「…もう、いいよ」
人修羅は、口元を押さえて屋上手摺の壁に寄りかかった。
「…気持ち悪い」
話だけで胎が脹れたのか、青白い顔で地面を見ていた。
「君が体感した訳では無いだろうに」
「…話だけで、胃にクる」
意外と感受性が豊かなのだろうか?
「全く、耳に入れるだけでも弱いのか君は」
まあ、僕よりは豊かだろうが。
「これで分かった?僕が桜を見て気分を好くしない事が」
「分かったけど、その死体見つかってないのか?」
「見つかっていないよ…百舌鳥の草潜の如く…と云われていたが」
そう、云われていたっけ…なかなかに滑稽だ。
本当は速贄の方だったのに、草潜の如く…等と。
「未だに、月夜の晩…桜を見ると僕には見えるのさ…」
「何が…だ」
「桜の花弁に混じって、僕の外套に舞い落ちてくるものに白い、塊が混じり始める…それは蛆なのだ。そして見上げれば半分腐食して、石榴の様に臓腑が崩れた屍体が、枝に絡まっている…半分は しゃれこうべのそれが、僕に向かって哂う。」
「……っ」
「人殺しと」
「俺…っ、もう行く」
残る、と公言していたというのに。
弾かれた様に駆け出した彼は、屋上扉を勢い良く開け下へと飛び込んでいった、
独りになった僕は、煙草をもう一本取り出した。
『おい、それ位にしておけ』
横からの声に、僕は普通に返す。
「昔話で、少々くたびれましてね」
『…あの時の…失踪の件…お主だったか…』
「何です?償えと云うなら、今からでも里帰りして背中を開けましょうか?」
哂って煙草を咥えた僕に、ゴウトは未だうとうとした声音で返す。
『依頼が入っているのだろう、帰らずとも良いだろう…』
「…ではお言葉に甘えて」
僕は煙草に火を点ける事は止めて、それをしまいこんだ。
思えば、あの時タム・リンは軽く流してくれていた。
里に従属する前に、僕に従属していたのだ…
(罪と分かっていても、主人の肩を持つは…良き悪魔なのやら、その逆なのやら)
腰の武器を確認して、僕は歩き出した、異界へ向かわねば…依頼の為に。







「くあ〜もう無理ら〜」
突っ伏した鳴海は酒臭い。
どうやら相当呑んだ様子だ…
「花を見るより酒を呑むか…全く、正直な人」
探偵社に帰還した僕は、少し血で汚れた頬を姿見で拭った。
今回の依頼も容易かった…
仲魔も、人修羅が居らずとも充分だった。
事足りる…

ジリリリリ

(こんな真夜中に?)
デスクでけたたましく鳴る、その電話。
あんな近くなのに、鳴海は突っ伏して寝ている。
僕は少し警戒して、それの受話器を上げた。
「…はい、鳴海探偵社で御座います」
探るように、答えてから耳を澄ます。
と、向こう側から小さく、抑えた声音。

《深川の…番地XX…一番大きな木》

それだけ、小さなこもった声音、しかしはっきりと述べて
電話は切れた。
「…」
悪戯か?しかし、僕に宛てた言葉…にも聞こえる。
『どうした、悪戯だったか?』
「…少し散歩に行って参ります」
『こんな夜更けにか』
「ええ、月夜の散歩です…独りに、させて下さい」
ゴウトは付いて来ない。
どうやら、僕を気遣っている様子。
毎回そうしてくれたなら、僕も身体が軽いのに…
そう思いつつ、先刻の指定場所に向かう支度をする。
あの番地、何となく位置は把握している。
そう…見事に桜花が咲き乱れる、花見には絶好の名所として有名だったから。

一旦、彼を呼びに自室に戻ろうと、する。
しかし、扉の前で立ち止まった。
(何故、功刀を誘う)
桜についてあれだけ云っておきながら、今から向かうはその名所。
おまけに彼は昼、鳴海達に同行している。
(あまりに桜ばかり見ては、脳内まで春になってしまうかな)
そうだ、彼を連れるのは止そう…
何より、夜の桜に付いて来て貰う…など
まるで僕が畏れているかの様で、癪だった。




薄桃が、月光に照らされて輝いている。
草原が少し上空に見えているかの様な錯覚を生み出す。
(この辺りか)
一番大きな、というのは…此処の中央の木と思われる。
「…」
その桜の木、大きさが…あの木を髣髴とさせる、高齢だろう。
近付いて、僕はそれをぼうっと見つめた。
舞い落ちてくる花弁は、月光で白くも見える。
それに、少し夢想しながら立ち尽くしていた…

「ライドウ」

びくり、と身体が跳ねる。
首の向きを、その僕を呼ぶ声の方に寄越す。
そう…桜の木の、上。

嗚呼…
僕を呼ぶ死霊の声だろうか…

僕を罵る声が、降り注ぐだろうか。


「何も無かったよ」

とさり、と花弁が盛大に舞う。
そして、僕の前に落ちてきたのは屍体では…無かった。
「…何を、している君」
「無かったよ、死体」
人修羅が、悪魔の姿で桜から生まれ出でた。
「無かった?それはそうだ…此処の桜では無…」
「これも、あっちのもそっちのも、此処一帯のは全部昼に見た」
「…」
「全部、死体は無かった」
真っ直ぐに金の眼が僕を見つめる。
それは真面目な視線。

「だからさ、此処のはあんたが花見しても平気だよ」

その台詞に、僕はしばし動きを忘れて見ていた。
彼の髪を彩る花弁を。
「…あの電話、君か」
「鳴海さん起こしちゃってたら、すまない」
「いいや、熟睡だよ…どれだけ呑んだのやらね」

そうか
桜の上には屍体は無いのか

「では、今から花見といこうか…功刀君」
「…昼に見に来れば?」
彼の言葉に、僕は哂う。
「昼の喧騒の中より、今が良い」
舞う花弁が、月光を反射する。
春の雪。
「まあ、それもそう…か」
歩き出す僕に追従して、人修羅がぼそりと
柔らかな声音で呟く。

「俺も夜が好きだ」

ぴたり。
ほぼ同時に、脚が止まった。気配。
背後から、即行で言葉が続けられた。

「そ、そうだろ!?“夜桜”の方が良いよな、な!?」
「…だろう?」

まさか、突く程僕も頭が春では無い。
そう、まさか…
一瞬でも動揺したなどありえない。

「功刀君、花見酒はところで用意してあるのかい?」
「はぁ?そんなの無い」

僕の台詞、春に酔っているか。

「では、君から寄越してよ、僕に」
「…おい」
「ほら、折角の宵の桜…だろう?」
「っ調子に乗ん…な」

僕の伸ばした指は…
振り払われ…ない。

「なあ、桜の木の上には、何が在った?」

彼が僕に問う。
僕は笑って答えた。

「春と修羅」
「…ふふっ、少し上手だなあんた」

でも、まさしくそのもの、だった。
それ以外に浮かばなかった。

「ねえ…美酒、呑んで良いの功刀君?」
「…“ああかがやきの四月の底を”…分かるか?」
「当然……“はぎしり燃えてゆききする”」
「「俺はひとりの修羅なのだ」」

重なった詩に、耐え切れず君が吹き出した。
普段見る事は無い、薄いが、柔らかな微笑みだった。

「俺も夜桜に気分が良いから、くれてやるよ」
「それは有難いね」
「酔って、俺の死体が在る夢でも見てろよ…」
「いつか成ったら、君の望み通り桜花に葬しようか」
「でも、烏が啄ばんで跡形も無くなるだろそれ」
「…烏(ぼく)が啄ばんで?」

人修羅の顎に、指を添える。
僕へと上向くその、斑紋が輝く表情…

「…嫌いだ、あんたなんか」

忌々しげに、金の眼を瞑る君。
その侮蔑は、妙薬。

「殺してやりたいのに…何故…」

光る彼の目尻を無視して、その唇から美酒を呑んだ。

“まことのことばはここになく”
“修羅のなみだはつちにふる”

続きの詩が、すらすらとよみがえる。
僕は、彼の気を啜って、春の宵を謳歌した。






何故百舌鳥が春に居るの?
何故百舌鳥が春に啼くの?

十四の春
僕は人を殺した
屠ったそれを、花葬した。
季節狂いの鳥。
春になっても、殺し続ける凶鳥。



君の心を視ているのに
殺し続ける春啼き百舌鳥。



春啼き百舌鳥・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
【草潜】
百舌鳥(モズ)が春になると人里近くに姿を見せなくなるのを、草の中にもぐり込むと思っていったもの。
【速贄】
百舌鳥が枝に突き刺しておく虫など。他の鳥の餌になるのを、供物と見立てた語。

うわ、まさか甘い?しかし切ない系…か?
「夜が好き」とか…うわあああ(ごろごろごろ)恥ずかしい!!こういう話書くのは。
前半気だるいくらいにねちっこいライドウの過去ですが、後半は反して甘い。
はあ、春ですから…良いのでは?2010/04/06現在。
『春と修羅』はあの著名なあれです、賢治先生の。
人修羅作品のモチーフにされまくってそうで避けてましたが
今回どうしても使いたかったので。
でもタイトルにしなかったのは、後半いきなり出したかったから。
人修羅は本は読む人、という設定です、英語はさっぱりですが。

ライドウをねぶるお上のおっさんや、同郷のいじめっこ
凄い書くの愉しいです(うわあああ)

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