「背中、痛く無いんですかっ!?」
「気持ち、好いに…決まっているだろう…」
「はっ、あぁっ、口、口からで良いから!放して下さいそこ!!」
「嫌ならば!もっと!背中に呉れッ!!」
「んああっ!!あ ぁあ あ゛殺し ちまうぅうゥッ」
背骨を横断して君の爪先が、ブチブチと血管を切る音。
どうしてか、本当にゾクゾクする。
ギリギリ衝動を踏み止まる君の爪にも。甘美に背中を駆け抜ける痛みにも。
「はぁあっ、あ〜っ、あ、ああ」
君の膝が跳ね上がる、半開きの唇から伝う唾液を啜った。
見開かれている君の眼に、嬉しそうに語りかける我…
「殉教する我に、せめて聖痕を与えてくれ給え…」
君の指が、ぴくりと動く。
「その証で天国に逝かせてくれ、矢代君…ッ」
互いの羞恥心を削ぎ合って、召されよう。
「うぁ、あ゛ぁああァ……ッ」
「逝かせてくれ!!」
血で滑り落ちながら、君の指が一閃する背中。
同時に上がった最後の悲鳴にゾクゾクと身体が蝕まれていく。
焦点を完全に失った君の眼の金色が、高い空の太陽の如く…暗い手術室に輝いた。
「はぁ…はあ…はあ……」
息を荒げる己の脳内で、天に達していた。
手に滑る蜜は人修羅の物なのに、己の下は濡れていないのに。
確かに、達していた。背中から突き抜けた快楽で。
「ぅ…うっ…ぐ…」
ずるりと我の背中から逃げて、学生服から這い出た人修羅の腕。
「ぁ、あああ…」
真っ赤に染まった両腕を見て、恐怖に怯える表情の君。
「違う、こんな…こんな酷くしたつもりじゃ!」
叫び出す君に、やんわりと、気怠さが混じる笑みで返す。
「酷い…?何が……?」
「え…」
「我は嬉しい…聖痕が在れば天国に逝ける…からな…」
指に滴る君の蜜を啜り笑っていると、君は我の両手に掴みかかってきた。
険しい表情なのに、どうして哀しげに震えている?
「俺の残したのはただの引っ掻き傷です!」
「聖痕で間違い無い」
「俺はそんなの与えれる程、偉くもなんとも無い!今この爪で…」
「消したくない」
ぼそりと、間近で呟いた。
「な、に」
「消したくない、この背中の君のくれた痕を」
「…」
「ライドウの背はそのままで、我には消せと申すのか?」
君の赤い両手を、振り払って逆に掴み直す。
「おかしいのか!?狂っているのか!?雷堂失格か!?」
唖然とする君を無視して、先刻まで微笑んでいた顔を変えた。
「君よりきっと赤に染まっているのだ、我の手は!!」
「ま、って」
「だから!くれ…与えてくれ…欲しい、欲しいのだ…」
その君の、斑紋ほど鮮明では無いが、きっと焼き付く。
「愛しい君からの傷は、免罪符だから……」
無ければ今、立って居れない、この世に。
「なあ…矢代君……我は天国に逝けるのだろうか…」
再度君を寝かせる様に、押し倒した。
学帽がとさりと落ちて、手術台の端に当たって床に転がった。
跳ね除け起き上がろうとした君の動きが止まった。
君の頬に、雫が零れていた。
朝露を湛える、白い花の様なその頬…
だが、君の金眼から伝ったそれで無い事に気付く。
「きっと、逝けますよ」
一呼吸置いて、人修羅が云った。
「純粋だから…少なくとも…俺より」
中途半端な体勢で、君は続けた。
「だから、泣かないで下さい…雷堂さん」
云われて、ようやく判った。
君の頬のそれは、我の涙だった。
「消さなくて良いですから、それ…」
赤子をあやす様に、今度は着衣の上から包んでくる君の腕。
温かくて、小母様を思い出していた。
「でも…だからこそ、やっぱ俺は傍に…居れないです」
穏やかな旋律が乱れる。
「俺はルシファーの傘下…貴方を引きずり込んでしまう…」
本心?それとも…好都合だからか?
「俺は地獄も天国も、意識してないから…死んだ先は」
ああ…そうか、だからライドウは君を手に入れていたのか。
葛葉の立場に在りながら、獄に与するあの精神が…
業の道を進む君と共鳴したのか。
「MAGと血が不足していた」
「…そうか」
「“此処で判明したのは”だがなァ?」
ガハハと笑って語るドクターを、遠くから静かに見つめる人修羅。
椅子の手摺に身体を寄り添わせて、俯いた。
「おい葛葉、あそこの悪魔はどうした?」
「我が採血する前にMAGを分けて頂いたのでな、きっと消耗している」
平然と云ってのける我の声を、君は聞いただろうか。
「秘めたるは無尽蔵なのに、意外と虚弱だな?」
「彼は力を望んでおらぬ…そこは云ってくれるなドクターよ」
血を抜いた箇所の綿糸を剥がす。
背中を軽く拭いてもらった際よりも、血臭はしない。
ドッペルの傷を真似せんでも良いだろうに、と爆笑したドクター。
追求されないのは、我が傷を残せと進言したからだろうか。
「矢代君…」
傍まで歩み寄ると、返事が無い。
「悪魔体とはいえ冷えるぞ、此処では…」
屈んで窺えば、うつらうつらと体が揺れていた。
(やはり半分は人なだけある…)
どこか可笑しくて、ふ、と笑ってしまった。
立襟の留め具を外して、その背から覆ってやる。
血で錆色に濁った着物を見て、替えを用意してやらねばな…と思った。
縦縞が似合うか、胡桃染に浅葱の色合わせはどうだろうか。
(帯はいっその事、雪白で……仕立て屋を呼ぼう、背丈に合わせて)
そこまで考えて、我に返った。
何を考え込んでいる…我は…
先刻共に居れぬと、あのようにはっきりと云われたばかりではないか…
人修羅から逃げる様に、廊下へと駆けた。
暗い廊下の両側に置かれる檻…その中から我に刺さる視線。
悪魔達の囁きが聴こえてくる。
『葛葉の十四代目が居る』 『珍しい』 『天使臭い』
『相変わらず異質、天上かぶれが』 『世間知らず』
『人間の中に居てもあれでは浮くだろうさ』
身体が震える。
(知らない、我は知らないのに…上の事もなにもかも!)
外套が無い所為か、酷く…寒い。
手術室の隣の扉を開け放ち、冷えの酷くない中へと逃げ込んだ。
後ろ手に閉めれば、薄暗い照明の下…横たえられた彼が居た。
「…ライドウ」
口にしたが、反応は無い。
ゆらゆらと、どこかおぼつかない足で近付いた。
「…」
こうして大人しく眠っていれば、凶悪な気配は見えない。
本当に同じ顔をしているのだろうか…嫌に、綺麗に見える相貌に困惑する。
「…紺野…貴殿が正直羨ましい……サマナーとしての能力も、その度胸も」
深く落ちているのを確認して、黒い手袋に包まれた左手を取った。
する…と脱がせれば、先刻我の背を穿ったあの手と同じそれ。
(既に貴殿の悪魔だったというものを…)
なのに斬り落として、自身の手をつけたのか。
彼でどこまで遊ぶのだ、貴殿は。
(我が…初めて包んだ手だったのに)
己を棚に上げて、暗い情念は雪の様に積のる…
(そんな非道な貴殿の為に、人修羅は我を受け入れんとした)
彼が喘いだ苦しげな、甘い吐息も、回された腕も全て…
ライドウ…紺野夜、お前の為というのか。
「…」
隣の部屋に用が有ったろうか?我は。
何故手術室から、たった今帰った?
手にした冷たく光る器具のひとつ…切断鉈が、いつもの大太刀より重く感じる。
さて、これで我は何をする予定だったのだ?
「ふ、ふふ…紺野…」
我はどうして笑っている?
「貴殿を治して…差し上げようか…」
彼の綺麗な左手首に向かって振り上げた。
聖痕・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
聖痕…スティグマータ。
濃い回でした…背中の傷で達する雷堂、おまけにドライオー○ズム…
しかし意地でも結合しない漢ですね(屈折してて寧ろ不味い)
受け入れたようでいて、結局拒絶する酷い人修羅。
何故かエロいシーンばかりになってしまいました。
本来書こうとしていたエピソードが後回しになる程に暴走した雷堂。
雷堂節全開の耽溺しきった心理描写にしたつもりですが…如何でしょうか。
子供の様な雷堂…純粋な欲求は、ライドウに似ている。
最後の展開に、皆様デジャヴを感じて下さい。