「悪魔め!」

その声が、俺を指していると、最初気付けなかった。
雪を鳴らす足音に囲まれ、弾かれた様に手脚を見た。
そうだ、俺は、今…悪魔だった。
「まだ残党が居たのか…」
「そう強く無さそうだ」
一般市民だろうか、しかし、その発する気は禍々しい。
(悪魔の気に中てられているのか)
今まで見た事がある、その状態の人間。
向こう見ずで、好戦的になる。
きっと、フラフラと、その本能に従って表に出てきたのだろう。
「…俺は、悪魔じゃありません」
そう云えば、ゲラゲラと笑い声が俺を取り囲んだ。
本当、馬鹿馬鹿しい…こんな展開、幼稚園児でも分かる。
「その身体の気持ち悪いのは、じゃあ何だ?」
「眼も光って、おっかないわなぁ」
「そんな血塗れの着物でよく云う!どれだけ人様を殺ったんだ!?こいつめ!!」
声が、近くなってくる…圧が、増して来る。
ボルテクスのマネカタ達を思い出すと、俺は更に手脚が棒になった。
そう、所詮、こんな物なんだ…俺だって、悪魔を嫌っている。
この人達を、責める資格なんて無い。
今は、何も考えたく無い、何も…
この、俺への罰に刃向かえば…
あの時の様に、俺はまた虐殺して、闇に沈んでしまうだろうから。
罵声と共に振り下ろされる拳が見えて、俺は瞼を下ろす。
舞い降りる殴打の痛みを想定して、少し歯を食い縛っておいた…

「あああぐううぅッ!!!!」

舞い降りてきた痛みは、肉を穿つ類では無い。
(な、んで)
肌を、肉を、中の筋を綺麗に断つ、その酷く、熱い痛み…
俺は、悲鳴と鮮血を撒き散らしながら、白を染め上げて突っ伏した。
おかしい…拳では無い…俺に振り下ろされた…この…

「もうそれは死んだも同然…放置なさいな」

酷く懐かしい痛み。

「な!アンタ…そんな抜き身のモン持って!危ないだろうが!」
「その格好、まさかヤタガラスの若頭領じゃ」
「ヤタガラス…?」
「関わらん方がええわ…!死鳥…っ、おお怖…」

がやがやとした、男衆の声が、遠のいていく。
俺は…身体の仕組みを分解されるかの如き刀筋に、動けずに横たわるしか無い。
身体から失血していく、この冷たくなる感覚が、久しい。
「…あのまま殴らせておくつもりだったのかい?」
冷たい身体…降る雪も、その声音も。
「赦されると思っているのか?」
革靴が、俺の胎に喰い込んで、引っ掛ける様に転がす。
「がふッ!」
仰向けにされた俺は、瞼を上げる事を躊躇う。
そこに、あの男が居る恐怖と…
そこに、あの男が居る期待と…
矛盾が…胸を圧迫する。
この、痛みと共に舞い戻ってきた、魂の高揚が止め処なく溢れる…!
「君の生殺与奪は、僕だけの特権だろう?」
「はぁ…はぁ…」
「…それとも、もう雷堂に移行した?契りを結んで…」
「し…し、て…無い」
「フ、どうだか」
嘲る声音、続いて俺の頬を蹴る。
「がぁッ」
「ねえ、早くその眼を見せて…禁断症状出そうでさぁ…!」
前髪を、鷲掴みにされる感触。
「ねえ…早く…早く…くれ給えよ…!」
「っぐ…う、うッ」
意地でも、見せたくない。
簡単に、捨てたくせに、そんなお前に誰が媚びるか…!
「雷堂は、優しかった?まあ、先刻会ったが」
「ぁは…っ」
「全く、こんな上物着せてもらって…余程可愛がられたのだろうねぇ…人修羅…」
その台詞に、どこまでの意味が込められているんだ。
「似合っているよ…とてもね」
その声の最後が、低く消え入るのを聞いて、この男の不快感を鋭敏に感じた。
「こんな感性まで奴と同じとは、滑稽だ…!」
腰帯に、刀が突きつけられる。
そのまま引き裂くように切っ先が滑り、俺の肉ごと斬り掃われる。
「うあああッ!」
「あの男の物を纏うお前は、汚らわしい…紛い物だ…」
「っつ…ぅ」
「手は動く筈、そう刀を入れたからね」
前髪が放された。
俺は雪に仰向けのまま、死体みたく転がっているに違いない。
「衿を開け…」
下される、声。
「僕の声が聞こえていないのか?」
嫌というくらいに、鼓膜を揺らしてるよ。
「前を開け」
魔の言葉。
「僕に全て曝け出せ…」
俺の指先が、震えながら…着物の合わせに伸びていく。
浅い息で、胸の上下が慌しい。
(ストリップじゃあるまい)
何故俺は、浮かされた様に、その声を聞き入れている?
雪の上、斬られた帯と一緒に、着物の合わせを左右に開く。
まるで、これから交わりでもするかの様な、完全な服従体勢。
外気に晒される、俺の肌。
「あぁ…やはり、こちらの方が、綺麗だ」
うっとりとしたその声に、俺の心臓が悲鳴を上げる。
「契りなぞ無くとも、君は永劫…僕の支配下にあるのだよ…」
見えない視界に響く、その言葉の全てが…毒。
「ねぇ、呼んで欲しいかい?」
その毒に充たされた関係が、俺の迷いを払拭していたんだ…
「人修羅、という名では無いだろう?…フフ…ッ」
俺の傷を開いて、そこに毒を流しこまれていたんだ…それに麻痺して…
「本当に雷堂と結んで無いなら、此処でしてやっても………ッぐ」
俺は、それが心地好かったんだ。

「っが、がはっ…ごふッ!!」
「……」
その声の主の聞き慣れない咳に、瞼が勝手に上がる。

俺の脚の先に跪いて、胸元の外套を掻き毟るかの如く握り締める姿。
その俯いた先の雪は、まるで椿の様に赤く花開いていた。
動かぬ身体が強張り、先刻着物を開いたこの手を、その方へと伸ばした。

「よ…る…!?」

震える指先の隙間から、視線が絡む。
眉根を顰めて、血反吐を吐き散らすライドウが
俺を見て、哂った。

「そ、れ…僕の、名前だろ…っ…ぐっ…」

向こうに顔を反らして、その口元を右手で覆った。
どんな眼をして、云っているのだろうか。

「げふっ!は…ぁ……相変わらず…馬鹿だ、な…功刀君」

あの日から、ずっと人修羅としか呼ばれていなかった俺は
その瞬間…
この狂おしい毒の、中毒者だった事に気付かされた。


…きっと皆…何かの中毒なんだ。
この世界は、毒が無いと生きていけないんだ。

…致死量は
死ぬまで分からない…



致死量・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
鳴海…!まだ出番あります。
天上と一番通じているのは、実は彼だったという。
この話、前回と平行しています、途中まで。
いよいよライドウと再開してしまった人修羅…
どちらも、少し感情に変化があるような。
「あの日から、ずっと…」のあの日ってのは、アカラナでライドウを退けた日から。
しかし、雷堂への情は強固になる一方…
どうするのだ、人修羅よ…

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