「まさか、鳴海さん、同行者を付けると…口走っていたとは、ね」
「…別に、俺も報告する訳じゃないだろ?門で待ってれば…」
「君は面が割れているのだ、人修羅とバレている…此処の一部には、ね」
一部、とは…お上だろうか。
「ほら、ね…」
門を潜れば、黒い装束が招く。
俺の為の、首輪を持って。

「しかし、此度は犬に先導されて参ったか十四代目」
「悪魔に介護されるとは、情けなや」
くすくすと猥雑な嗤いがこだまする、広い、高い空間。
灯篭の灯が、磨きこまれた板に反射して、鏡面の様な床。
俺の首から伸びる紐は、ライドウではなく黒装束が掴んでいた。
それだけなのに、酷く、気持ち悪い。
擬態を解除させられて、わざわざ項の角を穿って、その紐を通されたのだ、体が…重い。
四肢が床を這う、まるで、本当に犬になった気分だ…
「十四代目」
先刻から、報告の内容は俺の耳を通り抜けるだけで、脳に刻まれない。
「はっ」
「しかしその人修羅、本当に管に入らぬのかえ?」
「…その様な、類の悪魔に御座いませぬ故」
「試してみようか」
奴等が黒い袖で口を隠して嗤うと、それに連動して俺の項が引き攣る。
「ほれ、空き位つくってあるだろうて、一本差し出せ」
管の事だろうか、そのややしわがれた指をすう、と突き出した老烏。
頭を垂れたままのライドウは、上目に確認して、述べた。
「…いえ、有りませぬ」
「そんな筈無いだろう、此処ではその様に教えておらなんだ」
数人が、跪くライドウに近付いて、その胸元を必要以上に弄っている。
その光景に吐き気がして、思わず目を背ければ、紐が揺れた。
きっと、俺の困惑に嗤っているのだろう…変態集団め。
「この管、永らく輪が廻っておらぬ様子…?どうなのだ?十四代目よ」
散々体を這い回ったであろうその指は、まさしく、あの管に到達していた。
あの、俺が投げ棄てて、ライドウが入水してまで取り戻した管。
「それは……」
あの、よくもぺらぺらと廻る口車が、廻っていない。
熱の所為なのか、他の理由が…あるのだろうか。
「それは、お止め下さい」
空気が変わった。ライドウが、額を床に擦ったからだ。
「その管は、お止め下さいまし」
どうして、そんな事云うんだ?相手の術中に嵌る、浅はかな俺を見ているみたいだ。
ニィ、と口元を歪めるお上達に、虫唾が走った。
「そうか、コレはアレの管か!まだ持っていたのかお前は!ははは!」
何の事か解らない俺は、そのまま置いてけぼりを喰らうと思っていたのだが。
「ひぎィ…ッ」
凄まじい痛みに、のた打ち回った。
首の突起から繋がれる紐を、ぐいぐい引かれる。
「おい人修羅よ、この管を咥え持て」
ぽん、と放られて、板の間を転がる管。デジャ・ヴ。
「ぅ、ぐ……」
よろりと四肢を動かせば、絶妙なタイミングで引かれる紐。
俺は、馬鹿な犬みたいに、ひたすら管を追う事しか出来なかった。
ああ、そうか、此処では…俺にも、ライドウにも、人間としての尊厳なんて…与えられないのか。
いっそ全て破壊してしまおうか?そんな夢想に囚われるも、それは本意では無い。
それは、野望をも打ち砕くから。今は、出来ない。俺も、ライドウも。
「はっ…はっ、ぁ…く…っ」
酷いジレンマ。
「ほほ、十四代目と人修羅と、どちらが上手いかの、この芸は」
視える、同じ事をされていた、ライドウが、脳裏に。
「そんなにもあの管が大事なれば、犬に“とってこい”させねばなぁ?」
苦しい、もう、喉が血で、張り付いて呼吸がままならない。
下肢に襦袢が絡みついて、肌も露わの俺を…ねめつける視線達が痛い。
「汗もかかぬ、綺麗な肌よ」
「ん、んん」
管を咥えたままの俺を、その乾いた様な脂っぽいような、妙な指で撫ぜあげる。
首を振って睨みあげても、誰も、助けてはくれない。
ライドウは、この管が、大事なのだから。
「もう一度取ってきたなら、褒美をくれてやろう…」
にしゃりとほくそ笑んだその衆に、全身が強張った。
もう、次にされる事は、視えた気がする。
「ほぅれ、とってこい!」
黒い袖から放たれた鈍い銀色。
それがカラン、と、またあの音を立てると思った。俺の肉を削る音になるのかと。

「ご無礼仕り候」

その銀色は、一閃され、真っ二つに、虚空を舞った。
俺の、眼前に、かしゃん、と、転がった。その断面からは…
(な、何も…居ない…)
MAGすら零れない、本当に…空だった、中には、悪魔も何も居ない。
首だけで振り返れば、熱っぽい頬のライドウが眉根を顰めて、刀を構えて声を張り上げる。
「その様な空管、貴方様方には無意味な物…その様な虚しい産物で御戯れになるは、格を下げまする」
納刀して、呆気に取られているお上達に、再度膝をついた。
「良き血統を与えられし自分が狗と成りましょう」
学生服の詰襟を、熱でだろうか…ぶれる指先で開くその姿。
止めろ…止めろ…
「その狗の紐を外し、この十四代目の頸に頂戴したく願いまする」
犬は…狗は、あんたじゃない!!





「やっぱり、風邪なのに里帰りは良くないってこったねえ」
傍の鳴海がコートを羽織りつつ、吐き捨てた。
「ちょっくら行ってくるね〜矢代君」
「…はい」
「何があったのか知らないけどさ…矢代君も疲れた様だね…今回はありがとうね」
「いえ…俺、何もしてませんから」
寧ろ、悪化させた。
「んじゃ、睨まれない程度にヤタガラスに文句云って来るかんね、俺」
にしし、と笑って、銀楼閣の階段を下りていくその姿に、詰めていた息を吐き出す。
事務所内に戻れば、ゴウトが消えたストーブの余熱で体を炙っていた。
『お主が居ると、十四代目の首は絞まるばかりだな』
「俺の所為ですか」
『…いいや、連れ歩くあやつの責任でもある…それに…因果だろうな』
「因果ですか」
『支配する側に回れて、歓んでおるのだろう?あやつ』
それだけ…だろうか。
「少し、見てきます」
踵を返して、すぐ上の階へと駆け上がる。
ノックもせずにがちゃり、と押し開ければ、反応は無い。
一瞬ビクリとして、思わず傍まで歩み寄れば…寝息が聞こえた。
死んでいない事に、安堵すべきか、落胆すべきか。
「…イヌガミ」
ゆるゆると擬態を解いて、虚空に呼びかけた。
「少し、この男の脳、探りたいんだけど」
ふわりふわりと浮かぶ、本物の狗に、金色の眼で脅す。
『人修羅…』
「頼み込むなんて、しない…俺は悪魔に頭を下げたくないから」
ライドウの首に、そうっと指をかける。別に、殺す気は無い、それは俺の破滅も意味するから。
「今、覗ける範囲で構わないんだ」
指先に、くっ、と力を籠めて、イヌガミに薄く笑いかける。
「出来るかな」
脅迫。
『…ソレハ、何ノ為ダ』
その問いに、俺は間を置いてから、静かに云った。
「犬みたく、傷を舐め合う…為」
そのまま、夢に引きずり込まれる。
イヌガミの遠吠えが耳鳴りの様に響いて、小波の様に反響する…
遠い処に居る様な…
遠い刻に居る様な…


『夜様!』
「馬鹿じゃないの、僕を幾つだと思ってんのお前」
『はいっ、おでこぴったんこ』
「やめろって云ってるに!お節介悪魔!」
翡翠の甲冑、銀糸の髪…優しくて、凛とした横顔…
『こんな季節に気持ち悪い乾布摩擦なぞするから、お風邪を召されてしまうのですよ、ねぇ?』
「…好きで、やってる訳ない」
『そう、貴方様にそうさせる老いぼれ烏の責任ですよ!あはは』
快活に、しかし流麗に哂う。ライドウにも似て。
『しかし、貴方様も風邪、ひかれるのですね』
「呪いの類の方がマシだに…解呪ですぐ終わるし」
『何を云ってらっしゃいますか!』
何処からか取り出した体温計、古い、水銀のアレだ。
それを、幼い誰かの唇に突っ込んで、また哂う。
『そんな脆弱なところが可愛いのですよ、人間は』
ズキリ、とした、心臓が、ぎりぎりと、いた、い。
『ね?ちゃんと人間でしょう?夜様は』
「…きふねらひ、ぼふ」
『ふふっ、お熱が測れてから、文句はどうぞ』
この…悪魔…は…
タム・リン、だろうか。


薄暗い、暗転して、急に襲う妙な熱。
熱くて寒い悪寒…
「熱があるのかえ?ほほ、いつもより扇情的で宜しい事」
「生っ白い肌も病的でそそるが、これはこれで生々しくて良いな」
弄る、気配。あの空間。犬の視点。
「とってこーい」
「とってこぉーい」
やめろ
「とってこぉぉおおおい」
やめろ
いやだ
僕は
僕は犬じゃない
「白くて熱ければ粥だろう?」
「ほれ、啜れ、風邪をこじらせているのだろ?修行が足りぬな」
「啜れ、啜らんか!呑め!嚥下しろ!MAGすら滲んでおるのだぞ!?」
あ、つい
にがい
呑んだ口内が焼け爛れて、胃を汚染して、僕のすべてを汚す。
排泄しようが、吐き戻そうが、染み付いている、この白い毒の残滓。

…俺は、今…
誰になっていた?

『その管、妙に錆びておるな』
「へえ…流石は童子、お気づきになりましたか」
『永い事、使っておらぬな?どういった理由だ?』
「昔、僕の云う事を聞かぬ悪魔がおりましてねぇ…まあよく幼い時分におちょくられたものです」
『お主でも使役出来ぬ奴がおったのか?』
「フフ…気分屋でしたから、僕と似て」
胸元に…光る、鈍い銀色。
「ですから、今もそうなのですよ」
指が撫ぜる、愛おしそうに、その空の管を。
「ある日、突然ひょっこりと出てくると思いますので、こうして放置しているのです」
『里に…帰る日は、引き出しから出して、連れるのか?』
「ええ、よくご存知で」
『…我の思うに、その悪魔…お主の師範であった』
「僕のお目付け役は、貴方様では非ず」
鋭い声音。
「永遠に、リンだけだ」



「〜……っ」
意識が戻った頃、俺は横たわるライドウの胸元に突っ伏して、床に膝をついていた。
「重いよ、君…」
その声に、はっとして顔を上げた。
「そもそも…どうして僕の胸に身を預けている?そんなに主人が恋しいのかい?ククッ」
近くにイヌガミの気配は、無い。追求を恐れたのか、姿を眩ませたな…あの悪魔。
「恋しい訳ない!ちょっと用事があって来たら、俺も疲れてて、その」
「何も、無かった」
「…え」
首にある、紐の痕が痛々しい…それなのに、どうしてそんなに振舞える。
「あの管は、やはり空だった…ようだ」
俺が夢を覗いた事を知ってか知らずか、ただ、静かに哂って云った。
「やれやれ…一種の御守りとして、帰郷の際には世話になっていたのにねぇ…」
上体を起こしたライドウが、己の胸を、細い指先でするりと撫ぞった。
「とって…これぬな、これでは…アレの魂も」
そう唱えたライドウの眼が、どこか遠くて。
「っ!…」
「…ね、熱、まだあるんじゃないのか、あんた」
ライドウの額に、頭突きした。
合わさったこの男の額が熱い。悪魔姿の今の俺と違って。
「一応悪魔と、違って弱いんだしな…そのまま、死ぬまで寝てればどうだ」
すぐに離した額、微かに残る熱が俺にまで伝染して、頬が熱い。
立ち上がり、さっさと去ろうとしたが、視界が流転した。
着物の袖が…ライドウの指先に、掛かっている。
「…僕の熱を、とってこい」
熱で腫れたのか、啼かされて腫れたのか定かでは無いが、その擦れた声で俺に命令した。
「とってこい、矢代」
震える袖を、そのまま引かれる。
甘受して、たった今だけ、犬になってやる。
その熱の痛みを、探ってとってきてやる。
…そう、いつかの自分の為と、云い聞かせて。


踵を返して振り返る、先刻…僕を見上げた瞬間から、その眼は如何して潤んでいる?
あの瞬間、他に飼い慣らされる君を赦せなくて、堪らなくなった。
もう胸を護るものは、無い。
再び、僕の手で斬ってしまったから。
…だが、今回は…喪失感が、少ない。
僕の、僕だけの、狗。人修羅…僕しか使役出来ぬ、悪魔と人間の君。
「とってこい、矢代」
袖を引けば、するりと舞い戻って来た。
管に納まらぬ君は、気分で出て来ぬ事は無い。
僕が手をかけぬ限り。堕天使に取られぬ限り。
引けば、戻る。呼べば、来る。そう…その名を呼べば。
耳元で、悔しげに、切なげに吼える狗。
「夜…よる…っ、ん」
合わさった唇が、その遠吠えをくぐもらせる。

 「とってこ〜い!」

窓の下から、あの少年の声が聞こえる。
霜がレースをひいた硝子の向こう、遠い世界。
僕等のいる暗闇とは違う、帝都の美しい冬景色。

 「よしよし、いいこだぞ〜ヤシロ!」

言葉とは裏腹に。
まぐわう口の中、僕は君を追いかける。
とってくる側となる。
君の舌を絡め取って、歓喜してMAGを震わせる。
熱量を奪われて、狗になる、君の。
そう、烏などではない、それならいっそ、君の…

 「えへへっ、ずぅっと一緒だよ!ヤシロ!」

ざくざくざく、暗闇を駆け回る二つの啼き声。
狗と狗の戯れ。



とってこい・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
タム・リンの管を大事に御守りにしていたライドウ
今其処に居る人修羅をとってくるのか
大事な過去の温もりをとってくるのか
白い雪景色は灰の山

珍しく前半にエロですね。
犬は物質的
狗は精神的なイメージで書きました。
風邪のライドウを書きたかったという願望もあり。
袖を引っ張る夜…
おでこぴったんこ

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