「っ、ぐ」
もう殺したくなったか、やはり我は思い遣りの無い言葉ばかり吐いてしまうのだ。
自己嫌悪と納得の狭間を行き交いながら、君に与えられる苦痛に甘美さを味わい始めた頃、ふっとそれが失せた。
ぐぐ、と鎖に引き寄せられていた我の唇に、人修羅が啄み餌を与える親鳥が如く、十字架を噛ませて来た。
我が咥えたのを確認すると、腹筋から力を抜いた人修羅が再びどさりと横たわる。
「ごちゃごちゃ悩むなら、今すぐ眼の前で両腕斬って俺に下さいよ!それ繋げて貰って、今度こそヤタガラスを潰してやる…っ」
十字架を放せば良いだけなのに、我は咥えたまま制止していた。
そして、考えるより先に君を撫でていた手が、腰のホルスターに回る。
後ろ腰に携えている小太刀は、あの時君の腕を落とした得物だ。
君の血を沢山吸ったので、記念に貰っておいたのだ。どうしても、他の者に渡しておきたくなくて、つい。
「…雷堂さん」
が、いざ己の腕を与えようとすれば、君の脚が我の脚に絡んできて動きを阻む。
「どうしていつもいつも…眼だってそうだ。義眼だからって抉ってしまった時、俺が…どれだけショックだったか、解かります?」
十字架を咥えたまま、小さく首を左右に振った。
「俺の所為にして、何でも勝手に差し出し過ぎです。冗談も通じないんですか?俺の罪を勝手に増やさないで下さい……更に離れられなくなる」
今度は小さく頷けば、溜息して君が微笑んだ。
「俺があいつに未練だらけなのも、貴方に重ねて見ている事も…貴方が読んだ俺の心は、殆ど当たっているんです。だから、貴方に寄せる好意だって…貴方が感じ取れない筈は無いんだ」
しゃらりと鎖が鳴る。我は阿呆の様に、何時の間にやら口を開いて君をぽかんと見つめていた。
「俺が無茶云えば、夜ならすぐに叩き伏せる…ムカつく哂いで。でも貴方はやっぱり違う…差し出せという類は、簡単に受け入れる。本当に別人だ」
「…我に出来る事なれば、何でもしてあげたいのだ」
「それなら「忘れさせよう」とか、それくらいの気概を見せて下さいよ…でないと俺…やっぱり、貴方とするのは恥ずかしい」
云いながら、人修羅の白い股が開かれる。我を絡め取っていた脚が、震えながら招き入れる。
湿った液体が後ろの孔を既に濡らし、狭そうな其処は呼吸と連動して息衝いているのが見て取れた。
「さっき、「口寂しかったのかと思った」って、云ってたでしょう。馬鹿な、って笑ったつもりだったんですが、何も笑えなかった」
金色の眼から、ゆっくりと滴が零れた。反射的に舐めたくなるのを、我慢した。
「キス…されてると…顔なんて暗がりに見えなくて。気配と形は凄く似ていて、外套に包まれたら…薫りだって違うのに」
「…すまぬ」
「でも、雷堂さんだって事は理解してるんだ、それでも…あまりに久しぶりで。別にキスとか、こういうの好きって訳じゃないのに、なのにっ…………寂しい」
肩を揺らして、拭えぬ涙をひたすら我の外套に吸わせる人修羅。
「好きって云われて抱き締められるのが、嬉しいって気付いて…貴方に不埒な欲求を持って……でも、俺の契約相手はやっぱり貴方だと思えなくて!」
「我は別に、君の一番でなくとも構わぬのだ。触れさせて呉れるだけで、ある程度生きる活力を得られる」
「一番があいつだなんて誰も云ってないです!」
「ほう、では誰なのだ?」
嗚咽する君は、また沈黙する。またやってしまった、虐めるつもりは無いのだが。
「矢代君、今はただ委ねては呉れぬだろうか。腕を失くした君は、我と殺り合う事も難しいであろう…」
「今からヤろうとしてる癖に…」
「いいやいいや違う…いや寸分も違わぬか。操云々では無く、我のMAGをただ呑み込み…鋭気を養って呉れと云っているのだ」
「身体が治ったら、俺…どう動くか分かりませんよ?あまりに危険な橋じゃないですか、貴方をまた殺そうとするかもしれない…ヤタガラスの人間に、手を出すかもしれない」
「すればまた、君の首を刎ねよう。そしてまた、治るまで此処で愛でよう」
「…悪趣味」
「双子なのだ、仕方あるまい」
「…?」
今の言葉に首を傾げた君は、我とライドウの関係を知らぬのだろう。
我も詳細を伝えるつもりは無かった。ライドウが我の部屋に残した書物…あれから読み取った程度の内容だ。
嘘か真か、それすらも判らぬ情報だ…云うべきでは無い。更に君を悩ませてしまうだろう。
「良いだろうか、我も張りつめた下を放置するのはそろそろ厳しいのだ」
「…いつも、欲求とか隠しませんよね」
「もう一度、足を君から絡ませて呉れぬだろうか」
「いえ、容認してる訳じゃなくて……もう……」
拗ねた様に咳払いする人修羅だが、数拍置いた後に開いていた脚をそっと我の腰に回してきた。
そんな淫靡な動きをする癖に、眼は泳いで、頬は秋の山の様だ。
「我と君は、似ているな、やはり。しかし少し違う」
「何ですか急に…するなら、さっさと済ませて下さい」
「同じように惑い、後ろめたさを感じつつ……君は怒り恥じらい捨て身で斬り込み、我は不安に逃避し無我夢中で斬り付ける」
「どっちも最悪ですね」
「だろう?紺野の異様な逞しさが、今になって更に身に染みる」
寂しげに目許が撓んだ人修羅、それは微笑みの類だ。
君の心の中の彼までは、流石に読めぬ。憎しみ合っていると、互いによく云っていたが…
憎しみと愛は表裏一体だと、また口にしそうになって踏み止まった。
小ぶりな臀部を軽く撫で上げて、とりあえずは囀りを聴こうと思った。
「顔が見えぬ方が宜しいか?」
「…またそういう気遣いして」
「いいや、我としても向かい合って、君の頬の高揚を愉しみたいのだ」
「紅葉は周りに有るじゃないですか、それで我慢して下さいよ…」
「では、うつ伏せにさせようか?」
「このままで良いです」
むっ、と唇を引き結んだ君が、膝頭を寄せ我の脚を威嚇する。
「俺はあいつの影に身体を任せるんじゃない、MAGを貰うんじゃない…」
人修羅は、己に云い聞かせているのだろう。我はその間口を出せずに、馬鹿の様に着衣を寛げていた。
「葛葉雷堂に……明さんに任せるんだ。だから、顔も見ずにMAGだけ頂くのは、やっぱり失礼です」
「君の、咬み付いた後に傷跡を舐めるその姿勢が、我は気に入っている…」
「変態…」
「傷が有った方が、何もかも敏感に感じ取れるであろう?君からの何かが倍になるは、真に幸福だ」
「やっぱり、夜と全然違う…」
小さく呟いた君の耳を舐める。くちゅくちゅと軽く舌を挿しこめば、鼓膜の傍では激しい波音となろう。
褌越しに君の雄に、己の愚息を擦り付ける。下肢の刺激で荒れた吐息が、君の鼓膜を更に叩く。
早く挿入したくて、既に契約相手の居ない君を心の半分で喜んでいる。
以前あれ程、君から求められなければ無意味と思っていたのに。今となっては意固地であったと後悔している。
こうして密着すればする程、汚い自身が視えてくる。それでも君に我の匂いを付けたくなる。
「ああ、そうだ…男の孔は湿らぬのか、慣らさねば」
人修羅の足首を指先で撫でつつ掴み、上に持ち上げる。
浮いた臀部にすかさず掌を添わせ、更に持ち上げつつゆっくり押し広げた。
起き上がり小法師の様な君は、腰を固定されては自由が利かぬ。
羞恥と緊張か…眼の前の孔がひくひくと蠢く様に、自身の褌がきつく張る。
「唾で湿るのだろうか…」
疑問を口にしつつ、その窄まりに舌を挿しこんでみる。
すれば跳ね返すかの如く、きゅうっと引き絞られる孔。
負けじと、皺を一筋一筋、無くすくらいに丹念に舐める。舌先を押し付け、ざらつく表面で孔全体を濡らす。
「ぁ、はぁっ……はぁ……い、痛くて良いから、もう突っ込んで下さい…っ」
「ん……焦れたのか?」
「ち、違う…そんな、しつこく舐めなくて、いいです、っ」
「こんなにきつそうだが、これは問題無いのだろうか?」
「はぁ、っ…だったら、がばがばのに突っ込みたいんですか…雷堂さんは」
「君の孔が緩くなれば、手を挿入し直接君の性感帯を撫でてやれよう。さほど問題では無い」
「もう、っ!どうだって良いですもう!」
真っ赤になって我を軽く蹴る君の脚に、甘えを感じて嬉しい。
しかし、痛みよりは快を与えたいのは事実で。試に人差し指をつぷりと挿しこんでみる。
「あ、っ……ん」
一際甲高い声で啼いた人修羅は、身を強張らせて背をしならせた。
その反応に、我の背にもぞくぞくと痺れが奔った。
トールの静電気が如し煩わしさは一切無く、全身の毛孔が開いて…まるで覚醒したかの様な心地だ。
堪らずに、ぐりゅ、と更に押し進めれば、人修羅の脚が空に踊る。
試しに関節を曲げれば、無い腕で背の外套にしがみ付こうと一生懸命に肩を捩っていた。
「なあ、矢代君、挿れたい」
「だ、だからっ……良いって云ってます、さっきから、ぁ」
「大丈夫か?裂けてしまわぬだろうか?」
「はぁ……はぁっ……余裕で入るくらい、萎んでるんですか。あいつのは、そんな事無かったですけど、ね」
徒に微笑まないでくれ。それが無意識でも確信的でも、君の挑発に我は本当に弱いのだ。
やはり我を見て感じて欲しい。此の浅ましい欲求が君を傷付けても構わぬ様に、君は挑発してくれているのだと…
もう、勝手に解釈した。
「我だってっ、もう破裂しそうだ!」
もどかしく解いた白布を投げ打って、じっとり湿った坩堝に屹立した先端をねじ込んだ。
「っ、あぁうーッ!」
泣き声の様な、嗚咽混じりの喘ぎが響く。舞台上の高い天井に、それはそれは鮮明に。
「は、っ……はぁ…君の…君の中に居る…」
あんなにも今回は慎重に進めたつもりだったのに…既に達してしまいそうで、結局急いて挿入した始末。
それでも解した甲斐有って、窮屈ではあるが引っ掛かりは感じずに半ばまで納めた。
「夢でも妄想でも無い、偽者でも無い…此れは“本当”なのだな、矢代君っ」
「…ぁ、あ……はっ……う…」
泣き濡れる君の眼が、爛々としている。知らずの内に、MAG混じりの汁を漏らしていたのかもしれない。
華奢だが男性とはっきり判る腰骨を掴み、更に奥に入り込む。
みちみちと押し開く事に、多少の不安と、其れを覆い尽くすはかり知れない快感が見えてくる。
「うんっ、あぅ、あ、ま……」
「…狭い…熱い…」
「ま…まだ、全部、入って、ない…?」
息も絶え絶えに、君が我を見上げてくる。その熱い呼吸が、中に居る我を締め付ける。
吸気も呼気も、余す事無く律動に変質し、我を追い詰める。
「ああ、まだだ、矢代君、まだ…っ」
「ひ、っ、あ、い、いっ………いっぱい、で」
臀部を鷲掴み、腰を更に上げて脚を折り込ませる。
ぐぐ、と自重を伴った我の雄は、更に深い場所にまでごりごりと君を穿つ。
「はあ、はあっ、如何だろうか、矢代君っ…」
「も、もう無理です、こんな、ぁ」
「按ずるな、もう根本だ…あ、あぁ……これは…堪らぬ」
腰を動かしたい衝動に駆られるが、少し落ち着けなくては三擦り半で達してしまいそうで。
嗚呼、今は君の斑紋が鏡面なら良かった。
あちこちに君の嬌態や結合部が見え隠れして、どの姿勢でもじっくり観れたのに。
「無理な訳無かろうて…ライドウのを受け入れていたのであろう?此処に大差は無い筈だぞ」
「お、俺の此処は、受け入れる為の器官とは違いますっ」
「こんなに引き込んで、吸い付いてくるのにか?もうMAGが涸れそうだぞ…」
「如何してそういう事わざわざ云うんですか…もう、嫌だ……嫌です」
「忘れさせてやろう」
「ぃ…今それ云うんですかっ、もう…っ…却って恥ずかしい、っ……」
いまいち使い所の分からなかった台詞を、君に降らせた。
恥ずかしいと怒る人修羅だが、この台詞を欲していたのは他でも無い君で。
先刻から恥じる度に、我の怒張を切なく搾る熱い肉壁よ。
「なあ、君と契約を結ばぬ我のMAGは…はたして君の何処まで染み入るのだろう」
「……浸透が良くたって、味を良く感じたって……契約はしませんよ…俺」
「MAGを貰えばそれで好し、か」
「当然です…だって、俺はその…に、肉体関係だけの為にこうしてる訳じゃ」
「然様か、ではすぐに漏らさぬ様に細工させて呉れ」
しゃらりと首から外した十字架の鎖を、そのまま自らの根本にぐるぐると巻き付ける。
ぎちぎちと締め上げる際、圧迫感に情けなくも眉根が寄った。
「えっ、何……明さん…」
「は…ッ……これで…少しは、出遅れるだろう」
「や、止めて下さい、痛々しい」
「矢代君、君はいくら漏らして呉れても構わぬぞ?ただし…」
顔を寄せ、その耳元に祈りの様に囁いた。
「我が君に、MAGとしての精を出すまでは…ひたすら愛させて呉れ給え」
「…………ぁ、あっ!あっやッ、んぐっ、あぁッ」
これでもかという程に、忙しなく強く腰を打ち付け続ける。
こんなに揺らしては、きっと背中が痛かろう。それでも止められなかった。
少しずつ角度を変え、擦りつける場所を探し、君が嬌声を上げる場所を記憶する。
「う、あっ、いやっ!いあだっ」
其処を笠に引っ掻ける様にして虐めれば、本当に良く通る声で啼き声を上げた。
ぐぷぐぷとしつこく抽挿を繰り返していれば、君の眼が虚空に留まり、睫毛が震える。
「…ぁ、あぁ……」
ぶるりと其の総身を震わせた次の瞬間には、君の雄からぴゅうっと放たれる汁。
薄い胸元に飛び散った其れ等を、一飛沫ごとにじっくり舐め啜り、肌にしゃぶりついた。
「はぁ………はぁっ……ぁ」
一心不乱に片付ければ、終えた頃には君の肌に沢山の紅葉が舞い散っていた。
「これで、我も君も…二人して紅葉狩りが出来るな」
唇を舐めずりつつ微笑めば、君は唾液を垂らしたままゆるゆると首を振っていた。
「君は舞台の紅葉を、我は君の肌の紅葉を見れば…向かい合うまま愛し合えるだろう」
「本物、じゃ…ない…本物の紅葉じゃ、ないです…こん、な…」
「そうだ、今度は座りながら眺めようか矢代君?このままでは背が痛いであろう…我の膝上に乗れば良い」
「ちょっと、も……いい、いいですからぁ……あふ、ぅ」
胡坐の上、背中を抱き締め項の突起をちゅぶちゅぶと味わう。
「あ、あ、ああ、ツノ嫌ぁっ、明さんっ…あっ、ひっ、ふ、かい、深いですこれ嫌っ!」
「ふ……君の自重にて、埋まり込んでいるのだ…我は着座している、だけぞ」
ちゅむりと吸えば、我の雄をきゅうきゅうと締める。
もう声を堪える余裕すら無い君は、我の情欲を延々と掻き立てて止まぬ。
萎えぬ雄で君の内部を三日三晩穿り、本当はその未練まで引きずり出せたならと願ってばかりいる。
「これで、精を注いで腕が生えたならば、君は…」
「はぁ、はぁっ」
「“俺”とまた紅葉狩をして呉れるか」
「……俺は……さっきから、明さんってずっと呼んで…っ、んむっ…」
臆病者の我は、君が返事をする前に、顔を覗き込み接吻をした。
其の紅葉狩が…鬼と調伏者の関係なのか、紅葉を嗜む行楽逢瀬なのかは…敢えて云わずに。
(嗚呼……悪鬼羅刹であろうと、我は何度だって、君の首を刎ねて接吻しようぞ)
既に鬼に化かされているも同然だろうが、この舞台は今後年中関係無しに紅葉なのだ。
君を外界より隔離し、二人で舞い続けるには適した場所である。
ようやく我も、君と同じ舞台に立ち、同じ空気を吸い、同じ罪に血反吐が吐ける。
葛葉ライドウ…紺野…
弟の代わりで、もう構わなかった。
「は……ぁむ、ん、んん」
人修羅に殺される最期を妄想しながら貪っていたが、やがてしっとり瑞々しい舌が我の歯を軽く叩いた。
恥じらいつつまばたきし、吸い返してきた思わぬ奇襲に…感極まって君の中に長々と吐精した。
「お早う業斗」
『……起きている、な』
「最近は夢も見ぬでな」
雷堂は、必ず人修羅の腕塚に御参りしてから本殿を出入りする。
殆どの者は気味悪がって近付かぬが、他には人修羅に手当をされたという従者二名が塚の手入れをしている。
しかし、実に妙な御参りをする。
塚に石碑でもあれば、其れを磨くことはおかしくも無い。
だが、ふっくらと盛られた土の上に、雷堂はソーマを撒くのだ。
まるで花の新芽でも待つかの様に、穏やかな眼で壜を振る姿。
『水分で生えるのは雑草だけだぞ、おまけにあの二人が雑草はしっかり毎日処理しておる』
「業斗よ、これはまじないであるぞ」
『…呪い?』
「先日は依頼報酬に三壜も貰ったので、全て撒いた。すると、翌日には頗る生え伸びていたのだ」
『……何も生えている様には見えぬぞ、やはり寝惚けているのかお前』
あれから人修羅の残骸をどの様に処理したかは、問い質していない。
首が有れば蘇生は容易いとは伝えたが……実際、雷堂は如何したのだろうか。
(俺も焼きが回ったか?甘やかしてしまったやもしれんな)
あの一件で、しょぼくれるかと思い少しの飴を与えてしまったが…
へこむどころか雷堂は日々日々、何故か笑顔が増えていた。
「では、行って参る」
『ヘマをするなよ』
「按ずるな業斗よ、つまらぬ事で死ぬつもりは無い」
黒く靡く外套も勇ましく、葛葉雷堂は大太刀と仲魔を従え本殿を出た。
我は今日、別行動を取ると伝えた通り、ふらり電車に無賃乗車する。
(猫の特権なぞ、この程度よ)
暫く歩き続け、ようやく見えてきた……昔、車で迎えに参った能樂堂。
此処で雷堂と鉢合わせたなら、叱ってやろうと思っていたが…誰も門前には居なかった。
しんと静まり返った路地、落葉が接地する音がする。此の一帯は、大きな通りの割に厭に静かなのが特徴だ。
ふわり、また紅い落葉が眼の前を邪魔する。
フウッ、と鳴いて尾でぴしゃりと撥ねる。これで葉は四散すると予測していた。
が、其れは乾いた音も立てずに、違う何かに変質してから宙に消えた。
『…今のは、何だ』
一瞬、札の様にも見えた。
警戒し、尾を立てて周囲を見渡す。眼に痛い色彩は、能樂堂の庭に生え盛る楓の樹のみ。
ぶるる、と肌が粟立つ。時期から見て、そろそろ枯れてもおかしくない紅葉の葉が…わさわさと。
(何処か、穴は無いか)
此の建物の周りを一周し…囲いの生垣の中、水路を見つけ其処から覗く。
案の定、小さな穴は異界との揺らぎを見せていた。爪を傍の岩で砥いでから、其処に飛び込む。
猫の身ひとつだろうが、雑魚に追い回される程軟弱では無い。
昏い空気の中、闇色の空に聳える庭の木々を見上げた。
『…これは』
枯れた枝に、無数の札が突き刺さっていた。一枚一枚、呪詛が塗り込められた力を持つ札だ。
まるで葉の様に、風でも吹けばわさわさと輪唱しそうな白い呪いの楓達。
恐らく、此れは現世に影響を与える結界だろう。能樂堂に入れぬ仕組みか…出れぬ仕組みか…
とりあえず、冬が来ようがあの庭の楓は紅いのだ。
(甘いぞ、雷堂…莫迦め。いいや、一夜限りの蘇生程度に考えていた俺が甘かったのか?)
庭の違和感に、ヤタガラスが嗅ぎ付けるまではそう遠くも無い。
此れは他愛も無い…我が報告する事も無し。ばれるまで、客も居らぬ舞台で誰かと好きに舞えば良い。
己を殺した相手を、受け入れる事も無いだろう。それにあの人修羅は、葛葉ライドウに依存していた。
雷堂が入る隙は、無い…だからこそ、放置したのだ。
(此の度の浮かれ事も、気分転換になるだろう…そして次こそ、半人半魔の事など諦める筈)
異界から抜け現世に舞い戻れば、秋空に揺れる紅い楓が、猫背の俺を圧倒する。
きーぃ きちきちきち
また聴こえる百舌鳥の高鳴きに、苛々させられる。
“業斗〜…うええっ”
昔から泣いてばかりの小童を、これからもずっと無視し続けるのだ…
お前が無視を覚えるまで、俺が手本を見せ続けるのだ。
不安に心を揺らすお前は、いつだって悪魔に心を奪われ易い。
だからこそ、無視する術を…
『男なら泣き止まぬか!愚図めっ!』
しかしあまりにも百舌鳥が煩くて敵わんので、昔奴に叱った様に空に怒鳴りつけてしまった。
「独りだ」と甲高く鳴くその声は、機関に連れて来られたばかりのお前の泣き声に似ている。
これだから秋は嫌いだ、煩わしい、耳がキンと痛くなる。
『お前は仮初の巣なのだぞ、明……この、莫迦が』
帰路の途中振り返れば、あの楓に舞い降りた百舌鳥が…獲物を枝に突き刺していた。
せっせと枝に獲物を飾る其の鳥が、よく知る小童の顔をしていないか…暫し睨んでしまった。
当然、鳥は只の百舌鳥であり、早贄も札では無かった。
紅葉に鹿《後》・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
独りが寂しいから、何かに言い訳して求め合う。
矢代は狡い、が、死んだ番に操立て出来る程心は頑丈では無い。
雷堂は、葛葉の名を盾にして人修羅を殺した。
役目を謳っておきながら、嫉妬に溺れた。
首だけになっても愛するつもりだった。
…だらだらしたエロで申し訳御座いません。おまけに矢代がかなり尻軽に見えますが、実際移り気で甘い水の方へと行ってしまうどうしようもなく弱い奴です。でも明の事は、結構揺れてたのだと思います。
塚に撒いたソーマは埋まる腕に染み入り、腕は遠くの主へと呼応して治癒を促進させる。恐らくソーマをただ撒いているだけでなく、何らかの呪いを籠めている。雷堂は、己が愛でる萌芽に毎日癒されている心地で、つやつやしている。病気。
業斗は、自覚は無いがかなり情が移っている。傷付くくらいなら、処世術を身に着けて欲しいといつも願っている。
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