薄暗い、紅の光が舞い上がる…ふわりふわりと、逆流して。
その山の頂に、うずくまる生き物が見える。
ちらりと覗いたそれは、金色の相貌。
「…夜」
呟かれるその名前、だが、構わず突き進む。
「どうしていつも、俺を拾うんだ」
泥の山を登る。掴んだ壁面が掌でぐずる、まるで人形の様な。
「こんな夢ばかり見て、俺の方がいかれてるのか――」
間近に迫れば、そこまで述べた君の台詞を途絶えさせる。
唇が、戦慄いて…夜という単語を…掻き消す。
「あ…明…さん」
嗚呼、矢張り間違い無かった。
魂は我なのだ…心の中では、我は我の形をしているのだ。
此処では、君の中では、葛葉雷堂…日向明で居られるのだ…!
「矢代、君…」
「あ、あ…ははっ、俺、なんて夢……見てんだ」
嬉しそうで、それでいて泣きそうな、困った様な表情。
ああ、それは…幼い頃の我にも似て。
「矢代君、我は君を恨んでなぞおらぬ」
抱き寄せて、その体を、感じる。
「憎んでなぞおらぬ、我は、我はもうずっと君を」
嗚呼、心で繋ぐ所為か、錯覚なのか。
とても…あたたかい。
「俺、酷い…ですね、貴方に夢でだけでも赦されたいんだ、謝らせてるなんて」
「違う!」
叫んで、そこで気付く。胸元に何かの硬質な感触。
そっと人修羅の肩を離せば、先刻は無かった筈の十字架が彼から下がっていた。
「ライドウにも云われました、罪人だって」
それを口にしたのは、本当は…
「これ、御免なさい…ライドウが、明さんの身体から…外して、俺、に」
「いいや、いいや…構わぬ、寧ろ…ずっと」
ずっと、囚われ続けてくれ。
「君を今拾い上げるのは、この日向明だ」
強く、今度はもっと強く抱き締める。
「怖い夢でも見ていたのか、矢代君…なあ、我が来たからには、もう大丈夫だ」
仮面を脱ぎ捨て、今ようやく…息が。
その項の角をゆるりと撫ぜ上げ、山を下る。
ずるずると滑る足場を、一息に飛び降りれば、輝く太陽…いいや、月?
強い光に身体が蒸発してしまいそうな、そんな畏れさえ感じる。
「カグツチ…」
腕の中、震える君が呟く。
「俺を…俺を悪魔に、する…っ」
「矢代君」
「はぁっ、はぁっ、あ、あああアレの、アレの光が!怖い!怖いッ」
真上から照りつけるかの如きそれからは、逃げようも無い…
外套で包もうにも、その光は遮断出来ぬ。
「嫌だああああああッ!俺を!俺を曝すなぁあッ!!」
「落ち着け!君はそれ以上悪魔に成らぬ!しっかり気を持て!」
半狂乱の君は、その光に照らし出され、斑紋が黒く蠢く。
明るくなった周囲を取り囲むのは、先刻の泥山。
『殺した』
『ぼくたちを』
『悪魔』
『人間以外なら簡単に殺す癖に』
ばくばくと口を開くは泥の人形…これは人間か?悪魔か?
そして…君は、糾弾されているというのか?
「違うぅ!違う!!俺は…俺はッ」
頭を掻き毟り、びきびきと血管の浮き出た手の隙間から金色が濡れる。
「俺は殺したく無かったんだあぁっ」
重なる、声。
我の叫びを、君は聞いていなかった筈なのに…全く同じく、その言の葉を吐いた。
君の心の中の、それが、我等を惹き合わせてたのだろうか。
嗚呼、人修羅…矢代君、君は…君は!

「矢代」

周囲の、泥が爆ぜる。
その、冷たい氷の様な声音が、我と人修羅を制止する。
ずるずると、照らされていた周囲が、暗くなる。
「おいで…」
血濡れの暗幕を、するすると引いて往く影が哂う。
それに隠され、カグツチという光は鎖された。君を嗤う者達が消えた。
「は…ぁ…はぁ…っ…よ……」
君の心に…
「夜っ」
“夜”が訪れた。
ただ、不敵に微笑んで…我など見えていないのか、いやそれはその筈。
此処は、人修羅の心の中なのだから…あれは、夜の魂では無い。
「ねえ、おいでよ早く…其処は明るいだろう?疲れてしまうよ…?」
その誘いに、我の腕からするりと抜け往く君。
「暗闇に乗じれば、石も投げられない…醜い己を見られる事も無い…」
「はぁっはぁっ」
「でも僕が君を見つける事は容易い…」
「はや、く、掬い上げてくれ」
「その金色を僕によくお見せ…僕の…」

「矢代ッ!!」

先刻と逆転。我は、人修羅の腕に…縋りついた。
「行くでない…行くで無い!!」
戸惑い、振り返る君。その金色を、内包した我を…どうか、どうか!
「棄てない…で…くれ…後生だから……」
もう、嫌だ。棄てないで、俺を。心の中でまで。
「あ、あ…っ、ああ」
「俺は、君の事をずっと…っ…この先だって!」
どろり、と、闇すら融け往く。君の心を掻き乱すと解っていたのに、叫んだ。
「どうか今だけでも!君を呉れ…」
朽ちる闇の向こうで、夜が煙草を咥えて哂う。
きっと、人修羅が…君がよく見ていた、彼の姿なのだろう。
それが映写機の映し出すものの様に…煙草の紫煙と共に消えた。
引かれた暗幕が、するりするりと開き往く…
「明…さん…」
開いた先に現れしは…いつか、君と観た舞台。
あの時の状態が、そのままに。

「棄てれる筈…無い…だって、俺も、もう棄てられるのは…嫌だから」

泣きそうに笑う。どうしても、それは変え難いのだろう。
同じ生き物だから、解る。君と同じだから。
「明さんの好きに舞って下さい」
嗚呼、その声が、この名を紡ぐだけで、既に心は舞っている。
夜と現で共に在ると思って…これを赦すのだろうか、君よ。
だが、現の夜は…仮面をした我なのだ。
そう、これがたとえ情けだろうと…この瞬間、君が我を見ている事が至上の…
「舞いたい、君の…君の上で、下で、中で」
持たされた扇、ああ、この色模様…君の手で舞ったそれが記憶に強いのか
黒と露草色の扇。嗚呼、欲しい、こんな扇。
「俺…こんな、厭らしい奴だったのか…こんな夢」
用意された舞台の上、視線を逸らして吐く君を、艶やかな床に横たえる。
「厭らしくなぞ…」
「明晰夢…でしたっけ?でも、目覚めたら半分は忘れてるんだ、きっと」
何時の間に、互いに着物を纏っている?君の心が連想したからか。
「だって、こんなの…都合悪いから、きっと忘れる」
深い藍色の着物…嗚呼、あの時の願望が、今なら果たせる。
その衿を、朝を待たずして花を開かせる。中に蜜が在ると知って。
「ど、どうせ…夢、だから」
「だから赦されるのか、我は」
「…どう、解釈しても良いです…ん…っ」
鎖骨の窪み…薄く浮き出る血管…舌を這わせ、吸い上げる。
嗚呼…不思議だ、ありありと感じる、微かなぬくもり、MAGの味。
「せ、性急、です、っ」
「夢が覚める前に、沢山味わいたいのは下品か?」
「あ――ひっ、どうし、て」
心が…夢が、身体に影響を及ぼす事は、そう珍しくもない…が。
きっと君が思っていたより、強く出たのだろう、その…戸惑った顔。
胸の先端を、声がかすれるまで舐めしゃぶってみようかと、しつこく愛する。
「い…ッ」
少し噛むと、舌上にころりと転がり込んできそうな錯覚。
赤い果実…と思ったのだが、それは我がこの舌で熟させたからであって…
「意地、悪…っ」
その浅い吐息と共に吐き出された声が、鼓動を早く打つ。
脳内では、既に舞囃子が鳴り響いている。
人修羅の、腰の帯を、するすると…整った縫い目を解く様な気持ちが爽快で。
綺麗な、綺麗な君の肌が露になれば、君の羞恥もみるみる露になって。
黒いその斑紋に指を走らせてみた。身を捩る人修羅が我を見る。それに微笑んで返す。
「綺麗だ…衣装をその肌に、既に纏っているのだな、君は」
「だったら、俺が人間の時はどうなんですか」
「それも飾らなくて、綺麗だ」
「…おっ…かしいだろこの夢、もう、無茶苦茶、だ」
頬を染めた君が、愛おしい。
「可笑しい事は無い、君にずっと…こうしたかった、ついぞ叶わなかったから」
己の着物を剥ぐ、君の抱いたイメェジを、はだける。
「矢代君…なあ、如何して、君に惹かれたのか、解った気がする」
「…え……っわ!」
「ふふ、だが、この欲はそれと違う」
両脇から差し入れた腕、そのまま君を抱き締め、ごろりと床に反転す。
我を下にして、君を、子供に高い高いするかの様に、持ち上げた。
その彼の脚に絡み付いている着物ごと、下肢をぐ、と己の脚で支える。
「ちょ、っと」
慌てる君を、ぐるりと手脚で旋回させ、とさりと我の体に落とす。
男にしては細い両脚を掴み、ぐい、と寄せた。
「何してんですか!」
「ああ、君はしっかり夢の中でもこの下着を穿いているのだな」
「なっ、な…あ、ああっ」
その脹らみに、感情を膨らませて、舌を…着物の隙間から。
じっとりと、噛まずに、舐める。
「ん、ん、んんんっ、あ」
断続的に零れる囀りが、もっと聞きたくなる。
その、薄い絽の着物を思わせる下着の中で、君が育つのがたまらない。
「ぅ、は……っ」
「辛い、か」
「ぁ、明さん、こそ……さっきから、邪魔なくらい、当たって、ます…けど」
「態とだとしたら怒るか?」
「…いえ、半分くらい…確信的だと思ってたから…って、どういうこれ、本当」
「で、君は如何してくれるのだ?どうせ夢、なのだろう…?」
自覚は、有る。我は…意地が悪い。
「…良い、ですよ、どうせ…夢ですから」
硬質だが、骨っぽくもない手が、脚に触れる。
しゅる、と、褌がただの布一枚になる…浮付いた感覚。
人修羅の心の中なのに、外気に触れる其処がひくりとする様な。
と、突然、我の下肢から響いた、冷たい声が背筋を這い上がる。
「歯…折りますか」
思わず、顔を離し叫んだ。
「そのままで良い!」
「無い方が…気持ち良いんでしょう…ねえ、明さん」
「君そのままの形で、頼む…歯を立てられようが、君になら噛み千切られても本望だ」
云い切れば、ため息と同時に少し失笑した君。
「そう、か…どうせ夢だから、大丈夫…ですよね」
食まれる。嗚呼、その瞬間の筆舌し難い幸福よ。
その唇がそもそも小さいのだ、自然としごかれるこの下肢の雄。
「…ん、ぁむ…ふ…ふぅ…んっ」
ああ、その唇と鼻先から僅かに吹きぬける淫靡な声。
しとどに零れる唾液が、股座を伝う感覚まで、鮮明に。
「っあ、ああ、矢代……は、はは…っ」
頭の中で辻褄が咬み合わぬ、もう、混乱しそうなまでに嬉しくて、感極まって。
それがもたらす怒張が君を苛めるのを、知って尚憚る、君の口を頂く。
「ん、んぶぉっ、おぐ、っ」
君のもしっかり、今度は布越しではなく、引きずり出して、この舌に、直に。
すれば君のくぐもった声が、一段高くなる。
互いに吸い、舐めしゃぶるは低俗か?いいや、こんなに嬉しい事は無い。
「ん、はっ……はぁ…はぁ…や、矢代、君…」
夢が覚める前に、そう、しておかねばならぬ事が。
じゅぷ、と君の整った器官を抜き取り、君の頭をそうっと引っ張る。
「はぶっ…っ、ふぁ、はぁ、っ……な何、です」
「なあ…我は…サマナーの契約と、関係無く…」
下肢から君を抱き寄せて、その耳元で、告白する。
「繋がりたい…君と」
君が、いよいよ視線を泳がせる。
「やっぱり…おかしい、です…その感情」
「知っている、もう病んでいる事なぞ…」
「こんな夢見る俺こそ、酷い」
君はそうやって自身を嗤うが、それは違うのだ。我が勝手に君の心に介入しているだけで。
「明さん…天使達に囲まれて、真面目な顔して……悪魔と交わりたいなんて」
「君は悪魔でも人間でもない、功刀矢代という…我にとっては唯一無二の生き物だ」
「俺、自惚れてたんですね…よく解りました」
諦観か、情けか…
「明さんの気持ちを、ここまで推測しておきながら…天界に置き去りにしたんだ…」
小さく笑って、その薄く申し訳程度に着いた筋肉をひっそり躍動させた。
「俺の罪が、それで拭えるのなら…」
「…今度は、今度こそは、君なのだな」
濡れた己のソレを…君の…中に…
夜しか踏み入れた事の無い、領域に。嗚呼、焦がれた君の肉を。
たとえ、これが精神のみだとしても、構わない。

「ぁ……ぁあ!あっ、ああ!!」

悲鳴を上げる君の、そのすべて、愛…している。
君にだけ、はっきりと云える。この言葉を罪だと思っていたのに、昔からずっと。
何処に居ても、存在していても、違和感を感じていたのに。
「矢代っ、な、まえ、を…我の…!俺の名を!」
君の心だけでも、欲しい、喰らってしまいたい。
「いっ、いぎぃぃいいぃっ」
舞い踊る君を、放さない。
「俺が誰なのか!答えてくれ…っ」
「あーッぁあぁっあ、ああ明!明ぃッ」
居場所は…此処だけ。君の…中だけ。
「はぁ…っき、気持ち、良ぃ…っ、君の、中」
この快感は、俺の居場所、だから…だろうか。それとも肉壁の…?
ともあれ、君と繋がったというこの、この事実だけが。
「ずっと、ずっと一緒だ、なあ、矢代!なあ!ずっと傍に居る!居るから!!」
純粋に愛を詠えど、吐き出したい欲望が先走る。
「あ、き…さ、おれ、っ、あ―――」
「俺を記憶から消さないでくれ!矢代―――

…――っ」
ぐちゅ。
生温い、感触。
「はっ…はっ……」
荒い息の己と、煩い鼓動。
「…ぅ…ぅゥぅううッ、あ、ああァぁ」
奇声を発する己の喉笛を斬り裂きたくなった。
腰を打ちつけるは…眠るままの人修羅。
眉を顰め、時折呻いて…しかし、強制催眠にて目覚めない。
震えながら抜き取れば、ぐぷり、と白い粘液が、君の下肢を伝った。
「や、矢代…ぁ、ああ、すまぬ…すまぬ…っ」
乱れた着物、剥いだ下着、艶やかな御髪は寝台に擦りつけられ…
涙の痕が…痛々しい。
『心の中では足りなかったのかしら?ふふっ』
寝台の傍、リリスがうっそり微笑んだ。
『まさか、こっちの生身の方まで動くとはね…激しかったわよ?』
「…見た、のか」
『心はさっぱりよ、見ようが無いもの。でもこっちは流石に…丸見え、くす』
おぞましい、浅ましい。
『催眠した悪魔を犯すなんて…イカレてるのね…』
もう、二度とこの悪魔は召喚しない。
瞬間、リリスを管へと戻し、その管を握り締め机へ向かう。
おぼつかぬ手で引き出しを開け、突っ込んで即座に閉じた。
「はぁ、はぁ、はぁ、あ、ああ」
小さく振り返れば、汚された愛しい君が、寝台の上…ぐったりとしている。
(繋がった、幸福…だと?)
愚かしい、あまりに…我は滑稽だろう。
現の世にて、君の内腑を抉ったのは…
結局、この肉では無いか。
「夜…俺を、俺を何処まで赦さぬのだ」
君から滴り落ちるあの白も、この身体の…
嗚呼、我の踏み入れる場所は、何処にも…何処にも…




「御加減は如何です?」
「あらまあ!あけましておめでとう葛葉君!」
会釈すると、嬉しそうに微笑む貴女。どうやら姑獲鳥に生らずに済んだ様で、良かった。
「功刀君は今日は来ないの?」
「まだ寝てますので」
「あらあら、お寝坊さんなのねえ」
花喰鳥の柄が、その口元で揺れる。矢張り変わらない、俺が居ないだけで、皆普通だ。
「納屋も確認が済みましたので、これは餞別に御座います」
差し出したそれの包の中をチラ、と覗き見る貴女が、眼を輝かせた。
「まあ、あわゆきじゃないの…驚いたわ、私好きなのよこれ」
知っていた。自分も好きだから、俺に食べさせてくれていたのですね。
「有難うね、本当に…」
「では、一座の繁栄を願っております、心から」
「あ、あのね、お腹の子…」

“明にするの、名前”

銀楼閣、注連縄すら飾らぬその扉。
開け放ち、上れば…事務所から団欒の声。
此方の世界の鳴海所長。
此方の世界のタヱさん。
此方の世界の童子。
「あ、俺、ちょっと抜けます。用意は出来てますから、御節は勝手につまんで下さい」
「え〜ちょっと矢代君!新年麻雀やんないの?」
「そーよ!大丈夫!葵鳥さん弱いから!」
『…人修羅の方が弱いと思うぞ…』
がやがやと、その席を抜ける…独りの、生き物。
がちゃり、と事務所の扉が開く…我を見る、相貌。
人間の君は、夕刻の霧の色をしている。そのまなこ。
「…何」
気配を感じて、出てきた癖に。
君も、ああいった空間に溶け込めない癖に。
「あけましておめでとう、功刀君」
「…行ってきたのか、能樂堂」
「ああ、新年の挨拶と手土産を持ってね」
「手土産?」
敢えて答えず、しかし傍に寄って往き、訝しげな君に持ちかける。
「そしたらね、今泊まっているという小さい子役者から、手土産を逆に頂いてしまったよ」
す、と差し出すは、綺麗な飾りの羽子板。
「ねえ、屋上で勝負しようか、功刀君」
「…あのな、俺等、何歳だと思ってんだあんた」
呆れた、と突き放す声音。
「それにな、俺は今朝から具合が…目覚めたら妙に身体がだるくって」
「ほら、云う事が聞けぬのかい」
その頤を羽子板でくい、と持ち上げてやる。睨む君を、いつもの様に…
「賭けようか」
「…何をだよ、俺の持ち物なんか無い…賭けるモノは」
「初夢、教えてよ」
人修羅の唇が…止まる。逆に、我の唇が、吊り上がる。
夜の仮面なのか、これは本来の意思なのか。

「…ただ打ち合えば良いのか、これ」
花鳥の飾りも煌びやかなそれを、ひっくり返したりしつつ眺める人修羅。
我も、本当に幼い頃しか遊ばなかったので、やや不鮮明だ。
「少し決め事を変えるよ」
「何だよ…」
「拾えず落とした方が、墨を相手に入れる」
ぎょっとした人修羅、続けて疑問を吐きつける。
「逆だろそれ、そもそも墨なんて用意してな――」
言葉の尾が踊る瞬間、帯刀した柄を握った。
察したのか、更にため息を深くした君。
嗚呼、この仮面に、我の精神も、毒されてきたか…酷く、乱暴な発想が楽な今日この頃。
「では、始めようか」
放られた羽、天使のそれにも似た、白い羽…歌と舞う追羽根。
覚えている歌を、哂いつつ歌う。
 「一人来な 二人来な 見て来な 寄って来な」
揺れる袖、我の外套、互いの視線。
 「いつ来ても むつかし なんの薬師」
かつん
「あ、っ」
取り落とす君、薄く積もった屋上で、羽を探す。
「君が落としたから、僕の顔に刻み給え」
「…何投までやるんだよ」
「二」
「なら、まとめて刻むから、後で」
この数には、意味がある。
「さて、再開」
放る羽、打ち付ける板。流れる花鳥と華飾り。
悪魔の君と、悪魔を使役する我が、破魔のそれで戯れる…酷い矛盾が惹き合う。
 「いつ来ても むつかし なんの薬師」
君の顔に、刻むなぞ…本当は嫌なのだから。
夜とてそうだったろう。顔は…治癒せども、そのままで、常に在って欲しいから。
だから、君よ、落としてくれ給え。
 「ここの前よ 十よ」
「っ!」
ざり、と雪を掻いて、突っ伏した人修羅。伸ばした板の先…寸前で拾えなかった羽。
嗚呼、良かった、望みの通りに流れた。
倒れるままの君を、ぐい、と引き起こす。
「ねえ、二回分…刻んで御覧、さあ」
「あんた、いつからマゾになったんだよ…っ」
「どうせ見えぬ、悪魔になれば刻むのも容易いだろう?」
「どうして羽根つきで…っ…んな事……」
が、やがて鎮まる君。我が、ただ黙って、見つめれば…大人しくなる。
「しかし、勝負には僕が勝ったのだ、そうだねえ…初夢を唱えながら、刻んで」
伸ばされる指先に、瞬間、斑紋が奔る。
曇り空の白と、雪の白が、我々だけを浮かび上がらせる。
「まず、ひとつ」
「…よく居る場所で、雷堂…明さんが、俺を拾い上げた」
ず、ず…と、人修羅の尖った爪先が、斜めに刻む、仮面を遮断する。
「もうひとつ」
「……ずっと……ずっと、一緒だと、云われた」
右眼の瞼にその指が向かった瞬間、悦びがこみ上げる。
「そう、それだけ?」
「…煙草を燻らせるあんたと、扇で舞う明さんと…舞台が…」
「そう…“四扇、五煙草、六座頭”だ…良い初夢だねえ、舞台になら座頭が居るだろうから」
「どうしてあんた、昨日から舞台に饒舌なんだ」
「早く刻み給えよ」
「どうして最近、昔からの仲魔召喚控えてんだよ」
「ほら、刻めよ功刀君」
「どうして銃、使わないんだよ」
「さっさと刻め!!」
「…あんたは夜だろうが…っ!」
白い地面に舞った赤い華…羽子板の色より鮮明な、馴染み深い色。
夜と呼びつつ、君は…
なあ、何故、この様に、顔に刻んだ?
「…明さん、は…もう居ないって、解ってるんだ」
十字架を握り締めて、何故泣くのだ。
「だから、思い出させないで、くれ」
年が明けても、冷たい空気、雪の帝都、探偵事務所、能樂堂
すべてが、そのまま。我が、居ないだけ。どちらの世界にも。
“結びがあるように、ね”
今は既に手元に無い…あの房の感触を、大太刀の柄に揺れる愛の色を。
嗚呼、何時まで思い出せるだろうか。
“今年も宜しくね、可愛い私の…息子”
この感情を、ただ…ただ素直に、君にぶつけたいだけなのに。
正体を明かせば、本当に消えるであろう我の存在。
そう、だから…君の、心の中で…だけで、生かしてくれたら、それで良い。
嗚呼、しかし、消したくない、この傷…

「今年も宜しくね…“矢代君”」


右眼と眉間を奔る傷跡
君が、何処かで求めてくれたこの証…

夜の仮面に亀裂が生じる
嗚呼…幾年……
この面で、年を越せるのだろうか…



初夢・了


↓↓↓あとがき+a↓↓↓
居場所…不安から甘受出来ない葛藤…夢…渇望…
自ら居場所を消した雷堂、その不安の具象化。
眠る愛しい人を犯すだけに終わった。
結局は、繋がれない…

【作中のあれこれを適当に解説】

《花喰鳥》
花や樹枝を銜えて羽ばたく鳥の図柄。鳥が幸せを運ぶという意味から縁起が良いといわれている。鳥は鳳凰、オウム、鴛鴦、尾長鳥、鶴など、また牡丹の花や空想上の花、宝相華など当時流行していた図が多く、正倉院宝物の図柄にある花喰鳥は、官職のしるしとした組紐、綬帯やリボンを銜えたものとなっている。
縁起を担ぐものを纏わせたかったので。それと見目が華やか。

《草木染めの結び房》
大太刀に付けていたタッセル。大日本帝国陸軍の軍刀装飾に刀緒として在るものをイメージしていますが、それの意味する階級・実用性とは全く逆で、雷堂の感情的な働きがこれを大事にさせている…感じで。

《注連縄》
しめなわ。ゆずり葉は子宝を願ってのもの。だから一目見た雷堂は虚しさを感じていた。

《蟲封じ札》
「癇の虫」赤子ががぐずったり、体調が優れず泣き止まないなどの症状を鎮めるためのまじない。産女観音の院にて頂戴出来る。これが綻んでいた=結界の綻びを感じさせたかった。

《姑獲鳥》
産女(ウブメ)は日本の妖怪。京極さんの小説で名前は知られているのでは…。
産めずに死んだ女性が成る、という解釈にて作中では出しました。茨城県のウバメトリに近い描写で。

《ウブ》
嬰児の死んだ者や、堕ろした子を山野に捨てたものがなるとされ、大きな蜘蛛の形で赤子の様に泣き、人に追い縋り命を取る。
SJプレイした方は記憶に新しいのでは…。ビジュアル的に出したかった。九十九針をおしゃぶりにしたのは、吹きつけるイメージが強く連想されたから、という私の勝手です。

《リリトゥ=リリス》
ギルガメシュ叙事詩のキ-シキル-リル-ラ-ケとかいう妖怪と同一視されていたらしいリリス。その妖怪の次期出現が前9世紀ごろのバビロニアで、その女妖怪は闇の時間帯にさまよい歩き、新生児や妊婦を狩り、殺す。らしいので…というあまりに適当な寄せ集め方にて執筆。妊婦や赤子を殺す悪魔が、今回妊婦と赤子を助ける側に立った…という妙な廻り合わせにしたかったので。

《凶鳥説明の舞》
「鬼神ノ類ナリ。能ク人ノ魂魄ヲ収ム。荊州多クコレアリ――…」本草綱目(ほんぞうこうもく)なる中国の薬学著作より抜粋。1578年(万暦6年)頃の本。響きが歌に合いそうだったので。

《高砂》
(たかさご)相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能。雷堂の気持ち…心から願うしあわせ。を表現したかった為の選出。

《羽根つき》
二人以上でつくのを追羽根・遣羽子という。本来女子の遊び。「一人来な 二人来な 見て来な…」と雷堂が歌うのは大正頃の羽根つき歌。参考にした処に注釈は無かったのですが、数え歌なのだと思います。「“一”人来な」「“二”人来な」「“見”て来な」「“寄”って来な」「“いつ”来ても」「“む”つかし」「“な”んの“薬”師」「“ここの”前よ」「“十”よ」
男二人に羽根つきをさせるシュールさ…。入れる墨は厄除け・病気除けの効果があると考えられていたそうですが、此処では雷堂の傷の形に刻む、という流れにしたくて羽根突きをさせた…だけです。

《初夢の四五六》
四扇(しおうぎ)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう) 一富士二鷹三茄子…は有名ですが…。今回まさにしっくりきましたが、実は終盤執筆中に気付いたという…。座頭、は舞台の頭という意も有り…盲目人の階級の意もあり(盲目の奏者が多い連想で「舞台になら座頭が居るだろうから」と云わせました、ので雷堂はこちらのイメージなのかと…)

《洒落》
リリスに云った「“蛇”足」はリリスの「“蛇”」と掛けて。
九十九“針”と天井の“梁”を掛けて。
って、わざわざ記述するこそ蛇足でしょうが…今回は少ないです。他作品にも遊びでこういうのは入れてますので、それとなく気にして読むとニヤリとするかもしれません…


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