影の煩ひ
背中に刻まれるは罰か?
いつ罪を犯した?
この世における罪なのか?
この世界における罪なのか?
この…小さき世界における…
この亡霊達の古巣における…
『起きておるか』
ああ、この声。
亡霊の一部め。
『…おい、返事の余力は残してある筈だぞ』
重い瞼を上げる。
薄暗い、土の匂い、漆喰のそれ。
「…おはようございます」
『…』
「おや、寝違えたのでしょうかね?背中が焼けるように痛いです」
こんな台詞が哂って吐ける自身を誇れる。
先刻、背を穿ったしなる鞭の味を忘れている訳も無い。
血を吸った晒の、窮屈な感触。
しっかりと身体を起こせば、地階の座敷牢の様だ。
朱塗りの格子が、唯一鮮やかだった。
『勝手が過ぎればこうなる事くらい、承知しておったろうに』
黒猫が、まるで哀れむかの様な眼をこちらに向けた。
「ええ、勿論」
『何故そこまで人修羅に執心する』
「間違いなく一番強い悪魔だからですよ」
『己が身を削ってまでして欲するか?』
ゴウトの問いは、もう幾度もされたもの。
その度、適当に答えていた。
究極は、彼の力の先に在る、僕の野望の為だったから。
「…」
そう、僕が彼を欲するのは
全て、僕が君臨して、此処を…壊す為だった。
正直云えば、もっと欲が出ていた。
力は、得れば更に、更にと膨れていくものである。
『そこまでして、敵無しのサマナーになりたいか?』
ゴウトの追求に、考えあぐねていた。
力…
だけだったのか?
果たしてそうだったのか?
「僕が欲するのは…」
…そうだ、あれの
「人修羅の、底知れぬ力です」
悪魔の、人の力だ…
人と悪魔が織り成す、痛々しいまでに強い不協和音だ。
そう、それだけ。
『…力に魅入られおって、やはり、陰の者は破壊しか生まぬか…』
云い残して、黒い小動物が去って行く。
その言葉に、胸の奥が燻る。
(陰の者…)
別に、好きでこうして在る訳では無い。
偏っているのは、不便だ。
利点も有るが、そうで無い点も頓着に表れる。
…雷堂の奴は、思った以上に陽の気が強かったらしい。
以前の交わりを思う度に、この身体を呪う。
立場が逆なら、陥れる事が出来たのか?
いいや、その様な問題では無い。
僕が陰の塊である時点で、面倒なのだ。
(破壊しか生まぬ…ね)
ひとり哂って、周囲を見渡した。
格子の向こうの燭光が照らす、座敷。
どうやら、学生服なり装具一式は向こうの棚である。
格子の隙間から伸ばした手の届く範囲には、当然無い。
此処にいつまで容れられるのか、それが問題だ。
(急いてし損じた…この僕が)
身体に残るマグの少ない事…
得る事ももどかしく、与え続けて、駆っていた。
“あれを捕らえよ”
“連れ戻せ”
“この手に戻せ…!”
熱く滾る妄執が、身体を突き動かしていた。
このままの調子では、果てるのも時間の問題だ…
そう思っているのに。
魂は急げと囁く。
早くせねば、あの悪魔が…手を離れ切る、と。
自ら切った?馬鹿な。
烏め…僕に戻す位なら、他の次元に引き渡すが良しと思ったか…
何処まで…邪魔をする?
あの時。
眼の前で…指がかすめた。
あの眼の下の斑紋。
あの時の彼の、僕を見る眼は…
憎しみ?戸惑い?
何故泣きそうな顔をしていた?
「…」
目に付いた、格子の小窓傍の盆。
艶を失った、乾いた食物。
その箸の下に置かれる白い物を、指に取る。
紙に包まれた…粉末。
「フッ、クク…」
哂いが零れた。
おい、これは何処の雷堂だ?
精神安定の為か?
薬包紙に包まれたその薬を、湿らせた指先に掬い取る。
ぺろりと舐めれば、口内に広がる刺激。
「…弱い」
僕の煙草より弱い効力に、鼻で笑ってしまった。
(僕は、至って冷静だよ)
薬なぞ要らぬ。
そう思いつつ、粉は汁物に落とし込んだ。
そして指に残った薬包紙をぼんやりと眺め見る。
「……」
白い式
白い鳥に綴られた紅い想い
雷堂の言葉
“逢いたひ”
ただ、それだけを綴って。
ただ、ひたすら飛ばしていたあの男。
何の力がその式に宿る訳でも無く、ただ…それを発する為の。
(馬鹿馬鹿しい)
あの折りは何の形だ?
正方形からだったか?
塗り込めるは何の呪だ?
背に指を回して、先に付いた血をその紙に滑らす。
「…」
呪の言挙げをして
あの男みたく飛ばそうかと思い、折れたその鳥を額にあてがった。
が…浮かばなかった。
(あの男、何の呪紋を以って飛ばしていた?)
思えば…僕にその様な術は無かった。
ただ、飛ばす、なぞ、出来無い。
伝達術も、符も、それとなく、だった。
「…お前に出来て、何故僕に出来ぬ…」
あれか?それかこれか?
どの言の葉だ?どの詞だ?
「」
飛ばない
「」
何故飛ばない
「 !」
ふわり、と白い鳥が指先から舞った。
そのまま、格子を抜けて
人修羅の元に…飛ぶかと一瞬夢想した。
「…く」
くしゃり、と。
格子の手前で墜落していった。
僕はそれを拾い上げて、両の指に掴んで引き裂いた。
「何故飛ばない!?飛べ!飛べよ!!」
引き裂いた白に、紅が混ざっている。
僕の綴った言葉が、散り散りに床に落ちていく。
「僕には飛ばせぬのか!?奴に出来て何故僕に出来ぬ!?」
(どうして僕は癇癪を起こしている?)
床の食事を蹴飛ばした。
散った汁と、乾いた飯が舞った。
脚先に、それがかかった。
「必要無いか!?使役には要らぬか!殺しには要らぬ技か!?」
転がった椀をこの手に掴み上げて、格子に投げつける。
割れて、音を立てて壊れていく。
「あと何を棄てれば良い!?何を壊せば良い!?それならあの悪魔が必要だろうがっ!!答えろ!!烏がっ!!」
背中の軋みも無視して、格子にしがみ付いてがなり立てる。
(何をここまで怒る?)
「はぁ…っ…く、そ…」
――破壊しか生まぬ
「…何故、僕が伝えるのは、赦されない?」
(何も居ないのに、何を云っている?)
「早く、あの悪魔を取り戻さねば…」
(何の為にだ?)
「応えよ…応えよ…」
何者でも良い、応えよ…!
「…!!」
今…新月…だった気が、する。
咄嗟に背後の暗闇を、振り返る。
何も居ない、その虚空に、数歩駆け寄る。
「来い!」
叫ぶ。
傍から見たら、気味の悪い光景だろう。
だが、僕は確信して叫んだ。
「来い!居るだろう!?喰いたいのだろう…?」
燭光で出来た僕の影が、向こうの壁にうっすら伸びている。
その暗闇が、かすかに揺れた。
動かぬ僕の影から、ソレが少しずつ…這い出てくる。
『…ク…ククク』
暗闇の外套、赤く光る、眼。
僕の分身ともいえる…その影が…
「フ、フフ…ッ…来たじゃないか…」
思惑通りに来てくれたそれを見て、口の端を吊り上げた。
すると向かいの影法師も、同じ様に哂った。
「この通り、僕は丸腰だ…」
『シンジマエ…』
「今日は少しお話しよう」
『…』
晒しか巻かぬ身体で、その死神に歩み寄る。
影法師は哂ったまま、刀を僕へと突きつける。
それを僕は指先で掴んだ。
まるで、人修羅みたく。
「…く」
当然、僕の指はいとも容易く裂けて赤く開く。
ただの、人間だから。
「なあ、お前…僕の影を喰らいたいのだろう?」
その刀に指を這わせて、その黒い奴の指先に触れる。
『クワセロ』
「影法師…写した者の影を喰らって成り代わる異形よ」
『クワセ…ロ!!』
影法師の指が、僕の裂けた指先から入り込む。
その、血管から泥の入り込む様な感触に胎内の中身が込み上げる。
「う、ぐぅ…ッ」
よろけた脚を張り、倒れそうになるのを堪える。
息を吐いて、影法師を見つめた。
「おい…取引、しよう」
『…』
「僕の影、喰いたくないのか…?」
影法師の指を、自ら引寄せて頬に添わせる。
「なに…簡単さ…お前は僕の振りをしていれば良い…」
『…ナニ』
「帝都守護は今は任されぬ筈だから、此処に居れば良いだけ」
『…』
「まさか、受け答え出来ぬ程知らぬ訳でも無いだろう?」
『…クワセテクレルノカ?オマエ…』
話に食いついてきた影を見て、僕は哂った。
いいや、この場合本当に哂うは、きっとこの影なのだろう。
「フフッ、勿論対価は払うさ…」
そう、それが交渉の流れなのだから。
それを死神にしているのだから…当然…
当然…それしかないだろう。
「僕が戻るまで、此処で僕の振りをしろ」
『…クズノハライドウノ』
「僕が此処に戻れば、影は返して貰う」
『…』
「だが、戻らなければ…喰らい続ける事が出来る」
『…ハンゴン?』
「いいや、すべてくれてやろう」
『…クククク……オイシイナ、ソレハ』
「僕のネビロスに術は施させる…間違いは無い」
『…イイダロウ』
影法師の眼が赤く光る。
僕の顔をしたそれが…まるで謀にほくそ笑む僕の様だった。
『本当に、ですか』
「ああ、主人の僕が云っている、その通りにしろ」
影法師に取りに行かせた管から、ネビロスを召喚した。
一緒に取らせた服と、装具一式を纏って
僕はいつもの形に戻る。
『良いのですね?』
「しつこい、マグが尽きそうだ…早くしてくれ」
ジロ、と仲魔である死霊使いを睨めば
彼は少し間を置いてから僕の身体に細い指を向ける。
『底の世の言葉です、あまり聴かぬべきかと』
「…どうせいつか往く、このままで良い」
僕の言葉に、どうやらネビロスはもう忠告を止めた様子だ。
向かいを見れば、哂い続ける影法師。
それと僕を繋ぎ合せている、死霊使い。
『では、流しますよ』
ネビロスの声と同時に、僕の中に黒い泥が流れ込んだ。
「っ、ぐ、がああ!」
一気に、影法師が溶け込むようにして
僕の身体のあちこちから。
それを飲み下す様にして僕は震え、悶えながら床に転がった。
内部から掻き毟られるかの如き感覚に、身体が跳ねる。
外套が身体に巻きついて、動きを遮断するまで転がっていた。
…やがて、僕の影からゆるゆると…形が浮き上がる。
それは影から独り発ちしていく様に、這い出て行った。
「っ…ふ…ぐぅ…」
腕をついて、四つん這いから立ち上がる。
傍を見れば、影法師…だったそれが佇んでいた。
『よぉ、ライドウ…』
以前より、ハッキリと視える…
人間に。
そして、灯に揺れる僕の影は…
酷く薄くなっていた。
『もう戻ってこなくていいぜ』
影法師が、鮮明な僕の声で哂いながら云う。
そして、先刻僕が肌蹴ていた着物を肩に掛けて座り込んだ。
『早く喰われちまえ…!葛葉ライドウ』
それに僕は、外套を正して返す。
「みすみす喰われるつもりで交渉はしないからね…」
『けっ』
「せいぜい束の間の現を愉しむが良いさ」
管を掴み、ネビロスを戻す。
里自体の監視は軽いので、此処さえ出れば問題は無いだろう。
あとは影法師が適当にあしらって、足止めになる…
格子の中の影法師を背に
上階へと上がる。
「しくじったら、交渉決裂だ」
そう云って、歩みを再開する…
まるで…もう一人、僕が居る様だった。
其処に、僕が居る、のだ。
(影煩いか)
コウリュウは目立つので、独り…
雪原を歩く。
先刻開いた指先の血が、凍っている。
赤い指先を握り締めて、息を吐いて脚を運ぶ。
暗い道だった。
「…」
ただ、独り
黙って歩き続けた。
悠長にしては居られぬ。
道すがらの野犬を刀で斬り伏せ、マグの回復すら出来ずに。
「…っ」
背中が軋めば、ホルスター裏を探った。
雪原に点在する針葉樹に寄り掛かり、忍ばせたマッチでそれに着火する。
…手筈だったが、湿ったマッチはうんともすんとも云わない。
黙って、イヌガミを召喚した。
『アオーン!ドウシタ…ライドウ?』
首を傾げるイヌガミ。
「これ…火、宜しく」
『マグ、少ナソウダ』
「良いんだよ、早く…くれ」
急かせば、イヌガミは極小に抑えたファイアブレスを放つ。
――あんたさ、こんな事に俺の焔を使わないでくれないか?
『ライドウ?』
「…あ」
『火、点イタゾ』
「…ああ、ありがとう……」
毒を噴かして、ゆっくりと瞼を閉じた。
『モドルゾ?』
マグを気遣ってか、イヌガミは勝手に帰還していく。
僕の胸元に光が溢れて、ぼんやりと…消える。
暗闇に、煙草の赤い光りが点として浮かぶだけとなる。
先刻…思い出していた。
そういえば、あれの焔で煙草に火を点けた事も結構多かった気がする。
閉じた視界で、その毒だけを吸って
言葉と共に吐き出した。
「火、ありがとう……」
誰に云っているのだろう。
「…」
不平不満しか互いに吐かなかった。
それが互いを繋ぐを赦された、唯一の糸だった気がする。
ジリ…
焼ける…臭いがした。
瞼を上げれば、端まで燃えた煙草。
指先を焦がしている。
「…」
それを、黙って見つめていた。
吸った毒のお陰で今、痛みは無い。
まるでその効果を確認するかの様に、燃え尽きるまで見つめていた…
(燃え尽きるまで…)
明日には帝都に着くだろうか。
そうしたら、もう一日経過する事になる。
(そうか)
もう…
もう僕の命はそれだけ消えたのか。
外套の衣嚢を探る。
あの懐中時計を取り出して、正確な時間を確認した…
(フ…魔を寄せるとは、酷い置き土産だな)
カチリ、と蓋を閉め衣嚢に放り込む。
これに寄せられる気配が分かる。
(中を調べろ…か)
そんな余裕は無い。
親なぞ、どうだって良い。
雷堂よ、お前は云われて育たなかったのか?
父は里
母は帝都
両親は、それ等である、と…
そう
親なぞ居ない
生まれた時から
死んでいる
その孤独を…
同じく持ち合わせるあの悪魔を
お前は、連れ出したのだよ。
(傷の舐め合いなら、他としていろ)
僕とあれは…
人修羅は…
もっと、深かった…筈。
「っひ…ぐ…」
胸に奔る痛み。
喉がヒリついて、咳が込み上げる。
「げふっ、が…っ」
毒の吸い過ぎだろうか。
雪の上に、赤い華が咲き誇った。
影の煩ひ・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
死亡フラグ?
なにそれ美味しいの?
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