『ちょっと、何があったのよ凪…大丈夫?顔色良くないけど?』
ハイピクシーの小さな手が、私の背を叩きます。
それに少し落ち着いた私は、なるべく平静を装って彼女へと振り返ります。
「少し、疲れて…ごめんなさい」
『あんなトコずっと居れば疲れちゃうわよぉ!もう遅いし泊めてもらったら?』
「はい…明日発つプロセスです」
薄い蒼が、夜を運んできます。
雪の白にそれが映りこんで、とても綺麗な時間帯ですが…
魔的な何かと、現の世が交じる瞬間で、少しおっかなくもあります。
(功刀さん…お身体、大丈夫なのでしょうか)
あんな痛そうな、枝で…
途中から思わず眼を逸らしてしまい、痛々しい声が私の耳を刺します。
隣のライドウ先輩は、しっかりと眼を逸らさず見ておられました。
やはり、お強いです…
そんな先輩は、まだ残って三本松様と話されております。
あまり考えたくはありませんが、お説教…でしょうか?
でも、人修羅とはいえ功刀さんだってお散歩したい時が有りますよね?
きっと、今回それが原因です、大きく周りが騒いだだけなのです。
(やっぱり、気になります…功刀さん)
『凪?ちょっとドコ行くのよ』
「医務室に向かい功刀さんと会います」
『まだ寝てんじゃないの?何されたかよく分かんないけど』
あっけらかんと言い放つハイピクシーが、根掘り葉掘り聞かないのが救いです。
案内を聞き、その方面へと向かう道中にも
先刻召集されていたサマナーの方々が居ます。
一応葛葉四天王の私が通ると礼をしますが、判ります、少し笑っている事。
まだまだ若輩者…おまけに女性ですから、仕方無いのですが。
そんな視線と似たものを、人修羅の功刀さんも受けていらっしゃったのでは?
そう私は思っています。だから、この里では、なるべく共に居たいのです。
…あ、居ました、ちょうど建物から出てきたばかりの様です。
「功刀さぁん!こちらです!凪が参りました!」
手を振って、先刻の事を払拭するべく笑顔で駆けます。
「あ…凪さん、もう終わったんですか?」
少し表情に疲れが見える功刀さんですが、何より寒そうです。
私は、鞄からくるくると、丸めて収納したケープを取り出しました。
「良かったら、羽織って下さい!」
「えっ!いいえ、悪いです…凪さんは寒くないの?」
「全然!寒さはノープロブレム!」
「でも…女性が身体冷やすの、良くないですよ?大事にして下さい」
困ったように静かに微笑んだ功刀さんを見て、肩のハイピクシーが卒倒してます。
私も何故だか頬が熱くなりました。
「い、いいえ!今温かくなりましたから!私には必要有りません!」
そう云い、半分無理矢理ケープを押し付けました。
やんわり受け取ると、功刀さんは観念したのか、それをくるりと羽織りました。
ライドウ先輩の外套より、少し丈は短めですが…別珍素材の温かい物です。
雪に溶け込みそうな白い、そのケープを纏った功刀さんは…
なんだかそのまま消えそうで、思わず私は話題を探します。
「あ、あの…富士子パーラーに新作が出たとか…」
「ごめんなさい、俺気恥ずかしいからあそこは行ってなくて」
「ええと…中央にジャムとかが乗ってて…大きめなビスケットケイクみたいな」
「ロシアンケーキかな?色々種類は在りますけど」
「ロシアですか!それは…少し興味が…」
「凪さんロシアの血が入っていそうですから…きっと口に合いますよ」
何処へ行くでもなく、ただ立ち話もなんですから…
と、きっと互いに思いながら、適当に歩いてお喋りを続けます。
「俺多分作れますから、今度来る際には教えて下さい」
「本当ですか!?お菓子も作れるのですか!?マエストロ功刀!!」
「…ん?それイタリア語じゃ…」
くすくすと笑う功刀さんを見て、少しホッとしました。
早く…ライドウ先輩の用が済めば良いですね。
私もハイピクシーも、あまり離れていると不安ですから。
「十八代目葛葉ゲイリン、良いのですか十四代目ライドウの悪魔と勝手に…」
その声に、ハッとして振り返ります。
先刻、後ろに並んでいたサマナーの数人が、居ました。
「そんな人間の成りでも、混沌の悪魔なのですよ」
「それに…泥棒猫呼ばわりされますぞ、あの十四代目に」
急に、何なのでしょうか…!
「私は、功刀さんを使役するつもりは無いです!彼に謝って下さい!」
いきり立つ私に、功刀さんの腕がすっと伸びます。
「良いですよ凪さん、間違った事は…別に云っちゃいない」
「そ、そんな…でも」
思うのです、泥棒しようとしてるのは…あの方々では無いのか、と。
人修羅を使役せんと…眼を光らせている様に見える私は、疑い深いですか?
でも、恐らくは…そういうセオリーですよね?
「あの十四代目の所為で、思わぬ時間の浪費だ」
「そこの人修羅の姿も結局見れず仕舞い…残念です」
「あんな体たらくで帝都が果たして守護出来ているのか?怪しいものだ…!」
ああ、駄目です凪、聞く耳持ってはいけないです!
大丈夫、ライドウ先輩は帝都をしっかり守護していらっしゃいます。
他のサマナーが口を挟む内容では無いのです、そうです、相手にしてはなりません。
「遊郭でうつつを抜かして?暗殺はお断りか、全く…いいご身分だ」
「案外あの鞭も好んで受けているのではなかろうか?」
…駄目です。
「その悪魔の胎に溜まる程マグを注いでりゃ、さぞかしねんごろな仲なんだろうな?」
もう、駄目です、赦すことが…出来ません…!!
思わず傍のハイピクシーに号令を掛けようとした、その私の前で。
サマナーが、飛んで行きました。
遠くで、白い雪が爆ぜるように舞いました。
唖然とする、周囲のサマナーと…私が居ます。
「く、功刀さん…」
薄い帳の落ち始める空気の中、ぼんやりと光る腕を、ケープから突き出して。
その腕先には、先刻殴り飛ばしたサマナーの…血、でしょうか。
立ち昇る魔力が、踏み出す足下の雪をふわりと散らします。
「先刻の言葉、取り消して下さい」
いつもより、低めな声音で、云い寄る姿に…私は鳥肌が立ちました。
怒っています、功刀さんが。
「今は悪魔に成れない筈では!?」
「どういう事だ…?」
ざわつく周囲のサマナーに、功刀さんは怖い位の微笑みを浮かべたのです。
「見たかったんですよね?悪魔の俺…」
竦んでしまいます、脚が…
それに気付きもしないのでしょうか、仲魔をけしかけるサマナーも居るのですが
全く…相手になっていません。
殆どの悪魔は、一突きされて雪に沈みます。
「おい十八代目!!あんた葛葉四天王なら止めてみせろよ!!」
「そうだよ!あんな仲良さそうだったじゃないか!」
そして、突然矛先が私へと向いたのです。
『ざっけんじゃ無いわよ!!なぁ〜んで凪が対処しなきゃなんないのよ!!』
肩のハイピクシーは、制さなければそのサマナー達に魔法を放ちそうな勢いです。
「で、でも…」
向かって行くサマナー達を、容赦無く殴り倒す功刀さん。
もしかしたら、殺してしまう…!
「だ…駄目です!功刀さんっ!」
私は、細身の剣を抜刀して…彼の面前へと躍り出ました。
功刀さんは、冷えた金色の片眼で私を見据えます…
片手に掴んだサマナーの…これまた大柄な男性を、そのまま片腕で遠方へ投げ棄てました。
「凪さん、貴女もそうだ…」
「え…っ」
「こんな機関に属していたら、いつか自分を棄てなければいけない!」
突然の内容に、戸惑いが…隠せません。
「護っても!自分を棄てても!得られるものの正体なんて…っ!!」
怒りに顔を歪ませて、怯えるサマナー達を隻眼で睨む功刀さん。
ああ、解ります…怒っている、あなたの心が。
ライドウ先輩が護る姿をいつも見ているのですから、怒って…当然なのですね?
「…でも、今は止まって下さい…それが凪の求めるプロセスです」
「…退いて下さい、まだ七人、殴ってない」
「功刀さん…!」
ざく…と、自分のブーツが雪を踏む音が、嫌に響きます。
私とて、鍛えています…少しは、少し位は…届きますよね?功刀さん!
「ディアオーラを!」
『な、凪…っ!』
ハイピクシーの震える声に背中を押され、身体に漲る魔力。
ディアオーラの安心感が無ければ、向かって行く勇気すら湧きません。
私の斬り込みを、すぅっとかわした功刀さん。
刀身をその光る指で掴んできます。
(折られるのは危険…!)
傷付けるのを厭わず、真っ直ぐに即座に引き抜きました。
赤い鮮血と一緒に、功刀さんの指の鞘から引き抜かれる…私の剣。
しかし眉ひとつ動かさず、功刀さんは空いた手で私に向かって爪を薙ぎます。
「くぅ…っ」
ジャケットの襟と、インのブラウスと、肌が裂ける感触がしました…
空に舞うのは、雪で無く私の髪…
じくじくと、再生され癒える肌を感じつつ、もう一度、もう一度…!
呆気無く避けられる私の剣と、白い息で目の前が曇る私…
「凪さん、大怪我したらヤタガラスに居れませんよね?」
「…!」
「貴女みたいな可愛い人は、こんな所…居たら駄目です」
暗い笑み。
光る眼が、今度は本気だと…私の眼の奥に呼び掛けます。
鋭く、空気も粉雪も切り裂く爪が、私に向かってきます。
『凪ぃ〜ッ!!』
ハイピクシーの声がして、私も、もう頭が真っ白になりました。
…ですが、それは…雪の白さ。
「…あ、がっ…う、うう」
「君は何処まで僕に恥を掻かせるつもりなのだ…功刀君」
功刀さんの…背から貫かれるのは、冷たく光る刀。
白い雪に、月の影、黒い外套。
「このまま謝り、土下座を続けては、僕の額が抉れてしまうよ」
ずぐっ、と鈍い音を立てて抜かれた刀。
ライドウ先輩が…そうして、功刀さんを止めたのでした。
浅く息を吐く功刀さんの頭を、踏みにじって…哂っている?ライドウ先輩。
「これから君の処遇が下されても、もう庇ってはやれぬからね…そのつもりで」
「く…かはっ」
赤い花の様に、雪兎の眼の様な、そんな吐血。
驚く事に、功刀さんはライドウ先輩に…哂い返したのです…!
「遅い…ようやく、あんたらしくなったじゃ…ないか」
ひゅう…ひゅ…と、肺から空気が抜ける様な声。
じろり、とそんな功刀さんを見下ろす先輩の眼が…怖い。
「どうせ…優しくも出来ずに、無関心ならいっそ…そうしててくれ、よ…」
「…」
「あ…は…っ、怖いくらいに…優しいのはさ…雷堂さんだけで、充分だ」
「…お言葉に甘えて…そうさせて頂くよ!」
その“さん”と敬称されたライドウの名を聞いた途端、先輩の顔色が変わりました。
靴の先で、功刀さんの顔を蹴り上げて、ホルスターから引き抜いた銃で…
「ああああああっ!!!!」
此処は人里離れた僻地、山の影すら映り込むそんな里。
そんな里に響き渡るのは、鳥の鳴き声とせせらぎの音では無く
悲鳴と銃声です。まるで狩られる鳥と、狩るマタギ。
「先輩!!もう良いじゃないですか!!止めて!止めて下さい!」
駆け寄る私は、その銃身を両手で掴みます。
と、発砲は止み…代わりに私へ問い掛けられる言葉。
「凪君、何故右側面を斬り込んでいない?」
「え…っ」
「見たところ、これの傷もその様だが…隻眼の彼が…右に弱いと、それ位解るだろう?」
「ひ…卑怯、だからですっ」
そう答えた瞬間、左の頬に熱い衝撃が奔りました。
私は…頬を掌で、打たれたのです。
「騎士道精神が好きな悪魔も居るが…今後その様では、死ぬよ?」
「…」
「先代ゲイリンを立てたいなら、もう少し狡猾に…」
バチン
思っていた以上に、音が響きました…私のビンタ。
ライドウ先輩の頬に初めて触れたのがビンタというのも失礼な話ですが。
少し驚いた風で、私を見返すライドウ先輩。
息を呑むハイピクシーの気配。
「ライドウ先輩こそ…っもう少し、素直に生きるのが良策と心得るセオリーです!」
「…へえ、ご教示願いたいね」
冷たく微笑むライドウ先輩に、畏れつつも…私は云いたかったのです。
「功刀さんが、何故人に拳を、力を揮ったか…考えましたか?」
「…」
「先輩が辱められたからですよ…!?」
「どうやって?」
「…有る事無い事云われ、帝都守護に口を挟まれ…功刀さんは怒られたのです!」
「有る事無い事は…どこで判断したのだ?凪君?」
「鞭を好んで受けるだとか…終いにはねんごろとか…っ」
「く…くくっ…あはははっ!!」
先輩の突然の笑い声に、ぎょっとして私はその眼を見つめました。
綺麗な、切れ長の瞳が…私を見下すかの様に…哀れむかの様に光ります。
「何を云っているのだい凪君…」
「な、何…とは」
「僕は人修羅を抱くよ?女の様に」
私…は、今程、この瞬間程、聞き返したくなった事はありません。
でも、聞き取れなかった訳では無いのです。鮮明に、聞こえました。
「鞭は好まぬが…後者に関しては否定するつもりは無いが?」
「で、でも…先輩達は…っ」
「男と男?サマナーと悪魔?」
違う、違います、そんな形の話では…無いのです。
先刻から感じる違和感を、唱えさせて頂くセオリーです。
「好きなら何故酷くするのですかっ!?」
いまだに足蹴にされている功刀さんを、私はしゃがんで抱き寄せました。
冷え切った身体と、赤く滲む血の匂いが…痛々しいです。
意識を飛ばしてましたが、その方が幸せと思います。
除けられた脚を、さくりと雪の上に下ろした先輩が…
そんな私の背に投げかけた言葉は、氷柱のように心を刺しました。
「愛してなければ、抱いてはいけない?」
「…普通は、確認とか…満たされたいとか…子を生す為にする行為です!」
「人修羅を他に奪われるくらいなら、駄目にしてしまった方がマシだ」
「え…」
「そうさせる彼が…憎くて仕方ないから…抱くのだよ」
哂いながら、私に視線を合わせてしゃがむライドウ先輩。
功刀さんの肩から、するりと私のケープを外します。
「凪君、君は思わないのか?この人修羅が、自分だけのものならと…」
「く、功刀さんが、ですか」
もし、功刀さんが私の…使役する悪魔なら?
強い、優しい、私だけの?
確かに…素敵ですが…それは誰しもが思うのでは?
それより私が望むのは、功刀さんと…もっと人として…
「残念ながら、これが人に成る頃には、死んでいるよ…君も僕も」
「…!」
「ずっと中途半端なまま…腕に納め置くのさ、憎しみという餌を吊り下げてね…」
血に塗れたケープが、私に返されます。
被弾した血で、斑点状に赤く染まったそれを見てライドウ先輩が云います。
「すまないね、弁償しようか?」
「…いいえ」
「ふふ…赤の水玉模様なんて、女の子らしくて僕は好きだけれどね…」
外された私のケープの代わりに、闇色の外套が功刀さんを包みます。
「僕の物しか纏わせたくないから」
しゃがんだままの私に、そう云い放って立ち上がると
功刀さんをそのまま横抱きに、雪の上をさくり、さくりと歩んで行きます。
周囲には、もうサマナーは居ません。
私が抜刀した頃から、気配は消えていました。
『な、凪…』
「…」
『まさか、あなた…人修羅の事…好きだったの?』
雪が酷くなる前に、帰りましょう。
もう、私の責務は果たされました。
召集に従って、里へ来て、騒ぎを鎮圧すべく剣を抜きました。
でも、ディアオーラが、まだ効いている筈なのに…
「苦しい…痛い、痛いです…ハイピクシーっ…とても」
寒さに強い筈の私は、功刀さんの赤で染められたケープ…
流行最先端の赤色ドット。
其れを羽織るしか、無かったのです。
それくらい、寒かったのです。
太陽と月に背いて-夜闇・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
ひっでええええええライドウ!!!!
凪が可哀想ですね、本当に…すいません。
でもライドウ、出番の少なさの割りに黒い黒い…
そして明かされる、陰だけで生きてるライドウの事実。
あ〜…黒くてドSな訳ですね。
というか…あれ?凪と人修羅のコンビ、私結構好きだったみたいです。
凪が人修羅に好意を寄せているのに気付いているから
「抱いてる」発言したとしか思えませんねライドウ。
おまけにケープ突き返すとか…なんという…もう。
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