羅刹日-ラセツニチ-



鳥の声がする。
ハッとして窓を見れば、もう日が射している。
空は白み始めていた。
『寝ていないのか?』
声のする方へ、面を向ける。
翡翠の視線をギラつかせる黒猫が、部屋に入って来る。
「業斗…いや、すまない」
『それとも寝れなかったのか?』
その指摘に、言葉を呑んでしまう。
「時計を…」
『?』
「時計を見ていたら…もう、朝が来ていた」
本当の事だった。
先日、任を下されてから此処に篭り…
あと何時間、と数えているうちに、今に至る。
『雷堂、そんなに嫌なら他の葛葉に任せるが?』
その業斗の、見捨てるかの様な辛辣な言葉に
弾かれたように振りかぶる。
「待て!この雷堂に任されたのだ、喜んで受ける!」
すっくと立ち上がり、衣文掛けの外套を掴む。
『寝ていないのに大丈夫なのか?』
「本よりこの身、不眠不休に耐えうるよう調整済みだ」
『…ぬかるなよ』
「分かっている」
外套で覆い隠す様にして、太刀を腰に下げた。

(嫌…では無い)
嫌な筈あるだろうか。
ヤタガラスの邪魔をする者は、帝都の障害に成り得る。
いずれは日本の未来を濁らせるかもしれぬ。
それにもう、既に幾人か斬ってきたではないか。
何を今更鑑みると云うのだ。
「すまない、雑念が多過ぎた」
道中、傍らを歩む業斗に謝罪する。
業斗は一瞥此方にくれると、すぐ前を向いて
歩みを止めずにぴしゃりと云い放つ。
『14代目葛葉雷堂、しゃんとせんか』
「はっ!」
『烏の敵はお前の敵…』
「承知している」
『今回の任、内容の復唱をしろ』
「ヤタガラスの機密文章を故意に持ち出した要人を、排除する」
排除…というのは、抹殺と同義だ。
(悪魔でもない、生身の人間を斬る)
それが、少し肌寒いだけだ。


まだ青ざめた月が空に浮かぶ早朝。
アカラナ回廊へと足を延ばす。
慣れた修練所が、今日は嫌に近かった。
『まさかアカラナ回廊へ逃げ込むとは、恐れ多い奴だ』
業斗の侮蔑混じりの声に、ふと思う。
そういえば、今回の標的も我は詳細を知らぬ。
一体どの程度の罪なのだろうか。
機密文章とは、そこまでして重要なのか?
(人1人、殺してでも…)
また考え込む自身に、どきりとする。
駄目だ。
駄目だこんな事では。
完全統治には、多少の犠牲はつきもの。
その汚れを背負うだけの事。
ただそれだけの事ではないか。
『雷堂様!』
羽ばたく音がする…
上空を見あげれば、偵察に向かわせていたパワーが其処に居た。
「どうだ、居たか?」
『向こう1980年の辺りに人影を確認…しかし…』
「どうした?」
『もう1人確認しているのですが』
もう1人?
この回廊にそんなゴロゴロ人影が居る筈無い。
「何者か分かるか?」
『…それが、正直貴方様と見間違えてしまう風貌でした』
「我と?」
まさか。
だが、思い当たる人物は…居る。
「分かった、有難う」
『お役に立てて光栄です』
管へと戻し、その天使の指し示した方へと歩みを進める。


居た…
砂時計の傍で縮こまって、男は身を潜めるように居た。
別に悪巧みなどとは無縁そうな、文豪のようにも見えるその姿。
(こんな、無防備な人間を斬れと云うのか…)
些か衝撃を受ける。
いっそ凶悪な面持ちの、悪魔のような姿なら良かったのに。
歩み寄り、話し掛けた。
「ヤタガラスより持ち出した文章…身に覚えはあるか?」
「…ああ、あるさ!あるとも!」
一拍の間を置いて、その男性が返答する。
諦めてくれたのだろうか?
「何故持ち出したりなぞしたのだ…こんな処へ逃げ込んで」
「あんたは本当にヤタガラスがこの国を良くすると思っているのか!?」
思いもよらぬその問い。
思わず歩みを止める。
「思って、いる」
一言、息を付くように唇から自然と紡がれた。
「此処の砂時計の装置に触れてみろよ!それでも考えは変わらんのか?」
その、巨大な砂時計を指差し男性が叫ぶ。
「我が其れに触れる事は、お上より禁じられている」
静かにそう返すと、男性は哀れむかの様な表情を作った。
「本当に、あんた…ヤタガラスの犬だ」
(犬…)
「何と云ってくれても結構」
「…っ」
太刀の柄を握り、その抜刀した先の軌道を想定する。
「お覚悟!」
男性をひと振るいの太刀筋で仕留める…!
そのつもりだった。

「どれだけ無骨なんだその刀…っ」

喰いとめられている。
鍔迫り合いの刀身の向こう側に、自分が見える。
いや…違う。
『葛葉ライドウ…!!』
業斗が背後で威嚇する。
それは…葛葉ライドウ。
異世界の自身。
ギチギチと刀身が悲鳴をあげている。
「野上さん!早くお行きなさい」
ライドウが、恐らくあの男性と思われる名指しをする。
「貴方から見て左の階段を下った先の、次元の穴に飛び入りなさい!」
その男性を逃がさんとする行為。
勿論見過ごす訳にはいかない。
「何故邪魔立てする!?ライドウよ!」
太刀のひねりを変え、力を込める。
「生憎…此方も依頼でね」
押されつつも、不敵な笑みで受け止め続けるライドウ。
「依頼…だと?」
「そう、依頼」
(いけない、このままでは…)
あの男性はまんまと、ライドウの思惑通りに逃走するだろう。
太刀を真横に咬み合わせ、ぐいぐいと押しやる。
形の良い刀で受けるライドウの口元が、引き締まった。
「意外と…馬鹿力…っ」
「伊達にこの得物を振るっている訳では無いのでな」
このまま押しきって、弾く…
そう想定している矢先、ライドウの脚が振り上げられた。
「っ!!」
おまけに股の間に向かって…!
(人修羅の云ったままではないか)
あの時同様、足首で受け止める。
痛みが少ない辺り、人修羅と人間の違いか。
驚きと呆れが、一瞬脳裏を過ぎる。
「残念」
悪戯に失敗したような笑みで、ライドウは此方の力を利用して
仰向けになるように太刀を受け流す。
(まずい)
小回りの利かぬ太刀は、多角度からの打ち合いには弱い。
前方に急ぎ駆け出す。
(…!)
気付けば、あの男性の逃走した方面と逆側に来ている。
案の定ライドウは男性を追って、階段を下り始めていた。
「待て!」
慌てて追跡し、駆け下りた。
等間隔の段差を、数段飛ばしに走り下りる。
下階層が見える頃には、次元の穴に男性が入ろうとしていた。
その瞬間を目の前に、歯痒くもそれを許してしまう。
今召喚しても、あそこまで攻撃が瞬時に届く事は無い。
『してやられたか』
背後から続いた業斗が忌々しげに吐き捨てる。
そのライドウはといえば、その穴の前に留まり佇んでいた。
「これを手土産に烏の巣にお帰り」
そう云って、何か投げて寄越してくる。
警戒しつつも、その筒状の物体を掌に受ける。
「これは…」
「君等の大事な機密文章」
確かに、これは一応回収を云われていた物だった。
万が一あの男と共に消してしまっても、それはそれで構わぬ。
そう云われていた。
「ライドウ…貴殿は何を依頼されたのだ」
その文章を握り、相対する鏡写しの影に問う。
その影は、こちらの表情とは間逆だった。
「あの男性の身内に捜索依頼を受けた…」
「そちらの世界でか?」
「ああ、まさか他次元に迷い込んでいるとは思いもしなかったがね」
彼は云い終わり、刀身を鞘に納めた。
殺気は見られない。
「これで僕の依頼は達成、もう帰るよ」
クスッと哂い、その穴に彼も飛び込もうとした。
「ライドウ!」
だが、我の叫びにその身体を止める。
首を少し振り向かせ小さく呟く。
「何?」
「あの男はヤタガラスの敵だ、帝都に悪心をもたらすのだぞ!?」
「…」
「それを助長する行いは、帝都守護の任から外れてはいまいかっ!?」
「…く、あっははは!」
我の言葉が、まるで毒になったかの様に
ライドウは突然笑い出す。
「な、何が可笑しい!?」
「はは…雷堂…君は随分と洗脳が進んでいるようだ」
「洗脳だと?」
「そこにおわす業斗童子の賜物…か?」
業斗?
何かと思い、思わず傍らの業斗を見る。
『ほざけ、異端め…』
尾を立て、鋭く言い放つ業斗。
「業斗殿、貴方もそのお姿なら解るでしょうに」
『…』
「過去に過ちを犯し、畜生の入れ物に魂を封じられる…それは貴方がヤタガラスのサマナーとしてあるまじき事をしたから」
(何が云いたいのだこの男…!)
急に業斗を糾弾し始めた。
正体の分からない不快感が、体中を巡る。
同じ顔をした、その唇から紡がれる…
「業斗殿、己を棚に上げてその男の未来は覆い隠すのですか?」
その悪言…!

「抜け!ライドウ!!」

人にこんな大声で怒鳴ったのは初めてだった。
『雷堂…何を云うておる』
「刀を抜け!葛葉ライドウ!」
抜くまで、退かぬ。
業斗の声も耳に入れず。
(帰還する様なら、追い打つ…)
「…理由も無く同じ顔を斬る趣味は無い、帰らせて頂くよ」
無表情に返答するライドウ。
「業斗を辱めておきながら、みすみす帰す訳にはいかぬ!」
帰ろうとするその背に、もう一度怒鳴り
管からサンダルフォンを呼ぶ。
「疾風を!」
『御衣』
我の声に応え、大きな体躯から魔力が漲る。
向こうで、振り向くライドウ。
その手には、同じ形の管。
『ザンダイン!』
放たれた衝撃魔法が、彼に轟々と迫る。
「壁を張れ!!」
唱えたライドウの前に、見た事も無い悪魔が呼び出される。
神々しいが、何処か忌まわしげな…
どこかライドウに似ている。
『お任せ下さい』
口の端で笑い、その悪魔が返答しながら衝撃を打ち消した。
その向こうで、ライドウが
此方に抜刀した切っ先を向ける…
「理由を作ってくれて有難う」
目に宿る光が、暗く輝く。
彼はやはり、戦う事が嫌いでは無いらしい。
『雷堂…任務外だぞ!決闘は取り止めろ!!』
「業斗…だが我は許せぬ…貴方への侮辱が!」
太刀を構え直し、サンダルフォンを引き連れライドウに接近する。
尺を生かして、大きく横に薙ぎ払う。
「そちらは適当に任せた、アマツミカボシ」
ライドウが仲魔に指令を下し、斬撃を低い位置でかわす。
胴が接地するのではないかと思う位の、足元から刃を覗かせる。
「ぐっ」
足先に感じる熱さ。
迷わず脚の筋を狙って来た…
その鋭利さは、華奢な刀ならではだった。
重心をおかしくする身体を踏み留め
振りかぶる太刀を片手に預けながら、空いた手に銃を握る。
低い位置に姿勢を取っているライドウに向かい、発砲する。
酷い近距離での乱射。
跳ね返る薬莢が、自らの足元を叩く程の…
飛び退くライドウ、だがしっかりと刀を流転させていた。
幾つか弾かれた弾丸が、四方に散る。
回廊の外の暗闇に消えていく。
「…下手糞」
あんな至近距離で撃ったのに、どうやら彼の肩に1発命中したのみらしい。
ライドウの嘲るような言葉に、身体が傷とは別の熱を持つ。
「ぐ…」
『冷静さを欠いては勝てぬぞ雷堂!』
業斗の叱咤も、何故か今は水にならぬ。
己が燃え上がる様だった。
「銃はこう使う物だ」
そのライドウの台詞が、次の動きを示唆する。
ハッとし、すぐ構えを取る。
しかし銃口は、あらぬ方向に向けられていた。
『ううっ』
呻きが聞こえる。
「っ…サンダルフォン!」
気付きもしなかった。
サンダルフォンに、その放たれた弾丸達は埋まってゆく。
己が今、自己で手一杯なのが露見する。
『流石は我が主』
アマツミカボシなる悪魔が、その隙を見逃さなかった。
直接的な打撃が、自身の使役する天使を襲った。
「くそ…」
管に手を伸ばし、ドミニオンを呼ぼうとする。
「気も回らぬのに、それ以上呼んでどうする?」
ライドウの声。
(近い!?)
気を取られていた。
刀を翻して斬り掛かって来るライドウが、目の前に居た。
直ぐに退くものの、上腕部がばっさりと開かれる。
外套を通り越して、肉まで綺麗に斬り込まれた。
その振り切った刃を折り返し、2撃目が襲い来る。
「っぐ…!」
なんとか太刀で庇い、致命傷は避けれたが…
相手のこの俊敏さ…いつもの様に立ち回れない焦り。
「仲魔は天使ばかり…天國に与してるのか君は」
かみ合う刃の隙間から、ライドウの冷たい瞳が射る。
「そんな…つもりは、無いっ」
「僕達が天に逝けると思っているのか?」
「何を…」
「悪魔を使役する僕達デビルサマナーがさあっ!」
ライドウは叫ぶと、綺麗に受け流す。
同じ手は喰わまいと、こちらも同じ方向へと刃を滑らせる。
そして、打ち合いに発展した。
かぶりの大きなこちらが不利だが、それを打ち消すかの如く
力を込めて打つ。
(葛葉ライドウ…!)
ヤタガラスに育まれたこの今が有る。
だからこそ自身が在る。
「未来に繋がるのなら!地獄に墜ちても良い!」
腕から血が噴くのが分かる。
それを気にせず、渾身の力を込めて一撃を放つ。
「ならその巣の中で勝手に死ね!」
侮蔑混じりの彼の声音…
受け流さず、真っ向から刀で受けたライドウ。
柄の感触が消え去る。
愛用している大太刀は、弧を描き上空へと放られた。
だが一方のライドウも、手にした刀は根の辺りから先が消えていた。
「くそっ」
小さく呟き、その柄を棄てたライドウが銃を素早く抜く。
その銃口から放たれる前に、自身の手を伸ばす。
指を、銃口に思い切り捩じ込んだ。
眼を見開くライドウに、云ってやった。
「銃はこんな至近距離で使うものではないのだろう?」
このまま撃てば暴発して、双方共に被害を被る。
捩じ入れた指先に感じる、螺旋の刻みが生々しかった。
(この男、銃まで改造している…)
背筋がひやりとした。
「穴に突っ込むのが好きとは、そこは似ているかな?」
睨みつつ薄く哂ったライドウが、空いた手を管に伸ばそうとする。
反射的に、その手を掴みあげた。
「呼ばせてなるものか!」
瞬間、ライドウが哂う。
さも愉しそうに。
「放せ雷堂」
「ぐうっ」
脚の裂傷を、靴先で抉ってきた。
脳天がチカチカする。
「放せと云っている」
「業斗への…言葉を、撤回しろ」
「どの辺り?」
「棚に…あげていると、云ったっ」
呼吸の感覚が短くなっていく。
じわりじわりと、マグネタイトの供給が身体を蝕む。
(サンダルフォン…)
遠くで応戦している筈だが、そちらを気に掛けれる状況では無い。
クッと喉を鳴らし、ライドウが云う。
「僕の所のゴウトくらい割り切ってしまえば良いものを」
『おい、余裕をかますとやられるぞ』
遠方から、彼の黒猫の声がした。
我の業斗同様、手出しはせずに見届けている。
「分かっています!」
その黒猫に、少し大きな声で返したライドウの
足元…赤い染みが広がる。
肩の傷から、流れている様だ。
(赤い血…)
このライドウも、どうやら人間だったらしい。
そんな事を思った、その時。
景色が流れていく。
「うあっ!!」
彼は銃から手を放し、我の掴んでいた手を逆手に取り…
我はそのまま投げられた。
背に鈍い痛みを感じる。
「君こそ観念したらどうだ雷堂」
「げふっ!」
胎に靴が乗っている。
踏みにじられている事実に憤る…
「人を殺したくありませんと、一言お目付け役に頼んでみるが良い」
「なっ」
(何を云いだすんだ、この男は…)
衝撃的だった。
内面を探られたか?いや、しかしイヌガミの気配は無い。
何故、それが…
「…どう?云う気になったかい?」
「…っ」
「フ…云って御覧?14代目…」
(くそっ…我は…)
何を惑う?
(それこそ業斗に対する非礼だろう…っ)
…胎の圧が増すにつれ、息が苦しくなる。
何とか、しなくては。
(サンダルフォン…)
意思を、あの天使に向けた。
「風を…」
かすれた声が、己から発されている。
「風を…サンダルフォン!!」
胎の上で、聞いたライドウがニタリと哂う。
「まだ僕に“疾風の壁”は掛かっているよ?」
キッと、ライドウの眼を睨みつける。
「こちらに風で“送れ”サンダルフォン!!」
遠くでサンダルフォンが、此方に魔法を放つのが分かった。
身体のマグネタイトが、流出する。
音と共に、轟風が叩きつけてくる。
ライドウの纏う壁に打ち消されていくその衝撃を、胎の上の靴伝いに感じ取る。
「だから云ったろう」
こちらを見下ろして「それ見た事か」
そんな顔をしたライドウが、そよぎもしない外套を揺らし
首を傾げてきた。

(来い)

こちらに飛んで来い

(刺されっ!!)

『ライドウっ!!』
「ぁ…ッ!!」

向こうのゴウトが、彼の名を叫んだ。
靴越しに、鈍い振動が伝わる。
唇を真一文字に結んだライドウが、眉を顰め
咄嗟に掌でそこを覆う。
「…ぐ、ごふっ!!」
その指の間から、赤い液体が止め処無く溢れている。
びちゃびちゃ
我の胸のホルスターを、赤く染め上げた。
「貴殿に効かずとも…他には効く!」
飛ばされた大太刀を、ザンダインでライドウにぶつけた。
巻き上げた風は、使役する天使と交わした意思通り
見事敵の背に突き立ったのだ。
『主!!』
アマツミカボシが瞬間、転移しようとするのを
サンダルフォンが喰い止める。
その際に使用される業の奔流に
身体の生体エネルギイが搾り取られる。
(今しか無い!)
胎の上の脚を払い除け、膝を付き銃を抜く。
いくら射撃が下手な自分でも、この距離は確実だ。
その距離は零。
「覚悟!!」
叫び、彼の顔に銃口を向けた。
何となく無意識に、額に。
「!!」
少しでも照準を濁らそうとしたのか
あるいは防御の為か。
ライドウは外套で身体を覆い包む様に、翻して背を向けた。
その動きと同時に、数発見舞った。
(間違いなく、正面にも当たった筈…)
高揚する気を鎮め、震える腕をもう片腕で押さえる。
彼の背に見えた自身の大太刀が、突き出た骨の様だった。
(やったか…?)
肩で息をしているライドウ。
振り向く彼の面に、銃創でもあれば満足だったのだろうか?
異常な期待に胸を膨らませ、その動向を見送る。
ゆっくりと、かがめた身体を上げていくライドウ。
(…?)
おかしい…気がする。
外套の太刀以外に、何かおかしい箇所が在る。

「雷堂さんも、結構酷いですね」

まさか。
「っ…!?君は…」
その声は、ライドウでも黒猫でも無い。
彼の外套の内側が、するすると蠢く。
「矢代君…」
ライドウの使役する人修羅。
半人半魔の少年が、彼の肩越しに顔を覗かせた。
あの外套を翻した瞬間、飛び込んでいたのか。
その内に。
「アンタ、酷い怪我だね」
人修羅は素っ気無く主人に云うと
ライドウの背に回していたと思わしき腕を
するりと外套から抜き出した。
その腕を見て、思わず息が詰まる。
我の放った弾丸が、彼の腕に幾つかの楔を打ちこんでいた。
(ああ、あの少年…)
恐らく抱きしめるように庇ったのだ。
それが主人に対する忠誠なのか、執着なのかは知れなかったが
あのサマナー同様、彼も酷い…
酷い執着心。
「おいライドウ、野上さんは送り届けたから」
「そう…」
「もう依頼達成だろ?雷堂さんの勝ちにして、引き揚げよう」
その人修羅の台詞に、答えていたライドウが云う。
「僕が負けず嫌いと知っての台詞?」
どこか怒気をはらんだ声音。
そしてその手を背の太刀に持っていく。
「お、おいっ」
人修羅の制止も聞かず、背の刃を指で確かめている。
その指が柄を捉えた瞬間、握り締め、一気に引き抜いた。
まるで我が普段抜刀するかの様に、いとも容易く。
溢れた血が床を打つ。
アカラナの白い床が、散々に濁っていく。
「アマツミカボシ!何を手こずっている…」
『ご無事でしたか!?』
「一応ね、そちらに贈り物があるからお前は退いていろ」
(何をする気だ)
人修羅も参戦した今、下手に動けない。
ライドウは掌の血を外套の端で拭うと、引き抜いた太刀を持った。
(まさか)
「受け取られよ!天使様!!」
あの大太刀を、サンダルフォンに向かい投げつけた。
(人間の力では、あの大太刀を槍のように扱う事など…)
放物線を描き、上空に舞う太刀。
そして、追って聞こえた銃声。
「な、馬鹿な…!!」
舞う太刀に、ライドウの放った銃弾が軌道修正をかける。
瞬間弾かれた太刀が、サンダルフォンの脚に刺さる。
「サンダルフォン!」
急いで印を結び、召し寄せする。
傍に現れた天使は、消耗も激しく
今まで応戦していたのが奇跡的だった。
「無理をさせた…すまない」
太刀を抜き、ひとまず管に戻す。
回復は、今すべきではない。

「雷堂さん!すいません、今回は見逃して頂けますか?」
人修羅の声に振り返る。
「フン、引き分けだ引き分け」
不愉快そうなライドウが、人修羅の背を足蹴にする。
それによろけ、眉間に一瞬皺を寄せるが
すぐに、こちらに向ける表情に戻した。
『人修羅よ…今回ばかりは礼を云う』
傍の業斗の台詞に、驚く。
『こやつら、葛葉の事となると我を忘れるらしいからな』
「はあ…確かに」
『まあ、貴様の所のライドウよりは律していると思うが』
その“葛葉ライドウ”を侮蔑するかの様な言葉に
人修羅の眼が一瞬金色に光ったのを確認した。
だが、すぐにそれはいつもの蜜色に戻っていった。
「葛葉の事、良くは分からないんですが…」
頭を下げて、搾り出すような声で彼は云う。
「この男、悪魔そのものみたいですが、帝都はしっかり護ってます…」
「だ、だが矢代君!あの男性を逃がす事が帝都平和の崩壊に繋がるのだぞ」
思わず、無関係な彼に云い返してしまった。
すると、少し驚いた顔をして、人修羅は述べた。
「でも、あの男性もその身内も帝都の住民ですよ?」
「それは…」
「ヤタガラスの後ろ暗い所を暴きたかったんじゃないですか?」
しれっと云う彼に、その背後のライドウが哂っている。
「功刀君…それくらいにしな、雷堂が困っている」
クク…と哂いつつ咳き込み、血を時折吐いていた。
「ライドウ、あんたこそ…なかなか戻らないから何かと思ったら…」
その眼に灯る欲。
「なんだ、弱いんだなあんた」
人修羅の、ライドウを見つめる眼差しの熱。
面白い物でも見ているかの様な、視線。
その言葉に、触発されたのだろう。
ライドウは哂って、血反吐を彼の顔に吐きかけた。
背けることもせず、黙って其れを受ける人修羅が
何故か薄く笑っている。
(彼等の関係は、おかしい…!)
我は、それを見て、戦慄…した…
「その弱いサマナーの手足となって使役される君は何だ?」
「…」
「逆らえぬくせに、偉そうな口を叩くな」
ライドウが、人修羅の頬を汚した自らの血を指でなぞる。
「もう少し早く加勢に来い、愚図」
冷たく言い放ち、その指を顎に落とす。
「…っ」
人修羅の声が呑まれていく。
『はしたない奴だな、人前で』
傍の業斗の台詞に、我まで火照りそうになった。
(あんな方法を取らずとも、生気転換は可能だというのに)
その唇から、人修羅の生体エネルギイを吸ったのだろうか。
血の気を取り戻したライドウが、転がっている刀の柄を拾い上げる。
あんな柄と鍔しか残っていない得物をどうするのだ…
「雷堂、君の怒りが鎮まったかは知らぬが、退かせて頂くよ」
「…互いに満身創痍だ、我もそれを希望する」
「…では業斗殿、さらば」
『とっとと失せろ』
クスッと哂い、血で茶っぽく黒ずんだ外套を翻す。
そんなライドウの後を、とり憑かれた様に追う人修羅。
「雷堂さん…」
背を向けたまま、我を指して云う。
「ヤタガラスに居たら…あなたが潰れてしまうよ」
哀れみさえ含むかの様な…そんな声。
「…あそこが我の居場所だ」
ただ、そう返した。
何も考えずに。
(人修羅…君こそ、その主人に魂を吸われるぞ)



酷い1日だった…
探偵社の事務所に、いつもは戻りの挨拶を入れるが
それすらしなかった。
血で錆色に染まった、ごわつくホルスターを外す。
葛葉ライドウ…あの傷で、あそこまでの気力。
正直、思い起こせば恐ろしかった。
あれは、人助けを…しては、いる。
だが、目的の為ならその戒を簡単に破る人種だ。
その目的が…
(ヤタガラスの崩壊…だと云うのか?)
彼の受けた依頼、ヤタガラスにとって不利益な内容。
だが、それが…それが善ならどうなのだ?
もしライドウの行いが、帝都の為なら…どうなのだ?
(我は、傀儡か?)
血だらけの制服を脱ぎ、道具を布団の上に投げ出す。
(我は、ヤタガラスのデビルサマナー…)
帝都守護の為に、与えられた任務を、依頼をこなす。
(傀儡では…無い!!)
布団にそのまま突っ伏し、懐中時計を耳に当てた。
秒針が、刻んでいく刻。
それを鼓膜に、肌に感じながら放心していた。

『みっともない格好で寝るな』

声のする方へ、面を向ける。
翡翠の視線をギラつかせる黒猫が、戸を器用に開け
部屋に入って来る。
窓外は、薄っすら明るい。
「時計を…」
『?』
「時計を聞いていたら…もう、朝が来ていた」
本当の事だった。
『また寝ていないのかお前』
「…最近、眠れない」
『本部に導入薬でも調達させようか?』
違う、違うのだ業斗。
「何の為に人殺しを任されるのだろう」
『…』
「帝都の為か?」
それとも
「ヤタガラスの為か?」
ヤタガラスの繁栄は、帝都の平和と同義では無いとしたら…
「業斗、俺は…恐い」
黒猫を抱きしめる。
「恐いんだ…恐くて眠れないんだ」
まるで襲名前に還ったかの様に、業斗に話しかける。
『明…お前が組織の為に生まれたのは天命だ、それだけ思え』
その声に面を上げる。
『俺の様にはさせまい、お前は…お前だけは完璧なサマナーであれ』
「業斗」
『14代目葛葉雷堂、其れが俺の仕えるサマナーだ』

「…ああ、そうだな」

そうだ。
帝都に溢れる明るい声、温かな灯り。
穏やかな時…
全て、ヤタガラスが陰ながら形作ってきたものだ。
そうだろう?そうなのだろう業斗よ?

『して雷堂よ、今日の任務だが…』

いつもの日々がまた、巡り出す…
歯車の軋みに気付かずに。




羅刹日・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
ひええええ雷堂さん、可哀想なお人。
昔の一人称は“俺”です(笑)
そして業斗は最強に格好良いです、相変わらず。
今回戦闘描写ばかりで、なんとも色気が無いので
またまたライドウに接吻させてしまいました。
最近ライドウがキス魔な気がしてなりません…
雷堂話はもう1話考えてあります。
メインSSとしてはそれで一応雷堂は〆かと…
いえ、今後もネタが有れば書きますが!

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