「随分と大きな箱ですね」
人修羅の怪訝そうな声音に、風呂敷の結び目を軽く持ち上げる仕草をしてみせる。
「何も無しに紅葉狩りも寂しいだろうて、従者に命じて軽くつまめる物を包んで貰った」
「お弁当って事ですか?遠足じゃないですかまるで」
「折角の君との逢瀬であろう?こういう時にこそ、従者の必要性を感じるな」
「本当、雷堂さんって案外せこいですよね」
「では矢代君は、不格好な握り飯でも食いたいのか?我は君の口に失礼をしたく無いのだ」
「……昨日、したくせに」
拗ねた様に、ぼそりと呟く人修羅。やはり、胸が締め付けられる。
如何して、そんなにいつも気を惹く言葉が吐けるのか。そんな仕草が出来るのか。
それをライドウは仏頂面と称していたが、我には愛おしく感じる。
『行楽も構わんが、鬼を殺した後にしろよ。食事の隙を狙われては堪らん』
「勿論だ、業斗よ。偶の楽しみくらいは許せ」
『人修羅が居て、頭が浮かれ過ぎだぞお前。春はまだ遠い』
黒猫の言葉に、気まずそうにしたが…次の瞬間やんわりと苦笑する人修羅。
帝都の街並みの中、しっかりと擬態した君の首筋が、少し寒々しい。
濃い藍染の色は、誰に似合うと云われたか…憶えているのだろうか。
「お弁当なら、俺が作れたのに」
そんな事を云わないでくれ、この風呂敷ごと中身をぶちまけたくなってしまう。
「君に早朝から仕事をさせる訳にはいかぬ、それに君は客人ぞ」
「毒なんて入れませんよ」
「まさか、そんな事を我が疑うとでも…」
『俺は疑うがな』
しれっと足下から、割り込んでくる声。
「業斗は猫の器だから、毒になる物が多いだけぞ」
『そういう問題では無いだろうが…!全く…目は覚めているのか?』
「夢を見る程度には、しっかりと寝れた」
『馬鹿か、夢を見るは眠りが浅いと云う事だぞお前』
猫に向かって喋くる奇怪な書生と思われても、構わない。
今はただ会話を繰り広げ、人修羅の気を惹き続けたかった。
しかし、あっという間に通りは流れ往き、気付けば喫茶店の扉は目の前だ。
「…矢代君、大変申し訳無いのだが」
「はい」
「紅葉狩りへと、山に赴く前に珈琲が呑みたいのだ」
「………はあ、別に構いませんけど」
「此の喫茶、憶えているだろうか?」
「…御一緒して…確か、奢って頂きましたよね」
「そうだ。憶えていてくれて、嬉しく思う」
扉を開き、ベルがカラリと。あの時と同じ音で鳴る。
地下に広がるこの店は、確かに印象深く残るかもしれない。
此処の珈琲豆を、鳴海所長に幾度買いに出された事か。
「結構朝早くからやってるんですね、此処」
着席すると、少し周囲を見渡す人修羅。
点々と席に居る客に、少し驚いている様子だ。
「得物を預けてくる」
「はい」
あの時と、同じ流れなので。少し虐めてみる。
「戻って来る男の顔に、傷がしっかと刻まれているか、確認するが宜しい」
「…本当、雷堂さんって偶に意地悪ですよね」
「ふふ、君が悪いのだ」
そうやって、単なるいじけでも、本気の嫌悪でも、何かしら反応してくれる。
そして、我の性質に溜息してくれる。その憂鬱な吐息は、我の為のものなのだから。
嬉しく無い筈が無い。
カウンターに大太刀を預け、席に戻って着座する。
眼を合わせた人修羅は、すぐに視線を逸らす。
「傷は有ったか?」
「有りますってば…!有るに決まってるじゃないですか…」
運ばれてきた珈琲の湯気。そのゆらゆらと燻る煙が煙草でなくて、少し安堵する。
そう、此処に葛葉ライドウが居る筈は無いのだ。
珈琲の芳香を鼻腔に感じつつ、世間話の様に問うた。
「紺野は死んだのか?」
やはり、仏頂面などでは無い。君は酷く、表情豊かではないか。
その見開かれた眼が、一瞬満月の様に金色に光った。
「…それは、どんな妄想ですか」
「妄想か?確かに…羨望や嫉妬に狂い「消えて呉れたら」と、願った事は有る」
ひとつ、珈琲を啜る。苦味ばかりで、あまり美味とは思えなかった。
これでも、味を記憶する事には自信が有る。
「昨夜吸った君のMAGが、混じり気も何も無い。其方のライドウの気配が感じられぬ」
「解かりません?俺、よくお預け喰らってたじゃないですか、あいつに」
「本質から、君の味が変質しているのだ、矢代君」
「何年前の記憶ですかそれ。時間経過で変わるものかもしれないって、考えないんですか」
「其方のヤタガラスの里で吸った…葛葉ライドウの使役下から外れた際の、君の味だった」
「…よく、そんな一口分程度の味憶えてますね。違えてるんじゃないですか、思い違いですよ」
「ほら冷めてしまう、君も呑めば良い」
促したが、カップの持ち手に指すら添えない人修羅。軽く俯いて、唇を噛んでいる。
これでは我が、あの時君を虐めていたライドウみたいではないか。
「例え…あいつが死のうが、貴方には関係無いでしょう」
「そうだな」
「さっさと飲んで、鬼退治しに行きませんか」
「いいや紅葉狩りだ。して君は今、一体何処に属すのだ?まだ銀楼閣に居候を続けているのか?」
「それこそ貴方には関係無い」
「其方のヤタガラスの傘下か?」
「堕天使の傘下には居ますけど、ヤタガラスなんかにへつらう気は有りません!」
激昂し、軽く立ち上がった君。
揺れた卓上のカップから、珈琲が零れる。
「火傷はしておらぬか?」
我も立ち上がり、君の隣に座り直す。
「する訳無いでしょう、ソーサーに零れてるだけで…」
「唇を噛み過ぎたろう、血が滲んでいる…」
懐から取り出した布でその唇に触れれば、やはり柔らかだ。
押し退けてくる人修羅の手が、次第に強張る。
視線に狼狽を感じた我は、手にしたその黒布を敢えて彼の眼前にひらひらと舞わせた。
「君が、機関の者に巻いて呉れた布端だ」
「…何です、俺の着物の一部だから、部下から巻き上げたんですか?ふふ…ストーカーじみてませんか雷堂さん」
「無論欲しい、が、その前に……正確には、此れは君の着物羽織りでは無いな?」
「何が云いたいんですか」
「退魔の呪文が裏地に…しかし、我々の装束の呪文や質感と、僅か違う」
「我々…」
「此れはヤタガラスの者が纏う黒装束だ。それも平行世界…君の居る方の物であろう」
外套を軽く捲って、袂の紫紺を見せつける。
警戒に、一瞬肩を揺らした人修羅。我が管でも出すと思ったのだろうか。
「この外套や制服にも、退魔の加工が施して有る。デビルサマナーならば、誰しもが施す防衛方法だ」
「……こっちに来る直前まで、自分の所のヤタガラスの里に居たので…」
「其方の従者から、装束を剥ぎ取ったと?喧嘩でもしていたのか?」
無言のままの人修羅。次に何を云おうか思考するその横顔さえも、我には好く見える。
我と君は、葛葉ライドウと違って酷く悩む。
その共通項に、親近感を感じていた。
「矢代君…君は、無視(しかと)が下手だ」
「……」
「尤もらしく事情を説明してくれたが…それが却って違和感を感じる。単純に危機を知らせに来るならば、我等の一員を助けにわざわざ山に入らぬだろう」
普段の人修羅なら、一直線に我の所に出向く。そして、云うだけ云って去る。
相手がヤタガラスなれば…世界が違えども、人修羅が救いたがるとは思えぬからだ。
「君と居た時間は決して長く無かった、しかし矢代君。我はだからこそ、君の一言一句から仕草までを記憶しようと、あの頃から必死だった…」
横に居る君から、愉しみの気配は感じられない。真っ直ぐに虚空を見つめるばかりの人修羅。
共に居る時は、本当はいつも笑って怒って拗ねて欲しいのに。
「だから、君の感情はある程度読める」
「読心術なら、俺には効きませんよ」
「君の極端な優しさや、意固地な所や、酷く嫉妬深い所も――」
「これ飲んだら、帰っても良いですか?俺、本当は珈琲苦手なんです。あの時は、少し背伸びして飲んでましたけどね」
人修羅の指が、カップの持ち手を掴もうとする。
それを阻む様にして、指先をはっしと握る我。
「同士討ちを企てたのであろう?平行世界のヤタガラス同士の」
ふり払われそうになる、それを制してまだ続ける。
「あの四鬼達は、君も知る悪魔だ。ライドウの心の中で観た、あれは恐らく君が彷徨ったボルテクス界という砂漠だ。その景色の中、暗い坑道の中に居た」
「全部貴方の妄想だ…」
「君は実世界の悪魔を現在使役していない…もしくは出来ない。そこで過去に調伏した悪鬼共を駆り出した…あの四鬼達はボルテクス界の悪魔なのだろう?君が打ちのめした」
「俺が悪魔を使役?御免ですよそんなの」
「君の行動理念からするに、人間を殺傷するよりは悪魔を利用するが芳しい。単純にヤタガラスを潰すにせよ、自らの手は汚すまいとする。ヤタガラスの殆どは人間だからだ」
人修羅の眼が、徐々に鋭さを増してゆく。勝気な性分も、気に入っている。
いいや、どちらかというと戸惑いだろうか。確かに、我が君を追い詰める様な事ばかり口走るのは、初めてだと思われる。
この異常事態に、全感覚で警戒をしているのだろう。
「あのオンギョウキは、恐らく君が擬態術を悪魔に施させ、自ら成ったのだ。焔を使うオンギョウキなぞ、聞いたことが無い」
「…俺がオンギョウキに成り替わる理由は何ですか、どうして鬼なんかに擬態しなくちゃ…」
「悪魔を信用しておらぬからだ、命じた通りに動くと思っていない。君が嫌悪する対象であるからこそ、その姿に成り人間を襲ったのだ」
そう返した途端、君が肩を揺らした。今度は失笑に揺らしている。
「俺の事、よく御存知で」
「……所有していた其方のヤタガラスの装束は、自ら纏い我らを襲うか、それか切れ端を山の現場にでも残す予定だったか?すれば、同士討ちの火種になる」
「そうですね、でもきっちり身に纏うと胸糞悪くて…羽織にするのが精一杯でした。思ったより早く雷堂さんも来たし」
「我をおびき寄せるには、ヤタガラスの人員の負傷が手っ取り早い。そして君はオンギョウキと成り襲った……が、結局は襲った相手を追って、焼けた腕に布を巻いた。それが原因で気付かれる事も知らずに」
「だって、気分はどうしたって好くないからです…人間に手を出した事実は」
非情に成りきれぬ…そうかと思えば、同士討ちを狙って謀る非情さよ。
「そんなにまで、ヤタガラスが憎いか?」
「一番憎いのは、俺にマガタマを飲ませた堕天使です」
「しかし君は、いよいよ人間に手を出してしまった。悪魔を利用し、人同士の争いを目論んだ。それは許されぬ事だ」
それなら如何した、と云いたげな君の視線。
痛くも痒くも無い…と云えば嘘になるが、この痛痒さは苦痛のみでは無い。
黒い布端に付着した君の血の薫りを、甘く錯覚する。
純粋な人修羅だけのMAGは、あの焚き染めた香木の色香とは違い……何処か瑞々しかった。
その黒を懐に、また仕舞う。まるで記念品の様に思える、傍から見れば血腥い一品であるが。
「我の役目を知っているか」
「十四代目葛葉雷堂、帝都の守護をするデビルサマナーです」
「つまり君が今回来た理由は、排除の対象と成り得る」
「もう決定事項なんですか?俺はまだ自分の口から全部を云ってない」
立ち上がり、元の席に向かう我。人修羅の眼が、此方を離さず捉えてくる。
君の中でも、我が攻撃対象と変質したろうか。
着席して、隣に置いてあった風呂敷包みを卓上に差し出す。
「ヤタガラスの殲滅が目的か」
「……元々薄暗い組織でしょう、一石投じるだけで勝手にやり合う。俺はそこそこ煮え湯を飲まされてる、報復する理由にはなりますよね」
「自らが息の根を止めなければ、それは殺戮にならぬと?君が謀ったのは、多くの血が流れる争いであるぞ」
「雷堂さんは、山に逃がしてあげようと思ったのに」
「だから誘き寄せてくれたのか?一芝居打ってまで…」
「この後、あの山に行っても鬼は出て来なくて…紅葉狩りだけしてヤタガラスの本殿に戻った頃には、戦いが始まってる」
「その様な算段か…山に悪魔をまだ控えさせているな?しかし本殿に我一人居らずとも、あそこは皆統率されておる。平行世界のヤタガラスと争う気は無いが、負ける気も無い」
「……別に、どっちが勝とうが負けようが構わないんです。あの連中が…傷付けば、もうそれで…」
嫌いな悪魔を利用してまで、罪を擦り付けたのか。
確かに、鬼を逃したとなれば…我が出向くであろう。強敵であれば、尚更。
今、こうして対面している事実が、物語っている。
「帝都守護の柱である我を戦場から引き離すは、勝敗に無関係と?それは、君が我を好いてくれているからだろうか」
単刀直入に斬り込めば、君は目許を引き攣らせて耳を染める。
ライドウの様に鮮やかに受け流す術を、我等は持たぬ。
「…お世話に、なったからです」
ぽつりと呟いた君に、心が弾む。昨日見た、水面でくるくる回る楓の葉の様に。
「ヤタガラス潰しは、其方のライドウの意志でも継いだつもりか?」
かあっ、と頬が染まる人修羅。何か云わんとして、それを中断していた。
食器を脇に退け、風呂敷に包まれた箱を目の前に置いていたからだ。
弁当と伝えてあった此れの正体に、疑問を感じ始めたのだろう。
「……飲食店で弁当開ける気ですか」
「昔はな、小父様と小母様と、三人で行楽に行ったものだ」
「俺の質問に答えて無いです」
「舞台に立つ者は、感性を鍛えねば、磨かねばなるまいと。春の桜から夏の花火、秋の紅葉に冬の森…諸所漫遊した。
この様に、重箱など包んで、小母様は幼い我の為に甘い卵焼きなど焼いてくれて。学校へは行けなかったが充分だった」
風呂敷の結び目を解けば、呆気無く拡がった。
花開く様にふわりと、包み隠していた箱が其処に現れる。
数段に分かれる重箱と違い、一つ蓋の大きな箱だ。弁当の箱とは到底思えぬ外装に、人修羅が眉を顰めた。
「特に秋は五色霜林…二人共好きであった。我も、赤い紅葉が大好きで、呼ばれるこの名も相俟って…秋が好きで」
「昔話を…時間稼ぎに使わないで下さい」
「そうだな、もっと枕元で話しておけば良かった」
身近な者にはとても語り遂せない、莫大な記憶だった。
たった数年間だが、ひとつひとつを大事に憶えている。
三日三晩語り続ければ、もしかするかもしれぬが。君を傍に置いていたあの頃、語る暇が有るなら吸い付いていた。
「昨日、君も鬼の側から見ていたろう?あれが偽りの芝居であったとて、川を流れる紅葉は昔見たそれと変わらぬ」
「…誰も“あき”が嫌いだなんて云ってないです」
君の今発したそれは、どちらなのだろう。
「しかしな、あの頃の我が見た景色と、今の我が見る景色は違う」
我の、布手袋をしたままの指先が箱を開く。人修羅の視線の先が、その中にすかさず滑り込む。
真っ暗な闇の如しその中は…
「……空っぽ…?」
「我等が見る景色は五色霜林に非ず、矢代君…屍山血河だ」
「それ、何の箱です」
「鬼の首を取って、持ち帰る為の容れ物だ…」
「だから、山に行った所でオンギョウキは居ないって…正体は俺が擬態してたって、貴方もさっき云って――」
人修羅はそこまで云うと、残りの言葉と共に息を呑んだらしい。
暫く沈黙が続き、周囲の会話や陶器の触れ合う音だけが響いた。
「…此処で、俺の首を取るつもりですか」
「然様」
「当然ですが、俺は抵抗しますよ。貴方が相手だったとしても、自分が殺られるくらいなら、貴方を殺す」
「此処は人間が多いが、君にそれが出来るのか?」
「貴方こそ周囲を巻き込む事を怖れて、怯えながら葛葉をやっている。隠し身が出来る悪魔を召喚したところで、戦いは避けられない…周囲に被害は及びます」
「そうだな、我は臆病者だ…君がよく知っておろう」
「俺は…周囲を殺さない程度に暴れる術は持ち合わせてます。逃げる人間を殺すつもりも当然無いし、この世界はどうせ別の次元だから…人修羅の姿を見られたって、もうこの世界に来なければ良いだけの事です」
「君をみすみす帰す訳にはいかぬ、アカラナ回廊への路も封じさせて頂く。放っておこうが、いずれ来る様に仕組んであるのだろう」
「そうですよ、あの里の連中…本当、下らない理由ですぐ食いついてきて。けしかけるのはこっちのヤタガラスより楽でした」
「たとえ攻め来ようが、我が真実を話す」
「平行世界には…葛葉ライドウの十四代目にそっくりで、しかも機関に従順なデビルサマナーが居るって、御上に話しましたよ」
人修羅が、額を軽く撫でて哂った。
「そうしたら奴等、貴方を十四代目ライドウの替え玉にって欲張りだして…もう、堪らない鬼畜共で、下種い衆で…!ある意味助かりましたよ、はは…」
かつての主人と似た笑みで、何処か胸を締め付けられる。
「まあ、雷堂さんは額に違いが有る……ふふ、傷物でしたっけ。完全に見目一致はしてませんね」
「そうだな」
「…怒って下さいよ、貴方を愚弄してるんですよ俺は」
「我が今から行うのは君の調伏だけだ、人修羅よ」
「俺を殺して構わないって約束したのは、あいつにだけだ」
「既に亡きサマナーとの口約束なぞ、我には関係無い」
カップになみなみと揺蕩う珈琲を、我にぶちまけた人修羅。
咄嗟に外套で前を覆い、湿った芳醇な薫りが布地を一瞬で湿らせた。
「やれるもんなら、やってみて下さいよ…雷堂さん」
確かに今なら、ただの喧嘩と思われるだろう。
席から立ち上がり、空のカップを掴んだままの君が薄ら笑う。
周囲に届かぬ声音に抑えて発した、我への挑発。
「こんな喫茶店の中で、召喚して大太刀振るって、俺の首取ってみたらどうです…そうすれば貴方も異端で、人殺しだ」
その悪魔の様な態度の数々に、我は納得するしか方法が見い出せないのだ。
君が意固地で無茶で強気で、これ程助かった事は無い。
「云ったであろう、我は臆病者だと」
立ち上がり、片手を挙げ示す。すれば次の瞬間には、飛んでくる大太刀。
鞘袋から既に抜かれ、鞘に納まっているそれをむんずと掴み天に掲げる。
人修羅の眼が我を警戒しつつ、店を見渡した。
「カウンターの男、グルか、っ」
「御首頂戴致す、人修羅!」
鞘を開き、抜くと同時に刃を叩きつける。
テーブルが両断され、食器の割れる音が重なり合い輪唱する。
先刻まで座っていた椅子の背を足場にして、人修羅が後退しつつもまだ擬態を解かない。
と、その背後の席の初老の男性が、足首を掴む。
ぎょっとした人修羅が足元を見た瞬間に、胴を狙い横一文字に刀を振った。
寸前まで迷ったか、男性を蹴り飛ばして椅子から転げ落ちた人修羅。
我の刃は空を斬ったが、その倒れ込んだ人修羅に覆い被さる影が有る。
「こいつ、っ」
蝋引きしてある床板に癒着するが如く、人修羅の四肢を絡めて根を張るジュボッコ。
そう、カウンターの店員だけでは無い。
次々に立ち上がる客員は、皆擬態したヤタガラスの手足達…悪魔かサマナーだ。
「我がデビルサマナーと忘れたか、人修羅よ」
わさりわさりと枝を震わせ、彼の袖を突き破る樹木。
幹に馴染んだ白骨が、からからと乾いた音を鳴らす。
「こいつ等が悪魔なら、いっそ気楽です」
枷となったジュボッコごと、鉞の様に頭上から太刀を振り下ろして穿つ。
が、瞬時に燃された枝葉は脆く、我の得物の先に割られたのはジュボッコだけである。
『あっつ!消火消火!』
「すまぬが己にブフでもしてくれ!」
『うわ燃え損!』
轟々と燃え盛る樹からずくりと刃を抜き、一言詫びてから構え直す。
脇に転がり抜けた人修羅は、すぐさま立ち上がり首を捻る様に回した。
彼の首筋が、こんな瞬間だというに厭に艶めかしく感じる。
「木製の拘束具なんて、話にならないですよ」
其の白い項に回した手で紋抜きを広くすると、しゅるりと黒い突起が怜悧にそびえた。
睨みつけてくる金色が、薄暗い店内に鮮烈に輝く。
「数撃てば当たると思ってるんですか?悪魔なら俺は、何だって殺れる」
「サマナーは人間ぞ、無論我もだ」
「つまり俺を殺そうとしたら、やり返しても法的には正当防衛になるって訳です」
「君の首を持ち帰り、威光を示してやろう。其方のヤタガラスに不可侵を云い渡してくれる、我が守護するはこの世の帝都なり」
君の顔が、其処で少し微笑む。
その微笑みの傍から、頬に首筋に着物袖の指先に、黒い墨汁を垂らした様に紋様が奔る。
片足で床板にたたらを踏み、悪魔の燃え滓を袴から篩い落とした。
「もう鬼の首を取ったつもりですか」
と、その袴が弧を描く。その脚の動きは半月が如く、空気を裂く様にして光弾を降らせてくる。
太刀の鋼で幾つか受け止め、傍から召喚した龍が泳ぐ様に我の前方で壁となる。
ヴリトラの胴に身を隠しつつ、技を放ち終えた人修羅の隙を狙いに接近する。
当然、気配を察した人修羅は腕を交差させ、袖から突き出した腕に焔を這わせ叫ぶ。
「隠れるな!いつもみたく俺に跳び付いて来たらどうですっ」
暴風に散りゆく紅葉の様に、人修羅の焔が此方に靡いて舞い来る。
しかし、我を囲うヴリトラの硬質な鱗は、焔を寄せ付けぬ。焔を水が如く吸収しては潤っていた。
嗤い呻る龍に、人修羅も察したのか腕を袖に引っ込める。
攻撃が止んだと判断した周囲が、各々の悪魔を従え彼を囲むが。
跳びかかろうが無駄であろう…目配せし、サマナー衆に号令をかける。
「警戒せよ、援護に集中するのだ。壁は張るだけ時間の無駄と心得よ」
焔ばかりを操る彼だが、決して他の攻撃方法を持たぬ訳では無い。
ボルテクスという世界を生き延びたのだ、一辺倒なれば人修羅の名が泣く。
「こんなにガン首揃えて人の事ハメておいて、結局頼りにしてるのは自分だけですか…」
「被害を被るのは我だけで充分だからだ、君と同じく芝居を打ったまで」
「俺が悪魔を信用出来ないのと同じ、貴方も他人を信用出来ないんだ、雷堂さん」
「君の首で箔を付けたいと云ってみようか」
「そんな冗談云えたんですね、貴方」
「…似ていて、嬉しいか?」
眉を顰めた人修羅の表情を確認して、心を乱せたと確信する。
ヴリトラの尾を蹴って一気に跳躍し接近すれば、はっとした君が宙返りで背後のテーブルに着地する。
『タル・カジャ』
『ラク・カジャ』
黒装束の使役するラミアとネコマタが、テーブル下から我に向かって補助を唱える。
「下…っ」
体勢を直す人修羅、と同時に、ラミアが思い切りテーブルの天板へと尾を振るい上げた。
人修羅の足場は割れ砕かれ、その崩れた隙間からネコマタが爪を薙いだ。
足首の腱を損傷したのか、少し呻いた彼は上へと跳び逃れ、天井照明にぶら下がった。
我はその下へと駆け、滴る血を頬に浴びた。
洗礼の様な滴のその感触と、輝く照明を背にした人修羅が相乗して、酷く神々しい。
「覚悟、っ」
我がアンズーの突風に乗り、その首を狙える高さに舞い上がった瞬間、視界が暗転する。
人修羅の金の眼と斑紋の蒼だけが、残像の様に網膜に残って、流れ消えた。
「ランプを割りやがったんだ」
ヤタガラスの誰かが叫んだ。確かに地下にある此の空間、照明が機能せねば人間は無力。
我は咄嗟の環境変化で力が腕から脱し、緩い刃を振るうに終わった。
手応えは当然無い。代わりに、此の腹に酷い衝撃が入った。
「ぅぐあっ」
蹴られたと自覚したのは、壁に叩きつけられ、暗闇の中に崩れ落ちた頃ようやくであった。
照明は全て割られたか…好きに戦えると思ったこの地下が、これでは逆効果を生み出している。
あの斑紋と眼の発光を頼りに探れど、何故か見当たらぬ。
もしかすると、光を消す為に人間へと擬態をしたのかもしれない。
(落ち着け、店を出られぬ限りは…まだ)
呼吸を落ち着け、蹴られた腹を軽く撫でる。細胞が潰された証拠に、触れた箇所が痛んだ。
補助魔法の恩恵が無ければ、骨が損傷していた可能性が高い。それくらい容赦の無い蹴りだった。
『ドコダ…モットヒカリヲ発スル奴ハ居ナイカ』
『しっ、下手に騒ぐと危ないわ。多分、発光したら真っ先に狙われるわよ…』
アンズーとラミアのやり取りが聴こえる、その方向を見れば、ぱちぱちと火花の如し光が瞬く。
恐らく、彼等がまばたきをしているのだ。悪魔の眼は暗闇によく輝く。
下手に動くまいとしているなら、悪魔達の気配で位置関係を探る事が出来る。
(ラミアの位置より二歩右の通路、崩れた障害物も無し…真っ直ぐに駆け、大凡十歩で階段…)
先刻見た記憶を頼りに、即座に駆け抜けた。
階段は一段ずつ歩みを進める事はせず、一息に跳び超える。
足音を気遣わず、店の入口まで一気に辿り着く。
(其処に居るのか)
僅か、外套の端が何かを掠めた感覚に襲われていた。
今通り過ぎたのは、人修羅だったかもしれない。擬態していれば、いくら彼といえど夜目は効かぬ筈。
ぴったりとカーテンに覆われた窓、別珍素材の遮光効果で、外の光は遮断されている。
ぼんやりと窓の額を浮かび上がらせてはいるが、それ以上の光は入り込めない様だった。
カーテンを開くか?いいや、それは駄目だ。外部には漏らさぬと、我が今朝方ヤタガラスに説明したのだから。
我が、人修羅に自ら…この手で…と。
窓と布一枚を隔てて、帝都の明るい秋の空が広がっているのだから。
(この空間からは出さぬ、人修羅…)
昔、鳴海所長の好き人とて始末したのだ。陽の目も許さず殺したではないか。
此処で彼を斬らねば…我は…この役目を本当に降りなくてはならぬ。
すう、と空気を吸う。大気にMAGの流動は感じられぬ。恐らく人修羅は、丸腰で立ち止まっているのだ。
扉の手前で擬態を解き、蹴破って脱出でもするつもりだったのか…
しかし、此処に我が居て跳びこめぬという事か?
では、跳び込みたくなる魔法を唱えよう…人修羅よ。

「おいで」

喉仏を震わせながら、普段よりも僅かばかり高く発声する。
身体の形は同じなのだから、演じるは実に容易かった。

「おいで矢代」

眼の前に、ぽっかりと双子満月が見える。
その月から滴り落ちる様に、水色の光がひたひたと流れた。
真の主で無いと、理解出来ぬ訳が無い。其処まで頭が回らぬ君では無いと、我も認識している。
そう、これは騙す為の演技では無い。君を落とす為の演技では無い。
ただ君を…傷付ける為の、呪いの声だ…人修羅よ。
「うわあああぁッ」
鮮明に感ずるMAG、そして宵闇に浮かぶ光の軌跡。
焔を発するでもなく、鋼の爪を立てるでも無く。
捨て身で薙いだ太刀が、手応えを振動させる。同時に叫びが千切れ舞い、葉の様に何処かに飛んだ。
直後、我が身に奔る衝撃に一歩下がって踏み止まる。
「……灯りを呉れ」
控える黒装束に命ずれば、真っ先に発光を行ったヌエが照らされた。
其処を軸として、大気がピリピリと電気を纏う。その不安定な光源に、我の胸元が明るみになった。
「雷堂様…!御見事に御座います」
胸を撫で下ろす黒装束達、既に一般民の姿をする者は一人として居なかった。
胸を抱き締める黒斑紋で、我は己の其処を撫で下ろせない。
半分悪魔であれど、やはり血は変わらず紅かった。
まだびゅくびゅくと、乱れ噴く鮮血が紅葉の様だった。
「早くその腕を落としませう、まだ残る力が胴を折ろうとするやもしれませぬ」
「…待て、此れは我を拘束する腕ぞ?自身で処置は行おう…加減を違えられては、痛いのでな」
人修羅は、攻撃もせずに両腕を広げて…我を抱き締めたか。
いいや、我を抱き締めたかった訳ではあるまい。そんな事は承知している。
血濡れの手袋を噛んで脱ぎ、素手を傍に差し出した。すれば、黒装束が抜身の小太刀を寄越してくる。
「皆、協力に感謝致す……これより本殿に帰還し、異世界の悪魔と思わしき者達を掃討する」
未だ我を抱き締めて呉れる腕に、つぷりと切っ先を立てる。
目測を捉え一気に押しやれば、ぐらりと黒い花の咲く肩が揺れた。
もう片腕を同じ様に斬れば、ごとりとその身体が床板に転がった。
「……首桶を持て」
紅葉を見に行かずとも、痛いまでの紅の中に我は佇んでいた。
甘露の様な、若草の様な、鉄錆の様な…心地好い様な、悪い様な。
人修羅の血の不思議な薫りに、外套も制服もじっとり染め上げられている。
(そんな眼で見ないでくれ)
弁当箱と称した此れに君の首を詰めて、これから何処へ行楽に行こうか…
ぼんやりと考えていた。



紅葉に鹿《中》・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
控え目ながら、首と両腕の切断描写でした。
ごちゃごちゃ云わせて解かり辛いのですが
「矢代はヤタガラス同士の同士討ちを狙っていた」
「自らの手を汚したくない(人殺しが嫌)から、回りくどい方法をしている」
「雷堂自体を、その戦いには巻き込まぬ様に画策していた(だから誘き寄せた)」
とりあえずこの辺だけ意識して、読んで頂ければ幸いです。
今回の人修羅はかなり独善的で、ライドウに未練有る癖に次の回では甘えてます、その辺ご注意下さい。

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