血肉を纏いて舞い候(後)
「食べないの?」
「…」
「三河屋の大學芋だよ?」
「別に俺は大學芋が好物じゃない」
「僕の身体は欲していると思われる、さあ早く食べるんだ」
何が悲しくて、この肉体の為に食べなくてはいけないのだ。
俺は葛葉ライドウじゃない。
甘い蜜の絡んだ艶の美しい芋が食べたいだなんて、これっぽっちも思わない。
思わない筈。
あれから電車に揺られ、帝都へと帰還した。
ライドウは、俺の身体の力を抑え
ごく普通の人のナリで先刻まで乗っていた。
「その外套を貸してくれよ」
俺の首元を掴み、襟からひっぺがそうとするライドウに怒鳴ったが
確かに上半身を露わに乗車されては
早い時代に女性車両の誕生を促してしまいそうだった。
「帝都に到着する前に途中下車するぞ」
功刀矢代の顔を笑顔にし、そう云うライドウ。
俺の身体で作られる、悪意の無い笑顔が泣けてくる。
「俺は先に行ってるから、あんただけで勝手に降りろ」
俺の言葉を無視して、人修羅ライドウは話を進める。
「降りて4分の処に三河屋が在るから、其処へ行く」
三河屋?なんだ其処は。
「デビルサマナーとしての用件?」
俺の里から解け切らぬ緊張がそうさせたのか
至って真面目に質問をしていた。
すると奴は外套のまくれを直しつつ云い放った。
「大學芋の老舗」
そうして、今に至る。
探偵事務所のソファに腰掛け、大學芋をつつく姿。
俺は、そんな笑顔で大學芋を食べた事は無いぞ?
「おい、ライドウ」
「定期報告の後は必ず寄る処」
「あんた、俺の身体が食べなくても平気なの解ってて食べていないか?」
俺のその問いに奴は、蜜で艶がかった唇を、咀嚼しながら歪めた。
「だって、この身体で食べたらどう分解されるのかと思ってね」
馬鹿、何も残らないんだよ。
マガタマは胎内に留まり、食物等は完全分解。
それ以外は逆流してしまう。
「あんたがいつも食べてる時の味、してるか?」
そう聞けば、人修羅ライドウは唇をひと舐めして
「いいや、全然美味しくない」
眼だけで哂った。
(だろうな)
人修羅の身体は、味をなんとなくしか感知出来ない。
必要無い器官だから、退化してしまったのだろうか?
偶に気休め程度に何かつまんでみるが、あまり良くない。
「これだけは勘弁願いたいな」
ライドウは、まるで悪魔の身体を嘲笑うかの様にそう述べて席を立った。
「だから早く戻りたいって云ってんだろ…っ」
背に文句を投げ、相手の姿が戸から消えるまで視線で追ったが…
「…はぁ」
溜息しか出てこない。
(本当、帝都を護っているのかと思えば…)
本当に、悪魔のような男だ。
ぼんやりとそんな事を考えていると、ふわりと何か薫った。
その方を見れば、甘い薫りという事に今更気付く。
そういえば、大學芋…まだ残っているのか。
(勿体無いな)
竹の平楊枝でぐい、とひと欠片を突き刺してみる。
そのまま引き上げれば、つぅ…と光る糸が垂れて
視覚に甘さを訴えて来る。
なんとも云い得ぬ予感に、思わず唾を呑む。
そのまま、口に放った。
(…あれ?…あれ!?)
「美味しい…」
独り言が出てしまう位に、そう感じた。
しっかり、味を感じ取れる。
コレが美味しいと思う。
もうずっと忘れていた感覚に、懐かしさと感動が込み上げた。
ああ、ライドウは悪魔のような男でも
やはり人間なのか…
悔しいような、羨ましいような。
微妙な心持で楊枝を芋に刺していると
ベルの音が鳴り響いた。
携帯ではない、本物の黒電話の音。
鳴海所長も、ライドウも居ない事務所に鳴り響く。
(対応した方が良いのかこれ…?)
どうも鳴り続ける電話という物は気になる。
おずおずと、その黒光りする受話器を持ち上げて顔に添えた。
「…お電話有難う御座います。なづ…鳴海探偵社事務所です」
(危な…っ)
昔の…人間の頃のバイト先である
本屋の店名を口走りそうになった。
名塚書店という本屋だったので紛らわしい。
『おう、あんたの処のデビルサマナーは今居るのか?』
ドスの効いた声音。
「…僕ですが、どういったご用件でしょうか?」
あ…それに対しての、今の自分の発した返答…
見事に、機嫌の悪いライドウの声だったな。
『依頼じゃなくてな、アンタに用があるんだよ葛葉さん』
「…下らない用件なら、お断りさせて頂きますが」
なんだあいつ、恨みでも買っているのか?
まあ…買っていても全くおかしくないが。
『おい、そんな事云っていて良いのか?窓の外、見てみろ』
「窓の外…?」
受話器はそのままに、視線を窓外へと投げる。
いつものような着物姿の人々の雑踏。
しかし、違和感があった。
何かあったのか?騒がしい気がする。
『屋上から後で見てみろや、で、来い』
「おい、何の…」
『じゃあな、待ってるぜ』
ガチャリ
云うだけ云って、思いきり切りやがった。
鼓膜が痛い。
(屋上…)
ロビーの戸を開け、革靴を踏み鳴らし階段を上がった。
少し頑丈な扉を開け放ち、外の空気が肺に流れ込む。
(…臭う)
焼けるニオイ。
端まで寄り、その原因をしかと見る。
狼煙の様に、煙が上がっている…
あの男の云うには…恐らく人為的なものだ。
だとしたら、これは放置してはまずいのではないか?
(何処だよあの辺って…?)
場所が殆ど解らないので、今しっかり方向を定めておかないと…
いや、それより仲魔に偵察させるべきか?
そう思い管に指を伸ばした、が…
(どれがどれに入っているんだよ…)
そんなのあの男しか把握していない。
ここは、憶測という名の推理をするしか無い。
…右利きで一番使う管なら、恐らく左胸の一番左。
(これは、多分イヌガミだ…!)
その管をホルスターから抜き取り…
抜き取り。
…どうすればいいんだ?
念じれば同じ様に召喚出来ると思ったのだが…
どうも勝手が違うようだ。
マグネタイトとかいうマガツヒみたいなのを
常に供給しないと、彼等が活動出来ないとは知っている。
「来いっ」
しーんと、地上の喧騒だけが耳に入ってくる。
「イヌガミ!」
管を握り、意識を集中しているのだが…
『おい、あまりライドウの身体でそんな真似をしないでくれ』
俺は急にかけられた声に、管を取り落とした。
カラリと弾み、コロコロと声の主の足元まで転がって行った。
「ゴ、ゴウトさん」
『ライドウがやっているみたいで、かなり面白いぞ』
「い、いつから見てたんですかっ!?」
『“来いっ”とか云っているあたりから拝見している』
さ、最悪…
最後の砦であるゴウトにこんな仕打ちを受けるとは。
恥ずかしさで心が折れそうだ。
『だが…この管がイヌガミというのは正解だ』
管を咥えたゴウトから、其れを受け取る。
気恥ずかしさから、急いでホルスターに収めた。
「俺には無理っぽいですから、このまま向かいましょうか」
『ライドウはどうした?』
「知りませんよあんな奴」
ぶっきらぼうに応えて、俺は階段を足早に駆け下りた。
『先の電話は何だったのだ?』
「さあ…でも無関係の人にまで被害が及ぶのは嫌ですから」
『それは正義感か?偽善か?』
「キツイですね」
帯刀し、ライドウの姿を思いつつ身支度を整えた。
俺にとってはお飾りの、胸のホルスターが重い。
『それともライドウの為か?』
そのゴウトの一言に、俺はぞわっと身震いした。
「その言葉、2度と云わないで下さい」
外套を纏い、外へと赴いた。
「葛葉あああぁ!その身体!いい加減調べさせてくれ!」
「ドクターヴィクトル、勝手にサマナーの仲魔をいじる事が何を意味するか…貴方も知らない訳は無いだろう?」
全く、騒々しい男だ。
研究気質は好ましいが、対象が自分となると話は別である。
待合椅子に腰掛け、脚を組む。
「それで、昨日の悪魔はどうなった?」
ドクターは、良くぞ聞いてくれたと云わんばかりの
満面の笑み(笑みか?)で振り返った。
「もうほぼ成形は完了しているぞ!合体も可能だ!」
「いいや…合体はさせない」
「何ぃ?では何の為に!?」
「話をしたいだけだよ…」
適当に応えて、静かに眼を瞑った。
(この身体…鈍感だな)
この地下室は冷えている、吐く息も白い。
筈なのだが…薄い着物1枚で事足りる。
悪魔たる所以…か。
この内をめぐる血や、造る肉も、何処までが人間なのだ。
確かに…見目は人間だが、これでは普通に暮らしている上で
確実に弊害が有る。
どの位切り刻まれれば、再生を止めるのだろうか?
どの位力を制御すれば、人と全く同じに居れるのだろう?
(功刀はどの位この身体を理解しているのだ…)
『ライドウ!!』
その声に、引き戻されたかのように眼を開く。
黒猫が長い階段を下りて来て
その逆光が大きな影を作る。
「どうしましたゴウト?」
脚を組み替え、頬杖を解く。
『お主に用の有る者とやらが深川町で騒いでいるようだぞ』
「深川町?」
『屋上から見たが、煙があがっておる』
煙…
それは急いだ方が良さそうだ。
「葛葉ライドウの身ではありませんが、挨拶に向かいましょう」
腰を上げ、着物の襟を正す。
『人修羅が今向かっておる』
「は?彼が?丸腰でですか?」
『使えぬ管と刀と銃を所持して向かった』
それは丸腰だろうゴウト。
フ…と哂いが込み上げてくる。
『おい、あまり人修羅の身体でその様な笑みを浮かべるでない』
眉間を寄せるゴウトが、後ろに付いてくるなり云ってきた。
「何故です?」
『…悪魔の中の悪魔に見えるわ』
「フフ、成ってみせましょうか?」
扉を開き、金王屋の店先を通過していく。
店主人の老人が渋い顔で見送る。
「ハン、サマナーの知人も財布の紐が固いようだな?」
今ここで、僕の陰口でもぺらぺら喋ってくれたら面白いと云うのに。
僕はゴウトをゆるりと抱き上げ、主人の方を見る。
「ご、御免なさい…ライドウに云われて来ただけで…お店を通る必要が有るなんて聞いていなかったんです」
ぎょっとする主人。
「冷やかしみたいで、失礼ですよね…ねぇゴウト?」
泣きそうな表情を作って腕の中の黒猫に話しかける。
沈黙するゴウト。
居た堪れなくなったのか、主人が一声。
「わ、分かったわい!もう良いから行け!」
「有難う、また来ますね!」
困り果てた主人の狼狽した顔が可笑しい。
僕は黒猫を抱きかかえる青少年を演じて、店の暖簾を潜った。
『…趣味悪い』
「何か?ゴウト?」
『悪魔だな、まるで』
「今は悪魔で間違い無いですね」
胸元にゴウトを抱きかかえたまま、路地裏の行き止まりに着く。
片脚で地を蹴り、その生垣に飛び乗る。
其処から更に段を上るように屋根を伝う。
『いっそ功刀と中身を替えたままで良いのでは無いか?』
風を切り跳ぶ僕に、ゴウトが腕の中から問いかけた。
「まさか、それは僕が許せませんね」
『如何なる理由で?』
「彼では帝都は護れない」
『…』
「身を置く限り、帝都を護るのは僕の責務ですから」
あの身体がサマナーでも、中身が彼では意味が無い。
帝都を守護するという事は、彼には向いていない。
(煙が近い…)
深川町まで、あっという間だった。
「…く」
身体中が、軋み悲鳴をあげている。
攻撃を受け止めるしか出来ない刀。
其れを持つ手は、痺れている。
『おいおい!本当にあんたデビルサマナーかぁ?召喚すらしねぇで』
「!」
『おらよっと!』
放たれる氷塊を横に跳びかわす。
(身体が重い…!)
いつもの自分の身体とは訳が違う。
避けよう、と思ってからでは少し遅い。
先見の眼で避けるか、うまく刃で受け流す必要があるのだ。
『ほらよ!渋ってないで早いとこ仲魔を呼べよ!』
ボルテクスには居ない悪魔。
どんな奴か弱点すら分からず戦うのに、持つ武器は扱えず。
仲魔すら呼べない。
(あれ、俺もしかして一般の人と今、同じ程度なのか?)
切らした息を整えて、刀の柄を握る。
しくじった…
この身体ではミスが命取りなのに。
『よそ見すんなっ』
「くっ…う!」
氷に紛れ、その悪魔が白い霧の中から急に姿を現せた。
急いで刀を構えたが、冷たい打撃に高い音が響く。
「あ!!」
遥か上空、家屋の方へと弾き飛ばされた刀が太陽の光を反射した。
背後へすぐ退き、銃に手を掛ける。
『遅ぇ!』
照準など合わせる前に、その悪魔の両手から
何かが放たれようとしている。
ずぐり
肉を突き破る音が、伝わってきた。
でもそれは俺では無い。
ハッとして確認すれば、その悪魔の胎に刀が刺さっている。
先刻弾かれた刀だった。
「どれだけ刀を粗雑に扱った?」
その声のする方を見た。
ああ…やはり来た。
「おかげで鷹円弾として投げるしか無い“なまくら”になってしまっていたよ」
人修羅ライドウ…
屋根の上で、肌蹴た着物を肩に引っ掻けて佇んでいた。
『誰だてめぇは…』
悪魔は刀を胎から抜き、地面へと放り捨てた。
「其処のサマナー葛葉ライドウの仲魔」
そうはっきり応えて云うあいつが、正直憎い。
人修羅ライドウが、俺の方へ飛び降りて来る。
「ナガスネヒコか…」
そう云って、俺の前に出た。
「ライドウ、あんた何処ほっつき歩いてたんだよ…!」
「何、寂しかった?」
「俺の顔で云うな!良いからその悪魔を何とかしてくれ」
俺の気も知らずに…
人修羅ライドウは、そのナガスネヒコと呼ぶ悪魔に向き直った。
「仕返しにライドウを呼び寄せた?」
『俺は兄貴みたく大人じゃねぇからな。あれからやり返したくって…しょうがなかったんだよっ!』
余裕の表情の人修羅ライドウは、襲い来るナガスネヒコの氷結弾を
両の手に点した焔で薙ぎ払う。
一瞬で解けた氷の蒸気で、辺りが蒸される。
「そんな理由で一般人に迷惑をかけたのか?」
まるで踊る様に、焔が円を描き
人修羅の身体を借りたライドウはナガスネヒコの元へ辿り着いた。
『くっそ』
「だとしたら、仕置きが必要だな」
俺の声で、低く冷たく言い放つ。
そしてその手をナガスネヒコの眼元に伸ばした瞬間、力を放つ。
両の眼が弾け、溶解したナガスネヒコは
奇声を発してあらぬ方向へと右往左往した。
そこへ人修羅ライドウは、すらりとスニーカーを履いた脚を伸ばす。
蹴つまずき、転げたその悪魔の髪を掴み起こし
耳元でこう、囁いていた。
「帰って、アビヒコに其の眼を見せろ」
『あ〜ッ!あっ!!』
「こんなやり方でライドウに挑んだら、ただでは措かぬとね…」
やめろ、やめてくれ。
俺の姿で、その手を汚さないでくれ。
その姿は360度何処から見ても…悪魔だ。
「消えろ」
その人修羅ライドウ声の後、ナガスネヒコはゆらりと消えた。
人の立ち入れぬ異界に戻ったのだろうか。
「…ライドウ」
俺は何となく声を掛けた。
「…何?」
「刀、悪かった」
思っていた言葉は飲み込み、刀の件を提示した。
「ああ、良いよ別に。鍔はお気に入りだから回収するけどね」
そう云いつつ転がっている刀を拾い、俺の腰の帯刀部の鞘に収めて来た。
「それより…戦えもしない癖に、この場へ赴いた浅はかさに感嘆する」
金の眼が光る。
俺の物である筈なのに、その光に竦みそうになる。
「だ、だって…あのまま放置したら、町が破壊されてるかもしれないんだぞ?」
「それで僕の肉体を全損させられては、堪ったものでは無い」
「少し位は刀とか銃、使えると思ったんだよ」
「素人に使えたら困る」
何となく苛々してきた。
「この身体、ちょっと喰らっただけで致命傷だからな」
少しの嫌味を含めた俺のその言葉に、人修羅ライドウは薄暗く哂った。
(…分かっている、そんな事)
俺の台詞が諸刃だという事位。
俺の身体は、ちょっとやそっとじゃ死なない、化け物だという裏返し。
悪魔だと己を認める意味を持つ…
「暮れてきたし、此処に用はもう無い…戻るぞ」
笑みをそのままに云う、人修羅ライドウは着物を羽織った。
「なあ、ライドウ」
「先刻から何か云いたげだが…探偵社に戻ってから聞こう」
「な、何でも勝手に決めるなよ!」
「…聞けない?」
くるりと此方を振り返るその姿が
夕日を背にしている所為か…
酷く凶暴な紅い空気を纏っている様に、感じる。
「黙って…付いて来い…」
「…ふん」
俺は、悪態をつきながら…少し怯えがあったかもしれない。
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