耳鳴りがする頭を振って、蹴り飛ばしてきた張本人をやぶ睨みする。
「それ以上吸うと彼、木乃伊になってしまうけど良いのかい? ククッ……ま、僕は構わぬけど」
転がっている白灰の襟首を掴むと、ずかずかと土足で屋内に上がるライドウ。
白灰を籐の椅子に座らせ、腕組みのままじっと見降ろしている。
「……ひぃ、ふぁ、み……よお、つぃぁ、ま、なね、や、かへな……たヴぉ…」
もはや呪文か睦言の様に、カウントをずっと呟いている白灰。
ライドウは口角を上げ、何かを彼に吐き捨てるよう呟いた。
「ラ・アザゼル」
それこそ俺は言語も分からず、理解する事も出来ずに、間に何が交わされたのか知る事も出来ずに。
それがまるで負け続けの精神を逆撫でされた様で、吸ったばかりのMAGが全身から溢れそうだ。
「さて行こうかね功刀君、外にゴウト童子を待たせてある」
「あんたどうして、どうして俺をこの人に貸したんだ!」
立ち上がり、俺も土足で歩み寄る。
ライドウは逆刃で抜刀し、俺の眼前で切っ先を留めた。
「汚れる、近付かないでもらおうか」
「んだとてめえ! じゃあもう二、三発、井戸水被れば良いのか!?」
「此処だよ、汚い」
角度を変えて刃を水平にされたそれが、俺の唇の隙間に挿し込まれた。
咄嗟に歯で刃を噛み締め、食い止める。
「く……っひ」
「浅ましいね、彼のMAG保有量が生来少ない事を聞いていなかった?」
「ぅ、ぐッ」
刃を押し込まれる。唇の端がスウっと裂かれ、血が顎を伝うのが分かった。
このまま刀を噛み砕こうが、問答無用で折れた切っ先を突っ込まれそうだ。
「あのねぇ功刀君……口から吸えと教えた覚えは無いんだがね!」
「うヴぅあぁッ!」
激痛に堪らず手が出た。指と掌をまだらに切り裂かれながら、切っ先を押し返す。
一歩二歩、後退しつつ口元を押さえた。だらだらと血が溢れて、指の隙間から黒い紋様を伝う。
塞ぐ手からも出血しているだけあって、畳がみるみる赤く染まる。
荒げた息を整えようとして、自分の血で咽た。胎を抱え背中を丸め、咳き込む痛みを身体が勝手に軽減しようとする。
「平気で他のサマナーの口を吸うなぞ、汚らわしいよ君」
「はっ、ぁ、あぶっ」
声の近さに身構えたが遅く、呼吸を奪われた。
今さっき裂いた傷口を確かめるかの様に、ライドウの舌が口腔を撫でて回る。
柔い肉で抉られる度に、俺の手足が跳ねて震える。身体を押し返そうにも、脚を掛けられ重心が崩された。
倒れまいと縋れば、一層きつく吸われる。
熱に浮かされた様な意識の中、ライドウの喉が嚥下に蠢くのが見えた。
(夜が俺の血を飲んでいる……)
飲み下す音さえ聴こえる様で、耳が熱い。斬られた筈の傷口が今度は疼いて、何故か刺激を欲する。
制御の為に掛けられたライドウの脚に、もっと此方の脚を食い込ませた。
舌でライドウの、整然と並ぶ歯列をなぞる。接触の違和感は恐らく刀傷だ。俺の舌は今、蛇みたくなっているらしい。
ああ……やっぱりこのMAGだ、ほんの少しで身体が歓喜する。紋様の縁が眩く輝くのが自身でも判る。
この男は、ライドウは判っているのだろうか。俺はあんたのMAGで満ち充ちているんだぞ、こんなに、なあ。
昂った下肢を擦りつける様に、血と悪魔の残滓に塗れたボトムをギュウギュウ鳴らした。
もつれ合う内に、背中を畳に打ち付けた。項の突起をぶつけて痛い気がしたが、そんなの一瞬だ。
「随分と……羞恥心が失せているじゃないか、フフ」
唇をやっと解放し腰に跨るライドウが、いつもの高圧的な眼で俺を見下す。
が、その仄暗い眼がすっと背後に流れていく。俺も釣られる様に後追いする。
椅子に座った白灰が、あの薄い笑みを浮かべて俺達を眺めていた。蝋人形の様に生気は無いが、眼だけが爛々として。
「お前の言葉で這い上がって来た訳ではない。僕はずっと、お前に姿を見せているつもりは無い」
淡々と相手に零すライドウから、熱が逃げていくのが分かった。
ああこれは、完全に水を差しやがったな白灰。
何処かいたたまれずに、ライドウの下から這い出る。逃げる様にして庭先に降り、勝手に井戸水を汲み上げた。
自ら求めた恥が、今更背筋を凍らせる。不穏な心地でライドウを睨めば、奴は赤い唇を舐めずって余裕の哂いを浮かべていた。
『お主等……一体他人の住処で何をしでかした?』
敷地外に待機していたゴウトは、ひとつも傷を負っていないが血塗れのライドウを訝しんだ。
俺がボロボロな事には言及してこない。あの神社で一悶着有ったのだと、勝手な憶測をしているのだろう。
『しかし人修羅、その姿で電車に乗るつもりか?』
まさか、と云うつもりが、呻き声になった。そうだ、舌が思い切り裂けていたんだ、まだ治癒しないのか。
「僕の昔居た庵に、荷物を置いて御座いますよ童子」
『着替えが有るのなら大丈夫か……それにしても白灰の処で大人しくしていたのかこやつ?』
「借りてきた猫の様でしたよ、ねえ功刀君?」
返事出来ない事分かってるだろあんた。
『そういえば、宵に迎えに行くと云ってなかったかライドウ』
「大人しいのも時間の問題と思いましてね、いやはや猫は本性を現すのが実に早い」
『それは我に喧嘩を売っているのか?』
俺にも喧嘩を売っていると思うが。
しかし俺の中で不服な気持ちと、それと相反する期待が同居していた。
(早く返して欲しかったって云えよ……あのサマナーを木乃伊にして欲しかったって云えよ……)
隣を歩くデビルサマナーと、目が合う。
「彼の快感は、過去の一件で限定されてしまった。だから春画など貸してあげたのに、やはり駄目だったようだね」
唐突なライドウの語りに、ゴウトは入って来ない。きっと俺に話しかけていると思って、スルーしている。
曇り空の背景に、学帽と外套の黒が鮮明だ。たった一日空けただけなのに、懐かしさを覚えている馬鹿な俺。
思えば、暫く優しくしてくれたサマナーは空気にそのまま解けそうな、どこか空虚な色、気配をしていた。
ボルテクスで見てきたマネカタを、どこか彷彿とさせる様な。
それなのにこんな競争社会に生まれたら、確かに流されるだけかもしれない。
一言くらい礼を云えば良かった、俺は実際お世話になったのだし。
「矢代」
喉の奥がヒリついた、傷口が開きそうになる。
傾いた感情を、強制的に直されるような感覚に眩暈がした。
「面白い舌になっていたねえ、今夜それで僕を愉しませてよ」
まだ血の臭いのする吐息が、俺の耳をくすぐった。
何を抜かすかと殴ってやりたい所だ、本来は、それなのに。
「ああ、それともこの後、直ぐが良い?」
当たり前だろ何云ってるんだ、さっきの差し水から数分経ってるんだから、また沸き立ってるに決まってるだろ。
おかしい、熱のやり場に困るって、こういう事か。
そうなんだ、俺がどれだけ吸い上げようが哂って立って居られるサマナーでないと、あんたじゃないと俺は……
「そうだね、十数える間に返事してご覧、そうしたら考えてあげる」
思わず「ああぅ!?」と呻いた。
だから返事出来ない事分かってるだろ、この鬼畜野郎。
「ハイ、ファ、ミ、ヨ、ツィア、マー、ナーネ、ヤ、カヘナ、タヴォ」
嬉々として、高らかに読み上げるライドウ。
数詞の筈が、最早呪文にしか聴こえないそれを、俺は悶々とやり過ごすしかなかった。
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
拍手メッセージにてお薦め頂いた楽曲より連想。
ヒイフウミイヨ…と、和風な歌詞と曲調だったが、数詞より起草し敢えてヘブライ関連に寄せた。
「他サマナーに貸し出される人修羅」というシチュエーションは以前から書いてみたくあったが、それと同時に「ライドウの登場が少ない割に、彼の存在感を出してみたい」という、間接的な干渉を意識した。すると案の定、ライドウの修練した里(このサイトにおける、ヤタガラス機関に侵蝕された葛葉の里)が舞台となり、彼の幼少期にクローズアップしてしまうのであった。
後半人修羅がやたらと積極的、というか最近この傾向が強い、謎。珍しくキスシーンを長々と書いた。
《三×三マスを敷き詰めた三次魔法陣》
ふぁんぶっくに記載されている情報、修験界を意図的に半異界化させているらしい。
《竜脈》
地脈と同義。
《蛮力の壁》
本当にゲーム内でも効果12秒、結界なら15秒。
《シキミの壁》
ふぁんぶっく内小説によると、人の情念から形を成すらしい?
《ラ・アザゼル》

アザセルとは大贖罪日に民の罪を負わせた犠牲のヤギを突き落とした崖のこと。 上品な言い回しの「畜生め」という意味。「レク・ラ,アザゼル」とも言う。
(引用元;http://www.bekkoame.ne.jp/~adontoru/subfiles/slander.html)
しかしアザゼルというのが、崖だったり悪魔だったり概念だったり、宗教家の間でも結構解釈が違う様子。
他にもスラングは色々有ったが、この言葉を選んだのは「アザゼル」という名称が入っていたから。エノク書におけるアザゼルの扱いが「見張り役」であり、作中の白灰と被る
為。それにしてもアザゼルなる名称(単語)くらい「聴いた事がある」と思わないのか矢代は。
《ハイ、ファ、ミ、ヨ、ツィア、マー、ナーネ、ヤ、カヘナ、タヴォ》
日本語の数詞「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とう」を訛らせるとヘブライ語の音になる説より。
天の岩屋神話にて天児屋命の祝詞が「ひいふうみいよ…」と始まるが、それをヘブライ語の音と捉え訳すと「誰がその美しいかた(女神)を出すのでしょう。彼女の出ていただくために、いかなる言葉をかけたらいいのでしょう」となる。

タイトル画像にも使用したヘブライ語ver(右から左に向かって読む)だが、発音から単語ごとに並び替えてヘブライ語に訳したものなので、はっきりいって適当。アテにしないで欲しい。
本作中の白灰がうつろに唱え続けるのは、物質的には出てきたライドウが未だに自分の前に現れて居ない感覚に陥っている為。ライドウもそのつもりであった。
“もはや呪文か睦言の様に”というのは、あながち間違いでもなかった事になる。
《“俺の舌は今、蛇みたくなっているらしい。”》
スプリットタン。別の話も含めると、孔という孔に刀を突っ込まれて、大変な男だ。
《師匠》
このサイトではタム・リンの事。ライドウ少年期の話はSS『生死滲出』を読まれたし(所謂モブレとか平気で有るので注意)