白い絵画
天に昇る樹木、その振り上げられた腕達がじわりと輝く。
今まで、物も云わなかった大きな松の木。
幼い頃に、此処に連れてこられた、その位しか記憶に無かった。
「雷堂様、ささ、此処の樹より飛べます」
「其方の混沌の悪魔を放さぬ様」
ああ、やはり、虚で塗り固められていたではないか。
「業斗は…」
「あの者は実に立派に貴方様を育て上げた、その功績に免じて器は我等で用意させて頂きましょう…御安心下さいまし」
どことなく偉そうな装束の口調。
業斗は、ただ純粋に葛葉雷堂の十四代目を教育していただけだったのだろう。
それが…天使達への供物を育てているとも知らず。
(業斗よ、赦せ)
今こうして天に与する、ヤタガラスの一部と。
貴方の真の願いは…巣の中の間者により、裏切られるのだ。
「セフィロトの樹の枝から、上へどうぞ」
云いつつ、その装束はたたんでいた翼を広げた。
周囲の烏が、白い鳥に姿を変えていく。
…三本松は、既に侵蝕されていた。
昔から潜んでいた、上の者達の手によって、別の樹へと。
機能していないとはいえ、まさかその様な事態になっているとは。
「あの、雷堂さん…」
戸惑う声の君、その腕をやや強く引いた。
「案ずるな、我はどの道…こうなる運命にあった様だ」
云えば、君は顔を俯かせる。
嗚呼、どうしてそんなにも辛そうにしてくれる、我の為か?
そうならば、我は喜んで身を投じよう。
君の心が揺らせるのなら、自由に飛ぶ事なぞ、望まぬ。
天上の箱庭で、ずっと共に居れたならば、それで…良い。
上、というのはあながち間違っていないみたいだ。
射す光の鮮明さは、魔界の城と大違いで
白亜の神殿は真逆の印象だった。
まるで空の中に居る錯覚。
「我は昔、顔に傷を入れられた訳だが…」
傍をカツカツとブーツを鳴らして歩む雷堂。
「これは“印”だったそうだ…」
「印…」
「陽の気が偏る、救世主と成り得る存在の一人、という印」
ばさり、と白い外套を翻して、俺を見た。
「聖痕…」
スティグマータ。
そう、聞こえた、先刻天使達の会話から。
何らかの形でまだ幼い雷堂と邂逅した際に、刻んだそうだ。
近い未来に、天の軍勢を動かせる“ヒト”…サマナー。
ルシファーと同じく、人間の逸材を必要としていた天使達。
そんな理由で、この人は印を入れられたのか。
よりにもよって顔に、まるでマーキングみたく。
「勝手ですね、天使って」
俺の声に、回廊の翼達がぴたりと呼吸を止める。
「意思の尊重なんて其処には無くて、まるで“来い”って云ってるみたいだ」
「矢代君…」
「結局カラスの半分は天使だったんですよね?あは…お笑いだ…」
周囲の視線に、俺よりも雷堂が眉根を顰めて危惧してる。
「黒い羽を演じるの、かなりお上手だったんじゃないですか?此処の住民た」
「矢代君!」
ぐい、と俺の外套襟を掴み、そのまま引かれる。
慣れないブーツでもんどりうった脚、それすら引き摺られていく俺。
ひそりひそりと、甲冑の天使達が俺を一瞥して、回廊から去る。
「何ですか…」
ぼそりと呟けば、困った様な表情で俺を見下ろす雷堂。
「何、では無いだろう…己の立場を危うくしてどうするのだ」
「俺、魔界に居るのに疲れたから…此処に来ただけですから」
「本当にそれだけの理由か?」
「そうですよ、やっぱりライドウもルシファーも、少しも信用出来ない」
此処だって信用してないけど。
「だから、人間の縋る“神様”に賭けてみようかと思って」
「…ヤハウェに望むのか」
「はい、人間に戻して欲しいって」
だって、それが俺の最終的な目的だから。
その為に、ライドウと…昔契約したのだから。
綺麗な噴水の庭園。
回廊からはみ出た先は、まさしく天上の楽園。
鮮やかな緑が、白い石柱や装飾に映える。
蝶と仔鳥が舞い歌う、汚れの無い景色。
「人間に君が戻れるよう…我も尽力しよう」
俺の襟を掴む手を、するりと落として微笑む雷堂。
「岐に哭して練に泣く…何処に在ろうと、我は我だ」
医療用のそれではない、しっかりとした造りの眼帯。
それの上から愛しそうに眼球を撫ぜる雷堂。
「カラスとて虚だったのだ、今更何処に往こうが、変わらぬ」
「俺の為じゃなくて、自分の為に動いて下さい」
「我の為だ」
「違う、だって最初云ってた事と違う」
上など知らぬ、って、云ってたのに。
俺が上に往くと云えば、微笑んで先導した。
その瞬間、天使達が嗤った気がする…
(雷堂さんを引っ張りまわしてるのは、俺だろ…)
いくら天がこの人を望んで、引き入れようとした前提があっても
俺がその決断を下させたのだ、結局。
「違わぬ、何も、寸分も」
滑り落ちていた手が、俺の指の先端に触れた。
白い外套が、白い景色に揺れた。
「我がそう望むのだから、我の為だ」
俺の眼を真っ直ぐに見て、そう唱える雷堂。
その真摯でありながら、有無を云わせぬ強さに圧倒される。
奥底に、劣情を秘めてる…
「初めて、自らそうしたい、と思ったのだ、ここまで強く」
指先から這い上がるのは、この人の想いか。
「此処が君にとって、安息の地になれば良いのに…」
跳ね除けもしないで…その指が肩を抱き、頬まで上がるのを黙って傍観した。
此処で与えられた白地に青のラインが織られた服は、雷堂に似合っていた。
メシアの色、らしい。
「矢代君…」
その、白い軍服のシルエットは、以前と大差無かった。
学生服の形が近かったからか、帽子の影すら同じで。
「契約したサマナーと殺し合う必要なぞ無い…ただ、此処の軍勢を勝たせれば良いだけだ、さすれば叶わん」
「天が勝つ…って、雷堂さんの世界の帝都にとって、良い影響及ぼします?」
「平等な世界は、そう悪くないと思うが?」
ふ、と笑うこの人が、少し怖い。
「我にとって虚構だったのだ、きっと何が影響されたかすら認識出来ぬ」
「帝都はどうするんですか」
「知らなんだか?既に替え玉が居たろう…我は本当に、此処に献上される為の傀儡だったという事だ」
その微笑の中に、悲哀が見え隠れしているの、気付いてるのか?
雷堂は、何も信じられない己を…何処かで嘆いている。
「か、傀儡でも、業斗さんは十四代目として育てようとしてた筈だ」
俺の声に、頬の両手が強張った。
「其処に嘘は無いと、思うんですけど」
「…業斗」
「雷堂さん、俺以外も世界には存在してるんですよ!?なあ!だからそんな眼で…!」
そんな眼で、見ないで欲しい。
俺が、視界の中心かの様な。
全ての欲求の矛先かの様な。
「この眼でもか?」
云うと同時に、白い皮の眼帯をずらす雷堂。
その影から金色の光りが零れた。
思わず、息が詰まる。
「この眼でも…君はそう云うのか…?」
「あ…」
「宿主と共鳴したがるこの感情を、君は…拒絶するか?」
「ら、らい」
「君が初めての友人で、初めての想い人だった」
うっそりと呟いて、俺の唇を塞いだ。
「ぅ、ん……っ」
その肩を押し返せば、両手首をがしりと掴む手。
更に深みに捕らえられる。
なのに舌は、やんわりと、飴を舐める様に唇を溶かすだけで。
「は、は……ぁぅ」
その執拗な動きに、思わず薄く瞼を開く。
間近で絡む金色の視線。
それが、ゆっくりと歓喜に歪んだ。
手首を掴む指が強くなり、脚を押し進められる。
俺の羽織る丈の短めな外套が、開いていく。
「んっ、っぅうう」
これ以上の侵蝕が怖くて、後ずさる。
水音が大きくなる。
冷たい飛沫が項の突起に撥ねてきた。
「ぁふ…!」
その冷たさに、思わず唇が開く。
扉に脚でも差し入れて止めるかの様に、舌が入る。
「ぁっ、ぁ」
眉を顰めているであろう俺、それを優しげな笑みで懐柔するこの人。
真白な聖衣に身を包みながら、純粋な欲望で子供の様に…
背が濡れて、肌に布がまとわりつく感触。
数段ある噴水に、背中からしがみつく俺。
上から注がれる水が、前髪を伝って雨みたく視界を塞ぐ。
彼の指が、衣の隙間から、肋骨に流れ着く。
離れた唇が紡いだ。
「…もう、きっと君は下界に還らぬだろう…?」
綺麗にしなる口元。
「還れぬ、だろう?」
首を傾げて、狂喜に淀んだ純粋な笑み。
「やはり繋がってしまおうか」
その号令に、俺は首を必死に振った。
前髪から舞った雫が、雷堂の頬を濡らせば、更に笑う彼。
「不安はもう無い“いつか”が早まるだけだ」
「ま、って」
「ふふ、既に箱庭の中だろう?互いに……なれば“いつか”は来る」
「雷堂さんっ」
「我に縋ってくれ給え…我が必要だと…我しか要らぬと」
「ひ、っ」
視界が回転する。
乗り上げていた腰が、重心を変えて落ちる。
押し込まれた、水の中に。
揺らぐ水面、雷堂の影が逆光で浮かび上がる。
力が、うまく出せない。清められた水流で、翳りの悪魔である俺は、弱い。
ボルテクスに在った癒しの泉とも別の…聖水。
もがいて、唇の隙間から、気泡が零れて浮上していく。
それがきらきらと光りに反射して、ぼうっとしてくる。
苦しい……視界が、水と関係無しに霞んできた。
俺を押し込めている、その白い袖を、必死に掴み返す。
ぱしゃり。
無音の水底に、侵入の音。
その際に脱げたのであろう帽子が、水面を船の様に漂い光を閉ざしていた。
黒髪を水に梳かして、下りてきた、傷の有る彼の相貌。
唇を合わせて、吹き込んでくる吐息。
命綱。蜘蛛の糸。
縋ってはいけないのに、身体はそれにしがみつく。
一層強く雷堂の腕を掴み返して、彼の息を吸う。
揺れる視界で、眼の前の眼が笑った。
縋りついて、唇を貪る俺を引き上げる。
「んっ、んむっぅ…うっ」
ざぱりと、肌にひっつく重い絹。
もう空気が在るのだから、唇を離しても問題無いのに、離してくれない。
朦朧とする中で、肩から重みが消えた。
「はぁっ…はっ…ぁ…っはぁっ…」
ようやく解放された呼吸器官。
ぼんやりと視線の端に見えた、水面にたゆたう俺の着衣。
「汚れ無き…姿だ」
「……き……気持ち悪い、この、黒い紋様」
「見目では無い、内と外、両面が……ああ、どうしてか…矢代君」
素肌の俺を抱き締める、傷だらけの聖人。
「…“好き”というのは、説明出来なければ駄目…なのだろうか?」
困惑した声音。
「我は分からぬ…誰も彼もが、咎めなかった、教えてくれなんだ…」
抱き締めてくる腕が、訊ねてくる声が震えている。
「なあ、矢代君、好きな事は赦されぬのか!?具体的な理由が必要なのか?」
心音が、煩く飛び跳ねていた。
きっと、この人も…怖いんだ。
欲望が先走って、歯止めが利かない瞬間を、待ち望みつつ…恐れてる。
背徳と同時に感じる、いけない欲望、甘い罪の感覚。
「雷堂さん…」
「君と紺野がいがみ合うのも、表向きだけだったのか!?」
「俺とあいつは」
「本当は……本当は、よもや」
「憎み合ってますよ…それだけ、です」
抱き締めてくる雷堂と、自分に云い聞かせる俺。
「それは、紺野が気付いておらぬからだ…」
ぼそり、と零したその声に、俺の鼓膜はしっかり振動した。
が、敢えて答えなかった。
俺の前にいるデビルサマナーは葛葉雷堂だ。
ライドウと違って、徒に俺を傷付けない。
冷酷になれないメシア。
「…すま、ぬ」
ふらりと離れる、濡れた外套。
「どうせ長い…“いつか”の甘さは、それまでの楽しみに、とっておこう」
そう云いながら、俺の指先をなかなか放さない。
判る、我慢しているそのリビドー。
「あの、俺は雷堂さんと居るの、楽しいですよ」
濡れた黒髪を指で除ける雷堂に、云った。
「だからっ…だから、繋がる必要なんて、無いんだ」
「…」
「繋がらなくても、通じ合ってた方が……深いと思いません?」
俺は酷い。これは、半分脅迫めいている。
だって…繋がればこそ、浅い、そう云っている…暗に。
「ライドウ…紺野夜は、だから俺を組み敷いて、無理矢理…してたんだ」
「…」
「そうでもしてないと、繋がりを感じれなかったんですよ、あはは…は」
「何故」
「え?」
「何故、泣いている」
「……え……っ」
頬を伝うのは、先刻の水だろう?噴水の雫だろう?
違う、こんなの、涙なんかじゃないんだ。
「錯覚ですよ」
水面の外套を掬い上げ、噴水の縁に乗り上げた。
ぼたぼたと水音が自身から発される。
指先に意識を流して、焔をうねらせた。
身体に纏う、熱波。
水の薫りが一瞬で空気に還る。
「雷堂さんも、服…寄越して下さい」
ちら、と雷堂を見て、要求する。
「肌に纏わりついて気持ち悪いでしょう…?」
「凄い術だな」
「俺、炎だけは調節巧いんですよ?」
少しばかりの自慢を滲ませて、少し微笑んだ。
すると、唇をやや綻ばせて、雷堂は外套を剥がす。
「では、頼もう」
「外套と上だけで大丈夫です?下は濡れてないですよね」
「恐らくな」
「…なんです、それ」
深読みすれば墓穴を掘りそうなので、あまり突っ込まずに眼を逸らす。
受け取った外套をばさりと空になびかせて、焔の熱で煽る。
「地獄の業火も、火加減さえ気をつければ調理に使えますし」
「流石は料理人だな」
「雨の日には乾燥に使えますし」
「ふ、主婦か」
「主夫です」
きっと主夫なんて概念は無いだろう。雷堂には。
乾いた俺の外套をさらりと指先に取り、うっそりと微笑んでいた。
「雷堂さん、それは俺の羽織りですから、返して」
代わりに、今しがた水を蒸発させた彼の、丈の長い外套を差し出す。
だが雷堂は一歩後退し、何か唱えた。
「これは拾ひたる衣にて候ふ程に取りて帰り候ふ」
「えっ」
俺の素っ頓狂な反応に、ニコリと笑むまま駆けて行く。
「ちょ、っと、雷堂さん!?」
咄嗟に反応出来ず、彼の白い軍服の背を追従する。
俺の外套を手になびかせて、緑の庭園を駆け抜ける。
白い荘厳な彫刻柱を潜り抜け、剪定され整った木々の葉を揺らして。
(遊んでいる?)
追いかけっこの様な。そんな気持ちにさせられる。
「そも此衣の御ぬしとは…さては天人にてましますかや」
「待って下さいっ」
「さもあらば末世の奇特にとどめおき、国の宝となすべきなり」
「ねえっ!ら、雷堂さんっ!」
「衣をかへす事あるまじ」
辿り着いた庭園の端…楽園の終り。
雲の様な深い霧がかかる、白い空間。
俺のを羽衣みたく、風になびかせて肩に添わせる雷堂が振り返る。
「返せば、俺から離れてしまう癖に」
白い空気の中、何も纏わない感情の雷堂が俺に云い放った。
俺の脚が、踏みとどまる。
「雷堂さ、ん」
「確かに、一夜の夢の如き舞を魅せてはくれるが、それで終い」
「何の話」
「疑は人間にあり、天に偽なきもの……とは、よく云ったものだ」
「…」
眼が違う。
十四代目葛葉雷堂では無い。
俺に観ろ、と訴える、その強い眼差しは日向明。
「春霞 たなびきにけり久かたの 月の桂の花や咲く」
扇なんて無いのに、その指先に視える様な動きで。
管を揮う筈のデビルサマナーは、舞台の上に居る様だった。
「払ふ嵐に花ふりて げに雪をめぐらす白雲の袖ぞ妙なる」
仮面は無い、素の貴方。
すり脚で、時折踏みつつ、俺に舞い寄る。
隠れた右眼の軌道すら感じる。
「天つ御空の 霞にまぎれて 失せにけりぃ…」
白は、強い色だ。
包まれると、自分が見えなくなりそうで、闇にも似ている。
白い霧と、白い外套に絡みつく雷堂が、俺を見下ろして云う。
「羽衣を返せば、天人は空に還る……」
その、低く囁く声は、舞台から降りた声。
「幼き心のままに思っていた、何故、空に還すのか、と」
まだ、水に濡れる雷堂の髪が艶めいた。
黙って、間近にこの人の声を聞く。
「俺なら、羽衣を返さぬのに…俺なら、空に還さぬのに…」
がしりと、抱き締めてきた。
いや、縋りついて、だろうか…
「好き人を如何して放そうか!?一時たりとも俺ならせぬ!」
その、胸が張り裂けんばかりの、悲壮。
後頭部に回された掌が、髪の隙間を縫い止める。
喰らい付くかの様に。
「だというに、君は彼の元が良いのか?使役という眼で捕らえる彼が!?」
「お、俺はっ、別に夜の事なんかは」
「俺の舞だけ観ていれば良いんだッ!」
その叫びに、身体がビクリと震えた。
「夜なんて……言の葉は、もう、紡がないでくれ……」
ああ、なんて正直なんだ。この人は。
舞が素直な心を浮き彫りにするのか。
ああ、どうして……こんなに、俺を包む。
俺には素顔を見せてくれる。
こんな人、人間の時ですら、友人には居なかったのに。
「鳴海所長の気持ちを、解っていた…解っていたんだ、俺はっ…」
「雷堂さん」
「怖かった、認めたくなかった、存在が赦せなくなって…あ、ああ」
「雷堂さん…っ」
「結局!俺は望んだ殺生をしたのだぁッ!!」
もう、我慢出来ない。
「明っ!」
悲痛な叫びに負けない様に、声を張り上げた。
同時に振り上げた拳を、綺麗な顔に叩き込む。
吹っ飛んだ感触、霧裂いて、何も警戒の無かった雷堂が転がった。
受け身すら取らず、俺の外套を掴んだまま、白い石畳に寝ていた。
「どうしてそんなにウジウジしてんだっ!」
その、寝ている彼に降らす怒号。
「畏まったり押し殺さないで!堂々としてろよ!!」
うつ伏せのまま、ゆっくりと面を上げる雷堂。
「そう教育されたなら、もう仕方ない事だろ!?そうだろ!?」
口の端から赤い糸が、つう、と流れ落ちている。
俺の与えた暴力が原因という事に、一瞬胸が痛むが、止めない。
「もう自分で考えて良いんだ!罪じゃない!」
誰に云っている?自分を棚に上げて。
「辛きゃ泣けば良いんだし、嬉しかったら笑って良いんだ!罪なんかじゃ無いっ」
誰に云っている?無表情な、いつも哂っているあの男が脳裏を過ぎる。
「明、少なくとも、俺は咎めない…」
見つめてくる、その片眼から、雫が落ちた。
ゆっくりと歩み寄り、霧深い中、腰を下ろす。
心を落ち着けて、語気を戻す。
「だから、本当の明になる様に、明さんって呼びますね…」
唇の血を、すいませんでしたと云いつつ指先で拭った。
その腕を掴もうとすると、制止がの声が掛かった。
「待ってくれ、己で、立とう」
云いながら、一歩踏み、支えながら身体を起こす雷堂。
俺を見つめて、外套を突き出す。
「すまなかった…矢代君」
「生意気ですね、すいませんでした」
「いや、幼稚な真似をした我が」
「殴るとか、最悪でしたね、馬鹿だ、俺…」
応酬が、ふとした呼吸にぴたりと止む。
冷たい風、雲の中みたいな湿った空気、白亜の海中。
「…ぷっ…くく」
どちらの声か判らない、それだけ同時だった。
「あはははっ、結局、謝罪の嵐ですか」
俺の意見に、破顔した雷堂が、目尻を親指の節で拭っていた。
雫をぐい、と掻き消して、今までに無い笑い方。
「殴っておいて謝るなよ、ふっ、あはははっ」
楽しい、という感情から、ただ純粋に来る笑い。
ずっと忘れられていたであろう、雷堂の感情が溶け出した。
どうして、今此処で、こんな時に…
今更、打ち解けてしまったのだろう。
きっと、この人が俺に感じる欲は変わらないと思う。
でも、今、こうやって、抜け落ちていた工程が埋まってしまったのだ。
静かな天上の僻地に、不相応な微笑み。
戻りつつ、噴水の水面に浮く帽子を拾い上げた雷堂。
俺に向けた強い意志の瞳。
「罪は罪だ、しかし、拭い生きよう、君の為に」
「…」
「人は嘘吐きだ…が、天人も…謀るのだろうか…?」
「…どうでしょうかね」
「天地もあるまい、君が居る場所が、やはり我の現だ」
濡れた帽子を、くい、と被った。
「あちらのライドウと決別したならば、我は戻ろう、素の日向明に」
優しく云って、微笑んだ。
俺も、小さく微笑み返した、つもりだった。
でも、出来ていないのだろうな。
雷堂の後姿に、先刻の微笑みを、無邪気な笑いを、思い出す。
あいつも、あんな風に笑うのだろうか
同じ顔で。
墜ちていった烏の黒い影を
居る筈も無いのに、白い絵画にしばし捜した…
白い絵画・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
一瞬切れた人修羅。
雷堂のヤタガラスは、人員の半分は上の奴でした、というオチ。
三本松は上への道、媒体として利用されておりました、と。
雷堂はテンプルナイトにクラスチェンジ(笑)
友の様に打ち解けあうが、互いに向かう感情に変化は無い、のが特徴。
吹っ切れた様に見えるのに、どこか陰鬱としているのは此処らしい。
舞ったのは演目「羽衣」です。
さあ、次回はいよいよラスト…です。
ラストの出血量は半端じゃないです、多分…
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