「功刀さん、あの、昼はすいませんでした…」
厨房で刃物を扱う貴方に、背後から声を掛けます。
「謝る必要無いですよ、でも自分の身は自分で護れないと…」
「はい」
「でないと、俺みたいになっちゃいますよ」
自嘲気味に云った、その真意は問い質さない事にしました。
初めての厨房なのに、普通に使うその後姿に
茜さんを思い出して、続いて色んな想いが溢れてしまって。
「私、先代ゲイリンに顔向け出来ないですね…」
弱音を吐きながら、背中から手元を覗き込みました。
まな板の赤に一瞬心臓が縮こまりましたが、それは苺で。
包丁から視線を外さない様にして、功刀さんは云いました。
「凪さんは信念があるから、この先もきっと大丈夫ですよ」
薄くスライスされていく赤い果実に、功刀さんの指が染まっていく。
その綺麗な汚れに、視線を注いでいる私は…
“凪さんが、汚れるから…っ”
あの言葉を反芻させて、勝手に微笑んでいました。
「苺、綺麗な赤色ですね」
「はい、意外と常温でもいけたんだな〜って…」
「何に使うのですか?」
「シュークリームに」
その用途が意外で、思わず聞き返しました。
「ええっ、意外なプロセスです!」
「白鳥にしようと思って」
「え?」
「シューの形を、スワン型にしようと…あのディスプレイ見て思って」
先日晴海で見た、あのアンティークのお店の…でしょうか。
「凪さん、一心不乱に見てたから」
そう云ってから、付け足す様に云いました。
「あ、なんで、俺の趣味って訳じゃなくて!」
それが可笑しくて、お腹に掌を当てて笑ってしまいました。
「良いセオリーと思います、ふふ…!」
「凪さん!」
「ご、ごめんなさい、ふふっ……」
「説明しときますけどね、これを少しずつずらして、スワンの背のクリームに飾るんですよ」
「なるほどです」
「ほら、薔薇飾りみたいでしょう?」
その発言がトドメで、やっぱり爆笑してしまいました。
バツが悪そうな功刀さんは、その後黙々と作業に没頭していて。
そんな横顔を見て…
どうして、貴方が悪魔にされてしまったのか。
こんなに、普通に過ごす姿が似合う、太陽の下の人が何故。
そんな喩えようも無い焦燥に駆られていました。
行き場が無くて…拾われて、サマナーとしてしか存在を見出せない私。
あの翻す自信の中に、深い闇を抱く十四代目ライドウ…先輩。
そんな私達ヤタガラスのサマナーと、貴方はやはり違うのです。
「功刀さんに、悪魔の生き方は似合いませんよね…」
私の呟きに、ピタリと動きを止めた貴方。
「まあ、それこそ好きでやってる訳じゃ無いんで」
「でも、人修羅として今此処に居る訳ですね」
「…」
「私、今こうして功刀さんとお話出来る事を、何に感謝すれば良いのですか…」
貴方が人間で居られなくなった事を嘆き、怒る反面
悪魔となり、私達サマナーの支配対象となったその事実を…
心の奥底で歓ぶ、デビルサマナーとしての私が居るのです。
ただひとりの少女が、哂っているのです。

濡れそぼり、滴る黒髪。
私が振り翳した、魔法の露。
反射的に顔を背けた功刀さんが…ゆっくり此方を向きました。
その灰褐色の眼が、金色に瞬間…揺れました。
私をその表面に映して、睫をまばたかせて。
「く…功刀…さん…あの…っ」
震える指に握り締めた“浮気草のつゆ”が入っていた小瓶を後ろに隠します。
云い淀む私に、やんわりと微笑む貴方。
「凪さん」
その呼び声に、鼓動を跳ね上げながら、次の言葉を待ちます。
「少し遅くなりますけど、出来たら運びますから…部屋で待ってて下さい」
その、あまりに普通な内容に…拍子抜けしつつも
濡れる自身に疑問を感じないのかと、妙な違和感を感じました。
「は、はい」
もう普通に返答するしかなくて、私は厨房を後にしました…



(浮気草のつゆ…効力が人修羅には無いのでしょうか)
もしかしたら、そういう耐性を宿しているのかもと、今更後悔です。
(むしろ何しているのでしょうか、私)
オベロン夫妻が笑って渡してくれたあの露。
何でもライドウ先輩に使おうとして失敗したとかなんとか…
それは確かに無茶というものです、あの先輩を陥れようなんて。
ああ、やはり無理だったという事です、私にも。
「ゴウトも来れば良かったのに、此処は空気が美味しい」
伸びをしながら、部屋にライドウ先輩が入ってきました。
外套を外し、すらりとした学生服に身を包んで欠伸しています。
「カラスの里の空気だって美味しいですよ?山に囲まれていますし」
座ったまま云う私に、先輩は怪訝な表情をしました。
「あそこは澱んでると思うが?」
「先輩は里がお嫌いですか?」
「燃してやりたいね」
「ま!」
「フフ、冗談だよ」
哂って荷の整理をするその姿に、冗談めいた空気が無いのは…
私の気のせいでしょうか?
…あのアバドン事件の後、こうして持ち主の居なくなった家を頂き
ヤタガラスのサマナーとしての自分を顧みる日々です…
確かに、先輩の云う通り…世間様でいう少女の生活ではありません。
もう、諦めていますから。
「私も、管と刀の手入れします!」
先輩を見て、そうしなければいけない気分になった私は
道具を取りに立ち上がろうとしました。
「凪さん、座って」
そこに掛けられた声に私は脚を止め、期待に胸を膨らませました。
「わぁ!オーブンしっかり機能した様ですね!!良かったです!」
「もう食事も済んでますが、お茶にしましょう」
畳の上のテーブルに置かれたスワン。
皿の湖に連なって、良い薫りを散らしています。
(ヴァニラでしょうか)
「ふぅん、相変わらずそういうのにだけは真剣だね」
作業の手を止めたライドウ先輩が功刀さんに哂って云いました。
また反発し合うのかと思い、警戒しましたが…
功刀さんは一緒に淹れて来た珈琲を黙って配置していました。
「凪さんは、これ」
あの時云っていた通り、薔薇の様な苺がその羽に躍っています。
「凪君のシューだけ何故血を噴いているのだい?」
「んもぅ!ライドウ先輩!これは苺の薔薇というセオリーですっ!!」
毎回毎回、先輩のぶっ飛んだ感覚には舌を巻いちゃいます。
いいえ!それが“らしさ”なんだと思えば、大変微笑ましいです。
「わぁ…本当に、可愛らしいです」
掌に乗せれば、いっそう薫って、首を傾げる様なスワン。
「まず、その首からどうぞ」
向かい合った功刀さんが、催促してきます。
いいえ、催促が無くても、もう私はぱくりとしたくてウズウズしています。
「ちょっと残酷ですが、首のところはひと息に頂いちゃいますね」
「ふふ、どうぞ」
微笑む功刀さんの前で、はしたなく大口を開けるのもアレですが…
「ではっ…頂きます…!」
掌のスワンに一礼して、唇を開きます。

途端、スワンの首が飛びました。

眼前を掠める、その一閃は銃弾。
発砲音と、突然の攻撃に私の身体は制止させられたままで。
視線でその元を辿れば、ライドウ先輩が調整していた銃を構えています。
「云っておくが、暴発でも何でもないよ」
脳裏を先読みされてしまい、次の言葉が浮かびません。
「…功刀、お前は一体何に罹っている?」
その台詞に、ハッとしました。心当たりが…有るからです。
向かい合っていた功刀さんが、先輩に云われた瞬間。
「はっ、あははははっ」
微笑みを崩して、声を上げ、笑い始めました。
「折角、凪さんの為に、作ったのに」
微かな物音、それがする畳に視線を移すと…
「ひっ」
スワンの首が躍っていました。
その異様な光景に思わず声を上げれば
ライドウ先輩が立ち上がりつつ、撃鉄を起こします。
「生首のヴァリアシオンか、フン、良い趣味してるな」
その躍る首にもう一発、迷い無く放ちました。
すると、その首が爆ぜて、四散した生地の中から…その本体が現れました。
「む、蟲…!?」
驚愕に声を震わせる私に、横からライドウ先輩が返答してくれます…
「そんな近くで感じなかった?それが禍魂だよ…凪君!」
マガタマ…
「な、何故…ですか功刀さ」
云い終わらない内に、私の手首は掴まれていました。
掴む指には、斑紋が脈動していて。
「凪さんは、俺の事…好きなんですよね」
背後から、耳元で囁かれる熱っぽい声に、思わず息を呑んでしまいます。
取り落としたスワンが膝上に崩れて、苺の赤が内臓みたく散っていました…
(浮気草のつゆ…効いていたのですね)
ですが、何故この様な展開になるのか、それが解らず戸惑います。
「なぁ…凪さん…俺とずっと居てくれるなら、マガタマ食べて下さいよ…」
「ぇ…」
「その手、汚してくれないと…俺、一緒に居れない」
昼の発言と、矛盾するその囁き。
その告白に、私の胸は動悸を抑える事が出来なくて…!
「凪さん、悪魔になって」
金色の眼を光らせて、壮絶な微笑で私を見つめる貴方。
その眼に囚われる私は、何も後先を考えず…返事を紡ごうとしていました。

「おい矢代、お前の主人は誰だ」

その声に、脳内が覚醒します。
背後から私を掴む人修羅の功刀さんも、同時にそちらを見ます。
「僕が成れば、ずっとお前は支配されると捉えて良いのだね?」
畳に転がるその蟲を、すらりとした指先に摘まんで。
舌先に垂らす先輩。
「胎でピルエットでも御披露願いたいね」
そのまま口に納めてしまったのです。
「せ、先輩っ!!」
私が叫ぶその声より大きな声で、背後からの絶叫が。
「出しやがれええええええ!!!!」
手首からの冷たい熱は消え、ライドウ先輩の懐に飛び込む悪魔がひとり。
口元を押さえ出さんとする先輩に、必死の形相で掴みかかる功刀さん。
「吐け!吐けよ吐け吐け吐けぇええ!!」
揺さ振られても余裕の笑みすら浮かべるライドウ先輩。
その二人のコーダに唖然として、私は見ている事しか出来ずに。
「あんたには必要無いだろっ!」
功刀さんが、ライドウ先輩の鳩尾に膝を入れたのが見えました。
流石に弛緩したその先輩の腕を、片腕で振り払って
「夜のままで充分だろッ!」
先輩の唇に咬みついた貴方。
空いた腕を、自分のサマナーの首に回して
翳した手を、膝を入れた鳩尾に叩き付けて。
「っぐ」
先輩が呻くと、功刀さんが合わせていた唇を離しました。
「っげほッ…!げぇっ」
ライドウ先輩を突き飛ばして、胸元を掻き毟る貴方。
畳に跪いて、何かを吐き出しました。
それはビチビチと畳を濡らして、魚みたく跳ねていました…
先刻ライドウ先輩が呑んだマガタマでした。
「ク、クククッ」
胎を押さえ口元を拭った先輩は、跪く功刀さんの背後によろめき立ち
ホルスターから引き抜いた銃を、彼の角に突きつけました。
「オディールに合わせてジークフリートが悪魔に成れば良いだけだろう?」
発砲音と共に倒れ込む功刀さん。
「悪魔の姫の、何が悪い?」
哂いながらにそう呟いて、倒れこんだ功刀さんを脚先でつつく先輩。
声を失ったままの私へと視線を投げられました。
「此処に局所的に撃ちこめば、しばらく起きぬよ」
「…」
「その頃には何かの魔法も解けて、オデットに戻るだろうさ」
やれやれ、と小さく溜息を吐き、功刀さんの居た席に座る先輩。
皿上のスワンを一匹摘まみ上げ、捕食されました。
「美味しい」
何かの魔法、は、一時的なものです。
「凪君も食べ給えよ、他には入ってない様子だからね」
目覚めた時、貴方は完全に魔法が解けて
私の元から飛び立ってしまうのですね。






『で!まだ誰も愛したことのないジークフリート王子が!オデット姫を愛して!』
『ふむふむ!』
『ま、途中悪魔の娘からも妨害喰らうんだけどぉ』
『あらあら』
『ま、発覚して、で!オデットの為に悪魔と戦った王子は勝つのだけどぉ…』
『だけど?』
『オデットは人間には戻れないワケよ』
『えぇぇ〜悲劇的ねそれ』
『湖にふたり身を投げて、、来世で結ばれるっつう…』
『愛ね』
『ちょいちょい、凪は聞いてたの?』
その会話に情景を抱くのに必死で、相槌すら返していませんでした。
妖精達が、異国から拾ってきた文化にお喋りを弾ませる王国で
私は“白鳥の湖”なるものを始めて知る事になりました。
「すいません、少し思い描いてて」
『ロマンティックよねぇ〜』
『あ、でね!このバレエ、オデットもオディールも同一の役者が演るのよ!』
「オディール…」
『悪魔の娘の方!』
「悪魔の…」
先日の先輩の言葉を反芻させて、私は黙り込みました。
そんな上の空の私に、妖精達はヒソヒソと会話した後、けしかけてきます。
『大丈夫?なにか…変よ凪』
『ここいら今日も貴女のお陰で平和だからさ、今日は帰って休めば?』
護る立場の私がそう気遣われ、少し心苦しいながらもお言葉に甘えます。
どのみち、そろそろ帰宅するプロセスでした。


帰宅してすぐ厨房に入ると、薫りが広がっていました。
「もう焼けてる!」
意外な時間の経過に驚き、独りごちた私。
開けた窓からの熱気と、ふんわりとした薫りに息を止めます。
「…」
帰る前の功刀さんに、あんなにしっかり聞いたのに。
レシピまで書いて頂いたのに、何故か膨らんでいないです。
(何がいけないのでしょう…)
落胆して、功刀さんより料理が下手な自分を恥らいます。
(これなら悪魔との交渉の方が、まだ成功率高い気がします…)
引き出した天板を木のテーブルに乗せて、ぼんやりと考えてました。
スワンにしようと思って、用意した首だけがしっかり焼けていて。
沢山の沢山の首達が、ずらりと並んで私を見つめています。
そのくねった形に、あの蟲を思い出して、ひとつ摘み上げました。
まだ熱いそれは、指先を痛めます。
気にせずに、舌先に置いて、嚥下しました。
酷く熱いそれは、胎内で踊っているかの様です。
(マガタマを呑むと、こんな感覚なのでしょうか)
ひとつ、もうひとつ、首を取って、呑み下します。
その熱さに、身体が跳ね上がりそうになりつつも吐き出しません。
ひとしきり呑み終えて、込み上げる涙が天板に落ちて蒸発します。

「…美味しくないです」

どれだけ呑んでも
きっと私の傍には居てくれないのです。



スワンのシュー・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
なんぞこれ。
『白鳥湖』として日本には伝わってくるらしいですね。
ライドウと凪にバレエの簡単な知識があるのは無視してやって下さい。
まあ、此処のライドウなら有りそうですが…
ロシアを意識しました。ボルシチとか白鳥の湖…
スワンのシュークリームは「シーニュ(Cygne)」と云うのですが
『スワンのシュー』のタイトルの方が牧歌的で、中味と相反すると思いまして。
人修羅の潜在意識は、結局のところ主人であるサマナーに従属する…
いえ、ライドウは悪魔に成らずとも、元から悪魔みたいな男だからという意味も込めましたが(おい)
やはり私は「ライ修羅←凪」が好きな様ですね。
そして人修羅よ、お前はパティシエにでも成れ。
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