
その手を退けて、脚を一歩引いて身構えた。
扉がつう、と音を立てて、衝撃が奔る。
そしてもう一閃、更に一閃…
その扉の向こうから、声がした。
「騒がしいな…その膨大な魔力、何奴だ」
聞きたかった声の筈なのに…寂しい。
「今此の場では我が頭…それ以上騒ぐなら、お相手致そう」
そう続いて、扉にもう一閃。
がたりと音を滑らせ、扉の上が床に落ちる。
柵の様になった扉で隔てるように、対面して立つのは…
「…人修羅…!何、用で…!?」
太刀を構え、管に指を添える葛葉雷堂。
「…お久しぶりです、雷堂さん」
俺は眼を合わさずに、定型分の様に挨拶をした。
彼が、殺意を一瞬にして消すのを肌に感じた。
そんな優しくて良いのだろうか、と…人事ながら心配になる。
「そもそも…何故来れた?」
「蛇の道って奴で…それはそうと、これ…見て頂けますか」
俺は先刻出した薬包紙を、もう一度取り出す。
その、雷堂の感情の塊とも云えるそれを彼に突きつける。
「…その、式が何か」
「式が、では無くて薬包紙として見て下さい」
「どうしたと…」
「これに包まれていた薬、身体に毒なんですよ?」
「…」
わざと、背後に伝わるよう大きな声で云ってやる。
しかし、押し黙る雷堂…
てっきり驚くのかと思ったのに。
それともアマツミカボシが擬態した薬師が、勝手にしたのか?
いや、それならあの装束達の口振りはおかしい。
「雷堂さん…?」
「…知って…いる」
さして表情も変えず…太刀を構えたままそう云い放った。
その答えに、納得いかずに俺は咬み付く。
「どうして黙って呑み続けるんですか!?」
「…それが、我がこの立場を維持するにあたり好都合だからだ」
深くは聞かなかった、聞けなかった。
ありのままを云ったのだろう。
薬で、己を誤魔化して…しかやってこれなかったのだ。
ライドウ程、この人は割り切れていない。
「君はお人好しだ…そんな事を確かめに、来たのか?」
太刀の向こう側に、密やかに笑む口元が見えた。
俺は其処から眼を逸らす。
「ライドウが迷惑かけたので…一応身を案じただけ、です」
「それでも、嬉しい」
「…あなたが望んで口にしているなら、もう止めません」
「ああ、それで良い」
雷堂の、その投げやりにも思える言葉を聞いて
俺は薬包紙を彼に差し出した。
自身の…眼の端が、瞼がひくりと痙攣してる。
「では、お返ししますね。お元気で…」
「君は、我を見ようとしないのだな」
「…」
その指摘通り、俺は見ていない。
その寂しげな眼を見てしまったら、駄目な気がした。
俺だって、本当は…
「この、この雷堂の眼で見つめては、嫌…だろうか」
薬包紙に向かって伸ばされた指が、虚空を彷徨って
其れではなく、俺の手首を掴んだ。
「…これ以上、見つめないで…触らないで下さい」
「矢代…君」
「もう、惑わされたくない」
(惑わしたくない)
眼を背け、ぼそりと呟いた俺の、腕の震えを感じたか
雷堂はその掴んでいた指から力を抜いた。
「この…腕が、この眼が悪いのか」
そう、ひり出す様な…呻きにも似た声が聞こえてきた。
「この、邪視が…君を苛み続けると云うか」
その頬の傷に、綺麗な指先が添う。
緩やかにその指先が眼元を伝って。
「君を苛むなら、君すら視るを赦されぬなら…」
その指が、向かう先を理解したく無くて
俺は脳内で鳴る警鐘を聞きながら立ち竦んだ。

「それならこんな“まな”…“眼”など要らぬ…っ!!」

その指が、吸い込まれていく、眼球を入れる窪みに。
彼の右の眼が、血の涙を流し、溢れさせる。
声にならぬ呻きで、肉感的な湿った音を立てながら
彼は掌にずるりと球状のモノを落とし込んだ。
「十四代目!!乱心召さるな!!」
「取り押さえろ!!」
周囲の喧騒が、まるで無音の様に俺の耳に入っては流れる。
俺は、眼の前で眼を刳り抜き暴れる雷堂を
息を忘れてただ、見つめていた。
眼が、離せなくなった。
逸らす事など、赦される筈も無かった。


白い、包帯が包み込む。
その両の眼を覆い隠す。
両の眼の虚を。

「雷堂さん…俺、居るの分かりますか?」
声を掛け、その手を自ら握り締めた。
すると、彼は口元をやんわりと綻ばす。
まるで幼子の様に。
「居てくれるのか」
「俺が、今はそうしたい…だけです」
あれから取り押さえられた雷堂は、一応治療を受けたが
医務室から出てきた時には、両眼を覆い隠されていた。
ヤタガラスの装束が呟く。
「もう十四代目は勤まらぬだろう」と。
(そんな…)
俺が、彼にその行動をさせた…
その罪の意識が、重すぎて、俺の胸が軋む。
俺が…ただの人なら良かったのか?
純粋な悪魔なら、こじれなかったのか?
ライドウの仲魔でなければ…良かったのか?
「矢代君、君が落ち込む事は無い」
指からも伝わったのだろうか、俺の心根が。
「でも、雷堂さんは光を失った…」
「これで良い」
「良くなんか…有りませんっ」
その手に力を込めて握り締めた。
「あなたの人生を…滅茶苦茶にした」
「我が望んで勝手にした…勝手に逃げただけだ」
「俺みたいな、中途半端な存在が…災いを招いたんだ」
此処のヤタガラスの、業斗の云う通りかもしれない。
ヤタガラスも、流石に俺を引き剥がす事は出来ず…
こうして俺は雷堂の傍に無理矢理居る。
「君に逢わなければ…己の心を見ようともしなかったろう」
「でも、俺はあなたと…あまりに親密には…っ」
「いい、いいのだ矢代君…君がこうして傍に居るだけで…」
寝台から上半身を起こした雷堂の指が、俺の腕を伝い
そのまま首を、頬を撫ぜる。
「君の形が傍に在れば、もうそれで構わぬ」
その言葉に、俺の眼の奥が熱くなる。
ライドウとは違う形の、酷い執着かもしれなかった。
でも、俺も心に在るのは…妙な歓びだった。
光を棄てて、その立場を棄てて、無責任なまでに…
あまりに破滅的で、刹那の行動に
俺の心が、雷堂を強く、感じようとする。
「雷堂さん…こっちの帝都は、どうするんですか」
「…他の葛葉に迷惑をかけるが、いずれ継がれるだろう」
「あなたは十四代目ですよね?」
「…今はもう、ただの日向明だ」
そう、真実の名を口にした雷堂は
俺の頬を両手で包み込んだ。
「この右眼の虚を君は可笑しいと思うか?」
「いい…え」
「では左の傷ませ視えぬ眼も、愚かと哂うか?」
「いいえ」
「もう君を視て、傷付ける事が無いなら…本望だ」
「雷堂…さんっ」
その呟きに、俺は包んできていた両腕を剥がし
その肩を抱きしめた。
俺よりいくらか肩幅の有る、筋肉の引き締まったそれを
もう太刀すら振るう事も無いかと思うと、辛いそれを
抱きしめて、俺は泣いていた。
可笑しいのは、俺だ。
自分から引き離しておいて、その彼の異常な行為が
酷く…
「ごめん…ごめんなさ…ぃ…雷堂さん…」
酷く、求められている様で、嬉しく感じてしまう。
だというのに、彼の真に望む関係を取らない俺は
卑怯なのだろうか…
「矢代君…君が赦す限りで良い…我の傍に、どうか…」
うっそりと耳元で囁いてくる、雷堂の声。
俺には、その隠された両眼が微笑んでいる様に見える。
「もう、暫く居ますから…」
雷堂には、視えていないのだから。
そう自分に言い聞かせ、言い訳を作る。
そんな気も無いのに、少しでも彼の微笑を感じたくて。
必要とされたくて。
「あ…の、少し、失礼します」
包帯から覗く、引き結ばれたその唇を
自分の薄いそれと重ねた。
自らした事実に、血が沸騰しそうな感覚だった。
マガツヒだとか、マグネタイトを交わさぬその接吻が
俺には酷く新鮮で、毒だ。
やがてそっと離れると、雷堂が云う。
「そうやって情けをくれる君が、好きなのだ」
「情け…とかでは無いんですけど」
「優しいな、君は…優しい人だ」
“人”を誇張する雷堂の方が、俺に対して気遣っている。
「だがな…いくら視えぬとて、我を歓ばす事は避けるべきだ」
そう云いながら、雷堂の指が俺の耳元に掛けられる。
そわり、と耳朶に触れた指先がくすぐったくて背がしなる。
「視えぬを言い訳に、君に触れて視たいと云うやも知れぬ」
「…業斗さんは…あなたがこう成った事、知ってるんですか?」
「恐らくは…」
「それなら…業斗さんに俺が追い出されないうちに…どうぞ」
其れが何を意味するのか、何処までを赦してなのか
明言せずに俺は、あまりに考え無しに委ねた。
全く…何がどうぞ、なんだ。
俺は、誰の仲魔…なんだ?俺は人か?悪魔か?
「どうも眼が視得ぬ…方が、君を近くに感ずるな」
なんなんだ、流されているのは俺じゃないのか。
同情なのか、欲求なのか。
(ああ、もう)
壊れてしまう。護っていた感情が。
純粋に…ただの、友人で居たかった。
そんな俺の心を裏切って、今のこの瞬間の俺が許可を出す。
俺と引き替えの、彼の眼に視られている様で…
その眼が俺を丸裸にするのだ…
「眼を穿った次の瞬間には、こうして君を喰らおうとしている」
寝台に引き込まれ、俺は手を着いた。
白い襦袢の雷堂が、暗い部屋に浮かび上がる様に視える。
「我は、本当に薬が無ければ…此処まで来れなかったろう」
「そんな…辛い環境の、所為…でしょうっ」
会話を、普通に交わしても、その指は肌を這う。
「殺す度、おかしくなりそうだった…いずれ、慣れた…」
「まだ、辛そう…です、けど…っ」
そう云う俺の方が、余裕など在りはしない。
いざ、受け入れるのだと思うと、身体を嫌な汗が伝う。
自ら…なんて、ありえないと思っていた。
雷堂の指が、そんな俺の背骨を確かめる様に降りていく。
「ぅ…」
「すまぬ、指でしか場所も分からぬのでな…」
「や、っぱり…案外、意地悪です、ね」
「ふ…我ながら、ずるいとは思う」
そんな言葉も、嫌味は感じない。
呵責が滲んでいる、背徳感からだろうか?
自嘲気味な雷堂の言葉が、俺の感情を揺らす。
「俺…雷堂さんに、こんな姿見せたく無かった」
「視えぬから…と云ってしまえば御都合主義か?」
「…いえ、不謹慎ですけど…助かりました」
「こうして、君を呑めるなど…思いもしなかった」
我も不貞だ、と哂う口調のまま、雷堂が胸を弄る。
しこるそれに、指先で柔らかい刺激がもたらされる。
「あ、の…雷堂さん…そこばかり、やめ…」
「胸の位置が分かれば、身体全体が視えるのでな」
「…っ…は…」
見えないのが却って悪いのか、やけに恥じらいの無い動き。
寝台の上で足掻けば、かき抱かれて耳を探られる。
首筋に頭を埋めて、舌でその鎖骨から耳を辿る。
場所を探るため、だと、思う。
「ひ…っ!」
「あたたかい…」
「あ、喋らない、で下さい!」
喋る吐息が、舌の動きが耳に触れ、俺の肌が栗立つ。
「今度は、君の本当の肌…」
その再確認の様な雷堂の口ぶりが、先日の出来事を思わせる。
「あいつみたいに、煽ったり出来ませんけど」
「いや…それが君本来の性質だったと、今なら思う」
唇を割って、指が入り込む。
それが舌の位置を探し、挟む。
「あふ…っ!」
それに呼吸を乱され、口の端に唾液が伝う。
すると頤を引寄せられ、その垂れた箇所をべろりと舌がなぞった。
「っふ…ぅっ」
「君の…一片も逃したくない」
「う、うぐっ」
「煌いているであろう涙も、髪を濡らす汗の雫も…」
指が奥に押し込まれ、その刺激に背がえびぞりにくねる。
「流れる血潮も、溜まる精も、髪の一本も」
「んぐ、んんっ!!」
「本当は…所有したいのが、真実…なのだ」
「ひぐっ!!っはあ、が…げぇっ…!げほっげほっ!!」
ようやく指が引き抜かれ、俺は一気に浸入してくる酸素で
酷く咽かえった。
そんな状態の俺に、薄く微笑む雷堂が頬を挟んでくる。
真白な包帯が、咽て喘ぐ俺を見つめる。
そして、俺の口に齧り付いて来た。
「!!」
息が、零れる事すら無く吸われていく。
呑まれていく、全て雷堂に。
痙攣する指先が、身体の異常を訴える。
半分人で在るが為か、酸欠という事態に陥る人修羅の俺…
(こわ、される)
優しい指で、優しい口調で、優しい微笑みで…
俺を壊す。
雷堂は、壊れている。
あんな柔らかな空気を纏った…手負いの人間が。
微笑みながら…
「っは!!…っ…はあ…っ!」
「……君の、吸うものが二酸化炭素なら、我がずっと…注ぎ続けてやれるのに…」
「…っ…雷…堂…さ、ん」
(壊れている…壊れている…!)
解放しても尚、微笑む雷堂。
青白い俺など…視えぬ彼には…分からないだろう。
恐い、でもその寂しげな微笑みに犯される。
「押し殺してきた…薬で、道術で、君への…罪の意識で」
「は…ぁっ…もう、病気、です」
「ふふ…やも知れぬ」
「正気とは、思え…ない」
「矢代君…嫌なら、此の場で我を討つが良い…簡単だろう?」
「俺に…人殺し、させる気ですかっ…」
「世の役に立たぬ、いかれた病人を始末したと吐けば良い」
「帝都…護ってたじゃない、ですか」
「それ以外の生き方を知らぬ我は、もう赤子同然だ」
(ああ…そう、だ、そうだよ俺が…)
俺が追い詰めたのだ…そうして抉られた眼。
(俺が、この人を…病ませたんだ…)
じわじわと…脳内が罪悪感に埋め尽くされていく。
「そちらのライドウの仲魔である君が…こんなにも愛おしいのは、 人のもの、だからだろうか?」
「ライドウ、は…っ」
「君は、きっと彼と離れる事は出来ぬ…だろうな」
「ど、どうして…」
「眼を使わぬ今なら…より、分かる…君の魂が縛られている事…が」
(俺が、ライドウに…?)
その、雷堂の台詞が、不安を掻き立てる。
ライドウの…事も、そう見えるらしい俺の事、も。
「だからもう諦めて、ずっと君を見守っていけたらと、思った」
「友…として、ですか?それとも…」
「…分からぬ、我は…君を友だとか、その様な範疇で捉えておらぬ」
雷堂の身体が、俺に圧し掛かる。
びくりと見上げれば、読めない表情。
「君は…功刀矢代という、ひとつの生き物だから…それで、もう、良いのだ…もう」
「ら、雷堂さんっ」
スラックスの上から、やんわりと揉んでくる。
その行為に羞恥を覚え、思わず制止する。
「嫌なら、勿論止めよう」
「…あっ」
「我とて、君の身体を無理矢理懐柔したいとは思わぬ…」
こんなにしておいて?
恐怖に意識を支配されても、身体が反応しているのは…
俺も、雷堂に呼応しているから…?
「ま、待って下さい…雷堂さん、俺だって、その…」
「何だ?」
「お、男だったら、分かりません?一応半分悪魔でも同じと思うんですけど…」
ああ、云うのすら恥だ。
こんな熱、何故溜まるのだろう。
人修羅の身体というのは…要らぬ機能が残っている。
いや、全て除かれては…それこそ悪魔なのだと解っているが。
そもそも…熱が治まるまで、待てば良いではないか。
何を…雷堂さんに伝えているんだ、俺は。
何を与えて欲しいんだ。
「サマナーでも同じか?」
「えっ…」
「デビルサマナーでも、解る感覚か?それは」
「同じ生態なら、あ、あと不感症とかじゃなければ…」
「……ふっ、まともに答える奴があるか」
見下ろしてくる雷堂が、突如声を洩らして笑う。
覗いているのが口元だけなのが、嫌に色を醸し出す。
「君は本当に…交渉術が下手そうだ、素直過ぎる…」
「失礼ですね」
「交渉で仲魔にした事が在るのか?」
そう問われ、思わず黙った。
確かに、記憶にあまり無い…皆、向こうから来るか合体だ。
「まさか、本当に無いのか」
驚きの声を上げた雷堂に、俺の情けない赤面は見えずに済んだ。
「別に…もう必要無いですから、悪魔…好きになれないですし」
「悪魔が嫌いか?」
「雷堂さんだって、見た目には天使が多いじゃないですか」
「…見目は、な…だが、それに騙される様ならやはり君は…」
その、唇が綺麗にしなる。
「使役され続ける側…なのだろう」
スラックスに、指が入る。
その冷たい指先に、腰骨が躍る。
「雷堂さん、でも俺は」
「解っている、我の悪魔では無い…だが…こうしている」
指が、俺の局部をかすめる。
それに、まるで弱点を突かれた時の様な衝撃が身体を巡る。
「契約が無くとも…交わすのは、サマナーとして教わっておらぬ」
「俺だって、同性とするなんて考えた事も無かったですよ」
「こんなに内が燃える様な、それでいて冷える様な感覚を…ついぞ味わった事は無かった」
「悪魔を駆る時も、ですか?」
「…彼等は、我の良き戦友だ。君は…違う」
握りこまれると、俺の呼吸がそれを空気に吐いて表現する。
浅く、息がリズムを取る。
上下に滑る指が、背徳を、それによる甘美な痛みを作る。
「俺は…っ…ただ、あ…っ…友達に…」
「主人と同じ力量のサマナーを欲していたのでは?」
「違い、ます!違う…違う…っ」
「では傷を舐めあう為か?普通から外れた者同士」
「あ、指…!あ、あっ」
「我は、そのどちらでも構わぬ…アカラナ回廊で初めて見た時の…君の眼が、忘れられぬ。その時から既に…囚われたのだろう」
脳に駆け巡る、過去の記憶。
ああ、あの時俺は…確かライドウを追っていて
腹立たしいムカつくあいつに、一発くれてやりたくて。
階段を上がった先に、同じ形のサマナーが居た。
ライドウと、同じ形なのに…優しく佇むこの人を。
俺を人と変わらぬと云う、この人を。
「強い君なのに、我の指で何故啼く?」
「俺が力を揮うのは…っ、俺を害する相手にだけ、です」
「では、君の主人は?」
「…っあ、痛!いた、い…!」
「君の主人は君に害以外に、何をくれるのだ?愛…か?」
口調は、何処までも優しい。穏やかな海の様に。
でも、その底にはマグマが噴出しているのを知っている。
「はあ…っ、ライドウ…は…ライドウは…っ」

ライドウは、暗闇に跳び込んでくれた。
互いの目的の為とは云え…修羅の道を。
互いに敷いた茨の道を、背徳の道を。
それに哂いながら、脚を乗せたのだ。
ループする俺に手を差し伸べて…云った…
こっちへおいで…と。

「ライドウは、殺したいくらいに…特別…です」
俺は、何を云っている。
特別?どういう意味?大事?憎い?
「愛をくれぬのに?」
「は、ああっ」
脳天に震えが奔る、もうそろそろ…
「痛みを、束縛を与えられてもか?」
「俺も、あいつも、答えを必要としないから…っ!」
「そう…か」
「あっ、ひ…あ、ああ…指、外して…!汚れる!汚れるっ」
ああ、達する、感極まる。
もう、どちらの十四代目に支配されているのか解らなかった。
ライドウは、俺に刃で刻み付けて。
雷堂は、言葉と指で刻みつける。
それに、差が…在ったのだろうか?もしかしたら…無い。
「っう…うう…」
俺の吐いた熱を指に絡ませた雷堂が、それを口に運ぶ。
なんの躊躇も無く。舐めあげたその姿に戦慄する。
「此処までで、良い…これ以上は…君が干からびる」
「そんな…に、熱持っているなら、尚更良いんですか?」
「良い…此れで、胎は膨れる」
俺のを、舌でべろりと啜る姿に鳥肌が立つ。
乱れた襦袢に、少しかかったそれを味わっては微笑む。
「餓鬼の如く、空かしているのだ…我は浅ましくな」
「やめて下さい、それ、汚い」
「美味しい」
「比喩にしたって無理がある」
「君の声と身体が在れば、何も摂らずとも三日三晩過ごせる」
「だから…っ、病気、です…」
「なら君が介護でもしてくれるのか?矢代…」
濡れた唇が、俺の名前を紡いだ。
俺は、放心してそれを見つめている。
「君が、俺の眼になってくれるのか?」
口調に、欲と根底にある真意が織り交ざった気がする。
ゆるりと抱きしめられて、耳元で続けられる。
「帝都を護るより…君との接点を保持したい、我は既に用済みだ」
かすれる声は、まるで自身にも云い聞かせているかの様。
「なら、うち棄てられる前に…夢でも見てみたいとは、共感してくれぬか?」
「夢…」
「君と我しか居ぬ、箱庭でずっと…繰り返す夢、何も考えず、他を忘れて…君が我の眼で、君の身体は我が息させる」
(病気…)
俺が生きている限り、治らないのだろうか…
こんなにも、恐い人だったろうか。
「雷堂さん、もう少し時間を、置きましょう…」
「…可笑しいだろう?我とて異常な事くらい気付いている、しかしな…更に可笑しい事に、気付いたからこそしたのだ」
寝そべる俺の身体を、指で確認する雷堂。
「君がサマナーで、我を使役し殺してくれても良いのだがな」
「雷堂さんは悪魔じゃないから、無理です」
「知っている…病人の戯言だ、忘れて欲しい」
その指が、俺の眼の上で止まった。
少し震えて、指は握り拳に変わる。
「帰りたくなったら、いつでも帰るといい」
その、与えられた権限が、自由が
俺の脚を雁字搦めにしている事を
この人は解っているのだろうか…

俺が…壊した、十四代目葛葉雷堂。


泥眼に遮眼帯(前編)・了



↓↓↓あとがき↓↓↓
雷堂、壊れました。
でも自我を保っている…
まだ後半もありますので、どうぞ夢の世界へ。


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