「僕の縄張りに入りましたでしょう、御上様」
身を捩り、少し前にのめって、頭巾に唇を寄せる。
「僕が里帰りの度に、あそこで遊ぶのを…いつから存じておられたのです?」
囁く様に語りかける僕、夢うつつの状態で返してしまう御上。
「…つ、つい…最近の事だ…ここ、一年程前……曼珠沙華の凄いこの季節だった、お前が、その…今の齢でブランコでなど…」
「細工、されましたね?一定の負荷と同時に縄が千切れ、ブランコに座る者を縛り上げる様に」
頭巾が揺れた、図星か。
「そんな、まさか、わたしはそんな縛りはしない」
「嘘仰いな御上様。千切れた縄は、よくよく見れば本来の物では無かった…そして、仲魔に検証させてみれば、呪いすら施されていた」
「縛りにそんなイカサマはしない!術で勝手になど!縄に任せては無意味だ!わたしがこの手指で繰らなければ!」
「あの板に座り、指先から縄にMAGが微量流れたら、縄の一所が熱で千切れる呪いだ。儀式に使う本結びの流れを汲んだそれが、板の下の玉結びになっていた…発火を促す陰陽の結びだ」
黙り込むカラスに、追い打つ。
「アレで一番遊んだ僕が云うのですよ…ねぇ、御上様、その細工された縄からは、バイコーンの馬油が確認出来た…僕の云いたい事、お解かりでしょうか?」
僕を撫でる震えていた指先が、梁に跨る縄を掴んだ。
「…解かれ続けて、挙句にもう縛れぬのなら、いっそ…いっそ、駄目にしてしまいたかった」
「そんなにも縛り上げたかったのですか…フフ…」
愚かしい。
「縛られた際の、それでも強い眼をするお前が、たまらなく好きだったのだ、わたしは、もう自分だけの為に縛れぬなど、考えたくもなかった」
「昔の様に独占してじっくり縛り上げる時間も権限も無い、と…そういう事に御座いますか?」
「飛び立ってしまった…麝香揚羽の様なお前が、好きだったのに…整然と薫る黒を湛えたお前が」
「御上様、麝香揚羽は幼い頃より毒を蓄え、それを武器に生きるので御座いますよ」
はっ、として見上げてくる頭巾の中、弱々しい眼が僕を見る。
ずうっと縛られていた者の様に、衰弱した眼をしている。
「それを知らずに飼っていたので御座いますか?フフ…滑稽でしょうに…それに僕が普段から纏うのは麝香に非ず、白檀のそれに御座いまする」
「…何故…何故、そうだ、何故お前…死んでおらぬ!?最終作に成っていた筈なのに、何故生きて居る?」
如何して僕が今を生きているのか、そんな問い掛けに答えを出せるのなら、教えて欲しいくらいだ。
「離れで暮らす候補生に…偶々遊ばせましてねえ、あのブランコで」
「えっ」
「流石に破縄術すら習っておらぬ所為か、千切れた縄に首を絞められ…まぁ随分と暴れましてねえ」
「し、ししし死んだのか!?」
吊られる僕にどうして縋りつく、あまりに無意味だろう。溺れる際に掴む物が藁でも良いと、よく云ったものだ。
さて…どう答えてやろうか。
縄なぞ無くとも、ぎりぎりと、この男の心の臓を締め上げている感覚に浸る。
嗚呼、愉しい。
この僕には、思い遣りなぞ無い。
痛みを痛みと認識するまで、絞めてやろう。
「ずうっと会ってやらぬ罰でも下ったのでしょう…ククッ」
絶望の顔が頭巾の影になっているのが見えない、残念。
「流石で御座いますねえ御上様、親としての振る舞いを殆どせぬ内に、カラスは子離れしたという事になりましょうかね」
「アレは、アレは私の作品達を…嗜好を……気味が悪い、と…アレの方から離れていきおった」
「まぁ、この里に居る限り、正午もいつかはおぞましい目に遭うでしょうからねえ…フフ…その姿を見ずに済んだのですから、良かったではないですか」
この男からそういえば聞いた事の無い、実の息子の名を出してやる。
その瞬間、吊るし上げる一本を強く引き絞る黒装束。
今更親の面か、哂わせる。
「っ、ふ、フフ……」
「首を絞め上げても、一瞬では死なぬ筈…黙って見殺しにしたのか紺!なあ!本当に!?」
最早相槌なぞ、どうでも良いのだろう。
あのブランコに細工して、美意識を壊す事を考えていたその頭ならば、今此処で僕を殺しても構わぬのだ。
「お前は本当に最後まで…紺…っ!」
煩い、黙れ。僕の名は呼ぶ癖に、息子の名は呼ばぬのか。
いよいよ絞まってきた首、それでも僕は、冷たい眼をしているのだろう。
呆れなのか、憐れみなのか、それこそ絶妙な位置だったが。
「優雅に見下すその眼のお前を、殺さねば捕縛出来ぬと思い知ったのだ…赦せ…今宵の縄は本当に解けぬ筈、わたしにも解き方が解らぬから、なあ…ふふ」
いいや、御上よ、解けぬ緊縛なぞ無い。
候補生の頃ならともかく、今この立場の僕が、黙って縛られるとでも?
袖先に刃物が無くとも、管が使えずとも、武器なら在る。
「出て、おいで…」
高い梁を仰ぐまま、絞まって掠れた声で召喚する。
管が無くとも、僕が縛る悪魔を。
「矢代」
聞き慣れぬ名称に警戒する御上、その気配が縄伝いに僕まで響く。
次の瞬間、御上の背後に並ぶ襖が、中央から両端に向かい、鮮やかな緋色に染まる。
秋の季節の、美しい紅葉模様。だが、襖は本来地味な色目だったのだ。
(ああ、置いていったから、御機嫌斜めか)
開け放つより手っ取り早く、いや、それは短気と云うのではないか人修羅よ。
舞い散る紅葉は、燃える襖の破片達。屋内だというに、秋の夕空が如く橙に染まる壁や床。
一気に左右四枚ずつはあろうという大広間の襖を紅葉にして、中央に立つ金色の双眸が僕を見る。
視線が絡んだ瞬間、僕の唇が自然と吊り上がるのだ。
「ねえ、御上様…フフ、僕が解けぬ事なぞ、今まで無かったでしょう」
僕の声を聞きつつ、焔立つMAGに背後を見る御上。
得意の捕縛も、手元の縄を僕に繋いでいる所為で使えぬだろうに。
使役悪魔とて、骨抜きのオキクムシ達…今の瞬間、貴方に武器は無い。
「ククッ…舞台の袖口に今、僕の刃物を落とし込み候」
「ひ、お前、人修――」
確認の悲鳴すら上げさせず、光る斑紋が薙いだ。たった数歩で間合いを詰めた人修羅が、攻撃を繰り出したのだ。
拳固で吹っ飛ばされた黒い装束、床板を二転三転して、がくがくと打たれた横面を押さえている。
殴りの前傾姿勢から、ゆらりと僕を見上げる金の眼の、その中にまで赤く焔が揺らめく様で。
着物の紋抜きから伸びた黒い角が、衿を少し退けていた。
「…あんた、俺が来なかったら、どうなってたか分かってんのか………おい、ヘラヘラ笑ってんじゃねえよ!」
人間に手を出す事に普段は躊躇する君が、一瞬で殴り倒した。
その光景に絞まる首も忘れ、胎を捩じらせ僕は笑ったのだった。
「悪化してないなら、さっさとお暇すべきなんじゃないのか」
ぼそりと呟く、見舞いの席で。やはり俺はゴウトの云う通り、空気を濁す。
「骨に軋みは無い様子ですが、やっぱりちょっとスジを痛めてたみたいで…」
布団に寝そべるまま、ライドウを見上げる少年が云った。
此処はこの子の庵なのか、ライドウの庵なんかより、造りが良いのが一目瞭然だ。
「縄で擦れた肌は、ディアでもかけて貰ったかい」
「いえ、この程度の肌の擦れにMAGを使わせたくなかったので、薬を…その、普段持たされていた馬油を塗りました」
それを聞いて、俺の鼓動が早くなる。
襖を隔てて聞いたライドウと御上の会話が本当なら…酷い因果だ。
「そうかい、馬油は火傷にも良いからね、良い処置だよ」
平然と応えるライドウは、いつもの哂いのまま…どうしてそんな顔してられるんだか。
「そ、それと…珍しく、父が此処に来たのです。慌てて…ボクを見るなり、何やら妙な顔をされてましたが」
「へえ」
「なんだか、久々に名を呼ばれた気がします…ボク、出来ればこんな姿見せたくなかったのですが…もっと、凛々しい姿を見せたかったな」
小さく苦笑する少年にも、あの男の血が流れているのか。
その男だって、死んだと聞かされた際には、あの動揺っぷりである。
(自分の息子ぐらいの年頃のライドウを縛っていた癖に…どういう事なんだ?)
殴った瞬間の生々しい拳の感触を思い出し、背筋がぞわりとした。
人間を、悪魔の姿で殴ってしまった…そんな自己嫌悪が、少し滲む。
だが、オキクムシを蹴った時の嫌悪感は、自分に向いていない。
この違いは、何なのか…
俺は、きっとあの御上を糾弾出来ないんだ。
それはそれ、これはこれ、エゴイスティックな区分。
「おい、俺…先に表出てるからな」
苛々が声音に出てしまっただろうか、云い放った俺は、つかつかと玄関口でブーツを履き、外に出た。
外の空気、どこか重たい気がする…この里はいつも、陰気なそれが漂っている。
山にも赤く、秋の気配。最近寒くなってきた所為か、紅葉の進みも早い。
「この季節、此処は火事場の様に真朱に染まるのさ」
背後から、伸びの良いテノールがする。
「山の紅葉に野の曼珠沙華…本当に燃えれば良いのにねえ?フフッ」
「おい、まだ里の中だろあんた…壁に耳有り障子に目有りって知ってるか」
「壁だ障子だのといえば、よく途中で乱入して来なかったねえ功刀君?ま、あれは襖だったかな」
す、と傍を通過する黒い影。靡く外套。確かに…白檀だ。
「わざわざあんたが自分から…その、あんな事されに行くなんざ…おかしいから」
「おやおや、挑発で沸騰する割には冷静ではないか」
「あんた、本気で尾行されたくない時はMAGの痕跡残さないだろ」
「しかし、それを追う追わないは君の判断に任せた筈だが?僕は辿れとは一言も命じてないからね」
自分の眼元がヒクリと、その云い方に引き攣る。
ばたばたと袴を捌いて、ライドウより歩幅が小さいのを小走りで解消し、追いつく。
「あのブランコ、あんたを殺す為の罠が仕掛けられてたって事か」
「そういう事さ、丁度乗ってしまったのが、仕掛けた当人の息子だった訳だがね」
「候補生の中に、御上の身内とか…居るのかよ」
「かなり珍しい事さ、普通は引き離される」
「おい、そういえばゴウトさんは何処?」
「僕の学帽の上は確認したかい」
「……居ないな。でも確かに…上に居なくても挑発の効果は…有る」
真面目に答えないライドウに、俺は更にささくれ立つ。
憤りついでに、燻っていた疑問を投げつける。
「どうしてあんた、あの子が死んだみたいに御上に云ったんだ?」
「だって、その方が愉しいだろう?自分の仕掛けた罠の所為で、息子が逝ってしまったと知った時の御上の顔ったら…ないね」
なんて性質の悪い…いや、御上衆等に恨みがあるのは知っているが。
クク、と外套の襟に口元を埋めて、肩を揺らして哂うライドウ。
何処に向かっている?ゴウトと合流…は、まだしない様子だ、そんな気がする足取り。
「なあ…どうして、あの子が吊り下がった時、あんたぼうっと眺めてたんだ」
畦道、赤い花、黙々と進むライドウ。
俺の脚が戸惑う…
はたして、追従して良いのか。
屋敷で、吊られたライドウが御上に向かって“縄張り”と云っていたのが聞こえた。
あそこは、あんたの縄張りだったんじゃないのか?
「余計な結びは要らぬのだよ」
外套の内側から、替えの縄を取り出し、曼珠沙華の海を掻き分けるライドウ。
俺は、その真後ろの、少し花が寄った獣道を辿る。
「本来は首を吊る為の麻縄だったのだからねえ、上質な物である必要は無い」
俺に向かって発しているのかすら怪しいライドウの言葉。
喋りつつ、指は器用に板を外して、新しい縄を通し始める。
首を吊る…とか、何を云っているんだ、この男。
「上の枝が太いからねえ、かなりの負荷にも耐えうる筈なのだよ」
外套を脱ぎ、曼珠沙華にふわりと広げ掛けるライドウ。
樹の洞にブーツの先を掛け、登る体勢の背中に、俺は小さく叫ぶ。
「な、縄の先…貸せよ」
赤い花をさらさら掻き分けて、返事も待たずに白い指から奪う。
「上でどう結ぶか分かっているのかい?」
「舐めるな」
指先に斑紋が伸びれば、身体は軽くなる。
跳躍し、途中に枝を一本経由して、更に上に舞い上がる。
突き出た逞しい樹の腕を捉え、そこに鉄棒の様にぐるりと回り、跨る。
「此処が千切れてあんたに首吊られても…今の俺には一文の得にもならないんだよ…」
俺は、ぶつくさと垂れ流しつつ、がっちりと縛り付けた。
太い縄、指先が荒れるくらいのそれを、がちがちに。
「おいおい功刀君、遊びが無くては大きく揺れる事が出来ないだろう、本当愚図だねえ」
「乗って漕いでから文句云え…っ」
カチンときて上から見下ろせば、既に乗っていた。
ぎしり、ぎしり、少し揺らしただけで苦しげな悲鳴。
確かに…この調子では、枝にも結び目にもダメージがいってしまう。
目の当たりにして、流石に俺は胸を脹れない。
「おい、降りろよ…結び直すから、ライドウ」
「いや、いいよ、此のままで」
脚を振り、大きく漕ぎだしたライドウ。枝がぐらぐら揺れ、軽く跨っていただけの俺の重心がぶれる。
「っと、あ、待てよおい、っ――!」
ぐらりと枝から自身が落ちているのが分かる。
同時に、どうせ今は悪魔なのだから大した傷は受けないだろう、と投げやりな感情が並ぶ。
「っ…!?」
と、妙な衝撃、硬さが無い。
曼珠沙華にクッション性が無いのは、前日把握している。じゃあ、これは何だよ。
「この突起、少しずれていたら僕に当たっていたよ、危ないねぇ全く」
は、と眼を見開く。俺が抱えられ、座らされたのは…
「ばっ……降りる、降ろせ、縄、千切れるぞ」
「千切れても呪いは施されておらぬよ、首は絞まらぬ、地に落ちるだけさ」
「だけ、って…そういう問題じゃねえだろっ!」
ブランコに座るライドウの…膝上に座る形で。
幼い頃、公園で母親にされた記憶が有ったが、まさかこの歳で、まさか男に。
飛び降りようとしたのだが、どうしてか…ブランコは緩く揺れるだけで。
指を絡まされ、縄と一緒に掴まれているこれを、何故か振り解けない。
ぎい、と脚をひと掻きしてライドウが揺らせば、ずり落ちない様に俺の指は反射的に縋る。
「上、見て御覧」
その囁きにすらMAGを少し感じ、頬が熱くなる。気を逸らして、上を視線で仰いだ。
白っぽい曇りの秋空に、黒い群れが。
「カラス…じゃ、ない…?」
「麝香揚羽」
幾度か名を聞いたその名に、前夜の光景が甦る。
「君、あの途中の部屋で焔を出したろう…きっと屋内の温度が暖まり、勘違いして早めに羽化したのだね」
空を往く黒い蝶の群れを、ただ呆然と俺は見上げていた。
「呪縛から解かれて、飛び立つのさ…我武者羅にね」
肩越しに、俺の顔を覗き込むその眼は…確かに闇の色だ。
「クク…僕を縛る烏が、己の罠で雁字搦めの仔烏を見たら如何やって嘆くかと思ってねえ」
「…此処に罠が仕掛けてあったの、知ってたのか?まさか…本気で見殺しに…」
だって、あんた、同じ境遇の候補生には…子供には、いつだってマトモな対応してたじゃないか。
「流石に見目で判別出来ぬさ、アレの親烏が仕掛けたなど、あの時には知る由も無い。僕はただ、単純に――…」
空を埋め尽くす黒、俺の視界を奪う、闇色が囁く。
形の良い唇は、三日月の様にしなる…
あんたはいつだって、残忍で自分勝手なデビルサマナーだと、俺がよく知っている筈なのに。
「憎い御上の身内なら、眼の前で死のうが、僕にとっては愉しい事だと思ったからだよ、功刀君」
煩く啼くブランコ。やはり上の結びが悪いのだろう、あの愚図め。
もがき、僕の指を解いて突き飛ばすと、赤い海を溺れながら掻き分けて往った人修羅。
如何して君が傷付いた貌をするのだい。
まさか、僕の口から生温い理由でも聞きたかった?
駆けて往ったのは良いが、何処に往くのやら…君の居場所は、この里には無いだろう?
…僕の居場所も、在るのかと問われたなら、頷けぬがね。
「だってねえ、此処で朽ちれば、君」
脚を曲げ、伸ばし、背の外套がばさりと羽の様に靡く。
「どこぞの悪魔か人の憎悪に掛かって死ぬよりも、余程マシなのではないのかい?」
漕げば、赤い海を泳ぐかの様。強く漕ぐ程、身を切る風は冷たくなる。
「冷たいね」
葛葉で生きる事が至上と洗脳された仔は、理想を穢される前に此処で絶えた方が、苦しまないのではないかと。
そう思った瞬間、身体は傍観を決め込んだ。
傀儡と成った息子を見るより、作品に出来た方が、親烏にとって悦ばしいのではないかと。
昨晩、御上を見て、感じた。
「煩い」
上で呼応する様に、ぎいぎい、ぎいぎい、啼くな、煩い。
僕は、あの御上の徹底した美意識は嫌いでは無かったのだ。
突き詰める処は、作品としての緊縛と思っていたのに。
「結局は魂まで縛したいのか」
そのブレが、僕を酷く苛立たせた。
緊縛を見て、何とする。
只の縄か?シバブーで事足りると思うか?肌を喰らう造形に感嘆するのか?
違う、どれも各々の執着点に在る。其れ自体は、只の麻なのだ。
最終作品どころか…本来の美徳まで穢して、子供まで傷つけて、何とも愚かしい。
本末転倒である。
「フ、肝心の僕は、また吊り損なったではないか」
失笑し、呟けば脳裏に過ぎる。
何故ブランコにしたのか、と、翠の騎士を糾弾する小さい己の幻が見えた。
背を押す腕は、もう無い。僕で漕ぐ他、無い。
「鞦韆は漕ぐべし…」
何故、漕ぎ続けるのか。
「…愛は奪ふべし」
唱える、まじないの様に。
こういうものだと、そういう仕組みだと、己に云う。“愛”とやらは、未だに不明瞭だが。
僕は、逸れない。逸脱するものか。
“ふふ、貴方よりその悪魔が強くなったが最期、サマナーの貴方は枯渇するまで吸われるでしょう”
喰われるものか。
“目的を成就させたいのなら、その悪魔を最後に殺しなさい”
あの御上の様に、縄を蛇と見る眼には、ならぬ。
僕が悪魔を縛るのは、悪魔召喚師として。緊縛を履き違えぬ様、幾度も唱える。
「鞦韆は、漕ぐべし、愛は、奪ふべし」
正午、お前もいつか、吊りたくなるだろうさ…
そうしたら、太く逞しい枝の樹は、此処にしか無いだろうから、此処で吊るが良い。
なぁに、僕はリンほど残酷では無いよ…ブランコの紐を解き、すぐに環にしてあげよう。
「フフ、死ねば理想を穢されずに済んだろうにねえ…哀れだ」
ひとつ哂って、高く漕いだ。
遠くの空に、麝香揚羽が…行き場も無く飛んで往く。
先刻、君が飛び立った瞬間…するりと解けた指が寒くなった。
追いかけて、再び繋ぎたくなった僕は…
此処で騎士に云われた事を、思い出す。
“その悪魔に、心まで囚われぬ様に”
黒い流れる様な背の斑紋、其処から翅でも生やしたならば、君だけで飛んで往きそうだ。
「抜け駆けは赦さない」
風の冷たさは麻痺する、僕が冷たいから。だからこそ、もっと高く漕げるのだ。
君の熱い焔で、妙な気持ちが羽化しそうになるのを
ぎゅう、とブランコの紐を握り締め、耐えた。
あの瞬間、傍観していた理由を、憎しみにすり替えて君に教えた。
だってねえ、本当の理由を云ったとして…
人修羅が、万が一、安堵の…幽かな笑みを浮かべてしまったとしたら。
折角高く漕いだ天辺、板から飛び立ち、僕はぞわぞわと羽化してしまいそうで。
この感情の正体は、よく解らぬ…解けぬ縄の様に、心臓を縛る。
だが、確信はある。
君を縛る真の目的さえ、野心さえ、遠のくかもしれぬという事だ。おぞましい、愚かしい。
あの御上の様にはならぬ、僕は、このまま、見据えた通りに、憚り漕ぐだけ。
(デビルサマナーの管が、緊縛における縄だとしたならば…
管に入らぬ使役悪魔は…一体、どこで繋がれているのだろうか
血の契りとて、眼に視えぬというに)
ぎい、ぎい、ぎい
僕をこれでもかと、しつこく繋ぎ止める音が啼く。
この虐げられる板が、朽ちもせずに舞い続けるのは…枝に結びつけるお前達の所為だろう?
「僕に解けぬ呪縛なぞ、無い」
眼下に広がる赤い海を、燃える御里に見立てて、僕はほくそ笑む。
何者にも、縛られぬ。今は、最後の為に、黙って共に在るだけだ。
「最後に破縛し、君を殺す、人修羅よ……ククッ」
ぎい、ぎい、ぎい
上で煩く、啼いている。
あまりに耳障りな泣き声で、ふと見上げれば…
ぼとり、ぼとり
学帽を叩く鈍い音。
何かと思いきや、狂った時期に羽化した早熟な蝶達が降ってきていた。
空から落ち、赤い彼岸の海に沈んでいく。
「………ク、ククッ」
黒い外套を身に纏った誰かさんが、血の海に沈んでいくかの様に見える。
「ク……は、あははッ!あはははっ!」
その光景に、独りだという事も忘れ、胎を捩じらせ僕は哂ったのだった。
視えぬ何かで繋がれているのなら
ねえ、其処から引き上げて呉れるの…?
蛇縄麻・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
『緊縛の秋』がテーマ。折檻の為の緊縛でなく、緊縛そのものの美を意識したかった。悪魔を縛るサマナーという関係性も交えて。
里の話なのでライドウが少し憂鬱。ライドウは、過去の自殺願望が有るからこそ、楽な路を与えてやろうかと一瞬でも思った。これは殺意ではなく、ライドウなりの思い遣りだが、当人はそれを自覚していない。単なる憐れみだけだと思っている(しかし、それが外面的に救済の形で映るという予測も出来るので、人修羅にはあんな云い方で説明した)
結局ライドウは、タム・リンに縛られている、そんな気がする。
人修羅は、ライドウに縛られている自覚が有るが、憎しみと卑屈を滲ませてそれを云う。声高にアピールする事で、己を奮い立たせている。そうしないと、後半の膝上のシーンの様な状況で「ずっと膝上に居ても良いのではないか」と思ってしまいそうだから。
葛葉候補生の正午(ショウゴ)君は、何気にSS『血肉を纏いて舞い候(前)』に出てます。名前を出したのは初めてですが…
更に云うと、繋がってないですが徒花で出てきたヤタガラスの里医療班の作務衣の兄ちゃんの弟です。「里の子は、オレの弟しか居ねぇんだ…おい、お前がくたばったら、あいつにお役目が行くかも知れねぇ…」とか云ってた奴です(あまりに脇役なので、徒花読んだ方でもこれは…はたして憶えているか…?)
この候補生の少年は、夜と対照的な名前、それも明とは別の雰囲気の漢字にしたかったのです。夜明けは紙一重のイメージです。正午(真昼)は、夜と明の全く触れない時間帯のイメージです。快活な雰囲気の、背伸びしたがっている少年っぽい性格で。
ライドウは、凪や正午の様な、己の理想に向かって真っ直ぐに修練している人物には比較的甘い。
だから緊縛御上の今回のブレっぷりにキレて制裁したのです(実際鉄拳制裁したのは人修羅でしたが)
そういえば今回、ナチュラルに人修羅がサディスティックな気もしますが気のせいでしょう。
《ロンゴ・マ・タネ》
ライドウ達には嬉しいスイートポテトの神……いえ、本当。
『ニュージーランドのマオリ族の神話に登場する、ランギ・ヌイとパパ・ツ・ア・ヌクの間に生まれた六柱神の一人。サツマイモと耕作でとれる食糧を司る。』(「神魔精妖名辞典」様より)
《蛇縄麻》
仏教の三性説にある蛇縄麻(だじょうま)という喩え。ただの縄も、心が乱れた時に見れば蛇に見えたり、平常心なら縄に見え、更に落ち着いた時なら麻の寄せ集めに見える…という、己の精神状態から変質する物の捉え方の喩え。縄という存在も、縄という形態に執着する意識が“縄”とさせるのであり、本質は麻。執着する物に、人間は勝手に捉えてしまう。
唯識学派三性説で云う遍計所執性(迷い)から脱すれば、本質をすぐに捉える事が可能になる…そんな勝手なイメージですが…そんな人間ばかりではつまらないなあ、と思います。
《麝香揚羽(ジャコウアゲハ)》
アゲハチョウの一種。雄成虫は腹端から麝香のような匂いをさせる。幼虫時代に毒性の葉を食して毒を蓄積する。この蝶の蛹は“お菊虫”と呼ばれる。蛹の形が後ろ手に縄で縛られた女性の様だから。
緊縛の話を書こうというのは、この蝶を調べて思い…オキクムシもスムーズに出せ、此処のヤタガラスの里らしく変態的なエピソードにもなるので違和感無く。
《捕縄術》
敵を縄で捕縛・緊縛するための技術である。体系は、取り押さえた敵を素早く拘束する『早縄』、形式・儀式的に用いる『本縄』、緊縛による拷問を加えるための『拷問縄』、これら縄術で緊縛された状態から脱出する『縄抜け』『破縄術』に大別される(此処まで完全にwikiから)
江戸〜昭和初期?まで日本の警察でも教えていたらしいですが…緊縛画等が広まったのは明治以降で既に。使用する麻縄は表面に処理(なめし)を行わないと、使用感が悪いそうで。蜜蝋や馬油で処理します。馬油をバイコーンのにした理由は、バイコーン=不浄という事で…ヤタガラスが簡単に入手出来るのはこの辺の悪魔かと思い。
綺麗に縛れると、作品としての美を意識するだろうなあ、と共感します。作品を通り越し、ライドウの存在そのものを縛りたくなった瞬間、緊縛師としては失格な訳です…って、その前にヤタガラスの御上でしたね立場。