暗い…真っ暗闇だ。
視えない、聞こえない…喉が、痛い。
俺は、どうなっている?生きている?
「気が付いた?」
その声に、一気に覚醒した。
ぎしり、ぎしりと音が続いてする。
身体を揺すっても、動きがとれない。
暗くて…おまけに斑紋が浮かばぬ人の状態らしい。
自身の姿すら暗闇に掻き消されている。
「ライドウ…」
「灯りが欲しい?」
そう返ってきた言葉、しばし間を置いてから…
ぽうっと揺れる火が見えた。
蝋燭に点された揺れる炎が、照らしあげる。
その、声の主が浮かび上がり…俺は息が止まった。
「その格好、何」
俺が、ぽつりとそう聞けば
ライドウは口の端を吊り上げて哂う。
そこはいつもと同じだった。
でも…決定的な違いが有る。
「君が粗相をしでかした所為でね、あれからお祭りさ」
哂うライドウは、松葉杖…
「お、い…その杖」
「お陰で医療班の知人にまでこんな姿晒す羽目になったよ」
そう云い、松葉杖を振り上げた。
「がはっ!」
その先端で、俺の頬が強かに打ち据えられた。
哂いながら…
「君の処分は明日決まるそうだ」
「けほっ…」
「さて、どうしたものかね…」
痛い頬をさする事も出来ない。
身体を見れば、雁字搦めに何かで括りつけられている。
晒に呪紋の様なのが綴られていて…柱ごと。
「おい、あんた…俺が処分されるのを黙って見てるのか?」
「まさか」
蝋燭の置かれた燭台に近付き、ライドウが冷徹な微笑みを浮かべた。
「カラスの好きにさせる訳無いだろう」
しかし、そう云いつつも傷だらけのライドウを見て
俺は複雑な気持ちになった。
確かに…表だって反旗を翻すのが今で無い事くらい解る。
でも、どうして…耐えれるのだろう。
どうして、此処まで抑える事が…出来るのだろう。
自分を殺せるのだろう…
「まあ、ディアも兼ねたから明日には動ける」
「…そうかよ」
「おや、不服?」
「…」
俺が余計な事をしたのは解っている。
でも、謝罪する気にはなれなかった。
普段のこの男の、俺への仕打ちを思えば…帳消しだろ。
そう、納得させた。
周囲を見渡せば…どうやら懲罰房のような空間。
この機関らしいな、と俺は嘲り笑った。
眼さえ在ったなら、こんな封魔、打ち破るのは容易いだろう。
無いものを嘆いても仕方無い。
おまけに自ら明け渡した眼球に未練は無い。
「で、それ…私刑か何か?」
改めて聞けば、ライドウは壁に背を着け、松葉杖を横に立てかけた。
「知りたい?」
「…いや、どっちでも」
気分の良いもので無い事は、察しがつく。
腹立たしいこの悪魔召喚師だろうが、痛い話は疲れる。
それが理不尽なら尚の事。
「お祭りさ…ただの」
呟いたライドウが、胸元を探っている。
ホルスターの裏側に指を潜らせて、細長い何かを取り出した。
それを傍の燭台に伸ばし、蝋燭の先に潜らせた。
「…呆れた、持ち歩いてんのかよ」
「疲れには効果覿面だが?」
すう、と煙を吐く。
細長い葉巻、確かにあれなら携帯可能だろう。
燻る煙が、高い位置の格子から抜けていく。
月光が、降りてくる雪を煌かす。
俺は黙って、その煙を眺めていた。
ライドウの唇から、ふわりと吐かれて昇っていくそれ。
まだ暗い内の、霧の帝都を思い出していた。
最初に帝都に連れて来られた時…まだ人の擬態に慣れなくて
静まり返った時間帯に来たのだっけか。
初めて見る帝都。
初めて見る探偵社。
初めて見るライドウの…別の顔。
「此処はね…よく昔、僕が入れられた処なのだよ」
燭台の隅に炭化した葉巻の滓を落として、ライドウが云う。
「へえ、どんな悪さしたんだか」
「そうだね…憶えている限りでは…悪魔で里のサマナーと決闘したりとか、外界の遊びをしたり、まあ…大した事は無い」
「決闘はまずいだろ」
「ひとつ云わせて頂くがね、僕から喧嘩を売った事は一度だって無い」
横目に俺を見て、少し語気を強めてそう云った。
そのままライドウは外套を床に敷いて、そこに腰を下ろした。
「人間より、悪魔と居る方が楽だったのさ」
そう語り、片脚を伸ばした胡坐で煙を吐く悪魔召喚師…
横顔が、射し込む月光に照らされる。
している事は酷く俗っぽいのに、とても…綺麗だった。
俺は別に、ライドウの性格さえ無ければ
それはそれは奴の事を、凄い人間だと評価しているのだ。
まあ、あの性格が形成されたのはこの里に一因が在りそうだけれども。
「人修羅を制御出来ぬなら…罰を受けるとは、決まっていたからね」
「…結局罰イコール暴力って、随分と悪魔的なサマナー群なことで」
俺は鼻で笑って、里を侮辱してやる。
それにライドウが立腹する筈は無いと解っている。
「確かに、使役するなら悪魔に近くなるのは大事と思うがね」
「ああ、だからあんたは立派にサマナーやれてるんだな」
俺の悪態に、冷たく哂った視線が返される。
今、ライドウが傷も無く、立っていたのなら
間違い無く、俺の胎に蹴りがお見舞いされていたと思う。
「でも、あんたがそんなくたびれるなんて…結構酷い刑なのか」
聞いた事を後悔する。
半分はそう思いながらも聞く俺は、ライドウと普段会話するのも棘々するのに…
疲れているのだろうか…
「フフ…君が寝ている間、僕が何をしていたかお教えしよう、功刀君」
何故か、俺から溜息が出る。
この男、哂いが耐えぬ時こそ…思うところが在るのだ。
「里の各サマナーの手持ち悪魔を一体…選抜させる」
「…」
「あの三本松の間に居たサマナー達が、己の所持する悪魔を僕にけしかける」
「!」
「僕は管を取り上げられているから、身一つで戦う…」
「それ…っ」
「だから云ったろう?」
煙が肺に沁みるのを感じてか、少し恍惚としたライドウが続ける。
「お祭りだと…」
ああ、嫌だ、やはり俺はとんでもない事を聞いてしまった。
この里が、本当に…嫌いになった。
こんな処、壊してしまいたい。
別に、ライドウの為でもなんでもないんだ。
ただ…赦せないんだ、此処が。
「まあ、流石に少し骨が折れたかな…実際折れたしね」
クスクスと哂いながら…そんな事を平気で云う神経を疑う。
「まあ、安心おし…管も今はこうして僕の胸に還って来ている」
くい、と胸元のホルスターベルトを指先で引っ張るその姿。
しかし、俺はそのベルトより違う処に眼が行った。
思わず、凝視していた。
動いたライドウの首筋…学生服の詰襟から覗いた。
鬱血痕。
「…どうした功刀君」
黙りこくって、おまけに一心不乱に見つめる俺に気付いたライドウ。
俺は、聞きたい事を飲下す。
何故だ、鼓動が早まる、痛い位に。
「僕におかしいところでも?」
「あんたは全部おかしいよ」
「フ、云うね…相変わらず。ボルテクスからいっそう生意気に成った」
どういう事なんだ。
あれは…疎い俺でも知っている、どうやって付くものかを。
やや間があって、外套を避けて脚を着き
松葉杖を掴んで立ち上がるライドウ。
俺は同じ体制で括られる疲労感に、少し朦朧としてきていた。
「功刀君…」
ライドウが、俺に近付いてくるのが見える。
「正直に云いたまえ」
葉巻片手、松葉杖片手のライドウが俺の耳に唇を寄せる。
「見えたのだろう?先刻…」
「…」
「僕の項にある、赤い痕を…」
「…」
「ねえ、どうなのだい?」
このまま、寝たフリが通用しないのは…当然だ。
指摘に俺は、情け無い事に鼓動が大きく波打っていた。
「ねえ…どうなのだい!?」
声を少し張り上げ、その瞬間俺の首筋に痛い熱があてがわれる。
「ひあっ!!」
葉巻の先端を、そのままぐりぐりと項に押し付けられる。
俺の表皮で火を消したライドウは、燭台にその残骸を放った。
「熱かった?痛かった?今の」
「っふ…」
「僕とてそうだったよ!!」
ああ、蝋燭が…尽きる。
灯りが、じわじわと闇に喰われていく…
俺の首筋を、そのまま掴むライドウが、今どんな表情かも窺い知れない。
でも、見えないのは正解だったかもしれない。
そのライドウの声は、明らかに…怒りを含んでいた。
「感想を聞かせようか?」
やめてくれ
「正直、葉巻を幾度も押し付けられる方がまだ耐えうる」
聞きたくない
「祭りの後にね、僕の折れた脚を掴んで、覆いかぶさるのだよ…」
違う、そんな事あんたはされない
「僕が弓月の君の制服と外套…気に入っている理由はね、上から下まで綺麗に隠れるからさ」
世間一般に溶け込むからと云ってくれ
「ねえ…僕が雷堂に身体を明け渡すのが、どれだけ容易いか御理解頂けたかな?」
「もう!止めてくれよっ!!」
俺の叫びは、悲鳴に近かった。
もう、聞いているのが嫌だった。
だって、あんたはそんな…奴じゃない筈だろ?
俺を使役する、慇懃無礼、冷酷非道、血も涙もないデビルサマナー…
そんなあんたが、屈する筈…ありえないのに。
蝋燭の火が消えて、真っ暗闇になった房内…
ライドウの指が、震える俺の首筋を流れる様に撫ぜる。
「あまりに愚かだろう…どう?君の主人のこの姿」
「…笑え、ない」
「フ、だろうね…潔癖な君なら尚更」
指が、俺の眼帯を触った。
それに少し、俺は怖くなる。
暗くて…見えない、何も。
月光も、雲間で丁度隠れている。
「人修羅…全て打ち壊す力が在る君が、妬ましい…」
「俺だってこんな身体に好きで成った訳じゃ」
「僕だって、好きで里に生まれ育った訳じゃない」
その声に、俺は息を詰まらせた。
何故か…雷堂の声に聞こえたからだ。
「とても…君の存在は、重要なのだよ…召喚皇を目指す僕にとってね」
「…俺は、あんたをそうさせる為に仲魔に成ったんじゃ…ない」
「僕とて、君を自由にのさばらすのを…赦す気は無い」
暗いけど解る、視線が絡まりあっている。
冷たい、意地の張り合い。
雪の所為で無く、凍りついた俺達の関係がさせる…体感。
「今回の君の失態…凪君からは聞いている」
「…」
「どこに憤慨したのだい?自身が嘲られたから?それとも…」
指が、頬を撫ぜる。
「主人の僕が侮辱されたから?」
それを、俺に答えろと云うのか?
答えがはっきり出ていたとしても…口にする訳無いだろ。
「フ…フフ…ッ、云わなくて良い…答えなど求めない」
「なら、聞くなよ」
「君の困惑する顔が好きだから、使役するずっと前からね」
馬鹿じゃないのか、暗闇で見えている筈ないのに…
それとも脳裏に、簡単にイメージ出来るのだろうか。
そうだろうな、俺を散々今まで嬲ってきたのだから…
「功刀君…僕はね、此処に報復するなら…まずあの松を燃してやりたい」
「…あの、三本松…?」
「凪君は、あの時…凝視する僕を強いと云ったが、少し違う」
「…」
「憎悪だよ」
首筋を、爪が喰い込む。
その痛みに、俺は薄く唇を開いた。
「君の唇を割って、口内を荒らして、喉奥を弄ったあの枝を…消し炭にしてやりたい」
「い、たいっ」
「吊るされた君を見ながら、僕が思うのは破壊のみだった」
「爪っ」
「ねえ功刀君、もう立派に悪魔だろう…?この葛葉ライドウ」
「っ…」
何故、何故俺は…哀しいんだ?
何に対して?嬲られる俺?それとも…
「ねえ、君のマガツヒをおくれよ…」
暗闇からの声が、嫌に響く。
視えないのに、分かる。
ライドウは、哂っている。
「この穢れた身体を…君のマガツヒで埋め尽くしてしまいたい…」
哂っている…んだろう?
そうだろ?ライドウ…
俺の回答を得る事も無く、ライドウは唇を寄せてきた。
葉巻の…苦い味がする。
決して元気では無い俺の身体から流出する、生体エネルギーが
その這う舌を伝って流れ往く。
何度も吸う様に、角度を変えて、息を紡ぐ。
俺は息を荒げ、顔を背ける事も赦されずに顎を掴まれる。
ライドウは、慣れている。
俺の苦しい息継ぎも知っている。
ぐったりする俺に、聞こえる様にだろうか…
「どうして、こんなにも美味しいのだろう」
呟いては、嘗める、舐める。
「僕以外にこれを味わせるのは癪だから…ね、君が他に付くなら…容赦無く…」
舌が、頬を伝い、耳元に昇って来る。
「殺してやる」
ああ、俺は…どうして今、こんな目に遭っているのだろうか。
でも、ひとつ云える事がある。
里に入ってきた時よりも…
ライドウとの距離が、心地良かった。
もう、狂ってる。
この里も、ライドウも、俺も…
全てが狂ってる。
「ククッ…ねえ、下からも吸って良い?功刀君?」
腰に指が降りてくる…
「い、やだ…っ」
朦朧としながら俺は云う。
頬を熱が赤くさせているに違いない。
嫌悪に、肌が粟立つ…!
が、その指が…晒を撫ぜただけで、終わった。
虚空を睨むままの俺に、少し上から声が掛けられる。
「…今は、やはり止めておこう」
「な…んだよ、おちょくってんのかあんた」
侮蔑を込めてそう問えば、酷く落ち着いた声で返された。
「今身体を繋げたら、あのケダモノ達の臭いが君に移ってしまいそうだから」
するり、と離れていく指、腕。
暗闇に消えた。
何も視えない。
何だよ…その理由。
泥まみれの俺を、足蹴にするあんたが…何を云っているんだ?
おい、おかしい、おかしいよ。
俺は…悪魔の如き葛葉ライドウを、最期には打ち破るつもりなのに。
俺を惑わせて、愉しんでいるのか?
…一番恐ろしいのは
…振り上げた拳から力が抜けていく事
「おい!ライドウ!」
虚空に、暗闇に向かって叫ぶ。
「聞いてるのか?おい!夜っ!」
もう、この屋内に居るのかすら分からない。
「あんたからしたのは、血と葉巻と白檀の香りだけだから!!」
俺は、一体何を云っているんだろう…
悪魔召喚師に、俺の主人に。
憎い…あいつに。
どれだけ経ったのだろうか。
月光が、甦る。
雲が晴れ、格子から光りが薄く射した。
そうしてようやく気付いた。
床の外套が無い。
俺の肩に…掛けられていた。
柱と晒の隙間にずれ込んでくるそれを背に、首に感じて
残る白檀を鼻腔に感じる。
寒気はもう消えていた。
外套から香る残り香が、毒の様に俺を侵蝕する。
俺の主人の香りで、安眠を約束された気がした。
脳内で、毒花の蕾が緩やかに開く。
甘い毒の香りに誘われて…夢の世界に入る。
「夜…」
その名をぼんやりと紡げば
右眼が縛る様に、熱く蠢いた気がする…
赦さぬと―――
メランコリの蕾・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
出だしの夢、もう雷堂は精神疾患かと…思います(似たような夢は視ますが)
あれ?そして人修羅…ライドウと微妙に接近?しちゃいましたね。
いえ、すれ違ってますが!
雷堂は次回に…という事ですね。
しかし…雷堂のおいおいな設定が明らかになった今回
お察しの通り、対になるライドウは…
まあ、そんな感じです(なんだそりゃ)
にしてもライドウ、カラスには大人しく従います。
いつかきっと…と野望に打ち震えているのでしょう。
そして今回は人修羅が流石に恋しくなったのかと(そうか?)
でも二人して弱っているのに雷堂に来られたら…まずいでしょうねえ(ニヤリ)
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