「いや、本当に君には感謝している…葛葉ライドウ」
赤いスーツと、黒いスーツ。
見事に擬態しているが…恐らくは、悪魔。
「いいえ、しかし、子供には遊ばせる事も必要ですからね」
微笑んで述べる僕の腕に、すっかりしがみ付くアリス。
すっかり指も戻って、愛らしい華奢な手が僕の外套ごと腕を掴む。
「この子がこんなに懐くとは…いやはや、どのような魔術を?」
黒いスーツが首を傾げ訊ねてくるが、僕とアリスは見詰め合って笑うだけ。
「良いのよ黒パパ!アリスね、この葛葉ライドウに良い物貰っちゃったから」
「何を一体…」
「うふふ、とっても素敵な贈り物よ」
外套の内に入り込み、かくれんぼする。隙間から顔を覗かせ、紳士二人を笑う無邪気な少女。
「私達も、少し過保護にした報いが下りたのかもしれん」
赤いスーツが溜息する。きっと最近の悩みどころだったのだろう。
「我侭だが、赦してやって欲しい」
「ええ、構いませんよ…ねえ、ミス・アリス?」
見下ろす先、あの男よりかは柔らかな色味の金が踊る。
「うふふ、夜兄様」
その会話に、仰天する黒と赤。
銀楼閣を幾度か振り返り、アリスに手を振りつつ小言を残して去って往った。
ゆらりと人の海に消えた、比喩では無く。
「…ねえ、夜兄様!」
はしゃぐアリスの指先は、あまり温かくない。
「云ったでしょ?アリス、無理矢理友達にしたんじゃ無いって」
「そうだね、桜の下で、彼等も喜んでいたろうさ」
桃色の舞台で…糞尿垂れ流し、涙を垂れ流し、すっきりしたろう。
この世と決別したのは…事実、心が弱かったから。ある種、誠実だったから。
呼吸困難な世界であるのなら、確かに奈落に落ちてしまうのも手なのか、と気付かされた。
「まさか、また遊んでくれるなんて思わなかったもの」
「あのまま迷子にしておいたら、いよいよ無理矢理友達を作りそうだからね」
「ふふ、どうかしらどうかしら?内緒っ」
桜舞う帝都、賑やかな街路、少女を連れる僕を振り返る人々。
球体関節人形に、命でも吹き込んだと思われるだろうか。
しかし僕はヤハウェでもない、ルーアハも吹き込めぬ。
僕が吹き込めるのは、愉しい狂った誘いだけ。
「お母さんがね、云ってたもの」
猫の集団を脚で捌いて、裏路地を通る。その中に一瞬ゴウト童子が居た気がするが、無視した。
「あっ、黒猫!“キティ”かしら?」
「ゴウト、だよ、ミス・アリス……で、何を云っていたのだい?」
「そうそう、あのね!毎晩祈りを捧げていれば、良い子にしていれば、神様の世界にいけるって」
「へぇ…神様、ね……つまりは幾つも世界が在るという事かな?」
「でもね、アリス知っちゃった、神様って他の神様を赦さないのよ?」
「そうだね」
「おまけにね!女の子ひとり助けただけでイイ気になって、自己陶酔も激しいわ」
「ククッ」
ああ、やはり似ている…僕と、ルイと、この子は。
「わあ!アイビーゼラニューム!オーニソガラム!チューリップもある!」
「お気に召したかな?」
「うん!すっごい、素敵よ!」
路地裏から、茂った蔦に包まれた家。無人の様に見える其処は、実は営業中なのだ。
『…珍しい、彼女連れじゃん』
「君にはこの子がそういう相手に見えるのか、それこそ異端だろう?ルイス・キャロルかい」
『うっげやだやだ、ましてや女なんざ』
頭の花冠を撫で、僕に怪訝な視線を寄越すナルキッソス。
『ライドウくらいの美貌なら、まあまあ赦せるけど』
「要らぬよ、僕とて自身が好きだからね」
『け、ナルシスト』
「フフ…どちらがだい?」
財布を取り出す僕を気遣いもせず、花を好き放題選定するアリスが逆に清清しい。
『今日は毒花でも薬でも無いんだ』
「煙草の草は足りている、此度は飾る花を買いに来ただけさ」
『何を飾んのさ、妖精相手にしてる分、彩りは豊かっちゃ豊かだけど』
薄い着流しに、草木染の帯を緩く巻いたナルキッソスがアリスに歩み寄る。
『何買うのさ、おチビちゃん』
「何よ、擬態してもないのに、チャラチャラ着飾ってるのね!」
『だって悪魔ったって真っ裸ヤだし?おチビこそ、可愛こぶってんよな?』
「ねえねえ、オススメのお花は?」
咲き乱れる花畑で、蝶と走るアリスが問う。
だが、ナルキッソスは鮮やかな蜜の髪を手櫛で整えるばかり。
『スイセンなんてどうよ』
「嫌!ナルシストね〜アナタって、おまけに毒草じゃない、商売してんの本当に」
舌を出し、あかんべをしてナルキッソスからそっぽを向いた少女。
『け、あ〜可愛くない可愛くない』
ぶるる、と肩を震わせたナルキッソスが視線を僕に戻す。
その背の向こうでアリスが両手を振って示していた。
「それにするのかい」
笑顔で大きく頷く彼女に、僕も歩み寄った。
ナルキッソスの傍を通る際、がま口の長財布を放り投げる。
『っと!羽振り良いのな相変わらず』
「御勘定宜しく」
そろりと抜刀すれば、上で戯れていた蝶達が空気を読む。
低く穿って横に一閃すれば、その花壇の一部が背を低くした。
『ユリばっかじゃん』
「悪いかい?文句ならアリスに云ってくれ給え」
『いや、時期じゃないから高くつくけど』
「構わぬよ」
総倒れした白百合を少し拾い、花束にしてアリスに哂いかけた。
「有難う!夜兄様」
「この芳香なら、良い夢見だろうね」
甘やかで、生臭い独特の薫り。
『何に使うのこんな目いっぱい…おまけにすぐ枯れるよ』
呆れつつ財布から金を出し、数える此処の番人。
商売人の癖に、先刻から余計な心配ばかりしている。
「枯れたら、また買うさ…」
答えながら、取り忘れられた百合ひとつ、拾い上げて胸のホルスターに挿す。
管を支える筒は、百合の一輪挿しと成る。
「“We're all mad here. I'm mad. You're mad.”」
皆、狂っているのだろう。
納得の朗読をし、包んで貰った花を携えたアリスの手を取った。
「ねえ、本当にアリスの事」
「召喚皇だよ、その程度の悪魔も従えれずに如何する」
「ふふ…楽しみ!」
薄暗いけど、ベルベットのカーテンも、たぐい寄せるタッセルも凄く豪奢。
夜兄様みたいな兄様が本当に居たら、良かったのに。
もっと早く逢えてたら、子供で居れたかもしれなかったなあ。
「でも、大丈夫かなあ、此処って探偵のおじさんとか居るんでしょう?」
「平気さ、僕以外に倉庫に入る者は居らぬからね」
「あれ?夜兄様って小間使いだったの?」
「フフ、昼行灯がどうこうするより、僕が動く方が早いからね」
こっそりこそこそ、銀楼閣の狭い部屋を、アリスの隠れ家にしたの。
異界じゃないわ、そのままの世界だけど、凄く居心地が良いの!
アンティークの内装、英國の薫り、飾られる絵本とカンテラ。
「寝心地は如何かな、ミス・アリス」
覗き込んできた夜兄様、私の何分の一しか生きてないのに…
どうして、分かったのかしら?パパ達だって分からなかったのに。
「今まで寝てきたベッドの中でトップクラスよ」
「それは良かった」
黒檀の棺桶いっぱいに、敷き詰めたユリの花。
包まれて眠れば、爛々としない、ざわつかない。何故だかすぅっと、眠りに就けるの。
「どう、死の薫りは…最高のベッドだろう?」
黒い睫がけぶる、その闇色の眼で…見つめられて今はドキドキ。
「安眠って感じ!ねえ、早く本当に眠りたいわ」
「まあ、待ち給え…僕が猛き悪魔を連れるまでは、ね」
いくら千切られても、焼かれても、繰り返し捏ねられて、元通り。
そんな今は、嫌なの。
「一瞬で火葬してくれる悪魔、早く見つけ出してね!」
天国なんて、厭。神様なんて、嫌い。
この魂ごと、一瞬で消し炭にしてくれる悪魔を、ねえ早く早く!
「勿論…ミス・アリス」
ニタリと哂ったデビルサマナー…一体何処まで使役出来るかしら?
でも、とても好きなのよ?二人でほくそ笑んで、この世界を愉しもうって約束したの。
その契約が成されるまで、アリスは夜兄様の妹。
愉しそうなら、いくらでもお手伝いするの。
だから、それを心待ちに、うずうずしながらこの世界に留まってあげる。
「契約通り、いつか君を殺してあげよう」
はあ…なんて綺麗なテノール。
その子守唄にうとうとしちゃって、またアリス、夢を見ちゃってる…
おかしいわ、いつもの兎じゃなかったの。
狐が誘う穴に転がり墜ちて。
Down, down, down. Would the fall never come to an end…
三月狐のお茶会・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
たった一言、「不思議の国のアリスのwikiを見て下さい」と云えば済んでしまう気もします。
とりあえず、今回参考に抽出したのは
『不思議(鏡)の国のアリス』
『ジャバウォックの詩』
『赤の女王仮説(進化的軍拡競走)』
『かばん語』
『ジェイムズ・ジョイス』
『英國の葬儀』
『大正時代の校内履物』
不思議の国のアリス…とにかく言葉遊びが多い!おまけに私は英語が不得手でして…
ジェイムス・ジョイスの《意識の流れ》というのを今回初めて知りましたが、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」というものらしく…
少しニヤリとしましたとさ。
アリスを書く際に意識するのは「恨み」の情を滲ませる事です。
どうして自分が、だとか…勝手に助けた神を恨んでいる、とか…
現状に何かしらの不満を抱いている、それを子供の様に発露させる。
命のやり取りに愉しさを感じる点は、ライドウに類似する。
アリスの破壊は“とにかく見て欲しい・相手をして欲しい・感情を思い知って欲しい”から。
ライドウの破壊は“目的の邪魔だから排除する・壊れたそれに己を縋らせたい”から。
どちらも、己の存在している意義を“虐げられる・支配されている・生かされている”という頚木から除外せんとしている。それは歩んできた路がさせる思考…と思われます。
アリスが死にたがるのは、永くうつろう世界で、未だに体験出来ない死への好奇心と、それこそ神への“あてつけ”から。
ライドウがアリスを懐かせ可愛がるのは、手駒を増やす意味合いと、居心地の良さから。
魂の兄妹。ごっこでも、殺しあっても、愉しい関係。
約束に出てくる《猛き悪魔》…は、いわずもがな。
アリスは、人修羅が魔に墜ちて力を増すのを、うずうずして待っている。
ライドウの自殺願望はタム・リンで完全払拭された。
ちなみにこの話、SS『汚点』の前の話となります。
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